古本屋通信

もがく村井明美さん

古本屋通信     No 1010  8月25日

  踠(もが)く 村井明美さん
  踠く  もだえ苦しんで手足をやたらに動かす。あがく。 事態をなんとかしようとあせる。いらだつ。


 私の知るかぎり、朝日新聞の自己検証記事について、曲がりなりにもコメントした日本共産党の地方議員は村井明美さんただ一人であった。私はそれを既に酷評している。それでもコメントされたこと自体は評価した。以後10日以上が経過した。昨日になって、村井文に一件の投稿があり、それに対して村井さんが応えている事を知った。その全文を転載し末尾に簡単な拙文を付すことにした(古本屋通信)。
 




慰安婦問題の朝日新聞記事について
2014.08.11 22:33  村井明美
一部の方の中に、「朝日新聞が慰安婦問題はねつ造だったと認めた」と、鬼の首を取ったみたいに言う人がいましたので、「あら、そんなはずないわ」と思って、朝日新聞を読み返してみました。
そしたら、そんなこと、書いていませんでした。
8月5日付けの朝日新聞には、「……そうして報じた記事の一部に、事実関係の誤りがあったことがわかりました」と書いてありますね。
「慰安婦問題の本質直視を」という1面の記事です。
続けて「問題の全体像が分からない段階で起きた誤りですが、裏付け取材が不十分だった点は反省します。……こうした一部の不正確な報道が、慰安婦問題の理解を混乱させている、との指摘もあります。しかし、そのことを理由とした『慰安婦問題は捏造』という主張や『元慰安婦に誤る必要はない』といった議論には決して同意できません」と続いています。
そして「戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません。慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです」と、明快に書かれております。
「隣国と未来志向の安定した関係を築くには、慰安婦問題は避けて通れない課題の一ついです。私たちはこれからも変わらない姿勢でこの問題を報じ続けて行きます」と、5日の記事は結ばれております。
「一部に間違いがあった」と不十分さについて、自ら明らかにして、一層慰安婦問題の本質に迫る決意が述べられているのです。
このような重要な問題については、記事や文献を正確に読み解いて行かなくてはなりませんね。
そして、歴史の真実を明らかにしてゆく努力を、積み重ねなくてはなりませんね。


投稿者コメント 名無しです
あの、問題なのは、その記事が元になって、日本人が悪く言われてる事であって、
私は学生の頃日本人はダメな民族です。強姦魔の子孫なんです。などと教えられ、挙句の果てには、日本は吹けば飛ぶような口なんですよ。などど平和教育で堂々という教員までいた始末です。
二度と教え子を戦争に行かせるなというのは、本当にいい言葉だと思いますし、大切にしてもらいたい教育理念だと本当に思います。
ですが、だからと言って私のように、日本は本当に酷い国だと思い込まされるような話はどうかと思います。
私は当時本当に日本人である事が恥ずかしく思っていて、戦争に行った人に対して凄く失礼な言葉を投げかけてしまった事を今はその事に関して恥ずかしくおもいます。
もう少し日本の素晴らしさを全面に訴えられないでしょうか?
共産党さんの記事を読んでいると、日本の悪口しか言ってないように思えるのは、私だけではないと思います。

2014.08.13 00:32 |URL |編集|



日本の誇りある未来を思うからこそ
村井明美
日本という国は、2度と侵略戦争はしないと国際的に公約した戦後憲法9条を持つ国として、国際的に高い信頼を受けてきました。

> しかし、今、阿倍首相の集団的自衛権の発動をもくろむ動きの中、右翼的潮流が勢いをつけようとしていることは、大いに問題です。

> 日本が、今後、さらに国際的に信頼を売るためには、歴史の真実に真摯に向き合い、あの戦争はなんであったのか、朝鮮や中国で、何を行ったのか、きちんと反省をして、アジア諸国民から見ても、日本国民から見ても、歴史の真実は同じという歴史観を打ち立てることではないでしょうか。

