古本屋通信

革共同関西派の速見論文

古本屋通信     No 1372  3月31日

 
  革共同関西派の速見論文について

 去る3月25日に通信 No1360で紹介させていただいた速見論文には、その政治的レヴェルの高さにおいて多く教えられた。然し私は掲載に当たってこう断わっている。 「今回の転載も資料としての掲載であることに変わりはない。氏の見解に態度保留する点も多くあることを付記しておきたい」。

 私が違和感というより、とうてい容認できないと思ったのは以下の部分だ。
    
「自己責任」論と罵倒
湯川さんと後藤さんが「イスラム国」に拘束されていることが判明して以降、「自己責任」論が吹き出した。「危険な場所に勝手に行ったから政府には救出する責任はない。自己責任」という論理だ。ジャーナリストは、ある程度危険が予測される場所にも取材に赴く。それは官製の報道では伝えられない事実を伝えるためだ。「自己責任」論とは、国家の言うとおりに黙って従っていればいい、という論だ。 自民党の高村副総裁は、国家に従わずに危険地帯に取材に行った後藤さんの行為は「蛮勇」だと罵った。




  これは速見論文にとっては枝葉末節、いわば非政治的部分だろう。だから私は掲載時にはやり過ごした。この論文もまた安倍政権の批判に重点が置かれており、後藤健二の行動はいわば犠牲者のそれとして見逃されている、というより容認されている。然しこれは決定的に誤っている。アレコレ書けば私の話は後藤の狂気、つまり健康な精神を失った精神異常者のそれとして糾弾しなければならなくなるのだが、それだと際限がなくなるので、上記引用の赤字部分にかぎって述べよう。


 速見文はオメデタイこと限りがない。よくもこんなノー天気な文が書けたなと思う。たぶんジャーナリズム関係をご存じないのだろう。いったい後藤健二がこれまでの「ジャーナリスト」人生でどういう飯の食い方をしてきたか、まるで想像力が及ばないらしい。然しそれは速見氏だけではなく、全ての「善意」の論者がそうだろう。私は怖くて身震いする。


 後藤健二に僅か3、4冊の著書がある。汐文社から出版されている児童書だ。これの原稿料・印税が年間どれくらいになるかご存知か。本当に少ないのだ。計算しなくても分かる。中東に出かける交通費が席の山だろう。ならば「ジャーナリスト」後藤はどうやって生きているのだろうか。少しは想像してみたらどうか。そもそも新聞記者サラリーマン以外のフリージャーナリストに、海外で商売がマトモに成立するとでも思っているのだろうか。国内のフリーランス (色々なレヴェルがあるが、一般に雑誌記者、ルポライターなどという種族) なら雑誌に記事を売る。しかし後藤の記事を何処の通信社や雑誌が買うというのか。匿名記事でもあるというのか。絶対にあり得ない。速見氏は決定的な事実誤認をしている。


 戦場に出かけるフリージャーナリストやフリーカメラマンは例外なく胡散臭い商売人である。ヤクザ商売以外ではあり得ない。後藤についての具体は分からない。10分間のビデオテープを数百万円で流すとの噂がある。これは殺戮現場や死体写真だろう(これを買うとしたら欧米の情報機関くらいしかなかろう)。これくらいしないと生活できない。立ち居地は必ず殺人者の側である。「正義」の立ち居地などあり得ない。後藤の子供向け著書など全てマヤカシである。欺瞞である。これくらいが見抜けなくてどうして左翼と云えようか。しかしこんなこと、左翼なら容易に想像が及ぶだろうに。


 それとも、後藤の存在自体がアメリカもしくは有志連合のいずれかに買われた存在である可能性もある。これは永久に藪の中だろうが、白だというなら後藤の生活費の収支決算を明示してもらいたいものだ。いずれにせよ 「ジャーナリストは、ある程度危険が予測される場所にも取材に赴く。それは官製の報道では伝えられない事実を伝えるためだ」は究極のオメデタ観察である。中東はもちろんのこと、世界中どこを探しても正義の味方、子供たちの心を伝える不偏中立の戦場ジャーナリストなどあり得ない。


 後藤健二は死の商人だった。もちろん湯川春菜も。もともとペニスを切り落として戦地に赴き、武器を売って一旗あげようと企んだ精神異常者と、それにまといついて金儲けを企んだ二人の狂気にマトモに付き合った日本人は余程のお人好しだったろう。二人はそれに相応しい結末を辿ったに過ぎぬ。

 
 然し私が本当のことを書けたのは事件後2ヶ月経った今となってだった。それほどまでに日本の言論をめぐる狂気は進行している。この拙文とて、革共同関西派論文を批判する文脈だからこそ書けた。そういう意味では速見氏に迷惑をかけた。お詫びしたい。


 安倍政権批判に後藤健二見殺しを挙げるのは決定的に誤りである。安倍の戦争する国づくりがどうであれ、人質決着それ自体に全く問題はなかったのである。巨悪(安倍)を批判する文脈において、個人悪を免罪すれば巨悪の実像が鮮明化すると思うのは錯覚である。かえって見えるものまで見えなくなったのが今回の人質事件だったと思う。
  1. 2015/03/31(火) 03:33:29|
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