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古本屋通信

立木洋 工藤晃 榊利夫

古本屋通信   No 3732     2018年   12月31日

   立木洋  工藤晃   榊利夫

 上記3名の名前が、北京機関のメンバーとして太宰ファン様の口から出たのを聞いたとき、私は一瞬奇異な感覚に捉われた。徳田や伊藤律や西沢隆二とは世代が違うだろうと思った。せんじつ私は北京機関のメンバーを誤読していたこともあって拘るのである。それで少し突っ込んでみたいのだが、ウィキで年齢などに当る前にまず私の3名についてのイメージを書いておく。いずれにも旧国際派だとか旧所感派だとかのイメージは無い。


立木洋 党の副議長で参院議員になったが、良いイメージはない。たしか晩年は不祥事?

工藤晃 「日本経済への提言」の執筆者だったな。マル経学者でないのに研究者並みの知識?

榊利夫 外大の露出身の党下級官僚でインスタント哲学論文を書いていたが、いつのまにか部落問題の党の第一人者になってしまった。国民融合論は彼のオリジナルだろう。



 マアそういうイメージなのだが、以下はウィキでの年齢確認である。つまり50年問題の党分裂のとき何歳だったか。


立木洋 「1931年3月11日 - 2017年6月20日 日本統治下の旧朝鮮新義州出身。中国の東北人民大学を卒業後、1959年に内地に引き揚げる。その後高知県内の家電メーカーに勤めながら共産党に入党、1964年からは党本部にて勤務」。えっ、なんだって? これだと1950年には未成年? しかも高知県で労働者?

工藤晃 1926年2月10日 - 東京都出身。旧制第五高等学校(現在の熊本大学)、東京大学理学部地質学科を卒業。1976年の衆院選に東京7区から出馬し初当選・・・」。これだと1950年には24歳だが、来歴に北京在住のことなど無い。

榊利夫
 1929年2月21日 - 2003年8月19日 福岡県八女郡広川町出身。海軍飛行予科練在籍中に終戦を迎える。1947年日本共産党に入党。熊本語学専門学校ロシア語科(現・熊本学園大学)を経て[1]、早稲田大学卒業後は同大大学院文学研究科に進むものの、1955年に中退。1958年赤旗編集局に入局し、以後理論政策部長や 前衛編集長、赤旗編集局長などを歴任する。 これだと1950年には21歳である。22歳で早稲田の学部を卒業して、院に進学してから北京に行ったのであろうか。ちょっとヘンである。



  古本屋通信

 下に長々と引いた記事の中に、立木洋、工藤晃、榊利夫の3名が含まれているとするならば、「北京の中央党学校の生徒千数百人から二千人規模」 の中でしか有り得ない。これが太宰ファン様の云うの 「宮本体制の常幹メンバーの立木洋とか、工藤晃とか、榊利夫とか、おもだった幹部ども、みーんな北京に亡命していて、そこで認められて登用されていったらしい文脈からは工藤と榊も常任幹部会委員のようにも取れるのですが、立木以外は常幹メンバーではありません。ねんのため )」 の根拠ということになる。それとも他に信頼出来る典拠があるのだろうか。出来れば示してほしいものである。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 さっそくKM生様から投稿がありました。ウィキが長文のため頭デッカチの板になりましたので、最後に移動させました。

投稿者 : KM生  12/31 04:30
1)北京機関工藤晃・立木洋・榊利夫(1977年映画「青春の門」が当時の青年学生の間で話題になっていた頃の文化評論誌上での五木寛之との早稲田大学先輩後輩対談が懐かしい)の何れもが経歴の一部は空白であり、この時期が「北京機関在籍」だったことは間違いないでせう。本人は貝になって(宮顕体制下では汚点にしかならなかったので)当時のことはひた隠しに隠しているが、北京機関参加者が「彼らの在籍事実」を語っています。さふいへば、犬丸義一元長崎経済科学大教授も北京機関在籍者どした(^^)。

2)北京機関の影響力宮顕体制下では公然化しなかったものの、(何しろ50年問題当時は国際派はごく一部で、大部分は所管派ですたから)その影響力は決して小さくなかった筈です。たすか90年代前半(=宮顕体制末期)の中央委員会報告で、上耕が「中央委員会・本部勤務員内で北京機関同窓会なるものが開催されていたので辞めさせた」と報告したのを妙に記憶すています。「55年6全協から実に40年近く経っても、(中央委員会・本部勤務員の中でさえ)北京機関在籍事実が強く生きていた」何よりの証左でせう。

投稿者 : KM生(追伸)  12/31 04:48
連投ご容赦を。北京機関の終焉は、(言うまでもなく)文革・日中両国共産党怪談決裂。かの67年北京空港リンチ事件(わたすはむしろ、事件後砂間・紺野両氏が重傷だったとはいえ、日本へ直接帰国せずにヘイジョーで治療を受けてから日本に帰国した点に、当時のこととて日朝党関係の反映として注目します)は、決して「紅衛兵による日共特派員へのリンチ」ではなく、正に「(中国当局の黙認の下に行われた)北京在住日共除名組によるリンチ」ですた。加害者は、「白鳥事件関係者・聴涛学等北京留学者・日本共産党左派」等々・・・

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 以下はその後、私、古本屋自身が見つけたネット上の証言です。おそくなりましたが、貼ります。あとで気がついたのですが、これは古いキンピー板のコメント集でした。ところがブサヨ様の元文は見つかりませんでした、それは良いのですが、私はこれが宮地健一氏を典拠にしている以上、立木、工藤、榊らが北京機関傘下の日本人学校の生徒二千人の中にいたというのを信じることは出来ません。デボーリンも私も宮地氏の細かい記事には出鱈目がとても多いとの認識です。さらなる証言なり状況証拠は必要でしょうね。それから私は各種の理論論争をストレートに体制に結びつけて論じるのに反対です。中村にしても三浦つとむにしても、本人が迷惑するでしょう。


恥ずかしい!元衆議院議員で党名誉役員の“経済学者”
2010/10/28 12:04

コメント(11)

1. 四葉 2010年10月28日 18:58

工藤晃さんは、日本共産党にとってはやはり経済の専門家なのでしょう。

私としては『プレートテクトニクスの拒絶と受容—戦後日本の地球科学史』(泊 次郎)にあるという、地学団体研究会と地質学者井尻正二とのつながりに興味があります。
http://dole.moe-nifty.com/etc/2009/02/post-a91d.html

極めつけは、宮地健一さんによる研究です。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/touzaisei.htm

「北京機関・党学校に密航した千数百人から二千人、北京機関指導幹部数十人や自由日本放送スタッフ50人、その他を合わせると、中国密航日本共産党員の往復のべ人数は、数千人になる。(中略)」
「密航党員の中には、北京機関指導部以外にも、帰国後、党中央幹部となった立木洋、工藤晃、榊利夫、聴濤弘や、歴史学者犬丸義一らもいた。彼らも、口を閉ざしている他幹部と同じく、『人民艦隊と党学校の秘密は死んでも話さない』という党機密防衛の気概を誇りとする生き方を貫くのであろうか。」


2. 四葉 2010年10月28日 19:19
>1 失礼しました。一部既出でした。
http://kinpy.livedoor.biz/archives/51847983.html


15. 太宰ファン 様のコメント
「今から思うと、70年代~80年代の幹部会委員のかなりの割合が、党中央の地下潜伏期に中国にいたらしいのです。」(中略)「どういう活動実績で幹部会委員になったのっていう不思議な方々。工藤晃、ソフトな物腰とは違って、60年代の文革前の、日本共産党と中国共産党とが蜜月時代に、毛沢東の哲学の危険性を指摘した三浦つとむ氏を糾弾する論文を前衛に書いているのを『さざなみ』で知りました。三浦氏は毛沢東の文革発動を予言していたのに。中国共産党の番犬みたいな論文。」

http://space.geocities.jp/sazanami_tusin/
「墜落した哲学 ─三浦つとむ批判─」
工藤晃『前衛』No.176、1960年12月号


3. 太宰ファン 2010年10月28日 20:08
四葉さま
昔の投稿、ご紹介ありがとうございます。泊次郎氏の本は、私も読んでぶったまげました。学生時代には井尻氏を、優秀な唯物論哲学の自然科学者だと思っていたので。  

最近、管理人氏も触れていた、児童文学研究者・鳥越信に関する本(宮崎芳彦「戦後児童文学史の未解決点」(てらいんく))を読みました。鳥越氏も井尻氏と同類ということのようですね。この本の340ページに泊氏の本と井尻正二についてのコメントが出ています。 

あらゆる文化・学術分野で、政治的に牛耳って、引き回すような事例が、多々あったわけですね。その反省や自己批判がないままに終わっているけど、こうして暴露されていくってことです。

今、思い出しましたが、科学史・科学論の大沼正則氏が、持論をスターリン的だと批判した中村静治氏(技術論で有名、この人はスターリン理論を早くから徹底的に批判していた)の論を、科学者会議の部会声明か何かを組織して誹謗したという話を、中村氏の本で読みました。


4. 屁の突っ張り 2010年10月28日 23:33
工藤晃氏はソフトなイメージで中国密航歴ありとは意外でした。確か国会内に残る化石を調べて出版した方でいろんなことに興味をもたれる方というイメージでしたけどね・・・。

まあ学位はなくても「学者」と呼ばれる方はいるでしょうがそれは呼ばれてこそであり普通は「経済研究者」でしょうね。工藤氏の書籍も興味はないので読みませんが工藤氏は当然ですが「マルクス経済学」の立場だったのでしょうがソ連・東欧の社会主義体制の崩壊にはどのような考えを表明されているのでしょうか?

さて井尻正二さんへの批判ですがそれは「ルイセンコ論争」がらみのことなのかな?「ルイセンコ論争」詳しい方教えていただけませんか?