> 従軍慰安婦の問題や強制連行、中国大陸での虐殺など、あるいは731部隊の蛮行については、恥部として関連資料を消滅させ、抹殺して来ました。

> 当時、外国人捕虜は保護するという国際法についても平気で踏みにじっていました。

> 日本は神の国だ、日本民族は世界の中で最も優れた民族だと、中国や朝鮮、ソ連やアメリカ、イギリスの国々を蔑視する思想を、日常的に植え付けました。

> 日本良い国神の国、チャンコロ、ロスケ、鬼畜米英…子どもたちにも口移しで思想を植え付けました。

> それは、道理のない他国への侵略戦争を行うためです。
> 日本の戦争は、道理のない侵略戦争でした。ゆえに、日本軍は、世界中で最も野蛮で残虐な部隊でもありました。

> 今、日本が再び、アメリカの世界戦略に加担するために、同じ道理のない戦争できる国へと進もうとする時、改めて、日本が進軍した国々から、懸念とともに戦前の蛮行が告発されているのです。

> 日本共産党は、2度と同じあやまちを繰り返さないために、歴史の真実を隠ぺいしてはいけない。真摯に向き合い、反省をし、謝り、新たな国際平和への道を進もうと、提唱しているのです。

> 同じ侵略国であったドイツでは、今でもナチスの戦争責任を追及しています。

> 日本は、アメリカの戦後の世界戦略の中で、古い支配層が一部残され、戦後すぐから利用されてきました。

> アメリカは、日本全土をアジア・中東への侵略基地とし、前線での戦闘もアメリカ兵と肩代わりさせようと圧力を強め、この機に乗じて、兵器産業などで大儲けをしようとたくらむ阿倍政権は、なりふり構わず、戦争できる国に向けて暴走しています。

> その暴走を引き留めるためにも、日本の政府が、歴史の真実に向き合い、憲法に誠実な国づくりを進めるよう、国民が声を上げるべきではないでしょうか。

> 新聞赤旗は、反動的な潮流や誤った国粋主義などを最も鋭く告発している新聞です。
> 同時に、日本全国津々浦々で、懸命に生きている方々の営みに光を当て、日本人の素晴らしさ、人間の暖かさを報道している新聞です。

> どうか、澄んだ目で、日本の過去の歴史やこれからの国際社会の中で生きてゆく道筋を見つめていただいて、ご一緒に、すべての国と手をつないで行ける平和な地球を実現する道筋を歩いてゆきましょう。

2014.08.13 11:31 |村井あけみ |URL |編集|


 古本屋通信
 ブログ主は投稿者の見極めから開始せざるを得ない。私だったら、意図的な(組織的な)反共主義者と見做せば端から抹殺する。消せばオワリだ。同じ反共でも幼稚なものを含めて素朴な感情の吐露は多いだろう。難しいがとりあげて応える以上、対等な立場で誠実に応えなければならない。その場合、自分の主張もさることながら、相手の論点をいくらか取り入れなければ建設的な討論にはならないだろう。

 私にはこの投稿者はよく分からない。かなり右なのは事実だが、それは現在の到達点であって、素朴に「自分のこどもにつらい思いをさせたくない」と思っているように見える。しかし私だったら、相手にしないだろう。ギブアップである。左翼ブログだから、この辺までは包容出来ない。しかし共産党の地方議員の立場はまた違うだろう。

 本論に入る。投稿者自身もすぐに朝日新聞と村井文から離れて発言をしているように見える。自分が言いたいことを言えばよいのだ。

 しかしなんと村井さんもまた、朝日新聞の記事も、自分の過去文も、相手の投稿文も、その全てを無視して自分の思うところを一気に捲し立てているではないか。

 まあ完全に問題のすり替えですワ。15年戦争を経ての日本の戦後史、その中での進歩と反動のせめぎあい、それを村井さんは捲し立てている。

 これじゃあ、投稿者はますます不審を募らせるだろう。それ以上に安倍政権をはじめとする戦争勢力に絶対に勝てない。

 問題になっているのは唯2点だけ。朝日新聞の過去のデッチアゲ記事と今回の自己検証記事。そこを離れて、そこから逃げて、一体ナンジャラホイ?

