古本屋通信

『すばらしき人間群』(井上光晴)

古本屋通信    No 1877   4月30日

   詩集 『すばらしき人間群』(井上光晴)

 ブログが停滞したり、また一気に書き上げたりするのは、首筋の痛みもあるが、古本屋家業がけっこう忙しいのである。1週間ほどまえ、県北から元教員夫婦の蔵書が1万冊ほど入った。教員生活は名古屋。夫は小学校教員(のち校長)、細君は幼稚園教員(のち園長)だった。定年退職後の約30年を故郷の津山で過ごした。私は長く古本屋をやっているが、元教員といえばたいてい大学と高校の教員である。小中の教員が大量の本を持っていた事はない。私の両親も小中学校と幼稚園の教員だった。父もだが、母など本らしい本は一冊も持っていなかった。

  この夫婦の蔵書には感激した。余り具体的なことは書けないが、夫は岡山師範学校末期の卒業生である。名古屋に赴任し、そこで細君と知り合って結婚した。2人それぞれの教育実践記録も大量に残っている。実践と結びついた読書だが、その幅は驚異的に広い。まあ戦後民主主義教育を絵に描いたような素晴しい蔵書だった(然し古本屋的には殆ど活かせないのだ)。

  いま最終の整理をしている。文庫と新書を検索にかけているのだ。1万冊の中には文庫と新書も結構あったが、よく出回っているもの90%を端からハネている。いま残っているものは多くない。200冊くらいである。その1冊ずつをアマゾンに入れるのだ。1円だったり、500円以下だったら無条件に捨てる。

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 高値でヒットした数冊をメモしておく。

戦後の詩 安斎均編著 現代教養文庫 社会思想社 昭37年初 12000円
美しい橋
 早乙女勝元 春陽文庫 春陽堂 昭36年初 9000円
瀧錬太郎の生涯と作品 音楽文庫 音楽之友社 昭27年再 4000円
生命ある日に 女子学生の日記 大和書房 昭40年8刷 5000円
災害と教育 伊勢湾台風は・・ 小川太郎 新評論社 1960年初 2000円
体育の子 佐々木賢太郎 教育新書 新評論社 昭34年初 5000円

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  何冊かののち、表題の詩集 『すばらしき人間群』(井上光晴)が出てきた。美本の新書版である。帯も付いている。昭和31年初版の近代生活社の本である。アマゾンにも「日本の古本屋」にもけっこう出回っている。しかし出回っているのは昭和31年刊の近代生活社版ばかりである。「日本の古本屋」を見たら、元版が2点あった。


すばらしき人間群   龍生書林 東京都大田区池上
¥39,960
井上光晴、新日本文学会長崎支部、昭23
初版 カバー背少裏打 (大場康次郎共著)

すばらしき人間群 詩集  古書 転蓬 愛知県名古屋市瑞穂区西ノ割町
¥16,000
井上光晴、大場康二郎、新日本文学会長崎支部、1948
初版/カバー欠、記名消し


 私が手にしたのは近代生活社版だから、古本屋としてはゼロに近い。しかし井上のこの詩集が昭和23年に新日本文学会長崎支部から出されていることを知ったのは収穫だった。ちなみにウィキペディアの井上の著書一覧にはこの詩集は載っていない。つまりいい加減なのだ。井上はもともと詩人である。だったら処女詩集を無視した記事など役に立たない。

  私の手にした近代生活社版は井上の「書かれざる一章」が話題になったのち、出版社が慌てて出版したものであろう。せっかくだから、帯の表裏の文言をコピーして、当時の雰囲気をしのびたい。

  全ジャーナリズム絶賛中の「書かれざる一章」の著者が十一年間○骨の珠玉篇を収めた代表詩集!これらはいずれも革命運動の只中で生れた抵抗文学の尖兵で深い感動と共感を呼び起しつつ、明日の戦いへの糧としとぇ愛唱され、火のように読者の闘志をかき立てずにはおくまい!

ヒューマニズムの凄まじい焔
  見つめるだけではだめだ とびこまねばならぬ まみれねばならぬ とすでに十九才の冬、革命運動に身を投じた著者は文字どおり 一人の身体といえども そまつにしない世の中をつくるために 若きいのちをすりへらし つつ戦いの渦中にあつて次々にこれらの名作を生みだした。しかもその戦線の混乱の中であくまで人間性を守って戦い抜いた唯一の作家として今日賞讃されている作家の魂の秘密は、この一巻によってうかがうことができる。

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 蛇足だが、井上は戦後彗星のごとく現れた詩人・作家ではなかったか。それは小林多喜二の延長上に捉えられたのではなかったか。つまずきは徳田主流派の非文学であったろう。 私は以後の民主主義文学運動の作家で、井上に相当する評価を受けたのは 中里喜昭伊東信 だったと思う。いずれ2人についても書きたい。この2人も党と色々あった。


 それからもうひとつ。ウィキの悪口を言ったばかりだが、井上の記述には以下もある。

『さよならCP』、『ゆきゆきて、神軍』などで知られる映画監督原一男が小説家「井上光晴」の晩年5年間を追いかけたドキュメンタリー映画。井上光晴が1989年に癌告知をされたことにより、晩年を密着する映画となった。映画の中で、井上の死後に、彼の経歴を調べ直した結果、今までの彼の述べていた経歴や生い立ち、すなわち
「関東州旅順で生まれる」「独学で専検に合格、七高、国学院などで学び」[1]
などが虚構であったことが明らかにされた。本作では埴谷、瀬戸内も長時間にわたり出演し、井上に関しての証言をしている。ちなみに「全身小説家」という表題は、埴谷がかつて井上のことを形容した言葉に基づいている。

  つまり本人が嘘をついていたのだ。作家が嘘をついても構わない。これも小説作品を創る作家たるものの特権である。然し騙される方はアホウである。つまり他人の証言など、証拠がないことを信じてはならない。池田真紀の貧乏物語も然りである。

  池田の経歴。中学卒業、北海道大学大学院修了は(学歴詐称は選挙法に抵触するから)ウソではないが、これを一瞥して何も感じないのは鈍い人である。池田は高校と大学をなぜ明らかにしないのか。つまり行っていないのだろう。高校と大学を卒業していなくても検定で卒業資格を取れば大学院に行くことは可能である。池田は検定をパスして大学院に入ったのか? 私は北大大学院の詳細は知らない。知らないが大学院によっては社会人枠で一定の素養があれば入学を許可するところも多い。もっと率直に言う。いまや大学も大学院も商売である。それでも国公立大学の学部は一定のレベルを保持している。ところが大学院から崩壊しつつある。もっと率直に言おうか。大学を見るときは学部を見よ。大学院を信用してはならない。
  1. 2016/04/30(土) 11:35:23|
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