古本屋通信

古本屋の虚像と実像

古本屋通信      No 2254   2016年 11月05日
 
   古本屋の虚像と実像

 うところがあって2年ほど前の過去板を再録しようとうが、そのう所というのをリード文として書いておく。


  数年まえ倉敷蟲文庫の田中美穂さんが上梓した 『わたしの小さな古本屋』(洋泉社)がちくま文庫に入ったと聞いていたので、ネットを潜ってみた。わたしは丸善での立ち読みだったが、通読するのに10分と懸らなかった。ホントは読まなくてもよかったのだが、予想された通りの本だった。批判は何もない。典型的な古本屋本である。田中さんの個性もあるが洋泉社が作った本である。これはコレでよかった。筑摩がロングセラーを見越して文庫に入れたのも筑摩の見識である。ところが以下のようなワッショイを読んだ途端に不愉快になった。
古本の売り上げで家賃払えるの? なんとかなるんだよ!『わたしの小さな古本屋』
エキサイトレビュー 2012年3月21日 11時00分
ライター情報:とみさわ昭仁
『わたしの小さな古本屋』 田中美穂(2012年1月31日発売/洋泉社)
先月書いた『古本道入門』のレビューで「古本が好きすぎるヒトタチにはカビの匂いもチョコレートのように甘く感じられる」というような話を書いたけど、なんと、この本の最終章のタイトルもまた「チョコレートの匂い」なのだった。古本宇宙ってロマンチックよねえ。古書店の店主が書いた本というのは、思いのほか多い。有名なところでは葛飾区「青木書店」の店主・青木正美氏が書いた『東京下町古本屋三十年』や、青森「林語堂」店主・喜多村拓氏の『古本屋開業入門 ─古本商売ウラオモテ』、オンライン書店「杉並北尾堂」店主・北尾トロ氏の『ぼくはオンライン古書店のおやじさん』などなど、いくらでも挙げられる。
本書『わたしの小さな古本屋』もそんなひとつで、書いたのは岡山県倉敷で文字通りの小さな古本屋「蟲文庫」を経営する田中美穂さんだ。

彼女が古本屋を開業したのは、若干(誤字 弱冠)21歳のとき。それ以前に古書店で修行をしていたとか、どこかの商店で客商売の経験を積んでいたとか、そういうことはまったくない。単なるアルバイト暮らしをしていた女の子が、バイトを辞めたのをきっかけに、突然、古本屋をはじめた。普通なら、そこで別のアルバイトを探すとか、就職活動に取り掛かるとかするものだろう。なのに、彼女は古本屋の開業を思いついてしまった。思いついちゃったんだからしょうがないよね

それまでに貯めていたなけなしの100万円を資金にして、不動産屋をまわった。予算は家賃5万円。多少予算をオーバーしながらも、なんとか格安の物件を借りることができた。屋号を決め、古物商の資格をとり、本棚を自作して、ようやく開業にこぎつけた。古書組合に加入するほどの予算は残っていなかったので、とりあえず店頭には自分の蔵書を並べ、仕入れはお客様からの買取りだけでのスタートとなった。このあたりのフットワークの軽さと行動力のたしかさには、目を見張るものがある。

古本好きなら誰もが一度は夢見るのは「自分だけの古本屋をひらく」ことだ。でも、ほとんどのひとは「やっぱり無理!」とあきらめてしまう。
古物商の許可申請って警察行かなきゃなんないんでしょ? 古本の売り上げごときで家賃払えるの? 本の束の積み降ろしで腰痛が悪化しそう。青色申告ってメンドクサーい!
だけど、本人にやる気さえあれば案外なんとかなっちゃうものなのだ。現に田中美穂さんもなんとかなっている。蟲文庫は1994年に開業して以来およそ20年。大儲けすることもないが、かといって夜逃げをすることもなく、なんとかやってこれている。

