古本屋通信

ブル・メディア批判の視座

古本屋通信     No 1742  1月21日

 ブルジョア・メディア批判の視座をカクトクせよ! 何処まで行ってもシールズは無効である。

視座 ものを認識する立場。視点 物事を見る姿勢や立場。
視座構造
 マンハイムの知識社会学の中心概念の一。人が事実を認識する際,社会的条件は認識の形成過程のみを規定するのではなく,認識の構造そのものにまで組み込まれていることを示す概念。


 石崎徹が辺見庸を引いて色々書いている。だいたい文壇のひとりのモノ書きが朝日新聞で社会運動についてとやかく喋るのが僭越である。それをわざわざブログで取上げる石崎は既に完璧にメディアの下僕・召し使いの男である。その自覚がない石崎は、辺見に芥川賞のとり方でも教えて貰ったらどうか。文壇は物書きの相互扶助の場であるから、そこから自立した社会批評など成立する余地はない。私は辺見庸は知らぬが、すくなくとも彼のシールズ評は発言の場を間違えている。そもそもシールズなど(スパイ以前に)ブルジョアメディアが必要に応じてデッチあげた架空の幽霊なのだ。石崎は其の点が何度いっても理解できない。不思議なアタマをしている。

シールズの所属人数 関東地方で160人、近畿地方で100人と奥田は述べている(ウィキだが、これだって奥田に分かるわけがない)。

民青の所属人数 最盛期の1970年には同盟員数は約20万人。名古屋大学生総数4,000人中1,000人、東北大8,000人中1,000人、岩手大3,000人中1,000人、京大、立命四桁、東大600、早大、法政、中央数百。

  民青がブルジョアメディアに肯定的文脈で取上げられたことは(私の知る限り1965~1970年)ただの一度もなく、事実のありのままの活動が報道されたこともない。いわゆる大学紛争の期間中には(三派全学連や全共闘との対比で)トコトン忌み嫌われる 「日共」 の青年組織として報道された。我われはそれを理不尽だと思ったことはない。そういう中でこそ組織は伸びた。いま革マル派が伸びている。ブルジョアメディアが革マル派を取上げたことは、内ゲバ以後は殆んどない(否定的文脈で奈良女の女が取上げられたのと、民主党の枝野が隠れ革マルだと誤報された位だろう)。といっても大した数字ではない。然しシールズの比ではない。これひとつとってもシールズの胡散臭さはハッキリしている。そう思わない石崎のオツムは完全にブルジョアメディアの毒がまわっている。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


  辺見庸  石崎徹  雑文 - 2016年01月21日 (木)

 辺見庸が厳しいことを言っている。
「右傾化のレールはすでに敷かれてしまった。安倍が退陣したとしても、この流れはもう止められない。現在はすでに1937年である。SEALDsなんか、右に行くのは嫌だと言って現状維持しようとしている保守派だ。現状を変革しようとするエネルギーを感じない。デモのあとでなんで道路掃除なんかするんだ。そんなお行儀のよいことをするな。戦争が始まればたちまち呑み込まれていく勢力としか思えない。もっと怒れ。場違いな人間になれ」と言っている。(これはぼくによる要約であって言葉通りではありません。念のため)。
 言っていることは、古本屋さんやデボーリンさんが言っていることと同じである。しかし言葉というものは微妙なもので、表面上同じように見える言葉が、ちょっとした言い回しの違いによって、発言者の心の違いを如実に反映する。
 古本屋さんやデボーリンさんにとってSEALDsは敵のスパイであって、変革を妨害し、右傾化を助ける勢力である。ほんとうの変革者は自分たちである、ということになる。
 辺見庸の言いたいことは違う。彼はSEALDs程度の反逆者しか出てこないことを嘆いている。日本人はすでに負けてしまった。もうじき戦争が始まる、そういう絶望感の表明なのであり、決してSEALDsよりも古本屋さんやデボーリンさんのような人々のほうがあてにできるとは思っていない。あてにできる日本人はもういない。みんな負けた。せいぜいSEALDs程度しかいない、と言っている。
 裏返して言えば、SEALDsにもっと過激になってほしい、浮ついた反対だけでなく、もっと深い怒りと変革の意志を持ってほしいと望んでいる。
 辺見庸の立ち位置は、古本屋さんやデボーリンさんとは正反対のところにある。
 言葉は、単に記号として切り離せば、何も語らない。その表現の微妙な違いに現れる発言者の思惑の違いをこそ読みとらねばならない。
 もちろん辺見庸はずっと悲観的だ。もう諦めているようにも読みとれる。でも絶望が深ければ深いほど、内に秘めているのはなんとかしたいという意志なのだろう。彼は文筆家なので、せめてその世界でできることをしようとしている。ぼくは何ひとつ影響力を持たない人間なので、SEALDsへの期待の掛け方は辺見庸よりも大きい。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


