古本屋通信

従軍慰安婦問題と橋下発言

古本屋通信  No 229 5月25日

  従軍慰安婦問題と橋下発言


  最近の記事から、表題に関する数本の記事をまとめて、ここに掲載する。本格的に改稿するにはまだ早く、現段階ではそのままで再録した方がよいと考えた。但し、引用の他人の長文は省いたものもある。配列は古い順とした。


 No 214   従軍慰安婦と売春  

  「維新の会」の橋下が何か言ったらしい。新聞を読まないので、全く知らなかった。つれあいが色めきたって教えてくれた。まるで鬼の首をたったように。私は関心がない。たったひとこと、「いいから、ほっといたら」。
 それで夫婦の会話はおわり。
 過去の古本屋通信の一部を再録する。たぶんこの再録、現在進行中の議論と噛み合わないだろう。でも、それでいいんだ。

 通信 No25より
 
 ・・・・いま再度かまびすしい従軍慰安婦問題を思い出した。日本の右翼がえらい剣幕らしい。これって戦時の治安維持法下で宮本顕治が人殺しをしたという論法と基本的に同じではないか。こじつけ。いったい日本が1910年に韓国併合したのは侵略だったのか侵略ではなかったのか。この一点を曖昧にして論は一歩も前に進まない。だが、かれらはまさにこの一点を否定するために全力を振りしぼってあがく(足掻く)。
 中国大陸における南京大虐殺、朝鮮半島における従軍慰安婦。日本帝国主義の海外侵略のさい、一部の買弁資本家が日本の「進出」を歓迎したからといって、侵略ではないとはいえない。買弁資本家に動員された民衆が沿道で歓迎の旗を振ったからといって、侵略ではないとはいえない。
 従軍慰安婦を集めるのに強制の事実があったか否かは、本質の問題をはずれている。というより意識的にはずしている。個々のケースでは強制もあっただろうし、任意もあっただろう。そんなことは「内地」の「女郎」集めと大差あろうはずがない。「強制」の証拠? 状況証拠は腐るほどある。証言が。貧しさゆえに、あるいは貧しくなくても売春に応じた女が日本統治下の朝鮮半島にいたという事実。この事実はだれも否定できまい。まさに従軍慰安婦は歴史的事実として存在した。このことをを否定する日本の右翼と保守の本当の狙いは、この問題をえさにして日本のかつての侵略を合理化し、こんにち軍国主義の日本を復活することである。

 侵略は被侵略国の財産・文化・習慣あらゆる価値あるものを奪う。奪うことによって本来あるかたちを破壊する。人間の尊厳と男女間の性愛の自由を破壊する。それは被侵略国のそれを壊すだけでなく、自国の男女間の性愛のあるべきかたちを歪 ( いびつ ) にする。

 いま朝鮮半島からあれこれ言われているという事実。これが従軍慰安婦問題のすべてだ。坐して跪いたくらいでは屁にもならない。このさい「天皇制を廃止します」くらい言うのが筋だと思う。相手に「天皇の謝罪」を求められて、このていらくは話にならない。「戦前の絶対主義天皇制と今日の象徴天皇制は違う。今日の天皇に謝罪を求めるのは筋が違う」などという論理が通用すると思っているのか。戦後革命を流産させ、戦後天皇制を廃止できなかった「恥の告白」がまさかこのような時、このような言葉で、日本共産党委員長の口からでるとは夢にも思わなかった。

 ここで、いま起こっている議論の文脈からは少しズレるけれど、以前から思っていたことがあるので、ここに書き加えておきたい。戦時下の性にかかわる問題をむやみにとりあげないほうがよい。二十年以上まえ千田夏光がこの問題で本を書いたとき、私は感心しなかった。従軍慰安婦?今更なにをというのが率直な気持だった。もっとはっきり言うと、千田さん、せこい売文商売しなさんなよ、これ以上やっても泥沼に入るだけだ、そうおもった。そのときの気持はいまも変わらない。私は日本の左派は、従軍慰安婦問題はスルーしたほうが賢明だと思っているのだ。歴史の基本認識なく従軍慰安婦問題を語るなかれということだ。日朝問題について、ひとつだけ参考文献をあげておく。「日本の韓国併合」 (山辺健太郎 太平出版社 1970年)

