古本屋通信

マルクス主義国家論と藤野保史

古本屋通信     No 2015   6月30日

   マルクス主義国家論と藤野保史の天才性


  表題のタイトルで書きたいのだが、何か書くとき、読者と共通の土俵を共有するためには前提を断り書きしなければならない場合がある。その作業は私にはかなり鬱陶しいのだが、そういう作業から始めなければならない。

  私は学生時代からマルクスを読んできたが、自分のマルクス理解に自信がある訳ではないから、マルクス主義者を名乗ることはおこがましく、マルクス学徒またはマルクス者を名乗ってきた。しかしマルクス主義者でありたいという気持ちを隠したことはない。その点でいえば、不破哲三の 「マルクスと友達になろうよ」 は私に馴染む言葉なのだ。で、私はマルクスとエンゲルスの理論を自分のアレコレの論稿のベースに据えている。このことを隠したことはない。

  続いて不人気の絶頂にあるかに見えるレーニンだが、その全てではないが、基本的な理論の枠組みは帝国主義の時代のマルクス主義として、今まお有効性を失っていないと考える。レーニン主義の特徴を一言で表現するのは難しいが、敢ていえばプロレタリア独裁(執権)論と国家論だろう。この点の認識で云えば、私の認識は日本共産党綱領の枠組みと大きくは食い違ってない。

  国家論だが、私の典拠はレーニンの 『国家と革命』 および 『国家について』 である。いずれも数種類の邦訳がでている。大月版、岩波版、角川版が一般的である。私くらいの年配の蔵書(古本)からは必ず出てくる。

  国家とは階級対立の非和解的な産物であり、支配階級が被支配階級を支配するときに欠かせない階級支配の道具である。暴力装置である。私はこのレーニン主義の基本的命題を疑ったことは一度もない。レーニンの規定はこの限りで無条件に正しい。

 国家とは権力であるが、各国におけるその具体的な現れは以下である。すなわち軍隊、警察、裁判所、消防、監獄、等。

国家とは、元々階級支配の機関であり、階級が他の階級を抑圧する機関として生まれたものであり、それは階級対立の非和解性の産物である」、「国家は、階級対立の非和解性の産物であり、その現れである。国家は、階級対立が客観的に和解されることができないところに、またその時に、その限りで発生する。逆にまた、国家の存在は、階級対立が和解できないものであることを証明している」、この権力は主として何であるか?それは、監獄等を自由に使うことの出来る武装した特殊な部隊にある。常備軍と警察とは、国家権力の暴力行使の主要な道具である (「国家と革命」)。

 ここに引用した国家論がアレコレの市民的日常感覚と親和性があるか否かは別問題である。具体的事例を挙げれば、われわれは交通事故に出会ったとき警察の手を煩わせる。火事になれば消防を呼ぶ。今回の熊本水害では軍隊である自衛隊が出動した。これらの活動ががいっけん超階級的に見えようと、これは国家の本質を些かも変更しない。

 云うまでもないが、ここで云う国家(権力)とは資本主義の国家だけではない。未来社会に置ける国家、仮説的に云えば社会主義に於ける国家も全く同じである。プロレタリアートが権力を掌握したあとの社会では軍隊、警察、裁判所、消防、監獄、等はプロレタリアートが資本家階級の反革命を未然に防止するための暴力装置になる。

 長すぎた前提になった。具体的な問題に入っていく。今回の藤野問題である。キンピーサイトのKM生さんの投稿を引用させていただく。

11. KM生
2016年06月26日 21:30
藤野は「対米従属の自衛隊は憲法違反。我々は(自民党とは違った意味で)憲法改正・日米安保廃棄して、国防のための自主独立の軍隊を持つ」と言えばよかったんだよ!


  これは私もしばしば書いてきたが全く正しい。日本の軍隊である自衛隊は違憲の存在であるし、日米支配階級の人民支配の暴力装置である。したがって「人殺しの海外派兵」にちょくせつ従事していようがいまいが、日本共産党は自衛隊の増強に反対せねばならない。自衛隊員の増強のポスターの貼りだしなどには共産党は一貫して反対してきた。今後も自衛隊の増強に通じる自公政権の政策を叩き続けねばならない。

 日本共産党を含む民族民主統一戦線政府が樹立された暁には、憲法を改正して自衛軍を持つことになる。これは他国(帝国主義)からの侵略に備える抑止力になるからではあるが、自国の反革命を防止するためでもある。

  ただ、はっきりさせておきたい。日本のいまある自衛隊は民族民主統一戦線政府の自衛軍には絶対に使えない。プロレタリアートが権力を掌握した時点で解体し尽くさねばならない。必ずや反革命軍として作用するからである。これは1965年のインドネシア反革命で明らかである。権力を奪取する直前のインドネシア共産党員 500万人を殆ど一夜にして虐殺してしまった。これが権力の道具としての軍隊の本質である。日本の自衛隊は解体し尽くさねばならない。

  藤野保史がNHK政治討論会で喋ったことは何の問題もないだけでなく、初歩的常識である。コレに反対の日本共産党員など一人もいない。すでに書いたとおりである。こういう常識的認識が反共風土の強い日本で「国民的」合意に至っていないことは何の不思議もない。安倍さんの顔を見れば分かるだろう。

  ここで藤野保史の天才性に就いて一言だけ。いちど喋ったことを取り消したり、「反省」 して政策委員会責任者を辞任したことは藤野の輝きをまるで減じていない。いっそう輝いている。なにゆえ藤野は天才か。民共野合の欺瞞性を見えるかたちにしたからである。自公政権の民共野合批判を活性化し、加えて枝野幹事長の「共産党と組んだのは間違いだった」という発言まで引き出したからである。
マルクス主義の国家論と藤野保史の天才性
  1. 2016/06/30(木) 05:19:55|
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