古本屋通信

日本共産党本。私の評価・5

古本屋通信      No 2144  9月10日

  アマゾンで 「日本共産党 ・・・」 の本。私の評価・其の5

 党文献の資料集の類いはいちいち所収の論文を確認することなく高い評価としたが、これは中身に賛同するという意味ではなく、党が資料集として残したからには必読すべきだという意味である。歴代の党首の署名文献では宮本が高く、不破が続き、志位が最低なのは必ずしも古本屋の独断ではないであろう。宮本は論敵に集中砲火を浴びたが、その論敵でさえも宮本の力量を認めざるを得なかったのである。


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日米安保その30年 (日本共産党ブックレット)1990/6  5


日本共産党全国活動者会議 3―あいさつ・冒頭発言・報告・結語 第10回→第14回1987/12日本共産党
  


戦争法案阻止へー空前の国民的たたかいを―1922ー2015日本共産党創立93周年記念講演 (文献パンフ)2015/8  1


歌の風―いまこそ、日本共産党 合同歌集2014/10
日本共産党  2


「亡国の政治」と決別し、未来に責任を負う新しい政治を―日本共産党創立92周年記念講演 1922ー2014 (文献パンフ)2014/8
志位和夫  1


日本共産党創立91周年“第3の躍進”を本格的な流れに―志位委員長の記念講演 (文献パンフ)2013/8/21  1


2012年総選挙日本共産党の訴え (文献パンフ)2013/1  4


日本共産党の政策・提言資料集 13 自民党政権の暴走と対決、建設的対案、国民との共同2016/3
日本共産党  


歴史に学び日本変える新たなたたかいへ―日本共産党創立90周年記念講演 1922ー2012 (文献パンフ)2012/7  2


日本共産党批判 (1974年) (国際革命文庫〈3〉)1974/6  
これは4トロ派の文庫で、初期トロツキズムの論稿を収録している。私も何冊か読んでいるが、絶版になって高い古書価が付いている。いまデジタル化で読めるものは以下である。
国際革命文庫 1 「過渡的綱領」(第四インターナショナル創立大会)
国際革命文庫 2 「国際共産主義運動史」(山西英一)
国際革命文庫 3 「日本共産党批判」(沢村義雄/織田進)
国際革命文庫 4 「ベトナム革命と世界革命」(エルネスト・チェ・ゲバラほか)
国際革命文庫 5 「革命的戦略の学校」(レオン・トロツキー)
国際革命文庫 6 「第四インターナショナル小史」(ピエール・フランク)
国際革命文庫 7 「革命的暴力と内部ゲバルト」(第四インターナショナル日本支部)
国際革命文庫 8 「来るべき対決」(ミシェル・パブロ)
国際革命文庫 9 「スターリニズム」(第四インターナショナル世界大会)
国際革命文庫10「トロツキズム入門」(L・トロツキー/E・マンデル)
国際革命文庫11「社会党・社青同・協会派批判」(西山次郎/織田進/槇慎二)
国際革命文庫12「アジア革命と極東解放革命」(酒井与七ほか)
国際革命文庫13「マルクス経済学入門」(エルネスト・マンデル)
国際革命文庫14「三多摩社青同闘争史」(織田進)
国際革命文庫15「日本革命的共産主義者同盟小史」(党史編さん委員会)
国際革命文庫16「北方領土と共産主義」(織田進)
国際革命文庫17「ハンガリア革命とトロツキズム」(山西英一)
国際革命文庫18「IMF体制の崩壊と戦後帝国主義の没落」(藤原次郎)
国際革命文庫19「日本経済の危機と転換」(藤原次郎)
国際革命文庫20「なにをいかに学習すべきか」(国際革命文庫編集委員会)


日本共産党と日中問題 (1975年) (新日本文庫)1975  5


日本共産党のソ連共産党への反論 (1975年) (新日本文庫)1975/2/25  5


日本共産党と宗教問題 (1979年) (新日本文庫)1979/5  


日本民主化の為に 日本共産党領袖言論 (日本問題叢書 第1集)1949/2  5


歴史に学び日本変える新たなたたかいへ―日本共産党創立90周年記念講演 1922ー2012 (文献パンフ)2012/7  2


日本共産党批判 (1974年) (国際革命文庫〈3〉)1974/6  5
これは4トロ派の文庫で、初期トロツキズムの論稿を収録している。私も何冊か読んでいるが、絶版になって高い古書価が付いている。


