古本屋通信

国民文庫と青木文庫

 古本屋通信  No 168  4月2日

  
 国民文庫と青木文庫

 現在、朝7時だ。昨夜から今までかけて店の国民文庫と青木文庫を整理して車に積み込んだ。田舎の倉庫に移すためだ。ところが雨が降り始めた。田舎行きは延期になった。時間ができたのでブログ記事、どうせなら両文庫の事を少し書こう。

 国民文庫、青木文庫ともさっぱり売れない。古本屋開店から18年、いったい何冊売っただろう? せいぜい10冊だろう。1年に1冊売れない文庫(約500冊)の棚を常設することはできない。で、撤去となった。

 まず国民文庫のことを書く。いわずと知れた大月書店の文庫。マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリン、毛沢東他。私は主要なものは18~22歳に読んだが、その後は殆んど読んでいない。全集を買ったからではあるが、その全集もほとんど使っていない。資本論の授業は2回、学習会は短期で挫折したものばかり3回やっているが、青木版ハードカバーと向坂訳の岩波版ハードカバーを使用して、国民文庫は使用しなかった。

 ここで独習以外で使った国民文庫を、記憶するかぎりだが挙げておく。すべて四国の小さな大学でだ。共産党宣言、空想から科学へ、ルートヴィヒ・フォイエルバッハとドイツ古典哲学の終結(フォイエルバッハ論)、賃労働と資本、帝国主義論、国家と革命、国家について、民主主義革命における社会民主党の二つの戦術、賃金・価格・利潤、青年同盟の任務、カール・マルクス 、反デューリング論、実践論・矛盾論、文芸講話、一歩前進二歩後退・・・・まだまだある。使用の母体は民青の班学習や夏季合宿がおもだった。哲学研究会は原典中心ではなかったが、ドイツイデオロギー、経済学・哲学手稿、唯物論と経験批判論はやった。不思議と党細胞ではやらなかった。これは細胞が忙しかったこともあるが、学習を民青の活動の中心に位置づけていたからだろう。

 ここで少し脱線する。新日和見主義問題が発生したとき、党中央が持ち出してきたのが、民青の活動で学習の比率を高めるという事だった。その後の民青はよく学習したか? これひとつとっても当時の党側の言いぶんが為にする言いがかりだったことが分るだろう。その後の民青は戦いもせず、学びもしなかった。その象徴が剽窃の広井暢子だろう。ここまで来るともはや人間としての堕落・頽廃だ。しかし広井自身にはその自覚がまるでない。そこに二重の救い難さを見る。

 国民文庫に戻る。国民文庫でよく出るものは、たいてい岩波文庫でもでている。どちらの訳がベターだということはなかろう。私はレーニンは両者の訳のちがいを気にしたことはない。しかしマルクス、エンゲルスでは大いに気にした。とくに初期マルクスのド・イデや手稿では訳がまるで違う。これはどちらがよいかではなく、ドイツ語で読めということだろう。しかしド・イデについては、ドイツ語のオリジナリティも問題になって新訳もでた。ついでだが、新潮文庫、角川文庫になっているものもある。

 国民文庫は1960年代と1970年代前半、じつによく売れた。岡山市では平和書房ではもちろん、細謹舎にも岡山初進出の紀伊国屋にも専用棚があった。買ったのは左翼運動に関わっているひとは全員が買ったが、そうでないひとも教養書として買って読んだ。三木清も、倉田百三も、マルクスも、ウェーバーも同列で読まれた。そしてそれは読まれないより遙かによいことだった。

 またまた脱線する。私は読書は社会系と文学系の両方をバランスよくやるのが望ましいと思う。一時期いずれかに偏るのは仕方がないが、一生どちらかというのは疑問だ。そして、いずれもいいものを読むことだ。それには、ウチの古本屋のようにヘンなゴミ本を置いていない本屋を見つけることだ。もう一つ加えれば「いいものを苦労して」読むことだ。マルクス文献でなくてよい。レーニンが「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」と呼んだような文献もよし、それでなくとも岩波文庫なら何でもよい。


     ちょっと休憩。
  1. 2013/04/02(火) 07:12:47|
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