 村井さんでも無理ですね。 [河野談話の有効性は些かも変わらず] という党中央の結論を不動の教条とする以上、無理です。それにご存知だと思いますが、当時の赤旗の記事にも吉田の作り話を真に受けたものはたくさんあるのです。それ以前にも、千田夏光は赤旗の常連でした。これも検証すればホコリは出てくると思います。

 侵略戦争の下で、数え切れない虐殺、強姦、略奪、売春、その他あらゆる許されざる非人間的行為があった。然しそれは朝鮮半島で20万人の「性奴隷」がいたという話には自動的に結びつきません。それを無理に結び付けているのが村井さんの文です。説得力はゼロと言わなければなりません。


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 ウィキペディア

 千田夏光
千田 夏光(せんだ かこう、1924年8月28日 - 2000年12月22日 本名:千田 貞晴)は、日本の作家。
目次 [非表示]
1 略歴
2 著作『従軍慰安婦』 2.1 朝鮮人慰安婦強制連行「20万」説
2.2 関東軍特種演習での慰安婦徴集証言の捏造
2.3 麻生徹男軍医に関する虚偽記載と謝罪
3 主な著作
4 脚注
5 関連項目

略歴[編集]
薩摩藩士で貴族院議員だった千田貞暁の曽孫として1924年、現・中華人民共和国の大連市に生まれる。日本大学中退後、毎日新聞に入社。1957年からフリー作家となる。

著作『従軍慰安婦』[編集]
1964年、毎日新聞発行の写真集『日本の戦歴』を編集時に「不思議な女性の写真を発見し」「この女性の正体を追っているうち初めて慰安婦なる存在を知った」[1]後、「従軍慰安婦」という用語『この人が勝手に創った造語』を用いた初の著作『従軍慰安婦』(1973年)を公表。1973年には、『従軍慰安婦 正編』を上梓し、その中で「従軍慰安婦」という語を戦後の文書ではじめて使用した。その後、日本や韓国をはじめとする慰安婦問題に大きな影響を与えた。

1985年に同書の解説を書いた秦郁彦は「昭和期の日本軍のように、慰安婦と呼ばれるセックス・サービス専門の女性軍を大量に戦場に連行した例は、近代戦史では他にない。その7・8割は強制連行に近い形で徴集された朝鮮半島の女性だったが、建前上は日本軍の「員数外」だったから、公式の記録は何も残っていない。他に類書がないという意味で貴重な調査報告といえよう」と当時は評価した[2]。その後、慰安婦問題が日韓の間で外交問題ともなり、日本政府が調査を行い、また秦も1999年に慰安婦問題について詳細に検証した『慰安婦と戦場の性』(新潮社)を刊行した。

『従軍慰安婦 正編』の中には原善四郎(関東軍参謀)に面会し、「連行した慰安婦は八千人」との証言を引き出したとの記述がある[3]。しかし、原の軍歴に間違いがあったため『正論』や『諸君!』で面会した事実に相次いで疑問が投げられた[4]。後に、千田は原の軍歴については、原と面会することなく確認しないまま他の書物を引き写したことを認めている[4]。

また、同書において麻生徹男軍医を慰安所発案の責任者であるとほのめかすように描いたことについて、1996年、麻生軍医の娘である天児郁は千田が「これらの著述は誤りであり、今後誤解をまねく記述はしない」と謝罪したと述べている[5]。天児郁の元には、麻生を慰安婦考案者と誤解し、「民族のうらみをはらす」「謝れ」などと娘も含めて罪人扱いする者が大勢訪れたとされる[6]。

朝鮮人慰安婦強制連行「20万」説[編集]
「従軍慰安婦」という語を戦後はじめて使用した『従軍慰安婦 正編』では「挺身隊という名のもとに彼女らは集められたのである。(中略)女子挺身隊に動員された女性20万人のうち、5〜7万人が強制的に従軍慰安婦に従事した」と記述している。

アジア女性基金運営審議委員高崎宗司の調査によれば、1970年8月14日にソウル新聞が
1943年から1945年まで、挺身隊に動員された韓・日の2つの国の女性は全部でおよそ20万人。そのうち韓国女性は5〜7万人と推算されている

と報道する[7]。このソウル新聞記事における「5〜7万」の推算の根拠は不明であり、高崎宗司によれば、確実な資料から判断すると、半島の女子挺身隊は多く見積もっても4000人ほどであり、女子挺身隊が20万人もいたなどという説は到底成り立たないとしている[7]。

