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古本屋通信

伊藤千代子のこころざしを継?

古本屋通信   No 4159    2019年  8月31日


  三十部の日曜版の配集金 伊藤千代子のこころざしを継ぐ(鬼藤千春の「短歌」)


 まあ人間、日本共産党員にあって、ここまで破廉恥といふより傲慢になれるものか。もうこれは党内問題にとどまらないぞ。大衆的に糾弾して、「こころざしつつ倒ふれし少女」伊藤千代子の名誉を回復せねばなるまい。

 だいいち伊藤が非合法下の赤旗(せっき)の配布にたずさわっていたという確かな記録がない。かりにあったとして、それは今日の赤旗日曜版の配布集金とはまったくちがう命を懸けたたたかいであったろう。まあよくもここまで自分を賛美できるな。こういう日本共産党員にお目にかかったのは生まれて初めてだ。

 あのねえ、わたし間違って消してしまったが、先日のブログで、長男の名前を(戸坂潤の)潤と名付けたことを反省して二男には競輪選手の名前を付けたと書いた。自分が若くて傲慢だったと反省したんだ。

 鬼藤が、拷問され、恐らくは辱めを受け、精神を病んで、事実上24歳で拷問死した伊藤のこころざしを継いでいることは、いかなる意味でもありえない。錯覚でさえない。傲慢でも済まない。除名だ。日本共産党員であることと両立しない。まあ感動したワ。でも今にいたるも新日本歌人を除名になっていないらしい。参った。


  久米南町議選挙 片山潜のコミンテルンのこころざしを継ぐ

 北海道小樽にて 小林多喜二のプロ作家のこころざしを継ぐ



 時代がちがうだろ。それに片山潜も、小林多喜二も、ブルジョア選挙のことなど思ったことはないワ。
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  1. 2019/08/31(土) 22:44:53|
  2. 未分類

牙を剥き出して襲ってきたか

古本屋通信   No 4158    2019年  8月31日


  オリョリョ、ようやく綺麗ごとの短歌と解説から、本音で牙を剥き出して襲ってきた



2019年8月31日(土)  鬼藤千春の短歌
高齢化を生きる
鍛えんと赤きシャツ着てデパートをほつほつ歩く七十二歳
三十部の日曜版の配集金 伊藤千代子のこころざしを継ぐ
ようように自分のことができる妻同行二人で生きゆくふたり

たれが傍観者で、たれが変革者か、石川穆海にその言葉をそっくりそのまま、熨斗をつけてお返しします。





 古本屋通信

 多く言う必要はなさそうだな。自分は共産党員として赤旗日曜版を三十部配達集金しているから変革者であり、石川は非党員だから傍観者だ。そういう党員優生思想をハッキリと表明していらっしゃる。

 それが隠しようもなく露呈してるのが短歌中の伊藤千代子の登場だ。この有り触れた名前を知る者は殆んどいない。そういう固有名詞は解説なしの短歌では使ってはならぬ。それを使った時点で党員優生思想である。

伊藤千代子
伊藤 千代子(いとう ちよこ、1905年(明治38年)7月21日 - 1929年(昭和4年)9月24日)は、昭和初期の社会運動家。日本共産党員。 長野県諏訪郡湖南村南真志野(現・諏訪市)の農家に生まれる。2歳で母と死別、9歳で亡母の実家・岩波家に移り養育される。諏訪高等女学校(現・長野県諏訪二葉高等学校)に進学、同校教諭(のち校長)で歌人の土屋文明から英語・国語・修身の授業を受ける。同校卒業後は諏訪郡の高島尋常高等小学校の代用教員となるが、1924年(大正13年)私立尚絅女学校(宮城県仙台市、現・尚絅学院女子高等学校)高等科英文予科を経て、翌年には東京女子大学英語専攻部2年に編入。同大学社会科学研究会で活躍。
1927年(昭和2年)8月30日、長野県岡谷で起こった製糸業最大の争議「山一林組争議」(女工ら労働者による30日ストライキ)の労働者支援を行う。同年秋、労働農民党の浅野晃と結婚。翌1928年(昭和3年)、初の普通選挙を戦う労働農民党の藤森成吉候補らの支援活動を行う。同年2月日本共産党に入党。党中央事務局で文書連絡や印刷物の整理などの活動を始めて半月後[1]、三・一五事件の弾圧により検挙され警視庁滝野川署から市ヶ谷刑務所に収監、拷問により転向を強要されるが拒否し続ける。ところが拘禁精神病を発病し、松沢病院に収容され、急性肺炎により病死。享年24。郷里の龍運寺墓地に葬られる。