 今回、古本屋通信が書き足した文

 「とんでもないこと」を書いておこう。橋下の今回の沖縄に関する発言は、そのむかし、売春防止法が国会に上程されたとき、一時的にだが日本共産党が法案に反対したのと似ている? どう似ているか、面倒だから、書かない。然し、ちょっとだけ。あとあと、「あのとき共産党は売春防止法に反対した」と、まるで党が女を喰いものにする政党のようにいわれた。面倒だからすぐに軌道修正したが、要するにどっちでもよいことだったんだ。今回も似たようなものだ。違いは、橋下が騒いでほしがっていることだけ。

 いま、沖縄であろうと、アメリカであろうと、日本のどこであろうと、性の商品化は溢れかえっている。橋下は橋下なりに計算してしゃべっている。しかしこの男、空論がすきだ。というより「良識」を敵に回し、これを挑発して問題を提出したつもりになっている。一貫した政治手法だ。騒ぎが大きくなればなるほどうれしい。特に、女の団体の抗議など大歓迎だろう。相手にするな。

 女性の人権や、「政治家」のあるべき倫理の観点で批判しても屁にもならない。やるんなら、『家族、私有財産および国家の起源』から『資本論』に拠って、本格的に論じないとだめだ。「良家の子女」なら納得できるが、いま現在アウトロウの世界で生きている女にとってなんの役にも立たない議論。これほど傲慢で日本の下層民衆に無益な議論はなかろう。その意味で市川房枝は「女の味方」ではなかった。橋下がこの国の底辺から這い上がってきた男だということは、しっかりと押えておかねばならない。だからかれは傍若無人に振る舞い、一定の支持を得てきたのだ。

 赤旗を読んだあとで 

 上記の記事を書いた数時間後に、今日の赤旗日刊紙を読んだ。まあ、予想通りの記事だ。選挙前でもあるし、大いにやったらよかろう。私は日本共産党支持だ。しかし上記の私の見解はいささかも揺るがない。或る意味、橋下が言ったことは、それから石原が言ったことは「常識」なのだ。落ち目の維新には、これを機に消滅してほしいが、日本に圧倒的な性の商品化=人間の商品化が罷り通っている以上、議論は選挙直前らしい、きれいごとの議論に終わることは間違いなかろう。

 性の商品化は、世界のすべての国が戦争と貧困から解放される日まで続くだろう。「社会主義」ソ連にも、解放後のベトナムにも売春はあった。日本が民主主義革命を達成したのちにも、貧富の格差は相当長期に残るだろう。その間、性の商品化は残る。それを無理やり禁じることがどうか。ことはそう簡単ではない。戦後まもなく売春防止法が制定されて60有余年。この面で日本はよくなったか。ある意味、日本共産党が売防法に反対したのは、先見の明があった。現在の取り締まり対称は、突出した管理売春のみで、あとは売春天国だろう。

 基地があって売春がないということはあり得ない。それは、あってよいということではないし、勿論あった方がよいということではない。ただ、事実として、売春は必ずあるし、ないということはあり得ないのだ。
 もういい。ラディカルな議論をする環境ではない。しばらく赤旗も書けばよい。私は尻馬にのることにやぶさかではない。しかし、せいぜいやりすぎんことだ。

 上記の全文にたいし、焦眉の問題とズレているという批判があろう。従軍慰安婦の問題を売春一般に拡げるなという批判だ。とんでもない。従軍慰安婦問題の核心は売春なのだ。しかし、こういう問題は議会の政争の具としてはならない。だから、取りあうなと書いた。

 たった今、テレビの国会中継を10分ばかり観た。共産党の井上が質問し、安倍が答えていた。模範質問と模範回答。まるでコピーだ。一種の儀礼(セレモニー)だろう。議場は白けきっていた。テレビと無縁な私は、安倍がここまで冴えんとは知らなかった。そのくせ慇懃無礼だ。「従軍慰安婦の方」だと。差別意識が滲み出ていた。井上は髪に寝クセがついて、毛がはねていた。櫛くらい通したらどうか。



