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古本屋通信

事故の結末

古本屋通信   No 3679    2018年  11月30日


    事故の結末

 マアこういう真相だったとしても、私はこれまで書いたことを訂正する必要をまったく感じない。この自治会は完璧にデッチ上げである。一言だけ言おう。今回のビラ騒動ひとつとっても、たぶん自治会民主主義に則ったマトモな解決は不可能だろう。それは自治会民主主義が機能していないから。全員加盟制の学生自治会には長い歴史がある。1960年代後半の全共闘運動の中で一時的に死にそうになったが、そのご息を吹き返した。自治会民主主義は戦後学生運動の叡智の賜物だった。こういうニセ自治会は統一教会以下である。統一教会は民青やトロと互角に、同じ土俵で戦っていたゾ。

6. 元東C
2018年11月30日 13:58
何玏氏が抜けた後も自治会執行部は一応存在していました。というのも、トップがいなくても組織としては存続可能なように、12年に旧来の執行部たる常任委員会を解体して理事(閣僚)・事務局員(職員官僚)という役職を設置したのです。これと時給1,000円の活動保証費を合わせれば、手近なバイトとして釣られてくる人(私もそのような人間の一人でした)によって、組織としては成立するようになります。これは「このままの組織では自治会が潰れる」と考えた何玏氏をはじめとする当時の執行部による設計の賜物でした。古本屋通信の管理人殿は度肝を抜かれたことかと思いますが、これは実よりも名を取った結果でありました。
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  1. 2018/11/30(金) 18:18:17|
  2. 未分類

紀子(きこ)ちゃん、よくやった

古本屋通信   No 3678    2018年  11月30日


  紀子(きこ)ちゃん、よくやった。ヤッパ男は女房次第だな




さくらでぶ‏ @sakuradebu123
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返信先: @sakuradebu123さん、@shiikazuoさん
秋篠宮さまが30日
紀子さまと記者会見

天皇の代替わりに伴う
皇室行事「大嘗祭」
「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」

政府は公費を支出するべきではない
との考えを示した
宮内庁長官らに伝えたが「聞く耳を持たなかった」「非常に残念なことだった」




  古本屋通信

 秋篠宮に政治的発言をさせることの当否はおいて、たったこれだけのことを言うのも、紀子(きこ)ちゃんの口添えがあったからだろう。まあこのさい秋篠宮の悪口は書くまい。紀子(きこ)ちゃんの亭主だからな。

 秋篠宮は髭をそり落として、少しは見られる外貌になった。娘婿を大事にしてやれよな。

 紀子(きこ)ちゃんだけど、このさい彼女の実家が池上惇(京大のマル経学者で財政学、たぶん日本共産党員)と縁戚関係にある事を確認しておこう。



soc********さん  2017/8/15 20:55:41
文仁親王妃紀子氏の親戚に池上惇京都大学名誉教授がいますが、この方は共産党員ですか。
chi********さん  2017/8/19 13:03:37
彼の財政学の講義を受けていましたが、一度もマルクス経済学や共産思想からのアプローチはなかったです。温厚な紳士といった感じでしたね。



池上惇の単著  これがマル経でないと?
『国家独占資本主義論』(有斐閣、1965年)
『日本の国家独占資本主義』(汐文社、1968年)
『現代日本資本主義の基本構造』(汐文社、1972年)
『現代資本主義財政論』(有斐閣、1974年)
『現代資本主義経済の基礎理論』(世界思想社、1974年)
『財政危機と住民自治』(青木書店、1976年)
『国家独占資本主義論争』(青木書店、1977年)
『アメリカ資本主義の経済と財政』(大月書店、1978年)
『地方財政論』(同文館、1979年)
『現代国家論』(青木書店、1980年)
『日本経済論』(同文館、1981年)
『民主主義日本の憲章』(大月書店[科学全書7]、1983年)
『地域づくりの教育論』(青木書店、1983年)
『管理経済論』(有斐閣、1984年)
『減税と地域福祉の論理』(三嶺書房、1984年)
『情報化社会の政治経済学』(昭和堂、1985年)
『人間発達史観』(青木書店、1987年)
『財政学――現代財政システムの総合的解明』(岩波書店、1990年)
『文化経済学のすすめ』(丸善[丸善ライブラリー]、1991年)
『生活の芸術化――ラスキン、モリスと現代』(丸善[丸善ライブラリー]、1993年)
『財政思想史』(有斐閣、1994年)
『情報社会の文化経済学』(丸善[丸善ライブラリー]、1996年)
『文化と固有価値の経済学』(岩波書店、2003年)
『勇気を出して人生を創ろう―昭和1ケタ生まれの教育人生』(地人舎、2010年)
『文化と固有価値のまちづくり――人間復興と地域再生のために』(水曜社、2012年)
『文化資本論入門』(京都大学学術出版会、2017年)



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志位和夫‏認証済みアカウント @shiikazuo · 3時間3時間前
「天皇の『代替わり』にともなう儀式に関する申し入れ」
「大嘗祭」は天皇が神と一体になり民を支配していく権威を身につける儀式として古来から位置づけられてきたものです。事実上の国家的行事として多額の公費をつぎ込むやり方は、憲法に明らかに反しています




 天皇の「代替わり」にともなう儀式に関する申し入れ
 2018年3月22日   日本共産党中央委員会
 天皇の「代替わり」にともなう2019年の一連の儀式について、政府の式典準備委員会が基本方針をまとめようとしています。

 昨年、天皇退位特例法の制定を前に、衆参両院議長は、国会を構成する全ての政党会派の意見を聴取し、立法府としての対応を議論する機会をつくりました。これは、天皇退位の問題を党派的な争いにせず、できるかぎり各党の合意を得て対応をとりまとめようとする積極的なとりくみでした。

 「代替わり」にともなう儀式についても、政府が閣議決定等で一方的に決定するのではなく、国会や各党の主張・見解にも耳を傾け、できるかぎり各党間の合意を得るとともに、国民が合意できる内容にする努力がはかられるべきと考えます。

 日本共産党は、日本国憲法の全条項をまもる立場から、天皇の「代替わり」にともなう一連の儀式にあたっても、日本国憲法の原則――とくに国民主権と政教分離の原則を厳格にまもることが大切であると考え、以下の提案を行います。

 わが党の提案は、天皇制反対の立場ではなく、憲法の原則にふさわしい行事にすべきという立場からのものです。

(1)

 新たな天皇の即位にあたって、政府は1989年から90年にかけて行われた「平成の代替わり」の儀式を踏襲するとしています。ここには日本国憲法にてらして重大な問題があります。

 それは前回の儀式が、明治憲法下の絶対主義的天皇制のもとで公布された旧皇室典範と登極令を踏襲したものであったということです。

 旧皇室典範(1889年=明治22年制定)は、「践祚(せんそ)即位」の章で、「天皇崩ずるときは皇嗣(こうし)即ち践祚し、祖宗の神器を承(う)く」として、「践祚即位」と「三種の神器」の承継が一体のものとされました。

 登極令(1909年=明治42年)は、明治天皇が死去する3年前に、明治政府が天皇の「代替わり」を想定して、天皇主権と国家神道にもとづいて「践祚」(皇位継承)、「改元」、「即位礼」、「大嘗祭」など儀式のあり方を定めたものでした。

 いずれも、天皇神格化と国家神道を徹底する立場から、明治期につくられたものです。そして、いずれも、現行憲法のもとで廃止・失効しているものです。政府は、前回の「代替わり」の儀式について、「憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したもの」と説明しましたが、実際に行われた儀式は、国民主権と政教分離という憲法の原則に反するものとなりました。またそれは、明治期につくられたものであり、「皇室の伝統」とも言えないものでした。

 今回の天皇の「代替わり」にさいして、このような儀式を繰り返すべきではありません。儀式のあり方を、現行憲法の精神に即して、全体として見直すべきです。

(2)

 とりわけ、前回の「代替わり」で行われた以下の国事行為や儀式は、明らかに日本国憲法の原則――国民主権と政教分離の原則に反するものであり、根本的な見直しが必要だと考えます。

〇「剣璽等承継の儀」(国事行為として行われた)は、登極令にあった「剣璽渡御(とぎょ)の儀」を、ほぼそのまま再現し、皇位のあかしとされる「三種の神器」を構成する剣・璽(勾玉)と、「国璽」・「御璽」を、新しい天皇に引き継ぐ儀式として行われました。「三種の神器」は、『古事記』や『日本書記』にのべられた神話で、天照大神が孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に、地上を統治せよと命じて高天原から下ろしたさいに授けたとされるものです。

 現行憲法は、天皇の地位について、「主権の存する国民の総意に基づく」としています。天皇の地位は、主権者国民の総意にもとづくものであり、「三種の神器」の「承継」をもって天皇の「代替わり」のあかしとする儀式を国事行為として行うことは、憲法の国民主権の原則と両立しません。また、きわめて宗教色の濃いこうした儀式を国事行為として行うことは、憲法の政教分離の原則とも相いれません。

 それは、日本国憲法のもとで制定された現在の皇室典範では、「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」(第4条)とだけのべられ、旧典範にあった「三種の神器」を受け継ぐことを意味する「践祚」という言葉も、「神器」という用語も、ともに削除されたことにも示されています。

「三種の神器」を、天皇家が家宝として大切にあつかい、代々受け継いでいくことを否定するものではありませんが、それは天皇家の私的行為として行うべきであり、国事行為とすべきではありません。

 前回の「剣璽等承継の儀」では、皇族の出席者は男性皇族だけとされ、新皇后を含めて、女性皇族は排除されました。こういう問題が生じたのは、登極令で「剣璽渡御の儀」の出席者を皇太子、皇太孫、親王などの皇位継承権を持つ男性皇族に限定し、それを踏襲したからにほかなりません。ここにも「剣璽等承継の儀」を国事行為とすることの矛盾、時代錯誤があらわれていることを、指摘しなければなりません。

〇「即位後朝見の儀」(国事行為として行われた)は、即位した新天皇が、即位後初めて公式に三権の長など国民を代表する人びとと会う儀式とされています。

 しかし、「朝見」とは、臣下(家来)が宮中に参上して天子に拝謁することを意味します。実際の儀式のあり方も、天皇の「お言葉」に対して、首相が、「最善の努力を尽くすことをお誓い申し上げます」と「奉答文」を読み上げるなど、憲法の国民主権の原則にそぐわない内容となりました。

 こうした儀式を国事行為として繰り返すべきではありません。

〇国事行為として行われた「即位の礼」の一連の儀式のなかでも、とくに「即位礼正殿の儀」は、大きな問題があります。

 前回の「即位礼正殿の儀」は、即位を公に宣明するとともに内外の代表が即位を祝う儀式として行われました。「神話」にもとづいてつくられた、神によって天皇の地位が与えられたことを示す「高御座」(たかみくら)と呼ばれる玉座から天皇が言葉をのべ、その下から内閣総理大臣が祝いの言葉をのべて万歳三唱が行われました。

 しかも、「即位の礼」は、徹頭徹尾、神道行事である「大嘗祭」と一体に行われました。昭和天皇の死去から1年10カ月も経ってから「即位の礼」と「大嘗祭」が続けて行われたことにも、これらが一体不可分であることが示されています。こうした時期に行われたことは、登極令で、「大嘗祭」は、秋冬の間に「即位の礼」に続けて行うという規定にのっとったものとしか説明がつきません。そのために、天皇の即位から「即位の礼」まで長い期間をあけるというきわめて不自然・不合理なものとなっているのです。