 さて赤旗配達だが、妻が死亡する前年には、我々の配達部数は減ったけれど、記憶する限り 15年前には15部配っていた。5年前には10部だった。主には妻の仕事だったが、私も三分の一くらいの配達はした。私はこれをもって自分を社会変革者だとは全く思わない。然し鬼藤の基準からは、傍観者といふことにはなるまい。我田引水は直ちにボロが出るもんだな。

 低脳党員に説教しても始まらないが、変革者か傍観者の基準が党籍の有無にあるとかたく信じている党カルトよ。そういうのがスターリンの大虐殺を産んだ。でも分かるまいな。あのな、変革者として生きているのは党籍のない石川なのよ。これだけ緊張感のある記事を毎日更新してる、妻を失っても悲しみと戦って書いている。キミのは何だ。党をちらつかせながら、毎日まいにち勉強もしないで綺麗ごとを並べているだけではないか。石崎は少なくとも勉強してるぞ。多少とも現実と格闘して、社会と緊張関係を保っているぞ。良いから石崎に頭をさげて、民文に復帰させて貰え。非党員の石崎に頭をさげて謝罪せえ。

 ねんのために私の元記事を貼っておくが、これに対する反論がまるで出来ないから、自分が党員であるといふピント外れしか言えないのだろう。

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   再録


  
古本屋通信   No 4150    2019年  8月26日


    鬼藤千春氏のスゴイ感性


 下は鬼藤千春氏の短歌と其の自註である。自分の短歌の直後に解説を付すという習慣も珍しいが、ここでは問わない。以前同様な短歌と其の自註があったとき、私はデパートは買い物をする場所であってウオーキングをする場所ではない、一ヶ月もやっていれば店から注意を受けるだろうと書いた。そしたら今回の開き直りだ。まあ厚顔無恥な感性に呆れ果てて二の句が告げない。

 でも本人に開き直ったという認識はまったくない。それは一般には私の批判より自分の方が支持されると確信しているからだ。そしてデパートの顧客の圧倒的多数は彼を支持するだろう。だからこそ店にとっては始末がわるいのだ。

 この場合、多数決をとるような問題ではない。店が迷惑すれば店内ウオーキングは悪なのだ。絶対に迷惑する、それが分からぬ感性がすごい。ホンマに凄い。グーの音も出ない。




鬼藤千春の短歌
華やげるデパート歩いて足腰を鍛えんとする老いを感じて
わたしは近くのデパートに出かけてウォーキングをしています。この夏から始めたものです。猛暑の夏でも、デパートは冷房が効いており、快適に歩くことができます。もちろん屋内ですから、雨の日も欠かさず歩いてきました。注意を受ける、という声を聞くことがありますが、デパートの営業に差し障るようなことは、一切しておりませんし、注意を受けることもありません。ただ、ぶらぶらと歩くだけです。



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××××の短歌
華やげるデパート歩いて足腰を鍛えんとする老いを感じて
わたしは近くのシンフォニービル・ギャラリーに出かけてウォーキングをしています。この夏から始めたものです。猛暑の夏でも、このビルは冷房が効いており、快適に歩くことができます。古本まつりですから、本を見ながら歩きます。買わないから注意を受ける、という声を聞くことがありますが、古本屋さんの営業に差し障るようなことは、一切しておりませんし、注意を受けることもありません。ただ、ぶらぶらと本を見ながら歩くだけです。



参加古書店の話 古本業界では「目垢がつく」と言って、こういうのを一番嫌うんだ。よほどのことがないかぎり注意はしないし、また出来ないが、内心では殺してやりたいと思う。クーラー代を誰が負担してると思ってんだ、このクソ爺。



  古本屋通信

 予想通り拍手は少ない。支持され難いんだ。だから図に乗る。
デパートはもちろん私企業だが、シンフォニービルの自由空間ガレリアも公共空間ではなく、古本まつりは6日間の開催で少なくない使用料をビルに支払う商売である。私企業や個人商店は公共の公園でもなければ道路でもない。商業目的に適う使用はOKだが、一文にもならない使用は商売の妨害でしかない。商売には、ある程度の必要悪いわば税金に相当するゴミも許容せざるを得ないが、だからといって頭にこないことはない。