  No 216   日韓併合

 古本屋通信のまえがき
 
 ここに貼る資料は私が通信 No25 の冒頭で書いた、20世紀における日本の朝鮮侵略のはじまり、日韓合併(韓国併合)に関するものである。合併に先立って2万人殺しているという。この資料には殺人や強姦についての、あれこれの記述はないが、殺すまえに強姦、殺したあとに略奪は侵略戦争の「常識」だろう。殺す側だって命がけだった。従軍慰安婦「制度」は侵略戦争の人殺しの過程で不可避的に成立した**淫売制度だった。その非人間性をいうとき、元従軍慰安婦「の方」(安倍)の証言をいくら集めても、それだけでは不十分だ。慰安婦と交わった兵士の証言を集めてもだめだ。2万人をいつ誰がどのように殺したのか、殺すまえに強姦したのかしなかったのか。これが侵略の「本線=本命」だ。淫売制度は付随して不可避的に生じた「支線」に過ぎない。私が従軍慰安婦問題それ自体を、侵略戦争の残虐性から切り離して採りあげるのにためらいを感じるのは、それが侵略=大量殺人の本当の怖ろしさを隠蔽する場合さえあると思うからだ。日本の右翼は、この淫売が合意にもとづくとさかんに言う。騙そうが金で釣って「合意」させようが、そんなことは枝葉末節、どっちでもいいのだ。従軍慰安婦が侵略戦争の犠牲者であるのはその通りだ。しかし慰安婦は少なくともその場で殺されてはいない。侵略軍兵士は女を抱いたあと、人殺しに出掛けて行った。かれらのうち、正義の抵抗によって返り血を浴びて死んだ者がいた。これを称えて祀ったのが靖国神社である。日本軍の戦死者は日本近代史における絶対主義天皇制の犠牲者だったが、侵略戦争の局面においては加害者に他ならなかった。従軍慰安婦問題で遺憾の意を表明することと、靖国神社を参拝することは両立しない。参考資料はネット上のブロブからだ。検索すればたちどころにヒットするだろう。末尾の関連記事すべても、同じHP からのリンクで読める。

**淫売…色々な言葉があるが、私は売春よりもこの言葉がすきだ。性の売買をあらわす言葉は「即物的」であった方がよい。女の春を売るのではなかろう。葉山嘉樹の小説名を連想するのだが、一応辞書を引いてみた。それを末尾に付した。

  引用文(資料)は省略


国語辞書の検索結果 - 大辞泉(JapanKnowledge)
いん‐ばい【淫売】女が金品を得て男に性行為を許すこと。また、それを職業とする女。売淫。売春。
いんばい‐ふ【淫売婦】淫売を職業とする女。売春婦。
いんばい‐や【淫売屋】淫売婦を抱えていて、それに客をとらせるのを職業とする家。淫売宿。
和英辞書の検索結果 - プログレッシブ和英中辞典(JapanKnowledge)
いんばい【淫売】 〔売春〕prostitution; 〔売春婦〕a prostitute, a whore◇淫売をする|walk the streets, prostitute,((米口)) work as a hoo ...
百科事典の検索結果 - 日本大百科全書、ニッポニカ・プラス(小学館)
淫売 ⇒売春
Wikipediaの検索結果 - Feペディア(デジアナコミュニケーションズ)
淫売 ⇒遊女
淫売婦 ⇒遊女
パートナーサイト「JapanKnowledge」の検索結果
いん‐ばい【淫売】-日本国語大辞典〔名〕女性が金銭などの代償を得て、ひそかに肉体を相手に提供すること。また、その女性や、そうした性情をいう。売淫。売春。*当世書生気質〔1885〜86〕〈坪内逍遙〉七「淫売といふ陋習のみは、尚禁じがたき ...
いんばい‐くつ【淫売窟】-日本国語大辞典 〔名〕淫売婦の多くたむろする所。淫売屋の集まっている場所。私娼窟(ししょうくつ)。*女工哀史〔1925〕〈細井和喜蔵〉三・一〇「金一円で肉を売る亀戸の淫売窟へ落ち込んだ悲惨な物語中の発端を対話にしたも ...
いんばい‐ふ【淫売婦】-日本国語大辞典 〔名〕体を売る女。淫売を業とする女。醜業婦。*一年有半〔1901〕〈中江兆民〉附録・貴公子と雲助「宛も是れ令嬢と淫売婦と也、羊と狼と也、貴介公子と雲助と也」*夢の女〔1903〕〈永井荷風〉一五「芸者や



  No 218  エンタテインメントとしての橋下徹

  政治の右傾を批判する場合、俗に媚ないことだ。俗に媚ない地平を獲得してモノを言うことだ。でないと、自分の発したことばが凍っていく。これは橋下徹批判者すべてについて言える。