5. KM生@屁の突っ張り様 2010年10月29日 06:42
>ルイセンコ論争
確か偉大なる旧ソ同盟スターリン大元帥時代に、「獲得形質は遺伝する」(もしこれが本当なら、「社会主義の下で獲得した形質は子に遺伝する」ことになり、スターリンにはきわめて都合がよかった)という説を唱えた食わせ物学者だったと記憶しています。


6. KM生 2010年10月29日 06:52
>北京機関在籍者は樋口可南子を見習え!
60年を経て現在80歳以上の当時の党員は、いつ鬼籍に入ってもおかしくない。そこで提案。北京機関在籍者は、当時の記録を遺言として出版しよう。今更不破の下らない本など党員でさえろくに購入しないか、義理で購入しても積んどく状態。しかし猟奇的なまでの当時の党の恥部を自ら暴露すれば、ベストセラー間違いなし。樋口可南子を見よ!自ら恥部を曝け出して、ヘアヌード写真集市場を開拓したではないか!!死の直前になってまで、党に義理立てする必要など全くなし。大いに自らの恥部を暴露して、ひと儲けしよう。


7. 太宰ファン 2010年10月29日 23:29
屁の突っ張り 様
井尻正二氏ですが、戦前に東大の地質学科の大学院中退の後、東京科学博物館に勤務し、戦後に入党、一時共産党の科学技術部長を務めていたようです。在野の地質学研究者として地団研を組織・指導し、会員は70年代には3000人に達し、一時期、日本の地質学会を名実ともに支配したようです。野尻湖発掘など、科学の大衆化や科学者・研究者の権利の確立で積極面もあったようですが、井尻氏とその指導下の地団研は「プレートテクトニクス(PT)」理論に頑強に反対したため、日本の地質学の発展の障害となったようです。

PTに反対した理由は、「資本主義科学」に対する「社会主義(民主主義)科学」の発展を目的として掲げた井尻氏らには、PTはアメリカ生まれの「資本主義科学」と見えたこと、井尻氏らの「弁証法的唯物論」に基づく造山運動の理論(造山運動の原動力が「弁証法」的に対立物の矛盾として、地層や地殻自体の内部の運動から説明されねばならない)に比べて、PTではマントルの運動という、地層や地殻とは別の外からの作用で起きるとする理論は「弁証法的」ではない、と思えたこと、のようです。(以上は泊氏の本からの私なりの要約)。

ルイセンコの場合もそうですが、一見「弁証法的唯物論」に合致しているように見える学説も、それを理由に正しいことの証明にはならないわけで、また逆も真です。ルイセンコ学説は、戦後の一時期、日本の生物学者に熱狂的に支持されたそうですが(これも泊氏の本に出ている)、同じような誤りが、つい最近まで(70年代)地質学会で続いていたっていいのが驚きです。


8. 多重債務者のしんのまゆみ 2010年10月30日 11:42
工藤晃「名誉」役員様なる方は…《中国密行歴》あられるんですか
◎昔の事だから!ほじくりないですが
◎わざわざ《中国密行歴》がおありで!《名誉役員》様で!あられる方の《サイン会》を実施するとは!心外ですね
◎「何言ってるんだ!昭和25年ごろは!アメリカを中心とする進駐軍による…軍政が日本にしかれた
だから中国へ亡命し …
難民申請したのだ」
と反論されそうですね。
でもね!その北京機関が作られた頃は
例えば昭和24年には…(戦時中は運転を中断をしていた)
食堂車付の…国鉄特急へいわ号が
東京駅⇔大阪駅間に見事に!復活するなど
◎日本は徐々に平和を回復
◎[北京機関]など作らないで
徳球さんは特急列車に乗り!日本各地を
演説・行脚すべきでした
◎また工藤晃「名誉」役員様も…不破雷同して中国密航するべきでありませんでした
※尚!難民問題は
2010年の!こんちにも!たくさんの行政訴訟が
【地裁行政部に提起されるなど!ホットな話題】です
◎下記の《難民弁護団様vs法務省様:ガチンコバトルの!難民と認定しない処分取消訴訟》・一部・原告の外国人様の訴え認められて
私も嬉しいです
◎勿論!外国人の原告様全員を難民と認める事はできません
《なんみん様は!なんにんだ》という事態になるからです
※参考資料《難民と認定しない処分取消・行政訴訟の結果》=http://gxc.google.com/gwt/x?client=ms-kddi_blended-jp&u=http%3A%2F%2Fwww.47news.jp/CN/201010/CN2010102901000651.html&wsi=6c003109d3d26391&ei=i3rLTJuyI4X66wPD0MmkBA&wsc=tc

9. TAMO2 2010年10月30日 12:11
KM生様、太宰ファン様。
ドイツ観念論vsイギリス経験論という、哲学界の論争の自然科学=唯物論版みたいなものだと思いました。

ルイセンコに限らず、マッハ批判の文脈から相対性理論が「観念論の一種」として退けられていたり、とか、自然科学に携わる者としてはトホホな話が尽きません。


10. 屁の突っ張り 2010年10月30日 12:37
KM生様、太宰ファン様
諸々ご教示ありがとうございます。全く共産党系の学者は太陽を西から昇らせるようなことをするものですね。まあアメリカにおいてもキリスト教原理主義者の進化論否定もありますから
彼らだけの特性ではないのかもしれませんが・・・。

しかし自然科学においてこのような捻じ曲げをするなら社会科学や党の政策でご都合主義で理論や政策を変えるなどはお手の物ですね。まあ自分で考えない、上の偉い方が決めたことを「学ぶ」だけの組織ですからね。このような現象が起きるのでしょう。


11. 豊後各駅停車 2010年11月05日 14:23
1972年~1976年までは同姓同名の衆議院議員がいたのですね。
共産党・工藤晃。東京7区(現・西東京・立川・東大和市など)
新自由クラブ・工藤晃。神奈川1区(横浜市西区・緑区など)
.



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  以下がウィキペディアの「北京機関」の項目の全文である。

 北京機関  ウィキペディア

北京機関(ペキンきかん)は1950年、書記長の徳田球一や野坂参三ら日本共産党の一部幹部が、正規の手続きによらずに中央委員会を解体し、非合法活動に移行するなか、中国に渡航してつくった機関。ソ連や中国の資金援助を受けて、武装蜂起式の日本革命を指導した。日本には徳田らが指名した臨時中央指導部が残った。現在、日本共産党は北京機関について、「徳田、野坂らが党の方針に背いて党を破壊して、勝手に中国に亡命してつくり、ソ連・中国流の武装闘争の方針を持ち込んだもの。党とは無関係であり、その誤った方針の克服を通じて今日の党がある」としている[1]。

発端
当時日本を占領統治していた連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、1950年にレッドパージを開始して日本共産党に対する締め付けを強化していた。徳田ら幹部が公職追放処分や団体等規正令違反による逮捕状が出され、幹部の多くは地下活動に移った。伊藤律の回想によると、この状況を受けて毛沢東が直接「徳田を日本から救い出せ」と指示したことが、北京に移るきっかけの一つであったという[2]。徳田は当初渡航に強く反対したが、8月上旬頃に極秘に開かれた政治局会議で中国への渡航が決まった[3]。8月15日、徳田が伝書使として中国に派遣した宮島義勇が帰国し、「日本共産党の指導者を迎え入れる用意がある」という中国共産党の意向を徳田に伝えた[4]。10月に徳田は大阪湾から船で密かに出国し、北京に渡った。

経緯
1950年4月に安斎庫治らが中国に渡り、北京機関の準備を開始[5]。8月末に徳田球一・西沢隆二が、9月に野坂参三らがそれぞれ中国に亡命。同月北京機関が結成された[6]。1951年9月、伊藤律が北京機関に移る。1952年10月末、伊藤に対しスパイ容疑で隔離調査することを北京機関が決定[7]。1954年夏、野坂・紺野与次郎・河田賢治・宮本太郎・西沢の6人の代表が、ソビエト連邦共産党・中国共産党両党代表とともに日本共産党第6回全国協議会決議原案をモスクワで作成した。モスクワにいた袴田里見もこれに部分的に参加し、9月からは北京機関指導部に加わった[8]。1955年1月13日付「日本共産党中央委員会北京局 紺野与次郎・河田賢治・袴田里見・西沢隆治」名により、ソビエト連邦共産党に対し資金援助を要請[9]。1957年7月、袴田・河田が帰国。1958年7月13日、第21次在中国日本人引揚船白山丸で、北京機関従事者のほとんどが帰国した[10]。

名称
非公然かつ正規の会議で定められなかった組織であったため、当時公式な名称はなかったとされる。「徳田機関」「孫機関」(「孫」は中国での徳田の姓)という呼び方もある。伊藤律は1980年の帰国後、椎野悦朗と話し合い(歴史的な名称として)「日本共産党在外代表部」と呼ぶことを決めていた[11]。ただし、渡部富哉によると、徳田が死去した際の写真で「北京機関細胞」という名称の花環が霊安室にあったことが確認できるという[12]。

北京からの自由日本放送
北京機関の指導下で、日本向けの「自由日本放送」が、1952年5月1日から開始され[13]、1955年12月31日に閉鎖された[14]。
詳細は「自由日本放送」を参照

北京の日本共産党中央党学校
北京機関のもとで、1954年1月から1957年3月まで、関係者千数百人から二千人規模の日本共産党中央党学校が北京郊外に設立・運営されていた[15][16]。生徒は、日本の敗戦後まで工場や学校など中国国内で働いていた日本人で共産主義に共鳴していた者のほか、日本国内から密出国した者もあった。党学校参加者の多くは、1958年7月に引揚船白山丸で帰国したといわれる。