 こうした儀式は、憲法の国民主権、政教分離の原則とは両立せず、国事行為にふさわしくありません。

〇「大嘗祭」そのものについていえば、天皇が神と一体になり、そのことによって民を支配していく権威を身につける儀式として古来より位置づけられてきたものです。

 前回は、宗教上の儀式と見られることなどから「国事行為として行うことは困難」(1989年12月21日、閣議口頭了解)とはされましたが、事実上の国家的行事として多額の公費(宮廷費)がつぎ込まれました。こうしたあり方は、国民主権の原則にも、政教分離の原則にも明らかに反しています。

 天皇の「代替わり」にともなう儀式は、憲法にもとづく国民主権と政教分離の原則にかなった新しいやり方をつくりだすべきです。

(3)

 天皇の「代替わり」にともなう儀式の問題は、国家機関である天皇の即位にかかわる重要な問題であり、「国権の最高機関」としての国会を構成する全ての政党会派による十分な議論の機会がもたれるべきです。

 この点で、「平成の代替わり」と今回の「代替わり」は、条件が大きく異なっています。「平成の代替わり」の際には、昭和天皇の病状などを理由に、国会議員への説明や答弁が事実上拒否されました。その結果、国会をふくめ、「代替わり」をめぐる開かれた議論はいっさいおこなわれないまま、政府内での秘密裡の検討によって一連の儀式が決定されました。登極令にそった「剣璽等承継の儀」や「即位後朝見の儀」の内容が明らかになったのは、昭和天皇が死去した直後でした。

 今回は前回とは事情が異なり、昨年成立した天皇退位特例法の施行としておこなわれるものであり、退位・即位までには1年以上の十分な時間があり、その間、現行憲法にふさわしい天皇即位のあり方を国民的に議論できる条件があります。

 憲法にのっとった儀式はどうあるべきなのかについて、国会の全ての政党会派の意見を反映し、国民的な議論により合意を形成する努力を行うことを強く求めます。



 天皇の「代替わり」儀式等についての衆参両院議長にたいする申し入れ
 2018年3月22日   日本共産党国会議員団
 今回の天皇の「代替わり」は、昨年成立した天皇退位特例法の施行としておこなわれるものです。

 天皇退位特例法は、衆参両院議長のもとで国会を構成するすべての政党会派の代表が参加する会議での議論と意見の「とりまとめ」をふまえて、内閣が提案し国会審議を経て成立しました。

 私たちは、天皇退位の議論にあたって、現行憲法の「象徴」たる天皇の退位をはじめて立法化するものであり、広く国民的議論をふまえ、国民主権を原則とする憲法の規定に適合するものとすべきだとの考えを表明しました。

 両院議長の「とりまとめ」においても、日本国憲法を基本として、国民の理解を得てすすめることが明記されているところです。

 したがって、「代替わり」の進め方、儀式等については、内閣が一方的に決定するのではなく、国民の代表である国会の全ての政党会派の意見を反映し、国民的な議論による合意を形成して行うべきだと考えます。

なお、日本共産党は、政府に対して、天皇の「代替わり」にともなう一連の儀式に関する申し入れをおこなうこととしています。

 両院議長におかれては、「代替わり」の進め方・儀式等についての全党会派による議論の場をつくるため、ご尽力されるよう要請いたします。
  1. 2018/11/30(金) 12:12:22|
  2. 未分類

トンデモ東大教養学部学生自治会

古本屋通信   No 3677    2018年  11月29日

   トンデモ東大教養学部学生自治会

冒頭 ブサヨ管理人様が追加されているので一言。東大教養であれ何処であれ、自治会再建などそんなに容易に出来るものではありません。もし新しい執行部が誕生できるとするなら、新執行部は過去の執行部の正負の遺産の上に、それを総括して継承しなければならない。それは先ず形式上、旧自治会規約を受け継ぎ、また改正する事から始まるでしょう。自称「東京大学教養学部学生自治会」のHPの文言をごらんください。何から何まで出鱈目ですよ。理事会ひとつとっても学生自治会にありえない組織、というよりありえない概念です。こんな学生自治会は日本に初めてだと思います。そうでしょう? それに、文言ひとつとっても異常な臭いです。カルトそのものです。つまり大学で自主活動に携わる学生の柔軟性がない。これは無党派のカロク執行部にもあった柔軟性です。カロク氏は古本屋通信にも投稿していました。まさに無党派リベラルでしたよ。私はこのビラは自作自演だと見ています。ビラは民青でも中核派でもないでしょう。読まなくてもそう思います。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 これはブサヨ管理人様の板自体がトンデモ甘い。板が無効です。KM生様でさえも甘い。私はビラなど拡大して読みません。どっちでも宜しい。問題なのは東京大学教養学部学生自治会。そのHP。これノンポリでさえないですよ。私は二度と訪問しようとは思いません。完全な謀略組織でしょう。私が書いた文を貼っておきます。
(東京大学教養学部に学生自治会があると言うので、導かれて其のHPを訪問した。アッタ、アッタ、なんと学生自治会に理事会がアッタ。スゲエ学生自治会だった。もちろん委員長名も執行部員名も無かった。規約も何も従来の駒場C自治会規約の跡形もない。偽物のデッチアゲだと気づくのに10秒とかからなかった。でも全く学生運動の経験のない今の人は本物の学生自治会だと誤認するだろう。マイッタな。統一教会だろう。それとも新手の右翼か。5チャン投稿者も一味だろ)




1. KM生@管理人様
2018年11月29日 14:42
1) ビラを見ると、(広島大学や京都大学の例が挙げられているので)中核派の臭いがします。民青が幾ら何でも中核派を持上げるビラは書かないでせう。腐っても彼等なりのプライドがありますから。

2) ところで、現在東京大学教養学部学生自治会執行部は存在するんですか?「12年のカロク委員長時代に民青全学連を脱退して以後はノンポリ学生が担っていたが、結局執行部不在になった」と聞かされていたのです。とすれば、「ビラの出所を調査中」という執行部を名乗る学生の存在自体も胡散臭いです(執行部を僭称しているとか)。

3) 現在の中核派全学連委員長だって(東大教養学部2年)、果して「教養学部学生自治会を代表して選出された」のか?(第一教養学部学生自治会自体たとえ存在したとしても)中核派全学連には加盟していないはずなのに、そこから「中核派全学連委員長を選出する」などということは、全学連委員長の正当性にすら疑問が投げかけられます (コレは古本屋もブサヨ管理人様も同意)

4) 以上いわば「混沌とした東大教養学部学生自治会執行部の現状」の中から、上記ビラも出現したのでせう。ま何れのセクトも、東大生を捉えることは無理でせうな(^^)。




  古本屋通信

 実は古本屋通信を語る5チャンネルに低脳から投稿がありまして、それに案内されて「東京大学教養学部学生自治会」を詐称するHPに到着したのですが、それを辿って行くと以下がありました。これはもう語る必要はないでしょう。


   (以下、省略)
  1. 2018/11/29(木) 18:50:15|
  2. 未分類

おかやま民青さんが感心しない

古本屋通信   No 3676    2018年  11月29日


   どうも、おかやま民青さんが感心しない

 古本屋の私の店におかやま民青の学生さん(岡大生)が来てくれたこともあって、私はおかやま民青さんを応援したい気持ちは強い。だから毎日ツイターを訪問している。だがリツイートばかりが目について、自前の発信が少ない。リツイートが何でも駄目だとは言わないが、下のさっぽろ青年ユニオンのコンビニ批判のリツイートには違和感を持った。遠く北海道の地域限定のコンビニ批判なら、いちいち反論しようとも思わない。だがそれを岡山の民青さんがリツイートしたら、コンビニとは全てそういう働かせ方をしていることになるだろう。そうではないとは断言しない。だが私の知る岡山のコンビニに関する限り、そういう見方は極めて一面的だと思う。

 下にさっぽろ青年ユニオン の見解に焦点を当てて自論を述べるが、敢て私の立場を明らかにしておこう。私は零細企業たるコンビニのフランチャイズ店の立場に立って書くことにする。そう、全国に林立するコンビニは、独占資本たるセブンイレブンや、ファミリーストアーや、ローソンや、ポプラや、サークルKサンクス、その元締めではありません。そのフランチャイズの個人経営の一店舗なのです。ここを間違えるから、コンビニをブラック企業だと云う、トンデモ議論が噴出するのです。まあ働かせ方に問題はありましょうが、独占資本の搾取収奪の文脈で語る過ちは、最初に指摘しておきましょう。




おかやま民青さんがリツイート
コンビニなう‏ @UPCSWAGE · 11月28日
さっぽろ青年ユニオンのホームページに、コンビニなうの「自腹買取ゼロ」キャンペーンが紹介されています!
是非ご覧ください✨

#コンビニ #最低賃金 #さっぽろ青年ユニオン #自腹買取ゼロ

コンビニ自腹買取ゼロ!キャンペーン
私たちさっぽろ青年ユニオンでは、若者の労働環境の改善に取り組んでいます。コンビニエンスストアは、学生をはじめとした非正規ではたらく若者のバイト先の代表ともいえますが、近年アルバイトへの罰金、季節商品のノルマや買い取りなどが問題になっています。また、賃金は最低賃金に張り付いています。

この間の調査結果では、ほとんどの店舗が最低賃金ギリギリの時給で、自社商品の買い取りやレジの金額が合わない時に自腹で清算しなければいけないといった違法行為もありました。過剰な負荷やクレーム対応などの実態もあります。

現在、さっぽろ青年ユニオンは、「自腹買取ゼロ!」キャンペーンを実施しています。季節商品の自腹買い取りに悩んでいるコンビニ店員のみなさんは、ぜひさっぽろ青年ユニオンにご相談ください。コンビニで働いた経験のあるユニオンメンバーが相談に乗ります。相談方法は、メール、ライン、電話、面談など相談者の状況に合わせます。
年末にかけて季節商品の買い取りが増える時期です。一緒に労働環境を改善しましょう。




   古本屋通信

  抽象論は避けて私の知るコンビニに就いて書く。私の自宅から古本屋の店までの約2キロ、その周辺も含めてコンビニは7店舗ある。セブン3、ファミスト2、ポプラ1、ローソン1。知るかぎり全て個人経営の店である。私は全て利用しているが、集中的に使っているのはファミスト清心女子大前店である。この店は最近サークルKサンクスから名前を変えたが、同系列だそう。店の経営者は Tさんという。もう 20年間、この場所でコンビニを経営している。

 Tさんの店は潰れないで持続してきたが、私が上に挙げた7店舗のエリアにかつて存在し今は存在しないコンビニは20店舗ある。すべて潰れたのである。1年持たなかった店もある。持続していても経営者が変わった店もある。

 以下は私が20年近く通っている清心女子大前店。一人の客として以外にあるとすれば、店の看板娘が3年間パートで働いたこと。経営者のTさんの自宅に古本を買いに行ったこと。この2点だけである。

 この店は清心女子大の前だが、学生は昼休み以外は殆ど来ない。売り上げの学生が占める割合は1パーセント以下。また最近大学生の店員はいない。ゼロである。私は4交代のパート労働者全員の顔を知っている。年齢は若くて30歳前後、中年以後の主婦が多い。最近メンバーの入れ替わりはない。

