古本屋通信

部落問題・デボーリンの書き込み

古本屋通信     No 1725  1月10日

 
  部落問題についてのデボーリンの書き込み
に就いて


  二、三日まえ石崎ブログにデボーリンの書き込みがあった。書き込みは古本屋に向けてなされたものではなく、石崎に向けてなされたものであった。だからこれは石崎が答えるべきであったろう。ところが石崎はデボーリンをシカトする積りらしい。投稿板を貸しておきながらオカシな話だが、まあ石崎の領域だから勝手にしたらよい。仕方がないから、私が引っ張り出した。




 565:No title   by デボーリンの墓守  

>部落問題も、ぼくがほとんど知らないテーマだが、いままで見聞きしてきた限りでは、これは古本屋さんに分があり、「墓守」さんの主張は無理なように思える。
(石崎)

あなたは騙されているのです。私も騙されていました。部落の実態を少しでも知れば、日本共産党と地域人権連(「全解連」から移行)の主張がことごとくウソであることがわかります。
「全解連」は、2004年に「部落問題は基本的に解決された」として「解放運動卒業」して「地域人権連」に衣替えしました。しかし、部落差別が今日も根強く残っていることは少しでも部落の現実を知ればわかることです。
部落民の結婚相手の8割以上が一般地区民であるから差別などもう基本的にない、という主張を「地域人権連」はしています。しかし現実をみればすぐウソがばれます。一般地区民との結婚が8割以上だといっても、何の差別もなく結婚できる例ばかりではありません。部落民であることを理由に反対する親を長期間かけて説得したとか、あるいは実家と縁を切って結婚したというのは珍しくもなんともないことです。さらに、部落では母子家庭・父子家庭の割合が一般地区に比べて著しく高いです。これは結婚し子どもをもうけても親兄弟や親せきがよってたかって別れさせようとする結果です。ネット掲示板でもそんな相談があふれているでしょう。それなのに、「部落問題は基本的に解決された」などという大嘘を平気で言える神経は信じられません。
そして日共=「地域人権連」は、「『解同』の暴力・糾弾こそ差別を温存させている」などという事実をあべこべにいいくるめるデマ宣伝をしています。日共=「地域人権連」の反部落宣伝こそ差別を増幅させているではありませんか!
2006年、東大阪市長選で日共党員の長尾淳三が当選すると、日共党員から部落解放同盟全国連合会荒本支部の人のところに電話がかかってきた。「選挙結果見たか。長尾が勝ったぞ。もうおまえらエッタの思うようにはさせへんぞ。」これが日共です。

>福山に帰ってきて、文学関係で何人か元教員の人と話す機会があった。彼らの口から出てくるのは解放同盟にどれだけむごい目にあわされてきたかという話である。呉の元教員からもそういう話を聞いた。いきなり差別者扱いされて法廷に訴える決心をしたその人は、弁護士から、「たたかうのは弁護士ではなくあなた自身だ、どこまで本気でたたかう決意があなたにあるか、もし本気でたたかうつもりなら共産党に入る以外に道はない」と言われて、入党したそうだ。ブルジョワ議会主義の法律では守りきれない世界なのだろう。 (石崎)


そりゃあ差別者が糾弾されるのは当然です。そして差別者を守ると称して入党させる党員弁護士。こういう連中がいま「ヘイトスピーチとたたかう」とか言っているかと思うと怒りを抑えることができません。全国水平社いらいの「差別徹底糾弾」の原則を貫く解放運動が求められています。

全教組合員の中学校教諭の差別により17歳の女子高生が自殺したとき、全教・「全解連」は差別の事実すら否定し、「人間としての恥を知れ!」と言われたこと。その事実を知って「こんな組合にはいれない」と全教をやめた人。

>ただ、京都にいた時分に多少部落出身者と話す機会があった。彼らがいかにひどい目にあってきたかも理解できる。だから生半可の知識では口をつっこめない世界のようには思える。 (石崎)

その「ひどい目」の原因が「全解連」らにあることは否定のしようがありません。部落差別は依然として深刻であり、差別を扇動しているのが日共=「地域人権連」であることをはっきり知ってもらいたい。



  古本屋通信

  これはもうマトモに反論するような代物ではない。だから石崎もシカトしたのだろう。私も地域人権連については書きたい事もあるが、これをここで書いたのでは話がこんがらがるだろう。他日に譲る。

  デボーリンの書いていることは、今も部落差別は根強く残っているという事に尽きる。私個人の周りでは聞かないが、そういう事実がかなり広汎にあるという事は納得できる。しかし現在の今の今、それが解消されつつあるのか、それとも固定し、むしろ深刻化しているのか、それこそが問われるだろう。私は明らかに前者の立場をとる。しかしこれは個人の主観に委ねられるべき問題ではない。

  つまりこうだ。ますます腐朽する日本資本主義が、その階級支配を継続し強化するために、旧身分制の残滓である部落の存在を利用する階級的必然性があるかどうかという事である。私は否定的である。大昔に岡山天満屋で部落差別事件があった。今日では企業の中でエッタだとか非人だとか、そういう事を便所の落書に書く日本の企業はない。これは近代的労務管理にとって寧ろマイナスだろう。資本家が労働者を 「合理的に搾取する」 うえで寧ろ桎梏になるだろう。結婚問題は確かに今も深刻だといえば深刻だろう。然しこの50年で混住は旧部落を跡形もなく消滅させた。いまでは自分の出自が旧被差別部落出身であるか否か、知らない者が圧倒的に多い。そもそもそんなことを問題にもしない青年が多いだろう。

  まあ、それより深刻なのは、今も部落差別をゼニのたねにする輩がいることだ。これはいちど味をしめたら、おいしくてやめられないらしい。組織のみんながそうであるのではない。一部にいるのだ。私の聞いた話では個人の懐に億の金を入れた奴がいるという。証拠が掴み難いから、うわさがうわさを呼ぶ。しかしまんざらデマでもなさそうである。

  デボーリンはこの問題に限っては、日本共産党や地域人権連を批判しても全く勝ち目はない。今日も岡山の部落解放同盟に民主党の江田が挨拶に行った事を書いたが、今では民主党も、緑の党も、部落解放同盟の組織支持が付いている事を大っぴらには公言していない。それほど岡山の解放同盟は評判が悪い。ここから先は書けないが、それにはそれなりの理由があるという事だ。反対に部落問題に限っては、日本共産党は絶大な人気である。それは解放同盟の恫喝や暴力を恐れないからだ。これがデボーリンにとっては差別を利用していると映るのだろう。だがそれは違う。そもそも社会運動は本来的に無報酬な運動なのだ。活動家が飯を食うためにあるのではない。どの運動でも一定規模以上になると、組織専従は付くが、部落解放運動ほどアクドイ私利を貪った運動はなかった。これは京都の朝田や福岡の某の大邸宅を見ただけで見当が付く。いったいこの金は何処からやって来たのか。
  1. 2016/01/10(日) 15:57:27|
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