在日朝鮮人運動史研究者の金英達(キム・ヨンダル)と高崎宗司の研究によれば、このソウル新聞の記事を千田夏光が誤読して典拠し、
『挺身隊』の名の元に彼女らは集められた」
「総計20万人(韓国側の推計)が集められたうち、『慰安婦』にさせられたのは5万人ないし7万人とされている
と1973年の著作『従軍慰安婦』で記述したとしている[7]。
1984年に元『東亜日報』編集局長の宋建鎬(ソン・ゴンホ)が発表した『日帝支配下の韓国現代史』(風濤社刊)でも「日本が挺身隊という名目で連行した朝鮮人女性は、ある記録によると20万人で、うち5 - 7万人が慰安婦として充員された」と述べる(1969年の報道記録からと見られるという)[8]。
1991年、朝日新聞では「従軍慰安婦」について、「女子挺身隊の名で戦場に連行された」と報道しているように、「慰安婦は女子挺身隊の名で連行された」という間違った言説が広まったが、高崎宗司によれば、それらは「挺身隊という名のもとに彼女ら(慰安婦)は集められた」と書いた千田の著書を依拠しているとし、また韓国の歴史家である姜万吉は、慰安婦問題を取り扱っている団体が『韓国挺身隊問題対策協議会』などという団体名にしているなど、慰安婦と挺身隊の混同をしていることについて疑義を呈していた[7]。2014年8月5日になって朝日新聞は当時の記者(植村隆)が間違っている資料を誤用し、間違った記事を書いてしまったとする訂正記事を載せている。
1993年、「挺身隊研究会」会長の鄭鎮星 (チョン・ジンソン)ソウル大学教授は「8万人から20万人と推定される慰安婦のうち、絶対多数を占めると思われている朝鮮人慰安婦」としたが、根拠不明であり[9]、また「強制連行」の定義を当時の国際条約に従い詐欺、暴行、脅迫を含めて再定義している。
このような朝鮮人慰安婦を「20万」強制連行したという言説については、李栄薫ソウル大学教授は過度の誇張として批判している[10]。
1995年、中央大学教授吉見義明は慰安婦数を4万5000人~20万人と推算した[11]。秦郁彦は慰安婦総数を1993年には9万人[12]、1999年には大幅修正して約2万人と推算した[13]。
関東軍特種演習での慰安婦徴集証言の捏造[編集]
関東軍特種演習(関特演)において慰安婦が強制的に集められたと、千田は原善四郎元少佐の証言を紹介した[14]。千田は、
(後方担当参謀原善四郎元少佐が)必要慰安婦の数は二万人とはじき出し、飛行機で朝鮮へ調達に出かけているのである。ここで、つまり昭和16年には、すでに朝鮮半島は慰安婦の草刈場となっていたことがわかる。実際には一万人しか集まらなかったというが草刈場になった事実は動かせない。
と書いた[15]。また、それ以降のページで原への対面インタビューが掲載されており、著者である千田の「70万人の兵隊に2万人の慰安婦が必要とはじき出した根拠というか基準は何だったのですか」という質問に対して、原が
はっきり覚えていないけど、それまでの訓練つまりシナ事変(日中戦争)の経験から算出した。
二万人と言われたが、実際に集まったのは8千人ぐらいだった。
集めた慰安婦を各部隊へ配属したところ、中には<そんなものは帝国陸軍にはいらない>と断る師団長が出たのです。ところが、二ヶ月とたぬうち、<やはり配属してくれ>と泣きついて来た
と語ったと記載された[16]。
この原証言に関する記載について1993年に加藤正夫が調査したところによれば、関特演の予算担当者だった加登川幸太郎少佐や、関東軍参謀の今岡豊中佐らは、関特演での慰安婦動員は聞いた事がないと証言した[4][17]。また、当時の満州には慰安所ではなく、民間の朝鮮人売春婦宿は多数営業していた[17]。また、千田の著作では原善四郎元少佐の肩書きは関東軍司令部第三課と書かれているが、加藤の調査によれば原元少佐は関東軍第一課、第四課には所属したことはあったが、第三課に所属した事実は確認できなかった[17]。加藤が千田夏光本人に問い詰めたところ、千田は原証言については島田俊彦の著書『関東軍』(中公新書 1965年)に載っていた話を引用したものであると答え、実際に行ったインタビューではなく、創作インタビューであったことを認めた[4][17]。その島田の著作も出典はなく、根拠を示していないものだった[18][17]。

