古本屋通信

ソ連のアメリカ帝国主義美化

古本屋通信     No 1160  12月2日


ソ連共産党のアメリカ帝国主義美化と現代修正主義者の「平和共存」論(部分核実験停止条約支持と核不拡散条約への屈服)

 -日本共産党の61年綱領からの逸脱と修正主義・議会主義への転落 その仕上げとしての第13回臨時党大会 「自由と民主主義の宣言」 採択


 これを少しずつ書いていきます。今回はウオーミングアップです。飛び飛びになります。まだ草稿さえも出来ていません。これが草稿の予備運動のつもりです。まあ、ゆくゆくは大西巨人の小説みたいなのを書きたいんですが・・・・。

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 これから選挙が終わるまで、題を決めないで取りとめのない事をダラダラと書こうと思っている。その間、対話はしないつもりだ。出典を明示してのブログの引用も避けたい。私がアレコレ引いておいて、その一方で先方からの反論を受け付けないというのは不公平だろう。ただし共産党議員からの引用は今まで通り遠慮なくやらせていただく。それはどのみち相手からの投稿があると想定されないからだ。

 これを思い付いたのは一時間ほど前に河村さんの昨日のブログを読んでからだ。昨日の街頭演説中に年輩の男が駆け寄ってきて、「戦争中で仲間が大勢ソ連で殺された、日本共産党も同じ共産党だから許せない」 と言ったそうだ。これに対し河村さんは少し反論したけれど、相手の納得を得られなかったのでもっと勉強したいと書いている。

 相手がどういう考えか、これだけでは分からないが、15年戦争中に日本軍とソ連軍との直接的な交戦は少なかった筈だから、これは戦後のシベリア抑留のことだろう。ここでは多くの日本人 (といっても旧日本兵。これはハッキリさせておかねばならない) が重労働と栄養失調で死んでる。

 その前に。最近不破哲三の『前衛』連載が単行本になった。まるで反ファッショ統一戦線が誤った戦術であるかのごときデマが流布されている。コミンテルンのこの戦術こそが日独伊ファシズムを敗北に導いた。この限りにおいてコミンテルンは正しく、ディミトロフも正しかった。不破はトロツキストの寝言を50年遅れでリピートしている。ボケ老人の趣味の繰言なのだが、他に書く者がいないから怖ろしい。


 河村さんに詰め寄った男にはハッキリと云わねばならない。日本軍とソ連軍との交戦において、日本軍は侵略軍であり、ソ連軍は正義の軍隊であった。戦地は日本ではなく中ソ国境であった。日本軍が殲滅されたのは当然であって、男の怒りは侵略戦争の責任者である天皇ヒロヒトに向けられなければならない。ソ連共産党に何の非もないし、ましてや獄中で死を賭して戦争に反対した日本共産党に怒りを向けるなど論外であろう。シベリア抑留と北方領土問題での非は全て日本にある。戦後処理の間違いに起因するのだ。その仕上げが日米単独講話条約であった。捕虜の取り扱いに国際協定に反する非人道があった。それは事実だが人道的だったとの証言も多い。

 この辺は日本史の初歩の初歩。アホらしくなるような常識だが、常識がいまや世間では異端になっている。のみならず共産党の界隈でも通じない。その理由はひとつしかない。世の中が右にならえのとき、ブルジョア議会に軸足を置いていては絶対に正しく対応できない。ここ一年、私はあきれ返っている。私もまた修行が足りないばかりに、全く無駄な時をすごしてしまった。いくつかの問題は小学生レベルであった。時間の共有において、私もまた稚拙であった。キンピーサイトの投稿人のTom2 さんが正解であった。

 アッ、河村さん、日本共産党とソ連共産党は1962~63年はじめて公開論争するまで、ずっと兄弟党の関係でした。これは別に日本共産党だけではなく、1960年には世界の81ヶ国の共産党・労働者党が一堂に会して『モスクワ声明』に調印します。当時すでに中ソの共産党には意見に違いがありましたが、このときは妥協の産物として全会一致の調印でした。ただ、『モスクワ声明』 には「国際共産主義運動におけるソ連共産党の指導的役割」を明記しています。日本共産党は1964年の志賀問題以後、ソ連共産党とは関係が断絶しますが、その後ソ共が志賀との関係を絶つと、両者の関係は正常化します。以後もいろいろあって、あなたが書いているような子供だましの方便は、後にも先にも誰にも通用しないのです。つまりハッキリいうと大半がウソだからです。詰め寄ってきた男もバカにしたでしょうね。これはあなたが悪いのではなく、今の共産党の立場では言いようがない、これが議会主義の日本共産党の「犯罪」です。まあ、村井さんではないけれど、かなり自信があっても必ずボロが出ますから、日中、日韓、日朝などは党中央のムービーを借りるなりして、触れないほうが賢明だと思います。


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 ちょっと加筆しておきます。河村さんの記述は現在の党中央の言い分を鵜呑みにして書いたものですが、そのうち明らかなウソの部分を指摘しておきます。
 
「ソ連の政治で誤りがあることについて、日本共産党はソ連に対して厳しく指摘してきた。日本共産党とソ連の共産党は違う。ソ連は私たちが目指す社会主義・共産主義の社会ではなかった、と日本共産党は考えている」。
また、ソ連共産党と日本共産党は同じ共産党と思っている人が多く、私たちの考えや立場を伝える努力と工夫が必要だな、と感じました。レーニン亡き後引き継いだスターリンは独裁政治を進めました。それは共産党が目指す社会主義とは違うのです


