古本屋通信

共産党村井派の教育介入を糾弾

古本屋通信     No 1761  2月03日

   日本共産党 (福山) 村井派の教育介入を糾弾する


  今回のタイトルはもちろん冗談である。しかし敬愛する村井さんがコト福山の教育のことになると、何故かくの如き血迷った文章を書くのか、私にはまったく解せない。

  村井文を一読して私が思い出したのは1974年の八鹿高校事件であった。八鹿高校事件は兵庫県但馬地方における解同朝田・丸尾派の、同校同和教育に対する理不尽な教育介入事件であった。すなわち正常で何の問題もない同校の同和教育にたいして、一部生徒の要求(解放研を設立せよとの要求。これ自体が一部解放同盟員の子弟を使ってのデッチアゲ要求)を楯に、一部父兄と外部教育関係者(県教委と社会党系県教組・同市教組)と丸尾派末端同盟員を使って、同校の同和教育をズタズタにして、解同が同校の教育を支配することを企んだのである。同校の教員がこれに屈しないと見るや、教育史上前代未聞のリンチ暴行を全教員に加えたのである。このリンチはちょっと殴る蹴るというナマぬるい傷害・暴行ではなかった。数時間にわたって体育館に閉じ込め、繰り返し繰り返し体の一箇所を攻撃した。結果、数十人の教師が町内の病院に入院した。丸尾たちは病院の医師にまで手を廻して口封じに奔走した。長期にわたる裁判の結果、丸尾らの完全有罪が確定した。和解ではなかった。主犯の丸尾らは実刑判決であった。主犯丸尾良昭は懲役3年執行猶予4年で解同が完敗した一大暴力事件であった。彼らは裁判そのものを差別裁判だとしたが、これほど明白な証拠のある暴力事犯はかつてなかったから、今ではこの事件で丸尾らの犯罪を弁護するものはいない。アッ、ひとりいたナ、元東大民青あらためデボーリンの墓守だ。

  ここでは村井文の全文をママに掲載し、そのうえで同文を再録して 私が赤文字で批判 した。私には村井文に書かれている以上の状況は分らない。だから事情を知っている方から見れば、少なからず的外れな批判があるかもしれない。しかし私は今回の村井文がいかに説得力に欠けるかを書けば十分なのである。だから徹頭徹尾、村井さんに反対する立場から書いた。この点を差し引いてお読みいただきたい。なお表題を「村井派」とし、「村井一派」としなかったのは、村井さんに同調する人は一人もいないと思ったからである。



福山の教育は生きているか?
2016-02-03 01:37  日本共産党福山市議  村井明美
1日に続き、2日は市教育委員会から、福山市の生徒指導方針についてレクチャ―を受けました。

午後からは現場の教師、中学生を持つ母親、教育学者の方々15名で、福山市の教育現場でどのようなことが起きているか、懇談を行いました。

ある中学校では、女性教師が、廊下の端から端まで響く大声で怒鳴りあげ、その下に30歳代の男性教師が同じように生徒を怒鳴ってゆく。(ははあ、これが外まで聞こえると住民が言っている怒鳴り声だな)

「くをら~!なにしょうるんなら~」と出席簿で生徒の頭を殴るくだんの女性教師…対教師暴力は逮捕案件だけれども、対生徒暴力はおとがめなし?

生徒は「先生らは、自分たちの気持ちは全くわかろうとしない」「話を聞こうとしない」と、心を閉ざしている。

例えば生徒同士がふざけあいから喧嘩になってしまったが、その後静まって、話し合い、謝りあって以前より仲良くなったのに、『決まり』だからと、後日、『別室指導』を行った。

