古本屋通信

戦争は語り継がねばならないか

古本屋通信     No 2104  8月15日


  戦争体験 または単に体験は語り継がなければならないか

  今日が8月15日だというので、ブル新聞は恒例の終戦記念記事を書く。朝日新聞は、

 「第2次世界大戦の戦禍を体験した人たちでつくる団体の解散が相次いでいる。犠牲者の追悼のほか、戦争の実態を伝える役割を担ってきたが、高齢化で立ち行かなくなった例が多い。15日で終戦から71年。戦争体験の継承が、次世代の大きな課題となっている

と、嘆いて見せる。私は読まないが、似たような記事は多くあるだろう。

  語り継ごうにも、生存者が死んでしまえば仕方がないのだが、中には研究会を組織して聞き書きの記録を残す試みもあるらしい。思わず立石憲利さんの 『戦争の民話』 を思い出したがそれは措いて、戦争体験を語り継ぐことは本当に必要だろうか。それに就いて少し書きたいと思う。

  まず問題をひとつ設定する。戦争体験と言えば特別な体験である事は認めよう。しかしその体験も含めて人間一般の個人体験を次世代に伝えることはそんなに大切な事か。いやもっと言えば、人間の体験をごく普通の研究者ではない庶民が次世代に正しく伝えることはソモソモ可能なのか。

 それを考えるために一度戦争体験から離れて、体験一般、私の専門分野でいえば「自分史」 ということになるが、その出版関係について私見を述べたい。以下は古本屋家業の体験談でもある。

  30年50年前は措いて、最近の出版物で流通に乗らない自費出版物は圧倒的に多い。たぶんデータもあるだろう。恐らく(総発行部数ではない)本の点数から言えば、半数近くは自費出版物か、其れに準じる出版物ではないか。古本屋が入手する本にはその手の出版物が実に多い。そしてそれは殆ど本を買って読まない人の家の片づけからもしばしば発見される。ただ無料で配る本である、これについて書きたい。

  他人が作った本にケチをつけるつもりはない。結構なことだ。それを前提にして古本屋の事実を書く。

  ちょっとした本の整理で一括数千冊の本が入って来る。古本屋は自費出版物であろうと、出版社経由の本であろうと、遠慮なく選別し、取捨選択する。ここでは自費出版物のみを問題にする。古本屋が本を捨てるか残すかは一般的には売れるか売れないかを基準にする。しかし自費出版物は個性的だから一般的には全て売れない。然し、私は出来るだけ残す。売れなくても残すのだ。こういう時にこそ古本屋の本を見る目が試される。

  数千冊の中に200冊の自費出版本がある (これがさほど多くないのは既にもらった時点で不要本として捨てているからだ)。その半分の100冊が自分史、つまり生活体験の記録だったとする。この中に老人の戦争体験記録は実に多い。驚くほど多い。その記述は書かれた時点の著者の立ち位置でまちまちだが、マトモな本は皆無に近い。つまり出版社の編集のハードルをクリアーできない。アナグロは論外として、表現がさいてい兼ね備えていなければならないアイデンティティがない。つまり何のために出版するのか、第三者には分からない。そういう本は3行読めば分かる。中でも退職校長が書いた本が特に酷い。これホントによいと思って作っているのか。

  私が残す本は精々2,3冊である。あとは全て捨てる。瞬時に識別できる。逡巡はない。自信はある。商品価値がないだけではなく、文化的価値もなければ、学問的な史料価値もない。たぶん数十万から百万円かけて作っている。自己満足は本人の勝手だから、はたからとやかく言う問題ではない。然し金の無駄である。他人にとってはゴミ以外ではない。

  こういう古本の判定で私のパートナーになるのが M学院高校の K先生である。捨てる前に念のために K先生に見てもらう。「これは捨てるのは惜しい」 と言われることは皆無である。残した2,3冊のうちの1冊は買って下さる。高いものは数千円。安いものは500円で買って下さる。残ったものもシンフォニ古本まつりで売れる。


  もう十分だろう。自費出版の戦争体験記録と、戦争体験の語り伝えは同一である。語りには必ず事実の歪曲が出る。それと自己合理化である。すべての戦争体験が語るに値しないとは言わない。然し日本現代史研究の中心は口承に依存すべきではない。資料は山とある。

  最後に岡山の永瀬隆氏の本について一言。私は故萩原嗣郎氏から直接聞いている。永瀬さんの本には事実の認定だけで、一冊の著書に300個所以上の誤りがあると。2人とも死んでいる。私は萩原氏を信頼している。ジャーナリストはダテに名乗っていなかった。萩原氏ににとって、事実だけが問題だったのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   
永瀬隆    ウィキペディア


永瀬 隆(ながせ たかし、1918年 - 2011年6月21日[1])は、陸軍通訳であり、泰緬鉄道建設の現場に関わった証言者。

略歴
岡山県倉敷市生まれ。1941年青山学院文学部英語科を卒業[2]。同年12月[2]、英語通訳として陸軍省に入省する[3]。1943年、タイに赴き、泰緬鉄道の建設にあたり、『建設作戦要員』として通訳に従事する。40万人のうち12万人が死んだといわれる捕虜虐待の現場に出くわす。後に、このことについて証言する。1945年9月、イギリス軍の墓地捜索隊の通訳となる[3]。

1946年7月、日本に帰国[3]。千葉県立佐原女子高等学校などに勤務[2]後、帰郷して1955年[2]から倉敷市で英語塾『青山英語学院』を経営する[3]。

1964年より、毎年タイを訪問し、泰緬鉄道建設に駆り出されて病死などで死亡した連合国兵士およびアジア人兵士労働者を慰霊する。1986年には、タイにて『クワイ河平和寺院』を建立する[2]。同年、タイの青少年に奨学金を授与する目的で、『クワイ河平和基金』を設立[2]し、代表となる。同年に、岩波ブックレット「『戦場にかける橋』のウソと真実」を、著書として出す。1995年から横浜市でイギリス連邦軍戦死者の追悼礼拝を開催[2]。2002年、イギリス政府より特別感謝状を受けた[2]。2005年、読売国際協力賞を受賞する[2][4]。

2011年6月21日、胆のう炎のため[4]岡山県倉敷市の病院で死去。93歳没[1]。

2013年にオーストラリア・イギリスで制作された映画『レイルウェイ 運命の旅路』では、真田広之(青年期は石田淡朗)が永瀬役を演じた。

著書
虎と十字架 1987.8 青山英語学院 ISBN: 4943947409
岩波ブックレット 「戦場にかける橋」のウソと真実 1986年 岩波書店 ISBN-13: 978-4000030090
 ドキュメントクワイ河捕虜墓地捜索行 1988年 社会思想社 ISBN-10 439011266X ISBN-13 978-4390112666
陸軍通訳の責任 E・ロマックスと共著 1997年 私家版
 俳句戦記 我が青春の墓標  2004年 私家版

訳書
泰緬鉄道の奴隷たち レオ・ローリングス著 1980年 青山英語学院

編著
カウラ日本兵捕虜収容所 1990年 青木書店 永瀬隆・吉田晶編 ISBN4-250-89041-4

関連図書
クワイ河に虹をかけた男 元陸軍通訳 永瀬隆の戦後 満田康弘著 2011年 梨の木舎 ISBN978-4-8188-1102-5
  1. 2016/08/15(月) 12:04:49|
  2. 未分類