おもな構成員
書記長の徳田を中心としたメンバーであったため所感派に属する者が多かった。
徳田球一 - 1953年北京で死去。
野坂参三
高倉輝 - 1950年6月公職追放、その後ソ連・中国その他を転々とし、1959年4月に帰国。
紺野与次郎
聴濤克巳 - 1950年公職追放、北京機関メンバーとなり、自由日本放送の業務にも従事。のち党代表としてヨーロッパで活動。1958年帰国。
河田賢治
西沢隆二
伊藤律 - 1953年除名処分を受け収監。1980年帰国。
袴田里見 - 国際派だが、中ソ共産党に党分裂問題への介入を要請するため、一時期北京に滞在した。
椎野悦朗・吉田四郎(北海道地方委員会議長)は、志田重男の代理として北京機関入りを指令されていたものの、伊藤のように嫌疑をかけられる危険を感じて、密出国船(いわゆる「人民艦隊」)乗船直前に渡航を拒否した、とされる[17][18]。

日本に残された臨時中央指導部
1952年6月7日、党統制委員会がその責任において「来るべき党大会まで暫定的な中央指導部をつくる必要をみとめ」その構成員を指名した。公表されたところによると、椎野悦朗(議長)、輪田一造、杉本文雄、多田留治(8月7日に党内分派として除名)、鈴木市蔵、聴濤克巳(即日「アカハタ」編集関係者として公職追放)、河田賢治、谷口善太郎(のち6月28日の新聞記者会見談話の内容を理由に公職追放)の8名であった。[19]
他に、所感派で日本国内に残留した幹部として、志田重男らがいる。

参考文献
伊藤律『伊藤律回想録―北京幽閉二七年』文藝春秋社、1993年
伊藤律書簡集刊行委員会(編)『生還者の証言 伊藤律書簡集』五月書房、1999年
日本共産党中央委員会『日本共産党の七十年』全3冊新日本出版社、1994年、ISBN 978-4406022576
日本共産党中央委員会『日本共産党の八十年―1922~2002』日本共産党中央委員会出版局、2003年、ISBN 978-4530043935
藤井冠次『遠い稲妻 伊藤律事件』驢馬出版、1986年
「日共の革命教育はこうして行われた 元学生が語る北京『馬列学院』の全容」サンデー毎日、1961年3月特別号

脚注
1.^ 不破哲三「日本共産党の歴史と綱領を語る」2000年7月20日、日本共産党創立78周年記念講演
2.^ 『生還者の証言』p226
3.^ 『生還者の証言』p224、226。この政治局会議は元海軍大将吉田善吾邸の一室でおこなわれたという。
4.^ 『生還者の証言』p223 - 227
5.^ 『日本共産党の七十年』党史年表 p.131
6.^ 『日本共産党の七十年』党史年表 p.133
7.^ 『日本共産党の七十年』党史年表 p.140
8.^ 『日本共産党の七十年』党史年表 p.144
9.^ 『日本共産党の七十年』党史年表 p.145
10.^ 『日本共産党の七十年』党史年表 p.156
11.^ 『生還者の証言』P225、243 - 244
12.^ 『生還者の証言』p225
13.^ 『日本共産党の七十年』党史年表 p.139
14.^ 『日本共産党の七十年』党史年表 p.148
15.^ 『日本共産党の七十年』党史年表 p.143
16.^ 『日本共産党の七十年』党史年表 p.152
17.^ 渡部富哉 白鳥事件関係裁判資料の公開と真相をめぐって ちきゅう座、2009年12月5日
18.^ 樋ロ篤三 めしと魂と相互扶助―私の半世紀の実践総括をかねて(その一) ちきゅう座、2001年正月記
19.^ 『日本労働年鑑』第24集 1952年版 臨時
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  1. 2018/12/31(月) 02:31:47|
  2. 未分類

党史が書けなくなった理由

古本屋通信   No 3731     2018年   12月30日


   党史が書けなくなった理由


2. 太宰ファン@党史が書けない
2018年12月30日 13:49
みましたが、トラック部隊による強盗で二百億って無いでしょう。あれば当時のマスコミだって騒いでるよ。しかし、党史出版ができなくなっているっての、深刻だよね。理由は、やっぱ、50年問題か。あるいはソ連崩壊で、ソ連やコミンテルンの指導の下に戦前に活動を始めたってのが完全に黒歴史。。。

50年問題では、白鳥事件が少なくとも市の委員会レベルでの組織的犯行であることが完全にばれてしまい(現代史として)、冤罪だと騒いできたことの後始末ができないとか。また北京機関の指導部や党学校で何があったか疑問があり、ごまかせないとか。北京機関云々では、宮本指導部とは関係ないという弁解がなされてきたけれど、宮本体制の常幹メンバーの立木洋とか、工藤晃とか、榊利夫とか、おもだった幹部ども、みーんな北京に亡命していて、そこで認められて登用されていったらしいわけで、「分裂した一方の責任」にできないよね。

結局、ぜーんぶほっかむりで無視して過ごそうってことね。そのうち、こんな弱小党の歴史、誰も注目しなくなるからか?




   古本屋通信

 太宰ファン様のおっしゃっていること、全部が全部まちがいじゃあないけれど、主要には別件が原因だと私は思います。白鳥事件については既に書きましたが、倫理的にはともかく、論理的には党は平気ですよ。時効であること。それから、村上クロはこれまでの党の主張が否定されたとは云え、村上クロで社会的に決着していること。50年問題の総括は7大会で完了しています。それ以後の「日本共産党の80年」刊行までの45年間、7大会の総括の線を変更しなければならない出来事は起こっていません。北京機関の問題は、私にもメンバーに誤解があったのですが、基本的には7大会での50年問題の総括の範囲の問題でしょう。すなわち党の統一の回復は旧所感派メンバーをも含むということ。立木洋、工藤晃、榊利夫が、北京機関での活動が認められて党幹部に抜擢されたという事実はないでしょう。私は彼らが北京にいたことさえも知りませんが、たとえそうであっても、みんな一兵卒ですよ。党文献には51年綱領が「分裂した一方の側の責任」という表現はありません。のちになって言い出したのは、51年綱領は正規の党機関で採択された綱領ではない、従って正式な綱領ではないとの主張です。似ているけれど違うんです。

 さて私の見解です。暫定党史の80年史が2003年刊行ですね。発表したのは志位ですが、実質的に党権力が宮本から不破への変わり時でしょう(2004年 23大会 不破綱領採択)。党史が刊行されなくなったのは全て100パーセント不破のせいです。その前の野坂の一件も絡んで、コミンテルンの全活動の全否定です。これをやったら、これまでの自党の党史の全否定です。ここからレーニンのロシア革命の全否定まで行き着いたのです。まあ無茶苦茶ですワ。

 戦前戦後の世界史の書き換えです。世界革命運動史は完全に消滅し、日本共産党の党史の一世紀もゼロになりました。

 先日から林潤をケチョンケチョンにやっつけている訳ですが、以上のような党状況のもとで、林のような党員が生まれない方が不思議でしょう。なんせ党史が無いんですからね。

 ひとこ蛇足ですけど、「野坂はソ連のスパイだった」 という日本語はあるんでしょうか。日本語になっていないと思うんですよ。
  1. 2018/12/30(日) 16:10:47|
  2. 未分類

岩崎ちひろのモスクワ訪問記

古本屋通信   No 3729     2018年   12月29日

  岩崎ちひろのモスクワ訪問記

 私は通信 No 3680 「雑誌 「美しい十代」 (学研 昭和38~9年) 評」 で、この少女雑誌に岩崎ちひろの一文 「ティーンへの手紙 キスしてくれた少女」 が入っていると書いたが、その文章は紹介しなかった。そのごキンピーサイトに「いわさきちひろは、やさしかったのか?」の板が立てられたが、余り議論にはならなかった。そうこうするうちに日本の党とソ連共産党との関係が問題になったりもした。

  そこで私は今回、 昭和38年の「美しい十代」誌に掲載された岩崎ちひろの文を手打ちで掲載することにした。と言っても何らユニークな文ではなく、平凡なソ連紀行文である。私が掲載する目的は、党の画家である岩崎の文に当時の日ソ両党の関係が隠さず語られていると思うからである。

 ねんのために昭和38年つまり1963年という年について書いておく。フルシチョフのスターリン批判が1956年、日本の党の7大会が1958年、8大会が1961年度である。モスクワ宣言が1957年、モスクワ宣言が1960年である。1963年には既に中ソ論争は公然化していたが、日ソ両党間の論争はまだ非公然の段階だった。だから岩崎らはソ連に招待されたし、彼女自身もソ連を信じきっていた。当然ながら丸木夫妻は彼女の師匠であった。

 それから、私は雑誌に付いている岩崎の写真を掲載できなくて残念なのだが、吃驚するほど良い写真なのだ。つまり腐るほど多く出回っている写真ではなく、雑誌記者がその場で映した素顔の写真である。岩崎の実像はコレだと思った。一言で言えば沈鬱な表情である。散々虚像を見せ付けられた身には新鮮であった。感動さえしたのである。

