古本屋通信

川上徹「戦後左翼たち・・」絶賛

古本屋通信     No 1381  4月4日

   川上徹 『戦後左翼たちの誕生と衰亡』 絶賛



  私は通信 No1351(3月17日)で、『戦後左翼たちの誕生と衰亡ー10人からの聞き取り』 (川上徹著 同時代社刊) について、「まだ読んでない。・・・・・ 私が今後この本を読むとしたら、自店に古本として入ってきた時だろう」 と書いた。そして、「古本として入ってきた」 訳ではないが、私は読む機会があった。図書館で2時間ほど精読したのだ。ところが精読した時点で、とうてい図書館では(他人の本では)読み切れないと思って、その足で丸善に足を走らせて新刊で買った。それから、改めて最初から一章ずつ読み直している。一週間かけて、まだ読み切れていない。

 川上さんの文体は抵抗のある文体だ。編集者のスムーズな文体ではない。これは「同時代通信」を読んで知っていた。然しそれにしても今回はかなり難儀である。私の結論的な評価を言えば絶賛、アマゾン・レビューで云えば無条件に☆5つである。まるで井上光晴の悪文を読むの趣だ。つまり新旧左翼の聞き取りに相応しい文体である。こう書いても、他人には私のひとりヨガリに映るだろうが、とりあえず絶賛しておく。ただ、この本ほど色々の角度から読める本はないだろうから、先のアマゾン・レビューの低評価に異議は唱えない。つまり誤読とはいえない。

 私は全ての聞き取りの章において教えられた。知っているつもりで知らないことが一杯あった。一例を挙げれば、赤軍派が結成されたのが神奈川県の地などは全く知らなかった。関西ブントがルーツだから大阪か京都だと思っていたのだ。そういう事実関係だけでなく、左翼、とりわけ新左翼たちの生活と感性は私にとって刺激的なことばかりだった。

 私がたった二百数十ページのソフトカバーの本を数時間かけて読むのは稀である。断続的にもう十時間以上読んでいる。読了のメドは立っていない。

 私はもともと書評を書かない。自己完結的な賞揚文を好まないからだ。だからタマに書評じみた文を書いても、大抵はケナす文である。私は 『戦後左翼たちの誕生と衰亡ー10人からの聞き取り』 の書評を書かない。もったいなくて書けない。私はこの本を書いた川上さんに共感する。これは川上さんの左翼資料集だが、結果として絶筆になった、事実上の遺言集である。


 そうは言ってもこれだけでは余りにも身勝手であろう。以下に(書評ではない)本の忠実な紹介を掲載させていただく。野次馬雑記さんのちょうど一年まえの文である。勝手な転用をお許しください。


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 野次馬雑記さんの記事


 No334 「戦後左翼たちの誕生と衰亡」を読む
 2014/4/4(金) 午後 8:01


ある方からこんな本を紹介されたので読んでみた。タイトルは「戦後左翼たちの誕生と衰亡」。1964年から1966年まで、民青系全学連委員長だった川上徹氏が、「新左翼諸党派または伝統的左翼に、現在も所属し活動中の者から、かってはそれに所属していたが、いまは離れた者など多様な人々」10名にインタビューをした本である。
川上氏は1972年、新日和見主義事件(日本共産党により、民青、全学連、ジャパンプレスサービス、日本平和委員会などの党員活動家が、「分派活動」を理由にそれぞれの組織から除名・追放された事件)により民青中央常任委員を解任され、90年に日本共産党を離党している。

この本に登場する10名は以下のような方々である。

【山崎耕一郎】
1963年、社会主義青年同盟東京地本の専従となり74年から80年まで社青同委員長。81年から社会主義協会専従。現在は昭和の労働運動研究者。

【松平直彦】
1967年、社会主義学生同盟に加盟。69年、赤軍派結成に参加し、大菩薩峠で逮捕。現在、労働者共産党に所属。

【伊東恒夫】
1968年、東大入学。社青同解放派のリーダー。76年、社会党入党。82年から軍事問題研究会専従。84年から86年まで「新地平」編集部。東京南部地区を中心に地域運動、政治活動にたずさわる。

