古本屋通信

小川洋子後記

古本屋通信    No 967  7月28日

  小川洋子後記



 No 966 は書き上げるまでに6 時間も懸かってしまった。時間が惜しいとは思わなかった。単純な事実だったが自分の思い違いが分かったことは大きかった。しかしこのエントリーは10分で済ませるつもりだ。

 小川洋子の名前をアマゾンに入れた。まあ、出るワ、出るワ。あきれ返った。私は芥川賞受賞作を最後に目もくれなかった。その後の出版物も 『博・・・』 の名前を聞いただけだった。

 これをみると小川洋子は見事に文学職人に成長している。驚いた次第だ。早稲田出身だけでなく日本の全ての作家志望者のなか、1万人にひとりの成功例だろう。

 アマゾンレビューのいくつかを一瞥した。褒めていようが貶していようが一緒である。これがベストセラーの感想文である。


 私は小川の作品を文庫本で読んだことはない。初期作品の数冊をハードカバーで丁寧に読んだ。各作品について、何か書くことを前提にして読んだ。そして出来るだけ好意的に書評を書いた。

 この頃の小川洋子にベストセラー作家志向は認められなかった。しかし書いていて厭な感じになったのは否定できない。それは私が文芸雑誌 『海燕』 そのものに懐いた感想とほぼ一致していた。

 この雑誌のアレコレについては、田村幸久とのオフレコ含みもあり明かせない。ただ編集長寺田博は保守の編集者であった。反動とまで断じないのは編集者としてのバランス感覚を維持していたからである。雑誌創刊号の目玉が吉本隆明の 「ハイ・イメージ論」 だったのは寺田の編集姿勢をあらわしている。では、田村はどうだったのか。これは先送りする。


 私の結論を書く。こういう文芸雑誌からまともな作家が生まれることは、少なくとも最近30年はなかったのではないか。文壇はやくざの世界である。ユメユメ幻想を持たぬがよし。サークルや同人よりレヴェルが高いことはなく、働かなくても食えるようになりたい道楽者のタムロする特殊な世界であると私は思う。そもそも筆、ペン、ワープロ、パソコンでめしを食おうというのが間違いなのだ。



 下に寺田博の遺作の案内を貼るが、正直にいってこういう予定調和的な回想記は読む気になれない。編集業もまた典型的な虚業であることを再確認するだけである。河出書房が会社更生法にかかって退職を余儀なくされ、移った作品社が丸ごと福武書店に買い取られ、それでも金の心配をせず生き続けられた編集業とは虚業以外ではありえないだろう。寺田博にはその自覚は全くなかった。幸せな生涯だったろう。


 『文芸誌編集実記』 寺田博著
 2014年06月30日   評・尾崎真理子(読売新聞社編集委員)
 戦後派、第三の新人、内向の世代の作家を束ね、よしもとばななや角田光代をデビューに導いた編集者、寺田博(2010年没)を出版界で知らぬ者はいないだろう。
 悠々たる風格をたたえていた氏にも、不安に苛さいなまれた新人の頃はあった。河出書房新社で1962年に復刊した「文芸」の、68年にかけての誌面をたどる回想録は、謙虚で抑制の利いた晩年の円熟を醸しながら、「文学」が時代の中央にあった空気を痛いほど伝える。
 資金不足の中、なるほどこのような人間関係、熟慮と苦心を経て、三島由紀夫の『サド侯爵夫人』、高橋和巳『悲の器』、<全編集者生活の上位を占めると自ら思う収穫>となった長編評論、江藤淳『成熟と喪失』と吉本隆明『共同幻想論』は世に出た。遠藤周作、阿川弘之、大江健三郎氏も参加した「文芸内閣」の閣議(座談会)を掲載する企画も実現したのだった。
 豊富に引用されている平野謙、江藤淳の「文芸時評」の記述も濃密に当時を教える。寺田の先代、坂本一亀かずき編集長と「論争の時代」を振り返る対談も巻末に収録する。
 河出書房新社 2000円


 古本屋通信 
 私は特に詳しい訳ではないが、 「戦後派、第三の新人、内向の世代の作家を束ね」 というのは違うだろう。坂本はともかく、寺田のいた時代の河出 『文藝』 はせいぜい 「内向の世代」 からだ。また高橋和巳の初期作品 『悲の器』 の編集担当は坂本であり、寺田ではなかった。坂本が河出を引いて別会社・構想社を作ると、高橋は後釜の寺田を相手にしなくなった。そこら辺りは高橋和子たかこ 『高橋和巳の思い出』 が詳しい。和子も死んでいる。尾崎真理子のレビューが特にデタラメというのではないが、ブル新の学芸欄担当らしいきれいごとの羅列である。こういう書評は決して信じてはいけない。真贋を見分けるポイントは書評子の文体にある。尾崎の美文調がいけない。古本屋通信の下手糞がよい。
  1. 2014/07/28(月) 08:43:27|
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