古本屋通信

大江・田中対談の性格

古本屋通信       No 1328  3月6日

  大江・田中(優子)対談は初めからヤラセだった。


 私は「通信 No 1325 法政大学総長・田中優子」 の付記でこう書いた。

 この長々しい板を仕上げてから改めて「田中優子」を検索してみた。そしたら読売の過去ウェブで、総長就任後の田中と大江健の対談が出てきた。ご祝儀のつもりか、それとも媒体を選ばぬ大江故か知らないけれど、この辺がノーベル文学賞作家の限界だろう。田中は喜々としていたぞ。


 長くない二人の対談の全文を転載する。

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 大江健三郎と語る
 消された一文字が象徴する戦後精神の危機
「いのち」と向き合う普遍的なテーマで

田中 大江さんは、『古今集』など日本の古典文学を含め、 本当に幅広く本を読んでいらっしゃるんですね。

大江 読書だけが趣味の人間ですから(笑)。実は僕の中で、法政大学出版局は、みすず書房と並ぶお気に入りの出版社なのです。「叢書ウニベルシタス」は、出版する本の選択も翻訳も素晴らしく、装丁もいい。あのラインナップはどのように決めていらっしゃるんですか。

田中 おほめに預かり光栄です。編集部に加え、教員も評議員、理事、監事として加わり、提案もしています。

大江 叢書の中でも、初期に出された2冊は、僕の文学に決定的ともいえる大きな影響を与えました。ひとつはガストン・バシュラールの『空と夢—運動の想像力にかんする試論』。僕の想像力についての考え方は、ほぼこの本が元になっています。もう1冊はミルチャ・エリアーデの『聖と俗—宗教的なるものの本質について』です。

田中 反対に、大江さんの小説は、世界中の言語に翻訳されて読まれています。大江さんは、ご自身の故郷をモデルとする四国の谷間を舞台に、「土地の物語」ともいうべき作品も多く書かれていますが、海外の読者は大江作品を、日本という土地に固有の物語として読んでいるのでしょうか。それとも、もっと普遍的なものとして捉えられているのでしょうか。

大江 僕の作品の中で、最も多くの言語で長く読まれているのは『個人的な体験』です。これはご存じのとおり、しょうがいのある子供を持った僕自身の体験をもとに、その子供の人生を引き受けて共に生きていくことを決意する若い父親を描いたもので、一種の青春小説ともなっています。僕はサルトルが好きで、彼のいう意志ある選択を主題に小説を書きたいと思っていた。そこに自分の体験がちょうど重なったのです。
この作品については、海外の、特に女性の作家から質問を受けることが多いですね。やはり、わが子を産み育てるという普遍的なテーマを扱ったものとして読んでくれているのだと思います。

田中 「いのち」というものをどう受け止めて、どう共に生きていくか……これは大江さんの作品の大きな柱となっていますよね。


大江 健三郎 田中 優子

時代の変化が精神をつくる

田中 その「いのち」と向き合う姿勢という観点でも、戦前から戦後へ、日本社会は大きく変わったと思うのです。たとえば人権という考え方を明確にした、あるいは、戦争放棄を社会の共通認識にしていった。大江さんはそれを、「戦後精神」という言葉で表現されていますよね。

大江 ちょうど100年前、夏目漱石が『こころ』という小説の中で、明治という時代の精神を描いています。それは、前近代から近代へ、社会の形が一気に変わった、当時の日本人の特殊な体験の中で育まれたもの。そして僕は、自分の生きてきた時代にも、同様のものを感じ取ることができると思うんです。
僕は軍国主義の時代に生まれ、10歳のときに戦争が終わった。だれもが通えるようになった新制中学で、新しい憲法について、徹底的に勉強させられました。そこに謳われていたのは民主主義と不戦の精神、これこそが、僕の考える「戦後精神」の根幹をなすものです。そして、たとえ子どもであっても「個人」として扱われ、自分の意思で高校へ、さらに東京の大学へも進める。いい時代になったと思いましたよ。
学校の先生にはよく「自由をはき違えるな」といわれたけれど、僕はあえてはき違えてやろうと思っていました(笑)。


