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古本屋通信

Y・Mご夫妻来訪

 古本屋通信   No 4212    2019年  9月30日


     Y・Mご夫妻来訪
 
 午前中、私が済生会病院にいるとき、Mさんから電話があり、急遽午後からお会いすることになった。午後2時から約3時間拙宅で歓談した。

 私がご夫婦にお会いしたのは1989年いらい30年ぶりである。このとき真佐代は鹿田小学校に勤務していて、ご夫婦はこの小学校の父兄だった。かなり懇意にさせて貰った。それでY氏が編集していた 「岡大全共闘20周年記念文集」 に私も原稿を書くことを妻を通じて勧められ、私は全共闘ではなく民青だったが、勧めに応じて原稿を書いた。その続きで、御宅で長時間話したのである。この文集にはY氏も書いておられ、その文には氏がムショ帰りであることを娘さんに話したとある。

 Y氏に今もこの話を書いた立ち居地に変わりはないかと訊いたところ、変わりないとのことであった。よってそれを前提にして今回の拙文も書く。

 まあ色々当時の話になったわけだが、その前に2点。ご夫婦で相談され真佐代の絵は人物画ばかり3点を選んでくださった。油絵と水彩とデッサン各一点。これは嬉しかった。こう言っちゃあ何だが、人物画は絵を見る目がないと選べない。良い作品ばかりだったと思う。

 もう一つはMさんと私の関係だが、私が岡大哲学科に学士入学で3年に編入したとき、哲学科の同学年だったのがMさんである。そういうわけで半世紀前からの旧い友人だった。

 絵を選ぶのに時間はかからなかった。あとは歓談した。

 歓談といっても漠然と思い出話をした訳ではない。私のブログが左翼ブログであることから、そのネタになるような話をY氏から聞き出したのである。たが固有名詞が出てくる。どこまで実名を書いたら良いのか分からないが、全国区で名前が通っている人物は実名で、岡大関係はぼかして書く。ただ半世紀前のことだしキーパーソンだけは実名で書きたい。

 1968年秋、岡大中執選挙には民学同、民青、中核派に混じってブントも3名立候補した。ブントは惨敗だったが、その3名がY氏と行方氏(連合赤軍で死亡)と女性一人だった。Y氏、行方氏は赤軍派に行くが、女性はブント関東派の男と結婚したという。

 関西ブントの大半が赤軍派になったわけではなく、真っ二つに割れた。このとき反帝全学連の委員長にして加藤登紀子の夫君であった藤本敏夫が赤軍派に行ったという。この話は初耳だった。

 関東のブントは赤軍派には行かなかった。ならば明治大出身の重信房子は例外だったのか。

 京大工学部の奥平剛士は赤軍派だったわけではない。これは最初から日本赤軍として重信が一本釣りした。彼女に一本釣りされた日本赤軍は多い。赤軍派とは区別しなければならない。

 京大と同志社の1970年代前半のブントは、もちろん赤軍派ではないが、いかなるブントか、Y氏から明確な回答は得られなかった。私はかなりアナーキーなブント系だと思えるのだが。

 1968年秋の岡大中執選挙時の各派の裏方の中心だが、Y氏は中核派は三沢氏ほか数名を挙げた。常識的な名前だった。民学同は内藤(青井)秀之氏と山田雅美氏を挙げた。これも分かる。だが民青の中原猛氏と武田英夫氏はまったく御存知なかった。名前を聞いたこともないと言った。これは意外だった。中原氏と武田氏はトコトン裏方だったのだろう。

 大阪扇町公園で機動隊に虐殺された岡大生に糟谷孝幸氏がいる。その50周年を記念して追悼の企画があるそうだ。それは良いのだが、同氏はプロ学同が同志としているが、実質は組織員ではなかった。ノンセクトだったが、たまたま同派の集会とデモに参加して殺された。でもまあ同志扱いも不当ではなかろう。

 共労党 → グローカル → 蒼生 → 緑の党は、岡山では頑張っているという認識で一致した。大塚愛さんの楽々の当選はその証左である。Y氏によると、横田悦子さんをセットしたのも大塚愛さんをセットしたのも山田氏だという。また、大塚愛さんが市場夫妻の二世党員だということはないという。ご夫婦は一貫して共労党 → グローカル → 青生 → 緑の党の党員ではなかった。シンパであったそうな。私の誤認だったろう。訂正しておく。山田氏は今も大塚ー鬼木事務所の実質的な中心であるらしい。

 私は民学同の内藤(青井)氏を一貫して高く買っているが、それは医学部を中退して県北で基地反対闘争をしていたからである。大学解体を叫んだのだから大学を中退した。しかし彼は元々県北に自宅があったわけはなく、内藤家に出入りしていて娘さんと懇意になったという。私はちっとも知らなかった。
 
 今回も革共同と民青とプロ青同とブントの相違についての話になったが、これは抽象議論だから、書いてもピンとこないだろう。あと思い出したら追加する。

。。。。。。。。。

 思い出したこと。

 岡大の哲学科は哲学、倫理、美学美術史、心理の専攻に分かれていたが、うち哲学と倫理は履修科目も殆ど同じで、学生の溜り場も一緒だった。倫理のKさんという難しい文章を書く一級上のひとがいた。典型的なノンセクトの全共闘だった。中核派寄りだったが、典拠は吉本隆明だった。私は卒業後十五年後に数回、岡山駅前のパチンコ屋で彼を見掛けた。その風采はまさに暴力団員であった。だからそう書いた記憶がある。これを今回のY氏の話で訂正しておく。彼は水商売の世界で生きたが、暴力団になったわけではないと。

 それから倫理専攻の岡確あきら君の話にもなった。彼は故人だから実名でよかろう。プロ学同の活動家として逮捕され服役した。そのご解放同盟の専従になったが、早期に病死した。その追悼文を何人かが書いていた。たしか山田氏も書いていた。今もネットで読めるのだろうか。

  Y氏は盛んにブントは一匹狼だったという。その通りだろう。それは彼が今もあらゆる党派の人間と付き合える根拠でもあろう。中核派とも緑の党とも自民党とも、そして妻や私とも付き合える、これは左翼通のプラグマティストだろう。私はそのように理解している。

 あっ、それからMさんは丸亀高校で妻の二級後輩である。妻は丸亀西中だったが、彼女は丸亀東中だった。二人とも中学時代にはよくできたが、高校に入ると落ちこぼれたそうである。この高校で生き残れるのは上位一割だけらしい。
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  1. 2019/09/30(月) 19:36:44|
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日本ファシズムの露払い

 
古本屋通信   No 4211    2019年  9月30日


  あらゆる表現の自由と、それを表明する集会の自由は無条件に保証されねばならない。その当否は自由が存在して初めて判断が可能である。林らのやっていることはファシズムの露払いにすぎない




林 潤‏ @hayashijun · 7 時間7 時間前
日本第一党が東中山下公園から岡山駅前までのデモを行いました。
出発地から外国人の排斥や韓国との断交を叫んでいました。
日本で暮らす人々の当然の権利を否定して、出ていけ、と叫ぶのはヘイトスピーチです。
ヘイトに抗議する人々も集まりました。私も加わりました。
#0929岡山ヘイトデモを許すな




  古本屋通信

 まだやってる。左右を問わずあらゆる言論の自由と、それを表現する集会の自由は無条件に保証されねばならない。この根幹を自分から破壊しているのが、カウンター行動と呼ばれる暴力である。そもそも有田ら旧民主党の一部と、野間ら札付きの暴力分子が結合して、右翼に数倍する暴力によって、集会を破壊してきた。

 共産党は旧民主党とバーター取引をやって、ヘイト法の成立に手をかしたが、こういう悪法がもたらす弊害を知らなかったわけではない。旧部落解放同盟の暴力糾弾を彷彿させる。だからマトモな共産党員はカウンター行動などに見向きもしない。林と東だけである。

 当然ながら日本第一党には集会をする自由と権利がある。その集会では、いかなる言論も無条件に保証されなければならない。外国人排斥もかまわない。私は日韓国交断絶は賛成である。1965年の日韓基本条約は破棄されるべきである。

 いかなる主張であっても、それを集会で訴える自由は無条件に存在する。当然ながら其の主張に反対する自由も存在する。だが其れは他人の集会を阻止する自由ではない。対抗する言論でもって別の場所で別の集会を持たねばならぬ。

 こんなことはこれまで常識だった。日比谷公園で社共が集会をやった。これに反対の新左翼が集会を阻止すべく社共の集会に殴り込みをかけたか。かければ民青の防衛が叩き出しただろう。かれらはそういうことはやらなかった。近くの清水谷公園で別の集会を持って社共を批判した。

 林らのやっていることは日本ファシズムの到来を歓迎する愚挙である。ファシズムの露払いである。

 桜井の日本第一党だって選挙に出ているんだ。殆ど得票していない。林らが騒げば騒ぐほど彼らは注目される。だから桜井はカウンター行動大歓迎なのだ。
 
 おい林よ、どうも右翼とシロクロやるのが好きらしいな。これ以上やると容赦はせんぞ。


その日のうちに拍手が8個ついた。これは党員からだろう。
  1. 2019/09/30(月) 05:41:50|
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人権21 調査と研究

古本屋通信   No 4210    2019年  9月29日


   人権21 調査と研究  おかやま人権研究センター発行



  これは妻が論考を発表した媒体だが、当初から限りなくうさんくさいものを感じていた。早かれ遅かれ書かねばと思っていた。

 但し断っておく。論考がうさんくさいとか、編集がうさんくさいとかいう意味ではない。雑誌の存在それ自体に言いようもない違和感があるのだ。一言で云えば立派すぎるのである。類書と較べてみればよい。せいぜいが団体の組織広報クラスなのだ。パンフレットが関の山だろう。いったい何様の高級雑誌なのか。用紙だって中質紙か新聞用紙で十分である。「前衛」なみで宜しい。

 妻は会員だったらしく、雑誌代だか会費だかを滞納していたので、振り替え用紙で支払い、死去に伴ない雑誌購読は中止するように通知した。

 それから私はおかやま人権研究センターというのは、人権おかやまの研究分野の組織だと長いあいだ信じていたが、田中金ちゃんに両者は無関係な組織だと教えられて納得した。以上の点を前提に以下を書く。