【朝日健太郎】
1960年代後半、社会主義学生戦線(フロント)中央委員会議長。先駆社・共同代表。
労働運動研究所理事、市民新聞「ACT」編集を経て、現在、「NPO現代の理論・社会フォーラム」運営委員。


【佐々木希一】
1969年、東北学院大退学。71年、全国一般宮城合同労組に加盟。75年共産主義青年同盟宮城県委員会書記長。78年3月、三里塚で逮捕。87年12月、第四インターナショナル日本支部再建準備グループ結成に参加。

【江藤正修】
1968年、埼玉県反戦青年委員会事務局長。74年、第四インターナショナル日本支部加盟。87年、第四インター分裂後はMELT(第四インターナショナル日本支部再建準備グループ)メンバー。1977年から2004年、「労働情報」事務局員。

【三浦 暉】
1963年、世田谷社研を結成。社青同に個人加盟し、その後革共同全国委員会に加盟。「70年安保闘争統一被告団」事務局長。70年代に同盟を離脱。現在「怒りをうたえ上映実行委員会」代表。

【水谷保孝】
早大。1964年11月、マル学同中核派に加盟。全学連書記長、青年アジア研究会事務局長、「前進」編集長、79年革共同政治局員。2006年11月離党。現在、編集者。

【水谷けい子】
1967年7月、マル学同中核派に加盟。73年女性解放戦線、75年同キャプ、80年革共同中央女性組織委員会議長。

【木元康博】
1970年、都学連委員長。71年、民青系全学連副委員長。75年から教員。90年頃、日本共産党を離党。



民青系の川上氏が、当時、「極左暴力集団」とか「トロッキスト」とか、激しく攻撃し対立した新左翼系の人たちに、何故インタビューしたのだろうか。
本の「まえがき」によると

『左翼勢力の衰退は既成政党ばかりでなく、労働組合やさまざまな社会的運動体にも及ぶ。さらにこうした衰勢の波は(中略)全共闘運動をリードした新左翼諸党派をも飲み込んでいるように見える。(中略)衰勢に歯止めがきかなくなったのには根拠があり、それが何なのか、(中略)とくに私が左翼として現役(共産党員)であったころ、遠いところにいて、対立しあっていた人々が衰勢の中でいま何を考えているのか、感懐でも反省でもいい、語れる範囲で聞いておきたいと考えた。』

ということである。
そして、このようなインタビューが可能となった背景には、2002年の「1960年三池闘争」記念写真展関係者による「これからの社会を考える懇談会」(略してコレコン)という新旧左翼諸党派に現在もしくは過去において属した経験のある人たちで構成されたネットワークの誕生と、それを通じた信頼関係の醸成が大きいという。
本書の第一部は、そのうちの有志6人に聞き取りしたものである。川上氏も本の中で 『10年まえにはおそらくそうした対話と関係自体が成立しえなかった』 と書いている。
10人はそれぞれの生い立ちや、なぜ「左翼」になったのか、現在の思いなどを語る。10人分を1冊の本にまとめるので、どうしても内容は概略的にならざるを得ない。それぞれの背後にはもっとさまざまな「物語」があるだろうということが推測されるが、それを読むのはまた別の機会を待つしかないだろう。
かって対立し、お互い交差することもなかった者たちが、今、このような形で本の中で対話をする。本を読みながら、「和解とネットワーク」という言葉が頭に浮かんだ。

※「戦後左翼たちの誕生と衰亡」著者:川上徹 発行:同時代社 2,000円+税


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 もうひとつ魅力的で捨てられないウェブ記事が見つかりましたので、図々しく転載させて戴きます。法政大学Ⅱ部同窓生九条の会さんの文です。これは1ヶ月前にはありませんでした。会報 3月号に掲載されたばかりだからでしょう。私はこの記事をたったいま(5日午前7時)読んだばかりなのですが、川上さんゆかりの方の記事抜粋を読んで涙が止まりませんでした。この涙に免じて転載をお許しいただきたいと思います(古本屋通信)。



