古本屋通信

森脇ひさき県議のブログ

古本屋通信    No 1804   3月03日

 
  森脇ひさき県議のブログ



   私はこれまで森脇さんのブログ記事を取り上げることは殆んどなかった。これは単に便宜上の問題だった。すなわち私は一日に十数回は森脇さんのリンク集を使う。岡山の共産党関係ではいちばん便利だからだ。引退した議員や石村智子さんにまでリンクされている。私は目にタコが出来るほど見ている。ところが(当然だが)これには森脇さん本人のブログは載っていない。ふつうのリンク集はここからHPに戻り、さらにブログやツイッターやフェイスブックに飛ぶ仕組みになっているのだが、森脇リンク集にはその機能がない。それゆえ私は彼の記事を読む機会が殆んどなかったのである。ところが、たまたま岡山地区委員会のHPから、最新の彼の記事がヒットした。これに就いて私見を述べておきたい(武田氏が沈没したから続いて森脇さんを論じようというのではない。たまたまである。誤解なきように)。まず至近の全文を引用する。




  息子の卒業式でした
  2016-03-01 | Weblog 日本共産党岡山県議 森脇久紀
  県立高校受験に失敗し、「俺の人生もう終わりや」と言っていた息子。仕方なく入った関西(かんぜい)高校【私は最初からすすめていたのですが】で、小学校時代の友達に誘われ、ラグビー部に。良い同級生、先輩、後輩に出会い、何よりもすべての先生に大事にしてもらい、成長させていただきました。
 そんな思いを込めて、今日の卒業式で保護者を代表して謝辞を読ませていただきました。つたない文章ですが、記録のために掲載させていただきます。


  謝 辞
 卒業生の保護者を代表し、お礼の言葉を述べさせていただきます。
 本日は、私どもの息子たちのために、このように盛大で厳粛な卒業式を執り行っていただき誠にありがとうございます。校長先生をはじめ諸先生方に、心から御礼申し上げます。
 また、ご来賓の皆様方におかれましては、公私共にお忙しい中ご臨席賜りありがとうございます。皆様からいただきました心温まるご祝辞は卒業生の胸に深く刻まれたことと思います。
 振り返りますと三年前、息子たちは様々な思いをもち、関西高校の門をくぐりました。「大学進学めざしてがんばるぞ」と意欲満々の人や、スポーツで全国、いや世界をめざして頑張る人もいれば、県立高校に失敗し複雑な思いで入学した人もいたでしょう。またこの三年間は、子どもから大人へと成長していく思春期まっただなか、血気盛んなうえ、なかなか難しい時期であり、親としても一喜一憂の三年間でした。
 このような多感な息子たちに対し、先生方はいつも真剣に向き合い、厳しくも温かく指導してくださいました。そして、新しい社会に向けて一歩踏み出す自信をつけてくださいました。
 たくさんの宝物を得て、心身ともに大きく成長し、関西高校を無事卒業していく我が子を、心から誇りに思います。また、親としての一つの責任を果たし終えたようなホッとした気持ちと、親元から巣立っていく喜びと寂しさで胸がいっぱいです。本当にありがとうございました。 
 いま、就職する人も、進学する人も、卒業という節目に、夢と希望で胸を膨らませていることと思います。しかし、社会も大学も、優しいばかりではありません。苦しいこと、悔しいこと、打ちのめされることもあるかもしれません。そんな時は、関西高校で教わった「敢為の精神」で、力強く、乗り切ってくれることと信じています。
 しかし、まだまだ未熟で、社会に不慣れな者たちです。時に思い悩み、立ち止まることがあるかもしれません。誠に勝手ではございますが、先生方には、どうぞ今後とも息子たちの成長を温かく見守っていただき、迷った時はまたお導きくださいますよう、お願い申し上げます。
 感謝の思いは尽きませんが、関西高校の益々のご発展と、校長先生をはじめ諸先生方のご健勝とお幸せをお祈りいたしまして、お礼の言葉とさせていただきます。
 三年間、本当に、ありがとうございました。
 二〇一六年三月一日   卒業生保護者代表  森脇久紀





