古本屋通信

伊藤一のいいだもも批判 

古本屋通信     No 1255   9月30日

  資料・伊藤一氏のいいだもも氏批判 


 自分の読書用にコピーしたものですが、よろしかったらお読みください。伊藤一さんのものは以前大量に貼ったのですが、いつの間にか消えてしまいました。あと、れんだいこさんの戦後学生運動史を貼る予定です。これは川上徹さんを偲ぶ試みです。


いいだもも氏「再び討論の姿勢について」に反論する
2000・12 伊藤 一 (『国際主義』編集会議)
①、協議会の論戦活発化に逆行するいいだ反論

 『未来』16号への菊池里子氏の〈コム・未来〉の現状にかなり否定的な意見を述べた投稿に対して、いいだもも氏が『未来』17号に「再び討論の姿勢について」という長文の批判を投降した。
 いいだ氏の反論が、〈コム・未来〉の展望をめぐる内容上の論戦・反駁として出されたものであれば、内容上の蓄積の点でも、論戦の活溌化促進の点でも、大きい意義を持ったはずである。論争・思想闘争を熾烈におこなうことは、協議会として積極的であり、その生命ですらある。
 しかし、いいだ氏の批判は、菊池氏の投稿を歓迎し、その内容を批判・反駁することで、自己の主張をより説得的なものにすることをめざした思想闘争ではない。それは、菊池氏が、〈コム・未来〉への否定的見解を投稿したこと自体を論難するものである。
 このような内容での長文の反論は、論点の明確化や発展、内容蓄積という面で意味がない。意味がないどころではなく幻滅を拡大するだけのものであろう。
 ただし、いいだ氏の反論は、〈コム・未来〉が現在持つ否定面の一端を鮮やかに公開したものとして、その限りでは特別の意味をもった。
 わたしは、〈コム・未来〉への深刻な問題を持つと捉えているので(おそらく、その多くは菊池氏と共通している)、その問題傾向が、いいだ氏の一文によって、押し進めた内容で明快に提示されたことは大変有り難いと思っている。

②、「初発的共有化」とは何か?

 いいだ氏は、「プログラム討議」への「初発的共有化」があるにもかかわらず、〈コム・未来〉への否定的見解が出されたことを、特に問題視する。
 「……『「コム・未来」の今後について』『あまり期待をもてない』としている具体的な想定の筋道の記載については、わたしとしては、正規な全国会議にみんなあつまった上での『四基本提起』と『室井ワーキング・グループのまとめ』という一年間の討議の基本的志向についての初発的共有化を(大方の皆さんもそうだと思うが)したばかりだったので、正直の話、面くらった」と。私は、このいいだ氏の捉え方に本当に面くらった。
 仮に、大会などで方針を決定した後であっても、それに反する批判・疑問などが掲載されることに、なにを“面食らう”必要があるのか? そのような異論・反論の表明を促し、それを包摂できる革命組織でないならば、協議会であろうと党組織であろうと、閉鎖的な旧左翼の限界を脱却することなど考えられない。
 しかしそれどころではない。いいだ氏が上げているのは、大会決定のような決定ではない。いいだ氏が「初発的共有化」としてあげている「室井ワーキング・グループのまとめ」は、会議後に書かれた個人文責文書である。また、「四基本提起」は、それぞれ異質な内容提起であり、しかも四本だけで提起が終ったわけでもなく(=募集中)、内容共有化など意味していない。あるいは、別の面から見れば、このなかには、われわれ(伊藤/津村)の提案も含まれているので、それも「共有化」の一部ということになる。しかし、その内容は、「共有化」へのいいだ氏のような捉え方、批判・異論へのいいだ氏のような扱いと真っ向から対立し、それを重要な克服対象とする思想に立っているのである(おそらくは飯島提起も)。
 これらを異論提出を問題視する根拠としてもちだすことは、「強引」を通り越している。
 たしかにいいだ氏は「初発的共有化」を、「大半の皆さんもそうだと思うが」という推定であるかのように語っている。しかし、それに“反する”菊池氏の投稿が出たことだけで「面くらった」というのだから、いいだ氏にとっては、「プログラム討議」を含む〈コム・未来〉の活動は、上述のような「共有化」(???)があれば、批判・疑問が提出されないはずのものなのである。このように根本的批判や疑問から「保護」されることを前提とした「プログラム討議」とは、一体なんだろうか?