  橋下徹が許せるだとか、許せんだとか、どうしようもない議論も山をこえた。ブル新発の娯楽「番組」のさいたるものだった。女だの、売春だのが絡んでくるから、観客の劣情を刺激する。大して問題にもならないような「海外の反応」まで、拡声器を使って報道する。まさに、この国にふさわしい最低の見世物だった。

 私が書いた「力作」を凌ぐ言論がひとつでもあったか。ありはしなかった。それは、まともな判断力を備えた個人が今回の問題をシカト (無視) したからだ。

 岡山県内議員のブログをザッと見た。田儀公夫の「はるかぜ日記」以外は触れていない。田儀の文には七誌の、どうしようもないコメントが付いている。そうじて岡山の議員はまともだ。忙しいから、暇人の古本屋通信のような「力作」を書く時間はないのだろう。

 橋下発言それ自体をとってみても、そんなにおかしいことを言っている訳ではない。侵略戦争を侵略戦争として認めていなければ、戦地限定ではああいう発言になる。「明日の命がわからない、神経が高ぶって気が狂う、女でも抱かないと、このまま死ねるか」だ。この限りで、どうということはない。女が兵隊の慰みものになることがどうかという論とは次元が別だ。従軍慰安婦制度を肯定した発言とは言えない。過去に存在した実在を前提にモノをいうことは、実在の正当性を言うことと同一ではない。

 これが駄目なら、別仕立てでは何にも言えなくなる。これは言葉狩りに通じる。早くも自主規制の兆しありだ。この文脈のなかで、安倍の「従軍慰安婦の方」という答弁もあった。これは、裏返しにした差別表現だろう。これを引き出したのは共産党の井上だ。さすが共産党だ。これは皮肉ではない。それに、この点を除いても、安倍の国会での答弁は日本語になっていなかった。
 
 橋下発言をみるポイントは、日本語の【時制】 (tense) だ。これは高校英文法の仮定法 (**叙想法 ともいう) のところを復習すると解り易い。おもに仮定法過去形と仮定法過去完了形のところだ。ここでいう仮定とは、立ち位置を仮想してみる位の意味だ。立ち位置を固定してしまうから、今回にような強引な橋下攻撃になる。

 
 今日の表題は「エンタテインメントとしての橋下徹」とした。これは「エンタテイナーとしての橋下徹」の間違いではない。

参考(英文法) **叙想法
多くの日本人に欠けているのが「法」(mood)概念である。
英語には叙実法(直説法、indicative mood)、命令法(imperative mood)、叙想法(仮定法、subjunctive mood)という3つの「法」がある[1]。「叙実法(直説法)」とはものごとを「事実として(as a fact)」述べるやり方、「命令法」とはまさに命令をするやり方、そして「叙想法(仮定法)」とはものごとを現実の事実としてではなく一つの「想念」すなわち話し手の心の中で考えられたこととして、あるいは仮想世界の状況として述べるやり方である。
このうちの叙実法と叙想法の区別が日本人についていない。叙想法とはif節のことだと思っているケースも少なくないようだ。
重要なことは、英語の世界では事実とを?事実として認識しているときと、現実の事実ではなく自分の心のなかにあるだと認識しているときとでは、言葉としての表現形式そのものが違うということである。ところが日本語の世界にはそうした区別がない。そのためこの英語的な世界観の理解が浅い部分でとどまりがちだ。 ところで実際の言語形式としては英語では動詞や助動詞の時制を過去へとずらすことで「現実離れ感」つまり想念を表現することができる。
じつは英語という言語は西欧言語としては本来あるはずの叙想法語尾変化をすでに失ってしまった言語である。そのために「時制ずらし」の方法を叙想法として利用しているのだ。
たとえば名探偵シャーロック・ホームズのセリフのなかに To fly would be a confession of guilt. というものがある。このwouldが叙想法である。これを「逃亡は罪の告白だろう」と訳すのはよろしくない。「逃げ出すようなら罪を認めたようなものだ」ぐらいがよい。この場合「逃亡する」という行為はまだ事実ではなく、ホームズの心にある想念にすぎないからだ。
[1] 学校文法ではindicative moodとsubjunctive moodは「直説法」「仮定法」と訳されているが、この翻訳語はよくない。「直説」は「直接」とまぎらわしく、「仮定」は「もしも~」とつなげてしまう。ここでは安藤貞雄の『現代英文法講義』(開拓社)にしたがって「叙実法」「叙想法」とする。 (成瀬由紀雄「新しい英語の学び方」より)