 コンビニの成否は主要には店員の成否である。商品の差別化は殆どない。それが私の見方である。その点でこの店は成功している。ただ、最初から成功していた訳ではない。学生バイトを使わなくなって成功した。学生は駄目である。これは他のコンビニでも同様である。若いほどよくない。定着率が悪い以前に、使いものにならないのだ。礼儀も知らない。

 極端だが、コンビニ界隈で公然と語られている事実。万引き倒産。不良学生を雇用した途端に会計が合わない。それもそのはず、バイトの学生の仲間が大量の商品を持ち帰る。これは万引きでさえないだろう。上記の店が自腹を切らせるのは当然かと。牽制と、懲罰暗示の意味からも必須かと。

  少々の誤差で自腹を切らしたり懲戒解雇にする事は有り得ない。勘で一発でわかるが、証拠を見つけて摘発するには困難が生じる。さっぽろ青年ユニオンさん、どうお考えでしょうか? 私の生活圏の倒産した20店舗の多くは万引き倒産なんですよ。責任、とれますか? 今の民青は余りにもアホなんよ。バランス感覚の欠如。だから大会をやっても、こういうデタラメな報告しか出来ないのです。


 あと決定的なのは不法駐車による倒産。これは苦労したらしいが最近はゼロ。たぶん秘密兵器がある? それと店の前での飲み食い。これはある程度は仕方がないが、要は雰囲気の問題。

 7,8年前に、浮浪者とも、タカリとも、酔っ払いとも、シャブ漬けとも分からぬ男あり。こういうのは何処の店にもやって来る。パチンコ屋でも同じだが、対応は難しいだろう。それから中年女の客引きならぬ挑発女あり。私でさえも誘われた。こういうのも難物だろう。

 以上、さっぽろ青年ユニオン への個別の反論にならなかったのは、余りにも勝手な学生サイドに立った議論であるから。
  1. 2018/11/29(木) 16:03:27|
  2. 未分類

同じ共産党の市議でもココまで違う

古本屋通信   No 3675    2018年  11月29日

 言いたくはないけど、同じ共産党の市議でも、岡山と福山ではココまで違う説得力


 日本共産党岡山市議  東つよし @Tsuyoshi_Azuma
昨日国会中継を見ていた人から「国会はどうなってるんだ」と怒りの電話をもらいました。今朝の宣伝では、成立を許さず廃案にしようとうったえました。 自公維、入管法案 採決強行 衆院本会議/外国人労働者を雇用の調整弁に/6野党・会派、暴挙に徹底抗議  20:15 - 2018年11月28日

自公維、入管法案 採決強行 衆院本会議/外国人労働者を雇用の調整弁に/6野党・会派、暴挙に徹底抗議|   しんぶん赤旗
自民、公明、維新の3党は27日、外国人労働者の受け入れを拡大する出入国管理法改定案を衆院法務委員会で採決したのに続き、同日夜の本会議に緊急上程し採決を強行しました。法案の問題が噴出、拙速審議への批判が





2018年 11月 28日  日本共産党福山市議  河村ひろ子
また強行採決! 自民党・公明党・維新の党がまた国会の委員会と衆議院本会議で強行採決!!
中継をみましたが、あまりにも酷い
外国人労働者の受け入れを拡大する「出入国管理法改定案」
いま日本では、外国人労働者の人権を侵害する働かせ方が次々と明らかになっています
パワハラや、過酷な動労、給与もろくろく支払ってもらえないなど
あまりにも厳しい環境で、失踪する外国人労働者も多いなど、深刻です
しかも、政府は失踪した技能実習生の法務省の聞き取り調査データまで偽装したのです
失踪したのは、外国人実習生のわがままであると印象づけるようかのように・・・
国は外国人技能実習制度など、抜本的な見直しもせず、むしろ、温存拡大をするうことを狙っています
外国人労働者を「使い捨て」にしてきた日本のあり方を根本的に変えなくてはならない
この問題は働き方の問題であると同時に、人権問題でもある
私もときどき、外国の方と思われる人を見かけます
自転車や徒歩などで会社に向かう姿
土手で食べられる草木をとったりしている姿
きっと苦しい生活をされているのだろう、と姿を見るたびに思います
国会では十分な審議がされず、ある国会議員は「審議をすればするほどボロが出る」という発言もしたぐらい
それなのに強行採決するとは!
何でもかんでも強行採決するしかできない安倍政権
「政権はすでに末期状態だ」と友人が話していました
安倍政権NO!
7月の参議院議員選挙に向けて、日本共産党は頑張ります!
みなさん、応援をよろしく願いしま~す!
# by kawamura0827 | 2018-11-28 19:50





  古本屋通信

 これは東クンの名誉のために言っとくが、個人的な資質の違いじゃあない。断固そうでありません。共産党議員としての鍛え方の違いだ。

 岡山市議団には、内部に対立を孕みながら、ロクに勉強もしないで当選を重ねてきた悪しき伝統がある。一例を挙げれば、私が耐え切れなくなって支持を横田悦子に変えた崎本とし子の例がある。いま彼女のブログを見ても明らかだが、まさに無茶苦茶だった。田畑さんも批判しなかった。だから自分が一人前の市議だと信じきっていた。そういう悪しき伝統の上に、今の岡山市議団はある。だから東君は、自分のツイッターが説得力が無いなんて考えていないだろう。

 河村さんは特別な経歴の党員ではない。資質も東君と変わるまい。違うのは研究心である。それと彼女は市議会を自分のたたかいの主要なフィールドと捉えている。消化試合の岡山市議団とは根本的に違う。福山市議団の相互点検は厳しい。容赦なく相互批判もする。だから傍聴に耐え得る議会質問がある。これは4人の市議とも変わらない。

  岡山市議団は相互批判がない。例えば私は田中さんの「自然災害論」を批判した。決定的誤謬だった。でも皆さん放置したでしょう。これじゃあいつまで経っても失格市議団だ。

 河村さんの記事を見ても分かるが、一定の政治問題について自分の見解を表明するには、一定の長さは必要である。東クンのツイッターは短すぎる。林クンのブログも短すぎる。竹永さんや田中さんのFBは何処にも見つからない。河田さんは半年以上も更新していない。全員失格である。それでも次期市議選は、新人の菅原さんを含めて、5人全員当選確実だそうな。だったら良い記事を書こうなんて思わないよなあ。戦う前から負けているんだ、分かるかなあ。
  1. 2018/11/29(木) 10:00:33|
  2. 未分類

京美さん、県党書記長なんだから

古本屋通信   No 3675    2018年  11月28日


 垣内京美さん、県党の書記長なんだから、自党の政治方針とまっこう反対の山口二郎をヨイショするのは止めようよ


 予め断っておくけど、私自身は全ての北方領土はロシア領だとの見解だから、返還など不必要だと思っている。でも其れは置いて、県党の書記長がコレではね。この領土問題は、アレはアレ、コレはコって問題じゃあないよ。抜本的な外交の基本政策でしょ。垣内さんは絶対に山口をヨイショしてはいけませんね。あのね、党外人士をリツイートする時は、その人物の最近のツイッターくらい読もうよ。赤旗しか読んでないからトンデモナイことになる。もう勉強不足で無惨です。ちゃんと後処理をしてね。でないと県下の党員は山口を党の盟友だと見做すよ。



垣内 京美さんがリツイート
山口二郎‏ @260yamaguchi · 21 時間21 時間前
日本では、法案は閣議決定した瞬間にある程度の時間の後に成立することが常態化した。二院制ではなく、ゼロ院制である。政府にとって国会の存在意義とは、首班指名をすることだけ。いっそのこと、立法過程の現実に合わせて、首班指名の後は国会を休会にしたらどうか。そこまでしないと国民は目覚めない



  古本屋通信
 この山口の発言も無茶だから、批判返信が一杯付いてる。それは後で読んでね。それは別にして下の、志位さんの見解(2島返還で平和条約を結ぶことは絶対にやってはならない)は明らかですね。その下に賛否両論を貼っておきました。貴女はいずれに賛成なんですか? 天木直人さんの意見なんですね。そうなりますよ。准中央委員ですから査問が待っています。どうしてこういうことになるか分かります? 口は災いのもとなんです。とりわけ外交問題は党中央の専決事項ですから、地方の幹部は慎重であるべきです。黙っていらっしゃい。




 「2島返還で平和条約」は絶対やってはならない 
 2018年11月16日(金)
  赤旗
 日ロ首脳会談 志位委員長が会見
 日本共産党の志位和夫委員長は15日、国会内で記者会見し、安倍晋三首相が14日のシンガポールでのロシアのプーチン大統領との会談後に「日ソ共同宣言を基礎に平和条約締結交渉を加速させることで一致した」と述べたことについて、「会談の中身が分からず発言に即したコメントは難しい」とした上で、「少なくとも2点は強調しておきたい」として、日ロ領土問題に対する日本共産党の基本的立場を述べました。

 第一は、「歯舞群島と色丹島は北海道の一部なので『2島先行返還』はありうることだが、その場合は、中間的な条約と結びつけて処理することとし、平和条約は領土問題が最終的な解決に至った段階で締結すべきだ」ということです。志位氏は、。ここが肝心なところだ。平和条約は結んだら国境線の画定となる。それ以上の領土返還交渉の道は閉ざされる。歴代日本政府の立場の自己否定となり、ロシア側の主張への全面屈服になる」と強調しました。

 第二に、志位氏は、60年以上にわたり日ロ領土問題が前進しなかったのは、「国後島・択捉島は千島にあらず。だから返還せよ」という日本政府の主張が「歴史的事実に照らしても国際法的にも通用しない主張だったことにある」と指摘し、「このことを正面から認め、領土交渉の方針の抜本的な再検討をすべきだ」と強調しました。

 そして「日ロ領土問題の根本は、『領土不拡大』という第2次世界大戦の戦後処理の大原則を踏みにじって、『ヤルタ協定』で『千島列島の引き渡し』を決め、それに拘束されてサンフランシスコ平和条約で『千島列島の放棄』を宣言したことにある。この戦後処理の不公正をただし、全千島列島の返還を正面から求める交渉を行ってこそ、解決の道が開かれる」と語りました。




 私が安倍首相なら二島先行返還を決行する(山口二郎の慧眼)
 2018-11-19  天木直人のブログ
 多くの国民が二島先行返還を支持していることが毎日新聞の世論調査で分かった。
 支持の背景にある世論の考えは、おそらく次のようなものに違いない。
 戦後70年もたって、いまさら四島返還の原則の固執するのは右翼、愛国主義者のこだわりだ。
 ただでさえ人口減少、高齢化で日本全体が限界集落化しつつあるのに、北方領土まで手が回るのか。
 財政赤字でそれどころではないだろう。
 四島返還という原則論にこだわるより、二島でもいいからはやく決着させ、ロシアとの間に平和友好条約を締結して友好関係を進め、安全の確保と共同経済開発を始めた方がよほど日本にとってプラスになる。
 実は、この考えは、きのう11月18日の東京新聞「本音のコラム」で、山口二郎法政大学教授が書いていた事だ。
 私もその通りだと思う。
 世論の不支持率を恐れる安倍首相だが、二島先行返還だけは世論も賛成してくれている。
 私が安倍首相なら二島先行返還の実現に全力を注ぐだろう(了)




