古本屋通信

古本のターミナル

古本屋通信    No 978  8月3日

  古本のターミナル


 今日も一日田舎で過ごした。体の痛みは消えず苦悩は深まる。苦悩は体が思うように動かないからだが、こういう時は倉庫と蔵に積まれた古本の束3万冊の行方が重くのしかかってくる。  

 書いてみても仕方がないのだが、やはり書いておこう。父が93歳で死んだのが5年前である。その2年前から実家に少しずつ古本を運び始めた。約10坪の伊福町の小さな店には置き切れなくなったのだ。少しずつ乗用車で運んだ。飛び切りの良書ではないけれど、捨てる決断もつかない社会科学と人文科学の雑本である。この中には党文献も入っている。これを含めて約3万冊すべてには、「日本の古本屋」でソコソコの値が付いている。ソコソコの値とは千円前後あるいはそれ以上という意味である。アマゾンで超安価の本は入っていない。これら全てに私なりの古本売価をエンピツで記入して、10~20冊ごとに紐で束ねて収納している。

 いったいこの束をどう処理したらよいのか、私は田舎に古本を持ち帰り始めた7年前からずっと苦にしているのだ。普通は倉庫の利用は一時的である。特に市街地の貸し倉庫に永久保存する馬鹿はいない。これは古本屋に限らないだろう。

 以前だとこれらの束は業者交換会で値が付いた。1束千円は無理でも、3束まとめれば千円は付いた。ところが現在ではさっぱり付かないのだ。一冊一冊見るとまあまあの本、それらを10~20冊まとめても同業者に売れないのだ。同業者に売れないということは顧客が買わないということだ。そういう時代になってきている。

 一般論を書いても仕方がない。左翼文献について書こう。倉庫には党文献が千冊はあるだろう。これは単行本だ。そのほかに党関係の雑誌がかなりある。これは捨てて捨てて捨てきれないものだけだ。雑誌名は書かなくてもよかろう。創刊時からの『前衛』その他である。これとは別に左翼系の文庫と新書がある。青木文庫、国民文庫(大月書店)、新日本新書、三一新書その他。これらを私はいったいどう処理したらよいのだろうか。

 他人は 「けっこうな置き場所があっていいですね」 と言う。確かにいっけん無料だ。この家は田舎としては小さいほうだが、それでも詰めれば10万冊は収納できるだろう。しかし私はもうこれ以上持ちかえらないことにしている。デッドストックに意味はない。因みに田舎のこの家、古民家再生と言えば聞こえがよいが、何とか人間が住めるように手を入れるについて、半端でない出費があった。修繕したのは母屋と離れ長屋だが、ネズミの小便だらけで古本など置けたものではなかったのだ。決して無料ではない。
  1. 2014/08/03(日) 21:36:04|
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