古本屋通信

倉敷が頑張っているのに、福山は

古本屋通信    No 1800   3月01日

  せっかく倉敷が頑張っているのに、福山はだめだなあ。

  まあ共産党市議団と言ってもマチマチだ。私は福山は際立ってリッパだとの認識であるが、こと教育問題の村井明美議員には感心しない。ずっと前に一度、最近二度にわたって丁寧に批判してきた。読んでくれたかどうか知らないが、たとえ読んでいても(かなり凝り固まった確信犯だから)、効果はなかったろう。実際の議会質問と当局の答弁が掲載されている。自分で掲載してみても反省はないらしい。これテンデ相手にされず軽くいなされている。こういう質問だとだと教育委員会もラクだろうなあ。




教育問題の質問
2016-02-28  22:49:56  日本共産党福山市議  村井明美
本日は、穏やかな天気でした。
後援会長さんと後援会員さん宅に、「村井の支持をお広げ下さい」とお願いに行ったり、ポスターを張らせていただいたりしました。
ところがですね、今、インフルエンザや嘔吐性の風邪が流行しているのでしょうか?
体調を崩した方が、何人もおられましたよ。
気温の変化が大きいからでしょうか?
うがい、手洗い、栄養、睡眠、気を付けましょうね。
代表質問から、教育問題の第1質問と答弁を掲載いたします。

村井質問
① 生徒指導規程について
A中学校で起きた、生徒の授業中の喧嘩は、「授業妨害は別室指導」とされる学校の決まりの中で、教室から別室に連れ出そうとする教師を生徒が蹴ったとされ、次には「教師への暴力は警察対応」とされているきまりの中で、警察への通報、逮捕となりました
結局、なぜその二人がけんかになったのか、その生徒たちはどのような気持であったのか、どう解決すればよかったのかは吹き飛んでしまいました。
また、生徒の育ちや課題はどうなのかに関係なく別の方向へと発展してしまいました。
B中学校では、警察が学校に何度も車を乗り付け、生徒や保護者の目前で生徒の逮捕が行われる状況が起きました。
C中学校では、課外授業で、新入生の入学説明会に披露するソーラン隊の口上を述べる生徒の選出のあり方で、生徒の尊厳が冒されました。
このような「力で支配する指導」が、なぜ、福山の教育現場にまかり通るようになったのでしょうか。
中学生たちは、いま、厳しい受験競争や格差と貧困の広がりの中で、何が起こるかわからないと言われる思春期を必死にもがいています。
いわゆる、学校が荒れるという現場に、文部科学省はアメリカをルーツとする「ゼロトレランス」を紹介しました。
広島県教育委員会と福山市教育委員会は、「規範意識の醸成」「社会で許されないことは、学校でも許されない」「例外なき厳罰主義」を持ち込み、実践することを求めました。
「生徒指導規程」という枠組みへの強制は、児童生徒の反論も許さず、学校は息苦しいものとなってきました。
今や、児童生徒の自主性や、教師集団の同僚性も奪い、様々な弊害を生み出しています。
このような懲罰的な指導は抜本的に改め、「生徒指導規程」を撤廃し、児童生徒、教師、保護者が納得できる最低限の「学校の決まり」に改めることを求めるものです。
また、職員同士の同僚性を取り戻し、職員会議が民主的な機能を発揮する学校とすることを求めるものです。
教師と児童生徒の心通う学校に再生するためには、一人一人の生徒に向き合えるよう、少人数学級をすべての学年で実施することを求めるものです。
以上、それぞれについてのご所見をお示しください。

