古本屋通信

アマゾン反日共の三羽烏

古本屋通信    No 1460   6月01日

  アマゾンレビューの 「反日共」 三羽烏


  アマゾンに新しい書評が掲載されたのでそれを少し批判しておく。このサイトには根強い 「反日共」 の方が3人おられる。zyxさんと、カスタマーさんと、今回の不良塾講師さんである。3人とも日本共産党を目の仇にしておられ、日本共産党とあらば一刀両断に切り捨てられる。その切り口は鮮やかなのだが、やや乱暴でもある。私はzyxさんには親しみを感じるが、あとの2人には反論したい衝動に駆られる。カスタマーさんについては既に通信 No1341 低脳の 『十二年の手紙』 (宮本顕治・百合子) 評で批判している。今回は不良塾講師さんを批判する。ただしアマゾンレビューの文を批判する場合には、反論はこの板で受けない。斬って捨てているのだから、当方も斬って捨てるのみである。論争の余地はない。


しょせんは代々木スターリニスト官僚
2015/5/23
   不良塾講師
レビュー対象商品  戦後左翼たちの誕生と衰亡 10人からの聞き取り
川上徹が査問 (ちくま文庫)を刊行した時、多くの人々(主に元日共や日共「批判的」党員)がこれに飛びついて、党の官僚体制を批判したものだった。しかし、川上徹だってしょせんはスターリニスト官僚であって、その内部での権力争いに敗れた人物にすぎない。日共から追放された者は山ほどいるが、彼らを一つにまとめて何か新しい運動ができるわけでもない。それどころか藤岡信勝をはじめ、日共よりもさらに悪質になってしまった転向分子だっているのである。しょせんは代々木スターリニストのチビ官僚にすぎない連中に幻想を抱くのはやめよう。なお、公安調査庁のスパイであることが判明している宮崎学を登場させているのはさすが転向者といえる。日共というのは党から離れた後ですらこんなに悪臭を放つものなのだなあ。




  古本屋通信

 まあ全文がデマなんだが何処から行こうか。
 川上さんの『査問』が刊行されたとき、「元日共や日共「批判的」党員」 は誰も 「これに飛びついて、党の官僚体制を批判」 しなかった。ほんとに驚くほどしなかった。したと言うのなら一体誰がしたのか? 名前を挙げてごらん。油井は川上に反対の立場を表明した。加藤哲郎は数年後の文庫本化であとがきを書いただけだ。

 川上さんのお別れ会の実行委員を挙げておこう。これが常識的に見て「元日共や日共「批判的」党員」であることは衆目の一致するところだろう。

実行委員長 梓澤和幸
実行委員(五十音順)
秋廣道郎・朝日健太郎・池山吉之助・伊藤龍太郎・江藤正修・大窪一志・笠井青年・神山正弘・木元康博・川瀬健一・木島淳夫・斎藤邦泰 佐々木希一・佐藤礼次・沢井洋紀・宗邦洋・下山保・高野孟・高柳新・寺岡衞・平田勝・前畑博・牧梶郎・三浦聡雄・宮崎学・山崎耕一郎・山田信良・山根献・山本政道・尹義重・亘理純一


  私は全ての人の書いたものを知っている訳ではない。しかし『査問』が刊行された直後に書かれていれば、話題を呼ぶから否応なく気が付くだろう。私の知る限り、だれひとり発言していないのだ(私が知る限り、多少ともマトモな批評をしたのは第4インターと民学同系列の2文だけだった。いずれも日本共産党の党員でも離党者でもなかった。いまでも夫々のサイトで読めるだろう)。発言していないのには、それなりの理由があるのだが、それをここで不良塾講師さんに言っても仕方ないだろう。ただ彼はこの政治的潮流をまるで知らないし、知ろうともしていない。
 つぎに 「川上徹だってしょせんはスターリニスト官僚」 だが、スターリニストで結構ではないか。これは自分がトロツキストであるという告白でしかない。トロツキストにとっては自分以外みんなスターリニストに見えるんだ。1950年代後半以後のあらゆる政治的潮流はみんなスターリニストなのだ。
 「権力争い」 とは分派闘争のことだろうだろ? これこそがトロツキストの十八番だろ? 分派の自由を認めろと。いいんじゃあないか。
 藤岡信勝は東大教育学部教官だったな? えらい詳しいじゃあないか? 藤岡信勝は「日共よりもさらに悪質」? ということは、日共はまだ 藤岡よりはマシなのか? 川上さんは共産党を除籍になってんだけど、それでも 「代々木スターリニストのチビ官僚にすぎない」 のか?  
 「公安調査庁のスパイであることが判明している宮崎学」 って、何処から仕入れてきたネタなの? デマでしょうが? いちじ中核派が宮崎に疑いを懸けたけど、今じゃ何も言っていない。しかしこの言い方だと動労・松崎を起用したのもさすが転向者ということになるの? 「転向(者)」の使用法も概念も、もう出鱈目ですね。