蟲文庫のある倉敷という土地は観光地でもあるから、普通の古本屋には起こりにくい出来事もたびたび発生する。
ふらりと入って来たお客さんに「ここは何をする場所ですか?」と聞かれたり、入ってくるなりトイレを探されたり、店内でバシバシ記念写真を撮られたり、本も買わずに荷物だけ預かってもらおうとされたり、しまいにゃ託児所として利用されそうになったり。



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  まあ書評とはこんなものなのだが、これは一から十まで古本屋の虚像なのだ。田中さん自身は全てを承知の上でヤラセに身を任せているのだが、これを本気で古本屋の実像と受け取られたのでは堪ったものではない。何処がウソか。全部ウソなのだ。だから実在の古本屋は青木正美も、喜多村拓も、北尾トロも、田中美穂も読まない。書いた本人も商売として売れそうに書くのだから、傍から半畳は入れにくいのだ。読者もちょっとだけ古本に興味を持ち始めた人のガイドブックとして読む。だから放置しておけばよいのだろうが、私はなぜか気分が悪いのだ。蟲文庫に入った客だってトイレを借りてオワリなのだ。

 以上が長すぎた今回のリード文である。私が以下で再録する記事こそがリアル古本屋である。よろしかったら最後までお読みください。


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古本屋通信    No 961   7月23日

   買い損なってホッとした

 古本商売のことを手短に書く。店にいると昼まえにケイタイに電話が掛かってきた。以前いちど大口の買取りで運搬を世話になった赤帽さんからである。定年退官した大学教授が蔵書を整理すると言っている、見てほしいのだが、とりあえず先方に電話を入れてくれないか、ということだった。名前と電話番号を教えてくれたのですぐに電話を入れた。が、何回掛けても留守だった。

 仕方がないので、大学名と苗字でパソコン検索した。本人はすぐに分かったが、ここから先は本人が特定できないようにボカす。文科系だった。ハナから買えないクチではなかったが、なぜか気がすすまなかった。で、紹介してくれた赤帽さんに電話を返した。

 「本人がどういう人かはすぐに分かりました。専門分野も分かりましたから、本の概要も予想できます。分量はどれくらいでしょうか?」

赤帽 「とりあえず放出したいものがダンボール50 箱です。これは既に箱詰めしています。それとは別に今回は残そうかどうしようか迷っている本がその2倍はあります」

私 「ウ~ン、けっこうあるなあ。みんな持ち帰って貰いたいんでしょうか? だったら安いですよ。殆んどお金は払えないかも知れない。あなたはそれを運び出すとき一緒に行ってくれますか? たぶん赤帽さん代は5万くらいだと思うけど」


赤帽 「いや、そんなに頂きませんよ。先方はお金のことは言わないと思います。片づけてほしいだけみたいだったから」

 「見ていないのに言うのも変だけど、カンで言うとせいぜい5万円までですね。本音を言うと、タダなら受けてもよいが金はビタ一文払いたくない。まあ、そういう線で電話を入れてみますが、先方が断る可能性が半分でしょう。もし受けると言われるなら、あなたと一緒に行くといいますよ。それでよいでしょうか」

赤帽 「それでいいです。行くのは日曜日にしましょうよ」


 私にはこの話は端から嬉しくなかった。普通なら文系研究者の蔵書が約1万冊の処分だから、飛び上がる話である。しかし古本屋的に上クチだと思えなかったのだ。

 最初に引っ掛ったのは、なぜ先方が自分で私に電話をせず、逆に私に入れさせたかである。これは素人目には 「何を面子にこだわっているのか。商人が下手に出るのが当然だろう」 となる。しかしこれは違うのだ。売買は商取引である。商取引は両者が対等である時点から出発する。しかも今回の話は私から依頼したクチではない。先方が処分したいと赤帽さんに持ちかけたのだ。赤帽さんには赤帽さんの立場があって私に掛けさせたのだが、先方がそれを要求しているように思えた。だから私はこの話はうまくいかないだろうと直感した。