田中 優子

田中 中学生のときから、「個人」として生きるあり方を実感されたんですね。おそらく、大学という場が、その戦後精神を醸成する上で一役かっていたのだと思うのですが、大江さんはそのあたりをどう感じられましたか。

大江 僕は高校のときに、渡辺一夫先生の『フランスルネサンス斷章』という本に感銘を受け、この人に教わりたいと思って東京大学の仏文科に入りました。先生を単に仏文学者としてではなく、民主主義者、ヒューマニストとして敬愛していたのです。そして3年のときに、実際に授業を受けることができたんです。

田中 大学は、時代の精神を体現し牽引する優れた大人たちと出会える場所だったというわけですね。

大江 といっても、いまのように少人数のゼミのようなものはほとんどなく、大学院に進む人もごくわずかでしたから、学生の時に先生と親しく接することができたわけではありません。その代わり、一生読み続けようと思うたくさんの本、著者と出会うことができました。

田中 それは私もまったく同じです。大江さんより20年ほど後の世代になりますが、大学で体験すること、すべきことは変わらないのかもしれませんね。

戦後精神の根幹がゆらぐ

大江 7月に岩波文庫で僕の自選短篇集が出るということで、最初から現在までの短編を全部読み返してみました。僕は、人間としての経験の乏しい大学生のときに小説を書き始めてしまったこともあり、自分の作品は書き直しを重ねることで初めて完成すると考えています。今回もあらためて手を加えました。
こうしてみると、いくつかの作品では、戦後の時代を生きる典型的な人間の姿が、わりとうまく描けていました。それらを並べれば、戦後精神というものが浮き彫りにできるのではないかと、改めて気づきました。

田中 その戦後精神が危機に瀕していると、大江さんはおっしゃっていますね。

大江 たとえば、発表されている自民党の憲法改訂素案なるものを見て、細かいけれどたいへん気になることがあります。
第13条で、現行憲法では「個人として尊重される」とあるところが、「人として尊重される」と変えられている。「個人」と一般化・抽象化された「人」とでは、まったく意味合いが違います。この1文字の削除を思いついた人は、とても頭のいい、悪い人です(笑)。


大江 健三郎  田中 優子

田中 なるほど、それは象徴的な事例ですね。同じ素案の中で、「自衛隊」が「国防軍」と変わっていたりもするのですが、大江さんは、そうした制度の問題より、その背景にある人間のとらえ方のほうに注目されるわけですね。

大江 不戦の「制度」なら、人類はギリシャ以来ずっと持ち続けてきました。しかし同時に、戦争も続けてきた。大事なのは制度ではなく、不戦の「精神」なのです。
もし、集団的自衛権が、議会を経ない閣議決定による解釈改憲で認められてしまうようなことになったら、不戦の精神と民主主義という戦後精神の柱が、ふたつながら否定されてしまうのではないか。そういう危惧を、僕は持っています。

田中 それは、私ども大学も、注意深く目を光らせていかなければならない問題だと思います。本日はありがとうございました。


小説家 大江 健三郎(おおえ けんざぶろう) 小説家。1935年、愛媛県に生まれる。東京大学文学部フランス文学科卒。大学在学中の1958年、「飼育」により芥川賞受賞。 1994年、ノーベル文学賞受賞。主な作品に『芽むしり仔撃ち』『個人的な体験』『万延元年のフットボール』『洪水はわが魂に及び』『新しい人よ眼ざめよ』『懐かしい年への手紙』『人生の親戚』『燃えあがる緑の木』『取り替え子(チェンジリング)』『美しいアナベル・リイ』『水死』『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』等がある。