   古本屋通信  パート再録    青字が石崎

ずっと活動してきた人たちは、活動の成果がなかなか現れないことに苦しんできただろうし、だからいま若い人たちがどっと登場してきたことは、彼らにとって純粋に喜び以外のものではないのだ」 の 「ずっと活動してきた人たち」 とは現役の共産党員のことだろう。志位や小池は例外だが、日本共産党員でシールズを 「新しい出現」 と看ている者は皆無である。ただ戦術上、馬鹿にしていないに過ぎない。でもこんなこと、石崎には理解するのは無理だろう。共産党員のブログを先入観なしに丁寧に読めば分かることなんだが。

  「彼らは活動してきていないので、時代の変化を体で感じとっていないし、ただ頭の中で栄光の過去を思い浮かべるだけなので、現代の動きに全くついていけないのだろう」。 石崎が 「活動してきていない」 からといって、他人も「活動してきていない」 と蔑むのは傲慢であろう。石崎のように 「日本はアジアをリードする国だから」 と書く人間に他人の活動をとやかくいう資格があろうはずがない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  こんかい 「栄光の過去を思い浮かべる」 ということに就いて、少し書き足そう。60安保闘争そのものは新安保条約が成立したことによって 「敗北」 したから、安保共闘の経験は宝だったが、何ら「栄光の過去」では無かった。尚、70年闘争は安保改定の時期には既に終っていたから、70安保闘争と言えるものではなかった。私の学生時代は1964~1970年だが、その前の1961~1963年に就いて少し書く。

  この時代は安保が通過して敗北ムードが蔓延していた時代だった。全学連主流派(ブント)は解体し、学生戦線は四分五裂だった。その中で全学連反主流派は共産党の綱領論争の影響をうけて2つに割れながら、関西ではそれぞれ独自集会を持ちつつ学生戦線の統一を模索した。この記録は(民青系には残っておらず、わずかに)民学同新時代派のHPに【戦後学生運動の歴史(1956-1967)】として残っている。なんら「栄光の過去」では無かった。苦渋に充ちた苦闘の時代だった。それでも年表を見ると、関西では大阪府学連を中心に2000人規模の集会が頻繁に持たれた。民青でなく民学同だが、とうじ阪大では同盟員が千名を超えていたそうだ。いま阪大といわず全関西(大阪・京都・神戸)に何人の関西シールズがいるのか? 奥田クンによると「近畿地方で100人」だという。なら100人で独自集会と独自デモをやってみよ。絶対にできないだろう。そんな幼稚園児を赤旗に登場させたり、市民連合に加えたり、果ては研究会の講師に招んだり、これらは狂気の沙汰である。1960年代を通じて学生がこのような扱いを受けたことは皆無であった。それが普通である。いまが狂っている。関西シールズが狂っているのではない。関西シールズを紙面に登場させる赤旗朝日新聞が狂っている。それに倣う石崎は超狂気である。石崎は赤旗を読んでいないのはよろしい。朝日新聞を止めて産経新聞に替えたらよろしい。そうすればエセ知識人たる高橋源一郎や辺見庸を読まなくて済む。加えてメディア批判の視座を少しは獲得できるだろう。産経新聞を褒めてばかりは出来ないだろうからナ。
  1. 2016/01/21(木) 18:22:11|
  2. 未分類