。。。。。。

 ティーンへの手紙  キスしてくれた少女

  岩 崎 ち ひ ろ
  画家。ソ連の招きで訪ソ。40日間各地を回って、7月に帰国。

 おしゃれっ気がまったくなく、大きくて、たくましく、よく働く婦人ーーソビエトを好意的に見ている人でも、そんなふうに考えています。私もなんとなくそんな気がしていました。
 レニングラードの美しいネヴァ川のほとりを、私は川風にふかれながら散歩していました。色の白い、バラ色の頬の少女が、おさげ髪にリボンをあみこんで、いい香りをさせて、すれちがっていきました。二、三人でたのしそうに話し合いながらゆく若い女性たちも、いい匂いをただよわしていました。きらびやかに着飾っていませんし、アメリカ風のいかしたスタイルでもありません。北欧ふうでやさしく静かな感じの装いで、たいていの娘さんは香水のおしゃれをしていました。私は大正時代の東京の山の手の中流階級の娘さんをふと連想してしまって、全くちがうのにと、おかしくなりました。
 これは古都レニングラードの娘さんだからなのかしら、とも考えてみたのですが、シベリアの東のはての、ナホトカの町であった工場の女の子モ、ウラジオストックの女子の大学たちも、そんなふふぜいをもっていました。
  この国には貴族もないし社長令嬢もないのです。みんな働く人たちで、学校に行けない人もないのです。勉強さえできれば大学も卒業できますし、大学をでなくても働く道はあるのです。工場で働いているうちにきらいだった勉強が好きになって、また大学にゆくという人たちもたくさんあるそうです。
 小学校から子供たちはずい分よく勉強します。「学べ。学べ、また学べ」 というレーニンのことばが学校の壁にかけてありました。けれど日本のように受験競争はないのです。
 学校がたくさんあって、いつでもその気にさえなれば学ぶことが出来るからでしょう。
 夏休みは二ヶ月あって。みんなビョニールキャンプや保養地にでかけます。働いていち人も一週間の有給休暇があって、やはり保養地や別荘にでかけます。
 学校へいっていても、働いていても競争の必要がないので、どことなくおっとりしていて、私に昔の東京の娘さんを重い出させたのでしょう。
 また黒海の沿岸のヤルタであった十四、五才の少女のことを思い出します。
 私は、私の絵を印刷してある絵はがきを少女にあげたのです。するとその少女は、すっと私によりそい、いきなり私の頬にキスをしました。
 これはもちろんヨーロッパの風習で、なんのこともないのでしょうが、それにしてもその、人なつっこいかわいいしぐさが、私の心にしみいりました。
  1. 2018/12/29(土) 12:28:45|
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不可解な赤旗電子版の記事

古本屋通信   No 3728     2018年   12月29日

  不可解な赤旗電子版の記事。テメエの出鱈目(3億円以上の血税を食い潰した)を棚上げした支離滅裂な安田純平の言い分。

 終始及び腰だった赤旗がここまでハッキリと安田支持を打ち出したのは初めてだろう。だが今回も新聞労連主催の集会を報道するというかたちである。まだ幾分ためらいがあるのだろうか。

 私は安田批判はくどいほど繰り返したから、もうやらない。今回の記事で興味を持った点のみ赤で茶々を入れておく。



2018年12月28日(金) 赤旗電子版
犠牲の大半は子ども  安田純平さん 戦場取材意義語る
(写真)シリアの取材体験などを語る安田純平さん(左から3人目)=26日、東京都内

 内戦下のシリアで拘束され、約3年4カ月ぶりに解放されて10月に帰国したジャーナリストの安田純平さん(44)らは26日夜、都内で開かれた、戦場取材の意義と自己責任論について考えるシンポジウムに出席しました。主催は新聞労連などでつくる実行委員会。約470人が参加しました。

 安田さんは自己責任論について「拘束されたことを自己責任として批判されるのは構わないが事実確認はしっかりするべきだ。批判の根拠はデマが多い。ジャーナリズムとは事実を明らかにするためのもので、事実に基づいて考えることを共有できないと話が始まらない」と話しました。いちばん重要な事実確認は安田解放に日本政府から3億以上の身代金が支払われたか否かである。この点を安田本人が知らないとしても、赤旗を含むすべてのメディアは一貫して避けている。

 シリア内戦の取材動機について「イラク戦争やシリア内戦で犠牲になったのは大半が子どもなどの一般市民だった。何時の戦争もそうだ。分かりきった事を錦の御旗にしてテメエの殺人商売を合理化するな。

人間を『テロリスト』という記号に当てはめた時点で、ありゃりゃ、イスラム国その他の反政府組織はテロリストではなく民衆なのね? それはそうよねえ、だってそういう組織にガイドを雇って潜入しようと試みたんだからね。でもそれだとイスラム国は味方なのよねえ? そういう立場での取材だったの? 戦地での取材に中立は有り得ません。イスラム国などの反政府組織に密着取材するつもりだったのね? だったら日本共産党の立場とは違います。もちろん日本政府の立場とも。だったら赤旗がなぜ安田に好意的なの?


多くの人が殺されているという実感がわきにくくなる。彼らは人生がある生身の人間だということを現場で見たかった」と話しました。きれいごと。戦争は敵味方に分かれて人間が殺しあう。生身の人間が殺し殺されるのを見たいというのはジャーナリズムではない。単なる殺人ウォッチャーである。

 以下、ニセ者の同業のペテン言辞。散々聞かされて来た綺麗ごと。
 中東ジャーナリストの川上泰徳氏は「シリアに関心を持って自分で知り伝えたいというのは、非常に危険を伴うが重要なこと。シリア内戦で多くの死者や避難民が出て、どのようなことが起きているのかは現地に行き取材する以外に伝える方法はない」と話しました。

 アジアプレスの野中章弘氏は「“安全な戦争取材”というものはなく、リスクをゼロにすることはできない。戦争は最も大きな不条理で、たくさんの命や生活を破壊する。ジャーナリストたちは少しでも社会がよくなってほしいと取材している」と話しました。
  1. 2018/12/29(土) 07:33:05|
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かもがわ出版とスパイ松竹伸幸

古本屋通信   No 3726     2018年   12月28日

  かもがわ出版とスパイ松竹伸幸

 国家権力のスパイ走狗である松竹が11月末でかもがわ出版の編集長を退任した。それに伴なってブログ「編集長の冒険」を停止している。退社したものと早合点していたら、何のことはない、編集主幹として残るという。どっちでも一緒だが、この機会に松竹のスパイ性について書いておきたい。以前に一度書いたと思うが消えている。

 先ず、かもがわ出版の出版活動については、松竹入社以前から京都の小出版社として左翼周辺ではよく知られていた。有名なのは岩波ブックレットの版型と同じのかもがわブックレットである。その他にも毎年数十点の新刊書をコンスタントに出版している。その内容はHPに詳しいが、出版社としての規模は必ずしも明らかでない。

 むかしは出版ニュース社から『出版年鑑』が刊行され、必要な基礎データが書かれていたのだが、今は見つからない。凡その見当だが、かもがわ出版の社員数は少なければ十数名、多くても五十名を超えることはないであろう。

 問題はこういう小出版社での編集長の仕事である。かもがわ出版の編集長と、松竹のような活動(私に言わせれば諸国を股に掛けたスパイ諜報活動)が両立するかだ。

 その前に確認しておきたい。かもがわ出版は総会屋系出版社ではない。総会屋系だと資金は総会屋が出してくれるから、営業の心配をしなくても済む。しかし一般の小出版社の編集は常に営業と一体である。つまり売れるものを作らなければならない。このことは松竹も退任の挨拶で書いている。

 ここで一寸私自身の編集時代について。岡山の地でのF書店の一部門としての書籍出版部があった。社員数は7名、パートを入れて10名。年間売り上げは6億から7億。粗利では黒字だが純利益が出た年はない。つまり社員の月給は本社から。総会屋出版と同じだった。私はそういう出版部門に10年間在籍した。最後の年は編集長として経営にも責任を持った。

 こういう私の出版活動において、自社の出版物の売り上げ向上以外の活動をする余力は全く無かった。講演活動? いったい入場料を取るのか? 講演料は自衛隊が出してくれるのか? 岡山から東京への新幹線料金は書籍の売り上げから拠出可能なのか。

 私は今日の小出版社の実情に詳しいわけではないが、かもがわ出版と同じような小出版社を考える。今は亡き川上徹さんの同時代社において、社主兼編集長の川上さんは常に黒子であった。表に出たのは「同時代ジャーナル」だけ。酒が好きだったらしいから、有田と一緒によく飲んだという。だいたい東京から離れる金があろうわけがない。同じことは平田さんの花伝社についても云えよう。編集者が黒子であるというのは、編集者のあり方である以上に、余分の金がないのだ。だから貧乏出版社の出版記念会は著者サイドでしか持たれない。

 結論を急ぐ。私は松竹伸幸に国家権力から年間数千万のスパイ料が支払われているとは思わない。だが各種講演会その他のお膳立てを、小出版社が自前でやっているとは到底信じられない。明らかに自衛隊と特殊な関係で結ばれている。証拠は無いが、常識である。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


 少し付け加える。6年前に松竹がかもがわ出版の編集長に就任した事からして普通では有り得ない人事だある。出版社の編集に編集経験ゼロの素人を持って来てマトモな編集の仕事がこなせるわけがない。たとえ如何なる厚い人脈を持っていても無理である。つまり政治的力量がどんなにあろうとも、出版企画を立てて売れる本を造る能力とは別である。

 さあ、6年間の松竹の在職中、かれは如何なる出版物を手がけたのか。ゼロではないのか。私は突飛な事を云っていない。例えば文春の編集長の田中健五が手がけた本と言えば、たちどころに「田中角栄研究」や「日本共産党研究」を上げることが出来る。松竹は何の仕事もしていない。いや、やっている。それは全力を投入して自衛隊を合憲化したこと。それこそが彼の唯一の仕事であった。つまりかもがわ出版の編集長というのは名目だけで、実は本籍は自衛隊にあったのである。

 最後に彼のブログ「編集長の冒険」について。私は初年度の数文をよんだが、以後は全く読んでいない。読むに耐えない自衛隊ヨイショのスパイ文だからだ。今でも時に太宰ファン様が引用されるので、その限りで一瞥するが、寝言を半歩も出ない。左翼界隈で相手にする者は皆無である。「編集長の冒険」は命運つきたのであろう。
  1. 2018/12/28(金) 04:41:14|
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一寸小池には我慢がならん