 さて何処から書いていこうか。下に少し古い役員一覧がある。知っている名前もあるし、知らない名前もあるが、まあ名前貸しだろう。共通しているのは殆どが日本共産党員らしいという事くらいだ。各界の知名士だろう。トップの岩間一雄が世紀のペテン師であることを除いて良心的な顔ぶれであろう。

 実質的に雑誌の編集に関わっているのは菅木智子さん一人だと私は見ている。この人こそ妻に論考を掲載する機会を与えてくださった人だろう。妻の口からもしばしば名前が出たし、拙宅も二度訪問され、私も直接お会いしている。理論的にも高く、人間として信頼できる方である。私は全幅の信頼を寄せている。その前提で書く。

 私は元編集者だが出版人でもある。出版人は一冊の書籍なり雑誌を一瞥して先ず何を思うか。それはその書籍なり雑誌の根拠である。一瞬にして原価計算をし、販売部数と損益分岐点の部数を思う。割りが合うか合わないか。売れるか売れないか。

 「人権21 調査と研究」 はたちどころに胡散臭い雑誌だと確信する。ふつうは総会屋雑誌なんだが、それとは違う。行政から金をふんだくって雑誌を発行している。それ以外にあり得ない。これは旧い時代の部落解放同盟時代からの遺産だろう。でももう止めたほうがよい。

 妻が菅木さんから聞いた話である 「雑誌は金があるから継続する。せっかくある金を使わないのは勿体ない」。そういうことである。もちろんこれは彼女の個人的見解ではない。組織の見解である。でもそういう雑誌こそ出版の風上に置けないペテン雑誌である。もうそろそろ廃刊にし余った金は行政に返すべきであろう。

 ちょっと、妻の論考「ひまわり学級に参加して」は8ポ二段組5ページである。ページ当りの写植代が5000円と見て25000円くらいは筆者が負担しなければならぬ。妻は逆に原稿料をもらっている。こんな馬鹿な出版があるか。いちおう年会費3900円、一部頒価650円としているが、回収率は3割、あとは無料配布である。一回1000部印刷製本するとして一回の刊行費が100万円か(これは100万÷1000部だと単価が1000円となるが、いくらなんでも原価はもっと低い。刊行費というのは菅木さんの給料まで含むのである)。うち70万は役所の公金だろう。こんなことやってるから、いまだに同和利権などと陰口をたたかれるのだ。



岩間一雄理事長
小林軍治副理事長
中島純男副理事長
清水善朗理事
井場哲也理事
田中博理事
碓井敏正理事
三宅良子理事
内田みどり理事
吉野一正理事
小畑隆資理事
菅木智子理事
小出隆司理事
榊原精理事
崎本敏子理事
平島正司企画編集
福木実監事
藤澤末博監事


 1,2 胡散臭いのも混じっているが、それはおこう。こういう組織のトップにペテン師を戴いたらオワリである。全活動がペテンになるからだ。以前の原野あきら法学部教授は立派だった。岩間って何なのよ。下に過去記事を貼っておく。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


  
古本屋通信   No 3527    2018年  09月01日


     岩間一雄といふ人の著書

 私の見解に異論がおありの方はアマゾンレビューに肯定評価の書評を書いてくださいね。

 私が長い間、そう、古本屋を始める前の30年以上前から、ずっと納得が行かなかったことがあります。それは岡山ではそれなりに有名人である岩間一雄といふ人の本が、何冊も出回っていて、それらが何の非難も浴びることなく流通していることです。大半はたぶん大学の教科書・副読本として学生に購入させた本だと思います。それだから論外なのか、アマゾンレビューには一件しか書評が存在しません。アレコレの前にまず流通本を列挙しておきます。

 あっ、各著書の本文を少し読んでから気が付くことですが、タイトルからして、メゲていると私は怒って(思って)います。それから未来社の西谷社長は朝鮮のカルト本を平気で出版する商売人ですから、これらは自費出版扱いだと思います。


『中国政治思想史研究』 未来社 昭和43年

(丸山真男『日本政治思想史研究』を捩っただけのふざけた題名。雲泥の違いというだけでなく、中国の政治思想史なんか岩間ごときに書けるわけがなかろう。)


『三好伊平次の思想史的研究』
三好伊平次研究会 吉備人出版 2004年

(編著だからマシな論考も含まれている。三好伊平次は部落民であり、明治の運動家である。その三好の歴史研究ならともかく、「思想史的」研究という切込みは無理だと思うのだが。)


『天皇制の政治思想史』 未来社 1991年

(この題名もヘン。ふつうなら 「ーの政治史」 だろう。内容といふより目次を一瞥すれば 「思想史」でないことは明らか。)


『中国の封建的世界像』 未來社 昭57年

(意味不明だろう。中国に失礼という以前に、「世界像」って、どういう意味? 史実としての中国史ではなく、著者のイメージとして結晶した中国といふ意味か。ならば歴史研究ではない。それに「封建的」って、歴史概念として使っているとは思えない。口から出まかせだろう。)


『渋染一揆・美作血税一揆の周辺  ある墓碑銘への注』
岡山部落問題研究所 1996年

(文学的接近でもなかろうに、カッコウ格好を付けただけの意味不明な副題。それから渋染一揆は無名の農民一揆ではない。中高の教科書に載る著名な全国区の一揆である。その一揆に 「あるー」 はないだろう。)


『比較政治思想史講義 アダム・スミスと福澤諭吉』
大学教育出版 平9年

(「比較政治思想史」って何だという点は置いて、まずこれはスミスと諭吉を対象として、対照して論じたものか、それともそうではなく「比較政治思想」的論なのか、不明である。まあデタラメなんだろう。スミスと諭吉など何の相互交流も影響も皆無だろう。天才か基地外でなければ成せる技ではないナ。)


『近代とは何であったか 比較政治思想史的考察』
大学教育出版 1997年

(「比較政治思想史」が好きな人だ。図らずも上のタイトルが綻びた。「比較政治思想史」自体はまっとうな研究分野であるが、「近代とは何であったか」には笑ってしまった。こういう大時代的で空虚なタイトルは書籍名としてタブー中のタブーである。編集者が絶対に同意しない。出版会社を見ると案の定「大学教育出版」である。コレ出版社ではない。岡山市高柳の友野印刷である。自費出版。)


『毛沢東 その光と影』 未来社 2007年

(ちょっと恥かしくて、笑。毛沢東研究の新機軸だな。しかも21世紀の上梓。こんなものを金を払って購う者はいない。西谷の未来社。結局マトモな出版だけでは経営が成立しないから、数百万の金を取ってゴミを本にするのだ。朝鮮(北)の宣伝本もそうだ。まあ丸山真男 『現代政治の思想と行動』 の版元だから信用はあるワナ。詐欺商売である。福武哲彦が西谷能雄を嫌っていた。哲彦氏に私は意見を求められて 「私も嫌いです。でも丸山の本はピカイチです」 と答えたら、「ウチでも丸山さんの本を出版したい」 とおっしゃる。「社長、それは絶対に無理です」 となった。懐かしい思い出である。オシマイ。)


『日本を考えるための条件』 大学教育出版 1999年

(イカレている)


『ナショナリズムとは何か』 西日本法規出版 1987年

(まさにナショナリズムとは何だ、まったく分っていない者が本を出版する奇怪。一定の共通認識はあるが、丸山と、中国文学研究者の竹内好よしみでは使い方が全く異なる、そういう文言は書物の題名に成り得ない。)




 以上10点はすべて単行本です。このうち2点が編著であり、これらには他の著者の論文も入っていますが、巻頭論文は岩間氏のものですから、2つの本については岩間文だけを問題にします。

 ちょっと余談ですが、私の岩間大先生評価を上記の理事さんの小出隆司さんに言ってみました。小出さんは元中学校社会科教員で、金川高校の私の一級先輩です。それで拙宅にこられた時に言ってみました。チンプンカンプンでした。まるで会話にならないのです。有名な岡大の名誉教授に何を因縁をつけているのかという口ぶりでした。嗚呼、相手にできないナアと思いました。小出さんでも理事が務まるんですね。言っておきますが、菅木智子さんはちゃんと分かっているでしょう。それでいて担いでいるのです。組織って怖いですね。


 これら10点の他に、新日本出版社から守本順一郎との共著で新書本が出ています。日本思想史〈上中下〉1981~ です。これは共著というより守本氏の論考を岩間氏が編者としてまとめた本です。私は守本氏を丸山真男とならんで極めて高く評価しています。そもそも私がコロッとだまされたのは新日本新書に拠ってです。これは名古屋大学での守本氏と岩間氏との師弟関係で出来上がった本でしょう。


 ここからが本論なのですが、結論から。すべての本(編著書の他人の論考を除いて)が失格などという生易しい代物ではなく、支離滅裂でとうてい数ページと読めない偽書です。こう断定するのですから、私が間違っていたら、私が大恥をかくのです。私は読書家としても、古本屋としても、編集者としても、またマルクス学徒としても、自信を持って言い切っているのです。

 どの一冊でもよろしい、そのうちの任意のどの数ページでもよいです。どうか読んで見てください。私はこれが理解できる人は、狂っていると思うのです。思想性がなっていないとか、本物でないといふのではありません。とにかく日本語になっていないのです。そしてこの場合の日本語の欠陥は日本語力の問題ではなく、論じようとしている対象についての認識の問題なのです。

 私は編集者時代に多くの一般書の持ち込み原稿を見たわけではありませんが、それでも十数人は見ています。研究者のマトモな原稿は、注文を付けてリライトして貰って、こちらが最終的に朱を入れれば本になるのです。でも半数以上の素人の本は持ち込み段階で、ハナから読めないのです。丁寧に怒らせないように断ります。断っておきますが、これは主要には国語的にどうか、ではありません。大学の優れた研究者であっても、文筆家ではありませんから、文が下手だったりはいらっしゃるわけです。例えば岡大教授の藤井駿先生のような人です。これを直して本にするのが編集者です。

 私は古本屋を始めてから、多くの人に岩間氏の著者について、自分の感想を言ったうえで意見を求めました。まず20年前に岡大法学部の女子学生(共産党員)です。「よく分からないヘンな先生」 ということでした。次にM学院高校のK先生です。まあ一級の読書家で歴史学徒ですワ。逃げの一手でした。モノ言えば唇が寒い、喋れば私が書くからでしょう 「分からん、私なんかの及ぶ先生ではないデス」。あと名前を挙げませんが、皆さんダンマリ、但し褒めた人はいませんでした。

