古本屋通信

買い損なってホッとした

古本屋通信    No 961   7月23日

   買い損なってホッとした


 古本商売のことを手短に書く。店にいると昼まえにケイタイに電話が掛かってきた。以前いちど大口の買取りで運搬を世話になった赤帽さんからである。定年退官した大学教授が蔵書を整理すると言っている、見てほしいのだが、とりあえず先方に電話を入れてくれないか、ということだった。名前と電話番号を教えてくれたのですぐに電話を入れた。が、何回掛けても留守だった。

 仕方がないので、大学名と苗字でパソコン検索した。本人はすぐに分かったが、ここから先は本人が特定できないようにボカす。文科系だった。ハナから買えないクチではなかったが、なぜか気がすすまなかった。で、紹介してくれた赤帽さんに電話を返した。

 「本人がどういう人かはすぐに分かりました。専門分野も分かりましたから、本の概要も予想できます。分量はどれくらいでしょうか?」

赤帽 「とりあえず放出したいものがダンボール50 箱です。これは既に箱詰めしています。それとは別に今回は残そうかどうしようか迷っている本がその2倍はあります」

私 「ウ~ン、けっこうあるなあ。みんな持ち帰って貰いたいんでしょうか? だったら安いですよ。殆んどお金は払えないかも知れない。あなたはそれを運び出すとき一緒に行ってくれますか? たぶん赤帽さん代は5万くらいだと思うけど」


赤帽 「いや、そんなに頂きませんよ。先方はお金のことは言わないと思います。片づけてほしいだけみたいだったから」

 「見ていないのに言うのも変だけど、カンで言うとせいぜい5万円までですね。本音を言うと、タダなら受けてもよいが金はビタ一文払いたくない。まあ、そういう線で電話を入れてみますが、先方が断る可能性が半分でしょう。もし受けると言われるなら、あなたと一緒に行くといいますよ。それでよいでしょうか」

赤帽 「それでいいです。行くのは日曜日にしましょうよ」


 私にはこの話は端から嬉しくなかった。普通なら文系研究者の蔵書が約1万冊の処分だから、飛び上がる話である。しかし古本屋的に上クチだと思えなかったのだ。

 最初に引っ掛ったのは、なぜ先方が自分で私に電話をせず、逆に私に入れさせたかである。これは素人目には 「何を面子にこだわっているのか。商人が下手に出るのが当然だろう」 となる。しかしこれは違うのだ。売買は商取引である。商取引は両者が対等である時点から出発する。しかも今回の話は私から依頼したクチではない。先方が処分したいと赤帽さんに持ちかけたのだ。赤帽さんには赤帽さんの立場があって私に掛けさせたのだが、先方がそれを要求しているように思えた。だから私はこの話はうまくいかないだろうと直感した。


 私が留守番電話に入れていたので、夕方に先方から電話が掛ってきた。相互に今回の電話に至る経過を確認したあと、本題に入った。

私 「時間がありましたので、大学のHPなどで先生の専門を拝見しました。文系ですし間口は広いようなので、買取りはさせて頂きます。けど、トコトン安いですよ。その理由は研究者の本がほとんど売れないからです。分量もお聞きしています。全て一括持ち帰れと言われるならそうします。しかしその場合は、選択買いよりも更にお安くなります。まあいくら出しても5万円までです。タダでは持ち帰りませんが、3万円位かも知れません」

教授 「今回整理したいのは段ボール50箱です。あとは今回売る気はありません。それに、残している数千冊も含めて最高5万円ですか? すごく安いなあ。買うときは高かったですよ。とても売れないなあ。段ボール分も売るか売らないか少し考えたい。即答できないです」

 「お気持ちは分かります。しかし即答されないと、古本屋はお断りになったと見做すのです。それは相見積を取られたくないからです」

教授 「やむを得ません。売らないことにします」

  「了解しました。ご紹介くださった赤帽さんには私から報告しておきます。失礼いたしました」



 直後に赤帽さんに電話をいれて報告した。全てを互に了解した。私がひとつだけ観測を述べた。

私 「段ボール50箱、ありゃあ古本屋的には全部ゴミですよ。先生も要らない本ばかり詰めたと言ってましたから」

赤帽 「そうかも知れません。私には本は分かりませんが、間違いないでしょう」

私 「買わないでよかったです。でもお骨折り頂いたのにすみません。今後とも宜しくお願いします」

赤帽 「いいえ、お役に立てず済みませんでした」


 買い損なってホッとした。こういう気持ちは初めてである。清々しい気持ちでパソコンに向かった。





 後記

 こういう話は古本屋の日常には掃いて捨てる程あるだろう。古本屋は対応を熟知しているし、一般には何の興味も湧かない話だろう。私も書こうか書くまいか一瞬迷った。それでも書いたのは、たったこれだけの事でも他の古本屋が書かないからだ。結果古本業界の実情、古本屋の日常とかけ離れた「虚像」だけが一人歩きする。蟲文庫に見たとおりである。ありふれた今日の記事でも、これから古本屋を立ち上げようとする方にはいくらか参考になるかも知れない、そう思って記事を書いた。

 もうひとつ。私が蟲文庫のことを何回もクドく批判的に書くのは、田中美穂さんに恨みがあるからではない。赤旗の蟲文庫紹介のアホウ記事がカンに障って忘れられないからだ。この日の読書欄には、新書ブームを肯定的に書いた記事もあり、なんと右翼出版の幻冬舎まで褒め上げていた。これらの記事の延長線上に 『日本共産党の深層』 (イースト新書 大下英治) 賞賛があった。許せない。




 後記2

 ついでに書いておこう。これは電話広告を大きく掲載している同業の買取の話だ。電話で買取依頼は結構あるという。応じるか否かの基準ははっきりしている。買取価格についての注文が一切ない件だけに対応する。つまり 「いくらでも結構です」、 「場合によっては無料で引き取ってくださって構いません」 という顧客にしか応じないという。

 これが現実的には正解なのだ。つまり裸になって全てを古本屋に任せてもらう。無条件に信頼して貰うことが商取引の前提になる。古本屋が買い叩くと思っている顧客は一目で分かるし、今回のように電話だけでも、いや電話する前から分かるものだ。

 そういう場合はハナから断ると腹を決めて、あとは先方が断るようにもって行くのだ。今回のケースが手前勝手な大学教授だったというのではない。ごく普通である。しかし取引はそもそも無理だった。新刊購入価格の累計は4000万円位だったろう。教授の期待値は100万円以上のはずだ。これは40年前なら折れ合い可能だった。しかし現在ではありえない。絶対に元が取れないからだ。
 
 現実的には本人が生きているうちは、古本屋は商売にならない。奥さんでも商売にならない場合が多い。息子か娘の代になって初めて話になる。これがホントなのだが、これを書くと古本屋は集中砲火を浴びるだろう。だから誰も書かない。私だけが本当のことを書いた。

 最後に自信を持って書く。私を含めて古本屋は決して買い叩かない。精一杯の値を付ける。なぜなら古本屋どうし競争しているのだ。買い叩いた古本屋は例外なくつぶれた。遠慮なく書こう。亭主亡きあとの森古書店。亭主亡きあとの岡大北書院。そう、古本屋は精一杯高価買取り。これは冗談を言っているのではない。むかしも今も変わらない。
 

 
  1. 2014/07/23(水) 18:40:25|
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