 でも、この3人、結局3人とも同じ人でしょ? zyxさんと、カスタマーさんと、今回の不良塾講師さん。 そうそうこういう短文の名文(迷文)は書けるもんじゃありません。
 そう思ってたんだけど、次のレビュー(宮本顕治敗北の文学』)を見ると別人かもしれない。書いた時が10年以上違っていて、実のところよく分からない。判断は読者にお任せします。

5つ星のうち 1.0 まだ1円になってなかったんだ, 2013/9/22
投稿者 ZYX   レビュー対象商品: 「敗北」の文学 (1975年) (新日本文庫) (文庫)
「敗北の文学者」宮本顕治のデビュー作。まだ1円になってなかったのか。1円になったら買うつもりである。


5つ星のうち 1.0 敗北の文学者 宮本顕治, 2001/11/24
投稿者 カスタマー  レビュー対象商品: 「敗北」の文学 (新日本文庫 A 8-1) (文庫)  「敗北の文学」は、宮本顕治が初めて著わした重要著作で、「改造」の懸賞論文に、小林秀雄「様々なる意匠」を退けて当選したものである。この論文は、芥川の文学を「敗北」の文学として規定し、それを「野蛮な情熱」で乗り越えていくことを主張したものである。芥川の文学については鋭い指摘、プロレタリア文学の方法論については公式論以上のものを示していない。この著作以降、宮本は日本のプロレタリア文学運動を「政治の優位」論によって統制し窒息させていくこととなった。戦後、彼の批判精神は衰退そして死滅し、日本共産党の官僚的独裁者となった。今日からふりかえって見るに、その萌芽はすでにこの書にあらわれていた。



 古本屋通信

 「芥川の文学については鋭い指摘、プロレタリア文学の方法論については公式論以上のものを示していない。この著作以降、宮本は日本のプロレタリア文学運動を「政治の優位」論によって統制し窒息させていくこととなったはいちおう了解しよう。しかし此処から後段 「戦後、彼の批判精神は衰退そして死滅し、日本共産党の官僚的独裁者となった。今日からふりかえって見るに、その萌芽はすでにこの書にあらわれていた」 を導くのは、どう考えても無茶である。この論法こそが稚拙な 「政治の優位」論であろう。 


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  再録


  古本屋通信       No 1341  3月13日

  
  低脳の 『十二年の手紙』 宮本顕治・百合子

 先ごろ宮本百合子の同性愛について触れる機会があり、昨日は坪井宗康の手紙を文字入力した。この二つから顕治と百合子の 『十二年の手紙』 を連想した。アマゾンの書評サイトを開けたら、以下のレビューがあった。ふつうこの手の低能文は相手にしないのだが、行きがかり上、特別サービスさせていただこうか。


家父長的説教臭さ  5つ星のうち 1.0   2001/12/1
投稿者 カスタマー  レビュー対象商品: 十二年の手紙  (新日本文庫 )
この書は、宮本顕治と宮本(中条)百合子の書簡集である。この種の私的通信を堂々と刊行し、党員に読ませる宮本顕治という男の卑小さ、革命家らしからぬうぬぼれがまず鼻につく。また、内容も革命家らしからぬ家父長的説教が多く、年下であるにもかかわらず悪い意味での日本的夫婦関係である。戦後、百合子に党から選挙への出馬を打診された時、顕治は夫としての所有者意識をむき出しにしてそれを蹴っている。この自称革命家の人間としての器量は、スターリン主義政党にふさわしいものではあったが、共産主義者のそれではなかったと言えよう。



  古本屋通信

 まず戦中・戦後の文学史も、時代状況もご存知ない。いや、まんざらそうでもなさそうだ。宮本顕治憎しの一点で書いている。つまり反共、いや本人は共産主義に反対ではなさそうだから、反日共=反宮本一本である。それでもよいが、低脳はいけない。