 私は一大学教授がここまで岡山の読書界を壊している例を知りません。それは岡山には立石憲利さんのような人は何人かいます。でも立石さんの本は日本語でしょう。意味は取れるでしょう。岩間氏とは違います。

 私が岩間氏をどうしても看過できないと思ったのは、彼が長期間に亘って岡山部落問題研究所のトップであり続けているからです。いまもそうでしょう。本当にエライ先生だと思っているのか、それとも岡大名誉教授の利用価値なのか分かりませんが、私はちょっと黙っているわけには行かないのです。小畑先生まで名古屋大学で先輩だった岩間氏を持ち上げているのですから。
  1. 2019/09/29(日) 10:21:10|
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詩画パネルのコピーが出てきた

古本屋通信   No 4209    2019年  9月29日


 先日県委員会が持ち帰られた詩画パネルのコピーが出てきた

 病葉(わくらば)の絵を描いた作品である。これは坪井あき子さんと石川真佐代さんの合同制作だった。平和美術展に出品だったが、制作年月は不明である。いま店に行ったら窓に縮小コピーが貼ってあったので、持ち帰った。私が気に入ったから貼っていたのだろう。坪井さんの詩全文は以下である。


  風の中で

とかげの形した
一枚の葉っぱ
空にかざすと
身をよじり悲鳴をあげた
鉄の歯をもつ虫たちが
葉っぱにとりつき
穴をあけているのだ
頭のあたりにも
腹のあたりにも
とりわけ
しっぽのあたり
ギザギザに噛まれている

外来種の
金喰い虫の  
侵略病の
こんな虫が
なん百年來
この地にやってきたことは
なかった

ギュとにぎりしめ
さて
どうしたものか

し  坪井あき子
え 石川真佐代
  1. 2019/09/29(日) 06:29:28|
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真佐代さんのいない家を守る

古本屋通信   No 4208    2019年  9月29日


   真佐代さんのいない二人の下伊福西町の家を守る

 拙宅は1982年に新築し登記したとき、たぶん姫井由美子事務所の提案で土地と建物を分割登記した。すなわち土地を妻、建物を私の名義しした。税法上の理由からだったと思う。それで昨日役所から通知が届いた。死亡した土地所有者に固定資産税を求めることはできないから、相続人のいずれかに固定資産税の請求先を決定してくれという通知だった。ただしこれは資産の遺産相続の問題とは無関係であるとあった。

 結論だが、土地と建物の名義はママに据えおく。田舎の実家もそうだし、何ら違法性はない。ただし売買が出来ない。下伊福西町の拙宅はやがて二男が相続するから、そのときは二男が考えるだろう。それから土地の固定資産税の請求先は、長男二男ではなく、私に切り替えてもらった。さっそく署名捺印をして投函した。来年度から土地建物あわせて4万円以上固定資産税を私が支払うことになる。それと御津新庄の固定資産税だ。長男に支払わせるわけにはいくまい。以上はグチである。


 下伊福西町の自宅の庭木の剪定が明日に迫った。きれいになる。楽しみだ。

 私は夜が来ると、二階の私の部屋はもちろんのこと、一階の三部屋すべてに明かりを点ける。電気代は大したことはない。テレビをまったく点けないから、それ以下だ。

 なぜ明かりを点けるか。それは今も真佐代さんといっしょの気分を味わいたいからだ。パジャマは二階に吊るしてあるが、一階には今も妻が生きて生活している、そういう幻影は私を虚しくしない。何かほのかな温かいぬくもりをもたらすのだ。

 いまは昼も夜もない生活である。暇で困ることもない。いつも真佐代さんといっしょである。
  1. 2019/09/29(日) 01:58:24|
  2. 未分類

アホなカルト党員に離党を勧告する

古本屋通信   No 4207    2019年  9月29日


    アホなカルト党員に離党を勧告する

 まず党規約第五条を教えておこうか。

(五) 党の諸決定を自覚的に実行する。決定に同意できない場合は、自分の意見を保留することができる。その場合も、その決定を実行する。党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない。
(六) 党の会議で、党のいかなる組織や個人にたいしても批判することができる。また、中央委員会にいたるどの機関にたいしても、質問し、意見をのべ、回答をもとめることができる。
(八) 党の内部問題は、党内で解決する。


 読んでのとおりだ。党員は党外で党の決定に反する意見を勝手に発表することは出来ないが、党の会議で、党のいかなる組織や個人にたいしても批判することができる。また、中央委員会にいたるどの機関にたいしても、質問し、意見をのべ、回答をもとめることができる。

 これが党規約だ。党内の規定だ。ならば、党外のシンパは如何なる場所で党批判が可能なのか。党組織に所属していないのだから党外で、つまりネット右翼や公安も閲読可能な空間で党批判をやるしか方法はなかろう。

 しかも私は日本共産党を打倒せよなどと一言も言っていない。志位や小池を手厳しく批判しているが、常任幹部会委員のうち、市田忠義、緒方靖夫、辰巳孝太郎、田中悠、田村智子、浜野忠夫、藤野保史を一言も批判していない。岡山県党においては、極右・藤原正彦を絶賛した武田英夫(下に其のエントリー)をこき下ろしたが、前県委員長の石井ひとみや現県委員長の植本完治を一言も批判していない。これの何処が反党なのか。

 正当なる党外の党批判を封じるべく 「古本屋通信はネット右翼や公安が喜んでネット検索するサイトである」 とほざいたカルト党員よ、いますぐ離党届を提出せよ。


 付記 たった今、「アホな党員はアホなだけだから、もう赦してやったらどうか」 という投稿があった。アホなだけというのはそのとおりだろう。だが後先のみさかいもなく暴言を吐けるのは自分を絶対視しているからだ。赦せないのは暴言が私に対するだけでなく、我々夫婦の円満な関係を破壊する暴挙である点だ。そういうことには思いが及ばない。死んでしまえということだ。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


  古本屋通信   No 577  12月19日

  資料・藤原正彦氏の講演


 『国家の品格』(新潮新書)の著者である数学者の藤原正彦氏の資料、とりわけ氏が昨年はじめに各地でなした講演についての「声」を資料として紹介したい。尚、古本屋通信は講演を聴いていない。拙ブログ「通信 No 571 出版のこと」の一部分を末尾に[参考資料]として付した。


いのしし日記 武田英夫 「国家の品格」と一致するもの
岡山県民公開講座・医療シンポジゥムに参加して その② 藤原正彦氏の講演
 2011年2月 9日 22:16 | 個別ページシンポの記念講演は、「国家の品格」「日本人の矜持」などの著書で知られる藤原正彦氏の「日本のこれからと年寄りの役割」と題する講演。「国柄」といった精神的美意識に関する問題を、数学者らしい大胆な論理で切っていく訳だから、「兎に角面白い」の一言に尽きる。
講演後、ある医療関係者は「数学者としての論理」の面白さを語っていたが、政治家である私 (これが武田の自慢なのだ。救いのない自己認識である。武田が政治家である訳がない。たまたま立花一也県議が急病で選挙に出られなくなった後釜の指定席を横取りしただけではないか。それに専従も議員も政治家ではない。職業革命家である。職業革命家は単なる党員任務である。あのなあ森脇さんは今回選挙に落選した。そしたら何か変わるんか。変わらない。立花さんも一度は落選している。みんな一党員である。そして全党員は共産党員ゆえに政治の変革を求めて活動している。武田のエリート意識こそプチスターリン主義そのものなのだ。恥かしいが、恥かしいでは済まない。ブルジョア根性を叩き潰さねばならない。赤坂てる子だって、こういうヨゴレ腐敗分子といっしょに議員やってらから腐った。さいわい森脇さんは腐らなかった。近藤紗智子さんは嫌気が差して引退した) はむしろ藤原氏の「政治的見解」に面白さを感じた。
「日本を悪くしたのは自民党だが、民主党はそれ以上に日本を駄目にしている」というところから始まり、「社会保障費削減、格差と貧困拡大の小泉改革の総仕上げ」としての「民主党政権」という見解は、私と完全に一致するものである。
そして圧巻は、「TPP反対」の独特の見解である。
藤原氏が大切にしている「国柄」の中心は「日本的な田園風景」であり「お百姓への思いやり」なのである。それを、破壊するTPPは「国家の品格」を壊すものであり、そんなばかげたことは「日本人の矜持」が許さないというのである。
これまた、完全に一致する見解であり、大いに拍手を送らせていただいた次第である。



防衛大学校同窓会 Home Page 「今、そこにある危機」  
24年度防大同窓会代議員会 講演(藤原正彦氏)
 講師 藤原正彦 先生  演題 「日本のこれから」
 ここ10数年の日本を振り返りますと、改革に次ぐ改革、ものすごい改革がなされてきました。そもそも、改革=改善と信じているのは、アメリカ人だけで、イギリス人などは、改革などしても改善に繋がるのは4つの内1つと思っているようです。ところが、日本人はアメリカ人的になってしまい、とにかく何でも改革する。そして、どんどん悪くなる。更には、改革する能力すら失ってしまった。だからこそ、政治家は、国民の目線に立つ、国民の言うことに耳を傾ける、こういう政治を続けているのです。しかし、国民の目線に立ったら、日本は滅びてしまいます。なぜなら、国民が、国をリードすることは、能力的に不可能だからです。一国を運営する、リードするということは、大変なことです。したがって、圧倒的な真のエリートが日本を率いてくれないと困るのです。真のエリート、その第一条件は、教養を腹いっぱい身に付け、それに基盤を置いた大局観、長期的視野を持っていることです。第二条件は、いざとなったら国家国民のために命を捧げる気概を持っていることです。しかし、この真のエリートが日本からいなくなってしまった。

 小泉内閣の緊縮財政、民主党に至っては何もしないような政策、これらを新聞も、テレビも、エコノミスト達も、皆支持してきたわけです。この間の消費税上げも、大新聞で反対しているところはどこもありません。これは、戦前と同じです。一億火の玉、戦争に日本を導いていったのと同じです。要するに、大衆の意見、国民の意見に耳を傾けるとあっという間に国は戦争に向かっていってしまうのです。世界中のどこの軍人も戦争はしたくない。開戦を促すのは、つまるところ国民なのです。

