古本屋通信

浜野忠夫『民主連合政府を・・・』

古本屋通信    No 1504    6月30日

   浜野忠夫 『民主連合政府をめざして』




  きのう岡山平和書房へ行って表題の本を買ってきた。今年はじめに刊行されていたそうだが、私が知ったのは先日の赤旗の書籍広告によってだ。すぐに平和書房に行ったのだが、一昨日は閉まっていた。やっと入手出来てホッとした。

 店主の I 木さんは一昨日は高梁市で開催された岡山県母親大会に(本を売るために)参加したそうだ。  「300人くらい集まりましたか?」 I 木 「いやいや、600人集まったよ」  「へ~え、すごい」。 岡山の婦人運動は最盛期の勢いを失っていない。少し老齢化しているけれど、高梁の田舎に600人集める組織力は大したものだ。



  それはそうと、この本は超おもしろい。読み始めたばかりだが保証する。全国地区委員長(県委員長も)会議での浜野の講義を書籍化したものだ。まだ50頁しか読んでいないが、グイグイ引きこまれてしまった。しかし一気に読むと目が持たない。我慢して中断して、この記事を書いている。

 まあ、これだけのこと(組織課題のこと)を書けるのは浜野しかいないということだろう。その浜野とて70年代初めには滋賀県の一常任活動家に過ぎなかった。今では浜野がいなかったら共産党の全国組織、とりわけ中央委員会は立ち行かないだろう。

 この本の感想と云おうか、書評は追々書くが、それより超おもしろいのは巻末の資料である。第8回大会を起点にあらゆる党勢の指標(党員数、機関紙読者数、議員数など)が都道府県別に網羅されている。最近は赤旗にもこういう統計は載っていない。だから超刺激的だ。

 しかし如何せん、豆みたいな活字なのだ。転記する気にはなれない。それ以前に自分で見る気にもなれない。誰かがフィルム写真で撮影して、拡大して見れるようにしてくれれば助かるんだが、まあ他人に期待しないでオイオイ文字化して行く積りである。期待しないで待っといてください。



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   資料④ 各年代の党勢の変化
  
(1961年の第8回党大会時現勢を100とした各党大会時現勢の指数)


   党員
  60年代(11大会)70年代(15大会)80年代(19大会)90年代(22大会)00年代(25大会)10年代(26大会)
全国  321     493       527      439     462      347


   赤旗日刊紙
  60年代(11大会)70年代(15大会)80年代(19大会)90年代(22大会)00年代(25大会)10年代(26大会)
全国  383     681       513      332     243      213


   赤旗日曜版
  60年代(11大会)70年代(15大会)80年代(19大会)90年代(22大会)00年代(25大会)10年代(26大会)
全国  573    1,191       988      695     503      428
   
 
   党員
  60年代(11大会)70年代(15大会)80年代(19大会)90年代(22大会)00年代(25大会)10年代(26大会)
岡山  209     373       454      380     490      374


   赤旗日刊紙
  60年代(11大会)70年代(15大会)80年代(19大会)90年代(22大会)00年代(25大会)10年代(26大会)
岡山  218     605       461      271     189      165


   赤旗日曜版
  60年代(11大会)70年代(15大会)80年代(19大会)90年代(22大会)00年代(25大会)10年代(26大会)
岡山  250     1,061       891      610     402      335
   
 
  

  古本屋通信

 ひとこと短評。1961年の8大会時にはトコトン少なかったのを、60年代のたたかいを通じて11大会(1970年7月) 迄に3.2~5.7倍と驚異的に伸ばした。これが私の党員時代だ。70年代15大会までは更に伸びるが、これは60年代のたたかいの余波である。1972年の新日和見主義事件が大きな 「転換期」 だった。たしかにその後も数年間は伸び続けた。だから議会主義的純化は党勢拡大にプラスだったとの評価もあった。しかしそれは数年で脆く崩れ去った。

 私に言わせると11大会時、つまり1970年7月を起点に一覧表を作り直したらよい。その後にも一進一退はあったが、45年間で党員数は微増、赤旗日刊紙は半減に近く、赤旗日曜版も3割減である。

 これを最高時の15大会時(1980年2月)を起点にすれば党勢の激減はもっとハッキリする。つまり党員数で3割減、赤旗日刊紙は三分の一以下、赤旗日曜版も実に6割を失っている

 浜野が触れようはずもないが、これは党方針の根本的な誤りから来る激減である。つまりブルジョア議会主義の誤りから結果した激減なのだ。それはそうだろう。大衆闘争をたたかわない、選挙以外を禄にやらない、それで党員が増えようはずはなく、赤旗を購読してくれといってもブル新聞の拡販と変わりはない。党員は嫌気がさして疲弊して離党していく。その絶えざる悪循環の45年間であった。

 浜野がいみじくも正しく指摘しているが、たとえ今回の戦争法を阻止できたとしても、現在の党勢では絶対に民主連合政府は樹立できない。

 ただひとつ重要な点を加えておこう。たたかいを通じて巨大な百万の党を建設しなければならない。しかし (デボーリン氏がそれなりに正しく言っているように) いまのガタガタの党員では話にならない。端的には崎本レベルの党員である (いくら何でも石村クラスや宮本岳志クラスは殆んどいないだろう)。こういう党員には少なくとも引っ込んで貰わなくてはならない。マルクス・レーニン主義 (科学的社会主義) による再教育をしなければならない。

 まあ今日はこれで終わりとしようか。

  1. 2015/06/30(火) 05:12:24|
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