 私の記憶では、『十二年の手紙』 はまず新科学社から3分冊で出版され、たしか出版社が潰れて筑摩書房が受け継ぎ、筑摩叢書2冊本が定着した。これはいまでも古本が溢れている。それはともかく、先行する百合子の選集や全集企画を含め、戦前の非転向者の著作や書簡や日記に出版社(出版者)が目を付けない訳がない。本人たちがいやでも出版させられた。金もないからホイホイと乗っただろう。

 「この種の私的通信を堂々と刊行」 近代文学における作家や思想家の日記や書簡集はたいてい個人全集の最終巻数巻に入っている。私的通信であるゆえに独自の光彩を放っている。まして絶対主義天皇制権力の下、非転向で戦った二人の獄中と獄外の往復書簡が日本近代文学の類い稀な成果でないはずがない。これが単なる私信の公開に見える目がどうかしている。 
 
「党員に読ませる宮本顕治という男」 これ、そういう目的は皆無だったろう。この企画がもちあがったのは百合子の死の前後だったが、党の50年分裂の時代だった。百合子の文学は党主流派(『人民文学』派)の理不尽な攻撃に晒され、それとの戦いは顕治の 『文芸評論選集』 に詳しいが、党内は 「党員に読ませる」 ような状況ではまるでなかった。私の観察では、当初の読者の圧倒的多数は非党員の、主に文学の読者だった。筑摩叢書もそれを裏づける。たぶん臼井吉見辺りの推挙だったろう。「近代文学」同人も揃って推した。

「卑小さ、革命家らしからぬうぬぼれがまず鼻につく」 そう受け止めるお前の無知と卑小さこそ鼻につく。まず、他人に読ませようと書いたものではなく、発表された部分は全体の全てではなかったろう。うぬぼれなど皆無である。

「内容も革命家らしからぬ家父長的説教が多く、年下であるにもかかわらず悪い意味での日本的夫婦関係である」 年上、年下を問題にすること自体の方が余程家父長的である。当時、この夫婦の関係はあらゆる意味で顕治がリードする関係であった。党的にもそうだったが、文学の実作者と批評という関係でもそうだった。しかしいっけん従順でしおらしそうに見える百合子に葛藤がなかった訳ではない。百合子は自分の「後家の頑張り」的な部分を自問し苦しんでいる。よく読め。

「百合子に党から選挙への出馬を打診された時、顕治は夫としての所有者意識をむき出しにしてそれを蹴っている」 当時の党主流派の言い分そっくりだが低脳。まず百合子のあの肥満の水ぶくれのような外貌をなんと知る? 非転向のまま保釈されたときから健康体ではなかった (当時の天皇制権力でさえも、あのまま獄中生活を続けさせれば病死するだろうと認定せざるを得なかった) が、当時も病気だった。しかしそれを表面には出さなかった。主流派はそれをよいことに百合子、というより顕治を潰しに掛かった。それが出馬要請だった。不可能なことが初めから分かっていて、「百合子なら当選する」 とやった。断ったら、「現代の紫式部を気取っている。労働者とかけ離れた、類い稀なプチブル作家である」 と 『人民文学』 に書かした。俗流政治主義の悪しき典型である。共産党がタレント議員の先駆けをやってよい訳がなかろう。しかし 「所有者意識」 といい、「スターリン主義政党」 といい、この辺のレッテル貼りは反共右翼と変わらない。

 まあ、この手紙ものちに奇妙な読まれ方をしたのは事実だが、いずれにしても文学として時代に即して読まないと誤読するだろう。そういう意味では、すばらしい恋愛の見本として読むのは感心しない。かなり特殊な愛のかたちだからだ。のちに共産党界隈で度外れな百合子賞揚があったのも事実である。

  この辺は中村智子の 『宮本百合子』 (筑摩書房、昭48年)を参照されたい。中村のこの本も津田孝だったかの不当な非難を浴びた。それから、この手紙中心に論難している訳ではないが、高知聰の 『宮本顕治を裁く』 (高知聰、創魂出版、昭49年) と 『宮本顕治 批判的評伝』 (高知聰 月刊ペン社 昭53年) が面白かった。よく「褒め殺し」といわれるが、この本はその逆である。つまり味噌クソに批判しているが、読んでみると宮本顕治の優位性だけが残る。さすがは革マル派の文化官僚だ。私は痛く感心したものだった。
  1. 2015/06/01(月) 04:31:01|
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