古本屋通信

河村さん、福島から帰る

古本屋通信    No 954   7月17日

 
 河村ひろ子さん、福島から帰る



  福島滞在の河村さん
 その河村さんからレポートが入っています。毎日このブログに転載していますが、福島滞在中のブログをトップ置くことにします。ご了解ください
7月13日 古本屋通信)。

 河村さんの福島訪問は7月16日で4日間の日程を終了しました。そのブログの文字部分のすべてをコピーしました。しかし今回のレポートの真骨頂は写真にあります。私はそれを転載できません。ぜひともひろ子ワールドを直接訪ねてください(7月17日 古本屋通信)。

 福山へ帰ってからも、報告は続くようですから、写真抜きですが転載を続けます(7月18日 古本屋通信)。 

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 福島からのレポート


前日 (7月12日)

日本共産党の地方議員で、被災地の実態を把握し
 保育や医療や農業の実態、福島の暮らしの聞き取りなどを行ってきます
 新幹線を乗り継ぎ、約6時間の行程
 明日以降は、福島からのブログ発信になります
 さあ、仕事をいろいろ済ませて出発
 頑張ってきます!   (抜粋)



日目 (7月13日)

福島へ到着!
今日はあいにくの雨で、地域の球技大会は中止
参加することはできず残念

さて、午後2時40分の新幹線へ乗り、東北新幹線に乗り換え
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(東北新幹線やまびこの中)

福島駅に到着したのは、夜の8時30分
自宅を出発して、約7時間で現地へ到着!
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(福島駅前にある塔です。日曜日の夜だから人通りは少ない)

ホテルまでの道を、放射能測定器で空間線量を測定しながら歩いて移動
福山市では、0.05~0・10ミリシーベルトぐらいでしたが・・・・
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測定器は0・26㎜㏜となっていました

ホテルのロビーには
「今日のロビーと部屋の線量は0・05㎜㏜です」を書いてありました
これが現実なんだな・・・と感じました

明日は、南相馬市と浪江町に行きます


日目 (7月14日)

放射能汚染の実態
今日は、日本共産党地方議員・福島視察団の調査の一日目
横浜市の古谷市議、豊橋市の斉藤市議、富士宮市の市議の渡辺市議と、私というメンバー
この4人は今日が初対面

朝、あいさつを交わして、いざ、南相馬市へ
国道を走りますが、線量が高くなります
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所々、除染活動をしています

福島市を車で出発し、飯館市に入る前の山道で、放射線測定をしました
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山際の苔の上に測定器を置くと・・・
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なんと、2・372μ㏜

福山市で測定して、0・05~0・10ぐらいなので、どれだけ高いか・・・・
どんどん、南相馬市に向かって車を走らせます
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飯館市を車は走ります
田んぼや畑があったところは草がの伸び放題
作付をすることもできず・・・・
放射能汚染されていなかったら、田んぼと山という美しい風景が広がっていたはず

南相馬市の日本共産党市議の渡辺寛一議員に現地案内をしていただきました
原発から29キロ以内の、警戒区域
人が住んでいない浪江町
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人は誰もいません
除染作業などの車や、調査や視察の人は時に見かけるぐらい
鳥の鳴き声が響きます
人の生活がここにあったのに、今は住む事が出来ない

浪江町駅のすぐそばで線量測定
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先ほどとはけた違いに高い!
なんと、私の胸のあたりの高さで、1・32μ㏜
草地ではどうだろうか・・・・・
測定器二台で測定
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なんと、今回の視察の中で、一番高い数値、7・948μ㏜
間違いなく、放射能がここにある
匂いもなく、何も感じないけど、人体の影響ははかり知れません
間違いなく、私も低線量被曝をしているのでは
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警戒区域を出るところでは、スクリーニング測定
今回は、放射能汚染の実態をご紹介しました

警戒区域は人は住んでいないけど、その周りの地域では人々が暮らしている
将来の健康被害は?安全性は?生活の保障は?
放射能汚染と一緒に暮らす、日本の実態を目の当たりにしました

国をあげて除染を早期に行うことが必要ですが
実態はまったく追いついていない
原発は莫大な被害をもたらす
絶対に再稼働させてはならない、と強く感じました


日目 (7月15日)

福島で生きるということ
今日は福島で暮らす人々の実態を把握するため、3か所の視察です

まず、訪問をしたのは、社会福祉法人さくら保育園
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2011年3月11日の半年前に、新築移転をしていました
震災の時は、子たちは午睡中
先生は職員会議で、たまたま職員がフル出勤でした
地震の強い揺れがあっても、免震基準を満たしている園なので、園舎が倒壊する心配はなかったそうです
子どもたちと先生はホールに集まり、過ごしたそうです
さくら保育園は福島市渡利という地域にあり
震災直後は放射線量が福島市内で一番高い地域でした

