古本屋通信

『セウガク 二年生』 坪田譲治

古本屋通信     No 1390  4月11日

 
 セウガク 二年生』 坪田譲治の作品



  坪田譲治は私の高等学校の先輩である。岡山県立金川高校は、坪田の青少年期には私立金川中学校(旧制)であり、当時は旧岡山市内に在った。私立としてはそれなりに名門であった。然し著名人は坪田以外に出ていない。なぜ坪田が岡山一中に行けなかったか。それはかれが数学が出来なかったからだと云われている。おかげで金川高校は周年記念誌に坪田の玉稿を掲載することが出来た。私もそれをこのブログで書いた。

 今日たったいま、戦前の幼年雑誌 『セウガク二年生』 (小学館発行 昭和15年3月号) が古本で入って来た。國民学校になる直前であろう。坪田の連載作品の最終回(第六回)が掲載されていた。ここでその全文を転載する。読めばわかるから、解題は書かない。無惨という以外に言いようがない。戦時中だからといって許せはしない。また、調べるまでもないが、この作品は戦後の坪田の個人全集、選集、その他あらゆるアンソロジーから除外されている筈である。その意味では、この転載は古本屋としての私の発掘である。

 作品名は「肩をならべて である。雑誌連載のこの作品が戦前いかなるかたちで単行本になったか。果たして、ウィキぺディアを調べたが、ないようだ。いや、たぶん単行本にはなっていただろうが、戦後になって存在しないものとして処理したのであろう。仮に単行本になっていても、もはや入手は困難だろう。

後註 在るとすれば、ウィキの最後の編纂・共著 『父は戦に 銃後綴方集』 (新潮社 1940年) に組み入れられている可能性があるが、もちろん現在では古本でも入手困難である  「日本の古本屋」 に1件あった。  『父は戦に 銃後綴方集』 古本 海ねこ 東京都三鷹市大沢 ¥35,000 坪田譲治・編 装丁・小穴隆一、新潮社、昭15年



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    肩をならべて (六)


                                坪 田 譲 治  作   
                                川 原 久仁於  画


二月号までのおはなし  坪田先生 が 支那 に いらっしやった 時、日本軍 の つうやく を してゐて、せんし した 支那人 の 子 程子明 と あひました。 ちょうど その時 支那へい が かくれて 日本軍 に てっぽう を うちました。 程子明 は すぐ その 支那へい を さがし出し、 だまして 石炭あな の 中 に おひこんで しまひました。 程子明 から それ を きいた 日本軍 は、 すぐ 支那へい の にげこんだ 石炭あな の 入口 を 土 の はいった たはら で ふさい で しまひました。 中 の 支那へい は、 もう 出る こと が できません。


 すっかり あな を ふさいで しまふ と、 日本 の へいたいさんたち は さうだん しました。
 「どう しよう。」 「まあ この まゝ に しばらく はふって おくんだ ね。」
 すると、 この ようす を 見た 程子明 が しんぱい して ききました。
 「日本 の へいたいさん、 この まゝ では 支那 の へいたい は しんで しまひは しない でせう か。」
 けれども、 これ は 支那 の ことば だった ので、へいたいさん には わかりません。 それで 島宣撫官 が これ を 日本 の ことば に なほしました。 すると 程子明 が また いひました。
 「どうか、 支那 の へいたい を たすけて やって ください。 きっと もう この 中 の 支那へい も、 こうくわい して 日本 の みかた に ならう と おもって をります から おねがひします。」
 これ を また 島宣撫官 が、 日本 の ことば に なほしました。
 ところで、 その 時 です。
 あな の 中 から 支那へい の どなる こゑ が きこえて 来ました。
 「かうさん、かうさん と いって をります。」
 島宣撫官 が いひました。
 「では、もって ゐる ぶき を 外 に とり出して それ から、 ほりょ に して やりませう。」 
 日本 の 方が いひました。 それ を きいて いみ が わかった のか、 程子明 は 大へん うれしそうな かほ を しました。 それから すぐ つんで ある 土 の たはら が とりのぞかれて、 小さな あな が あけられました。
 「この あな から もってゐる だけ の ぶき を 出せ。」
  島宣撫官 が 支那ご で 中 に いひました。 すると、 そこ から まづ 一ちゃう の てっぽう が さし出されました。 それ を とり上げる と また 一ちゃう の てっぽう が さし出されて 来ました。 かう して てっぽう や きくわんじゅう や 手りうだん や ピストル が つぎつぎ に 出されて、 あな の 前 に 山 と つまれる ほど に なりました。 それ が すむ と、 あな の 口 を また すこしあけて、 一人だけ の 人 が とほれる やう に されました。
 「一人づつ 出て こい。」
 島宣撫官 が いひました。 一人の 支那へい が そこ から ごそごそ 出て 来ました。 出て 来た のは すぐ つな で しばりました。 
 かう して、 八十人 の 支那へい は みんな ほりょ に されました。
 程子明 は どんな に よろこんだ でせう。 程子明 は それから すぐ おとうさん の まつって ある 忠魂碑
 に おまゐり しました。
 私 も 島宣撫官 も おまいり し、 三人 で 心 から あたま を さげました。
                                          
