古本屋通信 No 3470 2018年 07月31日 デボーリン君、ようこそ 304を書き上げて、その手で自分を褒める305を書いたな。まあよい、答えておこうか。 304革命的名無しさん (ワッチョイ) → デボーリン 2018/07/31(火) 16:00:22.340 日本共産党の党員資格に「日本国籍」があることを擁護している古本屋通信が「日本共産党の革命的再生」などの寝言を続けている。 そうそう、タイの洞窟遭難事件で、タイには無国籍者が多いことが話題になったが、古本屋通信が理想とする「自主独立の共産党」がタイにあれば、当然、無国籍者の入党を拒否するんだな?すげー差別者。 日本でも1985年に国籍法が改正されるまでは、父親(主に米兵)に認知されないための無国籍者が多くいたが、彼らも党員資格を否定されて当然なのであろう。 エンゲルスが1848年に『共産主義の諸原理』を書いて以来、すべての共産主義者にとって常識である「一国社会主義の否定」を否定するスターリン主義者の古本屋通信によれば、「万国の労働者よ、国籍別に国境内で団結せよ!」ということになるのであろう。 305革命的名無しさん (ワッチョイ) → デボーリン 2018/07/31(火) 16:20:29.500 鋭い! 古本屋通信 まず1848年の 『共産党宣言 共産主義の原理』 を復習しておこうか。日本大百科全書 (ニッポニカ) の解説 より共産党宣言 Manifest der Kommunistischen Partei 科学的共産主義の最初の綱領的文書。その初版は1848年2月ロンドンで発行されたが、全文わずか23ページの薄緑色のドイツ語小冊子であった。その表紙には、標題のほか、「万国のプロレタリア団結せよ」が小さな活字で刷ってある。当時のヨーロッパの政治情勢において非公然の国際的労働者組織であった共産主義者同盟の公然たる党綱領として、マルクスとエンゲルスが執筆したもの。『宣言』に展開されている基本的考え方は、経済的生産と経済的仕組みが政治の土台をなすこと、原始共産制の崩壊以後、人間社会の歴史は階級闘争の歴史であること、現代においてそれはブルジョアジーとプロレタリアとの間の階級闘争となっていること、その際プロレタリアの歴史的使命は、単にブルジョアジーの支配と抑圧から自己を解放するにとどまらず、社会から階級支配そのものをなくすことにある、というものである。『宣言』は社会主義文献のなかでもっとも著名で、またもっとも世界的に普及している。現行の『宣言』には、マルクスとエンゲルスのいくつかの序言(1872年から93年にわたる)が加えられているが、これらは『宣言』発表以後の労働運動の成果を反映しており、『宣言』そのものに対する重要な補足という意味をもっている。[安藤 実] 『マルクス、エンゲルス著、大内兵衛・向坂逸郎訳『共産党宣言』(岩波文庫) ▽マルクス、エンゲルス著、ML研究所訳『共産党宣言 共産主義の原理』(大月書店・国民文庫)』 ことわるまでもないが、マルクスとエンゲルスの時代、つまり第一インターナショナルの時代には、各国共産党など存在せず、一国社会主義など問題にならなかった。その意味でマルクスとエンゲルスは世界革命論者、つまり一国社会主義の否定論者であったといっても差し支えない。その後、1917年のロシア革命の成功を経て、一国社会主義を唱えたのがレーニンか、それともスターリンか、そういう議論は、デボーリン君は十八番だろう。マア付き合いきれないので、現実の問題に端的に答えておく。 この問題は以前にも何回か答えている。要は資本主義国家にかぎらない世界の国家の枠組みを、過渡期世界の問題として認めるか否かである。現実問題として認めないとニッチもサッチも行かなくなるだろう。 それは日本なら日本革命に責任を持てる日本人民(日本国籍者)のみを日本共産党員の有資格者とするということだ。上の米軍兵士と日本女性の間に生まれた子供が日本国籍を取得して18歳になれば日本共産党員になれるということだ。国籍条項をオミットせよとの御説だが、これだと二重党籍、三重党籍やりたい放題になる。常識で考えても分かるが、在日二世、三世の朝鮮民族の党員の二重党籍を考えても見よ。いったい彼は日本共産党の決定に基づいて活動するのか、それとも朝鮮労働党の党員として活動するのか。コミンテルンの時代とは違うのだ。日本共産党と朝鮮労働党は、それぞれの綱領を持ち、それぞれ自主独立の党として、国際活動もしている。その路線はしばしば対立している。まあアホなこと言いなさんな。 アッ、タイはタイ。タイの共産党に聞いてちょうだい。 「万国の労働者よ、国籍別に国境内で団結せよ!」 ではなく、万国の労働者、ブロレタリア国際主義の旗のもと、自主独立の各国共産党に結集して、愛国主義と労働者解放のために、共にたたかおう。
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2018/07/31(火) 16:44:14 |
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古本屋通信 No 3469 2018年 07月30日 全患協運動史をたった 2行で 「無らい県運動などと称し全国で競い合うように官民一体となって患者をあぶり出し、次々強制収容していった 」 と要約する、恐るべき感性 池内の要約はツイッター2行なら間違いではなかろう。ただし一世紀にわたる闘争史を、たった50字で要約する感性に私は耐えられない。それ以上、言うべきことは何もない。下に私が半年ほどまえに入手した長島愛生園の史料を貼る。これがたった2行か。たたかいはなかったのか。国と園は一途に断種手術だけだったのか。何よりも荒涼たる風景。そこに人間はいなかったのか。 池内さおり 認証済みアカウント @ikeuchi_saori 「ハンセン病と人権」 山内きみ江さんと対談!貴重な機会をいただきました。 無らい県運動などと称し全国で競い合うように官民一体となって患者をあぶり出し、次々強制収容していった。… 池内さおりさんがリツイート 新日本婦人の会 東村山支部 @Higashi_Shin · 6時間6時間前 「ハンセン病と人権」ー山内さんと池内さおりさんのトークー90名参加。♥ 「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」で熊本地裁が原告勝訴の判決、しかしその後も偏見や差別は根強い。 療養所がある地元の東村山新婦人と、全生園の人たちとの温かい人間関係・信頼を、山内さんが語られとても誇らしい。☺ 付記 これは特に池内について、ということではなく書きますが、シリアスなテーマで書こうと思えば、どうしても一定の長さは必要になる、つまりツイッターという表現手段は不適当だということです。いつもそう思っていましたが、さきほど 「ツイッターを発信すれば発信するほど上等な支持者は逃げる」 という意見を見つけ、成程と思いました。上記の池内のものなど明らかに不適当です。やらない方がよい、これだけで池内と山内の対談なんか底が割れるというものです。そもそも百年の歴史があるハンセン氏病について、付け刃で語ることなど不可能でしょう。池内が下記の史資料をを読み込んでいるとは思えない、それを言わずもがな語っているツイートなわけです。 たとえば下の長島愛生園の光田健輔ですと、論者によって極端に評価が分かれるわけです。私は池内が書いているような否定的な人物の筆頭だとは思いますが、下記の本にも天まで持ち上げる評価もあるわけです。そしたらそれも読みこなさないと、長島について一行も書けない、だから下のような記事になった。私はカルトというのは情報の総合的評価を欠いているとういより、ハナから盲目なのだと思う。それは池内だけではなく、さきの岡山民青も同様だと思った。そして一方的情報がごく普通に受容され始めると、対立する情報を受容するアンテナが壊れてしまうのだと思う。 いま共産党界隈でツイートしている人はたぶん以下が信じられないと思う。かなり前から、安倍政治を許さないとの旗じるしの下、野党と市民の共同をはじめ、伊藤詩織への共感、財務省次官のセクハラ冤罪非難、麻生財務相ヤメロ攻撃、そして今回の水脈糾弾、これらをやればやるほど、安倍政権の支持は強固になり、逆に立憲民主党と日本共産党の支持は確実に減ってきている、それが果たして見えているか、という問題に突き当たります。 もちろん立民と共産党の幹部は見えている。見えていても、そう政権批判するしか手がないからやる訳です。だが池内や吉良クラスになると、全く盲目ですから、前後不覚です。よって共産党の一路破滅路線をひた走りなわけです。まあ大山や坂井さえも生きにくい共産党になりましたね。あとはどうバランスを崩さず、しかも党派性を維持していくかでしょうね。奈々子と希よ、頑張れよ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 古本屋通信 No 2982 2017年 11月28日 長島愛生園関係本が入荷する 表題の本が纏って少し入った。たぶん次回の即売会に代理出品してもらうが、次は3月だから散逸しないようにメモしておく。本の詳細情報(売価など)は書かない。 らい文献目録 医学篇 長島愛生園 らい文献目録 社会篇 長島愛生園 全患協運動史 ハンセン氏病患者のたたかいの記録 ハンセン氏病の新しい知識 1963年6月 全国国立療養所ハンセン氏病患者協議会 らいの分布 日本 1938 国立療養所長島愛生園 長島愛生園30年の歩み 国立療養所長島愛生園 1960 創立40周年記念誌 国立療養所長島愛生園 1970 創立五十周年記念誌 国立療養所長島愛生園 昭和55年 創立六十周年記念誌 国立療養所長島愛生園 平成2年 国際らい会議録 (英和対訳) 1957年 国立療養所長島愛生園内らい文献目録編集委員会 隔絶の里程 長島愛生園入園者五十年史 昭和57年 長島愛生園入園者自治会 わたしの歴史 光静の森 矢内重吉 平成2年 祈る らい医師の海外旅行 野島泰治遺稿集 1973年 国立療養所 (らい編) 厚生省医務局療養所課内国立療養所史研究会 昭和50年 愛生誌別刷 らい(漢字)予防方策の変遷 井上謙 昭和三十年年報 国立療養所長島愛生園 昭和31年 昭和三十一年年報 国立療養所長島愛生園 昭和32年 昭和三十二年年報 国立療養所長島愛生園 昭和33年 インド通信 高島重孝 1962年 長島愛生園慰安会 愛生春風花開日 高島重孝 北斗志塾出版部 昭和51年 見える らい盲者の告白 良成稔 キリスト新聞社 昭和38年 ハンゼン病 谷村忠保 昭和34年 愛生園日記 ライとたたかった六十年の記録 光田健輔 毎日新聞社 昭和33年 句集 断種 大森風来子編 昭和38年 川柳岡山社」 林文雄の生涯 救らい使徒行伝 おかのゆきお著 新教出版社 1974年 らい一途 第一集 高島重孝 昭和43年 島愛生園 ハンセン氏病布教史録 天理教療養所布教協議会編 昭和51年 森田竹次・評論集 偏見への挑戦 長島評論部会 1972年度 教ライの父 光田健輔の思い出 桜井方策編 ルガール社 1974年 らいからの解放 その受難との闘い 大竹章 草土文化 1970年 鈴蘭村 ライに奉仕する三上千代女史の愛の伝記 藤本浩一 昭和43年 純なる魂 小田切敏治君遺稿 光田健輔序 昭和12年
2018/07/30(月) 17:14:43 |