 私が留守番電話に入れていたので、夕方に先方から電話が掛ってきた。相互に今回の電話に至る経過を確認したあと、本題に入った。

私 「時間がありましたので、大学のHPなどで先生の専門を拝見しました。文系ですし間口は広いようなので、買取りはさせて頂きます。けど、トコトン安いですよ。その理由は研究者の本がほとんど売れないからです。分量もお聞きしています。全て一括持ち帰れと言われるならそうします。しかしその場合は、選択買いよりも更にお安くなります。まあいくら出しても5万円までです。タダでは持ち帰りませんが、3万円位かも知れません」

教授 「今回整理したいのは段ボール50箱です。あとは今回売る気はありません。それに、残している数千冊も含めて最高5万円ですか? すごく安いなあ。買うときは高かったですよ。とても売れないなあ。段ボール分も売るか売らないか少し考えたい。即答できないです」

 「お気持ちは分かります。しかし即答されないと、古本屋はお断りになったと見做すのです。それは相見積を取られたくないからです」

教授 「やむを得ません。売らないことにします」

  「了解しました。ご紹介くださった赤帽さんには私から報告しておきます。失礼いたしました」



 直後に赤帽さんに電話をいれて報告した。全てを互に了解した。私がひとつだけ観測を述べた。

私 「段ボール50箱、ありゃあ古本屋的には全部ゴミですよ。先生も要らない本ばかり詰めたと言ってましたから」

赤帽 「そうかも知れません。私には本は分かりませんが、間違いないでしょう」

私 「買わないでよかったです。でもお骨折り頂いたのにすみません。今後とも宜しくお願いします」

赤帽 「いいえ、お役に立てず済みませんでした」


 買い損なってホッとした。こういう気持ちは初めてである。清々しい気持ちでパソコンに向かった。



 後記

 こういう話は古本屋の日常には掃いて捨てる程あるだろう。古本屋は対応を熟知しているし、一般には何の興味も湧かない話だろう。私も書こうか書くまいか一瞬迷った。それでも書いたのは、たったこれだけの事でも他の古本屋が書かないからだ。結果古本業界の実情、古本屋の日常とかけ離れた「虚像」だけが一人歩きする。蟲文庫に見たとおりである。ありふれた今日の記事でも、これから古本屋を立ち上げようとする方にはいくらか参考になるかも知れない、そう思って記事を書いた。

 もうひとつ。私が蟲文庫のことを何回もクドく批判的に書くのは、田中美穂さんに恨みがあるからではない。赤旗の蟲文庫紹介のアホウ記事がカンに障って忘れられないからだ。この日の読書欄には、新書ブームを肯定的に書いた記事もあり、なんと右翼出版の幻冬舎まで褒め上げていた。これらの記事の延長線上に 『日本共産党の深層』 (イースト新書 大下英治) 賞賛があった。許せない。



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古本屋通信  No 284 7月2日

  古本屋と私 (部分再録) 

  十一 このさい思いきって本音を書く。私は一種独特の 「本の世界」 的な雰囲気が疎ましい。古本について書かれた本は、多分にその匂いを漂わせている。『日本古書通信』 は古書カタログ(注文書)だが、その前半に載っている記事の雰囲気だ。

十二 また、そういう実在の古本屋は多いようで意外に少ない。岡山でいえば、倉敷の蟲文庫さん位だろう。本人が好きでにやっているのだから、傍がとやかく言う事ではない。黙っていてもメディアが寄ってくるのだろう。彼女は決して露出趣味ではない。たいていは「よかったね」というのだが、『赤旗』が大きく取り上げた時には、私もさすがに『赤旗』を小馬鹿にした。まあ、よくもこれだけ阿呆な記事が書けるよ、と。この記事の直後に『赤旗』は読書欄で新書について書き、なんと見城徹の幻冬舎新書を肯定的に紹介した。一体ナニ考えてんの、この馬鹿が。『赤旗』には一ヵ月ほど前、田中のぞみさん(現市会議員)を追ったピカイチの記事があった。それだけに記事(記者)の落差に驚いた。