古本屋通信   No 3725     2018年   12月27日

  ちょっと小池には我慢がならんワ

 来春早々の1月6日に岡山で小池演説会がある。私はもちろん行かない。行ってヤジる価値も無い。あと10日だから岡山でもそろそろ動きだしたようだ。さて何人集まるか、県委員会には悪いが県党史上の最悪で、二千人を切ると見る。


11. 名無し者
2018年12月26日 13:17
日本共産党最低の軽い書記局長は小池さんです。(苦笑)



 小池は西日本大水害のとき倉敷にやって来て、国会議員辞任に相当する暴言を吐いた。だがそのことは余り知られていない。私もすでに消している。

 小池は田辺倉敷市議のニュースをまるで正反対の文に捻じ曲げて安倍政権のせいにしたのである。これが国会で問題にならなかったのは、そもそも共産党の小池なんかゴミでしかないからである。政権スジの議員だったら一発で辞任だろう。

 そういう小池が岡山にやって来て何を喋るというのか。私は小池演説会粉砕とさえ言いたくない。自滅必至だろう。



2019.1.6 日本共産党演説会
日本共産党岡山地区委員会‏ @jcpokachiku
フォローする @jcpokachikuをフォローします
小池晃党書記局長が岡山に来ます!
2019年1月6日(日)13:30〜岡山市民会館にて。今の日本をどう捉え、どう変えていくのか、小池さんのお話をぜひ聞きに来てください。#演説会 #小池晃 #岡山 #共産党



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 ちょっと私に誤解があった。小池が来るのだから、てっきり全県的な総決起集会だとばかり思っていた。ところが県委員会のHPを見ても何の予告もない(一日送れで掲載された)。それで「小池演説会 岡山」と入れたら、上記の岡山地区委員会のツイッターがヒットした。

 そうか、わかった。県委員会は逃げたんだ。絶対に成功しないから規模を縮小した。地区委員会の主催だったら、小池の大失態も焦点から外すことが可能である。下にポスターの文面をママに転記するが、県党の災害対策本部長の須増のぶ子さんも演説しない。倉敷真備町のことを演題から外すということだろう。なら何を喋るのか。何も無い演説会になろう。市民と野党の共闘? 言えば言うほど票は逃げるワ。

 弁士に我らの衆院ブロックニセ候補の大平喜信クンがいない。則武真一さんを偲ぶ会にも出席して決意表明を述べた大平クン。ぜひとも小池書記局長につづく第二弁士として演説してほしいデス。流石に党の公式演説会ではニセ者では喋れないと見える。


  2019年1月6日(日) 13時30分開会(開場13時)
  岡山市民館大ホール 入場無料
 統一地方選と参院選の勝利をめざす日本共産党大演説会
  主催 日本共産党岡山地区委員会  

 私たちもお話します。
 すみより聡美(参院選挙区)
 森脇ひさき県議
 氏平みほ子県議
 竹永みつえ市議
 林じゅん市議
 田中のぞみ市議
 東つよし市議
 菅原おさむ


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 上記のメンバーの中に市議を引退する河田市議団長の退任の挨拶がない。あってもよさそうなもんだがない。それはすっかりやる気をなくしているからだ。なぜやる気をなくしたか。私が以前にトコトン糾弾したからだろう。それを再録して河田さんを送る(に贈る、を埋葬する)言葉とする。古本屋は反階級的な言辞に対しては些かの容赦もしないのである。他の皆様も心されよ。

 ひとこと加える。この時から半年後、党中央の対朝鮮言辞は180度変わった。南北対話と米朝会談に合せて、党の朝鮮非難は皆無になった。今だったら河田はこういう朝鮮非難の議会質問は決してしないだろう。いや100パーしない。それを党カルトと云うのだ。私が×意を懐くのは、そういう豹変ぶりに対してである。絶対に許さない。先日の武田英夫の過去文に、「民主党は自民党よりももっと悪い」 と言った極右に賛同した個所があった。ならば野党共闘など絶対に有り得ない。まさに党カルトである。そういうゲス党員は党から永久追放しなければならぬ。人民に対して何と責任を取るのか。



 
古本屋通信   No 3164    2018年  03月12日


  日本共産党岡山市議団長河田正一を糾弾する

 しかし人間、弱いもんよのう。保身のためには平気でシロ(朝鮮)をクロと言い、クロ(アメ帝)をシロと言い換える。自己都合で、灰色(アベ。アメ帝の目下の子分)だけが真っ黒らしい。

 私は直前板で福山市議会には高い交通費を使ってでも行きたいが、岡山市議会の共産党質問にはタダでも行きたくないと書いた。これだけでは具体性に欠けるだろう。私が決定的に軽蔑を超えて憎悪を懐いたのは、昨年11月の河田正一の質問だった。これを見て私は金輪際、党の岡山市議団は相手にしまいと心に決めた。だがのぞみちゃんもいることだし、公然と批判するのは遠慮していた。しかしアホウは反省するそぶりさえ見せない。この機会に糾弾しておく。

 下をご覧ください。河田が自分で良いと思って議会質問したか、それとも市民団体の陳情に名をかりた地区委員会(あるいは県委員会それとも党中央)の圧力に屈したか、それはどちらでもよい。少なくとも党決定ではない。河田は市議団長として自分の最終責任で以下の議会質問をした。許せない。

 許せないのは以下すべてだが、それ以前に、核兵器禁止条約は国連の問題である。核不拡散条約を前提にしたこの不平等条約を私は認めないが、それを措いても、各国の政府段階でいかなる評価をしようが、それは国際平和というより国際政治の駆け引きをめぐる国連内部の問題である。言うまでもないが、国連が国際平和の主要舞台であるわけがない。単なるかけひき、もっと率直には帝国主義盟主アメリカなど大国のバランス機関にすぎない。そこで採択されようが、非採択であろうが、そんなものは日本の民主運動と何の関係もない。また日本の国会もそうだが、地方議会など何の関係もない。わかりきったことである。

 ただ、救いがない低脳委員長の志位が、やることがなくてニューヨークに出かけて、デマキャンペーンをやった。日本政府が核兵器禁止条約に署名しなかったのをコレ幸いと因縁を付けた。これに大平が乗って、最終的に選挙での落選を決めた。

 核兵器禁止条約など屁でもないのだ。日本政府がやってもよいし、やらなくてもよい。タテマエだけの何の実効性もない理念キャンペーンである。それにさえも核保有国は賛成しなかった。中国、ロシアの勝手である。それと、現に署名した各国で民衆の賛成運動など皆無であった。あのね、朝鮮は署名してるのよ。朝鮮を褒めないの? 正当に評価して褒めようよ、河田さんと日本共産党。アメリカや日本だけでなく、核保有大国のロシアも中国もフランスも署名していない条約に何の実効性もない。日本政府はアメリカにならえしたのだが、どっちでもよいことだ。

 こういう決議を志位低脳に合せて地方議会で採り上げる河田はアホウ以下の基地外である。案のじょう軽くあしらわれている。日本の地方議会で採択するような問題では100パーセントありえない。恥さらしなのだが、その認識さえもない。この問題は国会段階でも、共産党以外の野党はまったくシカトしている。野党共闘などありえないのだ。それでも岡山の民進党はアホウだから共産党に乗ったらしい。重ねて恥さらしである。

 下の河田質問中の文言をご覧ください。

 「北朝鮮が、ミサイルや核開発に血道をあげて取り組み、国際関係に緊張を生じさせています。・・・・・北朝鮮の核開発は断じて許すことはできません。」

 私は河田を絶対に許すことができない。私は河田に×意を懐く。こういう暴言が平気で吐けるまでに、この元東京教育大民青は堕落した。赤嶺と同期だそうだ。アメリカ糾弾のことばが皆無である。朝鮮が許せないそうな。×ねや、河田! こういう暴言は党中央レヴェルがどうであろうと、末端の岡山市議会共産党が言わなくても良いことである。いや決して言ってはならない事である。よって河田に×刑を求める。然しボロが出るもんよのう、情ないワ。



正一と日本共産党 &正一の活動日記 &資料室 河田正一 : 17年12月21日核兵器禁止条約に賛同を 地方議会も声上げるべき。キチガイ、自公の方がよっぽど正気だ。恥ずかしくないのか

11月定例市議会の閉会日で河田正一は、市民団体から出されていた陳情「日本政府に核兵器禁止条約の調印を求める意見書の提出について」の採択を求めて討論しました。

日本共産党の5人と市民ネットの3人が賛成しましたが、自民・公明・創政の3会派が反対して、陳情は否決されました。

反対の理由は、「地方が言うべきことではない」などのようですが、実際は全く逆で、地方からこそ声を上げるべき問題です。

【資料】 2017年11月定例 陳情討論(河田正一171221)
日本共産党岡山市議団を代表して、陳情第29号「日本政府に核兵器禁止条約の調印を求める意見書の提出について」の委員会の報告に反対し討論します。

核兵器禁止条約が7月7日、国連会議で採択されました。122カ国という国連加盟国の2/3もの国々が賛成しました。

核兵器禁止条約は、法的拘束力のある国際協定として初めて、明文で核兵器が違法なものとなりました。この条約の最大の意義はこのことにあります。

条文は、「抜け道」のない禁止すべき行為を列挙しました。
(a) 開発、実験、生産、製造、取得、保有、貯蔵
(b) 移転
(c) 受領
(d) 使用と使用の威嚇
(e) (上記禁止事項の)援助、奨励、勧誘
(f) 援助の要請/受領
(g) 配備、設置、展開

これらがことごとく禁止の対象とされました。

「使用の威嚇」が禁止されたことは、核兵器を振りかざして、他国を威嚇する「核抑止力」政策そのものが否定されたのです。それは核保有国が核兵器を持ち続ける最大の「口実」の全面否定です。