法政大学Ⅱ部同窓生九条の会
2015年3月号会報 (NO21)
「川上徹さんとのお別れの会」に参列して

お別れ会
今年1月2日、川上徹氏が逝去されました(享年74歳)。
64年再建全学連委員長、66年から72年まで民青中央常任委員を務め、新日和見主義批判で査問を受けた川上氏(40年生まれ以下同じ)のことは多くの方が知っておられることでしょう。

1月24日、日本青年館国際ホールで開催された「川上徹さんとのお別れの会」は300名の友人や偲ぶ方々で満席でした。12名の「お別れの言葉」とご子息の「お礼の言葉」を受けて、参列者全員の献花で締めくくられました。

実行委員長の梓澤和幸弁護士(43年)から法政大学OBにと案内状が届き、Y・K、M・K、J・Yが参列しました。私たちは2000年、法政大学学生運動の歴史編集委員会を立ち上げる際に川上氏と懇談させていただいたことがあります。

同時代社のHPでは実行委員に「素描・1960年代」共著の大窪一志氏、民青中央でともに活動した宗邦洋氏、「突破者」著者の宮崎学氏(45年)、ジャパンプレスの高野孟氏(44年)などが名を連ねており、会場では全学連元委員長の永戸祐三氏(47年)らをお見受けしました。受付でいただいた同時代社の袋には「お礼の言葉」や「お別れの言葉」そして同時代社出版録などが同封されていました。

略歴には「亀戸で生まれ。60年東大入学と共に日本共産党に入党。80年同時代社設立。90年日本共産党を離党」とあり、著書は『もう一度船を出せ』『査問』『アカ』『素描・1960年代』『戦後左翼たちの誕生と衰亡』と書いてありました。

「病状報告」によると2009年ごろから手足の痛みで、帝京大学付属病院で治療を受けていたが、病気をおして活動を続けたものの、2014年胃がんを告知され手術ができず、2015年1月2日永眠されたとのことです。

(喪主) 川上蓉子さんの「お礼の言葉」(抜粋)
60年大学生・青年運動のリーダーでしたが、10年余りで突然活動の場を失い、全ての道を断たれた40年余りの歳月、その後の生き方こそ川上徹の真骨頂であった。彼にはもう一冊書きとどめたいテーマがありました。

「45年の敗戦を幼児期で迎え、戦争の痛みのカケラを実感として受け止め、戦後の貧しさの中から明日への希望を求めて、60年安保を担った僕らの世代。しかし、時代の急速な変化がその世代を消した。左翼と呼ばれた様々な組織も今や消え去ろうとしている。それは左翼の側にも問題があったはずだ。僕らが見ようとしなかったもの、気がつかなかったもの、それを少しでも掬い取って、記録として残したい」

ノンポリの学生に過ぎなかった私が、彼に出会ったのは私にとって奇跡でした。彼が残してくれた沢山の物語と人が、私を勇気づけてくれるだろうと思っています。


配布されたお別れの言葉から(92名の中から抜粋)

高野孟氏(44年)
我々60年代を駆け抜けた世代が、もう一度頑張るとすれば、いったい何をどう頑張るのか、何度も話し合ってうまい答えが見つからないまま貴君はいなくなって、少々途方にくれていますが、なんとかその宿題を背負って生きていこうと思っています。

山科三郎氏(33年)
今、私の机の上に一冊の本があります。『トロツキズム』で、1969年に私と貴方とで編纂したものです。今から見れば問題だらけでも、20歳代の思考面目躍如たるものがあります。

