古本屋通信

村井明美さんの最新記事について

古本屋通信    No 1514     7月8日

一元論的認識は状況の正確な把握を妨げ、事態の解決を遅らせる (村井明美さんの最新記事について)

  一元論とはある一つの原理で、あらゆるものを説明しようとする考え方。

 村井さんが私のブログを読んで書いたかどうか分からないが、とりあえず私は自分の仕事をしよう。私は村井さんを批判したが、これは村井さんに向けて書いたというより、村井文を材料に読者に向けて書いたのだ。さいわい当日の夜(昨夜)、以下の村井文が追加された。まず全文を転載し、その後に拙文を付すことにしたい。


 
 生徒も先生も笑顔あふれる学校に
 
2015-07-07 23:48   日本共産党福山市議  村井明美
福山の教育を守る会の事務局会議で、中学生の逮捕問題や「生徒指導規程」の問題について話しあいました。
生徒指導規程のもとに厳しい指導が行われている中学校では、教師の病気休暇や出校しても授業に出られないなど、教育に穴が開く状況が出ています。
ある、生徒を厳しく管理する中学校では、赴任1日目に「この学校ではやってゆけません」と辞表が出されたり、
生徒がやっと心を開ける先生が来てくれたと喜んでいると、その先生はパワーハラスメントで休職に追い込まれるなどの問題が起きています。
しかし、メンタルヘルスで休職するのは、個人の事情とされるそうですが、教職員が次々休職する学校って、生徒にとってはどうなのでしょう。
管理管理の教育は、子どもだけでなく教師も追い込んでいるのではないでしょうか。

私たち、教育を守る会は、8月の夏休み中に、福山市の生徒指導規程と警察逮捕の問題を、保護者、教師、PTAや地域の方々と共に語り合い考えあう学習交流会を準備して行こうと話しあいました。

兵庫県の教育は、民主教育破壊者の解放教育が吹き荒れ、八鹿高校暴力時間が起き、それを契機に解放教育は一掃されましたけど、そのあとに日の丸・君が代、管理統制教育が席巻しました。

厳しい校則の一つが、遅刻者の校門締め出しで、滑り込もうとした女子学生を重い鉄の扉が挟み込んで、死に至らしめたのです。
未だ、兵庫県の管理統制教育は是正されてはおりません。

福山市の教育も、同じ経過をたどりました。解放教育が物言わぬ教師を作り、教師の団結と民主的な関係を奪い去り、そのあとに、日の丸・君が代、管理統制教育、校長権限の強化などが持ち込まれました。

先生が次々メンタルヘルスで休職するような学校に、黙って通っている生徒の心はどうなるのでしょう。
保護者のお母さんが言いました。「先生は、休職という逃げ道があるよね。でも子どもたちに逃げ道はないからね」と。
何よりも子どもたちのために、教師が病休を次々とるような教育現場をかえたいですね。
先生も生徒も、笑顔あふれる学校に。子どもがキラキラ輝く学校に!

東日本の里山に自生する山百合です。今年は4株咲きました。
とても芳醇な香りがします。
本日は、神戸校門圧死事件が起きた日だということです




  古本屋通信 

 まず 「福山の教育を守る会の事務局会議」 で話し合われたことを評価したい。これは一元論的認識に陥る危険の防波堤になるだろう。

 しかし他の文言はあいかわらず一元論の満開である。まるで村井さんの庭に咲いた花のように満々開だ。

 一口に言うと、福山の厳しすぎる生徒指導規程と教育委員会当局 (突き詰めれば政府自公政権)が諸悪の根源という訳である。これ自体は大きく誤った認識ではないだろう。しかしこれを一元論的認識という。偏った認識というより、何一つ解決策が見えてこない認識である。

 書かれていることのデタラメ、いや偏りを一つずつツブして行こう。

 「生徒指導規程のもとに厳しい指導が行われている中学校では、教師の病気休暇や出校しても授業に出られないなど、教育に穴が開く状況が出ています」

 サッパリ意味が通らない。厳しい指導をすると教師は病欠? そりゃあ、生徒が校外で問題を起こし担任が駆けつければ授業はでけんワ。これが「教育に穴」? そんなことは昔も今もあるだろう。生徒指導規程の厳しさとは何の関係もない。


 「ある、生徒を厳しく管理する中学校では、赴任1日目に 「この学校ではやってゆけません」 と辞表が出されたり ・・・」

 ええ加減にせえ。どこのどういう教師か知らんが、新採用なら厳しい採用試験に合格して採用されただろう。転任なら転勤校の予備知識があって当然。新婚初夜に 「こういうことをするなら一緒に生活できません」 と言う新妻がいるのか?