麻生徹男軍医に関する虚偽記載と謝罪[編集]
医師の天児都は2001年に出版した自著で、夏光の『従軍慰安婦』に裏付けのない記述や矛盾が多いと指摘した。千田は1996年4月、軍医だった天児の父、麻生徹男が自身の論文で娼楼でない軍用娯楽所(音楽、活動写真、図書等)の設立を希望したのに、娼婦が不可欠のものと主張していると誤解し、父親を慰安婦制度を考案した責任者のようにほのめかしたことを娘の天児に謝罪したと言うが、その後も出版元の三一書房と講談社はその部分を改訂しなかった。
天児は、千田の『従軍慰安婦』について、1973出版の「正篇」には63ヶ所、「続篇」には23ヶ所の問題のある記述があるとし、考察に当たる部分に事実の裏づけがなく矛盾が多くあり、このような著書を何ら検証せずに孫引きして事実として扱われた著書が多く出版され、それが海外へ流出して日本叩きの材料となっており、国連人権委員会のクマラスワミ報告では事実と違っている千田の著書を孫引きしたジョージ・ヒックスの『慰安婦』が国連人権委員会でクマラスワミ報告で事実関係の供述にまで使用されたと語っている[19][5][6]。

主な著作[編集]
従軍慰安婦(双葉社、1973年) 三一新書(三一書房)1978年。
講談社文庫、1984年、ISBN 406183374X)
続・従軍慰安婦(双葉社、1974年)
従軍慰安婦・悲史(エルム社)
戦争で涙した女たちのどうしても語りたかった話
従軍慰安婦・慶子 死線をさまよった女の証言
従軍慰安婦 その支配と差別の構図
従軍慰安婦と天皇
従軍慰安婦とは何か 高校生徹底質問!!
従軍慰安婦 声なき声 八万人の告発 双葉社 1973年10月20日
涙痕 オンナたちの戦争
ニコニコ売春
植民地少年ノート

脚注[編集]
1.^ 『従軍慰安婦』1973年 後書き
2.^ 『日本陸軍の本・総解説』 自由国民社 1985,p258
3.^ 『従軍慰安婦 正編』 [要ページ番号]
4.^ a b c d 加藤正夫「千田夏光著『従軍慰安婦』の重大な誤り」『現代コリア』1993年2・3月号、p55-6
5.^ a b 慰安婦問題の問いかけているもの
6.^ a b “【歴史戦 第2部 慰安婦問題の原点(1)後半】軍医論文ヒントに「完全な創作」世界に増殖 誤りに謝罪しながら訂正せず”. 産経新聞. (2014年5月20日) 2014年5月21日閲覧。
7.^ a b c d 高崎宗司「半島女子勤労挺身隊」について]:『「慰安婦」問題 調査報告・1999』財団法人女性のためのアジア平和国民基金刊,1999年。
8.^ 『日帝支配下の韓国現代史』 [要ページ番号]
9.^ 韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会 (編)『証言・強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』 明石書店 1993年[要ページ番号]
10.^ 李榮薫『大韓民国の物語』 永島広紀訳 文藝春秋 2009年。(月号数について[要出典])
11.^ 『従軍慰安婦』(岩波新書) [要ページ番号]
12.^ アジア女性基金「慰安所と慰安婦の数」
13.^ 秦郁彦 『慰安婦と戦場の性』 新潮社 1999年[要ページ番号]
14.^ 千田1978,p102-105
15.^ 千田1978,p103
16.^ 千田1978,p104-5
17.^ a b c d e 西岡力「よくわかる慰安婦問題」p77-79
18.^ 『関東軍』(中公新書 1965年)p176
19.^ 天児都 『「慰安婦問題」の問いかけているもの』 石風社 2001年7月 [要ページ番号]
  1. 2014/08/25(月) 00:06:20|
  2. 未分類