 四島返還を不毛なナショナリズムだと貶める山口二郎の売国言説    世に倦む日日
c0315619_14442812.jpg山口二郎が18日の東京新聞のコラムに北方領土問題について書いている。「私は、四島一括返還という従来の方針には懐疑的だった」と言い、さらに「『未解決の領土問題』は、実体的な国益にかかわるものではなく、国民の間にナショナリズムを高めるための便利な道具である」と言っている。山口二郎によれば、四島返還を求めることは不毛なナショナリズムであり、政治家が国民の期待に応えてロシアに四島返還を求めることは、ナショナリズムを煽って操る愚劣な政策であるらしい。そして、「安倍首相が、この便利な道具を放棄し、現実的、合理的に国境線の画定を行うというのは、一つの見識である」と言い、四島返還を放棄して二島返還に舵を切った安倍晋三の今回の「決断」を高く評価してやっている。山口二郎の見解では、根室海峡に斜めUの字の湾曲した国境線を引くことが、現実的で合理的な問題解決のあり方となる。山口二郎が従来から四島返還に懐疑的で、二島手打ちを支持している立場だとは知らなかった。山口二郎の過去の北方領土論を発掘して検証する必要があるだろう。このコラムの発言と矛盾する証拠が発見され、山口二郎の無責任さが露呈するに違いない。

c0315619_14491953.jpg「国民」的なものを全否定する90年代以降の脱構築主義の風潮と、吉田茂が国後・択捉を放棄した戦後史を概説した孫崎享の著書の影響で、左翼リベラルの方面では二島返還論がすっかり主流として定着し、四島返還論は不毛なナショナリズムの主張という位置づけになった。従来は標準的で常識的だった四島返還論が陥没した。ここには、18日のサンデーモーニングでも論じられたような、ナショナリズムという言葉を一方的に貶価し、ネガティブな意味に定義づける言語の操作も関係している。また、外国の侵略によって失地した領土を回復しようという国民の意思や運動が、そもそも無意味なことで、社会的に悪性のものだと決めつける価値観の介在もある。もしも、こうした価値観が正当化されるなら、クリミアを取り戻そうとするウクライナ国民の努力は、歪んだナショナリズムの妄動だとして一蹴されるという結論になるだろう。日本の左翼リベラルは、ウクライナへの同情と応援一辺倒だが、山口二郎的な言説に依拠して、領土要求は無意味なナショナリズムだから放棄しろと言うのだろうか。半島付け根のペレコープ地峡で主権を線引きしてロシアと妥協するのが、「現実的で合理的」だと言うのだろうか。

c0315619_14493262.jpgポーランドはどうか。先週、独立回復100年を祝う行進が首都ワルシャワであり、第一次大戦終結から100年を記念したパリの行事でのマクロンの演説とバインドされて報道され、ポーランドでEU離脱を求める極右が台頭している状況が懸念されていた。ナショナリズムを否定するマクロンが善として称揚され、ナショナリズムが隆起するポーランドが悪として描かれ、明暗のコントラストで総括される「風をよむ」の特集があった。18世紀後半、ポーランドは大国(露・墺・普)による三度の分割で全領土を失っている。ナポレオン戦争の後、ようやくワルシャワ公国を立てるが、ウィーン体制の反動でロシア帝国領とされ、ポーランド人は再び亡国の民となった。ポーランドの歴史は独立運動の歴史であり、領土侵略の悲劇に泣き続けた歴史である。そのポーランド人を前にして、山口二郎のような皮相的で一面的なナショナリズム否定論を垂れたら、彼らはどんな反応を示すだろうか。ポーランドの歴史はナショナリズムの歴史であると言って過言ではない。ロシアから特に何の威圧も脅威も受けてないのに、ナショナリズムを嫌悪する動機や理由から、自ら領土をロシアに献上して喜んでいる日本人を見て、ポーランド人は何を思うことだろう。

c0315619_14494329.jpgナショナリズムの問題については、また別の機会に論じたいと思う。本来、二面性があり多義的な意味を持ち、複雑な政治学の概念であるナショナリズムを、今の日本人は - 脱構築主義のイデオロギーに教化されたせいで - 否定的な意味でしか一般に語らなくなった。ナショナリズムの概念が歪曲され、「国民」や「国家」の語義が不当視され失墜させられることで、現代の日本人は、自国の近代史のみならず、世界史における各国各民族の営為もまた正しい認識が持てなくなっている。もし、山口二郎的な、脱構築的な、ナショナリズムの誤った偏見が肯定されるならば、韓国が国家のレゾンデートルを定義したところの、韓国憲法の前文などは、真っ先に否定され排斥されなくてはならないだろう。それは韓国を否定するということである。日本の左翼リベラルは、そのような思想的な矛盾と錯誤を持ったままで、平然と政策をあれこれ議論している。矛盾を矛盾として自覚していない。流行現象である脱構築主義の教条と俗説は、国民国家を作ろうとして努力してきた人々の歴史を無価値化する。国民国家を頭から否定し、それを過去のものだと決めつける。韓国憲法は現役の憲法で、前文は現在も生きた神聖な理念なのに。

c0315619_14495422.jpg前回、孫崎享の『日本の国境問題』を読み返し、二島返還論の正当性が導出される戦後外交史の言説と論点を確認した。孫崎享はこう言っている。日ロの国境問題を枠づけている国際法は、ポツダム宣言とサンフランシスコ条約の二つであり、ポツダム宣言が「日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られ」ると規定し、サンフランシスコ条約で日本が千島列島を放棄している以上、また、それを吉田茂の演説や外務官僚の答弁で追認している以上、日本には国後・択捉を要求する権利はないのだと。この主張に対しては前回の記事で反論を試みたが、加えて、孫崎享の所論には実は隠されている弱点がある。それは、ヤルタ協定について触れていないことだ。孫崎享は、日ロの国境問題を決定づけているのは、ポツダム宣言とサンフランシスコ条約の二つだと言っている(P.130)。だが、歴史を正確に見れば、ヤルタ協定とポツダム宣言とサンフランシスコ条約の三つであり、ヤルタ協定を捨象することはできない。東郷和彦の方は、枠づける国際法は三つだと正しく指摘していた。孫崎享がヤルタ協定をオミットしたのは、偶然ではなく作為的なもので、ヤルタ協定を視野に入れた途端、二島返還論は脆くも破綻するのである。

c0315619_14501180.jpg二島返還論(=国後・択捉放棄論)の正当性を論理化しようとすると、大西洋憲章とカイロ宣言の原則を破ったヤルタ協定は邪魔なのだ。ヤルタ協定には国際法としての正統性がない。領土変更はしないと定めた大西洋憲章に違反した協定であり、戦争による領土拡張を認めた協定である。ヤルタ協定の不当性が浮かび上がると、千島列島のソ連領有の合法的根拠が失われる。そうなると、ポツダム宣言もサンフランシスコ条約も、前提に深刻な瑕疵のある国際法だという性格づけになる。千島列島放棄の法的意味が揺らぎ、吉田茂がどう言おうが、千島列島の主権の所在は一から白紙で再考すべき問題になる。すなわち、志位和夫が主張しているのは、こういう中身(ヤルタ協定無効論)であり、スターリンの侵略行為を正面から批判する視座で論理が構成されている。日本共産党の北方領土論は、孫崎享や東郷和彦・鈴木宗男らの二島返還論に対する根本的な批判となり、説得力のある言説と言えるだろう。私も、ヤルタ協定懐疑の立場から、ポツダム宣言が日本に与えた主権範囲に違和感を覚えるし、せめて、連合国は、固有の領土である国後・択捉の主権は日本に認めるべきだと考える。その点、国後・択捉を千島列島から切り離して北海道に属せしめた日本政府の後づけの理屈は、苦しく無理な解釈ながらも評価してよい。

c0315619_14502260.jpg一方、いかにも歯切れのよい日本共産党の千島全島返還論だが、実はここにも国際法の法理上の陥穽がある。共産党の北方領土論を簡潔に纏めたサイトがあるので、注意してご確認いただきたい。要点整理の中に何かが欠落している。お気づきだろうか。ポツダム宣言だ。孫崎享がヤルタ協定の存在を周到に隠したように、共産党は都合が悪いのでポツダム宣言を伏せているのである。ポツダム宣言は、「日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られ(る)」と記していて、この中に国後・択捉は含まれない。このポツダム宣言を日本は受諾している。ポツダム宣言を受け入れ、その履行を基礎にして戦後日本が成立している。民主主義も基本的人権も平和主義もそうだ。ポツダム宣言は否定できない。ポツダム宣言を受け入れた国際法上の事実も否定できない。であれば、千島列島全島が日本の主権に含まれるなど強弁できるはずもなく、せいぜい知恵を絞って解釈を工夫し、「北海道」の中に国後・択捉を入れるという曲芸を使うしかない。そこに1855年の下田条約の原点を持ち出し、ソ連の戦争犯罪の歴史問題を加え、国際的に説得力のある論理と物語を構築するしかない。という次第で、共産党が大胆に唱える千島全島主権論も、威勢よく見えて、実は致命的欠陥があるのである。

以上を踏まえて、孫崎享(東郷和彦・鈴木宗男・佐藤優)と共産党の中間線とも言える、従来の四島返還論を私は持論に据えたいし、われわれ戦後の日本人が長く標準とし国論としてきたところの、四島返還論の原則と方針を崩すべきではないと考える。
by yoniumuhibi | 2018-11-21 23:30
  1. 2018/11/28(水) 18:45:19|
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香山リカ

古本屋通信   No 3674    2018年  11月28日


   香山リカ



 香山リカの講演会が、右翼の妨害(示唆)で中止になったそうだ。きょうの赤旗が(15)面で大きく取り上げている。私は右翼ではなく左翼のつもりだが、私でも京都・南丹市役所に抗議に行きたい。ゴロツキ香山に講演させてはならない。

 右であろうと、左であろうと、個人が如何なる言論を発信しようと自由である。だが公共の地方自治体が(場所を提供するだけならまだしも)講演会の主催者になるのはまったく別問題である。自己点検は必須だし、外部からの抗議を含めた様々な声に耳を傾けなければならない。当然のことである。

 香山リカについての一切の批判は省略する。古本屋らしく彼女の単著をコピーしておく。こういうリベラルを装った(本質)右翼ゴロツキは、日本の言論界から放逐せねばならない。

 私は低脳ゴロツキに付き合うほど暇ではないが、この女は嫌韓デモに対するカウンター行動と称して、他人の言論の自由を集団暴力で妨害した輩ではないか。今回はその見返りに桜井らが復讐したのだろう。ザッマミロだ。

 赤旗記事については論外だから批評しない。ただ(15)に「香山リカさんの話」 として、以下の談話が載っているのを評しておこう。

 「抗議なら表現の自由として認められていると思いますが、脅しによって中止に追い込むことは決定的に違います。・・・・」

  あのなあ、市役所に刃物を送りつけてきたんじゃあない。反対の意思を表明して訪問した。それと電話が数件あった。それだけだ。脅迫ではない。抗議にも至らない。香山らの暴力カウンターの百分の一以下である。これが脅しに見えるキチガイ。これだから偽精神科医と呼ばれるのだ。

 私は南丹市当局の英断を断固支持します。香山リカに代わる講演会をやりましょう。講師は杉田水脈さんにしましょう。多少右翼っぽいですが、香山よりはずっと健康的です。何よりも、杉田は右なのに左を装ったりしません。

 ちょっと話は変わります。赤旗(15)の直近に 「差別ツイート市議に辞職勧告」 とあります。青森市議会ですが、こういう決議こそ言論の自由の真っ向からの否定ですね。むかし解同の意向をくんだ大阪の市議会が共産党議員に辞職を迫ったことを思い出しますね。