教育長答弁
生徒指導規程」と「学校の決まり」は、いずれも児童生徒全員が安心して安全に画工生活が送れるとともに、一人一人の規範意識や自立心を高め、社会的自立を進めてゆくために、各学校ににおいて作成しているものであり、懲罰的な市道を目的としているものではありません。
生徒指導規程に示している学校の指導方針などは、入学説明会・PTA総会・学校便りなどで、児童生徒及び保護者に周知するとともに生徒指導規程の見直しをする場合は、児童生徒や保護者などの意見も参考にし各学校は、職員研修や会議などにおいて教職員が課題を共有するとともに、児童生徒の問題行動に対して、一人の判断で対応することがないよう、生徒指導規程に基づき、一貫性のある、きめ細かな指導を行うよう、取り組んでおります。
なお、少人数学級の早期実現につきましては、全国都市教育長協議会や中核市教育長会を通じて、国や県に対して要望するとともに、市議会においても、少人数学級の実現に向けて、国に意見書を提出していただいているところです。





  古本屋通信

  村井さんは百点満点の0点の質問である。教育長は百点満点の百点の答弁である。村井さんは恥ずかしいと思わなければならない。然しそう思っていないから掲載したのだろう。

  ふつうなら A中学校、B中学校、C中学校と名前を挙げる以上、それぞれの学校で起きた出来事(事件)が、教育上放置できない重要な問題を孕んでいるから、それに対する具体的な対応を市当局(教育長)に求めるのだ。

 ところが村井質問は初めから一般的・抽象的な教育の「力で支配する指導」を言うだけである。どれひとつとっても、許されざる学校側の落度または犯罪が明らかにされていない。教師が生徒を撲ったのでもない。教師が特定の生徒を差別的に扱ったというのでのない。女子生徒の身体に触れたというのでもない。つまり具体的な問題が全く指摘されていない。いわば村井さんが気に食わないという個人の心象風景だけが浮かび上がってくるのだ。

  ふつうこういう議会質問はしない方がよい。こう言っても村井さんは分からんだろう。例えば、ある犯罪の匂いのする出来事で警察がパクッた。しかし検察送りが出来ないと思えば釈放するだろう。また送検されてきた事案について、検察は公判を維持できないとみれば告訴をあきらめる。村井さんの質問はあきらめのわるい警察や検察のごときである。初めから勝負は見えている。

  村井さんは市議会議員だから質問する権利はある。それに対して教育長は(馬鹿にしないで)答えている。しかし村井さんが挙げた個別の中学校の出来事について何ひとつ答えていない。つまり全く問題でないから答えようがない。これはふつうなら答えない当局に対してすかさず二の矢が放たれるのだ。しかし村井さんにその気はない。

 まあ弛緩しきった質問であった。これなら保守会派も福山市当局も共産党の市議会議員大歓迎だろう。


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  補足

 これだけでは面白くないから、関連して一つだけ書いておきたい。社会の様々な分野で起きた出来事や諸戦線の問題に、議会(国会、地方議会)はよく対応しうるかと云う問題。

  1970年代半ば、京都の京都大学と同志社大学で、ブント系赤ヘル集団の暴力によって、民青系学生が大学構内に入れなくなった。自治会活動の自由が犯されただけではなく、講義を受けて単位を取得して卒業することさえも出来なくなった。構内に入れば袋叩きにされるのである(ごく最近知ったが、これには前史があり、その数年前に民青系がブント系を袋叩きにしたことがあったという)。それで、これは大学の自治と学問研究の自由にとって由々しき問題であるという事で、共産党国会議員団が国会質問で取り上げた。京大当局に善処を求めただけでなく、警察当局に暴力学生の排除を求めた。京大当局は形だけのきれいごととノラリクラリであった。政府自民党は喜んだ。警察トップはもよい返事をしたと記憶する。

 で、結果はどうなったか? 京大当局は警察(機動隊)の導入を要請しなかった。表立った学生どうしの暴力的衝突などなかったから導入する理由がなかったのだ。

  民青系学生はどうなったか? 今までどおり大学に入れなかった。それだけではない。何人かが入ろうとした。そしたら、それまでは 「民青は入れるな。入ってきたら袋叩きにして追い払え」 だった。ところが、国会質問以後は 「学内で民青、いや民コロを見たら殺せ。殺しても構わない」 となったそうである。これを言い出したのはセクトのブントではなかった。無党派ノンセクトだったという。これを許されない無法だというのは簡単である。しかし本当に許されないことならば、党派に属さない学生にも批判を受け、赤ヘルは学生自治会の執行部から追われるであろう。ところが「民青殺せ」 こそ支持されたのだ。私はこれを全くよく理解する。私が他大学の民青であったら赤ヘルを支持する。日本共産党の京都選出の国会議員・神谷信之助(脚注)に殺意を懐くだろう。じじつ京大の学生は断固として赤ヘルを支持したのである。

