古本屋通信

日本共産党員の横田悦子追悼文

古本屋通信     No 1944  5月27日

   日本共産党員の横田悦子追悼文に関して

  『永遠の記』(横田えつこ追悼集とは直接関係ないが、日本共産党員3人が横田悦子さんの死にさいして文を書いた。これについて私の意見を述べる。

  私の知る限り、横田さんを「お送りする会」に出席したのは森脇県議と崎本敏子だ。竹永さんは所用で参加できなかったと書いていた。氏平県議の参加は定かでない。彼らは議員または元議員である。参加も不参加も傍からとやかく言うべきではない。本人の自由である。党議拘束すべき問題でもない。

  問題は追悼文である。議会内では議会の慣習に従うべきであろう。問題はそれとはべつの個人的な文である。本人が故人の家族に如何なる私信を宛てようと個人の自由である。ところが公開のブログで追悼文書くとなると、問題は別である。広く一般に公開されるのだから、共産党の故人にたいする態度と受け取られよう。あるいは共産党の「緑の党」にたいする態度と受け取られる場合もある。

  今回は竹永と崎本が自分のブログで横田との想い出を書いた。そして今回、短文ではあるが氏平が追悼文を書いた私はこれは3人とも共産党員として書くべきでなかったと思う。崎本も竹永も「所属は違っていたけれど、一致する問題も多く・・・」と書いていた。それはそうだろう。だが、横田ははっきりと「緑の党」の党員であった。議会の内外で「緑の党」の党員と共闘するのは大いに結構だ。個人的に付き合うのも構わない。でもそれまでである。個人的な感情を自分の党員ブログに書くのは日本共産党員として誤りである。日本共産党は「緑の党」を正面から敵視する文書を公表してはいない。然し少なくとも共闘していない。これは「緑の党」の側でも同様である。この党が日本共産党を支持することはない。共闘も一貫して拒否している。

  崎本も竹永も氏平も日本共産党員としては横田の死にさいして公開の文を書くべきではなかった。それとは少し意味が違うが、下市このみがかつての同志である横田の死を黙殺したのは節度ある態度であったと私は思う。議員は公職であるし、元議員もそれに準じる。竹永も、崎本も、氏平も尻が軽すぎる。尻軽女とまでは言わないが。氏平はよく亭主と相談してから行動するように。みんなそう言っているゾ。

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横田えつこ県議のご冥福をお祈りします
10月13日  竹永みつえ
横田えつこ県会議員の訃報が入りました。10日にご逝去されたそうです。本当につらい結果となりました。
闘病中なのは伺っていましたが、あの明るいキャラクターで、病気なんか吹っ飛ぶと思っていました。この写真は、今年の七夕に女性だけで宣伝行動をしようと、偶然ほかの会議でお会いした時に、立ち話で決めて、あとはメールのやり取りで、その日の朝、七夕だから笹でもたてない?といつものように無茶振りされて(笑)私があわてて用意し、なんとか盛り上がった宣伝行動になったのです。豊かな発想、アイデアマン、そしてあのキャラクターで不思議と周りを動かす人でした。
シェルターシンポジウムで二人部屋になったとき、修学旅行の少女のようにはしゃいで、夜中まで話し込んだこと、
横田さんが初めて保健福祉委員長になった時には、いつも事前にうちあわせして委員会にのぞみ、しっかり当局の姿勢をチェックすることをお互いネットワークを組めて取り組んだこと。
DV被害者支援や子どものことなど党派はちがっても一緒に取り組んだことの数々、教えていただいたことの数々・・・思い出は尽きませんが ありがとうございました。。心からご冥福をお祈りいたします。



横田悦子さんをお送りする会
2015年11月7日   崎本とし子
去る10月10日、友人であった横田悦子さん(県議)が亡くなりました。63歳でした。今日は「お送りする会」があります。参加しようと思います。
私より2つ上で、地域文庫の活動をしていて、幸町図書館建設運動にかかわったのを契機に、市議会議員になったのは今から20年前の1995年のことです。当時、4人目の子どもさん(確か4年生)と一緒の姿をよく見ました。同じ委員会になり、当選直後の1995年には北欧諸国へ一緒に視察に行きました。同じ部屋でいろいろ話し、意気投合。それ以来県議になってもずっと付き合いが続いていました。一致点を大切にして、一緒にいろんなことをしました。(岡山市議会は女性議員が連携する気風を作りました)
笑顔が輝いていて、「お話し」が上手でした。さすが文庫活動をしているだけのことはある・・・!と私は感心していました。感性が豊かな人でした。私も文庫活動をしていて、保健福祉分野の活動が多く、共通点が大いにありました。子育て真っ最中の議員という点でも共通でした。
私は5年前に子宮体がんのために治療を受け、その経験から市議会の中で提案して岡山市がん対策推進条例を全会一致で作り、次の年の選挙で引退しました。それ以来地域がんサロン・たんぽぽカフェの開設・運営(一粒でもいいからがん患者の流す涙を減らしたい・・・)をはじめ、がん対策を提案する患者団体の運動にかかわってきました。(今は訪問看護師としてもサポート)
昨年、彼女から自分の病気の話を聞いており、関係する患者団体を紹介もしました。彼女も関係の患者団体と連携してアクションしていました。
がん患者団体の活動で一番こたえるのは、一緒に頑張ってきた仲間との「別れ」です。私は今年そういう親しい仲間との別れが何人もあり、へこむこともしばしばです。そこへ届いた彼女の訃報に私は驚きました。
元気な笑顔の彼女の顔しか思い浮かばないのです・・・・。親しい方からいろいろ経過を聞いて、次第に彼女が生き抜いた経過がわかってきました。「生きようと思って治療にチャレンジした」のだ・・・・と。
結果はよくなかったけれど、事実を受け止めるしかありません。友の旅立ちは悲しいです。二度とあの笑顔に会えないことが寂しいです。これから一緒にできることがいっぱいあったのに・・・と思うと悔しいです。でも、よく生き抜いたね・・・と言わなければなりません。
私は他人ごととは思っていませんから、これからも一日一日を懸命に生きようと思います。
DV防止サポートシステムをつなぐ会・岡山で「女性議員大集合!」の総会記念行事をしたとき(2015年6月)の彼女の言葉を紹介します。
なんで議員になろうと思ったのか・・・の自己紹介で彼女は「私は憲法を守りたいから議員になった!」と話しました。
8月終わりに4番目の息子さんに初めての女の子が生まれたそうです(孫は6人になったとか)。その子を抱くことはできなかったそうですが、その誕生を知ってきっとうれしかったに違いない・・。その子の生きる世の中を憲法で守りたいと思ったに違いないと思います。
彼女の「思い残し切符」をみんなで受け取りましょう。輸血を呼びかけたり、ドナーを増やす運動や「憲法を壊すな!憲法を活かそう!」という運動を広げましょう。
この文章を書いて、また涙がこぼれました。いっぱい涙を流して、そして、上を向くからね・・・。悦ちゃん、空から私たちを見ていてくださいね。そしてゆっくりしてください。




  古本屋通信

 私ゃ、竹永の文にはムカつかないが、崎本の文を読んでると腹が立ってくる。とにかく調子がよい。結局は自分の自慢なのだ。他人の死をも自分をよく見せかけるために利用する。私ゃ、崎本は横田が生きていたら「悦ちゃん・・・」 なんて書かないし、書けないと思う。横田は 「フン」 と言うだろう。とにかく裏表がある。それが崎本である。
  1. 2016/05/27(金) 02:24:37|
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