 いいですか、何を言っても人間は基本自由なんです。杉田水脈の投稿記事に抗議するのはOKだが、香山講演会に文句を言ったら脅しなんて有り得ない。

 以下の香山の本は全部ゴミです。どれ一冊でもよい、読んでみてね。私なら5行で良いんだが、ねんのために3頁読んでみんさい。それでもって箸にも棒にも掛からん本だと思えなかったら、その時点で古本屋通信から離れんさい。いくら読んでも古本屋通信は分からんワ。先日の5チャンネルのアホウと一緒じゃ(東京大学教養学部に自治会があると言うので、導かれて其のHPを訪問した。アッタ、アッタ、なんと学生自治会に理事会がアッタ。スゲエ学生自治会だった。もりろん委員長名も執行部員名も無かった。規約も何も従来の駒場C自治会規約の跡形もない。偽物のデッチアゲだと気づくのに10秒とかからなかった。でも全く学生運動の経験のない今の人は本物の学生自治会だと誤認するだろう。マイッタな。統一教会だろう。それとも新手の右翼か。5チャン投稿者も一味だろ)



 以下が香山リカの単著  常識で分かろう。有り得ない単著の数である。もはや売文業者でさえ無い。詐欺師である。右系出版社だけでなく、岩波からも上梓している。最近30年の岩波の商業主義は醜悪だよ。


『リカちゃんコンプレックス』 太田出版、1991年7月。ISBN 4-87233-030-7。 『リカちゃんコンプレックス』 早川書房〈ハヤカワ文庫 NF〉、1994年9月。ISBN 4-15-050184-X。

『リカちゃんのサイコのお部屋』 扶桑社、1991年11月。ISBN 4-594-00833-X。 『リカちゃんのサイコのお部屋』 筑摩書房〈ちくま文庫 か-22-1〉、1994年12月5日。ISBN 4-480-02915-X。

『ココロのクスリ リカちゃんのサイコのお部屋2』 扶桑社、1992年11月。ISBN 4-594-01063-6。 『ココロのクスリ リカちゃんのサイコのお部屋2』 筑摩書房〈ちくま文庫 か-22-2〉、1996年12月5日。ISBN 4-480-02941-9。

『おかしくってもダイジョーブ!!』 早川書房〈ハヤカワ文庫 NF〉、1994年1月。ISBN 4-15-050174-2。
『自転車旅行主義 真夜中の精神医学』 青土社、1994年2月。ISBN 4-7917-5292-9。 - 参考文献:pp.290-291。 『自転車旅行主義 真夜中の精神医学』 筑摩書房〈ちくま文庫 か-22-3〉、1998年2月24日。ISBN 4-480-03367-X。

『乱読パラダイス』 筑摩書房、1995年5月22日。ISBN 4-480-81373-X。
『テレビゲームと癒し』 岩波書店〈今ここに生きる子ども〉、1996年10月7日。ISBN 4-00-026051-0。
『香山リカのゲーム気分で診てみれば』 アスキー(出版) アスペクト(発売)、1996年11月。ISBN 4-89366-598-7。
『テクノスタルジア 死とメディアの精神医学』 青土社、1996年11月。ISBN 4-7917-5502-2。
『サイコな愛に気をつけて 深層心理の恋愛学』 青春出版社、1997年1月。ISBN 4-413-03061-3。 『サイコな愛に気をつけて 深層心理の恋愛学』 河出書房新社〈河出文庫〉、2000年6月6日。ISBN 4-309-40609-2。

『あなたのココロはダイジョーブ!!』 早川書房〈ハヤカワ文庫 NF〉、1997年4月。ISBN 4-15-050209-9。
『眠れぬ森の美女たち』 河出書房新社、1997年7月10日。ISBN 4-309-01161-6。 『眠れぬ森の美女たち』 河出書房新社〈河出文庫〉、2000年5月5日。ISBN 4-309-40608-4。

『ココロに向かって耳をすまそう』 早川書房〈ハヤカワ文庫 NF〉、1999年3月。ISBN 4-15-050228-5。
『もう「いい人」にならなくていい! ラクな心で生きるための七章』 海竜社、1999年4月。ISBN 4-7593-0586-6。
『インターネット・マザー』 マガジンハウス、1999年5月。ISBN 4-8387-1146-8。 『インターネット・マザー』 河出書房新社〈河出文庫〉、2002年6月7日。ISBN 4-309-40654-8。

『〈じぶん〉を愛するということ 私探しと自己愛』 講談社〈講談社現代新書 1456〉、1999年6月18日。ISBN 4-06-149456-2。
『ウエディング・マニア ダイアナなあなたの心の落とし穴』 筑摩書房、1999年11月。ISBN 4-480-84251-9。 『結婚幻想 迷いを消す10の処方箋』 筑摩書房〈ちくま文庫 か-22-4〉、2003年6月10日。ISBN 4-480-03859-0。 - 香山 (1999e)の改題。

『「こころの時代」解体新書』 創出版、2000年5月9日。ISBN 4-924718-37-8。
『I miss me.(アイ ミス ミー) 新しい自分を見つける42章』 青春出版社、2000年9月25日。ISBN 4-413-07078-X。 『どうして「理想の自分」になれないのか』 大和書房〈だいわ文庫 164-2D〉、2011年5月10日。ISBN 978-4-479-30335-0。 - 香山 (2000f)の再編集・加筆.

『香山リカの生きる力をつける処方箋 「そのままの私」で生きていけばいい』 海竜社、2000年11月。ISBN 4-7593-0640-4。
『本当にやりたいこと!を見つける33の方法』 青春出版社、2001年4月10日。ISBN 4-413-07081-X。
『多重化するリアル 心と社会の解離論』 廣済堂出版〈廣済堂ライブラリー 11〉、2001年12月19日。ISBN 4-331-85010-2。 『多重化するリアル 心と社会の解離論』 筑摩書房〈ちくま文庫 か-22-5〉、2006年11月8日。ISBN 4-480-42286-2。 - 香山 (2001b)の増訂。

『えんじぇる』 イースト・プレス、2002年1月。ISBN 4-87257-280-7。
『世界がどんなになろうとも役立つ心のキーワード』 晶文社、2002年2月。ISBN 4-7949-6519-2。
『「好き。」の精神分析 どうして彼女は恋で苦しむのか』 大和書房、2002年3月1日。ISBN 4-479-78092-0。
『死の臨床格闘学』 青土社、2002年3月。ISBN 4-7917-5946-X。
『若者の法則』 岩波書店〈岩波新書 新赤版 781〉、2002年4月19日。ISBN 4-00-430781-3。
『心の深呼吸ができる本』 海竜社、2002年7月。ISBN 4-7593-0720-6。
『いつかまた会える 顕信――人生を駆け抜けた詩人』 中央公論新社、2002年7月。ISBN 4-12-003288-4。
『ぷちナショナリズム症候群 若者たちのニッポン主義』 中央公論新社〈中公新書ラクレ〉、2002年9月10日。ISBN 4-12-150062-8。
『切ない…。本の中のカウンセリング・ルーム』 青春出版社、2002年11月10日。ISBN 4-413-07082-8。 『小さな悩みを消すレッスン 本の中のカウンセリングルーム』 大和書房〈だいわ文庫 164-3D〉、2012年4月10日。ISBN 978-4-479-30381-7。 - 香山 (2002k)の改題、改筆、修正、再編集。

『サヨナラ、あきらめられない症候群』 大和書房、2003年6月1日。ISBN 4-479-78111-0。
『「こころの時代」解体新書』2、創出版、2003年7月28日。ISBN 4-924718-53-X。
『「心とおなか」の相談室』 日本放送出版協会〈生活人新書 087〉、2003年11月8日。ISBN 4-14-088087-2。
『就職がこわい』 講談社、2004年2月24日。ISBN 4-06-212269-3。 『就職がこわい』 講談社〈講談社+α文庫〉、2008-0=2-20。ISBN 978-4-06-281178-1。 - 香山 (2004a)の増訂。

『〈私〉の愛国心』 筑摩書房〈ちくま新書 485〉、2004年8月5日。ISBN 4-480-06185-1。
『恋愛不安 「大人になりきれない心」が欲しがるもの』 講談社〈こころライブラリー = Kokoro library スペシャル〉、2004年10月1日。ISBN 4-06-259467-6。
『生きづらい〈私〉たち 心に穴があいている』 講談社〈講談社現代新書 1740〉、2004年10月18日。ISBN 4-06-149740-5。
『結婚がこわい』 講談社、2005年3月24日。ISBN 4-06-212668-0。
『Nana恋愛勝利学』 集英社インターナショナル(出版) 集英社(発売)〈勝利学シリーズ〉、2005年5月26日。ISBN 4-7976-7131-9。 『Nana恋愛勝利学』 集英社〈集英社文庫〉、2006年11月17日。ISBN 4-08-746102-5。 - 香山 (2005b)の増訂。

『10代のうちに考えておくこと』 岩波書店〈岩波ジュニア新書 505〉、2005年5月20日。ISBN 4-00-500505-5。
『〈雅子さま〉はあなたと一緒に泣いている』 筑摩書房、2005年7月7日。ISBN 4-480-81644-5。 - 年表あり。 『〈雅子さま〉はあなたと一緒に泣いている』 筑摩書房〈ちくま文庫 か22-6〉、2009年5月11日。ISBN 978-4-480-42606-2。 - 年表あり。「文庫版長いあとがき」あり。

『いまどきの「常識」』 岩波書店〈岩波新書 新赤版 969〉、2005年9月21日。ISBN 4-00-430969-7。
『〈いい子〉じゃなきゃいけないの?』 筑摩書房〈ちくまプリマー新書 20〉、2005年9月5日。ISBN 4-480-68720-3。
『働く女の胸のウチ』 大和書房、2005年9月1日。ISBN 4-479-78136-6。 - 文献あり。 『働く女の胸のウチ』 大和書房〈だいわ文庫 164-1G〉、2010年4月10日。ISBN 978-4-479-30282-7。 - 香山 (2005g)の増補。

『貧乏クジ世代 この時代に生まれて損をした!?』 PHP研究所〈PHP新書〉、2005年12月15日。ISBN 4-569-64684-0。
『テレビの罠 コイズミ現象を読みとく』 筑摩書房〈ちくま新書 588〉、2006年3月6日。ISBN 4-480-06296-3。
『老後がこわい』 講談社〈講談社現代新書〉、2006年7月18日。ISBN 4-06-149852-5。
香山リカ 語り手 『ジャイアント馬場~巨人伝説』 NHK出版〈NHK知るを楽しむ 私のこだわり人物伝 2006年8・9月〉、2006年7月25日。ISBN 978-4-14-189152-9。
『14歳の心理学』 中経出版〈中経の文庫〉、2006年8月25日。ISBN 4-8061-2503-2。
『40歳からの心理学』 海竜社、2006年11月。ISBN 4-7593-0937-3。
『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』 幻冬舎〈幻冬舎新書〉、2006年11月27日。ISBN 4-344-98003-4。
『仕事中だけ《うつ病》になる人たち 30代うつ、甘えと自己愛の心理分析』 講談社〈こころライブラリー = Kokoro library〉、2007年1月15日。ISBN 978-4-06-259484-4。 『なぜあの人は、仕事中だけ「うつ」になるのか』 PHP研究所〈PHP文庫 か67-1〉、2011年6月1日。ISBN 978-4-569-67654-8。 - 香山 (2007a)の改題、加筆・修正。

