古本屋通信

壺井繁治賞

古本屋通信     No 1043  9月15日

  壺井繁治賞


 左翼詩壇のもっとも名誉ある賞が壺井繁治賞であることはよく知られている。こんかい私が入手した詩人の肉筆はがきには、以下の一覧表中の赤文字の詩人のはがきが多数在った。先ほどはがき入れに収めた(約1000枚あるだろう)ので、記憶のあるうちに備忘録としたい。受賞した詩集・評論集名は今回は関係ない。


 受賞年  受賞回  名前  詩集・評論集名
1973年 第1回詩人会議賞 村上国治 『村上国治詩集』
1974年 第2回詩人会議賞 佐藤文夫 『ブルースマーチ』
1975年 第3回詩人会議賞 城侑 『豚と胃と腸の料理』
1976年 第4回詩人会議賞 津布久晃司 『生きている原点』  三田洋 『回漕船』
1977年 第5回詩人会議賞 滝いく子 『あなたがおおきくなったとき』
1978年 第6回壺井繁治賞 この年から賞の呼称を変更する。 鳴海英吉 『ナホトカ集結地にて』
1979年 第7回壺井繁治賞 浅井薫 『越境』
1980年 第8回壺井繁治賞 宮崎清 評論集『詩人の抵抗と青春ー槇村浩ノート』
上手宰 『星の火事』
1981年 第9回壺井繁治賞 仁井甫 『門衛の顔』  瀬野とし 『なみだみち』
1982年 第10回壺井繁治賞 中正敏 『ザウルスの車』
小田切敬子 『流木』
1983年 第11回壺井繁治賞 大崎二郎 『走り者』
1984年 第12回壺井繁治賞 近野十志夫 『野生の戦列』   佐藤栄作 『白い雲と鉄条網』
1985年 第13回壺井繁治賞 草野信子 『冬の動物園』
1986年 第14回壺井繁治賞 赤山勇 『アウシュビッツトレイン』   坪井宗康 『その時のために』
1987年 第15回壺井繁治賞 芝憲子 エッセイ集『沖縄の反核イモ』   くにさだきみ 『ミッドウェーのラブホテル』
1988年 第16回壺井繁治賞 斎藤林太郎 『斎藤林太郎詩集』
1989年 第17回壺井繁治賞 みもとけいこ 『花を抱く』
1990年 第18回壺井繁治賞 筧慎二 『ビルマ戦記』
1991年 第19回壺井繁治賞 片羽登呂平 『片羽登呂平詩集』
1992年 第20回壺井繁治賞 鈴木文子 『女にさよなら』
1993年 第21回壺井繁治賞 津森太郎 『食えない魚』
1994年 第22回壺井繁治賞 柴田三吉 『さかさの木』
1995年 第23回壺井繁治賞 金井廣 『人間でよかった』
1996年 第24回壺井繁治賞 返田満 『盆地の空』
1997年 第25回壺井繁治賞 茂山忠茂 『不安定な車輪』
1998年 第26回壺井繁治賞 彼末れい子 『指さす人』  稲木信夫 評論集『詩人中野鈴子の生涯』
1999年 第27回壺井繁治賞 佐々木洋一 『キムラ』  遠山信男 評論集『詩の暗誦について』
2000年 第28回壺井繁治賞 葵生川玲 『はじめての空』
2001年 第29回壺井繁治賞 市川清 『記憶の遠近法』
2002年 第30回壺井繁治賞 伊藤真司 『切断荷重』
2003年 第31回壺井繁治賞 中山秋夫 『囲みの中の歳月』
2004年 第32回壺井繁治賞 猪野睦 『ノモンハン桜』
2005年 第33回壺井繁治賞 真栄田義功 『方言札』
2006年 第34回壺井繁治賞 杉本一男 『消せない坑への道』
2007年 第35回壺井繁治賞 久保田穣 『サン・ジュアンの木』
2008年 第36回壺井繁治賞 杉谷昭人 『霊山 OYANA』
2009年 第37回壺井繁治賞 小森香子 『生きるとは』
2010年 第38回壺井繁治賞 宇宿一成 『固い薔薇』
2011年 第39回壺井繁治賞 詩人論賞  清水マサ 『鬼火』  草倉哲夫 『幻の詩集 西原正春の青春と詩』
2012年 第40回壺井繁治賞 秋村宏 『生きものたち』
2013年 第40回壺井繁治賞 照井良平 『ガレキのことばで語れ』


 私は詩壇に疎い。約2000枚のはがきのうち、無名の素人であると思われた約半分を捨てた。ところが捨てた中に上記の数名の詩人のものが含まれていた。自分の無知を恥じるしかない。もちろん受賞詩人以外も多く残しているし、優れた詩人はいるだろう。正直に告白しておく。私は字の上手な詩人のはがきを残し、下手なはがきを捨てたのである。上記の中正敏は下手だったので余程捨てようかと思ったが、辛うじて思い留まった。10通はあったろう。下手な半数は捨てた。

 それにしても時代を感じさせるのは、第1回の受賞が村上国治の 『村上国治詩集』 であることだ。私はこの詩集を持っているが、感無量である。あたかもこの賞が村上の出所記念に設けられたかの如くだ。

 それから坪井宗康の受賞ははっきりと憶えている。これが香川県の赤山勇と同時受賞だったので、余計記憶が鮮やかだった。私は高松時代に赤山勇を知り、その時代の詩集(血債の地方 赤山勇詩集)も持っていたのである。

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ウィキペディア

壺井繁治


壺井 繁治(つぼい しげじ、1897年(明治30年)10月18日 - 1975年(昭和50年)9月4日)は、日本の詩人である。日本共産党員。
香川県小豆郡苗羽村(現在の小豆島町)出身、早稲田大学に学ぶ。1920年代にはアナキズムの陣営に属し、『赤と黒』などに拠って詩作をはじめた。その後、コミュニズムに接近、プロレタリア文学の詩の分野で活躍した。1930年代には何度か投獄され、その後は小熊秀雄や村山知義たちと〈サンチョ・クラブ〉を結成し、風刺的な詩を作っていた。
戦後は新日本文学会の創立に参加し、発起人となる。しかし、戦後登場した武井昭夫や吉本隆明たち若手からは、戦時中の行動との差のために批判の対象にされた。その後、グループ「詩人会議」を結成し、民主主義文学の詩の分野を確立させていった。同郷の黒島伝治の業績の顕彰につとめ、岩波文庫収録の黒島作品集『渦巻ける烏の群』の解説を書いたり、『軍隊日記』を編纂したりもした。また、小林多喜二の全集の編集委員としても活躍した。妻は作家の壺井栄である。

  1. 2014/09/15(月) 00:56:06|
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