(e)の「援助し、奨励または勧誘すること」の禁止は、米国の「核の傘」のもとに入ること、即ち、米国による核兵器の威嚇を「援助、奨励、勧誘」することによって自らの安全保障を図ろうとする行為も禁止されることになります。

さらに(g)で、自分の国の領土に、他国の核兵器を「配置、設置、配備」することを許可すること、即ち、核兵器持ち込みを許可することも禁止しています。

こうして核兵器禁止条約は、「抜け穴」を許すことなく、核兵器を全面的に禁止することになりました。核兵器は、非人道的で、反道徳的なものであるだけでなく、違法なものとなったのです。

北朝鮮が、ミサイルや核開発に血道をあげて取り組み、国際関係に緊張を生じさせています。一方、米国のトランプ政権が「力対力」の圧力をかけ、偶発的な事故による核戦争に巻き込まれる懸念が高まっています。

北朝鮮の核開発は断じて許すことはできません。しかし、一方だけに、核の放棄を求めても、北朝鮮の核開発をやめさせることは難しいです。

全世界から、核兵器を廃絶する機運の醸成の中でこそ核兵器をなくすことができます。

「国連会議」は国際政治における大きな転換点となる歴史的会議となりました。

その特徴の第1は、「国際政治の『主役』が、一部の大国から、多数の国々の政府と市民社会に交代したことです。

従来の核兵器交渉といえば、米国と旧ソ連などの核保有大国が中心で、その内容も自分たちの許容できる範囲でのルール作りに過ぎませんでした。しかし、今回の「国連会議」では、「核兵器の全面廃絶につながり、核兵器を禁止する法的拘束力のある協定」が会議の主題でした。そして、大国ではない多数の国々の政府と市民社会が、対等・平等の資格で、世界政治の「主役」となる新しい時代が到来していることを、生きた形で示したのです。

条約の成立に当って、被爆者の役割が決定的に重要でした。「被爆者は耐え難い犠牲をこうむった存在と言うだけでなくて、『核兵器のない世界』をつくる創造者」として条約に明記されました。

第2に、国際社会における民主主義の発展です。

これまでは、軍縮会議やNPT(核不拡散条約)再検討会議は大国が1国でも「ノー」といえば合意が得られませんでした。

「国連会議」はこれまでの状況を打破するために、民主的に議論して、多数の意思で決定し、前進するという方式をとったのです。それが見事な成果に結びつきました。

市民社会の後押しがあったことは、今年のノーベル平和賞にICANが選ばれたことからもわかるように、世界の趨勢は核兵器の廃絶に大きく動き出したのです。

第3は、核兵器に固執する勢力が一層追い詰められていることです。

会議では、一部の核大国が、発展途上国などに、参加しないように「圧力」をかけました。会議の成功は、米英仏の3カ国共同声明は、(こんな条約では)「核兵器は1発も減らない」「世界の安全保障の枠組みを弱体化させる」と条約を批判しましたが、国際会議をひっくり返す説得力のある論理は無かったのです。こうした妨害が失敗したことをはっきり示しました。

もちろん、核保有国が決断しないと核兵器はなくなりません。核兵器保有国が条約に参加する扉が開かれており、「自分たちは条約の対象でない」という言い訳はできないようになっています。

米国の核の傘によりかかっている日本の安倍政権の下でも、全国各地で、政治的立場、党派を超えて核兵器廃絶を目指す取り組みが発展しつつあります。

ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える「核兵器廃絶を求める国際署名」への支持、賛同した自治体首長数は全自治体の半数に達しています。岡山県のすべての市町村長が賛同しました。

平和首長会議は、広島・長崎が中心となって「世界の都市が緊密な連携を築くことによって、核兵器廃絶の市民意識を国際的規模で喚起し、核兵器廃絶を実現する」ことなどを目的としています。
今年長崎で開かれた第9回平和首長会議総会では、「核兵器保有国を含むすべての国々に対し、条約への加盟を要請し、条約の一日も早い発効を求める」ことを表明しました。各国政府に対する要請の内容として、「現在の核抑止に依存する安全保障体制からの脱却」することも求めています。

岡山県内の自治体でも、「日本政府に核兵器禁止条約の調印を求める意見書」を求め、奈義町や早島町議会が採択しています。井原市、笠岡市や瀬戸内市では委員会では採択されています。そして今議会で、審議されている議会では少なくとも委員会で不採択にしたところはありません。委員会での不採択は現在のところ、県内では岡山市議会だけです。

日米安保条約に対する態度に違いがあるとしても、核兵器は人類の存亡にかかわるものです。世界が核兵器に「悪の烙印」を押したのです。

ノーベル平和賞授賞式で、サーロー節子さんは、「核兵器は必要悪ではない。絶対悪だ」「核兵器禁止条約を核兵器の終わりの始まりにしよう」「条約は光だ。この光を分かち合おう。」「光は、かけがえのない世界を存続させるために私たちが傾ける情熱であり、誓いだ」と述べ大きな感動を呼び起こしました。

岡山市議会としても、核兵器廃絶を働き掛ける一翼となることを求め、陳情の採択を求めます。議員皆様のご賛同をお願いします。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  参考


5. ゴミスケの秦野真弓他
2018年03月12日 12:18
市議会議員は気楽な商売で、良いですね。何党であれ少しは嫌な目にあえ。尚、市議報酬問題は、先般、仮]山田二郎様から御指摘有られたように追及しません。東日本大震災から7年。何人の仙台市議が、大ケガしたかな。死亡した場合、自身の不幸、認識できないので、仙台市議の重大高位障害が良い
被差別者の私だって市議になり、クレジットガードつくり、外国行きたい
被差別者の私、今度、イギリス行き、料金払いましたが(今、アベ政治により、私の株価、凄く高い)クレジットカードないと、不利みたいです
ロンドン発、9時24分の9024列車に乗り、
パリに12時48分に、着き、優しいトモコさんか部下の美容師に会い、(あの黒人美容師、よい人でした)
パリ発19時13分の9055で、20時39に、ロンドン戻る時、貧困の為、クレジットカード、持てない、私への入国審査→厳しいらしいです。イギリスは、移民の流入を警戒
ダメな国の外国人を低賃金で、こきつかえば、良いのにね。日本共産党地区常任委員様みたいに
最後に、仙台オンブズマンは、日本共産党仙台市議も住民監査請求の対象。これに対し日本共産党は、厳しく抗議
偉大な大幡基夫労働局長様+偉大な若林義春様+偉大な佐々木とし子地区常任委員様の
公金の違法支出→あるはずがありません。日本共産党は、素晴らしい素晴らしい
  1. 2018/12/27(木) 12:05:37|
  2. 未分類

キンピーサイトの討論が愉しみ

古本屋通信   No 3724     2018年   12月27日


  さいきんキンピーサイトの討論を愉しみにしています


 この板は「悪貨が良貨を駆逐する」ではなく、その逆「良貨が悪貨を駆逐する」を行っています。まだ若干の悪貨も残っていますが、続々と有力な新人が出現しています。猫関係のハンドルのお二人や、名無し者様、それからニコニコ動画様も楽しいですね。これらの方が従来からの番頭格のKM生様や太宰ファン様と、熱気ある討論を交わされるのが愉快です。

 ところでニコニコ動画様はそんなにピント外れの阿呆なんでしょうか? 党のカルト的部分をいくらか体現されているので、皆様の顰蹙を買っているのでしょうが、私には優秀な党員もしくは党支持者に見えます。KM生様の怒りの根拠が私にはいま一つ分からないですね。これは帝国のぼかさちゃん様のときも同じでした。まあ楽しみに拝見していますよ。

 すみません、下に一寸だけ赤字で茶々を入れさせて頂きます。



2. ニコニコ動画sm125732sn720699住民
2018年12月25日 23:18
暴力装置に魅入られたか。
ちょっと意味不明、離党者をそう判断する根拠が無い。いい加減。


3. KM生@ニコニコ動画sm125732sn720699住民
2018年12月26日 04:46
何が「暴力装置に魅入られたか。」だ!
「住民本位の議員活動」を貫くため、「議員を党勢拡大の道具としか考えない」党を辞めた議員に対して失礼だぞ!とっとと消え失せろ!このボケナス!
後藤勇樹の離党の原因が分かりません。私が彼のHPを見た限りでは保守回帰ですね。それをどう評価するかは各人の自由ですが、ニコニコ様がボケナスというのはちょっとね。


4. KM生@ハスカップ様
2018年12月26日 09:00
>日本共産党員の活動で「言わされます」などという言葉が出てきたので非常に驚きました。

何ら驚かれることはないかと存じます。だって多くの党員支持者は、「組織から言われて割当動員されてる」だけですから(^^)。


5. ニコニコ動画sm125732sn720699住民
2018年12月26日 09:56
>>3
は?自衛隊は本質的には人殺しの道具じゃんか。
これはまったく正解ですね


6. ニャー助さん
2018年12月26日 10:14
オタキングの岡田斗司夫が言うとる!
合コンで、人気ナンバーワンの職業は自衛官や!
阪神大震災が変えた!学歴就職のおて学校中退した不漁のたまり場やった自衛隊は人気の職業になった!若い姉ちゃんは、自衛官を消防士と同じカテゴリーにいれとる!
真実なんかどないでもええw
世間はそう思っとる(^^;
これは太宰ファン様や、スパイの松竹などが、安倍政権と一緒になって、自衛隊賛美の大宣伝を繰り返した結果でしょうね。私の少年時代は自衛隊は完全なおちこぼれ少年、警察官は大学に入る学力の無い少年というのが相場でした。まあ民間よりも安定した職場ですからね。でも最近の自衛隊は自殺者が異常に多い。これは偶然ではありません。基地外の殺人部隊だから、正常な人間は自殺するんだ。


7. 太宰ファン@阿呆へ
2018年12月26日 10:57
>自衛隊は本質的には人殺しの道具じゃんか。

人殺しの道具は警察や自衛隊の持っている武器です。でも、なんとかとはさみは使いようで、それを持っていることで逆に人命を救い、平和を守ることもできるんだよ。お前のような阿呆は使い道ないけどな!