『知らずに他人を傷つける人たち モラル・ハラスメントという「大人のいじめ」』 ベストセラーズ〈ベスト新書〉、2007年2月8日。ISBN 978-4-584-12135-1。
『頭がよくなる立体思考法 RIFの法則』 ミシマ社(発行) WAVE出版(発売)、2007年2月。ISBN 978-4-87290-291-4。
『私たちが政治家を"好き"と思うとき』 北海道大学大学院法学研究科附属高等法政教育研究センター 編、北海道大学大学院法学研究科附属高等法政教育研究センター〈Academia juris booklet 2006 no.23〉、2007年3月28日。ISBN 978-4-902066-22-7。 - 会期・会場:2006年10月20日、北海道大学人文・社会科学総合教育研究棟203室。
『「悩み」の正体』 岩波書店〈岩波新書 新赤版 1068〉、2007年3月20日。ISBN 978-4-00-431068-6。
『なぜ日本人は劣化したか』 講談社〈講談社現代新書〉、2007年4月18日。ISBN 978-4-06-149889-1。
『おとなの男の心理学』 ベストセラーズ〈ベスト新書〉、2007年12月7日。ISBN 978-4-584-12166-5。
『キレる大人はなぜ増えた』 朝日新聞社〈朝日新書〉、2008年1月11日。ISBN 978-4-02-273190-6。
『イヌネコにしか心を開けない人たち』 幻冬舎〈幻冬舎新書〉、2008年1月28日。ISBN 978-4-344-98069-3。
『精神科医ですがわりと人間が苦手です』 大和書房、2008年3月18日。ISBN 978-4-479-78180-6。
『うつ病が日本を滅ぼす!?』 創出版、2008年5月20日。ISBN 978-4-924718-86-9。
『おとなの学習自己チュー宣言! 特に語学に効く心理学』 アルク、2008年5月30日。ISBN 978-4-7574-1439-6。
『親子という病』 講談社〈講談社現代新書〉、2008年9月18日。ISBN 978-4-06-287962-0。
『言葉のチカラ コミュニケーションレッスン』 集英社、2008年10月。ISBN 978-4-08-781403-3。 『言葉のチカラ』 集英社〈集英社文庫 か46-2〉、2011年11月18日。ISBN 978-4-08-746768-0。 - 香山 (2008h)の加筆。

『セックスがこわい 精神科で語られる愛と性の話』 筑摩書房、2008年3月25日。ISBN 978-4-480-84284-8。
『ポケットは80年代がいっぱい』 バジリコ、2008年2月28日。ISBN 978-4-86238-082-1。 - 年表あり。
『弱い自分を好きになる本』 朝日新聞出版、2008年6月20日。ISBN 978-4-02-250449-4。 『弱い自分を好きになる本』 朝日新聞出版〈朝日文庫 か40-2〉、2011年6月7日。ISBN 978-4-02-261695-1。

『「私はうつ」と言いたがる人たち』 PHP研究所〈PHP新書〉、2008年7月15日。ISBN 978-4-569-69953-0。
『私は若者が嫌いだ!』 ベストセラーズ〈ベスト新書〉、2008年12月8日。ISBN 978-4-584-12207-5。
『文章は写経のように書くのがいい』 ミシマ社、2009年3月6日。ISBN 978-4-903908-12-0。
『雅子さまと「新型うつ」』 朝日新聞出版〈朝日新書 166〉、2009年3月13日。ISBN 978-4-02-273266-8。 - 並列シリーズ名:Asahi shinsho。
『精神科医ミツルの妄想気分』 講談社、2009年4月27日。ISBN 978-4-06-215406-2。
『女はみんな「うつ」になる』 中央法規出版〈シリーズcura〉、2009年4月25日。ISBN 978-4-8058-3013-0。
『大事なことは先のばしにしなさい 迷ってばかりのあなたがうまくいく32の法則』 ビジネス社、2009年7月17日。ISBN 978-4-8284-1518-5。
『しがみつかない生き方 「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール』 幻冬舎〈幻冬舎新書 132〉、2009年7月28日。ISBN 978-4-344-98132-4。
『悪いのは私じゃない症候群』 ベストセラーズ〈ベスト新書 239〉、2009年8月7日。ISBN 978-4-584-12239-6。 - 並列シリーズ名:Best shinsho。
香山リカ 語り手 『ニッポン 母の肖像』 NHK出版〈NHK知る楽 歴史は眠らない 2009年12・1月〉、2009年11月25日。ISBN 978-4-14-189533-6。 香山リカ 語り手 『ニッポン 母の肖像』 NHK出版〈知楽遊学シリーズ 2010年10・11月〉、2010年9月25日。

『香山リカ的学力論 子どもにつけたい3つの力』 フォーラム・A〈Forum books〉、2009年12月。ISBN 978-4-89428-588-0。
『うつで困ったときに開く本』 朝日新聞出版〈朝日新書 209〉、2009年12月11日。ISBN 978-4-02-273309-2。 - 並列シリーズ名:Asahi shinsho。
『上手に傷つくためのレッスン』 メディアファクトリー〈Base camp〉、2010年2月19日。ISBN 978-4-8401-3225-1。 『傷ついたまま生きてみる』 PHP研究所〈PHP文庫 か67-2〉、2014年6月2日。ISBN 978-4-569-76190-9。 - 香山 (2010a)の改題、加筆。

『くらべない幸せ 「誰か」に振り回されない生き方』 大和書房、2010年1月20日。ISBN 978-4-479-78202-5。 - 文献あり。
『母親はなぜ生きづらいか』 講談社〈講談社現代新書 2044〉、2010年3月17日。ISBN 978-4-06-288044-2。 - 文献・年表あり。
『しがみつかない死に方 孤独死時代を豊かに生きるヒント』 角川書店(出版) 角川グループパブリッシング(発売)〈角川oneテーマ21 A-113〉、2010年4月9日。ISBN 978-4-04-710236-1。
『香山リカのメンタルヘルス』 にんげん出版(発売)〈管理職検定 ウェブ連動式 01〉、2010年4月。ISBN 978-4-931344-27-3。 - 並列シリーズ名:management certificationシリーズの企画・制作者:人材育成技術研究所「香科舎」。
『夫のうつをなおす本』 大和書房、2010年5月1日。ISBN 978-4-479-78202-5。
『人生の法則 知るだけでココロがラクになる10章』 ベストセラーズ〈ベスト新書 278〉、2010年5月7日。ISBN 978-4-584-12278-5。 - 並列シリーズ名:BEST SHINSHO。
『「今のあなた」で大丈夫! 自分に無理をさせない生き方』 新講社〈Wide shinsho〉、2010年8月1日。ISBN 978-4-86081-340-6。
『本を読むってけっこういいかも』 七つ森書館、2010年10月。ISBN 978-4-8228-1021-4。
『こうすれば友だちと仲良くできる』 小学館クリエイティブ(出版) 小学館(発売)〈こどもスーパー新書〉、2010年12月9日。ISBN 978-4-7780-3720-8。
『「気だてのいいひと」宣言!』 東京書籍、2010年11月19日。ISBN 978-4-487-80487-0。
『「むくわれない生き方」を変える本』 朝日新聞出版、2011年3月18日。ISBN 978-4-02-250825-6。
『生きてるだけでいいんです。』 毎日新聞社、2011年3月。ISBN 978-4-620-32047-2。
『世の中の意見が〈私〉と違うとき読む本 自分らしく考える』 幻冬舎〈幻冬舎新書 203〉、2011年3月。ISBN 978-4-344-98204-8。
『私はのんびり生きてきた。最適化社会が不幸を生む』 扶桑社、2011年4月。ISBN 978-4-594-06398-6。
『〈不安な時代〉の精神病理』 講談社〈講談社現代新書 2101〉、2011年4月14日。ISBN 978-4-06-288101-2。
『「こころのSOS」をもっと発信しよう』 新講社〈Wide shinsho〉、2011年6月1日。ISBN 978-4-86081-384-0。
『3・11後の心を立て直す』 ベストセラーズ〈ベスト新書 333〉、2011年7月8日。ISBN 978-4-584-12333-1。 - 並列シリーズ名:BEST SHINSHO。
『がんばらなくていい生き方』 海竜社、2011年8月。ISBN 978-4-7593-1177-8。
『そこからすべては始まるのだから 大震災を経て、いま』 メディアファクトリー、2011年10月7日。ISBN 978-4-8401-4252-6。
『「看取り」の作法』 祥伝社〈祥伝社新書 258〉、2011年10月31日。ISBN 978-4-396-11258-5。 - 並列シリーズ名:SHODENSHA SHINSHO。
『気にしない技術』 PHP研究所〈PHP新書 763〉、2011年10月14日。ISBN 978-4-569-79807-3。 - 並列シリーズ名:PHP SHINSHO。
『しなやかに生きるって、どんなこと? 〈からだ〉と〈こころ〉に向き合う12のレッスン』 幻冬舎、2012年4月10日。ISBN 978-4-344-02161-7。
『「だまし」に負けない心理学』 技術評論社〈生きる技術!叢書〉、2012年4月18日。ISBN 978-4-7741-5066-6。
『悲しむのは、悪いことじゃない』 筑摩書房、2012年5月10日。ISBN 978-4-480-84299-2。
『職場で他人を傷つける人たち』 ベストセラーズ〈ベスト新書 382〉、2012年6月8日。ISBN 978-4-584-12382-9。
『ほどほどの恋』 東京書籍、2012年8月1日。ISBN 978-4-487-80645-4。
『「ダメな私」にマルをする』 中央法規出版、2012年9月10日。ISBN 978-4-8058-3716-0。
『「独裁」入門』 集英社〈集英社新書 0662〉、2012年10月17日。ISBN 978-4-08-720662-3。
『絆ストレス 「つながりたい」という病』 青春出版社〈青春新書INTELLIGENCE PI-376〉、2012年10月15日。ISBN 978-4-413-04376-2。
『若者のホンネ 平成生まれは何を考えているのか』 朝日新聞出版〈朝日新書 378〉、2012年12月13日。ISBN 978-4-02-273478-5。
『できることを少しずつ 香山リカの目』 毎日新聞社、2013年3月。ISBN 978-4-620-32148-6。
『女は男のどこを見抜くべきか』 集英社、2013年3月26日。ISBN 978-4-08-781511-5。
『ひとりで暮らす求めない生き方』 講談社、2013年5月8日。ISBN 978-4-06-218264-5。
『ココロの美容液』 文藝春秋、2013年5月14日。ISBN 978-4-16-376350-7。
『新型出生前診断と「命の選択」』 祥伝社〈祥伝社新書 324〉、2013年6月28日。ISBN 978-4-396-11324-7。
『幸福の胸のウチ』 東京書籍、2013年8月30日。ISBN 978-4-487-80819-9。
『悲しいときは、思いっきり泣けばいい』 七つ森書館、2014年3月。ISBN 978-4-8228-1499-1。
『弱者はもう救われないのか』 幻冬舎〈幻冬舎新書 か-1-5〉、2014-0=5-30。ISBN 978-4-344-98345-8。
『ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか』 朝日新聞出版〈朝日新書 464〉、2014年6月13日。ISBN 978-4-02-273564-5。
『比べずにはいられない症候群』 すばる舎、2014年6月28日。ISBN 978-4-7991-0344-9。
『劣化する日本人 自分のことしか考えられない人たち』 ベストセラーズ〈ベスト新書 443〉、2014年7月8日。ISBN 978-4-584-12443-7。
『リベラルじゃダメですか?』 祥伝社〈祥伝社新書 375〉、2014年7月31日。ISBN 978-4-396-11375-9。
  1. 2018/11/28(水) 10:01:55|
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石崎徹のブログに 8つも拍手