③、批判を拒絶する理論活動か、批判と共存する(歓迎する)理論活動か

 いいだ氏が、〈コム・未来〉やその「プログラム討議」や、現在の組織形態などに確信を持っているならば(そう思いたいが)、菊池氏の投稿を、それへの論駁や説得の形を通じて、いいだ氏が確信する積極的意義を、『未来』読者や〈コム・未来〉会員により具体的に説得する格好の機会と捉えるぐらいの余裕を持つことが何故できないのだろうか、と思う。そのような政治的・組織的内容評価をめぐる(本質的な意味で)激烈な思想闘争を行うのではなく、反対に、いいだ氏は“面くらって”そうした批判・提案は出してもらいたくなかったという、出すべきではなかったということを、繰り返している。このように、批判がだされること自体にピリピリするような姿勢は、現在の〈コム・未来〉の一面の思想状況を雄弁に反映しているものと、わたしには感じられた。
 更にいいだ氏はいう。
 「……次から次へと先走って、協議も討議もまだはじまらないうちから、『コム・未来』の未来の『協議会改変』までも見越しているような問題状況認識……」をいいだ氏は断罪している。“協議もまだはじまらないうち”だって???――それぞれの会員の〈コム・未来〉の一年以上の協議会活動をいいだ氏は何と思っているのだろうか?
 さらに、このことを別にしても、これは二重、三重に深刻な見解である。
 第一に、自分が勝手に決めた枠組みを越えて考えたり提案することを「先走り」と断罪する点で。第二に、思想的討議は全面的に行うべきだが、組織の根幹に関わる思考や提案だけは別であると聖域にして自己の保身をはかる伝統的な既成左翼の思想を表現している点で。この思想は、党外労働者や党員を、(思想闘争は大いに結構と言いながら)党組織を左右する根本問題から遠ざける一大要因となってきた。第三に、二年を期限とする〈コム・未来〉の活動では、期限後をどうするのかの論議と関連付けて「プログラム討議」を行えればより積極的であり、その後への提案をし合うことを組織内外に呼びかけ、論議を進める必要があるからである。その後をどうするのかを考えさせないようにして、あるいはそれをめぐる見解を公表させないようにして期限を迎えるならば、会員にとっても、組織外の労働者にとっても、01年6月の期限は「ある日突然」となって受動的な立場を強いられる。だが、このことを事前に会員・読者が自主的に考えることを嫌ういいだ氏は、彼らを受動的な状態においたままで、なし崩し的に期限後に進もうとしていると捉えられても仕方がないのではないのか? 

 いいだ氏は、かつて、共労党の中枢にあったことを含め、いくどもこうした檄をとばしてきたはずである。それらの檄は成功したのか失敗だったのか? それらの具体的総括を踏まえて、現在の〈コム・未来〉の内容・条件への評価を語り、進むべき方向を提示する論争を推進したならば、階級闘争への寄与の点で、「姿勢について」の一文とは正反対に、どれほどの意義を発揮できただろうか?
 だが、その総括なしに行われるこうした「姿勢」の説教が、誰を納得させられると考えているのだろうか? こうした提起の仕方を是正し、論戦をおさえる反論ではなく、論戦を触発する反論を行うことができないのだろうか?
 この前提なしには、協議会はもちろん、スターリン派など旧来の左翼組織を克服する革命組織建設などありえない、とわたしは考えている。


共産主義協議会・未来(コム・未来) 新たな協議・協働へ、論争と行動の波よ起これ!
  1. 2015/01/30(金) 16:49:12|
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