春の保育所の付近
すぐ近くには山があり、震災前は子どもたちは山を散歩し
自然をたっぷり味わいながら過ごしていました
しかし、一番放射線量があるということで、文科省が除染の対象としたそうです
あの安斎郁郎氏が5月8日に園にやって来て、測定・除染活動が始まりました
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(現在の園庭)
土壌をはがし、園庭に埋めます
除染作業
また、屋根の真下は雨水が垂れるため、線量が相当高い
そのため、保護者が線量を低くする方法として
水の入ったペットボトルを敷き詰め、その上にすのこを置き
子どもたちが移動ができるように工夫をしたそうです(今は線量が下がったためしていない)

ペットボトル
園庭はしっかりy除染をしたので、園庭内は線量は0・2μ㏜前後になりました
しかし、園庭の外は除染していないので、近くの野山はまったく行くことが出来ないのです
松ぼっくりなど、放射能がしみ込んで、遊べぶ事はできない
放射能汚染の影響で、自然とのふれあいが一切なくなったそうです
しかし、保護者が子どもたちが学校がするため道路を歩かなくてはいけないが
道路を歩く経験もなく、無事に登校できるかも心配

散歩をさせてほしいという要望を受け
安斎郁郎氏を協力も得て、散歩コースを放射線測量をしました
そして、線量の比較的低いところを散歩しています
現在は園庭での外遊びもしている

しかし、ここまでの歩みは、たやすくなかった
保護者と先生が繰り返し話し合い、安斎郁郎氏などの専門家から放射能について学び
一つひとつ、納得・合意を得ながら保育をすすめたそうです

「放射能について、これなら大丈夫という基準が今はない。低ければ低いほどいいに決まっている。線量だけの数字で、いいとか、悪いとか言うのではなく、しかし、現在の線量がどのくらいなのか、事実を知ることは大切。その中で、ここで生きて生活をする中で、自分たちが納得できる基準や、生活スタイルを一つずつ作っていった」

と園長先生
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(園のフェンスのすぐそばにある、モニタリング測定器)

子どもたちに安全な食材を・・・ということで、地元の業者さんや農民連からの食材など
徹底した食材管理をしています
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また、野菜や魚など切り刻まなくてもいい放射能測定器の購入し
毎日、抽出検査、10検体ぐらい検査しているそうです
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園の栄養士さんが、データーを解読しし(不明なときは専門家に聞く)
食品の安全管理をしています
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園長先生は
「何か将来あっても、それに負けないような丈夫な体を作ることが大切、と思っている」と言われていました

私は、福島に来て感じたのは以下のこと
その地域に人が生活をしている、生きているということ
単純に線量の高い・低いではなく、正確な数字を知ることはとても大切だが
数字だけがすべての判断基準ではない
福島ではその地域で生きていくため
できるだけ安全に生活をするための工夫や、並々ならず努力をしているのです
福島県内外の問題のとらえて方が違う・・・・というのを、とても感じました

リスクがないわけではないが、今のリスク・将来のリスクを考え
この地でどう生きていくのか・・・を現地の人は必死に模索しながら生きているということを強く感じました

今日はその後、わたり病院・きりん学童を視察
また後日報告をします


日目 (7月16日)

「生業を返せ、地域を返せ」福島原発訴訟
今日は福島視察の最終日

福島県二本松市の農民連の方から、農業の実態などの話を伺いました
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(浪江町や飯館とは違い、田んぼの風景が広がります)

まず、最初に
「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の原告団の事務局長の服部弘幸さんの話です
服部さんは、地元スーパーの店長さんでもあり、小学校のPTAの会長を務めるなど
地元町内ではそれなりに知られている存在です
震災の時からの話をじっくりしてくださいました

この二本松市の東和地区は一山超えたところが、浪江町で避難区域です
寸前のところで、住むことが可能な地域です
原発事故後は、とにかく物資が入らず、地域の人の食糧確保のため必死に働いておられたそうです

