古本屋通信

異常を異常と感じない感性

古本屋通信     No 2107  8月17日


    異常を異常と感じない感性

 きょうの赤旗一面の下側、三分の二、5段組で 「シールズが記者会見」 の記事が載っており、関連記事が3,4頁のほぼ全面を埋めている。毎日新聞も26頁目に小さな記事を載せている。大きくても小さくても、こんなことが記事になること自体が異常である。

  赤旗は記者会見に臨んだ27人の顔を写している。このメンバーが中心の活動家だったのだろう。会見場所は衆院第二議員会館である。この会館を使えたのはたぶん複数の国会議員の紹介があったからだろう。

  いったい30人足らずの大学生と大学院生が小さな政治グループを結成した。もの珍しいから、ブルメディアが注目した。結成の記者会見をけしかけたのはメディアの側だった。そこまで言うのならと、大学の片隅の会議室を借りて、数名がカッコつけて喋った。それが新聞記事になった。小さな三面記事である。普通はここまでである。選挙に出るのではないから、宇都宮選対、鳥越選対、そして小林節選対のような派手な扱いではない。

  シールズの報道はそれで終わるべきであった。彼らのすべての活動は根無し草であった。自分の所属する学校での活動報告、組織報告など聞いたことがない。そもそも基礎組織での活動がないのだから、報告などしようがない。つまり全て個人としての活動、といってもメディアに顔を出すだけだった。

  いや、それ以外にも少しあった。何人かが在特会に暴力をふるった。また中核派の国会前行動に対して 「みなさん、中核派が来ています。追い出してください」 と叫んだ。こういう部分だけは報道されなかった。赤旗も1行も書かなかった。タブーであった。石川県の野党統一候補がカルトであったのを1行も書かなかったのと同じである。

 政治、大人の政治は、未熟な青年の行動を、自己正当化のために利用してはならない。

  私は企業時代に社主から厳しく言われたことがある。出版社だった。出版社を希望する大学生は腐るほどいた。しかしほぼ全員が編集希望だった。経理希望は少しいたが、営業は全くいなかった。これが大学生だった。社主は本を作っても売れなければ企業は成立しない、給料も払えない、よって営業こそが基本である、と説教した。「全員営業にでろ」 と命令した。これは正しかったろう。

 社会運動の基本とは何か。スタンドプレーは百害である。大学生なら自分の所属する大学で、そのクラスで、サークルで、ゼミで、粘り強い討議を組織することである。それを通じて自分も政治的に成長する。そういう基礎的な活動が民青の活動になる場合もある。また大学での学生自治会の再建に繋がる場合もある。いずれにせよ学園や職場が基礎単位である。そこから遊離した活動はニセモノである。こういう初歩的な基本が分かっていない石崎徹はとんでもないことを口走ったなあ。

 共産党やシールズの云う 「学生が一人の市民として市民連合の一員として活動する」 などあり得ない。学生は階層としての学生層であり、階層としての市民層とは全く別の範疇である。共産党云う 「戦後かつてない市民革命の時代がやってきた」 も同様である。志位のまぼろしである、とういより欺瞞である。

  もう一度だけ言う。大衆運動には大衆運動の基本がある。原理原則がある。組織なき大衆運動はあり得ない。シールズの解散を記事にする赤旗の紙幅があるなら、岡山の民青の活動でも紹介しろや。余江君が喜ぶぞ。
  1. 2016/08/17(水) 08:07:54|
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