法政大学総長 田中 優子(たなか ゆうこ) 法政大学総長。1952年、神奈川県に生まれる。法政大学文学部卒。同大大学院人文科学研究科修士課程修了後、同大大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。2014年4月より法政大学総長に就任。専攻は江戸時代の文学・生活文化、アジア比較文化。行政改革審議会委員、国土交通省審議会委員、文部科学
省学術審議会委員など、学外活動も多く、TVなどの出演も多数。


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 古本屋通信

 この対談は読売の一般紙に載ったのではなく、読売が法政大学と組んで作成したボイスという大学広報オンラインに掲載されたものだった。つまり初めからヤラセだったのだ。田中総長は大江との対談を皮切りに、以下と対談している(新しい順)。

2015.3.2 公開
曙ブレーキ工業代表取締役社長 
信元久隆
法政大学総長 田中優子
日本の「ものづくりありき」のグローバル化を目指す


2015.2.2 公開
法学部 弓削昭子 教授
法政大学総長 田中優子
グローバルな感覚を育む多様性豊かなキャンパスライフ


2014.12.1 公開
社会学部教授 金原 瑞人
法政大学総長 田中優子
ノーベル平和賞を受賞した少女の自伝
『わたしはマララ:教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女』を翻訳して


2014.10.1 公開
聖学院大学学長 姜尚中
法政大学総長 田中優子
過去の「知」を見直す目が大切な時代


2014.8.1 公開
政治学者 山口 二郎
法政大学総長 田中優子
政治や社会へのグローバルな関心を持つ学生を育てたい


2014.5.16 公開
小説家 大江健三郎
法政大学総長 田中優子
消された一文字が象徴する
戦後精神の危機



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歴代学長・総長一覧

薩埵 正邦(さった まさくに) 薩埵 正邦(さった まさくに)
東京法学校
主幹 1881(明治14)年5月~1888(明治21)年9月

古市 公威(ふるいち こうい) 古市 公威(ふるいち こうい)
東京仏学校
校長心得 1886年(明治19)年11月~1887(明治20)年11月

大島 誠治(おおしま せいじ) 大島 誠治(おおしま せいじ)
東京仏学校
校長 1887(明治20)年11月~1889(明治22)年6月

河津 祐之(かわづ すけゆき) 河津 祐之(かわづ すけゆき)
東京法学校
校長 1888(明治21)年6月~1889(明治22)年5月
<両校が合併し、和仏法律学校となる 1889(明治22)年5月>

箕作 麟祥(みつくり りんしょう) 箕作 麟祥(みつくり りんしょう)
校長 1889(明治22)5月~1897(明治30)年12月

飯田 宏作(はんだ こうさく) 飯田 宏作(はんだ こうさく)
校長心得 1897(明治30)年12月~1898(明治31)年1月

横田 国臣(よこた くにおみ) 横田 国臣(よこた くにおみ)
校長 1898(明治31)年1月~1898(明治31)年11月

梅 謙次郎(うめ けんじろう) 梅 謙次郎(うめ けんじろう)
校長 1899(明治32)年1月~1900(明治33)年10月

富井 政章(とみい まさあきら) 富井 政章(とみい まさあきら)
校長 1900(明治33)年10月~1902(明治35)年10月

梅 謙次郎(うめ けんじろう) 梅 謙次郎(うめ けんじろう)
校長 1902(明治35)年10月~1903(明治36)年8月
<専門学校令により学校名を法政大学とすることを認められる>
総理 1903(明治36)年8月~1910(明治43)年8月

松室 致(まつむろ いたす) 松室 致(まつむろ 
いたす)
学長 1913(大正2)年6月~1920(大正9)年4月
<大学令により初めて私立大学の設置が許可、財団法人法政大学となる。>
第1代学長1920(大正9)4月~1931(昭和6)年2月

秋山 雅之介(あきやま まさのすけ) 秋山 雅之介(あきやま まさのすけ)
学長事務取扱 1931(昭和6)年2月~1933(昭和8)11月
第2代学長 1933(昭和8)年11月~1934(昭和9)年5月