十三 私は本が好きだ豪語する人間が好きになれない。書けば長くなり、それだけで鬱陶しさが増すから書かないが、この階級社会の、たとえ片隅にでも「本の世界」など位置する空間はない。あるとすれば、現実逃避の「逃げ場所」だろう。私はそういう読書を嫌う。古本屋は、風呂屋が風呂に入る機能空間であるように、本を購う空間に過ぎない。


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 古本屋通信  No 291 7月5日

 『赤旗』文化欄の問題  
 将来社会の政治権力と出版の自由の問題を射程にいれて



 先ず自分の過去記事の一部を引用する。

  『赤旗』が(倉敷の蟲文庫さんを)大きく取り上げた時には、私もさすがに『赤旗』を小馬鹿にした。まあ、よくもこれだけ阿呆な記事が書けるよ、と。この記事の直後に『赤旗』は読書欄で新書について書き、なんと見城徹の幻冬舎新書を肯定的に紹介した。一体ナニ考えてんの、この馬鹿が。(通信 No 284 古本屋と私)

 これは「古本屋と私」の文の一部なので、この時は軽く流したが、後日すこし書き足さねばと思っていた。

 蟲文庫さんが商業メディアにしばしば取り上げられることについて、私はとやかく言うつもりはない。一般的にブル新を小馬鹿にしてはいるが、取り上げられた本人が「宣伝してくれてうれしい」と思っていれば、「よかったね」くらいは言う。だいいち蟲さんには「受け狙い」はないだろう。

 しかし『赤旗』(政治党派の機関紙)が一(いち)古書店を、それ自体として取り上げることは、商業メディアが取り上げるのとは全然意味が違う。肯定的であろうと否定的であろうと、政治権力が決してやってはならないことだ。記者は場末の小さな古本屋を肯定的に紹介して何が悪いと思っているのだろう。ボケてもらっては困る。古書店は言論を商品として扱う、政治権力とは独立した営利媒体なのだ。たとえ小さくてもその意味では出版社や新聞社と変りはない。何らかの理由があって褒めたり批判したりはよい。しかし存在そのものについて、評価してはならない。それは政治権力による言論への干渉である。

 このことは幻冬舎新書を新書ブームのなかで取り上げるに至って、よりはっきりする。私は幻冬舎の存在自体が労働者人民にたいする思想攻撃だと思っているし、そう公言してきた。しかし共産党も赤旗もそういう決めつけはしないだろう。私の知る限り、共産党が出版社(新聞社、古書店も)そのものを否定的にとりあげたことはなかった。批判は文春、新潮、サンケイはじめ数かぎりなくやってきたが、それは常に具体的事実を挙げての批判だった。一般的な否定は、出版の自由を保障する政治党派の立場からはやってはならない。それは裏返しとしての一般的肯定的紹介についても同様である。
 私はこういうことは、共産党も赤旗もとっくの昔にクリア(卒業)しているとばかり思っていた。過去に腐るほどトラブルがあって、その都度苦しんできたではないか。出版の自由の問題は党のネックの問題ではなかったか。

 出版の自由はとうぜん出版物の流通の自由をも含む。党はこれに介入してはならない。やってもよいのは、出版物に表われた個々の論稿に対する(肯定・否定の)評価だけであろう。それも取り上げる対象にふさわしいかたちで。結局、赤旗は蟲文庫や幻冬舎新書をナメていたと思う。これが神田の一誠堂書店だったり、大月書店や青木書店だったら書かなかっただろう。私はこれをもって日本共産党自体の劣化を言うつもりはないが、若い赤旗記者が言論の自由の問題に鈍感になっているとは思う。この記事の少しまえ、正月元旦に、赤旗は現岡山市議の田中のぞみさんに関するピカイチの記事を書いた。いいものはいい、わるいものはわるい、これからもそう言い続けていきたい。
  1. 2016/11/06(日) 07:51:03|
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