古本屋通信

改稿・こういうデタラメな文が

古本屋通信     No 1628   9月28日

   改稿 ・ こういうデタラメな文がよく書けるな。



  石崎徹氏の最新の記事を転載する。


  「わたし」が主語になった
 雑文 - 2015年09月25日 (金)  石崎徹の小説
 今回の運動に触れながら、五野井郁夫は1968年「パリ五月革命」との共通性を示唆している。その「体制転換なき革命」とも呼ばれる運動は「必ずしも政権を取らず、体制転換もせず、けれども決定的にその後の人々のものの考え方には影響を与え」た。それは政治運動というより文化運動であった。そして優れた劇を観終わったとき、観客が、観る前とでは世界がすっかり変わってしまったと感じるように、その参加者の「内面」も「価値観」も変えてしまうような運動だった>
 きのうの朝日紙上の高橋源一郎による論壇時評に、「現代思想10月臨時増刊号」の五野井郁夫を引用しながら書かれている言葉である。
 高橋源一郎はいまぼくが最も共感できる言論人だ。月一回の論壇時評は、高橋が、いろいろユニークなところを探し歩いて、それぞれ個性的な人々の言葉を拾い集めてくる。いわゆる論壇にこだわらない選択をする。今回高橋は、同じ「現代思想臨時増刊」のなかからだが、SEALDsに参加した一人の若い女性の言葉を紹介し、<「わたし」が主語になった>と書いている。
 日本にも70年前後に学生たちの運動があった。その運動家たちの主語は「われわれ」であり「わたしたち」だった。だがその運動は決定的に敗北し、影響力を失って、ただ団塊世代の郷愁のなかにのみ細々と生き延びる存在となった。もはや日本で若者たちが立ち上がることは決してないのではないかと思わせるような状況が続いてきた。
 それが変わるかもしれないという兆しを見せている。もちろんいま時代は変わった。振り返ってみれば40年前の日本の運動はまだどこか後進国的な運動だった。いま、新しい時代の若い人々が新しいスタイルで動き始めた。それが主語を「わたしたち」から「わたし」に変えた。スタイルが違えば当然内容も違う。それは「いま」という時代が要求する主語なのだ。
 ぼくが吉良よし子に注目したのも、彼女が「わたしたち」で語らず、「わたし」で語ったからである。世の中は徐々にだが、動き始めている。




  古本屋通信 
 ここまで来ると詐術による立派な詐欺文であろう。しかしこう云うペテンに引っ掛からない特別な「知性」があるわけではない。つまり詐術には事実を対置して欺瞞を暴くしかなかろう。

 自論の冒頭にブル新聞の記事を配置する、その文は他人(高橋源一郎)の文の断片であり、しかも引かれているのは別人(五野井郁夫)の文の断片である。こういう手法が絶対に許されないというわけではないが、普通は詐術を警戒する。

 案の定である。五野井郁夫の地の文も、それを引用した高橋源一郎も。はたまた三重コピーの石崎氏も、その基本認識が恥しいほど低脳である。こんな認識は少なくとも45年前の1970年にはクリアーされていた。

 1960年代後半ヨーロッパを吹き荒れた 「スチューデントパワー」 を一括して論じることには無理があるが、それでも大雑把に言えば、既成の政治勢力・党派に領導されない学生たちの自主的立ち上がりを特徴としていたことは事実であろう。しかし大衆運動の盛り上がりとは本来そうしたものだ。それが革命党派の運動と調和することもあれば、互いに反りあうこともある。

  その「体制転換なき革命」とも呼ばれる運動は「必ずしも政権を取らず、体制転換もせず、けれども決定的にその後の人々のものの考え方には影響を与え」た。それは政治運動というより文化運動であった。そして優れた劇を観終わったとき、観客が、観る前とでは世界がすっかり変わってしまったと感じるように、その参加者の「内面」も「価値観」も変えてしまうような運動だった

  これは結果的にそう言えないでもない側面があったにせよ、あくまで結果であった。そういうものを目指した運動ではなかったし、「文化運動」などでは全くなかった。明らかに体制変革、というより現存する目の前の政権を打倒する運動であった。然しそれは多くの場合挫折した。五野井のペテンは(そしてそれを引用する高橋のペテンは、さらに朝日と高橋と五野井をトリプル引用する石崎氏のペテンは)本来運動が目指した目標が達成されなかった失敗を、後から美辞麗句でもって賛美している点にある。なぜ運動が挫折したか。これは単純には言えないが、大衆運動が政治党派に収斂されなかったからだろう。つまり自主的な運動がプチブル的な限界にとどまったゆえだ。ここらの認識も低脳たちはまるで逆の筈だ。彼らは聞く耳を持つまいが、これは褒め上げるようなものではなく、限界性こそ指摘されるべきであろう。政治目標を達成できなかったのだから。