 しかし、私にとって、一番の問題は政治経済の問題ではありません。私は、あまり政治経済に興味がありませんでした。32年前に亡くなった父(新田次郎氏)が言った、「政治とか経済は醜い世界だから、お前は美しい数学とか文学とかを作っているのがいいんだ。」それを私は、父の遺言のごとく守ってきました。しかし、12,3年前から、しきりに政治経済についても発言するようになってきました。それは、この改革に次ぐ改革が、日本の国柄をも壊し始め、これを憂慮しているからです。国柄は日本の全てであります。

 では、日本の国柄とは一体何か。一番大きな国柄は、圧倒的な初等教育です。初等教育の中心、小学校、中学校の中心というのは、昔も今もこれからもすべての国において「国語」なのです。国語が、圧倒的に重要なのです。ところが、現在の日本ではそうは言っていません。一昨年の4月から小学校で英語が必須になりました。しかも、国民の8割がこれに賛成であるそうです。私にとって、祖国日本の真の敵は、国民であると言わざるを得ません。はっきり言って、小学校から少々の時間を費やしても日本人は英語をしゃべれるようにはなりません。日本というのは、全く植民地になったことがありません。したがって、日本語だけで日本中どこへ行っても話が通じます。しかも、学問も日本語だけで通じます。自然科学を勉強しようと思えば、日本の大学院で世界の最先端領域までできるのです。自分の国で大学院まで出て、そして、そこで研究を継続してノーベル賞までいってしまうことのできる国は、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、日本くらいしかないのです。

 英語だけではありません。これからはIT 社会だから小学校の頃からパソコンを教えたりする。これも国民の8割が賛成だと言っています。小学校からパソコンなんかに戯れている場合ではない。パソコンを作たり、ソフトを書くには、キチンとした論理的思考ができなくてはなりません。そのためには、小中高と数学を徹底的に叩き込まなくてはなりません。他にも福祉を教える、国際理解を教える、健康を教えると全く余計なお世話です。最近では、生きる力を育むなどと言っています。或いは、独創性、創造性を育む、学校で教えるようなものではないわけです。

 私は20年前から、初等教育においては、1に国語、2に国語、3、4がなくて5に算数、あとは10以下と言っています。初等教育の中心は国語です。国語が圧倒的です。日本の国語力は、四世紀の間、断トツの世界一だったのです。国語力は、一般的に識字率で表されます。日本は、江戸時代でも50%で、当時、世界で最も進んでいたのです。イギリスのロンドンでは、識字率が25~30%と推測されています。ロシアは、1900年になっても識字率はたった20%です。また、日本が圧倒していたのは、国語だけではなく、算数でもそうでした。1627年、京都に吉田光由という数学者が塵却記(足し算・引き算・掛け算・割り算・鶴亀算)という本を書いているのですが、彼の一番の功績は、数字の読み方を統一したことです。万と億の間に十万、百万、千万を入れ、億と兆の間にも十億、百億、千億を入れました。これにより、世界で最も優れた数字の読み方(桁)が確立され、算数大国が出来上がったわけです。

 それほど初等教育は、日本が圧倒していたのですが、3、4年前には、日本が8位、9位になってしまいました。去年あたりの結果を見ると、4位、5位くらいでした。日本は、大天災の国、台風があって、大洪水があって、大噴火があって、大地震があって、大津波がある。何でもありなのです。しかも、天然資源はほとんどありませんし、国土の70数%が山ばかりで本当に恵まれない国です。あるのは、「脳みそ」だけです。「脳みそ」で戦う以外に生きていく術がないわけです。したがって、断トツの1位をキープしなければいけない。日本は、四世紀の間、それをキープしていたのです。しかし、ゆとり教育を中心として、徹底的に教育は壊されてしまいました。

 更に、日本の心まで壊されています。国柄としての心です。日本というのは、金銭崇拝から世界で最も遠い国でした。圧倒的に遠かったのです。要するに、ヨーロッパで権力支配階級の貴族というのは、権力と教養と金を独占していたのです。ところが、日本の支配階級の武士というのは、権力と教養は独占していたが、金は、からきしなかった。これは江戸時代も、そして、明治になってからもずっと続いていたことです。また、日本人は、どんな宗教のどんな国よりも、はるかに道徳心が高い。私にとって、法律によってしか人間の行動、言動を規制できないとすれば、これは恥ずべき国家です。高貴な国とは、道徳とか倫理によって自分の言動とか行動を自己規制できる国です。

 なぜ私が国柄のことを言うかといえば、日本というのは国柄しかない国であり、国柄だけでもってきたからです。日本には、金をじゃんじゃん稼ぐことよりも徳を重ねる方がより美しいことである、或いは、自分のために一生懸命頑張ることよりも公のために頑張ることの方がより美しいことである、自分の権利を激しく主張することよりも人の気持ちをより察する事の方が美しいことであるという価値感、美醜の感覚があるわけです。このような国柄というのは、一体どこから生まれたのか。国柄の下には、日本人の美しい情緒と形というものがあるのです。花などという世界を華道にしてしまう。字などは書道にしてしまう。お茶は茶道にしてしまう。何でも芸術しないと気がすまない、異常な国民です。異常な美的感受性、これが日本人の最も重要な得意点です。

 日本のあらゆる学芸で最も素晴らしいのは、実は文学です。もうこれは圧倒的です。わび、さび、幽玄という他の国の数段上のこういう美的情緒、その根本には無常観というものがあるおかげで、圧倒的な文学を生み出してきたのです。その次にすごいのが芸術です。例えば、19世紀から20世紀にかけてのヨーロッパの印象派に対する日本の浮世絵が与えた影響がものすごい。次が数学です。行列式は、関孝和という人が最初に発見しているのです。その次は、物理学です。3、4年前には、日本の物理学者が一気に3名も受賞しました。何故、文学、芸術、数学、物理学がそれだけすごいのか。この4つにおいて、最も重要な資質は、知能指数でもない、偏差値でもない、美的感受性なのです。これが日本人のお家芸なのです。

 この美的感受性が、実は日本の道徳の下にもあります、国柄の下にもあります。日本人は、何でも美醜で考えます。日本人は、秋に虫の音を聞き、これを美しい音楽のように聞く。そこに秋の憂愁を感じたりはかない人生を思ったりする。ラフカディオハーンは、「このような感性を持っているのはヨーロッパではたぐいまれな詩人のみである。」と言っています。ところが、日本では、ごく一般の庶民が普通にそれを持っているのです。このような美的感受性、他にも故郷を懐かしむ心、深い高尚な心です。これは実に素晴らしい国際人の資質です。懐かしさというものに基盤をおいた家族愛、郷土愛、祖国愛が、きちんと育っておれば、他国の人々の同じ思いをよく理解できるわけです。他にも自然にひざまずく心、日本人特有の素晴らしい情緒があるわけです。それから、武士道精神です。武士道精神の中でも、とりわけ、卑怯を憎む心、それと惻隠です。この惻隠とは、弱者への同情、共感、涙です。これが中心です。

 私は、こういうものを日本人がみんな失ってしまったと思っていた。ところが、実は失われていなかったのです。2年前の東北の大震災の中でも、ビシッと秩序が保たれており、皆冷静であった。家族と自分の家を流された人が、他の流された人をすぐに助けに行く。そして、略奪が絶対に起きない。更に、惻隠だってとっくに日本からなくなっていると思っていましたが、若者がスポーツ選手とか芸能人が特にショーを開催し義援金を集め、ボランティアをやっていました。震災後1ヶ月間ぐらいはテレビで津波の映像をみて、日本中が皆涙を流しました。新聞はなぜか余り報道しませんでしたが、自衛隊も献身的に命がけの救助活動を行いました。東京の消防隊長がこれから福島の原発に水をかけに行くと奥さんにメールを打つと、奥さんから「日本の救世主になってください。」とただ一行来た。まだ、こういう奥さんが日本にいるわけです。私は、この奥さんが特別な人だとは思いません。このような女性はいくらでもいると思います。日本人は、日本の国柄とか美しい情緒とか形を失ったように見えて、実は遺伝子の中にしっかりと持っている。これは、悲惨な大震災の中で唯一の私にとって光明でした。

 18世紀の終わり頃、イギリスにスマイルという思想家が「歴史を振り返った時に最も実り多い時代というのは、最も苦境にあった時代である。その苦境を乗り越えて初めてさらなる高みに到達することができたからだ。」と言っています。今、日本は、苦境にあります。したがって、この苦境をどうにか乗り越えなくてはいけない。10年後、30年後になって、あの震災の後の数年間の大変な時期が最も実りの多い時代であったと言えるようにしなくてはいけません。そのためには、日本人が美しい国柄を取り戻す、その基盤となる美しい情緒と形をきちんと取り戻す、そして、素晴らしい社会、国家を作ることです。日本人は、欧米から教わった、論理、合理、理性を非常に尊重している。それに加えて、日本人が昔から持っている美しい国柄、そして、その基盤になる美しい情緒と形というものをきちんと取り加えて、付加して素晴らしい社会国家を作れば、なるほどと世界中がそれを真似しようとするでしょう。すなわち、日本人の子供達、大人達、すべての人々が美しい国柄と美しい情緒と形を取り戻して素晴らしい社会国家を作るということは、祖国日本を救うだけではなく、世界を救うことになるのです。ひいては、人類を救うことになるのです。日本人として生まれてきた本当の意義というのは、そのような形で人類に貢献することではないでしょうか。このように私は思うわけです。


平成24年 一般財団法人田部井教育振興会主催 講演会レポート
講演会レポート 【~日本のこれから、日本人のこれから~ 講師:藤原正彦氏】
 2012年3月4日(日)、東京・日比谷の東京商工会議所東商ホールにおいて、ベストセラー『国家の品格』でもおなじみの藤原正彦氏による講演会を開催いたしました。当日はたくさんの方にご来場いただき、盛況のうちに終了いたしました。お忙しい中、ご参加いただきました皆様には深く感謝申し上げます。会場は幅広い年代の方々により満席で、第二会場を用意していましたが、予備椅子を配置するほど多くの方々が来場されました。
ご講演では、まず、今の日本では国柄が壊されている、という警鐘がありました。国柄とは、日本人の美しい情緒とそれを華道・茶道・書道などで表す形、美的感受性、もののあはれ、自然に対する畏怖心、故郷を懐かしむ心などであり、国難の時代を乗り越えるにはそれらを取り戻すことが大事という話。そして、そのためのキーワードが「惻隠(そくいん)」つまり弱者や敗者への涙や思いやりであり、資源のないこの国では人こそが資源と考え、日本人ならではの国柄によってもう一度日本を元気にしようとお話しいただきました。
このためには、すべての基盤として初等教育が必要であると述べられ、特に国語教育の重要性を説かれました。藤原氏のユーモアをまじえた講演に、参加された皆さんは熱心に聴き入っておられました。

