古本屋通信

ブログの文体など

古本屋通信    No 920   6月30日

  ブログの文体など


 昨夜遅く、慌ただしく古本屋通信を仕上げた。「くだらない都議会」 の関係を立て続けに書いているときも、集団的自衛権の攻防が迫っていることが気になっていた。しかし自力で記事が書ける準備がなかったので、やむなく赤旗日刊紙の記事を転用した。新聞記者が書いた文である。別に感心はしなかったが、オーソドックスなこなれた文である。安心して転載した。

 つぎに県ごとの母親大会が今日あったことは知っていた。岡山と広島である。岡山の反応は鈍い。岡山市議がその日の出来事をその日に書くことはまずない。それだけで評価が下がる。広島・福山がその日の出来事をその日に書かないことはまずない。それだけで評価が上がる。この評価は客観的で公平である。岡山市議の竹永さんは比較的マメなのだが、母親大会の記事はなかった。ひとこと。竹永ブログには事実の報告が少なく感想が多い。市議日記だが、報告文にはその要件を満たした文を書いて欲しい。で、赤磐市議の福木京子さんのブログを貼った。これは報告文として優れている。赤旗記事なんかも勉強したのだろう。記者経験さえも感じさせる。

 母親大会については岡山、広島の順に貼った。村井さんの記事が素晴らしい(河村さんは参加しなかったらしい)。ごく短時間に記事をアップした。並みの実力ではない。その目で丁寧に読んでみて欲しい。報告文の要件を満たした上で自分の感想もある。ルポルタージュ文学さえも思わせる。特に昨夜の文には脱帽だ。

 岡山の3人の若手市議しょくん。キミたちは記事が少ない。おまけに文が短すぎる。3人とも 「短いことはよいことだ」 と思っているフシがある。どうせ長く書いても読まれはしないだろう、できるだけ短く書こう、と。これは間違いである。赤旗記事を見ても分ろう。出来事を正確に伝達するには一定の長さが必要だ。そして自分の思いを筋道立てて述べるにも一定の長さは欠かせない。

 潤くんも、東くんも、のぞみさんも、当面いまの3倍書いたほうがよい。そして長すぎる、冗長・冗漫だと思ったら、それを短縮するのだ。手本は村井あけみさんの文だ。河村さんもうまいが、手本はずっと年長者がよいだろう。結果こうは書けず、河村さんの、事実関係の正確な記載と、記述の柔軟さ(これは性格的なことではない。書きたいこと10 に対して3 しか書かなかった余裕から生まれるのだと思う)が出れば満点である。こんなこと書けば両人が嫌うだろうが、かまうもんか。近くにいいお手本が居るではないか。

 ああ、また嫌味な文を書いてしまった。ついでに自分の文の長さについて、本音を書いておこう。私は自分の文が長いことについて反省していると書いた。これはウソではない。然し反面できるだけ長く書くよう努力していることも事実なのだ。つまり他人に読んで貰えるギリギリの長さを追究している。ブログランキングを上げようと書くのは邪道であろう。しかし読まれるか、読まれないか、全く注意を払わないのは左翼の書く文ではない。然し一般的にブログの文は長ければ拍手とアクセスは減少する。短かければ増加する。だから苦悩があるのだ。

 余談だが私はテニオハを欠いた悪文は基本的に転載しない。たとえ貶すことが目的で書いた引用文でもだ。鬼藤さんの文にテニオハは完璧だし、武田氏の文も見かけだけはサマになっている。ガタガタの文だと詐欺文の役割さえ果たせない。石村さんのツイートは文ではない。退場しかなかろう。
  1. 2014/06/30(月) 00:41:31|
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