後日となるのは、別室指導の教室が足りないから、「順番待ちとなっている」等など、
生徒指導の在り方が納得行かないという話が出るわ、出るわ…。

もう、生徒指導のなんたるかが逆転して、先生は『きまり』の追行に余念なく、生徒が押しつぶされているような、おかしな事になっているようです。

その力で押さえつける指導に、「どうせ、先生たちは、俺たちの事はわかってくれない」と、心を眠らせ、こうべを垂れて従っている。

自我のある生徒は、「納得がゆかない」と反抗し、ますます「問題行動を起こす」として、「指導」される。

なんだか、一部の教師は、厳しい指導に生徒を従わせることに倒錯しているのかと思うような、聞けば聞くほど、一体この学校の「教育」はどこにあるのだと、訳が分からない。

聞けば、生徒指導の教育研究校だそうで、定めた「決まり」への帰結を求め、例外を出さない決まりに従わせる「指導」を行っているとの事です。

生徒が先生への信頼感や安心感を持たないで、何の指導や授業ができるのでしょうか。
あまつさえ、高校入試を持ち出しては、脅しに使うと。

生徒を怒鳴りつけて従わせて、教師として何の喜びがあるのでしょうか。

本日来られた教育学者の方々は、福山の「生徒指導規程」に基づく教育の問題の多さに、想像以上だとびっくりされておりました…。

一部の学校がひどいのか、それとも、同じような有様なのか、耳を大きくして、生徒や保護者の声をもっと聞かなくてはなりません。


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  古本屋通信の村井文批判


1日に続き、2日は市教育委員会から、福山市の生徒指導方針についてレクチャ―を受けました。

レクチャ―は福山の生徒指導方針の正しさを講義したのでしょう。それに対して村井さんは反対だった。ならば、以下の村井文はそれへの反論でなければならない。なにゆえ市教育委員会レクチャーの内容を一行も引用しないのでしょうか? この時点で既に村井文は敗けています。

午後からは現場の教師、中学生を持つ母親、教育学者の方々15名で、福山市の教育現場でどのようなことが起きているか、懇談を行いました。

味方の陣営、すなわち党員の教員と、党員の父兄と、党員シンパの教授を集めて対抗策を練ったということでしょう。解同朝田・丸尾派がやったのと瓜ふたつですね。然し、こういうミエミエの対策会議を公然とブログに書くな! こっそりやれ!

ある中学校では、女性教師が、廊下の端から端まで響く大声で怒鳴りあげ、その下に30歳代の男性教師が同じように生徒を怒鳴ってゆく。(ははあ、これが外まで聞こえると住民が言っている怒鳴り声だな)

悪意だけが先行した文です。「女性教師」が親玉で、「30歳代の男性教師」がその手下なのか? 「その下」とはそういう意味でしかないでしょう。この中学校では教員集団はそれぞれ対等の関係ではなく、ボスと子分の関係なんだ? その根拠は何か? 感情的で恥ずかしい。

「くをら~!なにしょうるんなら~」と出席簿で生徒の頭を殴るくだんの女性教師…対教師暴力は逮捕案件だけれども、対生徒暴力はおとがめなし?

出席簿で生徒の頭」をポイとやるのは「対生徒暴力」ではないです。これを 「殴る」 行為として教員を逮捕した事例がかつてあったでしょうか? 愛の鞭に決まっていますよ。愛の鞭に警察が出てくる必要はありません。それに力いっぱい出席簿で殴ったら、出席簿だって変形して以後は使えなくなる。語るに落ちた村井さん。

生徒は「先生らは、自分たちの気持ちは全くわかろうとしない」「話を聞こうとしない」と、心を閉ざしている。

嗚呼、解放研の生徒の 「気持ちは全くわかろうとしな」 かった八鹿高校の鬼のような教師たち。私たちは彼らを絶対に許さない。せんせい、わたしたちの気持ちを分ってくださいっ。

例えば生徒同士がふざけあいから喧嘩になってしまったが、その後静まって、話し合い、謝りあって以前より仲良くなったのに、『決まり』だからと、後日、『別室指導』を行った。

これは指導する立場からは、当然ながら後処理(フォロー)が必要になります。チンピラ同士(生徒同士でも同じです)が殴り合いの喧嘩をしたあとで仲直りをしたからといって、その手打ちをそのまま認めるようなのは教育ではありません。これが通ると中学校は無法地帯です。こんな単純なことがなぜ理解できないのですか?