 あのなあ、鬼さんよ、人間、この社会で生きていて、あんたが得をしたと思ったとき、あんたの行為で損をした人間がいるのではないかと考えたことはないのか。ふつうはいるんだ。じゃあ、こう考えたらどうだ。あんたがデパートを毎日歩くことによってデパートは何の利益を得てるんだ。得てないよ。それがデパートに損害になっているという意味なんだ。


 新しい短歌について

 鍛えんと赤きシャツ着てデパートをほつほつ歩く七十二歳


 参ったなあ、もう。本当に迷惑でないと思っているの?
  1. 2019/08/31(土) 06:33:23|
  2. 未分類

不破哲三編集の新『資本論』

古本屋通信   No 4157    2019年  8月31日


  不破哲三編集の新『資本論』。へ~え、すごいニュースですね。とりあえずお二人の文に感想を


11. もっく

2019年08月30日 23:50

「赤旗」だけでなく出版社も大変そうです。大月書店は社屋を売ってしまいました。ドル箱だったマル・エン全集、レーニン全集がなくなったからでしょうね。今度、新日本出版社ではこれまでのエンゲルス編集の『資本論』は問題ありとして、不破哲三編集の新『資本論』を大々的に売り出すそうです。来月はそのための講演会も予定されています。本当に売れるのでしょうか。これで新日本出版社の経営まで傾いたらどうするのでしょうか。

12. 太宰ファン
2019年08月31日 00:46
>不破哲三編集の新『資本論』を大々的に売り出す
不破哲、もの凄い増上慢、エンゲルスを超えたと豪語か。呆れ果てるな。どうせ売れないから専従や幹部党員は購入が義務だ。不破哲、印税丸儲けで笑いが止まらんぞ。


   古本屋通信

  これだけの情報ですが、思った事を書きます。

 日本共産党赤旗の財政危機たいへんさは、党員の大口寄付や遺産で何とか凌いでいます。新日本出版社も党に支えられたダミー会社ですから倒産はありえません。しかし大月や青木は何ら党財政とは関係ない営利企業です。企業存続のためには儲からなくてはなりません。もう持ち堪えられなくなったということでしょう。

 大月のドル箱だった紙のマル・エン全集、レーニン全集がなくなったのは20年以上前でしょう。紙の全集が消えた段階で大月の売り上げは激減しました。細々と出版事業を継続はしていますが、青木ともども自費出版に近いかたちでしょう。

 エンゲルス編集の『資本論』は問題あり ですが、『資本論』がエンゲルスの編集であることは常識以前ですが、それ以前に『資本論』はマルクスとエンゲルスの共著書でしょう。それをいったいどう再編集するというのでしょうか。天に唾する行為だとかの前にマンガでしょう。ここまで狂えるんでしょうかね。

  『資本論』は、岩波の向坂訳、大月は共同訳ですが岡崎次郎が責任者でしょう。新日本はずいぶん新しい訳ですが、これが党のテキストとして常用されてきました。訳者は明示されていませんが、党員学者の共同作業に加えて、党の社会科学研究所が絡んでいるでしょうね。その他にも新訳は次つぎに出版されています。よいことです。でも私は河出の長部訳と岩波を使いました。それで十分でしょう。

 共産党が大月のレーニン全集にケチをつけて赤旗広告を拒否したのは1970年代前半でした。ディクタツーラの訳が独裁であるのが党の見解と違うとの理由からでした。愚の骨頂でした。大月のレーニン全集は党の私有ではなかったので、大月は訳語を変えませんでした。

 不破哲三編集の新『資本論』はマンガですが、これは唐突に提出されたものではありません。党では、不破がトップになった日から、エンゲルスは公認のマルクス主義者ではなくなっていました。これは検証可能ですが省略します。

 マルクスは認めるがエンゲルスは認めないと言う人間は、古今東西に掃いて捨てるほどいました。それの季節はずれの老体が不破だったという話なのです。半世紀おくれのトロツキストですね、しかしエンゲルスに反対のトロちゃんは初めてです。

 太宰ファン様、おおむね賛成ですが、不破はこれまでも原稿料印税で儲けていませんし、新『資本論』の編集で儲けることは絶対にありませんよ。デマはいけません。少し事情を知っている者には馬鹿にされますよ。ねんのため。いまの時代、ごく一部の売文業者を除いて、不破にかぎらず、新日本の著者にかぎらず、本を上梓して儲かることはまずありえません。すべて著者の持ち出しと思ったらよいでしょう。だいたいが出版社に著者は金を積んで出版してもらうんです。不破なんかプラマイ〇ですから幸せですね。


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  デボーリンだろうな?


