古本屋通信

国民連合政府から民主連合政府へ

古本屋通信     No 1668  12月 6日

  さあ、日本共産党員のみなさん、「国民連合政府」 から 「民主連合政府」 へ頭を切り替えよう。


  私は6月30日の通信で、党副委員長・浜野忠雄の著作 『民主連合政府をめざして』 を、名著として肯定的文脈で紹介した(後尾に再録しておくからお読み頂きたい)。それは置いて、なんと 『民主連合政府をめざして』 の書籍広告が今日の赤旗日刊紙(8)頁目に掲載されているのだ。もう一冊の書籍との合同広告だから扱いは大きくないが、私は一瞬アレーと思った。戦争法の強行採決の翌日から、まあ連日これでもかというくらい国民連合政府妖怪が吹き荒れた。が、民主連合政府など絶えて聞いたことが無かったのだ。


 私はすでに1ヶ月ほどまえ、国民連合政府が孤立無援に陥り、ある日の赤旗から完全消滅したことを書いた。私は当日の赤旗記事のことを、その日じゅうに書いた。これは記事の日付けを見ても分るし、ブログの最終段に自動的に打ち出される。から on または inである。ところが翌日、翌々日も(小さな報道記事だったが)再度掲載された。そしたら島根の党員が噛み付いてきた。国民連合政府は消えていない、と。私を妄想と妄言のデマ分子として攻撃してきた。私は丁寧に反論した。からその日以来 since であるわけがないではないか、と。英文法でいう未来完了進行形のような文を誰が書くものか。然しこの高学歴低脳カルトは聞く耳を持たなかったのだ。要は党批判を許さない、国民連合政府批判を許さないという一点で凝り固まっていた。それからずっと低脳の嫌がらせが続いた。


  最近1ヶ月も、意味のない国民連合政府の6字が赤旗を舞った。なにも実質を伴わない空虚の6文字が熱病の如く赤旗をさまよった。


  然し12月03日の志位委員長記者会見(野党調整不調でも自主的に候補取り下げも)以来、共産党も 国民連合政府のスローガンを正式に降ろしたのだろう。昨日の赤旗にも、今日の赤旗にも、国民連合政府の文字はない。あるのは「野党は共闘」 と 「野党統一候補」 と 「2000万人署名」 ばかりである。


  これに替わってさりげなく登場したのが党副委員長・浜野忠雄 『民主連合政府をめざして』 の書籍広告である。これを偶然と見るのでは共産党ウオッチャーは務まらない。ぜったいに偶然ではない。国民連合政府が花盛りのときに、新日本出版社の広告原稿を赤旗の広告部がそのまま掲載することはあり得ない。もし掲載したら責任問題だろう。そこらはよくできているのだ。ポカはない。


 今回の 『民主連合政府をめざして』 の書籍広告は国民連合政府撤収の強力なシグナルである。こんなことを党外の私が書かなくても、ふつうにモノが見える党員はとっくに気がついているだろう。そもそもふつうにモノが見える党員ははじめから国民連合政府のことなどスルーしているのだ。河田正一市議団長がそうであったように。まあ、偏差値のちがいがあるから林じゅん市議のこれまでは仕方がないだろう。しかし今日から後はしっかり政治対応しんさいよ。これからは民主連合政府で行くんだ。


  余談だが党執行部三役のうち志位委員長と山下書記局長以外では、副委員長5人中の小池ばかりが露出していた。引退間際の市田と飾り物の広井暢子を除いて、緒方靖夫と浜野忠夫は殆んどオモテに出ていない。緒方は国際分野、浜野は組織関係の元締めだから当然といえば当然だが、私は彼らは初めから国民連合政府に批判をもっていたと見ている。それから山荘の主だが、私は巷でいわれているほど影響力はないと思う。マル・エンの修辞的研究だけが生きがいで、現実政治とりわけ政局などには無関心なのではないか。

  もう2つ余談だが、石村とも子の実質の仲人は市田忠義ではなかったのか。・・・中途は省略・・・。私はこれはこれで円く収まってよかったと思う。メンツはたった。それから市議の竹永さんが市田のFacebookを引いている。ここには立命館閥も登場するが、実務家・市田の素顔も反映されて私は好感を持った。ただし竹永がさんの引用にはやや事大的な匂いを感じた(これだけでは誤解を生むかもしれないから、ちょっと加える。親戚に大物いるのを誇ってよい。そのエトロコ取りをするな、という事だ。負の遺産も引き受けなければならない。例えばシベリア抑留帰りのコミュニストの親戚の場合でも。それがデケンのなら、いっそ書かないほうがよいだろう)。


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  再録


古本屋通信    No 1504    6月30日

   浜野忠夫 『民主連合政府をめざして』



  きのう岡山平和書房へ行って表題の本を買ってきた。今年はじめに刊行されていたそうだが、私が知ったのは先日の赤旗の書籍広告によってだ。すぐに平和書房に行ったのだが、一昨日は閉まっていた。やっと入手出来てホッとした。