なお、今回の講演会では、お申し込みが殺到したため、多くの方々からのお申し込みをやむなくお断りせざるをえなくなりました。お申込みいただいた皆様には、この場をお借りしてお詫び申し上げます。

参加者の皆様よりご感想をいただきました。
●現在の社会にふさわしい講演だったと思います。

●とても有意義な時間でした。ユーモアがあって分かりやすいお話でした。ありがとうございました。

●日本人のこころ、本質、美徳、和、絆、美的感受性について改めて考えさせられた。

●藤原先生の実にわかりやすく、心にひびくお話が聞けてうれしく思います。理屈抜きですうーっと体に入る感じでした。日本人に生まれて本当によかったと認識を新たにしました。ありがとうございました。

●テーマに合った講演内容で感動した。このような企画をされた御社に敬意をはらいます。またすばらしい企画をして下さい。ありがとうございます。

●話題が多岐にわたり、それぞれの分野の話がとてもわかりやすく、又何が今の日本に欠けていて、これから何を重要視していけばいいのかがわかってきました。とても実りのある貴重な時間になりました。このような機会を設けて頂きありがとうございました。

●ユーモアありのお話は充実して居ました。非常に理解しやすい内容で、あっという間に時間が過ぎました。

●シャダツな氏の講演会に参加出来、大変嬉しく思っています。口は早口のようですが、身体からやさしさがあふれ、又大好きになりました。氏がおっしゃるように日本人の心が再びとり戻るように自身(私)も努力したいと思います。

●小学生の子供が3人います。今回、ご年配の方が多くご来場でしたが、今小さな子供達の教育に携わっている同年の方達にぜひおすすめしたい内容でした。子供を連れてきてもよいような託児があればぜひ知り合いにも声をかけたいです。

●惻隠の情の必要性、文理を跨ぐ博識の藤原先生の講演に感銘をうけました。

●内容が深く、短い時間になんと豊富なお話が聞けたことでしょう。録音をして家族みんなに聞かせたいとつくづく思いました。著書を読ませて戴き、今日を楽しみにしていましたが想像以上のすばらしい時間でした。又の機会をお待ちしています。

●著書の通り、共感できる内容について熱心にユーモアも交えながら話して頂いて大変満足している。藤原さんは90分にわたり休まず話したことに感服した。開催者へは、このような場を提供してくれた事に感謝。

●なんとなく自信のない子育てをしていました。子供にどのような教育をしてあげたらよいのかと…。英語も早くからやらなければいけないのかと思ったりしていましたが、本当に親として子供に伝えたり教えたりするべきことが見えた気がしました。本当にこの講演に参加できてよかったです。ありがとうございました。

●先生の著書はこれまでも何冊か中途半端に読んでいますが、初めて肉声でうかがってほんとうに感動しました。最後には涙が出ました。ますますのご活躍、ご健勝を祈ってやみません。

●藤原先生の本は何冊か読んだ事があるので、その中のお話がかなりあったのであらためて思い返すことができました。わかりやすい言葉でお話し下さったので、眠くならずに済み、有意義な時間を過ごす事ができ、楽しかったと思います。

●とてもいい話でした。子供達に聞かせたいと思いました。

●日本人の美的感覚、やさしさを先生の講演で改めて思いかえしました。震災のお話では、客席で涙している人が多くありました。感動しました。

●藤原先生の根本的な考え方にまったく同感です。先ず国語ありきから始まり、歴史、宗教、哲学、芸術、地政学、文学といった先人の知恵に学ぶことの大切さを再認識した次第です。

●今まで何度も講演を聞きましたが、今日ほど心に沁み、感動した日はありません。

●これからもたくさんの先生の新書を読みたくなりました。楽しみにしています。

●感動しました。国家の品格を読み感銘したが、他著作品についても読みたいと思います。

●子どもを育てているものとして伝えなければいけない大切なことを勉強させていただきました。ありがとうございました。

●なかなかものをはっきり言われる藤原先生がよかったです。本をよんでも大変に感銘をうけています。

●非常にわかりやすく有意義でした。講師の著書を読んでいますが、再度考えを理解することができました。またユーモアをまじえたお話はたいへんおもしろくも感じました。

●国語力、日本人の教養すべての土台は幼児期であること、日本語で豊かな感性、改めて考えさせていただきました。そして日本人の言語、いかに大切かを感じました。素晴らしいお時間、ありがとうございました。

●感動的な言葉の重みをしっかり受け止めて、これからの学びと行動につなげたいと思いました。

●とても力になるお話でした。若い世代にも聞かせたい。メモをもとに家人にも伝えます!!

●今の日本の閉塞感の原因が何であるか分かったような気がします。日本人の精神、文化、芸術等のすばらしさを学校教育に反映できる時代が早く来て欲しいと思いました。

●惻隠というキーワードをどういう方法、どういう形で若い人々に伝えていくか、教えていくのかの具体策がほしいと考えました。どうすればよいかの方向性を示していただければ尚よかったと思います。大変勉強になりました。

●日本の経済から教育など様々な角度からお話をして下さって、とても有意義な時間を過ごせました。改めて日本人の美的感受性の素晴らしさを実感しました。

●「国家の品格」の本を読み感銘しました。この様な機会を知り、生の講演を聞くことができ、またユーモアをまじえ、わかりやすくお話をしてくださり、本当によかったです。

●大変良い講演でした。わかりやすく、時間の過ぎるのを忘れてしまうすばらしいお話、ありがとうございました。

●改めて仕事の意欲がわきました。子供にも日本人としてのあり方、すばらしさを伝えたいと思います。ありがとうございました。

●日本の有り様を明快に説いて下さった講師に感謝致します。改めて自分の内なるものに気付かされ、生き方の指針になり、それが国のため、次の世代へ渡すものが何なのか気付きました。有難うございました。

●目からウロコです。捨てたもんじゃない日本と思いました。これからも国際社会等で変動の多い中、東北しかり日本しかり、世界しかり、大きな視野のもと心して美しい日本にしていかなければならないと思いました。それを創る美しい小さな種をまいていきたいと思います。本日は本当にありがとうございました。

●僕は今年から大学生になるのですが、今回の講演で大学でどのように勉強していけば良いのかよくわかりました。今まで古典や歴史はあまり重視してませんでしたが、これを機にもっと深く知りたくなりました。真の国際人になれるよう、これからも精進していきます!

●知識者の意見を直に聴く機会の少ない立場でしたので、この何時間は生活上の指針となります。

●日本の国柄は「惻隠」等に裏打ちされ、平和等すべての事柄の基礎であり、核心に当たるものであることを認識しました。

●とても有意義な時間、勉強になりました。このような機会を作っていただき、本当に感謝しております。また次回もこのような会にぜひ参加したいです。ありがとうございました。

●このような話を子供たちに聞かせたい。田部井教育振興会がこの役割を担っていただけたらと切に願うものです。これまでの日本人よりこれからの日本人に。

●とても良かったです。日頃、経済や政治、日本の今後を考えることがありますが、藤原さんのおっしゃっていた事に同感する部分が多々あった事、またそれ以上に気づきもいただきました。

●教育の重要性を改めて認識した。先生のお話は非常に面白く、興味深かった。ありがとうございました。

●藤原正彦教授の出版された書物の大変興味を持って愛読しております。初めて講演会参りまして感激いたしました。

●情緒素晴らしいこれからの日本に大いに期待したいと思います。藤原先生のお話は、笑いもあり、感動しました。

●世界のトップの方たちを見てきた藤原先生の目を通した日本の姿や歴史のお話は、とても説得力があり、聞き入っておりました。国の事を真剣に考えていて下さる気持ちが伝わりました。改めて、正しい教育の必要性、国語力の尊さを見なおしました。本日は参加して良かった。ありがとうございました。

●久しぶりに大変良いお話を聞かせていただきました。もっと若い人にも聞かせたいお話でした。ありがとうございました。

●藤原先生のお話を一度きいてみたいと思っていました。今日は高校生と小学生の子どもを連れてきました。どのくらい理解できたかわかりませんが、今後子どもたちにもこのようなお話をきく機会があるといいと思いました。子どもは国の宝です。きちんと育てたいと思います。ありがとうございました。

●話の内容もよかったし、係の人の対応もよく、心地よい時間でした。

●初めてこのような講演をきき、これまで考えなかったことなどを今回のお話を通して知ることができました。

●講師の藤原先生のお話は原稿を見ず、笑いも入れ、とても聞きやすくわかりやすかった。美的感覚を持つ必要性が強く感じた。

●母に誘われてなんとなく来ましたが、来てよかったです。わかりやすい言葉で、親しみやすかったです。帰ったら、もう一度“国家の品格”を読みたくなりました。

●内容は著書の「国家の品格」であったが、著者みずからの口できくと力強さが感じられ、納得度が全く違う。

●幼少より国語教育(母国語)の大切さ、再確認しました。もう一度先生の本を読みなおします。ありがとうございました。

●本当にそのとおりと感動いたしました。執筆されている本から本人の生の声を拝聴したかったです。

●藤原先生の講演とても楽しく聞けました。ありがとうございます。1時間半、あっという間の時間でした。先生、お疲れ様です。

●藤原正彦先生のお話はとても解りやすく、息つく間もない程熱心な語り口で、ひとつひとつ納得いたしました。これからの一日一日を心して過ごしてゆきます。ありがとうございました。折々の提言をお願いいたします。