 No 223  主語の問題
  
石崎徹氏が従軍慰安婦問題について、鋭いことを書いている。全文は私のリンク集から読めるので、今回は転載しないが、私は一本とられて参っているのだ。正直に言うが、「従軍慰安婦は(当時としては)必要だった」の主語が、少なくともこのフレーズを書く瞬間には、きれいさっぱり私の頭から抜けていた。
マイッタというのが本音だった。その次に反論というか、言い訳で武装しようと試みた。しかし、ヘーゲルの存在の合理性と私の「従軍慰安婦は(当時としては)必要だった」には大きな溝がある。私の論は「従軍慰安婦は(当時としては)必要だった」に限っては無理があった。[通信 No 220  5月19日 赤旗主張]の全文を削除することにした。この一文は正規のブログからは消したが、自分の反省用に資料収納庫に残すので、御覧になりたい方は [古本屋通信 No 1] 末尾の倉庫にどうぞ。



  No 225  選挙は商売

 橋下は頭が少し変なやつ、これは初めから分っていた。それにしても、選挙が商売とはいえ、醜(みにく)いねえ。叩いている奴、み~んな、従軍慰安婦も、沖縄も、女の人権も、どっちでもよいのだ。どう言えば選挙に有利か、どうすれば選挙に勝てるか、それだけだ。見ていてごらん、選挙がおわると、従軍慰安婦はきれいサッパリ消えるから。これくらい女をコケにした与野党(主に野党)はなかろう。いまさら議会周辺のゴミを例に挙げるのもなんだ、インテリ崩れの、どうにも我慢ができない例をひとつだけ挙げておく。もっともらしい口ぶりの舌の根から胡散臭さが透けて見える。

 イガラシ・J
 橋下大阪市長の従軍慰安婦肯定発言と沖縄駐留米軍への「アドバイス」が大きな問題になっています。このような「妄言」は橋下市長の女性蔑視と人権無視の本質を示すもので、とうてい許されるものではありません。
 橋下さんのこの発言は、全世界に日本の男性はあたかも「セックス・アニマル」であるかのような誤解を与えるものです。また、日本の弁護士があたかも人権感覚を全く失っているかのような印象を振りまきました。
 日本の男性としても、この発言は許すことはできません。橋下さんが属している法曹界としても、無視するわけにはいかないでしょう。
 橋下さんには、これら一連の発言に対する謝罪と撤回、市長や日本維新の会の共同代表などの公職からの辞任を求めたいと思います。それにしても、石原前東京都知事による橋下発言の擁護、猪瀬東京都知事によるイスラム社会に対する侮辱、安倍首相や高市自民党政調会長による侵略戦争肯定など、なぜこれほどまでに、日本を国際的に孤立させるような「妄言」が繰り返されるのでしょうか。それほどに、政治家の質が低下し、過去の歴史に対する反省が失われてしまったということなのでしょう。
 安倍首相は、侵略戦争への反省を表明した村山談話を訂正しようと狙っていましたが、アメリカなどからの懸念もあり、これを全面的に受け継ぐ方向へと軌道修正しました。これを見た橋下さんは、「今がチャンス」とばかりに安倍さんが明け渡した極右の空間に飛び込んだのでしょう。
 それが従軍慰安婦肯定発言でした。それによって、参院選に向けて自民党との違いを際立たせ、安倍さんに失望した極右ナショナリストの支持をかき集めようとしたのではないでしょうか。
 ところが、飛び込んだ場所は底なし沼だったようです。発言の正当性を示そうとしてあがけばあがくほど、ますます泥にまみれて沈んでしまうというのが現在の姿です。
 この橋下発言によって、改憲をめぐる状況にも大きな転換点が訪れたように見えます。日本維新の会の「賞味期限」は切れ、腐り始めたからです。
 維新の会は都議選で惨敗し、参院選でも敗北するにちがいありません。自民党と合わせて参院の3分の2を突破する可能性は小さくなりました。
 自民党やみんなの党は、維新の会と距離を置き始めています。安倍さんにとって、維新の会は強力な援軍どころか、大きなお荷物になってしまったようです。
 魯迅は「水に落ちた犬を打て」と言っています。今がその時です。改憲勢力は「水に落ち」ました。こぞって、その「犬」を打つべき時がやってきたのです。
 