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古本屋通信 No 3467 2018年 07月29日 原水禁運動の過去。面白そうなので、ちょっと介入 キンピーサイトの皆さんの投稿が面白そうなので、ちょっと赤で茶々を入れたくなりました。それに先立つ私の前提を二つ。 ひとつ。今さら原水禁と原水協の統一だとか共同行動なんて、臍が茶を沸かすでしょう。原水禁なんて1984年の例の問題の時、殆んど滅んでいた。原水協も核拡散防止条約(核不拡散条約)を肯定評価した時点で事実上オワッテいます。済んだ組織同士、済んだ運動同士の共同など幻想・幻覚です。 もうひとつ。以下のコメントで私が基本的に同意できるのは、6番 KM生様の 「党と大衆運動」 ですね。これに照らして他の方の投稿を検証する、それが私の基本的視角になります。若干ラフな茶々になり、失礼な点もあるかと思いますがご容赦ください。 コメント一覧 1. 丸山眞生 2018年07月28日 22:48 日本共産党は、除名した古在由重氏(死を黙殺)、吉田嘉清氏、川上徹氏を名誉回復するのだろうか。 誤解があると思うんですが、川上さんは1984年の問題にまったく関わっていませんし、古在に同調した事実もありません。これは最後まで同じです。政治的見解を一にして共同行動をしていません。ただ出版人として古在の全体の仕事を評価して、追悼集会の主宰者を務め、それが川上さんが党を除籍される理由になりました。私的には古在と吉田、それに草野信男の除籍は不当ではありません。川上さんの除籍は不当です。ただし川上さんは不当だと思っていないでしょう。むしろ名誉と思っているでしょう。名誉回復なんか、するわけないし、誰ひとり望んでいませんよ。 2. KM生@管理人様 2018年07月28日 23:55 >もはや社民党は見る影もなく、共産党も遅れて社民党化しつつある中、もう遅いよという感じがする・・・。 老人クラブ同士が、「積年のセクト主義的過ちを越えて和解共同行動した」ところで、たすかにIt's too late.(^^) 現在社民は実質的潰滅。旧民主党に行った部分も、四分五裂した上に与党の補完勢力でしかない。 戦前コミンテルンが1930年代後半に「統一戦線政策」を打出した時も、社民は左派は闘争能力喪失し、右派は戦争協力。まして日共は、市中闘争は皆無で獄中闘争しかなかったが。正に「歴史は繰返す」だな。 まったく同感。It's too late. 3. 太宰ファン@異常な宮顕 2018年07月29日 02:07 1983-84年ごろだけど、宮顕が大衆運動に介入し、幹部の粛清など異常な指導をしていた時期がある。 原水協でより広い連帯を進めようとしていた吉田嘉清や事務局長を党が介入して追放(84年?)。私は吉田、草野、古在らの無原則的巾広主義こそ、運動の阻害要因だとの認識です。一言でいえば平和の敵を明らかにしない運動への変質です。宮本もそうですが、当時統一戦線担当だった金子満広が党の立場を鮮明に語っています。 民主文学会 同盟 で会誌問題(83年4月号編集後記に小田実への謝辞があった)にイチャモンを付けて党が介入、当時の文学会幹部の半分以上が退会。これは私は脱会した霜多、中里、山根、中野ら7名を支持する立場ですが、小田の側に党と民文に対する攪乱の意図があったことも事実です。そのご上田耕一郎も絡んで面倒が起ります。私は上田のマルクス主義からの逸脱だと観ています。 原発問題では、「東京に原発を」の広瀬本が話題を呼び反原発運動が市民層に広がると、反広瀬本キャンペーンを「赤旗」「前衛」「文化評論」誌上で大展開、「反原発は反科学論」と主張。広瀬隆は反共だったでしょう。原発問題を超階級的に捉えるのは誤りです。広瀬が正しかったということではありません。 当時、小田実の無党派市民運動のキャンペーンとかあり、宮顕が「無党派は無責任、これからは政党の時代」と大演説をしていた記憶がある(私は党の会議で、「これからは無党派と共産党の時代」と主張するのが正しいのではないかと意見を言った記憶あり)。大衆運動での党指導の徹底、思想純化?を図っていた印象。そういう印象だったでしょう。革命思想の風化ですね。上耕にして風化です。これはブルジョア議会主義のもたらした思想的後退でしょうね。上田はかつて自分の書いた『マルクス主義と現代イデオロギー』を読み直すべきでした。思想的には現代修正主義に後退でしたね。過去の構造改革派の思想です。 ま、ソ連・東欧崩壊、天安門、拉致発覚等、もろもろの嵐の前の、最後の勘違い暴走だったな。 4. 623@過去の総括をしてから言え! 2018年07月29日 04:37 大衆運動に共産党が介入すると衰退、分裂する。そんなことはありません。前衛党ですから、あらゆる大衆運動に介入しなければなりません。ただ大衆運動組織の自主性を損なう介入もありました。難しいですね、実際は。 もはや高齢化で原水禁運動は次世代へ託すのみだが、たつみコータローは今頃何を言ってる。過去の総括をしてから言え!たつみコータローはだめですねえ。ブサヨ様も反省して欲しい(笑)、自民党亭での宴会がだめで、党創立96周年記念パーティーがよいなんて、次期委員長候補がねえ? 5. 永井 2018年07月29日 05:48 小田に関してはソ連から資金貰ってたから、対立していた日共としてはある意味当たってたのでは?当時に共闘してたらソ連傘下の運動に党員させられてたでしょう。 これは当時の赤旗が書いていたと思いますが、下に太宰ファン様が仰っているのが正解でしょう。共産党の強引な解釈だと思います。KM生様の書かれている吉川勇一は事実でしょうが、これを小田が承知していたかどうか、疑問です。吉川ははっきりと共産主義労働者党の幹部です。ソ連は党派の活動家には金を出しても、無党派の小田には出さないでしょうね。 6. KM生@ 党と大衆運動 2018年07月29日 06:06 1) 「組織なき大衆運動は幻想である」こと自体、私は否定しません。よく引合いに出されるレーニンの「大衆運動だけなら労組結成まで。これを発展させて社会変革に繋げるには前衛党が必要」というのは、正論であります。 2) しかし決してこれは、「政党は大衆運動に介入せよ」ということではありませぬ。徳球時代の産別会議引回し、宮顕時代の「労組学生運動を党勢拡大の道具としてしか捉えない」等々、結果は惨めな大衆運動の後退と党勢の衰退でしかありませんでした。 3) 結論的に言えば、「党は裏方に徹せよ。大衆運動を継続的に発展させ、これを社会変革に繋げる指針を示せ。大衆運動と党は車の両輪。ともに発展すべし」というところでしょう。今更「馬鹿に付ける薬はありません」が(^^)。 7. 太宰ファン 2018年07月29日 07:35 5.永井さま wikiノートを見ると、小田実=ソ連資金は必ずしも確定した事実とは思えませんが、同感です。 なにかソースをお持ちですか? 宮顕のやり方ですが、結局、戦後一貫して「左翼支持層」と言うのが確固としてあって、宮顕はその中で共産支持を増やすという基本戦略だったと思う。だから、自民批判よりも、社民批判がメインになってるんだと思う。これはあるでしょうが、あって当然とも言えるし、微妙ですね。向坂協会派批判。 で、いま、その「左翼支持層」がどんどん減って行くと、実は、打つ手がない、どうしていいかわからない、ってのがあるんではなかろうか。 8. 太宰ファン@社会発展の法則 2018年07月29日 07:43 宮顕、不破哲、日共は、「左翼支持層」が減って行くなどとは夢想だにしなかった。なぜなら「資本主義の矛盾」(スターリン)がある以上、左翼支持層は増えて行くのが社会発展の法則だと盲信していたから。もう、いいかげん、勘違いから目覚めなきゃな。党幹部はそこまで御目出度い「一路革命勢力必勝」論ではなかったと思いますよ。問題は議会主義の幻想だった。議会にしか目が向かなかった、気がついたら民青が激減していた。 9. ハスカップ 2018年07月29日 07:47 ここの過去ログを見るからに、長野では党勢が落ちてるのが一番の要因かと。 生出の事件とか。 長野って、党が強いのか弱いのか、よく分りませんね。サドルに精液だから、強いんでしょうね。小山農って長野出身でしたっけ? 拍手欄に投稿 原水禁運動の過去 投稿者 : KM生 07/29 18:51 戦後間もない頃から林百郎・高倉輝2人も衆院議員輩出。小山農や藤浦修司など「最後の民青全学連委員長」も信州大出身ですた。 10. KM生@太宰ファン様 2018年07月29日 07:48 1)「小田実と共にべ平連の代表だった故吉川勇一(1964年原水禁部分核停問題で日共除名)がソ連から資金提供されていた」のは、旧ソ連機密文書公開で明らかになっています。私、吉川の出自がよく分りません。1964年除名なら「日本のこえ」でしょう。だからソ連が金を渡したのでしょうが、どうもピンと来ません。共産主義労働者党結成に関わったのは確実ですが、第三回大会で党がトロになった時の対応も不明です。結局市民主義者になってしまったのでしょうね。 2)宮顕にとって、「大衆運動は党の伝動ベルト」という立場ですた。 11. 太宰ファン 2018年07月29日 07:58 KM生様 そうですか。いろいろ調べてみます。 16. KM生@1箇所気になった点 2018年07月30日 10:15 >30年ぶり共同行動 1)ということは、中央段階では「団旗自粛問題」を巡って84年時点で分裂(そして統一は回復せぬまま今に至っている)したが、長野では88年まで統一行動は継続していたということか。今更「統一行動回復」などといったところで何の意味もないが、むしろ「中央段階で分裂後も、地方段階では4年後まで統一行動継続していた」ということの方が興味を引く。 2)それにしても55年に始まった原水禁運動63年。早くも8年後には「部分核停条約」の評価を巡って禁と協の分裂。その後も(表沙汰にはならなかったが)、66年以後原水協内部での中国の核の評価を巡っての対立。こうした中でも禁と協の統一行動は模索され続けたが、遂には84年に決定的分裂して34年後の今に至る。いわば63年の歴史の上で、統一期間(分裂後の統一模索期間も含めて)よりも分裂期間の方が長くなった。ある意味、「日本左翼の根深い排除とセクト主義の論理」の典型を見るようである。まさに「馬鹿は死ななきゃ治らない}(^^)。 何時もは連れ合いの占有物である赤旗日曜版7月29日号を探して(4頁目)を読みました。KM正様が書かれている、長野では88年まで統一行動が持続していた、というのは私は??でしたので、一番に見ました。何も書かれていませんでしたね。この件もですが、1頁すべて読むに耐えないグスグスの記事でした。結構毛だらけ猫灰だらけで、要は何もありません。各地の被団協が解散していますから、最後の線香花火でしょう。核兵器禁止条約は論外として、ヒバクシャ国際署名が統一行動の力になったとあります。確かに全国でかなりの自治体が保革をとわず賛同の決議を上げています。これを高く評価しているのでしょう。しかし私的には玉虫色、アメ帝を非難せず、日米安保廃棄に触れない署名運動や、統一行動は日本革命運動にとって何の役にも立ちません。まあそれは置いて、原水禁運動を通じて民青の千人でも増やしてみろということです。嗚呼、疲れた。 17. 太宰ファン@日和見共産党 2018年07月30日 12:23 原発もそうだが、過去の言説にほっかむりする日本共産党のやり口は情けない限り。ここは、中国、ソ連、北朝鮮の核兵器は防衛的なもので正しいんだ!と従来の言説を隠さずに主張すればいいだろうが。 これは党自身がグラグラ、クラクラ変わってきていますから、無理でしょう。上のKM生様の「(表沙汰にはならなかったが)、66年以後原水協内部での中国の核の評価を巡っての対立」 は私も初耳ですが、こういう事を含めて、対中国、対ソ連、対朝鮮は、メチャ変わっていますから。それには先方の問題もありますがね。
2018/07/29(日) 08:42:29 |