公安調査資料ー日本共産党を心とした内外動向年表1954/11/30
公安調査庁  5


ソ同盟共産党第二〇回大会〈第1分冊〉 (1956年) (合同新書〈第7〉)1956
ソヴィエット同盟共産党中央委員会、 日本共産党中央委員会翻訳委員会  5  これを読んでいない党員は完全に党員失格である。有名なソ共のスターリン批判である。


ソ同盟共産党第二〇回大会〈第2分冊〉 (1956年) (合同新書)1956
ソヴィエット同盟共産党中央委員会、 日本共産党中央委員会翻訳委員会   これを読んでいない党員は完全に党員失格である。有名なソ共のスターリン批判である。


ソ同盟共産党第二〇回大会〈第3分冊〉 (1956年) (合同新書)1956
ソヴィエット同盟共産党中央委員会、 日本共産党中央委員会翻訳委員会  5 これを読んでいない党員は完全に党員失格である。有名なソ共のスターリン批判である。
 

日本共産党 (1954年) (民族教養新書〈第6〉)1954
市瀬 正幸    未読です。民族教養新書は戦後まもなく元々社という商業出版社から出されたシリーズで一般書です。市瀬さんは高崎経済大の研究者らしいのですが、著書は2冊だけです。古書価が付いていて内容が分かるデータは見つかりませんでした。


日本共産党の方針第六回全国協議会決議 文化人から党への言葉 (1955年) (岩崎新書)1955
岩崎書店編集部   5 まったく知りませんでした。一級資料でしょう。国会図書館に行ってもも収録されている文化人の名前は分かりませんでした。


戦後の日本共産党 (1962年) (青木新書)1962
小山 弘健  


日本共産党の立場―60年代から70年代へ (1974年) (新日本新書)1974
宮本 顕治  


日本共産党に与える書―その政治・組織路線批判 (1974年) (三一新書)1974
片山 さとし  2  たぶん編集者の意向だろうが、こういう書名を付けているだけでレベルが分かる。


日本共産党のそこが知りたい (1980年) (新日本新書)1980/4/30
日本共産党  4


日本共産党綱領集1966/3/15
日本共産党中央委員会  5


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日本共産党の新綱領の基礎 徳田球一 国民通信パンフ 第一集1952/5/10
徳田球一  5


共産党の組織と生活―日本共産党規約学習のために (1969年)1969/9/25
岩林 虎之助  


日本共産党と憲法問題―公明党への回答と質問 (1975年)1975/9/10  4


婦人問題と日本共産党 (1979年)1979/4/5
日本共産党  4


1980参議院選挙の争点と日本共産党の政策―80年代を進歩と革新勝利の時代にするために (1980年)1980/4/30  4


日本共産党50年問題資料集〈2〉1957/12
日本共産党中央委員会50年問題文献資料編集委員会  


1930年代日本共産党私史1976/10
宮内 勇  5


日本共産党創立史話1978/6
高瀬清  


サンデー毎日 昭和32年7月21日号 陽気な独裁者再現? ソ連共産党はどこへ行く/野坂さんの交代説 日本共産党はどこへ行く/他1957
千葉雄次郎、 阿部真之助  2


現代の理論 1973年11月号 特集:新路線下の日本共産党1973/11/1
安東 仁兵衛  


日本共産党50年問題資料集〈2〉1957/12
日本共産党中央委員会50年問題文献資料編集委員会  


日本共産党文化活動の實態と解剖 (1953年)1953
内外文化研究所  4


共産党が政権を握つたら (1948年)1948
日本共産党宣伝教育部  


日本共産党 (1948年)1948
伊藤 憲一  


共社合同と日本共産党の自己批判 (1949年)1949
民主評論社編集部  


日本共産党批判 (1949年) (民主社会シリーズ〈第1集〉)1949
鍋山 貞親  1 資料にもならぬ。


日本の革命と共産党 (1949年)1949
清水 俊雄  ? まったく分からなかった。


平和・民主・独立文献〈〔第1〕〉日本共産党の当面の要求 (1953年) (必読基本文献〈第1集〉)1953  5


日本共産党決議決定集〈第1〉第六回全国協議会決議 (1956年)1956
日本共産党中央委員会  


日本共産党決議決定集〈第6〉1959年8月-1960年8月 (1961年)1961
日本共産党中央委員会  


日本共産党決議決定集〈第7〉1960年9月-1961年7月 (1961年)1961
日本共産党中央委員会  5


日本共産党決議決定集〈第9〉1962年11月-1963年6月 (1963年)1963
日本共産党中央委員会  


日本共産党決議決定集〈第10〉1963年6月-1964年7月 (1964年)1964
日本共産党中央委員会  

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日本共産党決議決定集〈第11〉1964年7月-1964年11月 (1965年)1965
日本共産党中央委員会  5