古本屋通信   No 3673    2018年  11月28日

  石崎徹のブログに二日間で、8つも拍手が付いた



 石崎に8つの拍手なんて、最近に無いどころではなく、彼がブログを始めてから初めてだろう。疑う者は見ればよい。古本屋通信も負けそうである。で最後まで読んで行くと、古本屋通信のことを褒めていた。やっぱり、ね。別に感謝はしないし、格別慧眼だとも思わないが、民文周辺ではこれだけのことを書く人さえもいないのだろう。全文を転載する。私の文を引用しているわけではないが、論旨は汲み取ってくれているようだ。その他の部分にも異論はいない。




「民主文学会」
雑文 - 2018年11月26日 (月)  石崎徹
 先頃、ある同人雑誌の方から、「民主文学会」について質問された。そのとき、かつてそれについて書いた文章があったことを思い出した。読み返してみると、ごく個人的な見解ではあるが、現在ぼくの思っていることとあまり違わない。それで、それをコピーして送った。あくまで個人的見解で、実際のことは知らないのだと断り書きを付けて。
 その個人的見解を、ここに復元する。文学会内外からの批判を待ちたい。
 じつは、当分新たな記事を書くだけの時間がとれそうにないので、時間稼ぎの為でもあるのだが。

   「民主文学会」 2013年9月5日
 民主文学会とは何か。会の主張としてではなく、客観的実体としての諸側面について、考えてみる。
 最もわかりやすいのは、短歌や俳句に見られるような結社としての側面だろう。ぼくには疎い世界なので間違っているかもしれないが、外から見る限り、短歌、俳句は結社によって成り立っているように見える。
 いくつかの有力な結社が月刊誌を発行し、会員の投稿がそれに載る。会員にとっては励みであるので、そのためだけでも会員となって、すなわち雑誌の購読者となる。失礼をお許し願いたいが、そういうケースもあり得るだろうという趣旨である。
 短歌、俳句の場合はこれがうまくいく。その作品はたった一行で完結しており、一冊の雑誌に数百人の作品を載せることができる。年に12回発行すれば相当チャンスは増えるわけだから、会員だけで十分採算のとれる発行部数を維持できるわけだ。
 民主文学会にもそういう側面はある。アマチュアの書いたものを載せてくれる。安いが一応稿料も出る。地方で同人雑誌をやっても、発行経費はすべて持出しだし、その普及規模も範囲も限定されている。せいぜい友人知人に配る程度だ。「民主文学」に載れば一応全国3千人の手に渡る。多少は文学に関心ある読者の眼に触れる。(もっとも、「民主文学」購入者がどの程度この雑誌を読んでいるかはかなり疑問なのだが)。
 民主文学会の持つこの機能は、同会の最も有力な存続基盤ではないか。商業誌ではまったくその可能性のない作品が、この雑誌なら、可能かもしれないと考えることができるのだ。
 ただ、短歌、俳句と違って、小説には結社機能を有効ならしめる上での明らかな欠点がある。それは小説は長いということだ。一行というわけにはいかない。短くても30枚だ。一冊に載るのはせいぜい数人である。結社機能だけで3千部を維持するのはきわめて難しい。
 商業誌の発行部数がどの程度か知らないが、おそらく「民主文学」とたいして違わないだろう。文学雑誌が売れていた時代は終わった。
 にもかかわらず、そこそこの稿料を払って、安い値段で売ることができるのは、ひとつには広告収入が多いし、それにその作家を囲い込むことによって、売れると判断した際には単行本や文庫本を自社で出させることによって稼げるからだ。こちらに集まっているのはある程度売れることがわかっているプロである。
 民主文学会はアマチュアの集団である。そのことの弱点(売れない)も、長所(結社機能がある程度成り立つ)も、双方持っている。
 だが、この長所が短歌、俳句の場合ほど成立していないとすれば、何によって成り立っているのか。
 おそらくオールドマルキストたちが買ってくれている。買ってもたぶんほとんど読んでないだろうが、お義理ででも買ってくれる。
 60年代後半から70年代の初めにかけて、ぼくは友人たちと同人雑誌をやっては潰ししていたが、当時の民主文学同盟には入ろうとは思わなかった。それでも時々本屋で「民主文学」を見かけると買っていた。
 半世紀経ってこの層がまだ買ってくれている。それはたぶん共産党系のオールドマルキストであり、これはもうひとつのかなり決定的に重要な側面である。
 新日文のことはよく知らないが、有力な作家たちも集まっていたその集団から、あまり有力でない人々が追い出されて文学同盟を作った。にもかかわらず、新日文のほうが消え、文学同盟は残った。もちろん新日文に残った作家たちは作家として自立できたので、もともと求心力が弱いということもあり、一概には言えまいが、共産党の組織力が有効に働いた面もあったのではないか。雑誌というものは購読者がいなければ成り立たない。
「葦牙」についてもほとんど何も知らないが、同様のことがいえるだろう。購読層を組織できるバックがないと成り立たないのだ。
 この側面は、文学会の強みでもあれば弱みでもあるだろう。共産党との間で、微妙な舵取りを必要とされる局面が今後もあるかもしれない。
 会の経済的成立基盤という問題は、それなくしては会自体が存続できなくなるので、最も重要で基本的な側面だと思うから、こういう順序で取り上げた。
 では、ある組織をバックとする、いくぶんボランティア的購買層に支えられたアマチュア集団として以上の意味はないのか、というとそうでもない。ここからは「民主文学」の内容の問題になってくる。
「民主文学」は面白くないと言われる。だから誰も読まない。購読者でさえ読まない。おそらく会員でさえ読まない人が多い。それも無理はない。アマチュアの書いたものなど面白いはずがないのだ。
「民主文学」が世界の名作に対抗できないのも確かである。ぼくは80年代に同盟に参加し、まもなくやめたが、それには文学そのものに関心を失ったということもあった。当時、日本古代史や、文化大革命・ポルポト政権(この2テーマに関してだけでもそれぞれ10冊以上読んだ)や、新書関係の雑多な本を中心に読んでいた。小説も読みたいという気持ちはあったが、世界の名作も読めていないのに、現代文学を読んでもしょうがないという気持ちがあって、民主文学以外でも日本文学は一切読まなかった。読まないのに購読しても仕方ないのでやめた。
 それでやめて世界文学が読めたかというと結局それも読めず、もっぱらエンタメばかり読んでいた。労働がきつくなっていたせいもある。労働者は文学なんか読めない。エンタメが必需品である。労働者にとって小説は気分転換だ。これは小説の、とても大事な役まわりのひとつだと思う。
「民主文学には自然主義私小説的身辺雑記が多い」と小林昭が批判していたが、ぼくもそう思う。作家の高齢化もあって、民主文学はすでに古い。日本文学の悪しき伝統から抜け出せずにいる。
 世界名作にもなりえず、エンタメにもなりえない。では何かあるのか。結論から言うと、それが意外にある。
 面白くない小説が多いというのがあり、その結果の食わず嫌いがある。また忙しい日常生活を送っている人々に、まだ評価の定まっていない作品を読めというのは無理だ。そんな時間などない。読む価値があると、あらかじめわかっている作品だけを読みたいと思っても当然だろう。
 だが、ぼくは多少時間ができたので、今回会に復帰して以後、「民主文学」は隅々まで読んでいる。すると、意外と良い作品に出会う。 
 何よりも民主文学には、アマチュアの強みがある。プロでない、アマチュアである、ということは普通に働いており、普通に生活している。全国さまざまな人々の働きぶり、生活ぶりに具体的に接することができる。これはプロの作家の真似のできない点だ。彼らは生活を書いても労働を書いても抽象的である。だが、ここには生きた現実がある。
 これは重要な側面だ。
 いまひとつは、やはり社会を変えたいと思っている人々が書いているということだろう。前にもこういうことを書いた気がするが、これもひとつの特徴だろうと思う。
 じっくり読めば良い作品もあるのだが、それで読者をつかむというのも難しい。不出来な作品がしばしば大きな顔して載る。これがいちばんまずい。評価が読む人によって異なるとはいっても、やはり編集部の能力が疑われかねない。文体や作品の傾向も選ばれるべきだろう。似た文体、似た傾向の作品が連続すると、読者は飽きる。純然たる娯楽小説だって必要だ。それは小説の最も重要な役割のひとつなのだから。投稿優先の方針は捨てるべきだ。全国の支部誌には良い作品がもっとあるはずだ。「まがね」にだってある。サークル誌評委員会がそれを読んでいるのだから、そこからピックアップすればよい。
 作家の能力がよく云々されるが、ぼくは編集部の能力をこそ問いたい。
 ただそこにも難しい問題があるかもしれない。読者層も高齢化しており、彼らは自然主義小説に慣れている。新しい小説に拒否反応を起こすかもしれない。新しい読者層をつかまえる前に、古い読者層に逃げられるかもしれない。
 そう考えていくと袋小路だが、民主文学会がいまなんとか維持できている理由はほぼ列挙できたのではないか。
 しかし今後おそらく二番目に挙げた理由が、オールドマルキストの亡くなっていくのに従って、どんどん成り立たなくなってくる。民主文学会は正念場にさしかかっていると言えるだろう。
 最後に、重要な問題をひとつ書き忘れていたので追加する。
 古本屋通信は、民主文学が面白くない理由について、民主文学では共産党批判がタブーになっている、タブーのある小説など面白いわけがないと言っている。きわめて適切かつ重要な指摘だと思う。
 党員か、党に近い書き手が集まりながら、共産党についてほとんど書かない。あるいは誰が読んでも共産党でしかありえないような党を書いても党名を秘す。
 党批判どころか、党自体がタブーになっているような印象がある。
 たまに党が出てくると、とってつけたような出方になる。
 ある意味ではしかるべき結果だ。
 党に欠陥があることは、書き手であろうがなかろうが、みんな感じている。書き手は、党を書こうとすればそれを素通りできない。しかしそれを書けば問題になるかもしれないと考える。そこで最初から党など存在しないかのように書く。
 自己検閲しているのだ。だから問題の根元に迫れない。いちばん大事なことが書けない。真実が書けない。これでは面白くなくて当然だろうし、文学ともなりえない。
 民主文学会の最も大きな弱点はおそらくここにあるのだろう。
 そしてこれこそぼくがあげた文学会の二番目の側面なのだ。購買層も、組織自体も党に依存している。この関係が崩れると成り立たないという問題を抱えているのだ。
  1. 2018/11/28(水) 08:17:19|
  2. 未分類

「美しい十代」 (学研)が入った

古本屋通信   No 3672    2018年  11月27日

  赤旗 (本日の西日本のページ) に、24日の岡山駅前の合同宣伝の記事あり

 記事が2日遅れたのは西日本のページが今日までなかったからだろう。良い記事である。全文を手打ちで印字しておく。表題も満点。記事の最後にある 「拍手を送った男性(73)」 は私である。実名を知らせたのだが、それを書いていないので助かる。記者さん、ありがとう。