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古本屋通信 No 3464 2018年 07月27日 まさにカルト新聞=毎日新聞 毎日新聞一面 「オウム6人死刑執行 」、同三面 「カルト 心の隙狙う 」。やっとれんな、統一教会=文鮮明一家による毎日新聞社襲撃はないのだろうか? これでよう統一教会(統一協会 統一原理)は黙っとるな。明らかに名誉毀損が分かってるから、匿名記事に仕立てる出鱈目。ワシちっとも文鮮明さんの味方ではありません。カルトという一点では、オウムも、文さんところも、その他のあらゆる新興宗教も大同小異だと思います。 だが、オウムとその他のカルトとの決定的な違いはあります。それはオウムが人を殺しているのにたいし、その他のカルトは大量殺人にまで及んでいないことです。これは決定的な違いです。 私は毎日新聞のきょうの出鱈目記事にたいしては、統一協会はもとより、あらゆる宗教、とりわけ創価学会は厳重に抗議すべきだと思いますが、決してしないでしょうね。だからカルトなのです。 統一原理を大学から締め出す、超党派の「統一戦線」(?)が実を結ばないうちに、党派のほうが壊滅してしまいました。可笑しかったのは党派の自滅と同時に、カルト集団も大学から消えたことです。つまり左翼党派あってのカルト宗教だった。 オウムは大学内で一本釣りはやりましたが、偽装サークルは作りませんでした。そういう点で大学当局のカルト対策なんて、アホでしかない。まあ創価対策でも練りんさい。怒るでえ、池田さんが。 投稿がありました。なるほど。 まさにカルト新聞=毎日新聞 投稿者 : KM生 07 /28 07:50 毎日新聞は聖教新聞の印刷引受けてますから、学会を批判できるわけがないですよ(^^)。
2018/07/27(金) 16:15:05 |
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古本屋通信 No 3460 2018年 07月26日 松崎明は革マル派ではなかったでしょう みなさんは松崎が革マル派であったことを自明の前提にして投稿しておられるようですが、ちょっと異論を挟んでおきます。確かに死ぬまで革マル派だったという見方も根強くアルのですが、私は以下の3点で松崎は遅くとも1980年代には革マル派を離脱していると見ています。その前に革マル派と松崎の私の評価ですが、私は革マル派の隠れファンですが、松崎は国鉄民営化で組合員を売った労働運動の裏切り者です。① 松崎自身が『松崎明語録 秘録』(同時代社 2008年)の宮崎学との対談で、革マル派との関係を否定している。② 中核派の動労千葉の委員長にして政治局員・中野洋の死去にあたって追悼文を寄せている。中野洋は事実上は中野派と云われるくらい中核派のトップである。③ 松崎の死去にあたって、革マル派の機関紙「解放」は完全黙殺した。松崎が構成員だと考えられない、ありえない対応である。 3. 山下よしき次期委員長待望 2018年07月24日 01:52 にゃん氏も酷いが、TAMO2氏も動労の松崎氏が死んだときとかに暴言を吐いていましたよね。TAMO2氏も毒舌を反省したほうがいいわね。そんなことより志位氏の回復お祈りします。 4. KM生@山下よしき次期委員長待望 2018年07月24日 07:34 松崎は、「謀略殺人者集団=カクマル」の黒幕だった。TAMO2氏ならずとも、松崎の死を歓迎するのは当然だ!松崎なんぞは、地獄の業火で焼かれればよいのだ(^^)! 9. 623@山下よしき次期委員長待望 2018年07月25日 00:00 私もKM生様。TAMO2様を支持します。 それ位、罪深い事を重ねたんですよ松崎は。 10. KM生@山下よしき次期委員長待望 2018年07月25日 06:04 今頃になって数年前の松崎明死去の件を蒸返してくるとは、ひょっとしてカクマル派の回し者? 11. TAMO2 2018年07月26日 00:22 闘う仲間を当局へ売った、カクマル松崎は全労働者階級の永遠の敵だ!12. TAMO2 2018年07月26日 00:24 おっと。「カクマル」と書いちまったが、こっちはスターリニスト系であって、革マルの兄弟である中核派ではありませんw KM生様の其の後の投稿 松崎明は革マル派ではなかった? >松崎明カクマル説この辺りは故人に聞かないと確認しようがないですが。たしかに松崎は、松川事件事故現場の記念碑に「権力は謀略する」と(大部分が日共党員シンパだった)同事件元被告にメッセージを寄せていました。事故現場を訪ねて「何でカクマルの頭目が?」と驚いた記憶があります。「謀略はカクマルの18番じゃねーか」と皮肉の一つも言ってやりたいところですたが(^^)。 投稿者 : KM生
2018/07/26(木) 01:39:31 |
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古本屋通信 No 3457 2018年 07月22日 伊藤律についての私の喪われた記憶 冒頭 NM生様の投稿を冒頭に貼る。拙文への批判である。すでに予告したように私は再論しない。 律についての私の喪われた記憶 投稿者 : KM生 1) 私が「伊藤律問題に関して中共の責任を問わない」のは、「徳球死後の北京機関内部での暗闘の末に伊藤律が査問除名された後、日共側の要請で中国が律を幽閉した」からですよ。即ち「律を多年に渡って幽閉した」のは、日共側に全面責任がある。中国はこの要請に従ったに過ぎない。2) むろん日共側は、「律問題は党の恥部であり、律が永遠に日本に帰国しないで北京で客死してくれる」ことを望んだ。しかし中国も、76年毛沢東死後4人組追放→78年トウ小平実権把握→革命外交の清算→東南アジア諸国共産党への武闘路線援助停止→ASEAN諸国と国交樹立と、改革開放路線を推進してきた。この段階で、中国亡命中の諸国共産党幹部の帰国も推進した。3) 80年当時日中両国共産党関係は断絶しており、結果的に日共側への打診のないままに律の帰国も実現した。このときの日共の対応は、正に「臭いものに蓋」でしかなかった。以上の経過からすれば、律の帰国を実現した中国こそヒューマニズムで称賛に値するのであり、「党の最高処分は除名」を自ら破り続けた日共こそが噴飯ものだったのです。 07/23 04:41 キンピーサイトの最新板の冒頭、太宰ファン様とKM生様の間で、以下の遣り取りがあった。私は介入できるような知識はないし、その意欲もないのだが、目にした直後の実感だけを書くならば、伊藤律は実質的には党に切られたと思った。これは最終的にである。律が日本に帰ってきたとき、党は 「今後は律の個人生活に関与せず」 とした。これは灰色決着だが、つまりこれまでの党見解(=律スパイ説)を訂正せず、だったろう。私はこれを基本的に支持した。それと関係するが、KM生様が、そして太宰ファン様も、(伊藤律が冤罪だったのは今日的に明らかです) とされていることを、私は論理的にはともかく、実感として、どうしても素直に受容できない。以下は下で。 1. 太宰ファン @同じ穴の貉 2018年07月21日 22:17 >「徳球北京客死後の日共党内の後継党首争い」 徳球とスターリン、同じ年に亡くなっていますね。 で、ソ共:よってたかってスターリンの腹心・べリアを粛正、 日共:よってたかって徳球の腹心・伊藤律を(事実上)粛正、 って、同じことやってます(大笑い)!3. KM生@太宰ファン様 2018年07月22日 05:43 >徳球とスターリン、同じ年に亡くなっていますね。 で、ソ共:よってたかってスターリンの腹心・べリアを粛正、 日共:よってたかって徳球の腹心・伊藤律を(事実上)粛正、 って、同じことやってます(大笑い)! 日共で真の意味で粛清されたのは、(伊藤律が冤罪だったのは今日的に明らかですから)志田重男ですよ(^^)。 古本屋通信 私は律が北京から帰ってくる前後、それ以来の資料を、もちろんご子息が書かれている本も精読している。なのにどうしてもスッキリ胸に落ちない。つまりいまだに灰色なのである。そしてハッキリ云えば、灰色が正しいと思っている。更に云えば、コミンテルンと戦後スターリン時代、日本で云えば徳田時代(主に北京機関時代)の歴史的検証は困難であるうえに、余り意味がないと思い至ったのである。それには野坂参三の除名が重く圧し掛かってきたという背景がある。私は野坂を除名した時点で、日本共産党史は無化した、つまり検証することの意味を喪ったと見ている。 ただ、それは党にとってであり、日本近現代史にとっては無意味とは云えないだろう。でも私にとって律は歴史の藻屑となって消えている。だから、かつて精読した文献の記憶は最早ない。 だが、かつて精読した本の書評のトップに太宰ファン様の文を見つけて、驚き且つ思い出したこともある。優れた書評だと思った。が同時に、書かれていないこともあると思った。引き続いて他の方の書評を読んだ。太宰ファン様の書かれていない事も発見した。そこで何点かをここに転載して、私の喪われた記憶を甦らせたいと思う。資料としての転載である。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 父・伊藤律 ある家族の「戦後」 伊藤淳 2016/7/12 以下はすべてアマゾンレビューの評価5です。 5つ星のうち5.0伊藤律夫人と息子さんの真摯な生き方に感動。日本共産党はなぜ謝罪しない? 投稿者太宰ファン 2016年7月16日 一気に読了。伊藤淳さん、文章がうまい。本の構成もバランスが取れていて、帰国をめぐる騒動、律とキミ夫人の個人史から母子家庭の様子、思い出など、多くのことがよく分かった。印象深いのは日本共産党の対応だ。本当に非人情な組織だな。いくら伊藤律に欠点があろうと、北京機関内で戦前の活動のスパイの嫌疑をかけ、中国に依頼して30年近くも監獄に入れっぱなしにしたんだから、まず、この非人道的な措置を反省し、伊藤律と家族に謝罪すべきだろうが!中国の党の方がよっぽど人道的だ(帰国に際し、伊藤律の生活を気遣い、50万円をくれたそうだ)。 日共は、謝罪しないどころか、帰国前から家族を恫喝し、帰国後は、伊藤律への誹謗中傷を党幹部が率先して行っている。野坂の所業はスパイのそれだ。宮顕も「伊藤律は、党幹部になるような優秀な人材じゃない、せいぜい地区委員長レベルだ」などと党員大衆(地区委員長多数含む(笑))の前で薄笑いで演説。こういうところに本性がでる。薄汚い権威主義、差別主義、俗物趣味には伊藤淳氏も苦笑している。 それにしても伊藤夫人の信念と愛情と党員としての節操には、しみじみ感じ入った。素晴らしい人じゃないか!マジに涙が出てきた。伊藤淳氏も、母親の生き方を尊敬し、入党したのに、スパイの子と「党員から」陰口され、監視され、落ち度がないのに「査問」されるなど、党の村八分的、封建的体質のせいで、想像を絶する目にあっている。本当に信じられる素晴らしい党員も見出しているのだが。 日本共産党ほど、謝らない、謝罪しない政党も珍しい。伊藤淳氏が北京で中共側の通訳の女性と、文革で弾圧され失脚した主人公が文革後に名誉を回復されて死ぬ映画を見たが、通訳女性は自らも文革経験もあり、泣いて訳せなかったそうだ。中共だって、文革犠牲者には謝罪している。なぜ日共はそれができない?おまえら世界最低の党に確定だ! 5つ星のうち5.0スパイ説の実像 投稿者クロダ 2016年7月17日 政治的な亡命で家族を振り切って中国に亡命し、日本国内では生死不明とされた伊藤律。本人のいない間にスパイ説は拡がり定着した。そのことを、本人は良く分かっていた。中国の獄中でも日本共産党の新聞を読むことができたからだった。情報は整理し記憶されていた。やっと日本に帰国できたが、スパイ説はすっかり定着しており、共産党に近い家族に対しても全面的に心を開くことができなかった。戦後、家族は懸命に生きたが、母子に対し絶えず警察の尾行がつき、幼い息子を買収しようと菓子を与えようともした。律の元の友人知人には、スパイ説を信じない人も存在し、律の息子を式典の席で宮本委員長に紹介してくれる人まであった。ゾルゲ事件で尾崎秀実と全面的に対立していたわけではなく、獄中で律と尾崎が生存を確認し再開を喜んだことも紹介されている。律の妻は尾崎の妻とは親交が続いていた。こうしたいくつかのことは通説がかなり脚色されたものだったことを語る。