古本屋通信

石崎板のデボーリンを反批判する

古本屋通信     No 1758  2月01日

 
 石崎板のデボーリンを反批判する



  ちょうど私がネタ切れになった処で、デボーリンから石崎板に古本屋通信がらみの投稿があった。申しわけ程度に石崎を批判しているが、メインは古本屋通信批判であろう。前回、前々回と同じ事のくりかえしが多いのは新しい論点が見つからないからだろう。こちらは極力くりかえしを避けたい。なお、石崎の元文は(余り関係なさそうなので)掲載しない。黒字がデボーリン文で、赤字が今回の古本屋通信文である。青色はデボーリンが引いている古本屋通信の元文である(古本屋通信)。




 by デボーリンの墓守    on 2016/02/01 at 03:10:20 

私はその作品を読んでいませんが、「さまざまな個性を持った魅力的な人々がいる」ということは事実だろうと思います。しかし同じことは様々な組織に言えることです。そして上に行けば行くほど腐っているのもいろいろな宗教団体などと同じです。

これだと永遠に、あらゆる政治結社も宗教法人も打倒し続けなければなるまい。腐敗しがちになるのは組織の金で飯を食っているからです。組織自体を存続させる事が自己目的になるのです。これを避けるのは容易ではない。

あなた(石崎さん)はブルジョア議会主義者だとおっしゃっていましたが、私が議会主義は必然的に左翼の堕落を招くと確信したのはある新社会党地方議員の選挙を手伝った時でした。その時に議員活動の内容を聞いて、「ああ、これは議員を長くやっていれば確実に堕落するな」と思ったものです。筆坂秀世も同じことを言っています。参議院比例という最も「どぶ板」選挙から遠いところにいた彼ですら「議員を何期もやっていれば確実に革命のことなど忘れてしまう」といっていましたから、地方議員ならなおさらでしょう。

基本的に賛成である。だから私は党議員は早期に交代し、議員任務を固定しないことを主張しています。しかし現実的にはむづかしい。例えば4月改選の福山市議選で、私は河村さん、村井さんのどちらかが降りて、新人と交代すべきだと言ってきたけれど、そうならなかった。どこまで地区委員会が介入するかですが、現実的には議員の意向次第でしょう。ここにブルジョア議会主義の限界がある。しかし党中央では国会議員の交代などもあった。緒方も、聴濤も、山口富雄そうだった。何の不満もなく、むしろ降りたかったのだろう。この点では地方より中央のほうが進んでいる。降ろされることに耐えられなかったのが筆坂だろう。彼こそが根っからのブルジョア議会主義者だった。

それでも共産党議員や生活と健康を守る会などの組織は役に立つという人も多いでしょう。それが悪いとまではいいません。ただ、「共産党」と名乗るのはやめるべきではないか、なぜなら自他ともに欺いているのだから。

現実に役に立っているのです。しかし役に立つ活動はくせものです。生活と健康を守る会は共産党のアキレス腱でしょう。まあ独立してやっている。共産党と名乗ってはいません。妙なことに創価学会の人も会員にいるとか。

私は川上徹『査問』を読んだとき、あんなことをされながら長年党にとどまり口を開かなかった宗教的党崇拝の深さにあぜんとしましたが、党を離れたあなたや古本屋通信のような人々ですらいまだに党を支持していて、党官僚たちを甘やかしているのも堕落が止まらない一因です。創価学会を脱会しても「中間の幹部たちは悪いが、池田先生の教えは正しいから池田先生に従っていく」というような人は多いですが、あなたも古本屋通信も同じようなものです。

私は「党官僚たちを甘やかして」はいませんよ。連日にわたって党中央批判文を書いている。しかも現実に即して丁寧に批判している。「反帝・反スタ」批判じゃあ、批判された方は痛くもかゆくもない。結局どちらが党内外に影響力を保持できるかでしょう。川上さんはずっと保持したと思いますよ。暗黙のたたかいというたたかいもある。