  共産党の国会質問は事態をますます悪化させた。間違いない。それだけではない。それ以後、京都大学と同志社大学に於いて、日本共産党と民青同盟は決定的なマイナスイメージを刻印されることになった。つまり以後の40年間、民青はだだの一度も学生自治会の執行部を掌握できないのだ。これは本当である。だから、この事はその前後に立命館大学にいた市田忠義や穀田恵二、さらには同志社大学にいた山口富雄は熟知していた筈である。京都こそ日本共産党にとって聖地でありながら悪魔の地であったろう。やがて立命館民主主義は完全崩壊し、京大同学会はいま中核派の支配下にある。一時は民青の天下であった京大は永遠に空白である。いかにブルジョア議会での誤った質問が党と学生運動の発展を阻害したことか。

  議会質問などクソの役にも立たない。いや、ブルジョア議会など、肝心な時には邪魔になるのだ。議会主義者は懲りなければならない。京大の問題は基本的には京大の中でしか解決できない。同志社大もまた然り。当たり前のことである。これが自治だ。と云うより事物の発展法則である。では1970年代の両大学で民青系学生はどうすればよかったか。基本的には自力を着けて挽回するしかなかったのだ。私は断固として実力で、つまり正当防衛権をもって自己の存在を示す以外なかったと思う。それでもダメなら大学を辞めて出直す。それが党派活動である。岡山にも国学院大を中退した元社青同解放派がいる。たぶん革マル派に叩き出されたのだろう。珍しいことではない。階級闘争とはそうしたものである。

  何が悪いかと言って、単位組織で起こった案件に外部から組織介入するくらい間違ったことはない。今回の村井さんがその悪い例である。学校現場は学校現場の法則によってしか動かない。学校現場は学校現場の法則によってしか改善できない。それが民主主義である。急ぎすぎてはならない。急ぎすぎる所に民主主義はない。民主主義には忍耐が必要なのだ。

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 神谷信之助  ウィキペディア

神谷信之助   かみたに しんのすけ
生年月日  1924年3月15日
出生地  京都府京都市
没年月日  1999年1月8日(満74歳没)
出身校  東亜同文書院大学
前職  京都府職員
所属政党  日本共産党
日本の旗 参議院議員
選挙区 (全国区→)
京都府選挙区  当選回数 3回
在任期間  1974年7月8日 - 1992年7月7日
神谷 信之助(かみたに しんのすけ、1924年3月15日 - 1999年1月8日)は日本の政治家。元参議院議員(日本共産党公認、通算3期)。日本共産党中央委員会名誉幹部会委員[1]。
来歴[編集]
京都府京都市下京区出身。東亜同文書院を1945年に卒業後、京都府庁へ入庁。1952年には日本共産党へ入党すると共に府職員労働組合書記長となる。1974年の参院選で全国区から出馬し初当選を果たす。以後京都府選挙区に鞍替えし3選。1992年西山登紀子に地盤を譲り引退を表明する。議員在職中は参院国対委員長などを務めた。1999年1月8日、胃がんのため京都市内の病院で死去。74歳。

政歴[編集]
1971年 第9回参議院議員通常選挙 京都府選挙区 落選
1974年 第10回参議院議員通常選挙 全国区 当選
1980年 第11回参議院議員通常選挙 京都府選挙区 当選
1986年 第12回参議院議員通常選挙 京都府選挙区 当選
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  1. 2016/03/01(火) 12:45:02|
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