目も耳と不自由で息子が自分を探っているという妄想に時々律はとらわれ、家族をはらはらイライラさせた。それでも友人故郷いろいろな再会を喜び、好奇心豊富で、意欲を持った律の実像がつづられ、一気に通読することができた。 5つ星のうち5.0共産党の酷さが分かる本だ 投稿者古本虫がさまよう 2016年9月5日 この方は書評魔ですが、一貫して書評力がないと見做して、削除しました。つまり古本マニアはまずダメです。 5つ星のうち5.0伊藤律の次男の手になる「伊藤律=スパイ説」への反論の書 投稿者 榎戸誠ベスト100レビュアー 2016年10月7日 『父・伊藤 律――ある家族の「戦後」』(伊藤淳著、講談社)は、伊藤律の次男の手になる「伊藤律=スパイ説」への反論の書です。 「父・伊藤律は戦前来の共産党幹部でありながら、さまざまな方面からレッテルを貼られた男でもあった。いわく『生きているユダ』(尾崎秀樹)、いわく『革命を売る男』(松本清張)、いわく『ゾルゲと尾崎秀実らゾルゲ事件の関係者逮捕の端緒をつくった男』、いわく『権力のスパイ』(日本共産党)などおどろおどろしい表現が並ぶ」。 「しかし、父の死後、渡部富哉『偽りの烙印』、『伊藤律回想録』、『生還者の証言 伊藤律書簡集』などの発行がつづき、松本清張や尾崎秀樹、共産党などによって広く流布されてきた『伊藤律=スパイ説』はほぼ崩壊した。2010年になって占領下米軍情報部資料も発見されると、もはや伊藤律に貼られたレッテルの数々は消滅したに等しい状況となった。伊藤律冤罪説が通説になった」。 27年ぶりに中国から帰国したばかりの律と淳の会話から、淳の衝撃が伝わってきます。「『淳君、ぼくはどこにいたと思う? 監獄だよ。ぼくを投獄したのは野坂(参三)で、最後の査問にきたのは袴田(里見)だった』。私の身体を意味不明の衝撃が走った。・・・『ぼくらは野坂さんからお父さんが死んだって聞いた』」。 「父は他国の牢獄に27年間投獄された末に、中国政府によって釈放され帰国した。もとはといえば日本の(共産)党が査問をし(国家権力側の)『スパイ』と断定し除名した。その結果として監獄に入れられた。おそらく中国の(共産)党に依頼したのだろう」。このことを著者が知るのは、律の帰国後、暫く経ってからのことです。スターリンの虎の威を借る狐・野坂が、中国を動かして、律を監獄に送り込んだのは、自己保身のためでした。 本書には、私にとって非常に興味深いことが3つ記されています。 第1は、「伊藤律=スパイ説」を覆すのに大きい役割を果たしたのが、『偽りの烙印』という著作だったこと。若い時分、ゾルゲ事件に関心を抱いていた私はゾルゲ事件の研究会に出席し、そこで同書の著者・渡部富哉の講演を聴き、いろいろ質問した経験があったからです。 第2は、私の愛読書の一つである松本清張の『日本の黒い霧』中の「革命を売る男・伊藤律」について、出版元の文藝春秋が従来の見解を改めたことです。「3回にわたる交渉の結果、文春側は、この作品の歴史的位置づけ、時代の制約について『伊藤律回想録』や『朝日新聞』の記事などから引用、スパイではないという証拠が出てきているという説明、『偽りの烙印』や『伊藤律回想録』等を参照してほしいという断り書きを添付した文庫本を作成し、現行の文庫本は回収すると回答した」。 第3は、ゾルゲに協力したスパイとして死刑になった尾崎秀実の妻・英子と律の妻・キミが、戦前も戦中も戦後も非常に親しかったということ。「母(キミ)にしてみれば言いたかったのかもしれない。つらい時代をこれほど親身になって助けあって生きてきた両家族が、互いを裏切ることなどありえようか――。実際、秀実の異母弟・尾崎秀樹は伊藤律を『生きているユダ』としたが、尾崎英子は毅然としてそれに同意することはなかった」。 キミが語った次の話は、秀実と英子の熱い夫婦愛に憧れを抱いてきた私にとって意外なものでした。「尾崎(秀実)さんが捕まったあと、奥(英子)さんが私に言ったことがあります。私は尾崎(秀実)を嫌いになっていました。私はそのとき、どうしてですか、って聞かなかった。理由(秀実の派手な女性関係)がわかっていましたから。でもね、その後、また好きになりました、とも言っていました。あの手紙を読んでいく過程で変わったんでしょうね。命をかけてあれだけのことをやった人なんだから、とも言っていました」。『愛情はふる星のごとく』の手紙のことだろうと著者が確かめると、キミは頷いたと記されています。 5つ星のうち5.0「スパイ」の汚名を着せられた男の、妻と子どもの物語。その凛とした生き方。 投稿者呆け天ベスト1000レビュアー 2016年11月30日 伊藤律(1913~1989)の次男・淳が、父の没後27年、母キミ没後13年の時を経て著わした、父と母への鎮魂の書です。 「生きているユダ」(尾崎秀樹)「革命を売る男」(松本清張)「権力のスパイ」(日本共産党)などの、おどろおどろしいレッテルを貼られた男。とっくの昔に死んだと思われていたのに、29年の時を経て生存が確認され、1980年9月に北京から日本に帰って来た伊藤律。 伊藤を監獄に入れておくように依頼した日本共産党(当時の最高幹部・野坂参三など)は、いわば「よみがえった亡霊」である伊藤に、帰国後もスパイの汚名を貼りつづけた。今も日本共産党による伊藤と伊藤の家族への謝罪はなされていない。 しかし、伊藤律の死後に発表された『偽りの烙印』(渡部富哉、1993年)という一冊の本が、伊藤律スパイ説を根底からひっくり返してしまった。 「ゾルゲ事件=伊藤律端緒説」を、膨大な特高資料を読み解き、関係者への執拗な取材をつづけ、腕利きの探偵でもできないような推理と実証で、突き崩していく。「事実をして語らせる」渡部の執念は、数十年にわたって「常識」とされてきた伊藤律=スパイという烙印を、あざやかに崩落させた。 文芸春秋は、2013年に松本清張『日本の黒い霧』(文春文庫)所収の「革命を売る男・伊藤律」について以下の措置をとると発表した。 ・現行の文庫本は回収する・新たな版では、伊藤律の冤罪を証明した『偽りの烙印』や『伊藤律回想録』等を参照してほしいという断り書きを添付する。出版界に君臨する大会社が、自社の出版物について全面敗北ともいうべき態度をとるのは極めて異例です。渡部の著作が、いかに優れたものであったか。常識とされてきた「伊藤律スパイ説」が崩壊し、やがて日本共産党は「野坂参三除名」という結論を出さざるを得なくなる。一冊の本がもつ力を、まざまざと見せつける事件でした。 本書の著者伊藤淳は高校3年のときから、日本共産党の党員です。自分の父について「スパイ」「革命の裏切り者」と烙印をおす政党の党員であり続ける。そこには、常人には理解が及ばない深い陰影があります。 伊藤律の葬儀の場で、出棺の時がきたとき、渡部富哉は当然のように用意した赤旗で棺を覆った。律の長男・徹がその赤旗を剥ぎ取った。渡部は黙ってもう一度赤旗をかけた。徹はいささか気色ばんで、もう一度その旗をひきはがした…。 共産党が葬儀に出席しないようにお触れを出したにもかかわらず多数の地区党員が参列した葬儀。共産党から「反党分子」とレッテルを貼られている渡部たち旧所感派(徳田派)に連なる人々が居ならんでいる葬儀。その場で、渡部富哉と律の長男・徹との間に散った火花。 著者の伊藤淳は「兄は単純に、父の周囲からすべてのものを引き剥がしてあげたかった…身辺にはなにも付着しない状態、どこにも誰にも気がねせずに眠れる状態、要するにきれいなゼロのかたちで旅立たせてあげたかった…それは兄から父に捧げる痛切な哀惜の念ではなかったか。」とこの場面を結びます。 渡部の、この激しさがあればこそ、律の冤罪は解かれた。二人の息子の、父・律への敬意と愛があればこそ、律のおだやかな晩年があった。長男・徹と、渡部が火花を散らすこの場面、まるで映画の一シーンのようです。 5つ星のうち5.0「ある家族の戦後」から浮かび上がる権力者の腐敗 投稿者白河夜舟 2016年10月26日 ゾルゲ事件との関連でその名を知られる伊藤律が北京での27年に及ぶ亡命、幽閉生活から解放されて帰国したのは1980年9月3日のことであった。今ではゾルゲ事件の全貌はほぼ解明され、「生きているユダ」という消しがたい烙印を押された伊藤律の冤罪も明らかにされている。 ただし本書はゾルゲ事件を扱うものではない。それは1951年にレッドパージを受けた伊藤が姿を消したもう一つの事件、政権の弾圧下に展開した日本共産党内部の権力闘争である。伊藤はスパイの容疑によって、北京で極秘裏に野坂参三らによる査問を受け、そのまま北京の監獄で呻吟する羽目に陥った。そしてその27年後、北京での幽閉から釈放された知らせを受けて迎えに来た次男の淳に述べた最初の言葉は以下のようなものだった。 「淳君、僕はどこにいたと思う?監獄だよ。ぼくを投獄したのは野坂(参三)で、最後の査問にきたのは袴田(里美)だった。」 伊藤はすでに党を除名されていたが「野坂の疑惑について」党に報告するつもりでいた。「ミヤケン(宮本顯治)に話せばわかる。わかってもらえるはずだ」と言う。スパイ物語によくある。上司として信頼していた男が敵と通じていることを知らなかったのだ。 第三者を介して伊藤律からの手紙を受けた妻のキミはまず中国大使館と連絡を取り、次いで共産党本部に知らせた。キミは筋金入りの党員であった。その夜、病身のキミを訪れた野坂は開口一番、「キミ同志はなぜ律と離婚しなかったのか」と詰問した上で「なぜ党に事前の相談もなく中国大使館と連絡をとったのか。これは党にたいする裏切り行為であり許されないことではないか」と続けたという。 すでに周知の通り、野坂こそがソ連のスパイとして弾劾されるべき身であった。彼はその後100歳にして共産党名誉議長を解任され、除名処分を受けた。明らかになっていることは山本懸藏ほか数名の同志を不当に告発してスターリンの粛清に手を貸したことであるがもちろんこれがすべてとは思えない。野坂自身は「残念ながら事実なので処分を認めざるを得ない」と述べた以外は何も語っていないがその酷薄さは伊藤律の処分だけでなく、その家族へのこのような処置にも現れている。野坂にしてみれば党内で対立する徳田球一が病に倒れたのを好機として、その右腕であった伊藤律をうまく権力の座から追い落としたのである。 同じような酷薄さは宮本顯治についても言える。にわかにメディアの注目を集めた伊藤律問題に対する「赤旗」の反応は、執拗な報道批判に次いで伊藤に対する人格批判へと矛先を向けていった。宮本委員長みずからも9月11には全国都道府県委員長を招集し、そこで「伊藤律の問題」を報告し、伊藤がいかに節操のない小物であるかを力説している。伊藤の妻キミも次男の淳も依然として忠実な共産党員であった。息子である淳は重度の身障者に等しい父に対する党を挙げての嘲弄にともすれば平衡感覚を失いそうになったという。 本書の本来の主題は「ある家族の戦後」、具体的には北京から帰国後の伊藤律、さらには彼の生涯の伴侶であったキミの人生記録である。しかし評者の心に最も強く響くのは、サギをカラスと言いくるめて恥じない権力者たちの恐るべき人間像である。 淳によれば、律断罪の典拠はまだ中国に保管されているはずの「二千頁に及ぶ律文書」であり、共産党によってその「中心的部分」から「引用されている箇所も恣意的で党に有利な部分ばかりである。」伊藤律を北京で査問した野坂も袴田もその後、党の除名処分を受けているにも拘わらず伊藤の死後の名誉回復の訴えはすげなく退けられた。 過ちを認めないのはこの政党に限ったことではない。本書の「あとがき」には1999年10月29日号の『週刊朝日』が、伊藤律が「キャノン機関の協力者」であったという疑惑を報道し、それを撤回させるのに2年に及ぶ交渉を必要としたことが述べられている。(朝日新聞がかつて「伊藤律架空会見記」で世間を騒がすという汚点を残していたにも拘わらずである。)松本清張の『日本の黒い霧』の「革命を売る男・伊藤律」についてもゾルゲ事件についてのその後の研究成果を付した「断り書き」を添付した文庫本を旧版と差し替えさせるまでに多大な労力を必要とした。 