582革命的名無しさん (ワッチョイ)
2019/08/31(土) 05:59:57.110
>「エンゲルス編集の『資本論』は問題あり」 ですが、『資本論』がエンゲルスの編集であることは常識以前ですが、それ以前に『資本論』はマルクスとエンゲルスの共著書でしょう。
>それをいったいどう再編集するというのでしょうか。天に唾する行為だとかの前にマンガでしょう。ここまで狂えるんでしょうかね。

一体いつの時代を生きているんだ?
不破がまともな編集をできるかどうかは別としても、エンゲルスの編集に問題があることは新MEGA編集の過程で明らかになり、世界中の研究者の共通認識となっている。

> 『資本論』は、岩波の向坂訳、大月は共同訳ですが岡崎次郎が責任者でしょう。新日本はずいぶん新しい訳ですが、これが党のテキストとして常用されてきました。訳者は明示されていませんが、党員学者の共同作業に加えて、党の社会科学研究所が絡んでいるでしょうね。他にも新訳は次つぎに出版されています。よいことです。でも私は河出の長部訳と岩波を使いました。

 岩波文庫版は絶版にすべきである。


  これはいかなる訳も問題がない事はないだろう。岩波文庫版は存じないが、単行本全冊は私の学生時代の1960年代後半に刊行されました。それまでの河出の「世界の大思想」シリーズより読みやすいという印象でした。絶版にするかどうかは岩波の判断ですが、まあしないでしょうね。

 岩波文庫 『 ドイツイデオロギー』 の訳本は2種類あります。古在訳と広松訳です。これは古在が間違っているというのではなく新メガに伴なう広松の新訳でしょう。他にも2,3出版されています。訳自体が歴史的産物ですから、絶版にすべきではないと思います。私は 『資本論』 は分かりませんけどね。
  1. 2019/08/31(土) 03:59:57|
  2. 未分類

真佐代さんの四十九日の法要

古本屋通信   No 4156    2019年  8月30日


    石川真佐代さんの四十九日の法要の報告

 予定どおり午前10時から真言宗のお寺で挙行した。私と 長男二男と 妻の弟が参加した。無事終了して、住職さんは納骨のために我家のお墓に来られた。そこで思わぬハプニングがあった。納骨する墓に穴がなかった。詳しくは省略するが、私の母が死んだとき真佐代さんが墓石屋さんに作ってもらった墓には、そういう穴がなかったのだ。それで納骨は一時延期になった。

 長男が墓石屋さんに連絡をとった結果、急いで墓石を改造して納骨を可能にしてもらうようにした。長男と墓石屋さんと住職の三者で話を進める。近々に決着するだろう。私は約5万円負担しなければならない。

 こういうこともあって、まず妻の弟がこう言った。「来年の一周忌も是非やろうよ。再来年の三回忌もやりましょうよ。僕は是非とも参加したい。弟の立場からは姉の法要はやってほしい」。

 それで長男二男と相談して一周忌と三回忌をやることに決めた。夕方、お寺に電話を入れた。云うまでもなく歓迎された。

 これで来年も再来年も、4人が一同に会することになった。これも真佐代さんの置き土産であったろう。以上、報告とする。
  1. 2019/08/30(金) 21:23:33|
  2. 未分類

駄々っ子がゴネている

 
     番外 

  あなたのは駄々っ子がゴネている類いなの



 せっかくですから、ほんの少しだけ相手をしてあげませう。すでに消しているが、民医連の病院は一般の医療機関であり、日本共産党とは何の関係もありません。また全国で相当数ある個々の民医連の病院は其々独立した病院であり、民医連という集合名詞が何か共通した実体を有するわけではありません。たしかに共通した理念なりはあるでしょうが、それは緩やかな共通目標のようなものであって、個々の病院の実際を拘束するものではありません。したがって個々の病院の肯定的な、あるいは否定的な現実をいくら列挙しても民医連を語ったことにはなりません。このことは民医連にかぎらずあらゆる団体について言えるでせう。

 日本共産党に就いても同じです。むかし日本共産党岡山市議で同和利権を得ていた者がいました。県解連の組織内議員でした。かれがケシカラン、そのケシカラン現実を並べるのはヨロシイ。だがいくら並べても、日本共産党あるいは県解連がケシカランといふことにはなりませんね。日本共産党あるいは県解連がケシカランことを言うためには、かれの利権アサリの行為が日本共産党あるいは県解連の体質になっている、その具体的根拠を事実に即して理論的に解明しなければなりません。この岡山市議は幸いなことに当時の日本共産党あるいは県解連にあっても、例外的な存在でした。だから最後は党自身の手でもって落選させられました。