こういうのを形式論理と言います。あのね、同じことなの。自衛隊が使っている武器・弾薬は自衛隊を離れて存在しないのよ。モノは人間がいてこそ存在理由があるの。それに自衛隊の具有している武器弾薬が人助けになることは有り得ない。どこまで行っても殺人兵器。それは自衛隊そのものが殺人部隊だから。災害復興に武器弾薬は不要。それは自衛隊ではなく、別の災害復興隊の仕事。


8. ニコニコ動画sm125732sn720699住民
2018年12月26日 11:21
>>7
俺は憲法破壊の安倍よりは、全てにおいて遥かにマシだけどな。
当然ですよ。


9. KM生@ニコニコ某
2018年12月26日 13:25
たすかに後藤勇樹氏のブログを見れば、「自身の自衛隊評価の変化」について触れられている(2018年5月のブログ移転以前に離党されているようなので必ずしもこれが離党の主因かどうかは不明だが)。少なくとも現時点で、自衛隊評価に関する党との意見の違いは明瞭ではある。
ここらは精確な評価だと思います。

しかしだ。その「人殺しの道具」を「活用せよ」といってるのは、何処の党なんだい?
これは松竹伸幸であって、必ずしも党ではないが、最近の2,3年に限れば、党にも自衛隊活用論が見られる。だから私は不破綱領に反対する。


10. ニコニコ動画sm125732sn720699住民
2018年12月26日 17:56
>>9
そもそもまだ入党できる年齢じゃない。
要らんことを言わないほうがよい。


11. KM生@ニコニコ動画sm125732sn720699住民
2018年12月26日 20:49
>そもそもまだ入党できる年齢じゃない。
反論不能になると、保身だけは不破志位並みだな(爆蔑笑)。どうせ同じ(見え透いた)嘘つくなら、もう少し上手くやれよ!だいたい今時の高校生で民青なんぞ、ノータリンの党員3世。ネットでまともな議論できる奴なんぞ皆無(^^)。実際(日共が昔々から唱えていた)18歳選挙権が実現しても、投票率の低下と自公支持の増加を招いただけ。


12. ニャー助さん
2018年12月26日 20:54
嘉門達夫のコミックソングの歌詞にあるように!
昭和の時代は、10代で学校行かんとゲーセンで暇そうにしてる不良少年に「に~ちゃん!ええ体してんなぁ~!でや!自衛隊入らへんか!鉄砲撃てるし洗車も乗れるでぇ~!」って勧誘しとった!
時代話変わった!
誰でも入れた自衛隊は、選抜試験通らなあかんようになった!
今じゃ、高教組も自衛隊への就職斡旋を拒否できないらしい。だとしても大学に入れん高校生が自衛隊の試験を受ける。まず全員が合格だそうな。警察官の試験のほうが難関。


13. 名無し
2018年12月27日 01:29
>>10
お前役所で赤旗は表現の自由とか主張してた数納麻衣子(小池裕敏)じゃん

あんた、レベルが違うんだ。引っ込んでいらっしゃい。ニコニコ様が数納麻衣子に思えるのか? それに小池裕敏って、別人じゃろ?
  1. 2018/12/27(木) 07:25:48|
  2. 未分類

そうか、そうだったのか

古本屋通信   No 3723     2018年   12月25日

 そうか、そうだったのか、太宰ファン様は百年おくれのトロツキー、日本だったら50年おくれの革共同だったのか。黒田寛一さんがさぞかし草場の陰でお喜びであらう。


 わるいけど、ちっとも新しく無いジャン。私、学生時代の半世紀まえ、いやになるごど聞かされた、トロの世界認識の典型じゃん。もっともトロはもっともっと各論があったけどな。太字の個所が其の典型。こんなん、まあ言ってみれば革命の展望を失ったニヒリストが保守に合流した見本でしょう。他に言うことなし。



9. 太宰ファン
2018年12月26日 12:19
要は、冷戦とは、東西の「帝国主義ブロック」の対立であったということ。決して、「平和・民族自決・社会主義のグループ」と帝国主義の対決ではなかったということ。それが、ようやく、現代史の常識となりつつある(共産党関係の書物を除いて)。

10. 太宰ファン@社会主義の名誉
2018年12月26日 12:50
「ソ連、東欧、中国、北朝鮮は、単なる開発独裁だ」、「冷戦の東側はソ連を盟主とする帝国主義ブロックだった」、と書くと反発する党員もいるだろうが、むしろ、そのように判断することこそが、本来のマルクスの史的唯物論や社会主義・共産主義の名誉を守ることになるはず。ソ連は、社会主義とは縁もゆかりもないし、当然、中国、北朝鮮もそうだ。社会主義を僭称する独裁国家であり、滅びて当然。本来のマルクスの思想や理論に従っているつもりの日本共産党も、当然、中国、北朝鮮ときっぱり手を切り、弾圧された北朝鮮や中国の国民、民主人士と連帯して、かかる独裁政権打倒を叫ぶべきだよな。
  1. 2018/12/26(水) 15:40:08|
  2. 未分類

毛沢東はヒットラーより悪いのか?

古本屋通信   No 3722     2018年   12月25日

  スターリンや毛沢東はヒットラーより悪いのか?

  ご冗談でしょ? トロのやうな事を言うな。

  スターリンは晩年大きな誤りこそ犯したが、レーニンの正当なる後継者として、世界共産党コミンテルンの指導者として、反ファッショ統一戦線を持って日独伊三国軍事同盟を打ち破って、第二次世界戦争を勝利に導いた。日本の天皇制ファシズムから人民を解放したのもスターリンがあればこそ可能であった。

 毛沢東は抗日戦争を戦い抜いた人民中国の偉大な指導者である。中国革命の勝利は中国人民の解放であったばかりではない。世界地図を大きく塗り替えた。日本人民にとっても希望の星であった。毛沢東晩年の文化大革命の誤りを持って、かれの生涯を否定的に描くことは許されない。ましてヒットラーより悪い? 何処の教科書にあるのだ?

 金日成が岸信介と同格だって? ならば60年安保時に朝鮮と友好関係にあった日本共産党は決定的に間違っていた?

 渡辺治は今や絶滅品種のカルト党員だが、仁比参院議員がボーダーにいるとは初耳だ。コレは押し上げようとしているのではなく、逆に落選させる腹ではないのか? だってカルトの渡辺と対談させたら当選どころじゃないだろう。



1. 三木
2018年12月25日 15:17
連中は何故スターリンや毛沢東を過小するのか?! 連中のがヒトラーより悪い!
ナチス・ヒットラーの方がスターリンや毛沢東より悪いに決まっている。20世紀の歴史を21世紀になってから書き変えるな。歴史の改竄こそファシズムである。偉大なロシア革命と中国革命と其の指導者を地獄に落とすキチガイ。


2. KM生@三木様
2018年12月25日 15:43
>連中は何故スターリンや毛沢東を過小するのか?! 連中のがヒトラーより悪い!
スターリンや毛沢東よりさらに悪いのが金王朝。
スターリンや毛沢東よりさらに優れた指導者だったのだのが金日成でしたね。大国主義に反対し、自主自立の思想で独自の社会主義建設。そして如何なる軍事同盟条約にも反対する非同盟中立の運動を主導しましたね。日本共産党やベトナム共産党といっしょに非同盟運動。

スターリンだって、ドイツの捕虜になった息子を(ヒトラーからソ連の捕虜になったドイツ高官との交換を持掛けられたのを蹴って)「ドイツにみすみす捕まるような奴は自分の息子じゃない」と、見殺しにした。毛沢東だって息子を第一線で戦わせて戦死させた。即ち彼等は独裁者であるがゆえに、自分の子を率先して戦地に派遣して戦わせて死なせて、国民に自らの決意と範を示した。
まったく賛成です。

しかるに金王朝は、「権力の世襲」という社会主義にあるまじき最悪の独裁形態を取っている。
コレも賛成ですが、たまたま最良の後継者が血族だったそうです。憲法や労働党規約に世襲は明記せれていないそうです。他国のことですから、不干渉ということで行きませんか?