日本共産党決議決定集〈第12〉1964年11月-1965年10月 (1966年)1966
日本共産党中央委員会  5


ソヴェトの科学と技術―千万人の科学 (1950年)1950
日本共産党科学技術部  


日本共産党の解剖 (1949年)1949
吉岡 信政    不明だが、たぶん公安本で評価は1だろう。


日本共産党闘争小史 (1952年) (K.B.K.B.〈第1〉)1952
市川 正一  5


日本共産党中央部関係被告人に対する東京地方裁判所判決 (1932年) (思想研究資料〈特輯第2号〉)1932
司法省刑事局  


労働組合の指導権をねらう日本共産党―最近の指令・指示・通達 (1954年)1954
日刊労働通信社  


日本共産党の戦略・戦術 (1952年) (民主日本文庫)1952
加田 哲二  5 記憶が曖昧なので自分用に以下のウィキを貼った。
加田 哲二(かだ てつじ、1895年(明治28年)11月26日 - 1964年(昭和39年)4月24日)は、大正・昭和時代の植民政策学者、言論人、社会学者、東亜協同体論者、経済学博士。慶應義塾大学経済学部名誉教授、昭和研究会委員、大日本言論報国会理事。東京府に生まれる。京華中学を卒業後、1919年(大正8年)3月、慶應義塾大学理財科を卒業。同年、同大学経済学部に奉職する。生粋の江戸っ子でもっぱら和服で通した。経済学及び社会学の研究のために、イギリス、ドイツ、フランス、アメリカヘ3年の予定で留学。実際には2年4ヵ月の間、ベルリンで過ごしイギリスではロンドン、ケンブリッジなどで主に過ごして帰国。
1920年代に本格的なマルクス研究を開始。三木清らとともに昭和研究会で活躍することになる加田は、マルクス主義の影響を強く受けてはいたが、狭義のマルクス主義者ではなく、またナチズムに対しては批判的ではあった。社会学、ドイツ経済学説研究より転じて近代日本の社会思想史研究に着手し『明治初期社会経済思想史』(岩波書店)を執筆。日中戦争期には昭和研究会、東亜経済ブロック研究会のメンバーとなり、「東亜協同体論」の論客となった。輸入に制限を加えて自国産業を保護し、日本における外国商人の活動を抑制するために外人の内地雑居に反対し保護貿易を唱え、慶大の学生思想に影響を与えた[1]。大東亜戦争の開戦で慶應義塾大学のなかにアジア研究所が設置さると、加田はその研究部長に就任。その頃から海軍に招ばれて大東亜経済建設に関して諮問を受けるようになる。終戦後、言論報国会理事に就任していたため公職追放。のち経済学博士となったが、教職追放令が解除された後、加田は慶應義塾に戻ってこなかった。戦後に加田が福澤諭吉の思想の研究にいっそう打ち込むようになったのをみて周囲の者たちが何と返答したらよいか一瞬迷ったこともあったという[2]。1952年(昭和27年)に山口大学教授、同年5月より読売新聞論説委員。1954年(昭和29年)より日本大学経済学部教授となる。加田経済研究所長、民主社会主義連盟設立委員・会員などをもつとめた。
ナチスの基礎 1940年。
日本経済学者の話 1942年。
社会學序說 1934年。
日本ファッシヅム論 1932年。
維新以後の社会経済思想槪論 1934年。
日本社会経済思想史 1962年。
近代日本の性格 1952年。
植民政策 1940年。
社会思想 1942年。
西洋経済学者の話 1942年。
何を読むべきか 1941年。
社會史 1940年。
政治・経済・民族 1940年。
福沢諭吉・神田孝平集 1936年。
社会学講話 1948年。
西洋経済学者 1947年。
戦争本質論 1942年。
経済価値論 1921年。
亜細亜は一、なり 1958年。
現代の経済戦争 1942年。
日本経済発展史 1960年。
新生アジアの全貌 1955年。
日本国家主義の発展 1940年。
インタアナショナルの理論 1932年。
世界経済の体制 1938年。
如何にして学ぶべきか 1950年。
明治初期社会経済思想史 1937年。
ウィリアム・モリス評伝 1922年。
思想家としての福澤諭吉 1958年。
太平洋経済戦争論 1941年
国民主義と国際主義 1932年。
人種・民族・戦争 1942年。