 たっくんさんが書いている否定的な民医連傘下の病院は、民医連傘下の一病院の「現実」、しかも色メガネで見た偏った「現実」であるというだけであって、民医連病院の全体あるいは相当部分を表現している現実では決してないということです。こういう手法でもって白いものを灰色だとか黒いと断定する手法をデマと呼びます。実際の政治の顕われでは反共攻撃ですね。あのね、長文の投稿、だれも最後まで読みませんよ。幼稚な戯言、しかも幼児ことばを多用した低脳阿呆の悪質に誰が最後まで付き合いましょうぞ。キンピー板のなかにあっても、際立って劣等です。はずかしいから消して上げますね。




18. たっくん&この場をお借りして①
2019年08月30日 01:30
管理人様すみません

こちらの投稿をつねにチェックなさっているブログ(古本屋通信)様の
民医連関連記事にて私に対するこういうご指摘を目にしましたので
>あなたのは駄々っ子がゴネている類いなの

この場をお借りして事情を説明させてください。

私の民医連利用体験談はまだまだ沢山あります。
そのすべてを投稿で簡潔に文章化するのは、とても難しいです。
ましてや私の場合、民医連には知り合いもたくさんいますし、身バレすると双方共に大変な事態になるので、かなりおちゃらけたフェイク投稿をしています。
それが不愉快に感じたのならば謝罪しますが、私は医療の事はド素人ですし民医連の医療機関としての方針までは細々と把握と検討まではできません。

そして
私が共産党に疑問を持つまでは、民医連受診でトラブルがおこっても自分の命に関わること以外は、公的に病院に苦情も入れず文句も言わずにひたすら耐えていました=『これも党を守る姿勢につながるのだから』と党員親の指導を忠実に守っていたからです。
よっぽどの事だと、親に事情を話してその人間関係を利用して裏事情をこっそり探ってもらい、自分の傷ついた気持ちを納得させるしかすべがなかった時もありました。

②につづく

19. たっくん@この場をお借りして②
2019年08月30日 01:33
ところが、数年前に私の友人(共産党員)が民医連病院が適切な対応ができずに長年放置していた症状が起因してとうとう命の危険にさらされたので『もうここに通院してたら口下手なこの人はこのまま自宅で孤独死してしまう。黙ってたらあかん』という危機に見舞われ、私が民医連病院と大喧嘩してその友人を転院させなおかつ適切な福祉サービスケアにつなげるという体験をしました。

医療や福祉サービスの知識ド素人の私がたった数日で!やり遂げられた事が『なんで弱者の味方で医療&福祉サービスのプロだと思っていたし信じていた民医連病院にできなかったのか?』は、まだまだ研究&お勉強中ですので、私に対する誹謗中傷はおやめいただきたく思います。




投稿者 : KM生    08/30 21:50

1) たっくん様と私とは、同じ京都で当然面識はあります。(だから言うわけじゃありませんが、)両親がバリ活党員の子弟は、(勉学・スポーツなど一芸に秀でた子=残念ながら現在の党員親の子弟には殆どこういう例は見当たりませんが=以外は)幼い頃から劣等生で交友範囲も党員シンパ子弟に限られています。ゆえに党界隈の世界しか知らず、「ここで捨てられたら自分の生きていく場所がない」と強迫観念に苛まれています。それ故(民医連など共産党界隈で)否定的な体験をしても、逃場がないのです。結果的に、精神を病む若者も少なくありません。

2) かつて40年前の不破田口論争でも、田口氏は「如何に日共が崇高な理念を掲げようと、日本の大衆は自分の周りの党員を見て日共の価値を判断する。党員が悲惨な活動をしたり、また党員の資質が高くなければ、党が国民の多数を獲得できない」と仰っていました。私は(たとえたっくん様のご経験が個人的なものであれ)、日共が「国民の為の政治を訴えながら、多数の国民の支持を得られない現状」と密接に関連していると考えます。




  古本屋通信

 とりあえずタイトルの 「低脳アホウ」 を「駄々っ子がゴネている」 に変えました。お気持ちは理解できます。しかし難しい問題でしょう。われわれがよく認識できる世界は、とりわけ狭い環境で生活することを余儀なくされ書物や文化に接する機会のなかったたっくんさんのような人にとっては、限られた見聞から自らの世界を構築するのはやむをえないこと、そうは言えるでしょう。