後日となるのは、別室指導の教室が足りないから、「順番待ちとなっている」等など、
生徒指導の在り方が納得行かないという話が出るわ、出るわ…。

これも学校側に正当な理由があります。「順番待ちとなっている」のは教育環境の不備であって別件でしょうね。あのね、父兄の不満を楯に無理難題を吹っかけなさんな。

もう、生徒指導のなんたるかが逆転して、先生は『きまり』の追行に余念なく、生徒が押しつぶされているような、おかしな事になっているようです。

きわめて主観的な難癖ですね。そんなに 「生徒指導のなんたるかが」 分かっているなら、自分で指導してみればよい。こういう難癖をつけるようでは、永久に教育現場とのコンセンサスは得られないでしょう。「もう、生徒指導のなんたるかが逆転」、「先生は『きまり』の追行に余念なく」、「生徒が押しつぶされているような」、「おかしな事」、「なっているようです」。よくもここまで主観的なフレーズを羅列できるもんだナ。解同朝田・丸尾派もここまで酷くはなかった。

その力で押さえつける指導に、「どうせ、先生たちは、俺たちの事はわかってくれない」と、心を眠らせ、こうべを垂れて従っている。

まいったな。「心を眠らせ、こうべを垂れて従っている」 と。何時かも書いたが、教育現場に生徒管理は必要である。民主的管理には教員集団の力量が問われるから、全ての生徒の満足は容易に得られない。だからといって大人が生徒の不満につけ込んで、このように教員を非難することによっては、何も解決できない。生徒と教員の間に楔を打ち込むだけである。それくらいのことが何故分らないのだろうか。

自我のある生徒は、「納得がゆかない」と反抗し、ますます「問題行動を起こす」として、「指導」される。

中学生の生徒指導ほど困難なものはないだろう。私も長男の中学時代には苦労した。1年間ほど殴られ続けた。私は1度も殴り返さなかった。それがよかったのかどうか、今でも分らない。ちょうど青木書店のKさんが長男を死に至らしめた頃だった。村井さんは軽すぎる。

なんだか、一部の教師は、厳しい指導に生徒を従わせることに倒錯しているのかと思うような、聞けば聞くほど、一体この学校の「教育」はどこにあるのだと、訳が分からない。

ついに村井さんによって教員集団は倒錯集団にされてしまいました。これって、生徒を虐待することに快感を感じるサドってことでしょう。

聞けば、生徒指導の教育研究校だそうで、定めた「決まり」への帰結を求め、例外を出さない決まりに従わせる「指導」を行っているとの事です。

まあよくあることですが、逆にいえばこの中学校は研究指定校であることによって、自校の教育の実際を外部に晒しているのです。教育委員会のお気に入りを目指しているのでしょうが、それでも自閉する教育とはマシだとはいえます。管理主義教育に反対する場合には対案を提示することが欠かせません。村井さんに欠けているのはこの点です。だから説得力がないのです。反管理だけではアナーキーです。アナーキズム教育なんてあり得ませんよ。

生徒が先生への信頼感や安心感を持たないで、何の指導や授業ができるのでしょうか。
あまつさえ、高校入試を持ち出しては、脅しに使うと。

内申書に書くゾ」 脅すのですね。褒められたことではありませんが、一般的には「褒めたり、脅したり」 というように、許されない手法ではありません。テクニックですからね。

生徒を怒鳴りつけて従わせて、教師として何の喜びがあるのでしょうか。

怒鳴りつけるのは指導の一齣として必要な場合もあるでしょう。こういうことを論う(あげつらう)のは逆に醜いですよ。

本日来られた教育学者の方々は、福山の「生徒指導規程」に基づく教育の問題の多さに、想像以上だとびっくりされておりました…。

匿名なら書かないほうがよい。「学者の方々」の権威を借りて自論の正当性をいう手法は幼稚です。

一部の学校がひどいのか、それとも、同じような有様なのか、耳を大きくして、生徒や保護者の声をもっと聞かなくてはなりません。


村井さんが間違っていると思います。私は福山の管理主義教育が正しいとは思いません。然しそれを改めさせる村井さんのやり方は間違っています。内部に入って批判すべきです。村井さんのやり方は外部からの教育介入です。組織介入といってもよいでしょう。解同朝田・丸尾派のやり方と瓜ふたつですね。


追補(補遺) 村井さんは市議会議員つまり自分が教育問題を議会で取上げたり、オフィシャル(公式)ブログで書くことの意味が分かっていない。これは一種の権力行使なんですよ。教育問題の多くは権力行使によって少しも改善されません。多くの場合、ますます悪化します。この認識がないのは市議会議員として致命的ですね。たぶん議会の演壇に慣れっこになって、正常な市民感覚(ブルジョア議会の外の感覚)がなくなっているんだと思いますよ。自己批判的に内省すべきです。
  1. 2016/02/03(水) 17:18:11|
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