古本屋通信

共産党を除名された者

古本屋通信     No 1315  2月27日

  日本共産党中央役員で除名(または除籍)された者



  昔はこういうのは反共雑誌 『全貌』 改め 『ゼンボウ』 とか云うのがあって、いつでも書いてくれた。しかし今じゃあ誰も書かない。共産党が纏めて書くわけがないから、そのうちわけが分からなくなるかも知れない。私も記憶が消えて行きつつある。いま 『前衛』 の党大会特集号が7大会~26大会まで手元にある。これも近々に田舎に移そうと思っている。そしたら2度と取り出せないだろう。いまのうちに表題の件をメモしておこう。

第7回大会 (中央委員、中央委員候補、中央統制監査委員計44名) の役員、うち除名された者 (第8回大会以後) 
安斎庫治  岡田文吉  神山茂夫  亀山幸三  聴なみ克己(4・17ストの責任をとって降格されたが除名になった訳ではない)  志賀義雄  鈴木市蔵  内藤知周  中野重治  西川彦義  野坂参三  袴田里見  波多然  山田六左衛門  内野壮児  原全五  春日庄次郎


第8回大会 (中央委員、中央委員候補、中央統制監査委員計103名) の役員、うち除名された者 (第9回大会以後) 
西沢隆二  広谷俊二  市川正一(ずっと後に不倫で除籍になったらしい?が、公表されなかった。いちおうカウントしておく)  (たった3人しかいない)


第9回大会 (中央委員、中央委員候補、中央統制監査委員計118名) の役員、うち除名された者  
(私の知る限り一人もいない。この辺は自信がある)


第10回大会 (中央委員、中央委員候補、中央統制監査委員計144名) の役員、うち除名された者  
(私の知る限り一人もいない。この辺は自信がある)


第11回大会 (中央委員、中央委員候補、中央統制監査委員計165名) の役員、うち除名された者  
(私の知る限り一人もいない。この辺は自信がある)


 
  以上が私の党員時代までである。どこの組織でも人の浮き沈みはある。日本共産党も例外ではない。しかし戦後党史が粛清史であるというのは (第7回大会で宮本を中心に旧国際派が主導権を確立して以後に限っては) 著しく事実に反しているだろう。第7回大会17名は構改派と「こえ」派が大半、中国分派は安斎と岡田と西沢の3人だけ。つまり残るは袴田と野坂だけ。これは分派ではなかった。シンヒヨに至っては広谷ただ一人だが、彼が除名されたのは事件の8年後だった。


 ここまで書いたので、ついでに除名組が党内に与えた影響、特に学生戦線に与えた影響について、実感的感想をひとこと。

 第7回大会で綱領草案に反対した中心は春日と内藤だったが、この影響は極めて大きかった。春日の統社同と内藤の社革の影響下の学生はいちじ全学連反主流派・全自連の多数派を形成する。この頃の大学を描いた文学作品に稲沢潤子さんの小説がある。私は心情的にはこの派を支持していた。層としての学生運動であり、学生同盟論だった。しかし私はそうはならず民青に行った。これは時代のせいだったろう。だから私は春日の統社同と内藤の社革についてはトコトン勉強した。同時代の民青はみんな必死で勉強したように思う。それは61年綱領を資本論に戻って勉強することだった。私はシンヒヨとは何の組織的関係もないが、この時代に 「日本革命の展望」 をわがものにした民青同盟員は決してブルジョア議会主義を是としなかった筈である。そういう点で私は中原猛にも疑問を持っている。その後の武田なんか見ていると、この期に「脱落しなかった」党員がいかに低レベルのカスだったかがわかるというものだ。

 中国分派(毛派)の影響は学生戦線に皆無だった。山口大と下関市立大以外はゼロだったと思う。いたとすればゼニ目的の輩だけだったろう。それと笑えたのはブントに毛沢東崇拝の一派が生まれたことだ。私はトコトン馬鹿にした。本来ありえないことだったから。安斎、西沢は無理論だが、これは徳田譲りだったろう。だれにも理論書の一冊もないのだ。

 最後に上記の被除名者のうち、私が著作の上で評価している人物を上げておく。
 神山茂夫  中野重治
 う~ん、2人だけだ。しかも組織人としては2人ともガタガタだ。神山だって本質は「文学者」 だ。だって三度除名されるなんて普通はあり得ない。一度除名されたら復党はあり得ないのが共産党なのだから。
  1. 2015/02/27(金) 11:36:23|
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