古本屋通信

コミンテルンと日本共産党

古本屋通信      No 1061  9月25日

   資料集 コミンテルンと日本共産党



単行本 – 2014/9/27   ¥ 16,200
和田 春樹 (編集, 翻訳), G.M.アジベーコフ (編集), 富田 武 (翻訳)
モスクワの資料館が秘蔵し本邦初公開されるコミンテルン資料百十数点は、戦前期日本共産党の全体像を照らし出す特筆すべき存在である。党創立前から1941年まで、従来の歴史像を書き換える資料を収録。周到な解題と資料を参照することで、同党の秘史が解明される。現代史研究者必携の書。




 上記はたった今、キンピーサイト経由で入手した岩波の新刊情報の、岩波による能書きの全てである。明日にも発売だが、情報がほとんどない。グーグルに入れて検索したが何も出てこない。それで、これだけの新刊情報を目にしたときの第一印象を正直に書いておく。もちろん印象は事実によって後に修正されるだろう。それでも印象を書いておきたい。

 率直に言って魅力がない。目玉は何なのか、サッパリ分からない。旧版の大月書店のコミンテルン資料集(全7巻)がゴミになって久しい。私もマルエン、レーニン関係と一緒に倉庫に2セット持っているが、使い物にならない。もちろん売れはしない。これにソ連崩壊後に発見された新資料を翻訳して追加したのだろう。その予測は付くが、内実の一切が不明である。

 コレたぶん大月版の再録が大部分だろう。もちろん大月版は大昔に絶版である。岩波が大月の版権を受け継いだのだろう。まあ、それはよい。しかし売価が安い。全1巻というのも手抜きを思わせる。ブサヨさんは高いが妥当だという。私は自信がないから、全1巻にして安価に設定したのだと思う。

 この手の資料集は高値設定で全国の公立図書館と大学図書館にDMを打って注文を取るのが普通だ。しかし絶対に売れないだろう事を見越して、これを初めから諦めているようだ。

 私は編集・翻訳の和田春樹は知っているが、翻訳の富田武は初めてだ。G.M.アジベーコフも知らない。私は和田は朝鮮研究者として熟知している。野坂本も書いている。彼は研究が粗い。それが私の印象だ。

 いますぐ丸善に走る気は起こらない。書店で実物を見る機会があれば見だろう。しかし買わないと思う。1000円でも買わない。



 もうひとつ蛇足だが、見る気も起きない理由。大月版は編集が石堂清倫だったと記憶する。石堂と和田の実力の差は如何とも埋めがたい。下記に和田の著作を貼ったからご覧ください。手抜きしないと普通これだけ書けんよ。赤字部分は誤りでしたので取り消します。



 投稿

 大月書店版コミンテルン資料集の編者
大月書店のコミンテルン資料集は、村田陽一編集です。大月書店版が出版されたのは、80年代なので石堂氏は関係者ではないかと思われます。

2014/09/25(木) 17:56:35 | URL | 中Ⅱ病デモ #BgCG/k.M

 古本屋通信
 やばいかなあ、とりあえず石堂にしておけ、といい加減な事を書いたら早速指摘されました。ありがとうございます。田舎の倉庫の奥深く沈んでいるもんで。村田でしたね。ところでさっそく疑問が出てきました。大月版は70年代との認識だったのですが? ちょっと調べてみますね。
 村田陽一 編訳、 大月書店、 1978-1985
でした。私が第1回配本を新刊で買ったのが確か昭和53年だったもんで・・・。完結まで8年かかったんですね。 

 ところで思わぬ方からお褒めの言葉を頂戴して恐縮している。当ブログへの投稿ではなく、キンピーサイトへの常連・KM生さんの投稿である。少し面映いがそのまま転載させて頂く。先方さんの私への想いについて云えば、私もKM生さんに対してほぼ同様な想いを持っている。キンピーサイトの投稿は拝見している。私は初っ端ボロクソにやられたが恨みはなく、一度は高く評価させて頂いた。もちろん同意できない論もある。しかしこの業界で数少ない年長者として敬意を払っている。ま、今後とも宜しくお願いします。尚、折角お褒め頂いたのですが、岩波版が大月版の焼き直しであるという予測は事実に拠ってひっくり返る可能性もあります。それは今回の新刊が全1巻だからです。どっちみち近いうちに実物で確認しなければならなくなりました。