●今回、参加させて頂き大変うれしく思っております。先生のお話すごくすごく楽しくためになりました。またこういう講演に参加してみたいです。

●日本の現状をわかりやすく説明していただき、今後の日本の進むべき道を私なりに理解できました。たいへん参考になりました。ありがとうございました。

●とても有意義でした。自分が日本で生まれたことを誇りに思えるようなお話でした。残念なのはもっと若い方々に聞かせたいと思いました。どうもありがとうございました。

●かたい先生と思っておりましたがとてもおもしろく、これからの生き方、心の持ち方に参考になりました。

●小学校の副校長をしております。本を読ませていただいておりましたが、実際にお話をうかがって大変感銘を受けました。しっかり受け止めて教育をしていこうと思いました。

●時折ユーモアをおりまぜながら、私たちが大切にして考えていかなければならない本質的なことについてお話いただき、とても感銘いたしました。

●よい講師を招へいして頂き、ありがとうございました。藤原先生のような考えの人が教育界で活躍してほしいと願います。

●藤原先生のますますのご活躍、お考えを広めていってください。参加できてとてもよかったです。ありがとうございました。

●本当に有意義な講演で、感動しました。ぜひまた参加したいのでよろしくお願いします。本日はどうもありがとうございました。

藤原正彦氏プロフィール
藤原正彦
お茶の水女子大学名誉教授
数学者・作家
1943年、満州国新京(長春)生まれ。1968年、東京大学大学院理学系研究科修士課程修了。
コロラド大学助教授、お茶の水女子大学理学部数学科助教授などを歴任。1988年~2009年、お茶の水女子大学理学部教授。現在、お茶の水女子大学名誉教授。
著書に『日本人の矜持』『日本人の誇り』など多数あり、2005年に出版された『国家の品格』は200万部を超えるベストセラーとなる。

 八木経営システム研究所
 藤原正彦氏の講演に学ぶ
先日、12月5日に大阪商工会議所で「国家の品格」の著者である藤原正彦氏の講演が行われたので出向いた。私は以前に藤原氏の著作「国家の品格」「祖国とは国語」を読んでいるので、今回の内容も大変興味深く聞くことができた。
講演内容から主な内容をかいつまんで下記に記します。

★民主主義が上手く成り立つには前提がある。それは「国民が成熟した判断をすることができることだ」。即ち、感情的でなく理性的に、また短期的でなく長期的に、自分のためだけでなく社会全体のために、ということを考えて投票することが選挙において望まれる。民主主義は全能でない。
嘗てのイギリスの首相チャーチルは、民主主義に代わるもっとよいものが欲しいが、今、それに代わるものがないのが残念だといったという。

◆現在、“小さな政府”というものがもてはやされているが、小さな政府もこれが行き過ぎると、地方が荒廃する。
例えば日本においても、大きな企業もなく税収の少ない地方が財政難に喘いでいる。地方の自助努力が必要なことは言うまでもないが、やはり一定のレベルの生活水準を維持できない弱い地方には中央政府が強力な力で支援することも考える必要があるのではないか。

◆規制は撤廃するのはよいが、何でもかんでも規制を撤廃するのは問題だ。弱者にはハンディを与える必要がある。市場原理主義の限界をもっと認識しなければならない。例えば、タクシー業界では規制が進みすぎて競争が激化、タクシー運転手さんの生活が脅かされている。

◆日本も一時は一億人総中流と言われたが、現在はその状態が崩壊しつつある。アメリカと同様に格差が拡大している。また、バブル崩壊後の就職難の時代に仕事にありつけなかった若者がニート、フリーターとしての生活に甘んじている。その数600万人。彼らの将来を考えてあげなければ日本の将来も暗い。

◆嘗て日本の教育のレベルは、江戸時代の“寺小屋”という教育制度の伝統を受けて世界でもトップクラスであった。しかし今は、衰えが目立つ。寺小屋では、読み書き・算数が教えられたように、国語と数学(算数)はあらゆる学問の基礎であり、国家の持続・発展には欠かせない。中国脅威論が叫ばれているが、日本は、中国と比べた場合、数学や理論物理については、まだかなりリードしている。従って、中国の脅威をそんなに心配する必要はないのであろう。英語については、幼少時代からの英語教育の必要が叫ばれているが、一部の外国人と折衝するような人は英語力が必要かも知れないが、大多数の人にとっては、まず日本語を確立し、日本文化、歴史、文学等を学んだ上で、伝達手段としての英語を学ぶべきなのであろう。

◆未成年者の教育は、子供中心主義でなく大人中心主義であるべきである。幼児、小学生低学年の間に、人間社会の守るべき規律や規則などの倫理を徹底的に教え込む必要がある。子供を甘やかしたり、自由を与えすぎると、現在のように、いじめ、暴力が横行し教育現場が荒廃する。


[参考資料] 古本屋通信 No 571 出版のこと より
 今の日本で物書きで飯を食っている人はいないのだろうか。そんなことはない、確実にいる。しかし彼らは売文業者であっても表現者ではない。その区別は微妙だが、峻別しなければならない。基準は真実を書こうとしているか、売れるものを書こうとしているかだ。ベストセラーは後者である。養老などイカサマだろう。藤原正彦の『国家の品格』もイカサマである。

 私が武田君の教養を初めて疑ったのは、数学者の藤原正彦の『国家の品格』を肯定的に紹介したブログを読んだ時だった。へえ~、あれがマトモな本に読めるのかと。いまも彼のブログに残っているだろう。私には数学者としての藤原は分らない。しかし『国家の品格』は2,3ページも読めば、イカレ本だと直ちに判る。右翼本だがそれ以前に、右翼仕立ての売れる本を新潮社がでっち上げたのだろう。本人の藤原ももちろん右翼思想の持ち主だろう。いや、右も左も分かってない単なるアホウだという意見もある。自然科学系の天才にこういう人物が時々いる。困ったことだ。


 古本屋通信
 若干コメントしたくなった。藤原の講演の全文を読んだのは初めてだから。防衛大学校同窓会の基調講演にふさわしいということだ。しかし目新しいものではない。松下政経塾の焼き直し程度だ。典型的な支配階級のイデオロギーである。

 問題は、なぜ武田英夫のような永年党員で、かくもお粗末な人物が現われたかだ。しかしあれこれ言いたくない。日本共産党は武田をクビにするなり何なり、相応しい処置をした方がよい。これではイデオロギー闘争以前に政治闘争になるまい。県党か中央か知らぬが、26大会でケリを着けてほしい。でないと若い党員でヘンなのが続出するゾ。
  1. 2019/09/29(日) 01:08:20|
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忘れ物のリンゴが美味しい

古本屋通信   No 4206    2019年  9月28日


    忘れ物のリンゴが美味しい


 先日来訪時に植本さんが忘れて帰ったリンゴが美味しい。リンゴは真佐代さんがしばしば生協で注文していた。生協のリンゴは当り外れが少ない。私はニシナで買ったことはない。見た目には当り外れが判らない。それと皮をむぐのが鬱陶しい。それで5月以来食べていなかった。ひさしぶりだった。跳び上がるほど美味しかった。植本さんの忘れ物だったが、返却するのも面倒なので、そのまま食した。あしからず。

 御一行5人は当日手が空いていたのだろう。面白かった。京美さんの出席には思わず笑ってしまった。県書記長だもんね。良かった。

 入ってくる順番は、石井さんではなく植本さんが先だった。へえ県委員会なんだと納得した。仕掛け人は石井さんだろう。小坂さんの役回りもあったのだ。聡美さんは県委員会最若手の売出しだったのだろう。それともご両親の代理だったのかもね。こういうのが私の自意識過剰なのだ。ホントは意味無いんだ。

 ヌードのお持ち帰りは意外だったが、これは相当目が高いお持ち帰りだったろう。どこにでもは収まらないからだ。それと詩画の大型作品が売れたのが嬉しかった。坪井あき子さんとの共同制作で、わくら葉を描いた作品だったろう。収まる場所があるのだろうか。

 県委員会以外の共産党の皆さんも宜しくね。石井さんに言えば、石井さんがSさんにメールを入れてくれ、Sさんから私に連絡がある筈です。

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仲宗根美樹 川は流れる 歌詞 - J-Lyric.net
j-lyric.net › artist
病葉を 今日も浮かべて街の谷 川は流れるささやかな 望み破れて哀しみに 染まる瞳に黄昏の 水のまぶしさ 思い出の 橋のたもとに錆ついた 夢のかずかずある人は 心つめたくある人は 好きで別れて吹き抜ける 風に泣いてる ともし灯も 薄い谷間をひとすじに 川は ...


「病葉」と書いて「わくらば」と読むそうですが、「病」に「わくら」という読み方があるのですか?
小社『明鏡国語辞典』を引きますと、「わくらば」とは、「病気や害虫にむしばまれて変色した葉。特に、夏の青葉にまじって赤や黄に変色している葉」と出ています。この意味と「病葉」という漢字とは、いかにもぴったりしていますから、「病」に「わくら」という読み方がありそうな気がするのも、ごもっともなことであります。
しかし、このことばは、そう単純な生まれ育ちではないようです。いつもお世話になる小学館さんの『日本国語大辞典』を調べてみると、このことばは室町時代からあったようです。しかし、その語源については、「わ」は若い、「くら」は食らうの意味だとか、もともと「分ける葉」だとか、いくつか説があるようで、はっきりしないのです。つまり、「わくら」とは何かは、はっきりわからないのです。
したがって、「病」に「わくら」という読みがあると考えるよりは、「病葉」の2文字で「わくらば」と読む熟字訓のようなものである、と理解しておいた方が、よいのではないかと思われます。
ちなみに、ややこしいことに「わくらば」と読む熟語は他にもあります。それは「邂逅」という熟語で、ふつうに読めばカイゴウあるいはカイコウですが、この2字で「わくらば」と読むこともあるのです。ただし、その場合は「病気の葉」という意味とは全く違って、偶然に出会う、というような意味になります。こちらはなんと『万葉集』に用例がある古いことばですが、やはり、語源については定説がないようです。
  1. 2019/09/28(土) 05:27:32|
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自宅の整理整頓と妻の遺作展

古本屋通信   No 4205    2019年  9月28日


    自宅の整理整頓と、真佐代さんの遺作展



 下伊福西町の拙宅は、敷地が40坪あまりで広くないが、建ぺい率はさらに低い。車庫はないが軽自動車だと2台は入る。けっこう庭木もある。その庭木の剪定が明後日の30日にある。48000円と消費税の見積りで了解している。見違えるほど綺麗になると思う。

 それで自宅の整理整頓だが、妻の絵のお持ち帰り企画を立てて以来、全ての部屋がようやく私の管理下に収まった。

 もともと私の管理は2階の6畳一間のみで、他は真佐代さんの物モノだった。しかも汚し放題であった。妻は汚していないと落ち着かない性格であった。私はコレに不満はなかった。その方が夫婦とも気分が良かったのである。