本書を読んで「伊藤律問題」についてさらに詳しく知りたい人には伊藤律本人の手になる『伊藤律回想録―北京幽閉二七年』を最良のものとしてお勧めしたい。 5つ星のうち5.0革命の裏切り者は家族からも追放せよ!日本共産党がけしかけた“嵐” 投稿者エトピリカ 2016年7月28日 何故離婚しなかったと迫る野坂、文切りの対応と情報の秘匿を迫る党中央。批判から嘲笑に代わる機関紙の論調。一読してまず思ったのが日本共産党という組織の厳しさである。 そんな中、YouTubeで動画を見た。 2016年東京都知事選で、日本共産党の戦車みたいな街宣車が大音量の演説を流すことで、桜井誠候補の演説をかき消し妨害する、いわゆる脱法行為の動画である。 動画に映る笠井亮、吉良よし子、池内沙織、米倉春奈の顔を見て、評者は愕然とした。 こんなことを平然とした顔でやるなんて。 やはり日本共産党の体質は今も変わらないのだろうか? 若い人、日本共産党という組織を知らない人こそ読んでほしいと思った。 文中に日本共産党離党前の川上徹が出てくるが、党内にも面従腹背してる人がいたのが、ちょっと意外だった。 5つ星のうち5.0日共批判を超えて 投稿者くまちゃん 2016年7月18日 伊藤律問題についての宮本顕治や不破哲三をはじめ日本共産党の対応を批判するだけで本書を読むのは、著者や著者の母キミさんにとって不本意だろう。本書はゾルゲ事件をめぐる様々は問題についてこれまで知られていなかったことを提示している。尾崎秀実の妻と著者の母が、世間では夫を売られた妻と売った妻なのに親しい交流があったこと、それこぞ権力側のスパイだった川合貞吉の子女が著者と同じ高校だったこと。こんなことから伊藤律スパイ説を広く広めた異母弟・尾崎秀樹に子供がいたとしたら彼ら・彼女たちの歳月はどのようなものであるのか、歴史とはなんと過酷なものかと、読後慄然たる思いにとらわれた。 古本屋通信 全体を通読して。太宰ファン様をはじめ多くの論者はなぜ日本共産党を非難して、中国共産党を非難しないのか。日本の党が中国の党に伊藤律を売ったというのは当らない。これは野坂が山本懸蔵をスターリンに売ったというのが当らないと同様である。兄弟党だが、律に長期の獄中生活を強制したのは中国の党である。お荷物だから日本に送還した。冤罪だったか否かは中国の党が明らかにせねばならない。日本の党は中国の党の決定に責任はない。まして30年前のことである。 まあ史的唯物論の立場からは、日本共産党は正しかったと思うよ。いつもそう思う。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 書いたことさえ失念していた旧稿を再録する。 古本屋通信 No 1960 2016年 6月05日 復習・伊藤律問題 キンピーサイトの最新エントリーで教えられたが、伊藤律の息子さんがやがて新刊書を出すそうだ。詳しくはそちらを訪問してほしいが、私はこの機会に伊藤律問題を復習しておきたいと思う。日本共産党史における伊藤律については、准公式の党史(『日本共産党の45年』~『日本共産党の80年』)に書かれていただろうし、ゾルゲ事件でのスパイ説は松本清張 『日本の黒い霧』 に書かれていた。それが律の北京からの帰国の頃から怪しくなってきた。私は帰国前の数冊も、帰国後の記事や単行本も、当時刊行された限りで読んでいると思う。しかしいまでは記憶が薄れているので、律はスパイではなかったと断定できない。2年ほどまえ元東大民青氏とのやり取りの中で、かれが 「伊藤律はスパイではなかった」 と断定するのを聞いて、やや違和感を覚えた記憶がある。私の中では依然として律は灰色だったのだ。伊藤律問題についての日本共産党の見解も灰色決着に近かったのではないか。すなわち従来の党見解を変えるには及ばないが、帰国後の律の個人生活には関わらないという立場だった。しかし律の側で色々な事実を発表した際には最低限の党としての対応を迫られたと思う。それらを総合しても、日本共産党はやはり灰色決着だったのだろう。私もその影響を受けているかもしれない。私は今でもよくわからないというのが正直なところだ。そう思って自分の過去記事を検索してみたが、何もヒットしなかった。とりあえず復習のための資料として2本を貼っておこう(古本屋通信 )。 (ウィキペディアをざっと読んで) その後ウィキをざっと読んでの私の感想を記しておく。私は律シロ説に、ほぼ同意する。ただし現在の日本共産党の対応はやむを得ないというのが私の見解である。その理由に限って書く。 伊藤律スパイ問題は党の戦後の混乱期に、主要には党の革命路線を巡る所感派と国際派の対立を背景にして起きた。律が所感派の首領・徳田の右腕だったことも周知の事実だ。だが律スパイ説は主要には国際派が関わらないところで、所感派内部の権力闘争として推移した。ウィキに書かれている通りである。律の中国行きも、その後の処理も、所感派内部の北京機関が関わっている。中国共産党は日本共産党に協力しただけであり、律の白黒に関与していない。これは基本的には最後まで変わっていない。だから最後はお荷物として放り出した。 問題はここからである。確かに日本共産党は分裂時代に律をスパイとして断罪する党決定をした。そしてそれは統一を回復した6全協や第7大会でも承認されている。しかしこの統一回復自体が所感派と国際派の妥協の産物であった。具体的には6全協は宮本と志田の手打ちの産物であり、第7大会は宮本と野坂のバランス人事だった。私は宮本擁護の立場だが、これは良いも悪いもコレしかなかったのである。実質のトップは宮本だったが、かたちのうえのトップは議長の野坂だった。これは何を意味するか? 伊藤律問題での従来の党決定を変更しないことを意味する。で、律の帰国まで何の変更もなく律スパイ説を踏襲してきた。 律が中国から帰国したとき、野坂はまだ失脚していなかった。私は宮本の心中は複雑だったと思う。だからこのときの党の対応は極めて中途半端でへっぴり腰だった。しかし律の名誉回復できる党内状況にはなかった。一度スパイとして断罪した以上、疑いが残っていれば、スパイでない確かな証拠がない限りスパイである。名誉回復と口で言うのは簡単だが、これには当然ながら律の復党問題が絡んでくる。とうぜん復権させた律は党の常任幹部ということになる。日本共産党は触らぬ神に祟りなしの態度を貫徹した。私はこれは非難できないと思う。 やがて野坂はコミンテルン時代に山本懸三をスターリンに売って死に至らしめた罪で党を除名される。私はこの除名を認めていないが、それは措いて、このとき、党は律の名誉を回復すべきチャンスだった。然しやらなかった。理由は色々あるだろうが、この時点での名誉回復の基準はスパイ説の白黒だけではなく、戦後党史の上で律がはたしてきた功罪の総体が問われたのではないだろうか。そしてやがて宮本は引退し、ボケがはじまり、鬼籍に入る。 あとは不問である。私はこれはこれでよい、というより仕方がないと思う。遺族にすればたまらないだろう。しかし歴史とはそういうものだ。かなり日本共産党を擁護する文になってしまった。これが正直な感想である(古本屋通信 )。
2018/07/22(日) 13:43:32 |
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古本屋通信 No 3455 2018年 07月21日 ウジムシ(中核派のことではありません。洞口さん ゴメンね) を殲滅しよう 合同投稿サイトの宿命とは云え、また凄い新入り(成様) が湧いたナ。コレが一寸我慢できないのは、独立文だとハナから死文なのに、他人の真っ当な投稿に冠せて投稿することだ。その点ではにゃんチャンの二番煎じだが、マア文章はにゃんチャンの方がずっと上手だ。こりゃ、にゃんコよ、褒めてやったゾ、うれしいか? アホ文の批判だけではさみしいから、上にKM正様の玉稿を貼っておく。昨日の投稿の御礼も兼ねて。 ありゃ、そうしているうちに常連のひろゆきの様 の投稿、これまたデタラメな日本語に加えて時空を超えた、つまり戦前と戦後の時代認識皆無の低脳文だが、今回はシカトする。コッチが阿呆になるからナ(ひとつだけ教えてやる。劇団民藝は民芸ではない。固有名詞だから必ず民藝だ。この誤用は文字にした瞬間に分からねばならぬ )。 1. KM生@管理人様 2018年07月21日 00:44 >こんな大事件の資料で、まだ非公開(というか、出版時に見つからなかった?)のものがあったのかと驚きを禁じ得ない。 特高資料などいまだ大部分が非公開ですよ。近代史研究者は、戦後70年以上経た今日尚(わざわざ渡米して)米国議会図書館で(占領時に押収された)旧特高資料を参照しているのが現状です。むろん日本への返却は度々求められてきましたが、(日本政府への返却という形になるが、日本政府側の公開の意思が確認できないため)見送られてきたのです。 >内容的には驚くような新事実は出そうにもないが・・・。 今回の文書に関してはそうかも知れませんが、例えばゾルゲ事件など(常識的に考えてゾルゲ機関内部に特高への内通者がいたはずですから)、「従来いわれたような伊藤律端緒説が崩壊した現在、果して誰が内通者だったのか」特高資料が公開されれば一目瞭然な筈です。むろん国際的歴史的大スクープになります。 結論的にいえば、特高資料は国民的歴史的財産なのですから、(特高資料に限らず)一定期間を経た政府関係秘密文書は国民の前に公開されるべきです。4. KM生@管理人様(追伸) 2018年07月21日 08:48 (成やひろゆきのの下らん御託は無視して、(^^) さらに付加えるなら、特高資料は大部分が(敗戦後特高解体が決定された時点で占領軍に押収される前に)特高関係者によって焼却裁断処分されたことでせう。米議会図書館に残るものも、辛うじて処分を免れた(特高資料全体の)ほんの一部分というところでせう。 空白の歴史を埋めるには、あとは(90年頃に赤旗「日本の暗黒」シリーズでとられた様な)「旧特高関係者への聞取り」という手法しかないでしょう。しかし戦後70年以上経た現在、旧特高関係者も大部分が鬼籍に入り(またたとえ生存しているにせよ)まともに答えられるかすらあやふやな年齢ですから、最早この手法も実質不可能でせう。 2. 成 2018年07月21日 05:11 そもそも共産党は指示通り内戦起こそうとした最悪の連中。党員はアホだから騙されてるが調べてれば分かるのに。ソ連の内戦転換論に従ったのが連中。戦後に対立するまで日本支部として手足だった。内戦が最も死者でるのは歴史が示してる上に、連中の望んだ路線の歴史だと冷戦下よ東欧のような有り様に日本がなってた。民主主義国家の左翼は利益を全て得ながら最悪のことをしてきた連中。スターリンの各地域の連中粛清すら民主主義国家にいたのは民主主義国家のおかげで守られた。それを破壊しようとしてたのにな。 古本屋通信 あほらしいけど、原則的に批判しておく。 まず内戦云々だけど、これは 「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」 をコミンテルン(国際共産党)のスローガンに見立てた言い掛りだろう。だがコレはそもそも第一次世界戦争を内乱に転化させて革命を成功させた1917年のロシア革命に端を発する。その後のコミンテルンに受け継がれたが、そもそもレーニン主義の基本テーゼであり、スターリンに特有なスローガンではなかった。 阿呆に訊きたい、戦前の絶対主義天皇制、その圧倒的な侵略戦争に対する日本共産党の正しいスローガンは何か。貴様は屈して権力にひざまづき罪なき大陸の民衆を皆殺しにした天皇制賛美者(社会ファシスト)を是とするのだな。死ねや、百年おくれのファシストめ。当時の日本共産党は弾圧によって根こそぎ監獄に繋がれたから、帝国主義戦争を阻止する力はなかった。それでも獄中にあって、帝国主義戦争反対の旗を降ろさなかった。それが帝国主義戦争を内乱に転化せよであった。これは全く正しいスローガンであった。