日本共産党の文献集〈第1篇〉 (1952年)1952
日刊労働通信社  


日本共産党の文献集〈第4編〉 (1953年)1953
日刊労働通信社  5


地下潜入の態勢を整えた日本共産党の文献集〈続篇〉 (1951年)1951
日刊労働通信社  5


日本共産党に関する諸問題 (1956年)1956
井之口 政雄  5 記憶が曖昧なので自分用に以下のウィキを貼った。

井之口 政雄(いのぐち まさお、明治28年(1895年)4月28日 - 昭和42年(1967年)6月30日)は、日本の政治運動家、革命家、ジャーナリスト、政治家。衆議院議員(1期)。沖縄県那覇市出身。1912年(大正元年)鹿児島一中を卒業、1916年(大正5年)慶應義塾大学予科に入学し、卒業。1918年(大正7年)同大学理財科に進む。在学中に、「日本社会主義同盟」、山川均らが主宰していた水曜会で活躍。1921年(大正10年)12月より翌年11月まで一年志願兵として鹿児島歩兵連隊に入隊。24年春から秋頃まで大阪の『関西日報』の記者となる。1923年(大正12年)に日本共産党に入党。1925年(大正15年)の『無産者新聞』の創刊とともに記者・編集委員、記者としては最も長い間同紙に関係した一人である。1927年(昭和2年)から予備役の第二期召集で鹿児島歩兵連隊に再度入隊。1928年(昭和3年)の第1回普通総選挙に際して、労働農民党候補として沖縄県から立候補したが落選。三・一五事件に連座して同年10月に検挙され、治安維持法違反で懲役8年の判決を受ける。戦後、共産党兵庫県委員会の再建に加わり、1946年(昭和21年)機関紙『アカハタ(赤旗)』関西総局責任者となった。1949年(昭和24年)の第24回衆議院議員総選挙に、兵庫2区から衆議院に当選(1期)、共産党国会議員団長を務めた


日本共産党の戦略・戦術 (1952年) (民主日本文庫)1952
加田 哲二  5


日本共産党の文献集〈第1篇〉 (1952年)1952
日刊労働通信社 


日本共産党の文献集〈第4編〉 (1953年)1953
日刊労働通信社  5


怖るべき日本共産党―日本共産党一年間の足跡 (1956年)1956
小糸 勇多   著者, 小糸勇多 著. 出版地, 東京. 出版社, 田村政治経済研究所. 出版年, 1956. 大きさ、容量等, 175p 表 ; 19cm. 注記, 附録: 六全協前後を中心とした最近の日本共産党の動向 (公安調査庁編 123-175p).


日本共産党の正体 (1956年)1956
北岡 寿逸   北岡寿逸の用語解説 - 1894-1989 大正-昭和時代の官僚,経済学者。明治27年7月2日生まれ。内務省社会局監督課長,国際労働機関帝国事務所長などをへて昭和14年東京帝大教授。23年東宝取締役・砧(きぬた)撮影所 ...


日本共産党 (1956年)1956
村上 寛治  4


日本革命の新しい道―共産党新綱領の問題点 (1957年)1957
片山 さとし  


日本革命綱領論争―日本共産党の危機克服と党建設のために (1957年)1957
神山 茂夫  


日本共産党決定報告集 (1948年)1948
日本共産党中央委員会教育宣伝部  


祖国解放のために―日本共産党創立三十周年にさいして (1952年)1952
徳田 球一  


講和問題の焦点を衝く―日本共産党の策謀と対策 (1950年)1950
堀内 干城    1889-1951 大正-昭和時代の外交官。明治22年3月7日生まれ。外務省にはいり,天津,北京の総領事をへて昭和14年東亜局長に就任する。翌年中国公使兼上海総領事として赴任,23年帰国した。


日本共産党労働運動論説集〈第2分冊(1959)〉 (1961年)1961
日本共産党中央委員会労働組合部  5


国際共産主義運動と日本共産党―文献集 (1963年)1963
日本共産党中央委員会宣伝教育文化部  


日本の農村〈上〉―日本共産党の農村調査 (1963年)1963
日本共産党中央委員会農民漁民部  5
  1. 2016/09/10(土) 13:22:17|
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