2012年、地域に住むお母さんたちが
小学校のPTA会長をされていた服部さんのところへ、血相を変えたママさんたちが詰めかけました
内容は「小学校の給食に使う米を、県内産にする」という、新聞報道をうけ、子育て中のママさんが猛反発
結局はやめることはできなかったが、気になる家庭はご飯を持参してもいいという事になったそうです
身近な人が「何とかしてほしい」と強く要望することに衝撃をうけられ
「これじゃ、いかん」と、服部さんは放射能の問題を真剣に考えるようになったそうです
2013年5月にウクライナへの視察があり、服部さんも参加
チェルノブイリ事故から約30年経過しても、キエフの人々をホールボディカウンターで検査をすると
何千ベクレルという内部被ばくの人がボロボロと出てきた
何十年たっても被害が出ている

20~30年後の福島もそうなるのではないか
知らず知らず、内部被ばくが広がり、放射能の問題は福島だけの問題とされる
福島が生き埋めになってしまう!
と、強い衝撃をうけたそうです

福島の事故にされてはいけない、日本全体の問題にする必要がある
まず、福島の人間が声をあげなくては!
戦車に槍かもしれないけど、闘おう!
個人の力では無理、という事で、
福島原発訴訟の原告団の一員となり、事務局長に
原告団になれるのは、福島県民とその近隣の4県に避難した人に限定をしているそうです

訴える中身は、国・東電に対し
自分たちの生活をもとに戻せ

すぐに無理なら、戻るまでの間、原発被災者一人ひとり、1か月5万円、すべての人に補償せよ
お金のほしさではなく、国・東電に責任を認めさせることが一番の目的である
避難した人も、避難していない人も、原発の影響で苦しんでいるのは皆同じ
条件の違いで線引きをするものではない、と訴えています
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今、裁判は早いペースで進んでいる
裁判では国は東電は屁理屈ばかり言っているが、土俵は完全に自分たちのものになっている

今後は原告が証言をし、科学者が証人尋問を行う予定だそうです
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(二本松市の郊外の草地の測定・・・0・88μ㏜ありました)

もし、この民事裁判に勝訴したら、すぐ全国から多くの支援者を集め
国や東電が控訴しないよう、人間の鎖で東電は国の動きを阻止したい!
2週間居座って、控訴できないようにしたい
国と東電の責任をはっきり認めさせるような世論をつくりたいんだ!
と、服部さんは強く訴えます

福島県外に避難、移住している人たちは
国や東電に対し、抵抗しこの怒りをぶつけるところがなかった、この裁判が唯一の望みと、県外避難者を励ましています

原発事故の責任をきちんと認めさせ
計り知れない苦しみや将来への不安など
二度と原発事故を繰り返させないためにも、何としても勝利したい
そのために、全国の多くの人に
この裁判がいま国や東電を追い込んでいる事を知ってもらい
多くの人に運動に加わってほしい
具体的に動けなくても、カンパをしてくれるだけでも大きな支援になる、と話されます
私は、服部さんの裁判の闘いを聞き、現地の人の闘いのすごさ
人間の尊厳、生きる権利の闘いなんだと、強く感じました

服部さんは、要請があれば全国どこでも、語りに行くとのこと
福島の闘いは続いています
いや、日本全体の闘
原発の再稼働や絶対に許さない闘いを大きくしよう!

福山に戻ったら、今回の視察内容を地域の人にしっかり伝えたいと思います



福山に戻ってから日目 (7月17日)

原発事故・・・人が住めない町

九州電力川内原発1・2号機の再稼働するため

基準に「適合」していると原子力規制委員会は了承しました

これだけ、原発の被害が広がり、今なお福島第一原発は事故後の処理がコントロール出来ていない状況

原発再稼働は絶対してはならない!

福島視察後、その思いはもっと強くなりました

視察中、毎日ブログで視察内容をお伝えしていましたが

まだまだ、伝えきれないので、これからしばらくはご紹介していきたいと思います

町の状況を目と心で感じいただきたく、写真を多く掲載しました

1日目、レンタカーを借りて、浪江町・南相馬市へ

原発から半径20キロ以内の町の様子などをお伝えします

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南相馬市を車で走り、市街地を抜け、津波が押し寄せた地域に・・・

ガレキがあちこちに点在しています

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国道6号線から海側は津波が押し寄せた

山側は津波を何とか免れた、などその時の様子を、南相馬市の渡部寛一市議が詳しく説明してくれます

家は壊れなくても、イノシシなどが繁殖し、家が荒らされ朽ちて、とても住めない

そのような家も多いそうです

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浪江町、原発から20キロ圏内に入るには、検問で上記の許可書を提示しなくてはなりません