5. KM生@古本屋通信氏に感謝
2014年09月26日 00:07
私は、以前に「古本屋通信が当掲示板を取上げている」と管理人さんがコメントされて以来、「古本屋通信」にも目を通してきた。
9月25日付の古本屋通信では、「岩波の今回の出版は、昔々の大月書店版コミンテルンと日本(村田陽一訳)の焼直し。しかも編者が和田春樹というのがいけない」と喝破されていた。
私は、本掲示板で「古本屋通信」を酷評してきた。はっきりいって「管理人の人の好嫌いが激しく、独断と偏見に満ちている」印象は免れないが、今回に関しては素直に脱帽である。つまらぬ焼直しに無駄なお金を使わずに済んで本当に良かった(^^)。
古本屋通信氏よ。私はかつてあなたを厳しく批判したし、今も批判的である。しかし「変なプライドにこだわって、自分が批判を持つ他人を正当に評価できないようなけち臭い人間ではない」つもりだ。今回に関しては、素直に脱帽する。


 さらに当ブログへの投稿がありました。ありがとうございます。

和田春樹=アジベーコフ編『コミンテルンと日本共産党』ロシア語版、2001年 というのがあるようです。

加藤哲郎 戦間期「洋行インテリ」の情報共同体 : インターネットを活用した情報政治学 2007年5月
209ページ脚注
http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/13432/4/0400700105.pdf

2014/09/26(金) 23:09:40 | URL | 四葉 #-

 
 更に投稿ですが、これは私のサイトへの投稿ではなく、キンピーサイトへの投稿でした。
KM生さん、そうでしたか。やっぱり私のカンが当たっていてホッとしました。あなたが本屋で確認されたので、私の手間が省けました。もう丸善にはわざわざは行きません。


14. KM生
2014年09月28日 08:18
書店で立読みしましたが、古本屋通信さんの仰る通り「全く大枚はたいてまで購入する価値なし。村田陽一訳本の焼直し」ですた。

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 ウィキペディア

  富田武

;">富田 武(とみた たけし、1945年9月24日 - )は、日本の政治学者、成蹊大学法学部名誉教授。専門は、比較政治学、ロシア・ソ連政治史。
略歴[編集]
福島県生まれ。1971年東京大学法学部卒業、1981年同大学院社会学研究科博士課程満期退学。予備校講師、大学非常勤講師などを経て1988年成蹊大学法学部助教授、1991年より同教授、1999年から2002年まで大学アジア太平洋センター所長を兼務、2002年から2004年まで法学部長を務める。成蹊大学法科大学院創設の提唱者。
単著[編集]
『スターリニズムの統治構造――1930年代ソ連の政策決定と国民統合』(岩波書店, 1996年)
『戦間期の日ソ関係――1917-1937』(岩波書店,2010年)
『コムソモリスク第二収容所 日ソの証言が語るシベリア抑留の実像』東洋書店ユーラシア・ブックレット 2012  
『シベリア抑留者たちの戦後 冷戦下の世論と運動 1945-56』人文書院、2013 
共編著[編集]
(李静和)『家族の変容とジェンダー ――少子高齢化とグローバル化のなかで』(日本評論社, 2006年)
訳書[編集]
F・フェヘール、A・ヘラー、G・マールクシュ『欲求に対する独裁――「現存社会主義」の原理的批判』(岩波書店, 1984年)
E・H・カー『コミンテルンとスペイン内戦』(岩波書店, 1985年)
R・W・デイヴィス『ペレストロイカと歴史像の転換』(岩波書店, 1990年)
O・フレヴニューク『スターリンの大テロル――恐怖政治のメカニズムと抵抗の諸相』(岩波書店, 1998年)