それにしても古本屋通信記事には驚がくしました。「第7回党大会以後は細胞単位まで降りて、いっそう徹底的な民主的な討議が行われました。」なんていうことを書いている。これを読んで「党信仰というのは党を離れて何十年もたつ人でもこんなに強いのか」と思いました。「いっそう徹底的な民主的な討議が行われ」たというのなら、どうして第7回大会以後は「団結と前進」が発行されなかったのでしょう。宮顕は第7回大会以後は議論を抑圧し、「党勢倍加運動」で理論水準が低く、宮顕に盲従する党員を大量に増やして第8回大会で反対派駆逐に成功したのです。

私も十分には知りませんが、かなり徹底した党内討議だったと認識しています。異論が党外に噴出しないと党内民主主義が抑圧されているとするならば、永久に党の団結はありえないでしょう。私なんかも 「理論水準が低」 い党員の典型だったわけです(笑)。この時期の異論は構造改革派≒現マル派だったのですが、基本的に全て破産しています。長洲一二元神奈川県知事のようにね。破産を免れているのは石堂清倫だけですね。かれは翻訳家ですからね。私は「団結と前進」は継続したものとばかり思っていました。ダラダラとはやる必要がないと思ったのでしょう。

>第7回党大会から第8回党大会までは、党史上で初めて集団的指導体制が確立され、個人中心の専横的党運営を廃し、民主主義的中央集権制が確立された時期でした。

これは「本気で書いているのか」と疑わずにいられないものです。第7回党大会から第8回党大会まで宮顕がいかにやりたい放題の専横的指導で反対派を駆逐して宮顕絶対体制を確立していったか、日本共産党史を扱った本ならどれにでも書いてあるはずです。それに古本屋通信は明らかに「民主主義的中央集権制」が何なのかも理解していません。日本共産党の「民主主義的中央集権制」は明らかに創価学会の「池田集中制」とどこが違うのか?

いや本気で書いているのです。宮本が采配をふるったのは事実でしょう。まあ万全の、見事な手法ですね。あのね、そうあっさり10万人の党員を束ねられるもんじゃあないですよ。それに「宮顕絶対体制を確立」というけれど、どこを見ても宮顕の専制独断などないのです。だれも具体的に批判できない。それは集団的指導だったからです。

>国際会議に出席するための中央委員会総会開催? 笑わせる(笑)。ならば原水禁世界大会に出席するためにも中央委員会総会を開催するのか? そんな党指導部が何処の世界にあるものか。

これも、驚くほかはないです。原水禁世界大会と81か国共産党・労働者党会議では重要性が段違いです。前者は当時の用語でいう「国際民主運動」の一つであるのに対し、後者は「国際共産主義運動の総路線」を確定する会議なのです。宮顕はこの会議で、「ヨーロッパ以外の発達した資本主義国における民主主義革命」を声明に書き込ませ、帰国後はこれを「宮顕綱領は国際共産主義運動が認めている」と「ご印籠」のように反対派駆逐に利用したではありませんか?中央委員会総会すら開かないで「ご印籠」をもらってきて反対派駆逐に利用するのを「専横的」と呼ばずしてなんと呼ぶでしょうか?

いや、重要性は変わらないでしょう。それに、この 「81か国声明」 に反対した党員は (すでに党外にあったトロツキストを除いて) いなかったでしょう。志賀はもちろん(ソ連派ですから)大賛成でした。春日庄も、内藤も異議なしだったはずです。いい加減なことを書かないほうがよい。まあ 「81か国声明」 自体が当時の国際共産主義運動の不一致の妥協の産物でしたからね。玉虫色だったわけですよ。

それに古本屋通信記事は日本共産党の選挙候補者の決定について理解していません。国政選挙では日本共産党の候補者(もしくは独自候補を立てない場合の態度)はすべて常任幹部会の決定事項です。常任幹部会がどうしても議員にしたい人を上からおろしてくる場合(志位和夫の初当選のような例)と、都道府県委員会から中央に上がってきて常任幹部会が認める場合もあります。衆議院が中選挙区制だった時代は、中央役員でない国会議員や、国会議員になってしばらくしてから中央役員になったものもいましたが、そういう人は後者になります。

