古本屋通信

つれあい発、田村智子

古本屋通信    No 1489   6月22日

 
  つれあい発、田村智子



  晩飯を食って店に出てきた。10分で記事を書く。

 私はテレビを観ないので、その情報はつれあいの一言二言に依存する。

 「あんた、田村智子、ええなあ。国会質問、全くスキがなかったよ」

 「そうか、そんなによかったか」

 「ええわ、何を言われても即座に切り返してた」

 「秘書の書いた原稿の棒読みだと、すぐにわかる。まあ、田村が成長株の筆頭だろうよ」

 「高橋千鶴子も悪うないんよ。でも、どこかオットリしとる」

 「どっかの駅弁大学じゃったな。わしらといっしょじゃ。よう頑張っとる。けど早稲田の文学部は何と言っても下地が違う」


 私は学歴主義者ではないけれど、学歴は大切だと思っている。そういう思考があるからか、いつの間にか周囲の付き合いは自分より高学歴が多くなってしまった。あるいは全く大学などと縁のないブルーカラーだ。私にとって両極端が好ましい。

 それは措いて、共産党の議員や専従に学歴は不要だが、それに相当する基礎学力は不可欠であろう。私は付け刃で尤もらしいゴタクをならべる輩をもっともきらう。それがいまいちばん顕れているのが戦争法案に対する発言だろう。モト右翼の姐チャンがそれだ。

 田村智子も最初ガタガタだった。勉強して盛り返した。しかしその背後には学歴があった。これは吉良佳子も変わらない。きっと良くなる、それが私の確信だ。

 京大卒の藤野がミソをつけた。これは傲慢になったためである(思ってもいないことを大衆迎合して言うな。コレ大衆蔑視、すなわち傲慢)。謙虚さに欠けていた。高学歴は仇になった。東大教育学部卒の宮本の国会質問は出色だった。この辺は微妙である。

 10分が過ぎた。こういう調子でブログの記事を書く。早くも涙目になってきた。さようなら。





  翌朝2時に店に出て追加する。

 元東大民青氏、改めデボーリン氏へ。
 日本共産党批判はかくやるべきである。よいはよい、悪いは悪い。個々具体の人物、具体のケースに即してやるべきである。上記の田村、高橋、藤野、宮本徹の4人は全て不破綱領の賛成者だから等しくダメなのか? そういう認識もあろう。なら具体について議論する必要はない。全部ひっくるめて打倒すべきである。そういう政治党派で活動すべきである。なければ自分でつくればよい。それがマルクス主義者であろう。そういう気がないのに坂井がダメだの、吉良や池内(私は近々に池内のヘイト論を批判する予定である)は低レベルだから話が通じないなど、よっぽど彼女たちが好きだと見える。いや、よっぽど気になると見えると訂正しておこうか。そう勘ぐられても仕方がなかろう。文句があれば、(ここでは投稿は受け付けないから)石崎さん所の投稿されたらよい。石崎さんの対応に注目しておこう。

 それから 「帝国主義戦争を内乱へ」 だが、観念的に捉えてはならない。いま具体を想定すること自体が観念論の謗りを免れないだろうから、サワリだけ。自衛隊の出動となった段階で、反戦の呼びかけをする。ギリギリのところでこれに応じる自衛隊員は出る。それを燎原の火のごとく拡げることは必ずしも夢物語ではない。叛乱である。総叛乱である。すなわち命令系統が無効になっているのだから叛乱=内乱である。問題はこのときの党の指導部である。坂井希委員長なら的確な対応が出来る。そう言ったまでである。まあマルクス主義にとって軍事論は重要な分野なんだが、これは遠慮しておこうか。軍隊内部の組織問題もからむ。
  1. 2015/06/22(月) 19:55:31|
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