いよいよ、人が住んでいない地域に入ります

防護マスクや防護服の着用せずに入る事ができます

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倒壊した家や塀はそのまま

比較的、安全が保たれているような建物も、草が生い茂り、荒地となっていました

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モニタリング測定器は所々に設置されていました

西に行くほど放射能の線量が上がる、と渡部市議

息をのみます・・・

その時の空間線量は0.8μ㏜(福島市内が平均0.4μ㏜)

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昼間なのに、人の姿がまったく見えない町

本来なら、農業・漁業をしている人の活気ある声

子ども達の姿もあっただろう

しかし、出会う人は取材をしている人か、作業をする人のみです

人が住めなくなる町を直接みて、その異様さを感じます

町がなくなる、人が住めなくなる・・・・放射能の恐ろしさ

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このあたりは、住宅がたくさんあったそうです

津波で根こそぎさらわれ、いまは草が生い茂る

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ものすごい、津波と引き波で、多くの遺体が浮いていたそうです

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遠くに見えるのは福島第一原発

原発から6.5キロの地点からのズーム写真

福島第一原発の方向から風が吹いてきます

この風に放射能は混ざっているのだろうか・・・

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放置されたままのガレキです

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浪江町の沿岸部は津波が15メートルの高さで押し寄せました

その威力と破壊力を、建物の損壊状態から感じます

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放射能と津波という災害にみまわれた地域

津波からどのように避難をするかは、どんな堤防などつくっても自然の力には勝てない

とにかく、早く避難するなどのソフト面の強化も必要だそうです

また、原発事故による放射能物質汚染で、復興すら出来ない

家・土地などの財産を失い

仕事や今までの暮らし・家族を失い

地域やコミュニティーを壊したのが原発です

そして、健康被害の不安も深刻

決して、震災は終わっていません

原発事故は終息したとまったく言えません

原発の再稼働は絶対に許さない闘いを、私も頑張ります



福山に戻ってから日目 (7月18日)



原発から半径20帰キロ以内にある「請戸小学校」に立ち寄りました

津波が押し寄せ、学校はかなり破壊されています

請戸小学校
しかし、生徒は全員助かりました

大きな地震のあと、数キロ先の小山に向かって全力で走ったそうです

上級生が下級生をおぶりながら・・・・

賢明な判断が子ども達の命を守ったのです

時計
時計は、夕方の3時40分を差したまま止まっています

被災地の住宅等にある時計の多くは、この時間で止まっていました

この時間は津波が来た時間なのでしょうか

体育館
卒業式間近

あの日も卒業式の練習があったのです

廊下
高さ15メートルの津波が押し寄せたのです

建物の1階はメチャメチャです

二階は比較的、建物の状態が保たれています

みんなの声
二階の黒板には、いっぱい書かれたメッセージ

被災後、訪れた多くの方々が書いたのでしょうか

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請戸小学校のプールの飛び込み台の一番上から、まわりの写真を撮りました

見渡す限り、原っぱが続く

ここに人が住めるようになるのは、どのくらい先になるのか・・・・

胸が押しつぶされそうになります

福島県南相馬市は、2014年5月28日現在、震災による死者は1093人(うち関連死は457人)

亡くなった方の多くが津波が原因です

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住民の皆さんでたてた慰霊碑(浪江町)

説明をしてくださった、南相馬市の渡部貫一市議は言います

「私はあの草の茂ったところに、生後10後の赤ちゃんの遺体を発見した。出産し5日後に実家に帰っていた、母と子を津波が襲った。赤ちゃんを発見した場所は、どうしても思い出してしまい、私は行く事ができない」

遺体安置所では、犠牲者と家族が対面するため

警察が遺体を出来るだけきれいにしたそうです

しかし、遺体の損傷が激しく、精神的に耐えられず、やめた警察官もおられたそうです

日頃からの、地震の備え、津波から逃げる手段、ハード面・ソフト面の取り組みがとても重要です

日本は地震活動期に入ったと言われています

どこで、どんな規模の地震が起きるか分からない中、原発の稼働は言語道断

また、日頃からの訓練や避難経路の確認など、もっと取り組みを強化しなくてはなりません

自然の力は、頑丈な堤防ですら壊しました

スーパー堤防を国は造ろうとしていますが

海が全く見えず、潮の流れが変わり、漁業にも大きな被害が想定されている

防災・減災という名の、大型公共事業を進める政府の手法に、地域からも疑問の声が出されています

避難の大切さ、原発の恐ろしさが身にしみます

私も地元地域の防災や避難について

もっと細やかに機敏に対応が出来るようにせねば、と強く感じました

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浪江町に咲いていた花

自然はしなやかに、強く生きています


  1. 2014/07/17(木) 10:30:25|
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