古本屋通信

受益者負担を求める論理

古本屋通信      No 2191 10月10日

   私の古本屋事情。受益者負担を求める論理。

 先ほど店のソファーで熟睡していたら、いきなりいちげん客に叩き起こされた。私の店は365日「閉店中」なのに、たまに構わず入って来るいちげんがいる。「もう2年ほど小売りはしてませんけど、せっかく来られたのですから、欲しい本があればお売りします。ちょうど風邪で寝ていたのですが、15分くらいならご覧になって下さい。気に入った本があれば買って行って下さい」。実直そうな私くらいの年齢の男だった。「はい、ありがとうございます」。5分もしないうちに 「どうも失礼しました」 と言って出て行った。どうという事のない遣り取りだが、疲れがドッと出て自宅に帰ってきた。こういうケースが年に2,3度ある。買ってくれても1冊である。買わないケースが大半だ。5000円はおろか1000円買って貰った記憶もない。

  昨日久しぶりに店に来た同業のY氏が、私の通信 「ブックオフの買取り値のことなど」 を読んだらしく、「古本屋通信なんだから、古本屋のことをもっと書いた方がいいよ」 と言う。で、その積りになったのだが、愉快なことは書けそうにない。とりあえず不愉快な事を書こう。

  いま岡山では大半の古書店に於いて、実在の店舗(リアル古書店などという奇妙な言葉が出来てしまった)では営業が成立しなくなった。他店の台所事情を熟知している訳ではないが、まず間違いない。私の店が年中「閉店中」なのは、客に来てほしくないからである。そんなことはなかろう、店を開けていれば何人か入るから、少しは売れるだろう、売れないよりもマシだろう。そう考えるのは客である。これは常連客といちげん客の両方だ。こう思うから、客は自ずから態度がデカくなる。自分ではそう思っていなくても、客風を吹かすことになる。つまり客あっての商売だとの認識である。

  私は客によってはハッキリ言う。「ウチみたいにピカイチの良書を揃えている店だと、入店者にはせめて1回の入店で1万円以上、最低でも5千円は買ってもらわないと割が合わんのです。それ以下だったら、売れば売るだけ赤字になるんです」。然しいまだにコレを理解した客はいない。だからこそハナから入店お断りなのだ。

 入店お断りでも、入る客は十数人いる。彼らで店はもっている。じゃあ彼ら常連さんは多く買う客か。そんなことはない。多く買う客もいれば200円しか買わない客もいる。であっても、古本屋は彼らから利益を享受しているのだ。

 私は冒頭のようないちげん客をハナから拒んでいない。「もう2年ほど小売りはしてませんけど、せっかく来られたのですから、欲しい本があればお売りします。ちょうど風邪で寝ていたのですが、15分くらいならご覧になって下さい。気に入った本があれば買って行って下さい」 と言って温かく迎えている。そしたら、その客は15分間に店の棚から1万円分の古書を抜いて番台に持ってこなければならない。それだけの良書は必ずある。そうできないのは、その客が本を見る目がないからだ。だから二度と受け入れることはないだろう。

  タイトル副題に「受益者負担を求める論理」と付けた。古書店に入って上等な古書の背文字を見、更に手にとって頁をめくる、これは客にとって恩恵である。無料でこういう恩恵に浴せると思うほうがどうかしている。なぜなら買わないで出られては、古本屋は何のメリットもないからである。対応に時間はとられるわ、本は傷むわ、何もよい事はない。つまり客は店に入ること自体で「受益者」となっている。受益者には負担を求めたい。受益者の非負担を許さない。

  同業者のY氏は私の店から7万円分ほどの古書と郷土資料を持ち帰った。これだけ抜くのに1時間懸けていない。全て次回古書展の目録用だそうだ。ありがたい。たぶん殆んど完売するだろうと言う。私の店に格別の仕入れがあった訳ではない。倉庫をひっくり返して、新しく背文字を見えるようにしただけである。

 熱が出てきた。せっかくの熟睡を叩き起こされた怨みはまだ残っている。怨念をこめてこの一文を書いた。所詮はこの程度のケチな古本屋である。
  1. 2016/10/10(月) 13:56:51|
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