これは明らかに違います。国政選挙(衆参)の場合、比例区は党中央(正確には常任幹部会ではなく書記局)です。(小)選挙区は都道府県委員会です。これが現実です。これは各党ともそうです。共産党の場合、最終的な決定権が規約上では党中央にあるとしても、(小)選挙区で都道府県委員会が決めた候補者が党中央でひっくり返された例はありません。党中央がある人物を国会議員にしたい場合、都道府県委員会に根回しして決定させることはあります。まあ東京の参院選挙区なんか、どっちでも変わりませんが、田舎だととんでもないですよ。県議は県委員会、市議は地区委員会です。これもどっちでもよいようなものですが、かなりはっきりしています。市議候補の発表のとき、県委員会は立ち会いません。地区委員会です。あのね、田中のぞみ岡山市議の出陣式のとき、県党3役は(抱合わせ県議候補の森脇副委員長を除いて)だれも来なかったです。かなり徹底しています。
それから国会議員を中央委員にする理由はありません。逆に党中央3役は議員職に就けないように規約改正すべきです。地方では、県委員会3役は(形式的に副委員長に県議を充てていますが) 実質的に非議員です。この点では地方の方が中央より進んでいます。と言おうか、地方の県委員会常任委員の多数が議員だったりしたら、地方組織は立ち行かなくなる。民主党県連がよい(悪い)例です。だからありえないのです。党中央も早く正常化すべきです。宮本の誤りの始まりは彼本人が参議院議員になったことです。ここから全てが狂ってきた。


それに古本屋通信は相変わらず部落問題を何ら理解していないようです。2002年の同対法終了以後、部落解放同盟(主流派)が腐敗転落を深め、戦えない組織になっていっている(ただし地域差は大きい)こともあり、差別がますます激化し噴出していることは部落問題を少しでも知っていれば明白なことです。

こういう事を言っている 「部落問題を少しでも知ってい」 る人の発言を引用してください。ただし運動でメシを食っていない人をお願いします。

>つまりこうだ。ますます腐朽する日本資本主義が、その階級支配を継続し強化するために、旧身分制の残滓である部落の存在を利用する階級的必然性があるかどうかという事である。私は否定的である。

ここに根本的な誤りが集中して現れています。「旧身分制の残滓である部落」という認識はとっくに克服されたはずです。現代における部落差別はすぐれて資本主義的な身分差別であり、資本主義が「ますます腐朽する」からこそ部落差別が激化しているのですが。古本屋通信はかつて「史的唯物論」について語っていたように記憶していますが、彼の「史的唯物論」は単なる経済還元論のようです。つまり、黒人公民権運動が盛り上がる以前に「資本主義の発展により人種差別などは消滅する」と言っていた左翼と同じような思想でしかないのです。「岡山の解放同盟は評判が悪い」とかそういう次元の問題ではないのです。ますます激化し噴出する差別と本当にたたかえる運動を作り出していくことが緊急の課題なのです。もちろん、日本共産党が党員資格に日本国籍を必要としている「からこそ支持する」などという古本屋通信には部落差別だけでなく国籍による差別も理解できないのでしょう。
いったん切ります。

まったく説得力がなく反論になっていません。黒人問題と日本の部落問題はまるで異質です。部落差別は人種差別ではありません。これがひとつ。それから 「部落差別はすぐれて資本主義的な身分差別」 って、いまさら経済学でもないでしょう。資本家とりわけ独占資本家で、部落差別を積極的に利用して労働者を搾取している者がいますか? いれば社内報でも、経営者団体の印刷物にでも顕れているでしょう。そんな者はまるでいないでしょう。
  1. 2016/02/01(月) 04:36:55|
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