 でもいま拙文を読み返してみて、それがたっくんさんに向けた文であっても、訂正しなければならない必要を感じないのです。けっきょく毛沢東の「実践論」 のいう 「感性的認識から理性的認識への発展」 だという風に思います。自己の狭い経験知で得られるのが、たっくんさんの認識でしょう。これじゃあ結局はデマや反共に組みすることになる、私はそう書いたのだと思います。それがいまたっくんさんに理解されないのは仕方ありません。要は、公開ブログで多数の目に晒すことによって、たっくんさんを逆照射し、粉砕することによって大衆的合意を勝ち取るべきだろう、そう思います。

 追記 いま初めてたっくんさんの全文を読んでみました。どうも「幼い頃からの劣等生」 のようには感じませんでしたよ。使っている言葉なんか、なかなか教養人の用語ですね。それでいて分裂気質と多弁。幼さをデフォルメするやり方も異様です。本人をご存知のあなたの見方と違いますが、私には意識的なデマゴーグに見えるのです。
  1. 2019/08/30(金) 19:07:03|
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不手際の報告

  
 
     不手際の報告   

   8月30日2時50分
  四十九日の法事の日の早朝に



 きのうの記事を誤って消してしまった。じつは「番外」は拍手がなかったから自分から消した。ついでに一つ前の民医連関係も出来が悪いというか、引用記事だったので消した。これを消す過程で、妻の入院中を書いた「ベットの上で」も消えてしまった。操作ミスである。これは最初は出来がよいとは思わなかったのだが、瞬く間に拍手が9個付いた。読み返したら力作であった。惜しかった。でもいったん公開して支持されたエントリーを、消えたからと言ってもう一度書く気にはなれない。また何時でも書ける。「石川真佐代さんシリーズ」は終っていない。今後も似たような事を書くだろう。「ベットの上で」を読んでくださった方、ありがとう、そしてスミマセンでした。

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 きのう夕方、大阪の二男が帰ってきた。夜が明けたら御津新庄の実家に帰り、そこから赤磐市仁堀の真言宗のお寺で四十九日の法事をする。私と長男二男と妻の弟でやる。お寺から帰ったら、坊さんが実家の墓に来て納骨となる。

 今回の法事で妻の遺産相続を済ませる。二男は遠方だから、この機会に押印と印鑑証明をとる。遺産といっても僅かな貯金だけである。相続税の心配はない。それでも民法の規定どおり、私が半分、息子2人が其々四分の一継承する。すでに少々の現金は手渡している。ふたりとも 「辞退する」 とは決して言わない。これがよい。妻と私の子どもたちである。
  1. 2019/08/30(金) 02:48:47|
  2. 未分類

妻とF書店、パチンコ屋、古本屋

古本屋通信   No 4155    2019年  8月28日


   妻とF書店、妻とパチンコ屋(パチプロ)、妻と古本屋

 これは私の仕事(職業)について、真佐代さんがどう思っていたかということである。単に頭のなかで思っただけではなく、友人たちにどういう思いを懐いて接していたか。出来るだけ端的に記しておきたい。

 ① F書店
 これは妻の職業が教員であり、F書店は当初は出版業ではなくテスト業者だったから、私の職業と妻の職業は多少はクロスしていたろう。でも妻は私の仕事を肯定的にも否定的にも意識することはなかった。友人たちは亭主がF書店に勤務していたことを知っていた。これは尋ねられれば妻が答えていたからだ。
 妻が小学校の教員ではなく中学または高校の教員だったら違っていただろうが、当時F書店はまだ小学生対象の小ゼミは本格的にはやっていなかった。
 私はそのご学参部門が長かったのだが、これも意識することはなかった。これは双方にとって幸せなことであった。そもそも妻が夫の職業に誇りを持つ、逆に恥じるなどがおかしいのである。15年間殆ど意識しなかった。
 私の職場では、妻が小学校教員であることは知られていた。問題にもならなかったが、他に教員の妻を持つ社員はいなかったので、少しユニークであったろう。
 社長の哲彦はもちろん知っていた。そして、私の妻の職業は、テスト屋の哲彦にとって、好都合だったのだ。時々 「石川の奥さんは教員でしてねえ・・」 などtと、取引先に喋っていた。これも私が哲彦に大切にされた理由だったろう。妻の方は損得まったくなかった。