コミンテルン各国支部で、このスローガンが当てはならない共産党など皆無であった。嗚呼つかれた。なんで阿呆にこういう高校生向けの説教をせにゃならんのだ。 後半はキチガイじゃな。内戦で死者が出るだと? 残念ながら日本は帝国主義戦争を内乱に転化できなかった。だから多くの死者は出なかったのか? 15年戦争中に限ってでも、何百万人の日本人が死んだか。そして何千万人のアジアの民衆を殺したか。それにしても自分の書いた文を声を出して読んでみろ。 内戦が最も死者でるのは歴史が示してる上に 、連中の望んだ路線の歴史 だと冷戦下よ東欧のような有り様 に日本がなってた。民主主義国家の左翼は利益を全て得ながら最悪のことをしてきた連中 。スターリンの各地域の連中粛清 すら民主主義国家にいたのは民主主義国家のおかげで守られた 。それを破壊しようとしてたのにな 。 読めるか? 意味が分かるか? 自分では分かるんだろうな。よいから自分のサイトを自分の力で作ったらよい。果たしてお客様が訪問して下さるでせうか? コレちょっと例があるので紹介しておきますね。高原さんと仰る方で、石崎さんの常連さん、私の拍手欄にも投稿がありました。かれのHPブログは以下ね。意味分かる? たぶん年間の訪問者ゼロね。現実論理への道 技術,制度,生活の背後にある「価値」と「方法,論理」 高原利生(安井利生) ugg21948@outlook.com http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/ ホームページの作り方に不案内で、見づらい。平文の羅列の形でしか、今のところ作れない。 前の方だけ、タイトルをカラー化し大きくした。 最近のブログコメントと関連するブログ 突然、2018年1月、石崎徹さんからブログmaganetoru.blog.fc2.comのコメントを削除するという通告があった。あちこちで引用していたので非常に困っている。 コメント729:石崎徹『ジョージ・オーウェル「1984年」』へのコメント 高原利生 2017.10.20-12.24 http://maganetoru.blog.fc2.com/blog-entry-1075.html#comment729 https://plaza.rakuten.co.jp/mozu0017/diary/201711030001/comment/write/#201711062359123621 https://plaza.rakuten.co.jp/mozu0017/diary/201708250000/comment/write/#comment これがミスで消えたらしいので、上のコメントを送った。 コメント701:「物々交換から始まる全体」(三版まで「物々交換をめぐる全体」):石崎さんブログ「マルセル・モース「贈与論」 2017.07.24」へのコメント四版 高原利生 by 高原利生 on 2017/08/11 http://maganetoru.blog.fc2.com/blog-entry-1046.html#comment701 コメント696「物々交換をめぐる全体」:石崎さんブログ「マルセル・モース「贈与論」 2017.07.24」へのコメント http://maganetoru.blog.fc2.com/blog-entry-1046.html#comment696 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 冒頭で洞口さん の名前を出したのは、彼女が前進チャンネル のナレーターをしていて、その最新版・質問コーナーを私が見ていたからだ。きのう前編の録画があった。数日中に後編もあるだろう。 前編に限っての感想。面白かったのでお勧めですが、いくらか気がついた。 「前進」の名前の由来は了解したが、「中核(派)」は逃げていた。1963年の革共同第三次分裂で、「カクマル」(中核派の用語)が脱落して、そのご中核になる組織という意味で北小路敏が提案して決まったそう。ウソではなかろうが、いい加減である。中核は極左時代の日本共産党の非合法組織・中核自衛隊から採った命名である。また1963年の分裂時は革共同全国委員会であった。今もそうである。中核派というのは学生組織のマルクス主義学生同盟(中核派)に由来する。親組織の革共同全国委は中核派とは言わなかった。もともとはマスコミの便宜的な呼称だった。それがたぶん立花隆の本のころから、中核派になってしまった。当初はいやな顔をしていたが、面倒になったのだろう。いつの間にか 「中核派で構いませんよ」 となった。それが経過である。まあ後は視聴してください。大衆化路線ですね。斎藤君によると 「党の革命」 というそうです。洞口さん、よく勉強してますよ。まったくボロを出していません。アッ、ほらぐち と読みます。「二世党員ですか」 という質問には、口を丸めて誤魔化していました。二世なんです。付記 ねんのために再視聴した。上記は間違いではないが、洞口さんは中核派の呼称の始まりを、学生戦線で最初に(北小路の提案で)使われたとしていた。この点では正確であり、私の書き方が誤解を生んだかも。後編は別の青年がナレーターだった。 全体に分かりやすく、難問にも的確に答えていたが、ただ一点、革マル派については全く説得力に欠けた。まあ無理もないが。 それと中核派のオウム真理教についての見解を別のチューチューブで見た。なんと何時もはスラスラよどみなく喋る洞口さんが原稿の棒読みである。これは他人の書いた原稿の棒読みだろう。つまり中核派の対オウム見解など間に合わせなのだ。権力によって育成された・・云々も説得力がなかった。「カクマル」共々盲点だな。 後編を見ての感想。分かり易いが、疑問があった。自衛隊員を革命のために獲得する、というより獲得可能らしい。かつての小西を思わせる。解体の時期も遅く設定している一方で、警察権力は革命後ただちに解体するらしい。これは逆ではないか。理論問題ではなく現実の問題として逆であろう。 それから 「早稲田の革マル派はいつ解体できますか」 という質問に、「近いうちに必ず解体してみせます」 と答えたのには爆笑してしまった。いまだ早稲田の革マル派は健在、法政の中核派は絶滅。まあ京大と広大で頑張れよ。それと沖国大でもね。「カクマル派」 とは平和共存の時代なんよ。民青ともね。
2018/07/21(土) 06:23:40 |
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古本屋通信 No 3446 2018年 07月17日 共産党のボランティアは公共性を持たさず、共産党員と其の周辺の復興支援を 下の福木京子赤磐市議宅の支援こそ共産党のボランティア活動のお手本である。だって共産党員って平均年齢が65歳前後だ。若い党員は日々の労働で忙しい。はっきり言う。党中央の災害対策本部は即刻解散せよ。無用の長物である。何にも出来ないのに、やったやったのウソ宣伝は真っ平である。ひっそりと身内の被災の片付けをするのに、党中央の災害対策本部はいらない。 以下は全て福木京子さんのブログ 熱波の中、共産党のボランティアの支援が 2018-07-16 17:43:53 | 議会 今日のボランティアの方の写真を撮る余裕がなく、早朝見つけたひまわりの花にしました。 今日はさらに猛暑日になりました。太陽が照りつけ、10分ぐらいすると影に入らなくは持たない状況でした。このような中、午前中、共産党のボランティアセンターから、お願いしていた力持ちの方々を派遣していただきました。 6人も来ていただき、さっそく、大型の食器棚を6人がかりで移動させていただき、2人(大学生)がその場所の汚れたところをきれいに掃除していただきました。さらに何かすることはありませんかと言って、納屋の片付けも手伝ってくれました。 今度は、4人がかりで3点セットの大型のタンスを外から元の位置に収めていただきました。これは本当に大変だったと思います。60代の方2人と大学生の2人でやってくださいました。さらにもう1つ、洋服ダンスもはこんでいただきました。 6人の方は、今日は午後3時ごろまでボランティアをするつもりだといわれました。3連休の休みに、このようにボランティアで人助けをしていただくことは本当に素晴らしいことだと思います。ありがとうございました。 今日のあまりの暑さで、みんな疲れが出始めています。休み休みしなければと思っていますが・・・。 共産党のボランティアの方が支援に 2018-07-15 18:33:04 | 日記 わが家の裏庭に、スイカがこんなに育っています。無事に大きくなって、甘くなるようにと祈るばかりです。 今日も1日中、里で後片付け。次女も来てくれました。兄夫婦は、午前9:00前に家を出て矢井へ。昨日、ボランティアセンターへ連絡が出来ず、午前9:15にはすでに、若者2人がボランティアで来てくれていました。さっそく、冷蔵庫を動かして掃除をしていただいたりしました。 引き続いて、玉野市から4人がボランティアで来ていただき、網戸や、タンス、鍋類などきれいに洗っていただき、暑い中一生懸命支援していただきました。 玉野市では、以前水害被害が出て、私たちはボランティアに行きましたが、今後は、反対に遠いところから来ていただき支援していただきました。ありがとうございました。 タンスの下2段目の引き出しが開かず、とうとう裏側からのこぎりで板を伐って、濡れた衣類を取り出しました。こんなことをする人はいないと思いますが、このタンスをまた使おうという思いで、兄が汗をたらしながら、根気よくやって、きれいに水洗いして乾かしています。夫も今日は覗いて、少し手伝ってくれました。 今日も大変な作業で、ボランティアの方に助けられて、片付けに勢を出しました。 若者がボランティアで来てくれました 2018-07-14 22:49:51 | 日記 今日来てくれたボランティアの若者たち。 今日は、私の次女も2回目のボランティアに朝から来て手伝ってくれました。タンスは、下2段目まで水に浸かって開かず、重たいタンスは持ち出せないとあきらめていましたが、次女が、「このままにしているとカビがはえたり、くさくなるよ」と言うので、市社協の方にお願いして、若者支援を頼みました。 するとさっそく若者5人がすぐ来てくれ、タンス6個も持ち出してくれました。さすがに若者は力があるし元気です。汚れたタンスもきれいに水で洗い、雑巾できれいに拭いてくれました。 タンスは、2日ほど日に当て乾かして、又お願いしようと思っています。さらに、まだ、大型の食器棚が手をつけられていず、これも出すのが無理かとあきらめていましたが、明日ここを片付けようと思っています。 高温の日が続き水分補給で休みながらの作業です。 電気製品は、万がよく、テレビを除いてみな助かりました。今日やっと電気屋さんに来てもらいテレビを直していただき、見れるようになりました。少しづつ日常生活が戻りつつありますが・・・。豪雨で浸かった部屋の消毒を 2018-07-13 18:18:33 | 日記 いつの間にか、わが家の垣根にもうこんなに花が咲いていました。 今日は、早朝から気温がうなぎのぼりに上がり汗が出て来ました。片付けの疲れが出てきて、兄は足がむくんで痛みが出たので、午前中病院に。私は、歯医者に。 しかし、一刻も早く家の片付けをしなければと、気が休まることはありません。午後2:30~里に向かいました。 今日は、市から配られた消毒液で、浸かった壁や床、家具などきれいに拭きました。明日もまた、残りをします。床上浸水は本当に大変です。家具を全部動かして乾かし、浸かったところは消毒をしなければなりません。 乾くのに約1ヶ月近くかかるそうです。しかし、兄夫婦は、少しでも早く自宅に帰りたいと片付けに勢を出しています。 この浸水で、矢井の酪農家では、牛20頭ほどが首まで浸かって、それも24時間じっとしておかなくてはならなかったとのことでした。大変だったことが想像されます。 