 パワーハラスメントの問題は単純ではない。厳しすぎる職場環境と密接な関係はあるが、一概に連動しているとも断定できない。私はセクハラ、パワハラとも、その定義が曖昧であり、領域の拡大もあると思う。ある小学校で若い女性教師が教頭にセクハラ or パワハラを受けたと言う。ふつう組合分会に持ち込むべき問題だが、組合がないので仕方なく共産党支部または共産党市議団に持ち込まれたとする。ああそうですか、教頭が悪い、または管理規則が悪いとなるか。絶対にそうはならない。長期にわたって調査し、双方が納得する解決策を見出さねばならない。簡単に刺身のツマのように書くべきではない。

 メンタルヘルスの問題は教職員の職場では近年特に深刻である。 「教職員が次々休職する学校って、生徒にとってはどうなのでしょう。 管理管理の教育は、子どもだけでなく教師も追い込んでいるのではないでしょうか」 は無責任なこじつけでしかない。

 兵庫の教育・八鹿高校事件と神戸校門圧死事件はそれぞれ教訓に充ちている。しかし短絡的に引き合いに出すべき問題ではない。福山の部落問題も同様である。これは村井さんがいちばんご存知の筈である。

 ここでお客が来たので早々に打ち切るが、要はきれいごとでアバウトなのだ。前回の拙文が完全に正しかったことを確認して打ち切りたい。


  加筆

 お客が帰ったので、少し書き足す。
 いっけん関係がない事を書く。私はお客に何時も尋ねる。

 小中高の先生で、どの学校の先生がいちばんシンドイと思いますか? どの学校が比較的楽だと思われますか?

 結果はハッキリしている。中学校の教師は地獄である。その次が小学校。高校は他の2つに比べると超ラクチンだそうな。古本屋のお客は高校教員ばかりだ(大学はもちろん多い)。他は殆んどいないが、ごくまれに小学校の教員もいる。なんと、何と、私の店の客でハッキリ中学校教員と知れている人は20年間で一人もいない。これは本当だ。高校はゆうに百人を超える。これは何を意味するのか? 中高教員で知的能力に本来的には大差ないだろう。つまり中学校教員はまったく本を読まないのだ。これは必要がないからではない。読む余裕がないのだ。

 村井さんだって、過去にしばしば教研集会に参加しただろう。中学校教師の過酷は本質的に思春期の生徒を指導するシンドサである。だから学級定員を少なくして教師の負担を減らさねばならない。そして重要なことだが、民主的管理を確立しなければならない。極端なことを書こう。民主的管理さえ確立すれば教師は楽なのだ。大抵のことは生徒集団が自分たちでやってくれる。これは集団主義もそうだが、そうでない例として大学附属中学校の例がある。私は高松市の附属中学校に6週間教育実習に行ったが、まあ見事に管理されていた。私は褒めも貶しもしない。しかし一定の条件さえあればこういう教育もあるのだと思った。これは管理主義教育とはいえないだろう。

 警察権力の導入が問題になっている。私は安易な導入に反対である。しかし何時如何なる場合にもとは言い切れない。この点で村井文に無責任さを感じた。我が家から至近距離に石井中学校がある。1キロ先に桑田中学校がある。いずれも中に入ったことはない。外から45年間見てきた。波はある。しかしハンパじゃあない。それは自分の中学時代を振り返っても納得する。これは本質的に生徒指導規程の問題などではない。それは枝葉末節である。きれいごとも無効である。たたかいである。教師と生徒の真剣なたたかいだ。なだめたり、すかしたり、ときに威圧したり。つまりたたかいを止めて逃げたら負けである。ここには教育委員会が出る幕は殆んどない。日本共産党市議団が出る幕もない。だから教育への外部からの介入は避けなければならない。
  1. 2015/07/08(水) 12:59:49|
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