水町 袈裟六(みずまち けさろく) 水町 袈裟六(みずまち けさろく)
第3代総長 1934(昭和9)年5月~1934(昭和9)7月

小山 松吉(こやま まつきち) 小山 松吉(こやま まつきち)
第4代総長 1934(昭和9)年7月~1943(昭和18)年3月

竹内 賀久治(たけうち かくじ) 竹内 賀久治(たけうち かくじ)
第5代総長 1943(昭和18)年3月~1946(昭和21)年2月

野上 豊一郎(のがみ とよいちろう) 野上 豊一郎(のがみ とよいちろう)
第6代学長 1946(昭和21)年2月~1947(昭和22)年3月
第7代総長 1947(昭和22)年3月~1950(昭和25)年2月

錦織 理一郎(にしごり りいちろう) 錦織 理一郎(にしごり りいちろう)
総長事務取扱 1950(昭和25)年3月~1950(昭和25)年6月

大内 兵衞(おおうち ひょうえ) 大内 兵衞(おおうち ひょうえ)
第8代総長 1950(昭和25)年6月~1959(昭和34)年4月

有澤 廣巳(ありさわ ひろみ) 有澤 廣巳(ありさわ ひろみ)
第9代総長 1959(昭和34)4月~1962(昭和37)9月

谷川 徹三(たにかわ てつぞう) 谷川 徹三(たにかわ てつぞう)
総長代行 1962(昭和37)年9月~1963(昭和38)年2月
第10代総長 1963(昭和38)年2月~1965(昭和40)年8月

小田切 秀雄(おだぎり ひでお) 小田切 秀雄(おだぎり ひでお)
総長代行 1965(昭和40)年8月~1966(昭和41)年5月

菰淵 鎮雄(こもぶち しずお) 菰淵 鎮雄(こもぶち しずお)
総長代行 1966(昭和41)年5月~1967(昭和42)年3月

渡邉 佐平(わたなべ さへい) 渡邉 佐平(わたなべ さへい)
第11代総長 1967(昭和42)年3月~1968(昭和43)年4月

菰淵 鎮雄(こもぶち しずお) 菰淵 鎮雄(こもぶち しずお)
総長代行 1968(昭和43)年4月~1968(昭和43)年4月

中村 哲(なかむら あきら) 中村 哲(なかむら あきら)
第12代総長 1968(昭和43)年5月~1983(昭和58)年6月

青木 宗也(あおき そうや) 青木 宗也(あおき そうや)
総長代行 1983(昭和58)年6月~1984(昭和59)年3月
第13代総長 1984(昭和59)年3月~1988(昭和63)年12月

阿利 莫二(あり ばくじ) 阿利 莫二(あり ばくじ)
第14代総長 1988(昭和63)年12月~1995(平成7)年3月

鬼塚 豊吉(おにつか とよきち) 鬼塚 豊吉(おにつか とよきち)
総長代行 1995(平成7)年4月~1995(平成7)5月

下森 定(したもり さだむ) 下森 定(したもり さだむ)
第15代総長 1995(平成7)年5月~1996(平成8)6月

下森 定(したもり さだむ) 清成 忠男(きよなり ただお)
第16代総長 1996(平成8)年6月~2005(平成17)年3月

平林 千牧(ひらばやし ちまき) 平林 千牧(ひらばやし ちまき)
第17代総長 2005(平成17)年4月~2008(平成20)年3月

増田 壽男(ますだ としお) 増田 壽男(ますだ としお)
第18代総長 2008(平成20)年4月~2014(平成26)年3月

田中 優子(たなか ゆうこ) 田中 優子(たなか ゆうこ)
第19代総長 2014(平成26)年4月~現在



 短評
 戦後はけっこう左がいるじゃん。しかし党員はいないなあ。まあ、基本的には旧社会党左派の線か。そういやあ、小田切も大人しかったなあ。共産党除名組みの中じゃあ、もっとも大人しかったんじゃないか。総長じゃないけど、このラインと余りズレない所に大原社研の所長がいる。しかし五十嵐はなあ。

  1. 2015/03/06(金) 08:15:20|
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