古本屋通信

古本屋から見た自費出版の無駄

古本屋通信    No 2260    2016年 11月09日

  いらぬ世話だが、古本屋から見た自費出版の無駄



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     更新日時 : 2016/11/09    06:43




  以下で鬼藤千春氏を下敷きに書かせて貰うが、これは悪意あってのことではない。たまたまネタが見つかっただけである。鬼藤千春氏が石崎徹氏でもよいのだが、歌集のほうが小説集よりいっそう分かり易いとは言えるだろう。


 2016年10月31日(月) 晴れのち曇り   鬼藤千春の小説・短歌
  この度、わたくし鬼藤千春は、「短歌とエッセイ集」を出版することに致しました。約300ページの本になる予定です。いま、その原稿に手を入れているところです。11月上旬に印刷所に原稿を送り、年末を目途に完成をめざしています。
 そこで、この「短歌とエッセイ」もひとまず、切りをつけてしばらくブログをお休みしようと思っています。いままで、ご訪問して戴いた方には誠に申し訳なく思っていますが、ご理解のほどよろしくお願い致します。「短歌とエッセイ集」を上梓できるのも、皆様のおかげであり、心より感謝致しています。
 最後になりますが、拙ブログを永くご愛顧戴きまして、誠に有り難うございました。皆様のご健康とご活躍を心よりお祈り致します。それではこれで、ひとまず失礼致します。さようなら――。





  古本屋通信

 タイトルに 「いらぬ世話だが・・・」 と付けたように、個人が自分の金をどう使おうと勝手であり、他人からご意見をいただくようなことではない。だから拙文は鬼藤氏に向けてではなく、これから自費出版をするかも知れない読者に向けて発信する。

  金の無駄だから止めた方がよい。300ページなら、どんなに少なく見積もっても100万円は下るまい。ちょっと装丁などに凝ると200万円だ。これは300部作っても500部作っても数万円しか変わらない。金が勿体ない。ドブに捨てるようなものだとは言わぬ。けど短歌集など、まともに読むものはいない。仲間うちで褒め合うだけである。古本屋はハナから捨てる。毎週、毎週、個人が歌集を資源化ゴミに出す。廃品回収業者は古紙としても嫌う。古新聞の半分にも金にならない。おまけに表紙がハードカバーでビニール引きだと、有毒ガスが発生して再生資源に使えない。

  まあ一生に一回だ、墓場に貯金を持って行ける訳ではないと言って、皆さん自費出版をする。印刷業者や丸善の自費出版コーナーも勧める。

  ネットは紙の媒体の数百倍の伝達力を持っている。鬼藤氏のブログは毎日数十人の訪問客はあるだろう。通算すると1万人は固いだろう。紙の歌集なんて誰も読まない。考え直すべきである。

  鬼藤氏は週に数回 「しんぶん」 を早朝配布するというから共産党員なのだろう。そのことを誇りにしているから石崎氏のことを 「党からの脱落者」 と書いたのだろう(脚注)。すばらしい党派性である。だったら出版を思い留まって、その全額を日本共産党岡山県委員会に寄付したらどうだろうか。県委員会も金が麗澤なように見えない。100万円でも喜ばれるだろう。

 先日党本部への潜入録画を見た。赤旗が党の主な資金源になっているという説明は公式的過ぎる。日刊紙20万部は赤字だし、日曜版100万部も大した利益になっていない。党費とて心細い。ハッキリ言おう。党の財源は党員からの大口のカンパに頼っている。それも団塊世代からの大口カンパだ。いま金を持っている党員世代は鬼藤氏の世代だけだ。だから自費出版も可能なのだ。その金を党に廻せ。その方が党員として本望だろう。ただしカンパのことは絶対に他言してはならない。それが党員であり党である。

  こういうことは革共同は徹底している。反対に、党にビタ一文出さないのが緑の党である。自滅は時間の問題である。日本共産党員は革共同を見習うべきだ。中核派は3人で1人の職業革命家を養うらしい。革マル派は2人で1人の職業革命家を養うらしい。日本共産党は100人で1人の職業革命家を養う。これでは革命時にはやっていけない。


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  脚注
  これは個人の非公然の党籍に関係するから、念のために出典を示す。まがね文学会HPのコメント欄に今も残っている鬼藤千春氏の文章である。まがね文学会HPの管理者は笹本氏である。ここに投稿した鬼藤氏は軽率であったろう。笹本氏は永久に残すらしい。鬼藤氏のドン引き文は2年後の今も消えていない。

 曇った眼! 
非正規労働者の増大とセクハラの増加は、三つの資料によっても明らかである。まだ、他の資料を当たればより一層明確になる筈である。仮にも労働組合の委員長をしている人間が、この関係性が理解できないということはどういうことか。事物の本質が見えない、曇った眼というほかない。こういう現象がなぜ起こるか。それは、階級闘争の変革する立場が欠落しているためである。石崎のような、党の支持者を名乗りつつ、反共の立場に立つ、党からの脱落者に迎合する笹本も「同じ穴のむじな」である。石崎は、日本社会の変革の展望を失っている。文学でも然りである。彼がいうには、現代文学は現実を描かなければならない、といいながら、未来への展望を語ることができない。まさに、「敗北の文学」である。そういう男の「セクハラ論」にすり寄る笹本もまた、同類といわざるを得ない。「犬は吠えても歴史はすすむ」。もう一切君たちのようなものと関わりたくない。ブログへの訪問、メールなど、断固拒否する。  鬼藤千春の小説  URL 2014年09月20日 00:59

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  古本屋通信のヒミツ
 ひとつ私の文章修業の種明かしをしよう。上記のようなネチネチとイヤラシイ文体は私が多用する方法だが、実は私はこれを『週刊新潮』から学んだ。私たち F書店の新規出版部門に配属された社員は一年間だけ、出版の自由研究の時間を与えられた。昭和50頃だった。私は色々やったが、週刊雑誌の文体を研究した。面白かったナア。
  1. 2016/11/09(水) 02:27:18|
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