私こと古本屋通信は、イガラシなる男の尤もらしい言い分を逐一論難する「野蛮な情熱」を持たない。

ふつう、個人はこういう言い方(書き方)はしない。言葉が出来あいに過ぎる、そして軽い。人間の、腹から発した言葉ではない。かと言って、単なるアジテーションやプロパガンダでもない。衝こうと思えばいくらでも衝ける。しかし、まず直観による全体の把握だ。厭な予感がする。

私はこれまでこの男はたんなる阿呆だと思ってきた。しかしこれを読んで、国家権力のイヌ=そうく【走狗】ではないかと思うに到った。この男からして、最後の2行で他人を犬呼ばわりしているのだから、私がこの男をイヌとよんでも差別にはなるまい。そして、この男のイヌ人生は40年間続いてきたのではないか、ふとそう思った。

私にはイガラシの文が、青年時代から自己変革の闘いを持続してきた科学的社会主義者の文章とは、到底読めないのだ。直観だ。この男の師匠であるシオタやマツオは、こういう文は決して書かなかった。私は彼らを想い、戦時下でスパイとたたかった宮本顕治ら、そしてスパイの手引きでとらえられて虐殺された小林多喜二を想った。

私の直観の根拠を一寸だけ書いておく。この男は流れに半歩先んじている。「南の島」の時もそうだったが、今回もそうだ。上記の文は改憲反対勢力、政党でいえば日本共産党、その主張の半歩先を言(行)っている。それは色々に言えよう。リードしている、挑発している。媚びている。

はっきり言おう。日本共産党に迎合し、挑発し、あわよくばミスリードしようとしているのだ。後ろめたいから迎合し、ポイントを稼ぐため挑発的に半歩先んじる。しかし、前回は石原を「国賊だ」と書いて、墓穴を掘った。さて、今回は?

私はこの種のことに決して敏感な方ではない。党中央はとっくに気が付いているかも知れない。 しかし、規約違反でもないし困っている? 表面だけ赤い奴には気をつけろ、私はこれを*映画 『武器なき戦い』 のセリフから教えられた。山本薩夫や西口克己が生きていたら、どう思っただろうか。

「スパイ挑発者とのたたかい」は戦時下でなくてもあるし、違ったかたちで、なければならない。いまの共産党に「革命的警戒心」という言葉はあるのだろうか。私の妄想であれば幸いである。匿名だから書けた、それも承知している。 

映画『武器なき闘い』
戦前の労農党代議士・山本宣治(通称・ヤマセン)を描いた映画です。
ヤマセンは学者として同志社大学で教鞭をとり、当時としては斬新な性教育もし、産児調節の考え方も説いていました。それは当時の「産めよふやせよ」という国策に反するとされ、自由主義を唱える学者などへの弾圧の中で、ヤマセンも大学を去ることになりました。労働運動や農民運動、社会主義思想にも接していたヤマセンは代議士になりました。ヤマセンは帝国議会で、治安維持法に反対して一人論陣を張りましたが、右翼に刺殺されてしまいました。
日本が当時侵略戦争をすすめ、国内においては思想弾圧・言論弾圧をしていた様子、その中でのヤマセンのたたかいが見事に描かれた映画です。ヤマセンのたたかいは戦後制定された日本国憲法の人権規定に影響を与えたことは間違いありません。多くの人々に観てもらいたい映画です。
大東映画1960年作品
監督・山本薩夫
原作・西口克己 
脚本・依田義賢 
出演・下元勉、渡辺美佐子、東野英治郎、小沢昭一、宇野重吉ほか 


  No 227 単勝不動

(参議院選挙情勢を書いた文の末尾に)
上記の一文を書いたのち、「橋下辞めろ」なるスローガンが、大阪以外で有る事を知った。これは大阪市民が決めることだ。大阪市長は全体の代表ではない。「すべての公職を引け」と言うのも、言うほうが僭越だろう。「維新の共同代表を辞めろ」というのもピントはずれ、つまり何から何まで戯言だ。すべて橋下に手玉にとられている、そのことに気が付いていないか、または気が付かないフリをしているのか、完全に橋下の勝ちである。選挙で負けても橋下は勝っている。少し頭のおかしい男の三勝目だ。
  1. 2013/05/25(土) 03:21:32|
  2. 未分類