  和田春樹

和田 春樹 (わだ はるき、1938年(昭和13年)1月13日 - )は、日本の歴史学者、社会科学研究家、市民運動家である。専門はソ連史・ロシア史・朝鮮史。東京大学名誉教授。

人物[編集]
大阪府生まれ。静岡県立清水東高等学校を経て、東京大学文学部卒業。
大学入学から、退官まで、約50年間に渡って東京大学においてのみ過ごした。研究分野は多岐にわたるが、ロシア・ソ連・朝鮮半島の近現代史及び、それらの地域と日本の関係にまつわるものが多い。左翼運動・市民運動などの実践活動でも知られる。2010年に韓国の全南大学から「第4回後広金大中学術賞」を授けられる。

研究[編集]
Edit-find-replace.svg この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2014年7月)

民衆側の共産主義[編集]
日本における共産主義研究は、本家であるソ連における共産主義研究の影響のもと、ソビエト連邦共産党の支配確立の歴史をなぞるか、トロツキーをスターリンに対置する程度がせいぜいであった。[要出典]和田による研究対象は、1905年の『血の日曜日事件』で知られるゲオルギー・ガポン、革命家のネストル・マフノによる農民アナキズム運動、ナロードニキとマルクス・エンゲルスとあいだの政治的偏差などを含んだ。

ソ連崩壊と共産主義の瓦解[編集]
1980年代、ソ連においてペレストロイカが進行すると、和田はそれに共感を表明した。[要出典]さらに1990年代になって「急進改革派」が登場し、社会主義体制への批判を強めるようになると、和田は臆することなくそれを強く支持した。[要出典]
しかし、急進改革派が持っていた負の側面について和田は、それを熟知していながら言及を避けていた。それは政治的配慮によるものであったが[要出典]、ロシア近現代史研究の後輩である塩川伸明や下斗米伸夫からは、かつての「進歩的知識人」の誤りを繰り返すものだとして厳しく批判された[1]。また塩川は、和田がソ連・東欧社会主義の崩壊を、一貫して「国家社会主義の崩壊」と規定していることに対して、その用語の曖昧さとともに、国家社会主義でない社会主義という存在の検討がなされていないことについても批判した。
ソ連及びスターリンについては、「マルクス主義が実現すべき目標としたユートピアはスターリンのソ連においてともかくも実現された」、と述べている[2]。

韓国・北朝鮮[編集
和田は国際的な市民活動家としても知られる。[要出典]和田の研究はインテリゲンツィア(知識階級)にとどまらず、民衆の日常に目を向けるものであり、和田は朴正煕時代の韓国でも民衆との連帯を志向した。市民連帯活動では、韓国の民主化運動において、特に金大中救出運動において広い関心を起こしている。[要出典]
和田による朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)現代史研究については、日本の共産主義研究者にはその学問的功績が認められてはいるものの[要出典]、北朝鮮を『遊撃隊国家』とする規定について曖昧であるとの批判もある[要出典]。ラングーン事件について、事件発生直後には「韓国政府内部の人間がやったことも考えられる。北朝鮮の側が爆弾テロをやるということはありえない」(『世界』83年11月号)との立場を一時はとっていたが、『北朝鮮――遊撃隊国家の現在』(1998年)では、北朝鮮工作員の行為と述べている。

主義・主張と社会活動[編集]
対・北朝鮮[編集]
拉致問題
北朝鮮による日本人拉致問題について和田は、2001年(平成13年)の時点においても、「横田めぐみさん拉致の情報は、その内容も、発表のされ方も多くの疑問を生むものである」として、日本政府も拉致疑惑を認定しないことから「横田めぐみさんが拉致されたと断定するだけの根拠は存在しないことが明らかである」と述べている。なお、久米裕の事件については拉致された可能性は高いと述べているが、「日本の警察が国外移送拐取罪で立件しなかった以上、行方不明者として交渉するほかない」と述べている[3][4]。
翌2002年(平成14年)、北朝鮮自身が日本人拉致を認めるに至り、『諸君!』『正論』からは、和田に対する激しい批判が加えられた。また、山脇直司からも、北朝鮮による拉致という国家犯罪は絶対に許してはならないし、左翼知識人の過去の言動は徹底的に糾弾されてしかるべきだろう、と批判された[5]。これを受けて和田は、自分は拉致そのものの存在を否定していたわけではないと弁明した。

