古本屋通信

資料・大本芳子さんと天皇陛下

古本屋通信     No 1753  1月28日

 
  資料・大本芳子さん天皇陛下



  カノジョには何を言うてもオエンから、何も言わずに資料として貼っとくワ。敬愛の情もっとるんじゃナ。愛してるから言いたいんだ。コレだけじゃ党規違反にならんと。しゃあないわナ。



天皇のフイリッピン訪問に思う
2016年1月28日  日本共産党元倉敷市議会議員  大本芳子
(写真は、毒ガス製造がおこなわれていた大久島にて)
天皇両陛下は、戦後の節目に当たって、戦後60年のサイパン、戦後70年の昨年には、パラオそして本年のプイリッピンと戦争で犠牲になった国々の人々と、日本人の戦没者の「慰霊の旅」をされ、それぞれ慰霊の言葉をのべておられますが、中国についはなぜかノーコメントです。
中國においては、1937年の南京大虐殺事件や、旧日本軍が敗戦時に戦犯追及をおそれ、その数70万発といわれている毒ガスの遺棄など、悲惨な事件に住民を巻き込んでいます。そして今なお、その遺棄された毒ガスによる住民被害が深刻な問題を呈しています。
中国は、サイパン・パラオ・フイリッピンにも勝るとも劣らない多大な戦争被害を与えている国です。なぜその中国に慰霊に出向かないのか、私には理解できません。


 これに対する七誌さんの丁寧なコメント

 七誌   2016年1月28日 1:57 PM
リンクに「軍人・軍属の地域別戦没者数(1937~45年)」があります。
中国から満州と台湾が分けれれていますが、合わせればフィリピンでの戦没者数を超えます。
これは日本人だけでしょう。

戦後70年:数字は証言する データで見る太平洋戦争(1)230万人はどのように戦死したか? – 毎日新聞
http://mainichi.jp/feature/afterwar70/pacificwar/data1.html

アジア太平洋戦争は、天皇専制と軍部が、中国侵略を際限なくすすめたことから始まりました。
アメリカに仕掛けたのも石油などの禁輸などからです。今で言えば、北朝鮮などがそういう目にあっています。
ナチスドイツなどを除くなら、国際社会から見れば、とんでもない国家と見られていたことでしょう。

フィリピンでもフィリピン人民との戦いや民衆に対する日本軍の虐殺がありましたが、敵対する勢力の大勢はアメリカ軍が主力で、フィリピン人の犠牲者は中国人ほどではありません。
しかし、中国では、侵略に抵抗する軍人かででなく、日本軍により民衆まで殺戮されました。
犠牲者の数では、フィリピンを大きく上回ります。

本来であれば、中国に「慰霊」にいくべきなのでしょうが、自民党政権や亜流政権では、行けない(行かせない)のではないでしょうか。
なにしろ、中国に対する侵略戦争だと認めないのですから。
保守の中にも反省すべきとの人もおり、政治の革新が求められます。



  七誌さんの追加コメント

2016年1月29日 9:36 AM
紹介したリンクをクリックしても表示されないとき、
Google で
「戦後70年:数字は証言する データで見る太平洋戦争(1)230万人はどのように戦死したか?」
と検索して、そこから跳ぶと開けます。
気がつかなくてすみません。



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比大統領主催晩餐会での天皇陛下のお言葉全文
2016年01月28日 11時38分  © The Yomiuri Shimbun
 27日に行われたフィリピン大統領主催の晩餐ばんさん会での天皇陛下のお言葉全文は次のとおり。

 貴国と我が国との国交正常化60周年に当たり、大統領閣下のご招待によりここフィリピンの地を再び踏みますことは、皇后と私にとり、深い喜びと感慨を覚えるものであります。今夕は私どものために晩餐会を催され、大統領閣下から丁重な歓迎の言葉をいただき、心より感謝いたします。

 私どもが初めて貴国を訪問いたしましたのは、1958年12月、ガルシア大統領ご夫妻が国賓として我が国をご訪問になったことに対する、昭和天皇の名代としての答訪であり、今から54年前のことであります。1962年11月、マニラ空港に着陸した飛行機の機側に立ち、温顔で迎えてくださったマカパガル大統領ご夫妻を始め、多くの貴国民から温かく迎えられたことは、私どもの心に今も深く残っております。この時、カヴィテにアギナルド将軍ご夫妻をお訪ねし、将軍が1898年、フィリピンの独立を宣言されたバルコニーに将軍ご夫妻と共に立ったことも、私どもの忘れ得ぬ思い出であります。

 貴国と我が国の人々の間には、16世紀中頃から交易を通じて交流が行われ、マニラには日本町もつくられました。しかし17世紀に入り、時の日本の政治を行っていた徳川幕府が鎖国令を出し、日本人の外国への渡航と、外国人の日本への入国を禁じたことから、両国の人々の交流はなくなりました。その後再び交流が行われるようになったのは、19世紀半ば、我が国が鎖国政策を改め、諸外国との間に国交を開くことになってからのことです。

 当時貴国はスペインの支配下に置かれていましたが、その支配から脱するため、人々は身にかかる危険をも顧みず、独立を目指して活動していました。ホセ・リサールがその一人であり、武力でなく、文筆により独立への機運を盛り上げた人でありました。若き日に彼は日本に1か月半滞在し、日本への理解を培い、来る将来、両国が様々な交流や関係を持つであろうと書き残しています。リサールは、フィリピンの国民的英雄であるとともに、日比両国の友好関係の先駆けとなった人物でもありました。

 昨年私どもは、先の大戦が終わって70年の年を迎えました。この戦争においては、貴国の国内において日米両国間の熾烈しれつな戦闘が行われ、このことにより貴国の多くの人が命を失い、傷つきました。このことは、私ども日本人が決して忘れてはならないことであり、この度の訪問においても、私どもはこのことを深く心に置き、旅の日々を過ごすつもりでいます。

 貴国は今、閣下の英邁えいまいなご指導のもと、アジアの重要な核を成す一国として、堅実な発展を続けています。過ぐる年の初夏、閣下を国賓として我が国にお迎えできたことは、今も皇后と私の、うれしく楽しい思い出になっています。

 この度の私どもの訪問が、両国国民の相互理解と友好の絆を一層強めることに資することを深く願い、ここに大統領閣下並びにお姉上のご健勝と、フィリピン国民の幸せを祈り、杯を挙げたいと思います。
  1. 2016/01/28(木) 12:30:45|
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