田中武雄氏
1965年6月教養学部自治会再建となった時、法政大学での集会で川上さんから励ましと祝福を兼ねてのあいさつを受けました。

加藤哲郎氏(47年)
『査問』に解説「査問の背景」を書かせていただきました。そこに1972年に川上さんが「君が消えてくれるのが一番いいんだが」と査問者に言われたことを引き、「共産党が党史上最大規模の人権抑圧事件の被害者たちに謝罪するのは、いつになるだろうか」と結びました。あと10年、生き続けていただければ…。残念です。合掌。


吉田嘉清氏(26年)
84問題の時、西神田の同時代社川上徹さんはその場で水道橋の事務所を世話して下さいました。『古在由重 人・行動・思想 二十世紀日本の抵抗者』は同時代社から出版しました。いつも大同団結を心がけてくれた友よ。さよならだけが人生か。


お別れの言葉を述べた12名の中から

平田勝 花伝社社長
65年12月の全学連再建から50年。60年代学生運動の希望の人だった。戦後民主主義世代として育った。61年夏、党綱領決定の時は駒場の党員は数名だった。それが駒場本郷で民青1.000名となり東大生の一割となった。全国でも6つ7つあった。72年の政治的事件に連座し、その後学生運動は急速に衰退した。一つの時代、未完の時代が終わった。君の意思を引き継ぐことを信じるよ。

宗邦洋氏 民青元中央委員
12月11日、コレコン忘年会で飲んだ時は「やり残したことがある。あと5年生きる」と言っていた(これからの社会を考える懇談会)。民青中央の多数派が形成され、民青会館は楽しかったが党は弾圧で応えた。新日和見主義の連中で毎年一回集まり楽しい日を過ごしている。私は後5年頑張りたい。

山崎耕一郎氏(40) 社会主義協会顧問
2001年、三池闘争写真展をきっかけに共産党系、社会党系、新左翼系から三分の一ずつ集まりコレコンを始めた。三分の一のバランスが崩れないように集まってきたことで長生きしてきた。新左翼グループの代表的存在であった樋口篤三さんが2009年に亡くなり、川上さんが亡くなりコレコンのバランスが崩れてしまった。

高柳新氏(39) 民医連名誉会長
いくつかの顔の持ち主だった。学生運動のリーダー、古在・藤田・丸山の後継者、出版者。飲み仲間で医師としてセカンドオピニオンだった。もう一度船を出せの思いでいっぱいだ。

梓澤和幸氏(43) 全学連元委員長
62年11月27日、大管法反対・日韓条約粉砕集会(芝公園)で演壇の姿を見たのが初めての出会いでした。当時22歳と19歳。60年代学生運動の希望を託した凛然とした川上さんでした。査問後の孤独は彼の義侠心を侵すことはできなかった。古在、藤田と共に託そうとしたこと、次世代につなげることは言葉にしても伝えられない。2015年、大事な年の今日は始まりの日だ。母のように優しく見守って下さい。ある時は憤りの龍となって立ち上がれ。19歳の春に考えたことに立ち戻れ。

川上隆(高井隆)
父とは15年一緒にやってきた。父と同じことができるとは思っていないが、同時代社の旗を掲げ続けることが皆さんに報いることだと思っている。


あとがき
『学生運動:60年から70年へ』(日本青年出版社)が最初の出会いでした。学生時代に新日和見主義批判が始まり学友から「法政は無関係だよ」と聞きましたが、その後急速に学生運動が衰退していったことにずっと疑問を持ってきました。97年の『査問』でその実相の一端を知り、学生運動=全共闘というマスコミの喧伝に全学連の一員として闘った法政大学の学生運動を残そうと川上さんのお話を聞いたのが2000年でした。「まじめで大事なテーマだ。作る側の満足が大事だ」と励ましてくれました。「お別れの会」出席者の多くは60年代世代。70年代世代の私にとって「一時代が終わった」のは理解できても、このままでは終われないと思っています。    (JY)

Posted on 3月 2nd, 2015 under 1お知らせ. RSS 2.0 feed. Leave a response, or trackback.

 
  1. 2015/04/04(土) 14:22:04|
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