 ああ、馬鹿丁寧に書いてしまった(反省)。こういう事は既に45年前に常識だったのだ。

 これはヨーロッパの「スチューデントパワー」に影響を受けた日本の全共闘運動を見れば明らかである。私は全共闘派の運動は殆んど新左翼党派の運動だと思っているが、日本の全共闘について、今回五野井郁夫が、そして高橋源一郎が書いている事と全く同じことを書き、それをキャンペーン化したのが当時の朝日の全共闘称揚だった。まあ、救いがなかったナ。当時は 『朝日ジャーナル』 を読んで全共闘に加わった者もいた。そういう部分が一番に脱落した。学生運動の「流行」が終るとサッサと身を引いてしまった。ちょうど石崎氏のような人たちで、自己批判がなく全て他人が悪いのである。最もハレンチで軽蔑された人たちである。「左翼」崩れであった。

  朝日は何の事はない。半世紀のちに同じ低脳を繰り返しているのだ。だいたい朝日に書かせて貰える文筆業者がラディカリストであるわけがなかろう。今回の反戦争法のキャンペーンでもそうだった。ここまでが一般論だ。

  以下、石崎氏の究極のデタラメ。「われわれ」と「わたし」。まず全共闘運動はアジ演説の冒頭の言葉は「われわれが」だったが、個人の自立(これ自体プチブル的)を運動の理念にしていたのだから、内実は「わたし」だった。これはヨーロッパも日本も同じだったろう。
その運動家たちの主語は「われわれ」 であり 「わたしたち」 だった。だがその運動は決定的に敗北し、影響力を失って、ただ団塊世代の郷愁のなかにのみ細々と生き延びる存在となった 石崎徹ちんぷん低脳語録

 
まあ、無茶苦茶だね。68~70年の闘争が行き詰ったのは運動が個の原理に立脚しなかったからだという超デタラメ。事実はむしろ正反対だったろう。マルクス主義に立脚しない小ブル急進主義、すなわち個の原理を止揚する革命的共産主義を運動がわがものにできなかったからだ。運動の末端で金魚のフンをしていた自分を傍観者に設えてよく言えたものだ。

 「われわれ」と「わたし」。自立した個、つまり 「わたし」 は社会的存在としてしか政治と関われない。それは集団の中に個を埋没させることを意味しない。「わたし」は「われわれ」の部分としてしか社会的に存在しない。何でこんな小学生向けのことを書かなきゃならんのだ。

 石崎氏の最後は天然記念物である。どんなによい小説を仕上げても、この白痴文が小説家石崎を殺すワナ。吉良よし子も妙な惚れられ方をしたもんだ。叶わんな。まあ、志位が悪いという事にしておこうか。

・・・もはや日本で若者たちが立ち上がることは決してないのではないかと思わせるような状況が続いてきた。それが変わるかもしれないという兆しを見せている。もちろんいま時代は変わった。振り返ってみれば40年前の日本の運動はまだどこか後進国的な運動だった。いま、新しい時代の若い人々が新しいスタイルで動き始めた。それが主語を「わたしたち」から「わたし」に変えた。スタイルが違えば当然内容も違う。それは「いま」という時代が要求する主語なのだ。
 ぼくが吉良よし子に注目したのも、彼女が「わたしたち」で語らず、「わたし」で語ったからである。世の中は徐々にだが、動き始めている  石崎徹ちんぷん低脳語録


  最後に一言。シールズなんてゴミよ。こういう形態をとらざるを得なかったのは本人たちの責任ではないが、結局なんにも無かった。権力はちっとも恐れていません。
 ゴミと書くとまたイチャモンをつけてくるだろう。スケールからしても運動の質から言っても、安保ブントにも全共闘にも遥かに及ばなかったという事だ。そもそも私は安保ブントも全共闘も全く評価していない。全共闘といえば東大全共闘は構内で三島由紀夫をよんで公開討論会をやった。左翼ではなかった、究極のイカレポンチであった。

 高橋も五野井も売文だから、朝日の読者ニーズに合わせて毒にも薬にもならない低脳文を書いて原稿料稼ぎだ。低脳には違いないが、産経から注文が来れば別の文を書くだろう。石崎さんとはちがう。まあ、朝日などを本気で読むヒマがあったら、産経の方がまだ勉強になるゾ。 
  1. 2015/09/28(月) 04:06:21|
  2. 未分類