                                          をはり


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   ウィキペディア


   坪田譲治 (作家)

坪田 譲治(つぼた じょうじ、1890年(明治23年)3月3日 - 1982年(昭和57年)7月7日)は、岡山県出身の児童文学作家、日本藝術院会員。
同じ児童文学作家、児童文学研究者である坪田理基男は三男。

略歴[編集]
1890年(明治23年)岡山県御野郡石井村島田(現在の岡山市島田本町)に生まれる。父・平太郎はランプ芯製造会社の島田製織所を経営していたが譲治が8歳の時に逝去し、大学生だった兄が家業を継ぐ。以後会社の内紛が続く。のちに譲治も経営に参加する。(これは、後の小説に反映されることになる。)

1908年(明治41年)早稲田大学文科予科へ入学、童話作家の小川未明と出会い、強い影響を受ける。1925年には早大童話会を創設。1926年(大正15年)短編小説『正太の馬』を発表、翌年処女短編集『正太の馬』を出版、また雑誌『赤い鳥』に童話を投稿したりするが、プロレタリア文学台頭の中、収入に結びつかず、困窮生活を送る。1935年(昭和10年)山本有三の紹介で『お化けの世界』を雑誌『改造』に発表。翌年朝日新聞夕刊の新聞小説として連載した『風の中の子供』が、幅広い年代層の支持を得て一躍人気作家となる。戦後は、日本児童文学者協会の第3代会長などを務めた。

後年は自らも早大童話会に続いて童話雑誌「びわの実学校」を主宰し、松谷みよ子、あまんきみこ、寺村輝夫、大石真等の後進を育てた。

1955年日本藝術院賞受賞、64年日本藝術院会員。73年朝日文化賞受賞。

『お化けの世界』や『風の中の子供』、『子供の四季』などの「善太と三平」物が名高い。全集が三度刊行されている(『坪田譲治全集』8巻本、12巻本。『坪田譲治童話全集』10巻本)。1986年より岡山市主催で坪田譲治文学賞が創設された。