 例えばいま私が使っている一階の和室は妻の独占だった。が二男が大阪から帰って泊まる度に二男の部屋になった。半年に一度、部屋は綺麗になった。でも二男が大阪に戻った翌日には再び妻の支配になった。すると見事に荒れるのである。他の部屋、つまり応接間も、台所リビングも、二階の妻の部屋も、そのすべてが、見られないほど荒れていた。だからこそ妻は精神が安定できたのである。

 私は妻が入院した5月22日から死後2ヶ月の8月末まで、まったく片づけなかった。ただ8月に入ってから、私の二階の部屋がクーラーが効かないので、仕方なく一階の和室も使った。妻の匂いの残る部屋であった。それだけを片づけた。他は手付かずだった。

 8月末に田舎で四十九日の法要を済ませてから、妻の絵の譲渡を思い付いた、その日から自宅の整理整頓は一気に進んだ。たった2日間ですべての部屋が片づいた。まあこれだけ綺麗になったことは建築後40年一度もなかったろう。

 妻の油絵と水彩画を応接間と台所リビングに展示している。皆さんが訪問されるので二度と汚れることはない。でも一般家庭ではこれは普通のことなのだ。私ひとりが悦に入っている。我が家の台所に入ったことのあるSさんは知っておられた。我が家の散し放題を。

 片付けようと思って整理整頓したのではない。必要にかられて片づけた。12月末まで絵画展を継続する。その間は汚れることはない。それが終わっても、家は綺麗なママだろう。なぜなら汚す者がいないからだ。

 でも私は綺麗なママの自宅に堪えられるだろうか、自信がない。妻のいない自宅はやはり散らばしたほうが収まる気がする。ならば来年も、再来年も、妻の遺作展は続けることになるだろう。

 昨日までにザッと30人がお越しになって、40~50点をお持ち帰りになった。絵は減っていない。10月1日に数人の予約が入っている。未知の方でも構わない。口コミで妻の絵のお持ち帰り企画を拡散して下さい。
  1. 2019/09/28(土) 02:16:34|
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やっと納骨が済んだらしい

古本屋通信   No 4204    2019年  9月27日


   やれやれ、やっと納骨が済んだらしい

592革命的名無しさん (ワッチョイ)
2019/09/14(土) 16:26:13.820
古本屋通信は葬式仏教にカネを払うな。

理屈はそうなんだけど、骨を海にまくとなると、膨大な金が懸かるんだよ。妻は私より長生きするつもりだったから、石川の墓にはいる予定はなかった。でも私と違って、頑なに仏事を拒んでもいなかった。結局父母と一緒の墓に入ったよ。

598革命的名無しさん (ワッチョイ)
2019/09/29(日) 23:35:45.370
古本屋通信は遺骨の処理方法も知らないらしい。
火葬したなら、火葬場に「遺骨は要りませんから処分してください」と言うだけで足りる。ただし、地域によっては出来ない火葬場もある。東日本ではできない所が多いとのこと。
そういう場合は、細かく砕いて散骨すれば遺骨遺棄罪に当たらないことになっている(判例はないが、起訴されたことはないから大丈夫である)。別に海でなくてもそこら辺の野原・空地でもなんでもいい。火葬された骨は老人でも簡単に砕ける。
一番良いのは大学病院に献体することであることは言うまでもない。献体すれば実習使用後に火葬してくれる。遺骨はそちらで処理してくださいといえば大学の納骨堂に入れられる。もちろん無料である。


  アリガトサン。でも手遅れ。

 たったいま御津新庄の潤に電話を入れた。23日に墓石の工事をして、妻のお骨を入れる穴を作ってもらい、坊さんにも来てもらって納骨の儀が済んだらしい。7万円渡していた範囲内で納まったという。

 私は仏事のこうした儀式が鬱陶しくてたまらない。さいわい長男が面倒をみてくれてホッとしている。骨壷に入れているお骨の行き場所がないというのはさすがに困っていた。やれやれである。仏壇もあるし、あたらしく作った位牌もある。こうしたものを崇める習慣は私にはないが、世間的にはないと示しがつかないらしい。

 10月に入ってからSさんら数人が妻の墓参りをされると聞いている。これで妻の眠る墓にきてもらうことが可能になった。私は唯物論者ゆえに墓参には参りませんので悪しからず。潤に連絡を取って頂ければ土日だったら仏壇を拝むことが可能でしょう。それ以外の曜日だったら、墓参だけということになります。よろしくお願いします。

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 いま実家に帰って墓地に行って確認してきた。墓石にあらたに妻の戒名と死亡日と没年齢が刻まれていた。灰になったお骨は墓石の後の土を掘って入れた跡がある。自宅の仏壇の前からお骨は消えていた。何はともあれ納骨は完了である。ホッとした。

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 やれやれ、M證券の債権か何か知らんが、妻の口座から私の口座を開設しての移管の手続きが、延々4回のやり取りで、電話でやっと終えた。7月10日頃からだから相当な忍耐だった。今後一週間以内に東京から通知があって、私は岡山支社に売却通知を出す。そうすれば私の銀行口座に振り込まれる。ただし額面は時価だから、正確な金額は当日にならないと分からない。私が一旦受け取って、長男二男に分けて受け継ぐ。真佐代さん、アリガトウよ。でも今日の電話でも換金して欲しくない口振りだったよ。證券会社は魔物だね。まさに日本資本主義の奥の院だね。懲りたよ。以後サヨナラするよ。

 それからアンタのお骨は無事にお墓の土に還ったから、安心して成仏してください。私はお墓や位牌よりアンタのパジャマを大切に飾っている。まだまだ書くよ。
  1. 2019/09/27(金) 07:53:44|
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最終、完膚なきまでに叩き潰す

古本屋通信   No 4203    2019年  9月27日


    何度でも書く。最終的に完膚なきまでに叩き潰す

 何度でも書く。最終的に完膚なきまでに叩き潰すまで書く。これまで何人かのブログを事実上閉鎖に追い込んでいる。石村智子、武田英夫、春名直章、鬼藤千春らである。私の攻撃に耐えられなくなってブログを閉鎖してツイッター一本にした或る県の県委員長もいる。

 だが今回のように公然と面と向かって 「古本屋通信はネット右翼や公安が喜んで検索するサイトである」 とヌカシタ党員はいなかった。怖れを知らぬ言い草に度肝を抜かれたワ。でも正直でよろしい。多かれ少なかれ党員たちの潜在意識にあっただろう。それを見えるかたちによくぞやってくれた。感謝するぞ。

  だが党員みんながみんな潜在意識として差別意識持っていた訳ではない。先日拙宅を訪問された植本県委員長、垣内京美県書記長、石井県女性部長、住寄聡美県教育・青年サポート責任者、小坂昇県常任委員らにはそういう差別意識はなかった。もちろん石川真佐代さんにもなかった。

 いっぽう公然と言わないまでも、「古本屋通信はネット右翼や公安が喜んで検索するサイトである」 に断固として反対しない党員層も存在する。これも劣化層であることに変わりはない。

 ハッキリ言って古本屋通信を読んではいない。コッソリと隠れて読んでさえいない。妻もだったが、自分は他人のネット記事を読むことはないと公言している。だが妻は間違っても、読んでいない他人の記事を論難することはなかった。皆無であった。

 この方は古本屋通信が党を批判していると言う。批判しているから私が反共だとおっしゃる。それはまさしく、党を批判する者は許さないというスターリン主義そのものである。古本屋通信を読んでいない。読まずして古本屋通信を敵だと決め付けている。カルトである。

 反省や自己批判すれば済むような問題ではない。当人はネット言語を持たない。だからブログを閉鎖させる訳にはいかない。ならば党籍の剥奪せねばならない。だが党規約に違反していない。ならば自主的に党籍を捨てさせなければならない。

 言っておくが、これはギリギリ党をスターリン主義から守るたたかいである。

 早くも十数日間で88の拍手を戴いている。10月末まで冒頭に置きます。よろしく。



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古本屋通信   No 4187    2019年  9月16日


 政治結社の内部は可能な限り外部の風に晒すべし。それが組織(あらゆる組織について言えるが、とりわけ民主集中制を組織原理とする共産党組織)の腐敗を防ぐし、しいては日本の民主主義の保証にもなる


 いま冒頭に長期に亘って置いている記事は、御覧の通りかなり力を込めて書いた文章だが、必ずしも分かり易いとは言えないだろう。これは或る党員の 「古本屋通信はネット右翼や公安が喜んで検索するサイトだと思う」 という発言を受けて、私なりに反論をしたものだが、「理屈は分かるが現実はやはり利敵行為になる部分があるのではないか」 という意見が聞こえてこないでもない。そこで具体的な一例を引いて再論したい。


 先日、志位委員長を引いた記事で引用した「倉敷地区委員会の崩壊」を再引用したい。或る党員は、私が書いたこういう記事を指して 「古本屋通信はネット右翼や公安が喜んで検索するサイトだと思う」 と言ったのではないか。




 以下長文だが、拙文引用。

 日本共産党倉敷地区委員会の崩壊のことなど
 断っておくが、党外から倉敷地区党の見える部分は決して多くはない。よって邪推や見当はずれもあるだろう。それでも書かねばならないから書く。


 まず一つ目。私はふるい記事で党倉敷市議団の玄石文庫対応を批判し尽くした。数十時間に及ぶ大仕事であった。私は党倉敷市議団に失望したというレヴェルではなかった。この時の中心は小山博通さんと大本芳子さんだった。無茶苦茶な図書館行政の破壊だった。将にキチガイであった。然しその自覚は両人にはなかった。今に至るもない。他人の批判に耳を傾ける思考(志向)が皆無である。でも大本さんは私がトコトン批判したら、記事を殆ど書かなくなった。小山さんはずっと書き続けている。テニオハ以外は零点である。何時も零点である。私は小山さんが書く度に批判している。たぶん病者ではない。衰えでもない。倉敷市議時代と寸ぷん変わらない。恐るべきことであった。


 二つ目。8年まえ党は県議選倉敷地区で初めて複数議席に挑戦した。赤坂てる子さんに加えて須増伸子さんを公認した。この時の倉敷地区委員長が、京都から岡山に戻ったばかりの若き矢引亮介さんだった。選挙結果は不幸にして共倒れだった。赤坂さんの支持者が怒った。私は複数立候補の是非は分からない。当時は果敢な挑戦を支持した。結果が悪ければ批判も起こる。矢引倉敷地区委員長は辞任し、岡山地区委員会に配転になった。仕方がないことだった。