対・韓国[編集]
在日韓国人
和田は、在日韓国・朝鮮人に対する社会処遇の向上や、積極的な戦後補償を行うことについて、一貫してそれを求めている。
慰安婦問題
朝鮮人従軍慰安婦問題については、当時の日本政府に対して一貫して批判的である。一方、『女性のためのアジア平和国民基金』に係わる活動によって和田は、朝鮮人慰安婦寄りの主張を行う社会運動家からも批判される立場に立った。
竹島問題
竹島問題について和田は、「竹島が日本の領土と宣言されたのは1905年だ。その時から敗戦までの40年間、 竹島は確かに日本の領土だった。1945年に日本の管轄から脱した後、サンフランシスコ条約でも明確な処理がなされなかった」とし、そのうえで、「植民地支配反省の表現として、日本は独島(竹島の韓国名)を韓国領土として認める」という独自の主張を展開している[6]。さらに2013年10月には、独島問題に関して、日本は韓国側の主張を認めること以外に答えはないとし、韓国は韓日友好のための特別な配慮として鬱陵島と隠岐の島の中間地点に経済水域の境界を設定することを提案した[7]。
また和田は、そのかわりに韓国側が、韓日友好のための思いやりとして、島根県の漁民に島周辺の漁業権を認めるという条件を、竹島を韓国に供与する見返りとして提案している[6]。しかしながら実際には、竹島周辺海は暫定水域として日韓漁業協定による漁業権が確定済みであり、和田の案により日本が得られるものは皆無である[6]。
日韓併合無効論
和田は2010年(平成22年)、日本が韓国を併合するに当たっての韓国併合ニ関スル条約(1910年)は当初から無効であったとして、日本政府がその無効性を認めるよう求める声明を発表した[8]。さらに、内閣総理大臣 菅直人に対しては、同条約の無効を、日韓併合100周年に当たる同年8月に宣言するよう求めた[8]。

歴史教科書[編集]
和田は2001年(平成13年)4月、『新しい歴史教科書』(扶桑社)を批判する声明を、連名で発表した[9]。
翌5月、歴史教科書問題をテーマにしたテレビ討論番組に参加した和田は、同教科書の記載について、「戦前ロシアが朝鮮北部に軍事基地を建設したと書いているが、これは伐採場でしかない」と批判した[10]。同討論に参加していた歴史家・秦はこれに対し、『近代日本総合年表』(岩波書店)にも 『軍事根拠地の建設を開始』との記載があること[11]、しかも同書の編集委員のひとりが、和田とともに抗議声明を出した経済学者、隅谷三喜男であることを指摘して反論した。

北方領土[編集]
和田は、「日本は北方領土の問題にこだわって日ソ関係を非常に悪いままにしている」と、領土問題を問わずにソ連との友好を優先することを主張していた[12]。