 店主の I 木さんは一昨日は高梁市で開催された岡山県母親大会に(本を売るために)参加したそうだ。  「300人くらい集まりましたか?」 I 木 「いやいや、600人集まったよ」  「へ~え、すごい」。 岡山の婦人運動は最盛期の勢いを失っていない。少し老齢化しているけれど、高梁の田舎に600人集める組織力は大したものだ。


  それはそうと、この本は超おもしろい。読み始めたばかりだが保証する。全国地区委員長(県委員長も)会議での浜野の講義を書籍化したものだ。まだ50頁しか読んでいないが、グイグイ引きこまれてしまった。しかし一気に読むと目が持たない。我慢して中断して、この記事を書いている。

 まあ、これだけのこと(組織課題のこと)を書けるのは浜野しかいないということだろう。その浜野とて70年代初めには滋賀県の一常任活動家に過ぎなかった。今では浜野がいなかったら共産党の全国組織、とりわけ中央委員会は立ち行かないだろう。

 この本の感想と云おうか、書評は追々書くが、それより超おもしろいのは巻末の資料である。第8回大会を起点にあらゆる党勢の指標(党員数、機関紙読者数、議員数など)が都道府県別に網羅されている。最近は赤旗にもこういう統計は載っていない。だから超刺激的だ。

 しかし如何せん、豆みたいな活字なのだ。転記する気にはなれない。それ以前に自分で見る気にもなれない。誰かがフィルム写真で撮影して、拡大して見れるようにしてくれれば助かるんだが、まあ他人に期待しないでオイオイ文字化して行く積りである。期待しないで待っといてください。


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   資料④ 各年代の党勢の変化
  
(1961年の第8回党大会時現勢を100とした各党大会時現勢の指数)

   党員
  60年代(11大会)70年代(15大会)80年代(19大会)90年代(22大会)00年代(25大会)10年代(26大会)
全国  321     493       527      439     462      347

   赤旗日刊紙
  60年代(11大会)70年代(15大会)80年代(19大会)90年代(22大会)00年代(25大会)10年代(26大会)
全国  383     681       513      332     243      213

   赤旗日曜版
  60年代(11大会)70年代(15大会)80年代(19大会)90年代(22大会)00年代(25大会)10年代(26大会)
全国  573    1,191       988      695     503      428
   
   党員
  60年代(11大会)70年代(15大会)80年代(19大会)90年代(22大会)00年代(25大会)10年代(26大会)
岡山  209     373       454      380     490      374

   赤旗日刊紙
  60年代(11大会)70年代(15大会)80年代(19大会)90年代(22大会)00年代(25大会)10年代(26大会)
岡山  218     605       461      271     189      165

   赤旗日曜版
  60年代(11大会)70年代(15大会)80年代(19大会)90年代(22大会)00年代(25大会)10年代(26大会)
岡山  250     1,061       891      610     402      335
   
 
  古本屋通信

 ひとこと短評。1961年の8大会時にはトコトン少なかったのを、60年代のたたかいを通じて11大会(1970年7月) 迄に3.2~5.7倍と驚異的に伸ばした。これが私の党員時代だ。70年代15大会までは更に伸びるが、これは60年代のたたかいの余波である。1972年の新日和見主義事件が大きな 「転換期」 だった。たしかにその後も数年間は伸び続けた。だから議会主義的純化は党勢拡大にプラスだったとの評価もあった。しかしそれは数年で脆く崩れ去った。

 私に言わせると11大会時、つまり1970年7月を起点に一覧表を作り直したらよい。その後にも一進一退はあったが、45年間で党員数は微増、赤旗日刊紙は半減に近く、赤旗日曜版も3割減である。

 これを最高時の15大会時(1980年2月)を起点にすれば党勢の激減はもっとハッキリする。つまり党員数で3割減、赤旗日刊紙は三分の一以下、赤旗日曜版も実に6割を失っている

 浜野が触れようはずもないが、これは党方針の根本的な誤りから来る激減である。つまりブルジョア議会主義の誤りから結果した激減なのだ。それはそうだろう。大衆闘争をたたかわない、選挙以外を禄にやらない、それで党員が増えようはずはなく、赤旗を購読してくれといってもブル新聞の拡販と変わりはない。党員は嫌気がさして疲弊して離党していく。その絶えざる悪循環の45年間であった。

 浜野がいみじくも正しく指摘しているが、たとえ今回の戦争法を阻止できたとしても、現在の党勢では絶対に民主連合政府は樹立できない。

 ただひとつ重要な点を加えておこう。たたかいを通じて巨大な百万の党を建設しなければならない。しかし (デボーリン氏がそれなりに正しく言っているように) いまのガタガタの党員では話にならない。端的には崎本レベルの党員である (いくら何でも石村クラスや宮本岳志クラスは殆んどいないだろう)。こういう党員には少なくとも引っ込んで貰わなくてはならない。マルクス・レーニン主義 (科学的社会主義) による再教育をしなければならない。

 まあ今日はこれで終わりとしようか。

  1. 2015/12/06(日) 08:12:17|
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