古本屋通信

戦後史認識の問題

古本屋通信    No 1445   5月25日

  
  戦後史認識の問題


  分かりやすい日本語を提唱したばかりだが、今回の拙文が分かり難い内容になるであろう事を初めに断っておく。逆に言うと、私が分かりやすい日本語を提唱するのは、私がしばしば分かり難い内容になるであろう事を書かねばならぬ羽目になるからである。

 せんじつ数本のポツダム宣言に関連した記事を書いた。自称 「力作」 だった。共産党志位委員長を批判した文だった。結果的に数日を経ずして全て削除した。延べ20時間以上懸けて書いていたのに惜しかった。

  明誠学院高校のK先生に全ての文を読んでもらった。酷評を受けた。私の文は恥ずかしくて読んでおれないと仰る。先生の結論だけ書けばこうである。

  ポツダム宣言は戦後日本の出発の原点になった宣言であり完全に正しい。これは国際的にも合意された常識である、志位委員長が安倍政権を批判するのにポツダム宣言を持ち出すのは極めて当を得ている。これに因縁をつける古本屋通信の戦後認識は恥ずかしくて読んでおれない。論外で話にならない。志位委員長は完全に正しい。安部首相がポツダム宣言を 「つまびらかには読んでいない」 のは日本の総理としては完全失格である。事は日本だけの問題ではない。日本の国会中継は世界に公開されている。安倍は大恥をかいた。共産党はその低力を世界に見せ付けた。

  断っておくがK先生は共産党カルトではない。私教連あがりの元活動家だが、いまは私学経営のトップにある。高校教員出身の歴史家としては倉敷の大森先生と双璧であろう。大森先生はたぶん終生党員を貫いたが、K先生は私と前後して共産党批判者となった。しかし党批判と党支持は使い分けている。その点では私と変わらない。

 K先生に突っ込んでみた。

「先生、あのね、ポツダム宣言の第2項には、連合国が日本に壊滅的打撃を加えることが公言されており、これに基づいて広島・長崎の原爆投下があったんですよ。それでもポツダム宣言は完全に正しいんですか?」

先生 「あったり前でしょ、完全に正しい。だから戦争が終ったんだ」

 先生の言うことは、「歴史のいいとこ取り」 をするなということだろう。その点で広島・長崎の原爆投下は止むを得なかった、というより完全に正しい。私は先生の正しさを完全に認める。

 では志位委員長は正しいであろうか。やはり党首会談の発言の限りで正しい。ならば志位委員長は広島・長崎の原爆投下を正しいと公言するであろうか。私はしないし、出来ないと思う。私がK先生に完全に同意しつつも、共産党のポツダム宣言を引いての安倍批判に同意できない第一の理由はここにある。またまた例に出して恐縮だが、共産党岡山市議の竹永光恵さんは志位委員長の国会での発言に大賛辞を送っているが、広島・長崎の原爆投下は止むを得なかった、あるいは正しいと認めるのであろうか。決してそうではあるまい。広島・長崎の原爆投下に反対であろう。反対とは言わなくても遺憾とはするだろう。

  私が言いたいのは「歴史のいいとこ取り」 をするなということだ。志位委員長の言うことは発言自体が正しかっても、結果的に大量の竹永光恵さんを生み出す。これは竹永さんだけではない。私の連れ合いなんかも典型だが、事の成否を情緒的感覚的に決定する人々である。私はこれにとても危険なものを感じる。「いいんじゃないの幸せならば」 という訳には行かないのである。

  この問題に関連して私は不破論文を簡単に切り捨てたが、考えてみれば彼の最近はネオトロツキズムである。トロツキストは本来、第2次世界戦争を帝国主義間の戦争として捉えている。スターリンとコミンテルンの裏切りである。その視点からはポツダム宣言は勝者帝国主義の敗者帝国主義への勝利宣言としてしか出てこない。不破氏が完全に誤りといえるかどうかという問題も残る。これが共産党のポツダム宣言を引いての安倍批判に同意できない第二の理由である。


 それからもうひとつ。どうしても付け加えておきたいことがある。連合国3ヶ国(のち4ヶ国)に依るポツダム宣言の起草と、其の日本の受諾の先にあるものは当然ながら戦争犯罪人の処理であった。それは後の東京裁判となって結実するが、ポツダム宣言の時点では天皇ヒロヒトの処刑が自明の前提として想定されていたであろう。私見では、ポツダム宣言が完全に正しい、ならばヒロヒトは死刑に処さなければならない。もちろん私はこれに賛成である。では日本共産党は(戦後すぐの時期は大賛成だったろうが) 今の時期、天皇は死刑に処すべきだったと公言できるのであろうか。象徴天皇制温存の現綱領下ではそういう公言は出来まい。私は何時も、ヒロヒトは死刑に処すべきだったと言い続けてきた。日本共産党はそうではない。この点でも、党はポツダム宣言が正しかったと公言する資格に欠けていると思う。つまり正しいことは正しいといえば、何時でも了解されるのではないという事である。これが私が日本共産党のポツダム宣言を根拠にした安倍政権批判に賛成できない第三の理由である。

 たったいまキンピーサイトの最新板でKM生さんの投稿を読んだ。戦犯の処刑は人民の手ですべきだあったとある。ヒロヒトは絞死刑にすべきであったとある。全く賛成である。

 ここにはなつかしい全共闘のポツダム自治会論まで登場する。私も書きたいが、さすがに遠慮しておこう。ここまで来ると読者は何がなんやら訳が分からなくなるかも知れないから。


 以上とは直接関係ないが、東京から帰った石崎徹さんが大阪の橋下の 「敗北」 にふれている。おなじ福山の河村ひろ子さんがカープファンの弁を書いている。私は両方とも愉しく読んだが、感覚的な文だとは思った。

  1. 2015/05/25(月) 02:03:11|
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