論争 - アジア女性基金[編集]
和田は、現代史家・秦郁彦とのあいだで、歴史の事実認定や解釈を巡って何度も論戦を繰り広げたことでも知られる。[要出典]
二人の関係は1995年(平成7年)、村山富市内閣が設立した財団法人 『アジア女性基金』において、ともに資料委員会委員を務めたことに始まる。大蔵官僚出身で官僚や自由民主党関係者との人脈が豊富であった秦は、社会党との関係が強い和田や大沼保昭等の同財団発起人らから、保守人脈をも網羅した国民的運動としての基金活動を展開すべく受け入れられた。
しかし、同基金に拠ってアメリカでも調査を行った秦が同基金への報告書を寄稿すると、和田は秦を激しく批判した。秦による従軍慰安婦に関する報告への、和田による批判は次の様だった。
1.同基金は『村山談話』を根拠としているが、秦の報告には、その趣旨・理念をわきまえないエッセイ的記述が多数ある
2.各自のイデオロギー的立場を越えた資料実証研究を行うという資料委員会の申し合わせに反する
そして、同委員会委員長・高崎宗司と共に和田は、秦に対して文章の撤回を打診した。しかしながら、和田らに撤回要求をするような権限があるかについての疑問を呈し、またそれは打診というよりも査問であったことを秦は訴え、撤回の要求を拒絶した。最終的には、「権限の有無を別として和田・高崎が没を希望、秦がそれを受け入れる」という形で秦論文は未掲載となった。
最終的に取りまとめられたアジア女性基金の報告書、没になった秦の文書で転載されたもの、秦の側の見解表明は以下。
アジア女性基金『「慰安婦」問題調査報告・1999』〔全文ダウンロード可能〕[4]
秦郁彦「『慰安婦伝説』--その数量的観察」『現代コリア』1999年2月〔転載〕。
秦郁彦「天皇訪韓を中止せよ!『アジア女性基金』に巣喰う白アリたち」『諸君』1999年2月号(同『現代史の対決』文藝春秋2005年に大部分が掲載)。

略歴[編集]
1960年(昭和35年)3月 東京大学文学部西洋史学科卒業
1960年(昭和35年)4月 東京大学社会科学研究所助手
1966年(昭和41年) 同・講師
1968年(昭和43年) 同・助教授
1985年(昭和60年) 同・教授
1996年(平成8年)4月 同・所長(1998年3月まで)
1998年(平成10年)3月 東京大学退官
1998年(平成10年)5月 東京大学名誉教授
2001年(平成13年)4月 東北大学東北アジア研究センター 客員教授

