古本屋通信

小泉今日子書評集

古本屋通信     No 1693  12月22日

  
  小泉今日子書評集


中央公論新社刊   2015年10月   1,512円(1,400円+税)
小池真理子「夏の吐息」、沢村貞子「私の浅草」、荒木経惟「愛のバルコニー」...。10年間に小泉今日子が読んでいたおすすめの97冊。2005〜2014年の『読売新聞』書評欄掲載をまとめて単行本化。インタビューも収録。




  きのう久しぶりに坂井希さんのツイッターを見たらキョンキョンの新刊のことをつぶやいていた。10月末に新刊が出たばかりだ。私はもちろん読んでいないが、早くもアマゾンレビューには絶賛の書評が寄せられている。今回はそれらは置いて、「嫁に隠れて本を買う」 という首藤さんの文を転載させて頂きました。首藤さんアリガトウ、お世話になります(古本屋通信)。




『小泉今日子書評集』が素晴らしい!!
2015年10月29日  嫁に隠れて本を買う
日曜日の朝はコンビニに行って

新聞各紙をまとめて購入するのが長年の習慣になっています。
おめあては書評欄。
大変申し訳ないけれど、
日曜の朝だけは他の記事はささっと見出しだけで片づけて、
各紙の書評をじっくり読み込むのです。

いまでもおぼえています。
そんなふうにいつも通りの日曜の朝を過ごしながら
読売新聞の書評欄に「小泉今日子」という名前を見つけたときのことを。

書評欄の執筆陣には大学の先生や新聞社の編集委員などもいるので、
一瞬、同姓同名の別人かと思ったのですが、
よくよくみると紛うことなき小泉今日子さんご本人ではありませんか!

ぼくが目にしたのは記念すべき彼女の書評デビュー作だったのです。

ひとくちに書評といってもいろいろな書き方があります。

いちばん多いパターンは、
本の概要を手際よくまとめてみました、というもの。

本の情報を伝えるのが書評の機能だと考えればそれはそれでありなのですが、
書評のなかには、数は少ないけれど、まったく違った書かれ方をされたものもあります。

小泉今日子さんの書評は、
読んだ本がいったん彼女の体のなかをくぐり抜けて、
もういちどぼくらの目の前に姿を現したように書かれたものです。

そこで紹介されている本は、
現実の本とはすでに別のものになっている。

書評という姿でぼくらの目の前に提示されているのは、
彼女の体内のフィルターで濾された末に残ったいわばエッセンスのようなもの。

現実の本とは違う、
彼女が自分の一部に変えてしまった「なにものか」といってもいいかもしれません。

だから本について語っているにもかかわらず、
そこでは小泉今日子さん自身が
心の奥底にしまってあったホンネのようなものすらも露わになってしまう。

書評でありながらも、そこにあるのは彼女の人生そのもの。

まさにそれは
「小泉今日子にしか書けなかった書評」と言わざるを得ないものなのです。

人の心を動かす書評というのは、本来こういうものではないでしょうか。

書評において人の心を動かすというのは、
とりもなおさず「読んでみたい」と思わせること。

小泉今日子さんの書評は、
のっけからそういう力を持ったものとしてぼくらの目の前に現れたのでした。

2005年1月からスタートした読売新聞書評欄での書評は、
2014年12月まで10年間も続きました。

この10年間に書かれた97冊ぶんの書評をまとめたのが
『小泉今日子書評集』(中央公論新社)。

あらためてその書評デビュー作をみると、
あのとき取り上げられていたのは『しゃぼん』吉川とりこ(新潮社 現在は集英社文庫)でした 。

これがいま読み返しても素晴らしい。

「女の子」と「女」の違いを切り口に書かれた短い書評には、
「女の子という骨組み」に、「贅肉のようなもの」を纏って女になった
小泉今日子さん自身の実感が色濃く投影されていて心に残ります。

デビュー作から順を追って読み返してみて、いろいろなことを思い出しました。

2回目の書評は『沢村貞子という人』山崎洋子(新潮社) 。

3回目が『野ブタ。をプロデュース』白石玄(河出書房新社) 。

取り上げられている本はぼくもリアルタイムですべて読んでいました。

そうそう、「おお!」と思ったのは、
4回目で取り上げられた本が
『もてなしの心 赤坂「津やま」東京の味と人情』野地秩嘉(PHP研究所)だったとき。

まさかこんな本まで読んでいるとは…と驚くとともに、
どうやら本に関してはぼくと同じ雑食系らしいとますます彼女の書評が好きになったのでした。

彼女はなぜ本を読むようになったのか。

「本を読むのが好きになったのは、本を読んでいる人には声を掛けにくいのではないかと
思ったからだった」

という文章ではじまる「まえがき」がとても素晴らしい。

忙しかった10代の頃に、人と話をするのも億劫で彼女はいつも本を開くようになります。
当初は「どうか私に話しかけないでください」という貼り紙代わりの本でしたが、
それでも本を読み終えると、

「心の中の森がむくむくと豊かになるような感覚があった」

本が好きな人間であれば誰もが身に覚えのある、
本を読んだあとに自分の中に起きるあの化学変化を、
このような生き生きとした言葉で語ってみせた文章があるでしょうか。

もっと言うならば、この「まえがき」は久世光彦さんの追悼文にもなっていて、
これだけでも読む価値のある一冊です。

彼女のように
世の中には呼吸するように本を読み、
そのまま食べ物のように栄養にしてしまえる人がいるのですね。

読む人の人生と本が、こんなにも重なり合った書評は珍しい。

お仕事をご一緒したことはなく、
たまに酒場でお見かけするくらいですが、
不思議なことに彼女のことをよく知っているような錯覚をおぼえてしまうのは、
この10年間、彼女の書評を読み続けてきたからだということがよくわかりました。

『小泉今日子書評集』には、まぎれもない「小泉今日子」その人の人生が詰まっています。

小泉今日子さん、10年間、素晴らしい書評をありがとう!

本とともに年齢を重ねたあなたの文章と
いずれまたどこかで出会えることを願って――。
投稿者 首藤 : 2015年10月29日 14:00
  1. 2015/12/22(火) 05:50:59|
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