3. KM生@三木様(追伸)
2018年12月25日 15:48 どうせ赤旗紙上で同じやるなら、
岸信介=金日成  岸信介の方が悪玉でしょうね。
安倍晋太郎=金正日  ドッコイ、ドッコイでしょうね 
安倍晋三=金正恩  金正恩の方が圧倒的に上手です。やがて両者の対決があるでせう。その時が楽しみですね

とやれば、さらに面白かったのにねー(^^)。


4. ニャー助さん
2018年12月25日 22:18
そもそも、スターリンは悪いんか?
そもそもスターリンが全面的に誤っていたというのこそがスターリン神話でしょう。フルシチョフのスターリン批判の秘密報告こそがソ連の社会主義からの逸脱でしたね。アメ帝に屈服したマルクス主義からの逸脱でした。現代修正主義の国際的潮流としてチトー主義になりました。この時点でスターリンを擁護した中国共産党の毛主席(論文「ふたたびプロレタリア独裁の歴史的経験について」 人民日報社説1957年。後に日本共産党「世界政治資料」に載った)と、日本共産党の常任幹部会は完全に正しかったのです。

農業しかなかったヨーロッパの田舎国家が、アメリカと張り合える大国になったのは30年代のソ連工業化・五か年計画の偉大な成果や!
賛成です。

人類初の宇宙飛行に成功したんもスターリン時代の土台の上や!
スターリン=独裁者は、後継者が作った「神話」!都合悪い事は全部死んでも~た前任者になすりつけてまえ!
まったく同意します。

毛オジサンに事は、また書くわ!
楽しみにしております。


1. 名無し者
2018年12月25日 21:04
しんぶん赤旗の12月23日号で渡辺一橋大学教授と仁比参議院議員の対談を載せてるのを見ると仁比さんが当落線上にいるので党本部が押し上げしようとしているのがわかりますね。
まだ読んでおりませんが、読まなくても読めます。カルトの渡辺と話の合う仁比ではないでしょう。またまた心にもないことを喋っているのでしょう。参院で党は7議席確保と言っています。この党方針自体が前回から後退した敗北主義なのですが、さらに1,2議席を落とすでしょうね。さあ、誰を落選させるか、それは衆院とちがって党中央選対の調整が可能なんです。私は仁比は赤信号だと思っています。党執行部にとって鬱陶しい議員だからです。その辺りは本人も承知しています。だからこそ迎合的な発言もあるのでしょうね。
  1. 2018/12/25(火) 22:42:17|
  2. 未分類

白鳥事件と歴史(党史)の真実

古本屋通信   No 3721     2018年   12月25日

  白鳥事件と歴史(党史)の真実

 下記の太宰ファン様の投稿については、既に新稿を起こして詳細に批判していたので、お読みになった方もあろうかと思うが、削除した。それは北京機関のメンバーについての私の認識がウィキの記事と違っていたからだ。私に誤認があったのは確かだが、さりとてウィキが全面的に正しいとするには疑問もあった。そういう訳で削除したのだが、太宰ファン様の新投稿を放置しておくのも気になる。そこで私の過去板を再録する。警察や自衛隊はテーマでないので、書かれていない。



3. 太宰ファン@警察と自衛隊
2018年12月23日 11:33
>過去に向き合う
白鳥警部を暗殺したり、交番の警官を殺害したのは紛れもなく日本共産党。きちんと反省し謝罪しろ。「分裂した一方が」の言い訳は通用しない。宮顕指導体制でも常幹の大半は北京機関に亡命していたメンバー(武装闘争の司令部)であったのだ。責任は逃れられない。

当時、警察を、自衛隊と同じく、国民弾圧・対米従属の危険な国家の暴力装置と位置づけていたからああいう暴挙に出たのだ。今現在、警察をそのようには位置づけていない。政権取ったら、中身の改革はするが制度は引き継ぐはずだ。ならば、自衛隊もそうすべきだろうが。なぜ自衛隊だけは廃止なんだ?

自衛隊が「国民弾圧・対米従属の危険な暴力装置、即廃止」ならば、日本共産党は韓国軍と共闘だな。レーダー照射、間違ってないし、沖縄の放火も支持ってことだよな?自衛隊が「国民弾圧・対米従属の危険な暴力装置、即廃止」ならば、日本共産党は韓国軍と共闘だな。レーダー照射、間違ってないし、沖縄の放火も支持ってことだよな?



。。。。。。。。。。。。。


    再録


   古本屋通信   No 1298    2015年  2月19日

 
  白鳥事件  歴史の検証 日本共産党の責任



 私は直前板に、白鳥事件についての自分の過去板を再録した。関係資料も転載した。アマゾンレビューにはキンピーサイトの常連である太宰ファン氏の文もあった。さきほど彼がキンピーサイトに投稿したばかりの文を見つけた。これを下敷きにして 「白鳥事件 歴史の検証と日本共産党の責任」 と題して少し書きたい。

 その前に志位質問中 (この代表質問自体も問題が多い。イスラム国をテロ組織と見做し、「国際社会」で追い詰めて行くなどと、政府に迎合した姿勢だから舐められてオチョクラレタのだ) の「テロ政党」なるヤジに就いて一言。ヤジは不当である。テロなる語のデタラメな使用もあるが、日本共産党は如何なる意味でもこういう誹謗を受ける政治党派ではない。宮本徹の言うとおりである。ただし穀田が一日置いて議運にヤジ検証を申し入れたことに私は反対である。東京都議会が悪しき前例をつくった。ヤジの主の特定など議会制民主主義の建前からも、その自殺である。さっそく党周辺の未熟な部分が色めき立っているが、こういうアホウをやるから、戦前の宮本顕治のスパイ査問事件まで持ち出される。この事件は悪意ある反共攻撃である。1945年の敗戦時に司法のうえでも全て決着がついている。

 太宰ファンさんの以下の文をつまみ喰いします。ブサヨさん、あしからず。すみません。



 5. 太宰ファン@ハスカップ様
2015年02月19日 00:52
ご紹介、ありがとうございます。これはまだチェックしていなかった。
私は、白鳥事件の本をいろいろ読んできましたが、そのたびに思うのは、自分が当時のそこの学生や党員だったら、同じようなことしていたかもしれない、という思いです。その点で、私は、村上氏はじめ当事者の責任は重いとは思いますが、ある意味、歴史の被害者として、同情を禁じえません。一番、許せないのは、そういうことをなかったことにして、「テロ政党とはなんだ」ときれいごとを叫んでいる今の共産党指導部です。こいつらは許せません。



 古本屋通信

 私は太宰ファンさんの言うことに一般的には全く異議がない。私はこの時代より15年遅れで学生細胞で活動した。村上無罪論で救援活動をした。その15年前だったら確実にやっていた。彼の後半部分に就いて書きたい。


 日本共産党は創立以来91年半の歴史を誇る。私はこの党の不屈の歴史、とりわけ戦前の絶対主義天皇制の弾圧下で非転向でたたかった党員は日本近代史の誇りだと思っている。4人だけ上げる。 徳田球一、志賀義雄、宮本顕治、袴田里見。


 彼らの未熟や誤りを云うことは容易い。散々云われてきた。代表選手は立花隆の 『日本共産党の研究』 だろう。私は多くの党幹部と違ってこの本を高く評価する。よく書いてくれたと思う。しかし私にとって戦前の日本共産党の魅力はいっこうに衰えないのだ。一言だけ。倉橋由美子に戦後の党を描いた 『パルタイ』 と云う小説がある。形而上の党を描いている。リアリティがない。党史は形而上でない歴史である。歴史は人間である。


 戦後の党は多くの誤りを犯してきた。誤謬の連続の歴史だといってもよい。私はその一々を多く読んできた。だがこの党が戦後存在しなかった方がよかったとは思わない。では最も誤りの少なかった党指導者は誰だったかと訊かれたら、私は躊躇することなく宮本顕治と答える。反対に最もデタラメな党指導者は誰だったかと訊かれたら、私は躊躇することなく徳田球一と答える。この2人が党50年分裂時の代表選手であった。すなわち国際派の宮本と所感派の徳田。当時の党員は大半が所感派だった。私は今日に至るも両者の違いをトコトン重視する。


 極左冒険主義の51年行動綱領は所感派が正規の党大会に諮らず決めた文書である。今日では党綱領として認められていない。然し6全協でも廃棄されず、7大会で初めて清算された。党がこの時期採用した極左冒険主義は51年行動綱領に基づくものであった。しかし7大会は旧所感派を排斥せず、この分裂時代の負の歴史全てを党史に組み入れた。だから白鳥事件も当然ながら現日本共産党指導部が責任を負わなければならない。いままで日本共産党はこの時代の事実を隠したことはない。分裂時代の責任がないといったこともない。これが宮本書記長(→委員長→議長)時代だ。この時代には暫定党史が書かれていた。これが出なくなったのが不破がトップになって以後だ。不破の近著をみればデタラメである。不破恣意史観である。


 端折って書く。白鳥事件。この事件が起ったとき私は幼稚園児だった。志位も山下もまだ生まれていなかった。党中央委員の過半数は生まれていなかった。党准中央委員の全員が生まれていなかった。それでも91年党史の正当を云うなら、現指導部に責任がある。野坂を除名したのもその時の指導部だった。


 しかし現指導部は白鳥事件の検証はやらないだろう。と云うより出来ないのだ。私はこれを全面的に支持する。理由は2つある。そのひとつはとっくに時効を過ぎていることだ。事件後すでに 60年経っている (だから私は野坂除名に反対だった)。検証できない。個人ではやってもよい。何冊か本が出ている。然しこれは個人著作だ。いずれも労作である。私は一冊を除いて読んでいる。しかし仮説であることもまた事実だ。その点では 50 年前の松本清張の「労作」と変わらない。党組織として検証することは無理である。

 もうひとつ。事件は党的には未解決だが、社会的には全て解決している。何の問題も残されていない。再審請求も村上の死亡をもって消滅している。つまり村上は有罪判決を受けて下獄し、刑期半ばで仮出所して死亡した。この判決と懲役を覆す事実は出ていない。

 従ってこの2点をもって、事件は日本共産党現指導部の検証の埒外にあると私は思う。


 最後に。日本共産党が今からでも白鳥警部の子孫に詫びるべきだという意見がある。これについては検証が無理なのだから、そもそも問題にならないが、仮に時代が至近で検証可能であっても、即謝罪とはならないだろう。私はすでに大半を忘れているが、山田清三郎の小説には白鳥の疑惑の数々が書かれていた。「見よ、天誅下る」 に相当する部分が白鳥にあったということだ。もちろんだから殺害してもよいとはならない。然し謝罪などは双方の感情が絡む。「日共捕まえて全員絞首台に送ってやるワ」 と公言していたそうだ。そういうことも含めて、白鳥事件は過去の歴史となっている。


 以上、思いつくままに書いてきた。最後に。太宰治ファンさんを下敷きにして書いたが、彼を批判する文脈ではなかったと確信している。そういう風に受け取られる所があるとすれば、私の筆の未熟である。彼に感謝して私の白鳥事件論を終えたい。
  1. 2018/12/25(火) 04:07:04|
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