著作[編集]
単著『近代ロシア社会の発展構造――1890年代のロシア』(東京大学社会科学研究所, 1965年)
『ニコライ・ラッセル――国境を越えるナロードニキ](上・下)』(中央公論社, 1973年)
『マルクス・エンゲルスと革命ロシア』(勁草書房, 1975年)
『農民革命の世界――エセーニンとマフノ』(東京大学出版会, 1978年)
『韓国民衆をみつめること』(創樹社, 1981年)
『韓国からの問いかけ――ともに求める』(思想の科学社, 1982年)
『私の見たペレストロイカ――ゴルバチョフ時代のモスクワ』(岩波書店[岩波新書], 1987年)
『北の友へ南の友へ――朝鮮半島の現状と日本人の課題』(御茶の水書房, 1987年)
『ペレストロイカ――成果と危機』(岩波書店[岩波新書], 1990年)
『北方領土問題を考える』(岩波書店, 1990年)
『ロシアの革命1991』(岩波書店, 1991年)
『開国――日露国境交渉』(日本放送出版協会[NHKブックス], 1991年)
『金日成と満州抗日戦争』(平凡社, 1992年)
『歴史としての社会主義』(岩波書店[岩波新書], 1992年)
『ロシア・ソ連』(朝日新聞社, 1993年)
『朝鮮戦争』(岩波書店, 1995年)
『歴史としての野坂参三』(平凡社, 1996年)
『北朝鮮――遊撃隊国家の現在』(岩波書店, 1998年)
『北方領土問題――歴史と未来』(朝日新聞社[朝日選書], 1999年)
『ロシア――ヒストリカル・ガイド』(山川出版社, 2001年)
『朝鮮戦争全史』(岩波書店, 2002年)
『朝鮮有事を望むのか――不審船・拉致疑惑・有事立法を考える』(彩流社, 2002年)
『日本・韓国・北朝鮮――東北アジアに生きる』(青丘文化社, 2003年)
『東北アジア共同の家――新地域主義宣言』(平凡社, 2003年)
『同時代批評――日朝関係と拉致問題』(彩流社, 2005年) 
『テロルと改革――アレクサンドル二世暗殺前後』(山川出版社, 2005年)
『ある戦後精神の形成 1938-1965』(岩波書店, 2006年)
『日露戦争 起源と開戦』(岩波書店, 2009年)
共著(和田あき子)『血の日曜日――ロシア革命の発端』(中央公論社[中公新書], 1970年)
(前田哲男)『くずれる国つながる国――ロシアと朝鮮日本近隣の大変動』(第三書館, 1993年)
(高崎宗司)『検証日朝関係60年史』(明石書店, 2005年)
編著『レーニン』(平凡社, 1977年)
『ロシア史の新しい世界――書物と史料の読み方』(山川出版社, 1986年)
『ペレストロイカを読む――再生を求めるソ連社会』(御茶の水書房, 1987年)
『ロシア史』(山川出版社, 2002年)
共編著
職のいきさつから東京大学社会科学研究所の研究者との共著が多い。
(高崎宗司)『分断時代の民族文化――韓国[創作と批評]論文選』(社会思想社, 1979年)
(梶村秀樹)『韓国の民衆運動』(勁草書房, 1986年)
(梶村秀樹)『韓国民衆――学園から職場から』(勁草書房, 1986年)
(梶村秀樹)『韓国民衆――「新しい社会」へ』(勁草書房, 1987年)
(小森田秋夫・近藤邦康)『「社会主義」それぞれの苦悩と模索』(日本評論社, 1992年)
(近藤邦康)『ペレストロイカと改革・開放――中ソ比較分析』(東京大学出版会, 1993年)
(田中陽兒・倉持俊一)『世界歴史大系 ロシア史(全3巻)』(山川出版社, 1994-1997年)
(家田修・松里公孝)『スラブの歴史』(弘文堂, 1995年)
(水野直樹)『朝鮮近現代史における金日成』(神戸学生青年センター出版部, 1996年)
(大沼保昭・下村満子)『「慰安婦」問題とアジア女性基金』(東信堂, 1998年)
(隅谷三喜男)『日朝国交交渉と緊張緩和』(岩波書店, 1999年)
(石坂浩一)『現代韓国・朝鮮』(岩波書店, 2002年)
(高崎宗司)『北朝鮮本をどう読むか』(明石書店, 2003年)
訳書『金大中獄中書簡』(岩波書店, 1983年)
アレク・ノーヴ『スターリンからブレジネフまで――ソヴェト現代史』(刀水書房, 1983年)
アレクサンドル・チャヤーノフ『農民ユートピア国旅行記』(晶文社, 1984年)

家族[編集]
夫人はロシア文学者の和田あき子。長女の和田真保は練馬区区議会議員をつとめた。

脚注[編集]
1.^ http://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/wada.htm 塩川による厳しい批判
2.^ 和田春樹 「マルクス主義が実現すべき目標としたユートピアはスターリンのソ連においてともかくも実現された」 『世界』90年1月号
3.^ 2001年1月号『世界』「日本人拉致疑惑」を検証する[上]和田春樹[1]
4.^ 2001年2月号『世界』「日本人拉致疑惑」を検証する[下]和田春樹[2]
5.^ 山脇直司「日本外交の哲学的貧困」『論座』 2004年3月号
6.^ a b c ハンギョレ新聞(韓国語)2008年7月27日。
7.^ 和田春樹氏「日本は韓国の主張認めるべき」=独島問題、聯合ニュース、2013年10月1日
8.^ a b 日韓併合、首相談話で無効宣言を 『共同通信』 平成22年7月28日配信
9.^ 扶桑社中学校社会科歴史教科書の近現代史部分(第4,第5章)の問題点 [3]
10.^ 『朝まで生テレビ』 (テレビ朝日)
11.^ 初版~4版の各版とも1903年5月上旬に『露軍、鴨緑江を超えて竜岩浦に至り、軍事根拠地の建設を開始』と記載
12.^ 『世界』 1986年5月号
  1. 2014/09/25(木) 09:12:48|
  2. 未分類