 これらは日本共産党が簡潔に街頭宣伝するときに使うマニュアルに書いてあるのでしょうが、聞いていて腹が立つほど説得力がなく、内容的にも誤ったものです。

  その誤り(ウソ)の始まりは、日本共産党が「 ソ連の政治で誤りがある」 と 「厳しく指摘してきた」 というウソです。これは両党の公開論争(1963年)までは全く逆です。日本共産党は一貫してソ連社会主義を讃美してきました。現代世界における社会主義体制の優位性と社会主義の祖国ソ連のすばらしさの称揚です。その端的な例が人工衛星の打ち上げでした。ソ連の国内体制、とりわけ社会保障や教育の無償化などは、共産党が賞賛せずとも、事実、先進的だったのです。今になってソ連社会を暗黒な牢獄社会と描き出す手法こそスターリン主義を思わせます。

 両党の公開論争後には、ソ連の国内体制を賞揚する事はありませんでしたが、批判したこともまた、ありませんでした。これは今日に至るまで、ソ連社会の内部のあれこれを批判してません。だって、他国の内部体制について批判することは日本共産党が最も嫌った「対外干渉」なのです。それなのにソ連の内部問題を日本共産党が批判できる訳がありません。

 1963年以後の公開論争で日本共産党が厳しく批判してきたのはソ連共産党の対外路線、とりわけアメリカ帝国主義美化論と対外干渉に限ってでした。大国主義的干渉、とりわけ日本国内のソ連同調者と関係を絶て、と批判しました。ソ連の国内政治批判では全くありません。またソ連共産党内部の組織問題のいっさいを日本共産党は批判していません。批判など出来るわけがありません。相手が志賀を使って干渉してきたから怒っているのですから。。

 「ソ連は私たちが目指す社会主義・共産主義の社会ではなかった、と日本共産党は考えている」。これはごく最近、不破さんが言い出したことです。こんな幼稚な方便を使うから、高校生にもバカにされ、大学生が党に寄り付かない。だってそうでしょう。ソ連の国内の問題、その社会主義の諸問題について全く(肯定的にも否定的にも)触れないで、どうしてこんな結論が導き出されるんでしょうかね。それに仮にソ連社会主義が申し分ない社会であっても、それが条件のまるで違う日本の社会主義の「目指す社会主義・共産主義の社会」であろうわけがないでしょう。こんなのを語るに落ちたといいますね。

 「ソ連はスターリンの官僚主義国家だったからダメだ」。これが最近になって不破さんが言い出したことです。日本に初めてトロツキスト同盟が結成されたのは1956年だったと思います。同じ事を50年遅れで不破さんは言っていますね。

 「 レーニン亡き後、引き継いだスターリンは独裁政治を進めました」。これで済むなら、今日までの日本共産党の暫定党史、すなわち 『日本共産党の45年』、 『日本共産党の50年』、 『日本共産党の60年』、 『日本共産党の65年』、 『日本共産党の70年』、 『日本共産党の80年』 の全ては無効になります。なぜなならこれらは一時期をのぞいてソ連共産党をソ連邦における正当な政権政党と認めたうえでの記述だからです。いまこの世にソ連もソ連共産党もないのを幸いに何をか云わんやです。

 私の記憶では、対ソ連共産党よりも、対中国共産党とのたたかいのほうが数倍も熾烈でした。不破さんはなぜ中国批判をやらないのでしょうか。私にはとても不思議に思えます。


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  忘れないうちにコピペしておきたい一節があった。誰の文かは問題ではないので出典は添えない。私の批判も特にない。ただ、これの原型は戦前に遡り、戦後69年間かたちを少しずつ変えて、商業文壇で繰り返されてきたように思う。その少し下品なかたちがネット右翼だろう。彼らの左翼批判は事実の見極めの点で極端に甘く、結果デマゴギーそのものである。つまり何一つ根拠を示すことが出来ず、左翼がただ憎いだけの心情なのだ。つまりこの文は本人のいう 「右翼言論」 そのものなのだが、かれにはその自覚はない。

あの学生運動の昂揚期の中で(?)、そのどの辺の位置(?)にいたにせよ、ともかく時代の空気(?)を吸い、そののちの高度成長期を、会社側だろうと組合側だろうと(???)、ともかく正道を歩き(?)続けて、めでたく停年退職(?)し、そこそこ十分な年金を獲得して老後を楽しんでいる人たち、かれらにはまさに懐かしい時代なのだ。
 とりわけおそらく左派の人々にとっては、あの若い日々に情熱を傾け、そののちも職場や地域でたたかいを継続する中で、さまざまなものを勝ち取ってきた、自分の多少恵まれた老後もその延長線のものなのだという実感があるのだろう。
 だが、現代とはどういう時代か、彼らはそれをわかっているのだろうか。労働組合は壊滅し、学生運動もあらゆる市民運動も死に絶え、左派政党が消滅し、右翼言論が日本中に蔓延し、憲法はまさに廃止されんとしている。格差は拡大し、老人たちは姥捨て山に、若者たちはブラック企業と派遣労働とで、貧困の中で疲れ果て、知性を失ってヘイトスピーチとネトウヨの世界に。
 と、まあ、こういった世界なのである。いったい、団塊は70年に何をやったのか、そののちの40年間に何をやったのか。少しも世の中は良くなってはいない、悪くなる一方ではないか、このことに団塊は責任がないのか。
 あの時代も、そののちの日々も、個人的に失敗して生きた人間は、それらの日々を否定的にとらえる。個人的に成功した人間は肯定的にとらえる。
 まあ、それはそれでよいのだが、文学として時代を描こうとするとき、現代への認識を欠いたままで過去を懐かしむわけにはいかないのである。
  1. 2014/12/02(火) 07:37:25|
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