次の日、獣医さんが来て、きれいに洗ってくれたり、診察してくれたりしたそうですが、その時の牛さんの気持ちはいかばかりだったろうか。 また、2号線が浸かり、海になってしまったので、舟が走っていたとのことです。義姉は救急車の所まで、約500メートル担架に乗せられ運ばれたとのことですが、車椅子の障害者の方は、舟で運ばれたと聞きました。救急隊員、消防隊員の方の市民に対する奉仕の精神はすごいと思います。感謝です。共産党のボランティアに感謝 2018-07-12 21:59:19 | 日記 上は、焼きそばとおにぎりの差し入れ支援、下は、畳・タンスなどの片付け支援をしていただきました。 午前9:00すぎから家を出て里に片付けに。今日は、兄と一緒に、軽自動車で災害ゴミを出しに集積所に持って行きました。矢井の場所は、すでにうずたかく積み上げられて一杯です。まだまだ増えています。 うれしいことに、すぐ近くにある「満天」ディーサービスセンターの方が、駐車場西端の一部を災害ゴミ置き場に提供してくださり、置き場所が増えて助かりました。 また、うれしいことに、12:40頃、食べ物ボランティアの方が、焼きそばとおにぎりを2人分届けて下さいました。お聞きすると市のボランティアの方たちで、初めて矢井へ入って来てボランティアをしているとのことでした。感謝です。 昼食を取りながら休憩していると、畳など運ぶボランティアの方が着てくれました。昨晩ボランティアの方にメールで、「力持ちの若い人をお願いします」と連絡していました。さっそく、午後1:00すぎに本当にやって来てくれました。中心で世話をしてくださっているOさんが、民青の3人の若者とともに応援に来てくれました。 濡れて重たい畳を4人ですぐに外に出してくれました。運ぶトラックが後から来ますと言って帰って行きましたが、すぐに、Kさんが運転手でトラックが着いたので、電話すると5分後ぐらいにまた戻って来てくれました。 平島団地の中にある共産党の事務所をボランティアセンターにしていて、そこから派遣してくれているとのことでした。今度は5人で、トラックに畳や大型のタンスなど次々乗せて、結局4回も往復してくれました。庭に散らかっていた大型ゴミがきれいに片付き、本当に大助かりで、感謝しかありません。肩の荷が降りた感じです。 畳をのけた後の板場をきれいに水を流し、拭いてさっぱりさせました。一週間ぐらいは乾かさなければなりません。今日は、ボランティアを組織してくださった方々に感謝します。ありがとうございました。 午前中、戦没者追悼式、午後、議員研修 2018-07-11 18:02:46 | 議会 今朝、今年初めてのアサガオを見つけました。右は、赤磐市戦没者追悼式会場。 午前10:00~11:00、赤磐市戦没者追悼式が山陽ふれあい公園体育館であり出席。赤磐市では、1200有余柱の若者が戦死しています。東備県民局健康福祉部長が県知事のあいさつを代読。その中に「恒久平和のため全力を尽くします」という言葉がありました。 ご遺族の皆さんは、高齢になられています。市社協の方々が、車の手配をして参加されています。最近の朝鮮半島での平和の動きについて2人の方が触れましたが、北東アジアの平和の流れを創っていくこと大変大切なことです。私も再度の決意をしたところです。 今日私は、義姉が作った昼食のお弁当を、里で浸水被害の後片付けをして兄に届けることしか出来間撰でした。 午後2:00~5:00前まで、議会改革での最初の議員研修会があり、議員と議会の基本的な勉強をしました。講師は、廣瀬和彦氏で(株)地方議会総合研究所 代表取締役の方で、熱心に抗議していただきました。 明日は、1日中、里の片付けをします。 4日目にやっとぬれた畳を持ち出す 2018-07-10 22:16:23 | 日記 矢井の広場に積み上げられた災害ゴミ。 朝から兄夫婦が矢井に。矢井の隣の西祖の友達にボランティアを頼むと今日1日中手伝いに来てくれ、大助かりでした。私は、午前中、厚生委員会の担当部・課長と正副委員長の打ち合わせ。一番の話題は、豪雨災害のことでした。 赤磐市の今日現在の被害状況は、床下浸水は合計36件、床上浸水は合計19件です。国・県・市道、農道も被害があり、その状況を調査中です。御津地域も被害が大変だったとのことで、県下全体では相当の被害状況だと思われます。 午後から里へ。一部屋が大分片付いていてほっとしました。ボランティアの女性の方は、義姉のことを案じてくれ、とてもよく働いてくださって感謝です。 兄と女性2人で濡れた畳を外に出そうと言うことになり、力を合わせて1枚は外に出しましたが、7日から10日までの4日間も濡れた状態なので、臭いもしだし、あまりにも重たいので、腰が痛くなりそうでした。床の板がはずれ、穴が空いていました。足が穴にはまりそうでした。こんなことで怪我をするのだと思いました。 太陽は照りつけ、今日もとても暑い日で、水分補給をしながらがんばりました。 夜には、共産党の会議があり、7月11日(水)午後6:30~党創立96周年記念講演会があり、党中央HPよりリアルタイムで視聴できるので見ることや7月11日から16日まで党勢拡大集中期間になっているのでがんばることなど意思統一しました。 西日本豪雨被害、平成最大とニュースが 2018-07-09 23:29:50 | 日記 被災の写真でなく、早く元にとこんな写真にしました。 今日も、朝から兄が午前8:0過ぎには、里の片付けに。9:30には、義姉と私が出かけていきました。障害の義姉は、家の被害の実態を始めてみて、非常に驚いていました。義姉には、大事な書類など仕分けしてもらったりしました。昼には、兄が残って片付け。私は、義姉とともにいったん家に帰宅。 昼食を急いで済まし、私は里へ。太陽が照りつけるなか、汗を流し、休み休みしながらも急いで片付け。今日は1部屋がやっとでまだもう1部屋とお風呂周りが残っています。災害ゴミが家のまわりに積みあがりました。 矢井の県道から入った広場に災害ゴミの置き場が設けられていますが、日に日に積みあがっています。山ずみです。 テレビやラジオのニュースを聞くと、今回の西日本豪雨災害は、平成で最大規模となり、死者が135人にもなっています。岡山県の真備町での被害は甚大で、本当に大変です。 砂川決壊で、平島周辺は大被害 2018-07-08 21:18:49 | 日記 砂川決壊で私の里も大被害。こんなの見たことありません。 昨日の明け方、平島周辺の砂川の堤防が決壊し、私の里の矢井もすべての家々が大被害にあいました。あっという間に水がきたとのことで、障害のある義姉は救急車で病院に。その後、私の家に避難。 今日、水が引いたのを確かめて兄と私は、里に向かいました。平島の松下電器のあたりの砂川の堤防が100メートルに渡って決壊したと聞きました。このあたりの県道の周辺のお店などでは、家具を出して大掃除をしていました。平島小学校も浸かったようでした。 矢井に着くと県道の入り口あたりがまだ水が引いてなくて、車が通れなく、歩いて家に。写真のように里は、玄関がこんな状態になっていました。家の周辺の田んぼも海みたいでした。こんな景色は見たことがありません。どこから手をつければいいか途方にくれました。 まず兄が残って片付け。私は、兄の息子たちに応援を頼みましたが、仕事なのでダメで、私の娘に応援を頼みました。午後1時半から3人で大片付け。日が照り出して大助かりでした。 高齢者だけの世帯の方は大変だと思いました。このような時のボランティアのありがたさを実感しました。午後5時過ぎに兄の息子が1人駆けつけてくれ大助かりでした。 外に出して家具など乾かそうとそのままにしようと思いましたが、また、決壊するかもしれないと連絡があり、乾かないうちに家具など家の中にいれ直し、午後7時ごろまで片付けをしました。まだ当分かかりそうです。
2018/07/17(火) 09:33:49 |
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古本屋通信 No 3445 2018年 07月16日 はじめて見つけた小池晃のマトモなツイッター 小池がまさか古本屋通信を読んでいるとは思えないが、あるいは植本県委員長経由で私の批判を聞いたかも知れぬ。なんと言っても岡山だからな。 私は今朝一番に赤旗一面の記事を見て怒り狂った(後ほどウェブ版から転載する)。どう罵倒しようかと思って、念のために小池のツイッターを見た。それが下だ。 まあ驚いた。赤旗とはまるでタッチがちがうな。マトモじゃないか。コレ私の言ったように(真備町の被災者一般を訪問しているのではなく)、須増伸子さんの実家を訪問している。これなら文句はない。ちょっと話を聞いて松江に跳んだ。小池君さよなら。もう来なくてよいからね。小池晃 認証済みアカウント @koike_akira · 11時間11時間前 共産党倉敷地区委員会で意見交換。仁比聡平、山添拓参院議員、大平喜信前衆院議員と。須増伸子岡山県議のご実家が真備町の被災地のど真ん中だったことで、被災された地域の皆さんからリアルで忌憚のないお話を聞くことができました。救援に全力誓い、陸路松江へ。明日10時半からテルサで演説会です! 古本屋通信 どうも納得がいかない。そりゃ小池が頭が良いのは認めるよ。浪人しているとはいえ、東北大医学部出身の医者だからナ。でも信じられないほど一般常識がなかった。医者バカに党の要職は無理だと思うことの連続だった。きょうのツイッターは信じられない。 いちおうの仮説。これ山添拓の仕事だろう 。なんで山添が東京からわざわざ西日本の災害に来たんだ、仁比がいれば十分じゃないか。これきっと小池のポカの尻ぬぐい役なんだ。 岡山県委員会も、倉敷地区委員会もホッとしただろう。きょうのところは党中央批判はしない。 尚、真備町が須増伸子さんの実家というのは正確ではなく、ご亭主の実家だろう。伸子さんは山口のご出身だと聞いている。なんでも父上は党の村会議員だったとか。ここらが2世党員のはしりだろうナ。 ついでに一言。西日本の被害なんかと関係なく、党の周年記念パーティーは盛大にやったらよい。何の自粛も必要ない。だが、だったら、自民党のパーティーも批判するなよ。とにかく自然災害に引っ掛けて他人を非難するな。自然災害は超階級的なんだから。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 水がひき、被災した家を見にいきました。 2018年7月11日 すます伸子 やっと水がひき、弟家族と義父義母と共に被災して初めて家を見に来ました。 外観は思ったよりもしっかり建っていましたが、家のなかはぐちゃぐちゃで入ることができません。 車も3台ダメになっていました。 水道はもちろん止まっているので、片付けるといっても何からてをつけるのか途方にくれます お義母さんは、やっぱり猫がいないと探し周り、逃げれてないのかなと心配ばかりです。… 罹災証明をだして、これからどうするのか考えないといけません 古本屋通信 すます伸子さんの記事には、無茶苦茶に倒壊した家屋の写真数枚が貼られている。その実物を小池晃一行は見ている。ならば伊東倉敷市長と懇談などしないで、たとえ一日でもすます家の片づけの手伝いをすべきであった。なぜしないのか。昨日は猛暑37度だった。猛暑の中をみんな頑張っている。小池と仁比と山添と大平の4人は黙々と汗を流すべきであった。それをしないでエエカッコするのが欺瞞だと言っている。あのなあ、公明党創価は何も書かないで、学会員の家を助けているゾ。あんたら最低だな。 小池のツイッターを山添が代理で使ったとして、山添は賢いから一行が伊東倉敷市長と懇談したことなどオクビにも出さない。なのに阿呆の大平がバカ正直に書いてしまった。そりゃ、国会議員が3人も来たら、伊東は会わんわけにはいくまい。だが誰が考えても迷惑千万。それが小池には理解できない。あんたのやってることは災害復興の邪魔そのもの。国会議員が倉敷市の邪魔をしている。それがわからんか? たぶん多くの共産党員は私に賛成しないだろう。