 ② パチンコ屋(パチプロ)
 いうまでもなく私にとってパチンコ屋(パチプロ)は恥でも誇りでもなかったが、妻にとっては恥であった。これは教員だったら仕方ないことであった。デボーリンだけである。パチプロで生計を立てていたのは尊敬に値すると褒めてくれたのは。私はパチプロを誇りに思ったことはないが、パチプロを恥ねばならぬ学校教員という職業は嫌いであった。しかし言っても始まらない問題である。「あんた、ちゃんと働いてよ」 に対しては、沈黙するしかなかった。私にとってはF書店時代の労働と同じだったが、永久に相互理解は無理であった。

 ③ 古本屋
 これは妻にとって、少なくとも誇りではなかった。このことは私にとって大いに好ましいことであった。妻は教職をリタイアーした後にも私の古本屋に出入りすることはなかった。妻は私の古本屋を知人に吹聴することはなかったが、たぶん全員が知っていた。その友人の言葉を紹介しておこう。

どうしたんで、ご亭主さんはまだ古本屋をやっとんかな」 (岡山詩人会議の谷葉子さん)

売れもせん古本屋・・・・」 (秋山正美さん)

 私は二人の声を褒め言葉ととったが、妻にはそういう感性はなかった。これも私にとって好ましいことであった。本を読まない妻に古本屋を誇りにされてはたまらない。
  1. 2019/08/28(水) 19:50:41|
  2. 未分類

A病院系列の精神科クリニック

古本屋通信   No 4154    2019年  8月28日


    A病院系列の精神科(心療内科)クリニック

 これも書こう書こうと思いながら延ばしていた。もう7,8年前だが、神経症症状で苦しんでいた時期があった。精神科の敷居は高いのだが、A病院系列というよりA病院の一部門なので、H院長先生に勧められるままに受診した。たぶん内科医は神経症患者の執拗さが苦手なのだ。それで、だまされたと思って受診した。数回でおどろくほど楽になった。認知行動療法だそうだが、今もって何が効いたのか分からない。たった15分面談するだけである。50歳台の女医さんである。敢て云えば相性がよかったのだろう。

 それで暫く行っていなかったが、人生にとって伴侶の死は最大級のストレスだと聞いていたので、メンタルケアを受けに出掛けて行った。

 石川さんの場合は古文書(こぶんしょと仰ったが、古書のこと)があるから大丈夫だと思いますよ。まあ一ヶ月に一度いらっしゃいよ。


 2回目を先週受診して、一方的に喋って帰ってきた。そのとき感想を求めたら、あなたらしいと言われた。たったそれだけである。何の効果もないとも言える。だが精神科クリニックも病気が悪化しないうちに受診するのがよい。一寸でも精神が不安定だと思ったら行ったほうがよい。

 私は昔の分類でいえば神経症だったのだが、妻は最後まで神経症と鬱病の区別がつかなかった。それは自分がそういう精神疾患と無縁だったからだが、長男の長期の不調を鬱病だと認識していた。治ったのだから、いずれでもよかったが、私は神経症だったと思っている。

 神経症も苦しい病気だが、しょせんは軽症である(それは病気に対応する器質的な病巣が無いからだ。生活習慣病だろう。だが断じて気のせいではない病気である。いま通用している名前はパニック障害であろう)。ちょっとおかしくなったら心療内科クリニックにどうぞ。


 追加 H先生は私の一般的不調には、薬は精神安定剤のセレナミンを、注射はアタピーを処方された。自律神経失調症対応である。それでも効果がないので、鬱病対応でもあるジェイゾロフトを処方された。

 精神科クリニックで最初にやった診察はウツの有無だった。ウツは無かった。その段階からジェイゾロフトを徐々に減らしていった。

商品名: ジェイゾロフト錠25mg
この薬の作用と効果について
脳内に存在するセロトニン再取り込み機構を選択的に阻害し、シナプス間隙のセロトニン濃度を高めて持続的にセロトニン神経伝達を高め、抗うつ作用や抗パニック障害などの作用を示します。
通常、うつ病・うつ状態、パニック障害、外傷後ストレス障害の治療に用いられます。
  1. 2019/08/28(水) 06:59:31|
  2. 未分類