  共闘勝利で増税阻止  岡山 市民と野党6党が宣伝

 (写真) 野党共闘で増税中止を訴える市民と、すみより氏(右端)ら野党各党代表=24日、岡山駅前

 岡山県の安保法制の廃止と立憲主義の回復をもとめるおかやまいっぽんの会と野党6党は24日夕、岡山市の岡山駅前で合同宣伝し、消費税の10パーセント増税の中止などを求めました。
 すみより聡美・日本共産党参院岡山選挙区候補は先日、倉敷市の倉敷駅前で3000万人署名に取り組み、短時間で148人分集まったと紹介。「いま求められているのは改憲ではない。声を上げれば改憲を阻止できる」 と訴えました。
 立憲民主党の高井崇志衆院議員は「安倍政権は国民や野党に耳を傾けない。統一地方選挙と参院選で野党が結束、岡山では共闘で勝利して安倍政権を退陣させよう」 と呼びかけました。
 社民、自由、新社会、みどり岡山の各党とおかやまいっぽんの代表も訴えました。
 消費税増税反対の訴えに拍手を送った男性(73) は、「消費税増税は絶対反対。野党の共通政策にしてほしい」 と話しました。


 一言。私はヤジったのだからミエミエだが、きょうの赤旗記事は暗黙の立民批判。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「美しい十代」 (学研 昭和38~9年)が10冊入った

 きのうダンボール10箱の古本が入庫した。全体の概要は省略するが、その 1箱に表題の古雑誌と、其の付録13冊があった。本誌の方はあまり状態が良くないので、高くは売れないだろう。でも雑誌の発行年度はちょうど私の高校時代に当たる。懐かしい歌手や俳優が満載されていた。売るのが惜しいくらいだ。少女向けの雑誌なので、私はその存在さえも知らなかった。あれこれ書くよりも適当な記事があったので貼っておく。



  「美しい十代」(雑誌:学研)が生んだ名曲「美しい十代」(三田明)
 つぶやき館
   2012/03/09 00:14
 もう、と言うより、ほとんど誰も記憶にあまりないし、まして、三田明の
歴史的ヒット、名曲(吉田正作曲、宮川哲夫作詞)が雑誌(学研)の「美しい
十代」に触発された青春歌謡だとは・・・・、

 そもそも、「美しい十代」という雑誌自体、忘れられているに等しい・・・、が
消えた雑誌は数知れないが、「美しい十代」(学研)は泡沫雑誌などではなく、
さすが学研(当時、小学生には『特別な書店だけを通じた特殊販売の』あの
学習雑誌、また中高生には【初期は学年は厳密でなった】「コース」が昭和
30年代前半には既にあった)が女子中高生向けに発行していた雑誌で、
「月刊 平凡」などと違ったインテリジェンスのある特有の雰囲気の雑誌だった。

 雑誌「美しい十代」の英語名は「Teen Beauties」。

 「美しい十代」が学研から創刊されたのは昭和34年(1959)12月号(11月発
行)からである。

 今、手許にある「美しい十代」創刊号(昭和34年12月号)。

 創刊号なので分厚いと思うが、その魅力的なフォットの多さ(カラー多数)、
登場の芸能人の多彩さ、また教養雑誌的な面もあってジッドの「田園交響楽
の簡易訳の連載もある。

 対談、時事的な取材、ファッション、十代女性の悩み相談、そして芸能人
インタビュー、取材。そのスタンスが他のミーハー的雑誌とは確かに異なる、
まがうことない学研の女性ティーンエイジャー向け雑誌である。

 だが、出版部数的には、この年代の女の子には、やや重厚な?内容で
エンターテイメントに徹することが出来ず、人気はイマイチだった。

「美しい十代」という雑誌名は、書店で買う際、「美しい?」と何か店員に
ひやかされそうで、購入をためらう、「美しい十代」という名前の雑誌を買う
のが気恥ずかしい、という感じを女子中高生が持ってしまって、「女学生
の友」が不朽の名を残すのに対し、存在すら忘れられた、ある意味、学研
にとって苦い体験になったのは否めない。

 ★ 「美しい十代」学研は先行していた同じ「小学生向け学習雑誌」でライ
バルの小学館の「女学生の友」に対抗する意図で創刊された。
 「女学生の友」が女子中高生(一部小学生女子も)をターゲットとしていた
総合雑誌だったため、そのコンセプトも基本的に同じだったが、終始、「美しい
十代」はマイナーで「女学生の友」は1950年の創刊から1977年まで、の長き
に渡って続いたのに対して1966年には廃刊となってしまった。

 「美しい十代」といえば「三田明歌唱の青春歌謡」としかネットでも資料が
ないくらいだ。

  ★ 昭和38年の「中一コース」(秋頃だったと思うが)に「本社刊行の雑誌
と同じ名の歌を三田明が歌ってレコードが出る」との記事が掲載されていた
のを(兄が中一だったので)はっきり記憶している。

 では宮川哲夫と雑誌「美しい十代」との関係は?特にあるわけではないが、
この雑誌名から彼が曲名をいただいたことは間違いない。
 この雑誌がなければ三田明の「美しい十代」という名前のヒット曲(デビュー
曲ではないが)はなかった。

 最初のフォットは「美しい十代」創刊号の表紙の「清水まゆみ」血縁はないが、
女優の小高恵美の叔母にあたる人である。

 以下に創刊号の内容のフォット。著名人が多く「創刊おめでとう」とサインを
書いている。(下の表紙の小フォット以外は高密度デジカメなので拡大可能)
  1. 2018/11/27(火) 07:24:29|
  2. 未分類

全日本学生自治会総連合

古本屋通信   No 3671    2018年  11月26日


   全学連(全日本学生自治会総連合)

 ちょっと前に中核派が全学連大会を開催して、そこで新体制を確立し発表した。学籍のない法政の斎藤委員長に代わって、東大生を委員長に選んだと知って仰天した。マアよくやるよ、ということだ。ハッタリも此処まで来たら立派なもんだ。全学連というのは何系であろうと、自派の政治同盟員の学生が何人かいれば可能というものではない。単位大学・学部に、規約に基づく学生自治会が存在し、自治会費を徴収して、代議員を全学連大会に送る、その単位学生自治会の連合組織が全学連なのだ。

 中核派系の学生自治会らしきものが、多少とも活動しているのは京大と広大だけであろう。東北大も法政大も既にポシャッている。さらにマル学同・同盟員で学籍者はいないだろう。

 で、東大教養学部だが、マル学同の同盟員が何人いるのか知らない。が、いい加減にした方がよい。何か自治会活動をしているのか。皆無だろう。数年前に民青系全学連の自治会が破産した。そのときノンポリの何ロク君たちが自治会を継承した。だが数年を経ないで消滅した。その後いかなる党派も自治会はを再建していない。中核派全学連の委員長は偽物である。いい加減にせえ。

 いま日本に全学連など存在しないが、その中にあって多少とも全学連の匂いのするのは革マル派全学連だけである。いくつかの大学では学生大会も開催し自治会費も徴収しているだろう。革マル派のHPを見ても個別大学の自治会活動など出てこない。最近は琉球大学も早稲田大学も出てこない。これが正解であろう。


 以下の5チャンネル投稿だけど、万人に分かる日本語を書けよ。

405革命的名無しさん (ワッチョイ)
2018/11/26(月) 12:55:31.170

東大の学生自治会はまだあるし、活動もやってるけど?
民青がこっそり反中核ビラをまいているのに無関係で
民青が執行部に潜り込んでた可能性もあるとして現在調査中。

確認ぐらいすりゃ良いのに


 1行目だけど、東大のどの学部にあるの? 中核派委員長は教養在籍らしいから、私は教養学部を問題にしている。数年前まで民青系で、そこから無党派に代ったが、いまや無活動状態だと認識している。別に解散決議をしたわけじゃあないから、形の上では、つまり自治会規約的には残っているだろ。でも誰と誰で執行部を形成していて、誰が委員長なの? そしてどういう活動をしてるの? やってるとしたら中核派の「委員長」さんしかいないと思うけど、東大教養は大所帯だから、全員選挙ではなく、いったん代議員を選んで、その代議員による互選なんだけど、代議員大会何時は開催されたの? 具体的に教えてよ。それから2行目と3行目は日本語として意味が通じないんだけど、困るなあ。アンタ何時もの低脳さんでしょ? 無理なんよ、こういう日本語力で古本屋通信の板に介入するのは、無理。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 同じく全学連関係なのだが、時代が遡って、小池晃の時代のことで、引っ掛かっていることがあるので、このさい書いておきたい。と言ってもコレ自体が誤っているというのではない。全学連界隈をめぐる1980年代と1960年代の違いと云う点について書いておきたい。叩き台にKM生様を使わしていただく。



3. KM生@管理人様(追伸)
2018年11月25日 17:18
(小池は)学生時代も、民青の全国大会には代議員参加はしなかったかも知れませんね。「全学連中執副委員長・医学連委員長」という大衆団体の最高幹部の肩書のある者が(見え見えとはいえ)「民青同盟員として公然化するのは避ける」という面もあったのでせう。むろん全学連委員長の来賓挨拶はあったでせう。



 引っ掛かるのは小池の肩書き部分だけである。その他はKM生様が全て正解であろう。全学連の役員が正副委員長でない執行委員であろうと、民青大会に代議員として参加することなどある訳がない。全学連と民青はタテマエ上は何の関係もない別組織である。別組織の挨拶は共闘団体としての連帯の社交辞令である。それはよいのだが、私がアッと言ったのは小池の肩書きが全学連の副委員長にして且つ医学連委員長になっている点だ。これはKM生様以前に何人かが書いておられた。でもこれは1980年代だったから、あった。1960年代には、間違っても無かった、その点について書きたい。こだわるのである。

全学連は全国単一の学生自治会の連合組織である。その構成は全国大学、短期大学の単位組織の加盟による、その集合体である。単位組織が一大学まるごとという場合は少ない。殆どの場合は学部単位である。東大や京大の場合、教養課程に単位自治会があれば、それが全学連加盟の基礎単位になる。

いずれの学部も同じだが、医学部は進学課程もふくめて、各大学医学部として全学連に加盟または未加盟である。

大学の学生組織で全学連に匹敵する大組織はないが、横割りの自治組織としては全寮連、大学生協連があった。これらの組織はしばしば共闘した。とくに毎年の文化集会の主催者は3者共催であった。だが、これらの組織の役員が重複することは絶対に無かった。別組織だから当然である。これは日本原水協の理事が全労連の役員を兼務する事が無いのと同様である。

その他、多くの学生の自治組織、その全国組織はあった。大学新聞会、全教ゼミ、全国社会科学ゼミナール、等。

医学連、看護学連、その他、農学系など、いくつかの学問分野に準拠した学生組織はあったが、これは全学連とはまったくちがう、いわば職能的組織であった。だから政治的に論じられる範疇ではなかった。ゆえにこれらの組織が再建されようが消滅しようが学生運動の盛衰と何の関係も無い。

6 1960年代学生運動に於いて、全学連役員が全寮連役員や大学生協連役員を兼務することはありえなかった。そんなに楽な仕事ではなかったからだ。同じく全学連副委員長が医学連委員長であるといふような、遊び半分の全学連はありえなかった。

つまり1980年代学生運動そのものが、半分消滅していたのであろう。私は小池晃の全学連活動、その医学連活動を根柢から疑うものである。

全寮連の委員長をやったのち全学連の委員長をやった唯一の例外は東大の平田勝だったろう。もちろん時期はズレていた。アッ、田熊和貴もいたナ。
  1. 2018/11/26(月) 11:10:53|
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