著書[編集]
正太の馬 文壇新人叢書 春陽堂 1926
激流を渡る アトラス社 1930 (アトラス・セリー)
晩春懐郷 竹村書房 1935
お化けの世界 竹村書房 1935 のちポプラ社文庫 
魔法 坪田讓治童話集 健文社 1935.7
児の上を思ふ 信正社 1936
班馬いななく 随筆 主張社 1936
をどる魚 湯川弘文社 1936.2 (日の丸標準童話)
青山一族 小説集 版画荘 1937
善太と三平のはなし 坪田譲治童話集 版画荘 1938
子供の四季 新潮社 1938 のち文庫、旺文社文庫、角川文庫  
風の中の子供 竹村書房 1938.1 のち新潮文庫、角川文庫、潮文庫、旺文社文庫、ポプラ社文庫  
家に子供あり 新潮社 1939
カタカナ童話集 金の星社 1939
兒童文學論 日月書院 1939.10
善太と三平 童話春秋社 1940 のちポプラ社文庫  
森のてじな 新潮社 1940 (学年別新選童話集 2年生)
故郷の鮒 協力出版社 1940 
村は晩春 河出書房 1940 
正太のふるさと 春陽堂 1941
童心の花 実業之日本社 1941
小川の葦 中央公論社 1941 (ともだち文庫)
家を守る子 随筆 墨水書房 1941.11
ビハの實 中央公論社 1941.3
とらひこたつひこ 新潮社 1942
七人の子供 童話春秋社 1943
黒猫の家 新潮社 1943 (日本童話名作選集)
ふるさと 小説と随筆 実業之日本社 1943
故園随筆 十一組出版部 1943
山国 新潮社 1943
滿洲・繪ばなし 帝國教育會出版部 1943.3
谷間の池 湘南書房 1945.12 (新日本少年少女選書)
新しいパンツをはいて 国民図書刊行会 1946
子供のともしび 三島書房 1946
魔法の庭 香柏書房 1946.10
異人屋敷 香柏書房 1946.7
葡萄の若葉 桜井書店 1947 (少年のための純文学選)
正太の故郷 短篇集 御影文庫 1947
息子かへる 随筆集 青雅社 1947
善太と汽車 童話 東亞春秋社 1947.6 (東亞春秋社叢書)
山の湖 桐書房 1948
沢右衛門どんのうなぎ釣り 光文社 1948 (日本童話名作選)
善太とまほう 童話集 小学館 1948 (小国民シリーズ)
ひるの夢よるの夢 桜井書店 1948 (こどもかい文庫)
一人の子供 短篇集 小峰書店 1948
春の夢秋の夢 新潮社 1949
四羽の小鳥 新潮社 1949
桃の実 東西社 1949 (日本童話選 中級)
ベニー川のほとり 三十書房 1949 (日本童話名作選集)
柿の木と少年 児童文学選 アテネ出版社 1949
ねことままごと ひらかなどうわ アテネ出版社 1949
かりうどの話 広島図書 1949 (銀の鈴文庫
がまのげいとう 幼年童話 海住書店 1949.5
故里のともしび 泰光堂 1950
坪田譲治童話集 1950 (新潮文庫)
一つのビスケット 西荻書店 1951
源平盛衰記 同和春秋社 1952 (少年読物文庫)
ことりのやど 泰光堂 1952 (ひらがなぶんこ)
森の中の塔 金の星社 1954
少年の日 新潮社 1954 (少年長篇小説)
児童文学入門 童話と人生 朝日新聞社 1954 (朝日文化手帖
坪田譲治全集 全8巻 新潮社 1954
日本少年少女古典文学全集 7 平家物語 弘文堂、1956
りすとかしのみ 岩波書店 1956 (岩波のこどもの本)
きんのうめぎんのうめ 現代社 1957
日本むかしばなし 1-3 金の星社 1957 のち新潮文庫
せみと蓮の花 筑摩書房 1957
サバクの虹 岩波少年文庫 1958
坪田譲治童話教室 全3巻 小峰書店 1961 
昨日の恥今日の恥 新潮社 1961
坪田譲治幼年童話文学全集 全8巻 集英社 1964-65
子ども聖書 実業之日本社 1965
賢い孫と愚かな老人 新潮社 1965
新修児童文学論 共文社 1967
坪田譲治童話全集 全12巻 岩崎書店 1968-69
かっぱとドンコツ 講談社 1969 (少年少女現代日本創作文学) のち文庫  サンケイ児童出版文化賞大賞
ねずみのいびき 講談社 1973 (児童文学創作シリーズ) のち文庫  野間児童文芸賞
日本のむかし話 1-5 1975 (偕成社文庫)
坪田譲治作品集 1-4 1976 (角川文庫)
坪田譲治全集 全12巻 新潮社 1977-78
せみと蓮の花 昨日の恥 坪田譲治作品集 講談社文芸文庫 2003.4

編纂・共著[編集]
父は戦に 銃後綴方集(編)新潮社 1940 
犯罪少年の手記 平間孝三共編 鎌倉文庫 1948
児童読物に関する100の質問 国分一太郎共編 中央公論社 1957
少年少女文学風土記 ふるさとを訪ねて 2 岡山(編)泰光堂 1959
子どもに聞かせる日本の民話 大川悦生共著 実業之日本社 1963.6
児童文学入門(編)牧書店 1965 (児童文学研究シリーズ)
びわの実学校名作選(編)東都書房 1969
坪田譲治童話全集 別巻 坪田譲治童話研究 岩崎書店 1971 
新・びわの実学校名作選(編)講談社 1974
  1. 2015/04/11(土) 15:32:08|
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