商業媒体について

古本屋通信   No 4153    2019年  8月28日


   商業媒体(新聞、テレビ、週刊誌等)について


 旧い話である。1973年だったかな。F書店が西日本の主要な有名進学高校40校を岡山国際ホテルに集めて西日本合同会議を開催した。半分は自社模試の説明と進学情報の交換だが、半分は接待である。まあ年に一度のドンチャン騒ぎだ。

 予告があったのかどうか、読売新聞の取材があった。うれしかったのだろう、息子の總ちゃんが参加校・参加者の名簿を取材記者に渡した。翌日の読売朝刊全国版一面トップに載った。テスト業者と高校の癒着たたきである。おまけに高校名まで全て掲載された。で、それを読んだ高校進学主任は各校の校長に電話を入れて2日目の参加の是非を仰いだ。

 社長の哲ちゃんは蒼くなった。本当に会社がつぶれるかと思ったそうだ。急遽全社の幹部と高校模試部の社員を、朝8時に社長室に集めて対策会議が持たれた。「みんな遠慮しないで意見を言ってくれ。何でも構わん。最後はワシが決める」。誰も沈痛な顔をして多くは言わない。私は概ねつぎのように言った。入社3年目でも発言はゆるされたのだ。

 社長、心配は要りませんよ。商業新聞は一時的に大きな影響力を持っているように見えますが、商業新聞が社会を決定的に動かしたことは一度もないでしょう。対応を間違ってはいけませんが、過大に評価することは全く必要ありません。特に読売は正力松太郎以来、ヤクザ暴力団の新聞社でしょう。今回は我社が毎日新聞と提携して全国国公立大学合格者を「サンデー毎日」に掲載したのが面白くなかったから叩いたんです。平気ですよ。



 哲ちゃんの顔に安堵の色が走った。後は省略するが、以後私は重宝されるようになった。たぶん独自の視点だったのだろう。それ以後、哲ちゃんは左翼を嫌わなくなった。

  以下が本論だが、商業媒体はしょせん水面に浮かんだ泡のようなもので、階級闘争の決定的な力になることはない。それ自身が資本であるからでもあるが、まあ本当のことは書いていない。事実の報道はあるが、読まなくても構わない。

 これで今回の記事はオワリである。しかし月刊「HANADA」なんて、よう読むな。お里が知れるワ。

 あっ、書き忘れたが、哲ちゃんは以後こうも言った。

 新聞は情報としては軽視できない。だがワシは新聞のことを新聞ではなく情報と呼ぶことを提唱したい。
  1. 2019/08/28(水) 03:34:51|
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石川真佐代さんは猫が嫌いだった

古本屋通信   No 4152    2019年  8月28日


  石川真佐代さんは猫が嫌いだった。でも猫の方は真佐代さんが好きだった?


 妻が死んでから複数の人に猫か犬を飼うことを勧められた。ずいぶんさみしさが違うとおっしゃる。いまのところ動揺していない。一寸書こうか。

 まず犬だが、今も堅牢な犬小屋が狭い庭にある。30年以上前に長男が飼い始めた犬だった。長男は半年も世話をせず、ずっと夫婦で散歩に連れて歩いた。15年生きて天寿をまっとうして死した。妻は犬一般は好きではなかったが、ディーンちゃんだけは可愛がった。死んだ時は泣いた。いまもディーンは犬小屋の前の土のなかにいる。もう金輪際犬は真っ平だと言った。私も二度と飼う気はない。

 猫だが、妻は猫を嫌った。理由は猫は図々しいからだと言っていた。いまも拙宅の狭い庭の方々に、近所の飼い猫がやって来て大小便をする。猫のトイレなのだ。臭くてたまらない。それでも私は歓迎だった。妻は猫と目があうと睨みつけた、それでも猫はやってきた。

 ところが妻が入院してから猫はこなくなった。3ヶ月間一度も見たことがない。私はさみしい。だが、どうしてこなくなったのだろう。それはきっと猫のほうでは妻が好きだったのだ。それしか考えられない。

 私は猫が大好きだが、猫を飼う大変さを知っている。でもそのことよりも、猫より当然ながら私の方が早く死ぬ。だったら猫はどうなるのか。とうてい飼えない。それをYさんに言うと、こうおっしゃった。

 責任を持って飼わなくてもよい、やってくる猫にエサをやって友達になればよい。面倒になったらエサをやらなければこなくなるよ。

 いま猫の来るのを待っているが、猫はこない。きっと石川真佐代さんに遠慮しているんだ。私では奥さんの代わりは務まらないと。
  1. 2019/08/28(水) 02:39:25|
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