  古本屋通信

  私はこれを一読して思わずホロリとした。もう二十年以上前のことだが、私の息子も公立高校をすべり(関西高校ではないが)私立高校のお世話になった。その卒業式に私は出席した。もちろん保護者代表ではなかった。その想い出を絡めて書く。

  森脇さんの謝辞に何の文句もない。私でも同じ文言になろう。際立って特別な事を言わず、当たり障りのないきれいごとを言うのも、こういう行事の常識である。これでも卒業生や父兄はもらい泣きするのである。

  私は謝辞の内容に就いてではなく、こういう学校行事に(参加するのはよいが)日本共産党員わけても公然党員の県議や市議が父兄代表として祝辞を述べること自体の是非について書きたい。こういう事は今回たまたま森脇さんが述べたが、全国の学校で数多く起こっているだろう。最近では福山市議の河村さんが息子さんの入学式で父兄代表として祝辞を述べた。

  結論を書く。私はこれは共産党員としては間違っていると思う。党員であっても一父兄なのだから、その立場でふつうに儀礼的に対応したらよい、というのが皆さんの口上だと思う。これを批判しておく。
  
  まず自分がなぜ父兄代表に指名されたかということだ。こういう席の、こういう指名は誰にでもクジに当たるように、無作為に割り当てられる訳ではない。つまり名士とまでは言わないまでも、「何を言い出すか分からない人物」 には絶対に廻ってこない。つまり主催者にとって 「安全が保証されている人物」 だけに割り当てられるのだ。

  森脇さんの文言を見ても、儀式セレモニーであるとはいえ、関西高校の教育について部活も含めて賛辞が溢れている。これは高校にではなく教師に対する謝意かもしれない。しかし私はこういう賛辞はハッキリ誤りだと思う。特に私立高校の関西高校が悪いというのではない。岡山県下のすべての高校は限りない問題を抱えている。高校を一言でいうと学校商売である。関西高校も例外ではない。一つだけ。岡山市180号線の三門駅から総社方面に300 m。左手に関西高校がある。派手な垂れ幕で国公立私大の入学実績とインター杯の実績。インター杯は知らぬ。国公立大合格者数は殆んど推薦入試である。これ初めから枠があり、合格は既定事実なのだ。すべての高校が誇大宣伝で生徒集めを余儀なくされている。

  私は至近のブログで、福山の中学校の教育を槍玉にあげる村井明美市議を批判した。批判はしたが、私は村井さんが教育に異議を提出することまで全否定していない。クレームの内容がなっていないと批判しただけだ。森脇さんは関西高校の教育をボロクソに批判できるか?

  高校の卒業式は過ぎた高校生活を懐かしむ場である。生徒の前途を称える場である。然しこういう祝辞のあとで、村井さんのような学校批判は出来ないであろう。日本共産党員は何時でも党員として、あらゆる対象に批判が可能なように、その権利を保留にしておく必要がある。私は日本共産党員がこういう席で祝辞を求められることを、党の名誉ではなく屈辱だと感じる。つまり党の批判を殺ぎ、党を支配秩序にとって 「人畜無害な安全パイ」 にしているように思える。

  自慢ではないが最後に私の卒業式参加体験から。卒業式典の最後には、起立して日の丸を仰いで国歌斉唱があった。私はたった一人起立しなかった。君が代にあわせてインターナショナルを歌う勇気はなかったが、誇り高く沈黙を保った。周囲は何も言わなかったが、変わり者であるとの嘲笑は浴びなかった。寧ろ沈黙の、暗黙の支持を感得した。この勇気、君が代斉唱を拒否する勇気が森脇さんにあるか? あれば私のこの一文は撤回しよう。

 言うまでもなく、この一文は森脇さんに向けて書かれたものではない。すべての日本共産党員に向けて書かれた。
  1. 2016/03/03(木) 04:23:55|
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