古本屋通信

ブル新と新聞労働者

古本屋通信  No 176  4月8日


  ブル新と新聞労働者

 書こう、書こうと思いながら先に延ばしてきた表題の「ブル新と新聞労働者」について手短に書く。
 ブル新はブルジョア新聞の略であり、その名のとおり資本家の利益のために存在する御用新聞である。その本質は資本主義が続くかぎり変ることはない。ブル新が人民新聞になることはない。ブル新は人民の敵である。
 それでは新聞労働者(記者をふくむ)はどうだろうか。敵であろう訳がない。味方も味方、労働者そのものなのだ。それでは、新聞労働者たる記者が、その力をたくわえて、御用記事ではなく人民の側に立った記事を書くことはできないのだろうか。良心的な記者はそのために努力しているのではないか。
 その部分はたしかにある。しかし、編集権は新聞資本(経営者)にある。部分的に新聞労働者の編集権を認めた判決もあるが、まず無理だ。だって資本主義社会なんだから。努力は、体制擁護の範囲内でなら、ほんの少しだけ報いられることがあるかもしれない。しかし現実的にはほとんど無理だろう。
 うちの古本屋には、新聞はじめマスコミ・出版で働きたいという学生がよく来る。そして実際に就職した者もこれまでに10人程いる。みんな優秀だ。本のことだけでなく、業界のことも話す。私もこの業界の事は比較的よく知っているが、みんな幻想をもっていない。ときどき頭でっかちで足もとがフラついている学生がいないでもない。私は「あんた、新聞労働者になるんだろ。ジャーナリスト? そんなもん、いまは何処にも存在せんゾ」と言う。

 働きがいのある職場をもとめて就職活動をする、それは大切なことだ。だがもう一方で、いまの世の中、労働は賃労働であり、強制された労働であり、奴隷労働であることは知らねばならない。
 そして、賃労働、強制された労働、奴隷労働に従事する階級こそ新しい時代の中心的な担い手なのだ。マルクスはまったく古くなっていない。もちろんマルクス主義は古くなっていない。レーニンの国家論だって、一部を除いて、いま尚有効だ。
 最後に。未来の若い新聞労働者に、私が敬愛する詩人・坪井宗康の詩集『その時のために』の中の一編を送る。

その時のために   
ー故足立昌弘君へ    坪井宗康
 
その時がきたら 
号外を出そう
一面には人民共和国樹立の宣言を
二面には喜びにわく市民の表情を
簡潔な記事と
写真入りで

記事はぼくが 
写真はおれが 
活字はわたしらが
大組みはおれたちが

口ぐちに言い争う車座の隅から
諸君! と君は言った
紙型を輪転機にかけて最後に刷り上げるのは 
このわしじゃということを
わすれるなよ

その時が来たらと
ぼくらの夢を語り合って二十五年
その時のためにと
あるものたちは党の専従に
あるものたちは党の議員に
あるものたちは平和運動に
あるものたちはずっと社内でがんばって
いまここに一堂に会した

頭が薄くなったり白くなったりしてはいるが
デスクも取材記者も
カメラマンも整理記者も
活字工も印刷工も
みんな揃っているというのに
輪転機のキャップの
君がいない

君はどんな、
その時を夢みたろうか
その時君の体をゆさぶる輪転機の唸りを
その時輪転機がくり出すインクの香りを
君はどんなに夢みたろうか
その時のために
すすんで党の専従となり
県党の機関紙、財政、選挙の責任者を歴任し
激務のなかで五十歳の命を燃やしつくした
足立っつあんよ

安らかに眠ってくれとはいうまい
ぼくらの中によみがえり
ぼくらの手足を動かし
ぼくらの心を燃え立たせて
ともに生きてくれ
ともにたたかってくれ

ともに夢みた
その時のために   84年11月 故足立昌弘氏一周忌に寄せて
  1. 2013/04/08(月) 03:49:33|
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