 後任の地区委員長には垣内雄一さんが就いた。この人事の当否は私には分からない。分からないが党内では垣内さんの評価は低かった。テニオハのレヴェルで低かった。だが倉敷地区委員会副委員長には須増伸子さんと田辺昭夫さんが就いた。私には最強の人事に見えた。田辺さんは倉敷市議だったが、市議の先輩には田儀さんや末田さんがいた。田儀さんは引退したが、末田さんは今も市議団長である。だが末田さんはブログ発信をしていない。田辺さんのブログは完璧であった。だから私は唯一田辺さんを頼りにしていた。だが集中豪雨を境に田辺さんのHPブログは閉鎖された。


 私の須増伸子さん評価は高かった。今では到底信じられないような優れた文章を書いていた。これは文章力の問題ではない。文章に顕われた革命家としての実力であったろう。


 もう一人いた。垣内京美さんである。党准中央委員で岡山地区委員長であった。岡山民報の記者上がりだから、文章は言わずもがな政治性も高かった。私は京美さんの文章を毎日のように転載した日々を忘れない。たぶん参院選挙区候補者時代の日々のブログだった。福山の河村ひろ子さんの文と並べて掲載した。


  私は石井ひとみ県委員長の後継者は須増伸子さんか垣内京美さんのいずれかだと思っていた。


 やがて二人とも崩れてしまった。ああ女はダメだなと思った。植本完治県委員長を指名したのは石井前県委員長だろう。よく見ているなあと思った。女は独身でないと党の指導機関は無理である。ちょっとした家庭内の不具合が決定的な打撃になるからだ。前例もある。かつて県委員会書記長を務めた尾崎宏子さんは優秀な党員だったが、心の病気で長期療養を強いられた。今では立ち直っているが、候補者活動を含めて党機関の重圧は相当なものであったろう。息子さんが東大に合格されたそうだ。これは差別ではない、事実である。


 垣内京美さんは衆院中国ブロック比例候補第2位になった時点で済んでいた。第2位なんて活動する必要はなかったのである。なのに県書記長の任務を放棄して中国5県を跳ね廻った。これは逃避であった。


 須増伸子さんを潰したのは倉敷を襲った集中豪雨だった。この対応が完全に誤っていた。彼女は潰れた。彼女を潰したのは党のブルジョア議会主義であった。だがこれは彼女一人の判断だったのか。私は倉敷地区委員会内部で論争があったと思っている。主要には須増さんと田辺昭夫さんの論争・対立であったろう。田辺さんは負けて引いた。その結果がブログの閉鎖である。事実上の失脚である。田辺さんが間違っていたのなら失脚も仕方がない。だが事実は須増さんこそ間違っていた。それがはっきりしたのが今回の選挙だった。須増さんは責任を取らなければならない。


 ここで党地区委員会と党県委員会の関係について触れておく。両者は党規約の上では上下関係にあるが、実質は独立した中間機関である。指導と被指導の関係にはない。従って、県委員会が岡山市議会や倉敷市議会の諸問題に口をはさむことはない。この点は超重要である。財政的にも政治的にも、両者は完全に独立した党中間機関である。


 もうこの辺にしておこうか。それにしても垣内雄一倉敷地区委員長の存在感がない。ゼロである。こういうのも困るのである。


追伸 少し時間を置いて、一言追加する。機関としての倉敷地区委員会が崩壊したということは、倉敷に優秀な党員がいなくなったということではない。倉敷民商のたたかい、倉敷医療生協の運動等は優秀な党員によって担われている。倉敷地区委員会の再建は可能である。そのためにはまず今回の選挙を率直に、徹底的に、総括すべきである。県議選挙だが責任の実質は県委員会にではなく、倉敷地区委員会にある。



  以上、引用終わり。


  今回の古本屋通信

 文章の個別に触れる必要はない。私のこの全文は党内情報皆無で、公開されている機関と党員のネット記事だけを見て書いた。私には倉敷地区に一人の知りあいの党員もいない。目があえば挨拶する程度の党員もいない。


 私を非難した冒頭の共産党員は、これが信じられないから、私が党内秘密をばらしてネット右翼や公安に売ったと思っている。ということは、自分は党員だけど知らなかったということだ。岡山の党員が倉敷の内情を知らなくてもよいし、なんら批判にも値しない。だが私に濡れ衣を着せるのだったら、これが党内情報でないこと位は見極めてほしい。


 これは狭い倉敷の出来事だが、全国的な問題でも基本的に同じなのだ。岡山民報であろうと、赤旗であろうと、そこには党公認の正式見解と公表可能な記事しか掲載されていない。それも読まなければならないが、真実はもっとさりげない小さなブログの断片にあったりする。私は私の年代の党員に比較して、決して慧眼でもなければ知識豊富でもない。まあ中だろう。現役の七十代の党員にはもっと知識豊富な人は大勢いる。だが残念ながら党員は決して喋らない。喋らないことも必要だ。でも喋る者も要るんだ。


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古本屋通信   No 4190    2019年  9月18日


 平成29年度分 収支報告書(党岡山地区委員会 矢引亮介)

 党岡山県委員会さんと、同岡山地区委員会さんよ。私の古本屋通信を「古本屋通信はネット右翼や公安が喜んで検索するサイトである」と叫んだアホ党員がいたばかりに、多少迷惑だろうが、党員名簿の一部分は公安警察がスパイを使って調査しなくても、党機関そのものが実質的に公表している、そのことを、この場所で、言わせて貰うぞ。文句があったら、アホ党員に言ってくれ。

 この間から、死亡した妻石川真佐代をグーグル検索に掛けていた。上位から表示される項目を列挙して、一度はエントリーを立てている。実はその中で意識的に外した項目があった。表題のものである。でもこれは公表された文書である。だれでも読める。警察も読めるし、市民も読める。コピーは出来ないらしいから、全文はお読みいただくしかないが、党への寄付と貸付をした者の公表である。その氏名と住所がハッキリと書かれている。

  その寄付金の項目に、石川真佐代の名前が5項目書いてある。それぞれ100円と少ないが (ありゃりゃ、もっとたくさんあった。見ていくと一件が10000円のも見つかった。年末カンパかな?ありゃりゃ、地区委員会分にはもっとあったワ名前の横には、岡山市北区下伊福西町1-50とある。法に基づいて届けたのだから私は何の不服もないが、こういう事も知らない党員がいるから、党内情報が古本屋を通じて流れるなどと阿呆を抜かすのだろう。私が知っている公然党員が多いが、半数以上は名前を聞いたことのない人だ。その中で、私の旧知の名前を3名挙げておこう。言っとくけど、これは党が公表している文書なんだ。誤解なきように。

    井    佐    三

 フルネームは御自分で検索を。

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PDFファイル/28.55MB - 岡山県
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百万. 石川 真佐代. 「|29.9.12|岡山市北区下伊福西町1-50. 無職. 無職. 石川 真佐代. (計). 1:00|29.12.26 |岡山市北区下伊福西町1-50. (15:00). : -. -. -. -. 石田 真理子. 額1_15_2_2417. 29. 8.31|玉野市築港3-7-17. 200). 無職. (計). = 石村啟子. 4 0:0|29.

[PDF]
日本共産党岡山県委員会 [PDFファイル/23.48MB]
www.pref.okayama.jp › uploaded › attachment
1 吸戸町14の白砂にほんきょうさんとうおかやまけんいいんかい. 1 政治団体の名称を. |口政 ...... HelJ. It ble Iri=ujiiium lu上「lli mall" tirl i =十ll. 政党役員. 石井 妃都美. (計). 石川 真佐代. (計). 土,上lliy nurllllitlesselfitl中牛. |. It rettirlt I. "h fillllllll - 1 t可計 ...



古本屋通信   No 4198    2019年  9月22日


    小さな民主主義の実験

   党外の古本屋通信が公然と党を批判することは階級敵を喜ばせるか?

 そして党を批判する古本屋通信と党員が関わることは党にたいする裏切りか?

 さらに、古本屋通信が党と無関係なところでなす企画に党員が関わることさえも自粛すべきなのか?

 いま古本屋通信の周辺でなされていること、それはごく平凡な、故人をしのぶ、つつましい行事にすぎない。

 その行事に関わっている古本屋通信にたいして、おおよそ考えられない理不尽な言動があった。

 行事の進行を古本屋通信の記事にしないでほしいという恐るべき干渉である(だがそれさえも私はご本人が関わっている範囲でだが、記事にしないと約束した。いかに理不尽であろうと関係者が不快に感じたら、無条件に削除するのが私のブログの立場だからだ)
 
 党を公然と批判し、ネット右翼と公安警察を喜ばせる古本屋通信が行事の記事を書けば、それだけで、参加したくても参加を躊躇する人が出てくると言うのである。

 これはすべて一個人の杞憂(或いは根拠なき憶測)であるが、まずもって、古本屋通信の基本的人権である表現の自由は、はじめから無視されている。

 仮に杞憂が現実になろうと、それは古本屋通信が被る被害(ここにもトンデモ認識がある。企画物は古本屋の私有物なのだ)であって、予め表現の自由を封殺するような問題ではない。

 さあ書いたぞ。

 まあ、私は面白い実験だと思っている。

 だれが参加されるか。だれが参加をされないか。

 ちょっとした民主主義の実験である。

 テーマを投げ掛けてくれたカルト党員に感謝である。


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 ねんのため。みさかいもない党攻撃は当然ながら階級的を喜ばせる。

 私の思想的立場は科学的社会主義(マルクス主義)である。

 政治的立場は党 61年綱領支持である。

 現状の党を批判する私の方法は、党の肯定的側面と否定的側面を一度顕在化させたのち、(弁証法でいう)肯定的統一を図る方法である。これはカルト党員が党の基本文献を読んでいれば理解できるのだが(「空想から科学へ」、「フォイエルバッハ論」、「資本論」第一巻。最後は現行の新日本訳でよい。誰が万冊を払って新訳を買うか。現行訳は党員学者二十数名の共同訳である。何時の訳も不十分であろう。なら新訳に当たって既成訳の欠陥を説明すべきである)。
  1. 2019/09/27(金) 02:04:00|
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