古本屋通信

高校野球の思い出

古本屋通信    No 1565   8月17日

  
 高校野球の思い出



  いまの労働者の職場の詳細は知らぬが、1970~1980年代の職場はギャンブルが花盛りだった。私のいたF書店もそうだった。主なものは麻雀、競輪、ボートで、そのいずれもやらず「趣味は読書だ」というのでは仲間に入れて貰えなかった。私は麻雀をせず競輪だった。当時まだゴルフは誰もやらず、賭けゴルフが流行ったのは私が退職して後であった。

 これらのギャンブルは年中絶えることなく続いたが、これとは別にシーズン賭博として高校野球賭博があった。やり方の詳細は省くが、春夏の甲子園大会では必ずやった。組み合わせの発表があったら即座にハンディー表を作成して、それを半ば公然と職場に廻すのである。一試合ごとの勝敗は云うに及ばず、連勝単式、連勝複式、その他あらゆる投票方式があった。男子の殆んどが乗った。職制も乗った。社長はさすがに乗らなかったが、「(職務時間中に) やっても構わないが、俺に見えないようにやってくれ」 と公言していた。私が乗らなかったのは高校野球情報を持たなかったからだ。この賭博は一事業所にとどまらず、関連企業を横断した。つまり母体が大きければ大きいほど、払い戻しは安定した。断っておくが誰も25パーセントのショバ代は取らなかった。掛け金の総額は一シーズンで数十万になっただろう。月給が 5万円の時代だ。
この項は既に30年以上前で時効だから書いたが、こういう遊びは当時じつに多くの職場でされていた。暴力団の資金源になる場合を除いて検挙された例は殆んどなかったろう。賭け麻雀と一緒だ。但し例外は別件逮捕というやつだ。民商の弾圧なんかには持って来いだったろう)。

  野球賭博には既にプロ野球賭博があった。しかし私の職場に限らず、流行らなかった。これは当時は暴力団絡み以外ではなかったろう。こういう恒常的な野球賭博は職場向きではなかったのだ。聞いた事もなかった。

 高校野球賭博を非難する気はない。ギャンブルというのは資本主義の職場では最大・最高の息抜きであろう。経営者も安心して推奨した。

 野球賭博と賭け麻雀はずっと続いた。しかし競輪とボートはやがてご法度になる。Sという営業担当の次長が会社の売り上げを競輪に流用したのだ。使いこみ総額は5千万を超えた。この トバッチリで、玉野競輪前売り券を業務時間中に買う事は禁じられた。

 高校野球の安心な点は八百長がない事である。次の一球がストライクかボールか、誰にも特別な情報はない。 だから賭けに適している。暴力団の資金源にはプロ野球、高校野球ともあるが、後者では暴力団員が選手や監督と「出来ている」事はありえない。

  少しずづ書いていこう。

 何時だったか、岡山大安寺高校があわや岡山県大会(予選)を突破しそうになって職員室がパニックに陥ったことは既に書いた。どうしても負けてもらわなければならなかったのである。幸い負けた。
この記事は既に消えていた。一言で云うと金がなかったのだ。岡山から兵庫の西宮までバスをチャーターしていく。応援団を含めて最低3台、その金がない。岡山でこうだ。東北から幾ら懸かるか。大震災のなか甲子園に出場したのは美談でもなんでもない。キチガイであった)。

 F書店時代の私の営業地域は四国が多かった。高校回りなのだが、進学中心の高校を回ったので、甲子園出場高校に当たることは少なかった。しかし高知県の高知学芸高校、愛媛県の宇和島東高校と今治西高校が出場した記憶がある。私はその練習と野球部員にとても関心があったので、進路指導室で突っ込んで訊いた記憶がある。その辺りの事もいつか書きたい。

 それから組合(高教組)が甲子園大会をどう捉えているかだが、あくまで流れに逆らわない方針らしい。野球部も他の文化部・運動部も変わらない。その県大会と全国大会も同じという考え方だ。私は全ての部活動において全国大会を禁止すべきだと思うが、高校現場にしてみれば、長い歴史のうえにある今を急に変えることには消極的だ。しかし負担は感じている。



  1. 2015/08/17(月) 07:43:23|
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