古本屋通信

坪井宗康の手紙(1)

古本屋通信       No 1339  3月12日

 
 坪井宗康の手紙 (1)



  岡山の詩人・坪井宗康が死んで久しい。詩人の手紙を公表する。これは古本屋として(古物営業法に則って) 入手した書簡である。宛先は公表しない。仕入れルートは営業上明かせない。個人の私生活に係わる内容の手紙は今後も公表しない。詩論など文学上の問題を書いたものだけを掲載する(古本屋通信)。


 以下、手紙。


 前略 今夜は少し 「私論」 を書くことにしますので、面倒くさければヒマなとき読んで下さい。
 永瀬さんから詩集評三枚が届いた。これは間野さんとはほぼ正反対でベタほめに近い。浅尾さんのものと三人三様のものが揃ったところで、自分の詩集について少しまた考えてみた。
 この三人をはじめ、殆どの評者は 「時代と自分とのかかわりを追求」 というあとがきをよりどころに切り込んできている。自分でそう書いてしまったのだから不平をいっても始まらないが、実はこのテーマはいわば第一バイオリンであって、あとがきには書いているが、もうひとつの副次的テーマとして精神と肉体のかっとうがある。これを第二バイオリンとしてからませたものを集めたわけだ。だから 「悲鳴」 を入れた。
 次に、評者の方法について。諷刺、ユーモアをあげて、このよしあし、できばえを論じている。しかし、間野はなぜこの方法をとるようになったかである。社会への批評精神ということがいわれている。笑いはその武器である、というわけである。ぼくも新聞のインタビューや出版記念会でも、笑いの庶民芸能をうけついで時代の?を笑いとばしたかったといった。けれども果してそれだけか。ぼくは病気で入院をくりかえしようになるまでは、諷刺詩には殆ど関心がなく、自分で書こうなどと思ったこともなかった。批評精神はあっても、諷刺やユーモアには関心が向かなかった。なぜそれが ・・・ その内的原因はどこにあるのか、それが釈然としないのに、ぼくはずっとゆううつだった。何か便利な手として安易な方法をとったのではないか、といつも頭にひかかっていた。
 ところが最近、アメリカの医者が書いた本を読み、医学的観点から笑いを考えるキッカケを得た。昔から、笑いは病気の治療(精神病だけではなく)に使われてきたこと、精神的な??の解放が肉体の病気を治していく効用があること、すなわち、笑いは心理的、社会的解毒剤であるだけでなく、純粋に一個の人間の生理的解毒剤であることなど知った。
 「??」の諷刺とかユーモアは、社会への批評精神からのみ生まれたのではなく、病気から抜け出すための生理そのものの要求からうまれたものである、というわけである。ホンネかタテマエか、というものでなく、ぼく自身の生理的所産にほかならなかった。「病気にめげない楽天性」とか「人間的ユーモア」とかいう人がいるが、病気だからこそ笑いが必要なのだ。
 自分のあとがきのせいで、人はリアリズムとか、イデオロギーとか、叙情性とか、いう詩の詩の概念でさわってくるが、ぼくの生理を汲みあげてみせてくれた人はない。それは書いた作品がまだそういう概念の着物でおおわれているからでもあろう。
 いずれにせよ、あの詩集は、そのテーマにおいて、方法において、自分にもっとも密着したものであって、あらゆる意味においてぼくがどうしても書かざるを得なかった必然的な産物であることが、今ようやくわかった。だれがどんな批評を下そうと、作品のできばえは別として、三月いらいのもやもやが解け、ある納得を覚えるのである。
 自分の生理に笑いが必要であると同様、涙を流して泣くこともまた必要、センチメンタルな演歌を書きたくなった道理もわかってくる。
 今度の詩集ほど悩まされたことはなく、人の詩集を批評することの恐ろしさを知った。自分の詩集のこともわからないのに、どうして人の詩集など批評できよう。結局はわが田の水を引いているだけのことだ。作者のいいたいこと、あらわしたいことを汲上げて、それがいっそう伸びるように批評する、そういう民文的批評というものは、それなりの批評的修練がいることで、詩人の片手間でできることではない、と改めて思う。批評するよりは、まず丸ごと受け入れる、よき読者となるよう心がけたいと思う。で、あなたが詩集を一生懸命売り歩いてくれたこと、しみじみと思われるのです。

      八月十七日                         坪井宗康


 後註 読みとれなかった漢字の三箇所にを付した。
  1. 2015/03/12(木) 09:03:31|
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