ならばあなたらは済んでいる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 以下が小池ツイッターへの返信 小さい秋み〜つけた。 @C2SDAX34GDjpAnr · 10 時間10 時間前 返信先: @koike_akiraさん、@jcp_ccさん 共産党員が「ネットで騒がれなければ熊本募金の約7割をピンハネする予定だった」と告白 こりゃビックリポンやね。 熊本地震の被災地支援を名目にした「募金詐欺」疑惑に、共産党の香西かつ介氏(党品川地区委員長)がインタビューに答える。 Joe Mong Jin @JoeMongJin · 12 時間12 時間前 返信先: @koike_akiraさん、@jcp_ccさん これについてちゃんと説明しなさい。 詐欺集団が。 はぬる @xiatiangushi · 10 時間10 時間前 説明はなされてるし決着ついてる デマ屋は消えろ。 くましん @kumashin0611 · 12 時間12 時間前 返信先: @koike_akiraさん 集めた寄付金、また党のために使うんでしょ(笑)前科があるから信じられませんね。 古本屋通信 香西の熊本被災募金の一部転用について、小池は転用の誤りを自己批判して、今後は100パーセント被災者に届けると約束した。なのに批判は一向に収まらない。志位のツイッターには何百も批判が付いている。一向に信用されていないのだが、これはためにする反共攻撃ではない。非難が正しい。 それは街頭で集める被災地救援カンパなど、領収書を発行するわけでもなく、金額の桁数まで含めて、何の証拠も残らない、したがって集める者のやりたい放題だからだ。そういうカンパを、党はやってはならない。 党や党後援会でカンパを募れば、その使途は党の自由だ。他の用途と混じっても構わない。倉敷・真備町に小池一行がやって来て、募ったカンパを誰に渡そうが渡すまいが自由である。これだって街頭カンパで集めた金だと、党県会議員の須増さんの実家に渡すと不正だと言われるだろう。けっきょく大衆カンパを不特定多数から集めるのは誤りである。やれば必ず不正ということになる。 さいわい岡山と倉敷では党関係の街頭カンパはやられていない。だが広島では大平が広島駅頭でやった。どうしてこうなんだろうと考えた。けっきょく感性が摩滅してる、大衆から遊離して、軸足が党本部か国会の絨毯にある。 重ねて忠告する。岡山と倉敷で街頭カンパを絶対にするな。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2018年7月16日(月) 赤旗 猛暑続く豪雨被災地 復旧へ 汗拭って河川決壊「国の責任重い」小池書記局長ら倉敷・真備を調査 (写真)被災者から話を聞く日本共産党調査団。左は小池晃書記局長=15日、岡山県倉敷市真備町 西日本豪雨で3分の1が水没し、50人の死者が出た岡山県倉敷市真備町に15日、日本共産党の小池晃書記局長(西日本豪雨災害国会調査団団長)、仁比聡平、山添拓両参院議員、大平喜信前衆院議員が入り、被災者を見舞い、要望を聞きました。 砂ぼこりが舞う道、泥水につかった田んぼ、電柱に引っかかった戸板―。豪雨から1週間たっても復旧はまだ始まったばかりです。 男性(84)は「1度しか使っていない400万円のコンバインなど、農機具は全部やられた。もう農業はやめるしかない」と話しました。79歳の男性は7日未明に2階建ての家の屋根の上で3時間、救助を待ったことを生々しく話しました。小池氏らはお見舞いと激励の言葉をかけ、国に必要な支援を求めると話しました。 避難所となっている二万(にま)小学校で、小学生2人、幼稚園児2人の子どもがいる女性(32)は「避難所で子どもが声を上げると周りに悪いと思い、ストレスになります。子どもは生まれたこの地で育てたいので仮設住宅を急いでほしい」と話しました。小池氏らは、間仕切りをつくるなど避難所の環境改善と住まいの保障を求めていくと応じました。 ペットを連れた避難者対策を求める声も出ました。小池氏は「ペットは家族の一員ですよね」と即応。体育館の外でペットと飼い主の支援を行っていた獣医師会の役員とも、改善へ向け意見を交換しました。 小田川の決壊現場では国交省中国地方整備局の職員から「仮復旧に約2週間かかる」と説明を受けました。 決壊場所は小田川が湾曲して水が流れにくい上、雑木でジャングルのようになっていました。 小池氏は「決壊場所は、共産党が以前から危険性を指摘して、改善を求め続けてきた。今回の豪雨被害をめぐる政府の責任は重い。政府に復旧、被災者支援に責任を果たすよう求めるとともに、共産党としても実態をよく把握し、全力を尽くしたい」と話しました。 植本完治党県委員長、住寄聡美参院岡山選挙区予定候補、須増伸子県議、倉敷市議団が同行しました。
2018/07/16(月) 05:54:03 |
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古本屋通信 No 3443 2018年 07月14日 革命的共産主義者の党と自然災害(理論問題を中心に) 冒頭 連休初日の14日、倉敷市・真備町には1000人以上のボランティアが入って支援活動をした。支援を志す人は等しく無名無任所の作業員として働くべきである。日本共産党に所属することなど全く言う必要がない。いや言ってはならない。それが無償のボランティア活動である。大平喜信は無名の一作業員になれ。なれないのなら立ち去れ。二度と岡山の地に足を踏み入れるな。 まず自分の足元だが、きょう第4回目の帰省で田舎の墓の「入魂の儀」を終えた。被害といえない被害だったが、それでも12万円をはたいた。被災者の末席にいるから書き易い。 西日本の岡山・広島を中心にした被害は長引き、それだけに共産党に対する正当な批判とともに、右翼ゲスの不当な攻撃とりわけ自衛隊を絡めた反共攻撃が強まっている。ここはマルクス主義の立場からの原則的態度表明が求められているだろう。 右翼ゲスの一例24. 666 2018年07月14日 21:14 「市民」が自衛隊に寄せる人気への嫉妬でしょう。共産党や野党は、やたら自分たちの支持者だけを「市民」と呼ぶが、そういう選民意識丸出しなのも不人気要員の一つでしょう。共産党やのやるイベントは、政治信条の押しつけや集金がメイン。コープの景品はせこい!比べて自衛隊のイベントは珍しい乗り物いっぱい。屋台も来るしで、大人も子供も大喜び! テメエ、自衛隊人気を本気で信じてるのか? 子供をエサで釣って 「珍しい乗り物いっぱい。屋台も来るしで大人も子供も大喜び 」 だと。×ねや低脳。戦争をカッコいいと思わせて戦地に送って殺した戦前の侵略戦争の反省皆無だな。×ねや。 すでに何回か書いたとおり、革命的共産主義党の自然災害に対す原則的立場は明快である。即ち自然災害にいっさい関知せず 、である。その理由は、自然災害が超階級的な現象であり、階級の利害を超えて、ブルジョアジーをもプロレタリアート人民をも、等しく襲うからである。したがって災害からの復興は党の任務ではないのである。 この原則的立場をもっとも優れて表明しているのが革マル派 であろう。革マル派の機関紙「解放}最新号の見出しは以下である。 「解放」最新号 (第2527号 2018年7月16日) の内容 <1面> 辺野古埋め立て阻止に決起 6・25 「日米核安保同盟反対!」闘う学生が最先頭で牽引 国民投票法改定をテコとした改憲策動を打ち砕け 反安倍政権の闘いの爆発を! <4~5面> 「平和」幻想を煽る日共官僚を弾劾せよ <3面> 進む日本国軍の強化と日米両軍の一体化 <2面> 〝働かせ方改悪〟法案採決弾劾! 「連合北海道」緊急集会に檄 6・29 「連合平和行動in沖縄」 辺野古無視の神津に怒り 6・23―24 <6面> 「働き方改革法」制定を許した既成反対運動指導部の腐敗 骨太方針2018 社会保障の切り下げに狂奔 Topics JP労組大会 手当剥奪・賃金切り下げに協力する本部に批判 <7面> 賃金削減攻撃に屈服した福井市職労本部 トランプ政権のプルトニウム削減要求に大慌ての安倍政権 <8面> 万華鏡2018――情勢の断層を読む ◆公園使用禁止 ◆エジルの悲劇 ◆新・ゴールドラッシュ 週間日誌〈世界の動き・日本の動き〉 見事に豪雨被害の記事などゼロである。立派という他はない。 次は中核派 である。週刊『前進』 (2956号)(2018/07/12) 9条改憲・国会発議許すな 安倍打倒!労働組合先頭に、改憲・戦争阻止!大行進を 西日本大水害は国家犯罪だ 今週の前進記事(一部)、バックナンバー 改憲阻止 9条改憲・国会発議許すな 安倍打倒!労働組合先頭に、改憲・戦争阻止!大行進を 西日本大水害は国家犯罪だ 世界の闘い 韓国 非正規職撤廃大会に8万人 最賃改悪阻止へゼネスト宣言 お知らせ/新刊 闘争スケジュール 改憲阻止 繰り返すな戦争 憲法をめぐる激突 第3回 国家緊急権は戦時体制づくり ストで攻撃阻んできた労働者 世界の闘い 〝難民の親子を引き裂くな〟全米700カ所で一斉に集会・デモ 学生運動 〝強い自治会をつくろう〟 京大で同学会中執予備選始まる 当局の妨害・大雨はねのけ奮闘 主張/理論 焦点 米帝がイラン産原油に制裁措置 戦争促進し争闘戦を激化 主張/理論 知る・考える 用語解説 賃金-資本家の搾取を貫く支払い形態 赤字が傑作だが、これは本文ゼロの見出しだけ。まあ、真面目に「批判」するような代物ではない。 中核派の最新のユーチュ-ブ 「前進チャンネル」に岡山・真備の訪問インタビューがある。真備町在住の労働組合活動家を訪問して、そのお宅の復興支援に入っている。いわば身内に限っての支援である。これはこれでよい。 中核派は東北大震災のとき、集会で瞬く間に百万円のカンパを集めて、被災者に送っている。但し中核派が地方公共団体に送るわけがない。仲間の被災者、つまり革共同東北地方委員会(?)に送ったのである。ペテン的な街頭カンパで集めた金ではない。身内から集めて身内に廻している。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 ここから日本共産党 である。これまで書いたことの復習である。① 私の論は、党として豪雨被害に対応してはならないというものである。この立場から最新の河村さんたち議員団の対応は如何であろうか。結論を言えば全く問題ない。全く正しい。それは動いているのは確かに党の議員団としてだが、立場は党としてではなく地方公共団体の議員としてだからである。それは完璧に無党派の立場である。行政に注文はするが行政批判の日本共産党の視点はない。皆無である。つまり行政をもひとつの権力と見做すならば、権力に協力する立場である。これは自然災害が超階級的な現象である以上は当然である。② 次に、 避難所で無償診療 倉敷・真備町 水島協同病院医師 は如何であろうか。これは日本共産党とはまったく関係ない、一医療機関の無料診療である。赤旗は社会で起っていることを一般的に報道した。問題はなく大いに結構である。③ すでに詳しく書いた植本党岡山県委員長らの真備町訪問は、党真備支部組織の党員を訪問し、見舞い、励ますための党務であった。まったく正しかった。然し、それを報道する赤旗記事は間違っていた。 繰り返さないが、党が被災住民の支援に入ったという文脈の記事になった。報道するとこうなることは避けられない。したがって赤旗は党が災害復興一般を支援しているという記事を書いてはならない。そういう点で最近一週間の赤旗記事は圧倒的に間違っている。とくに大平が拡散した小池書記局長の広島訪問には怒りを通り越して殺意を感じた。たった一人の党幹部が来ていったい何になるのだ。党の宣伝でしかない。許せない。 ④ 街頭カンパ活動は無条件に詐欺カンパである。絶対にやってはならない。一般の批判が集中しているのは当然である。あのね、東北支援のカンパで集めた金を派遣ボランティアの交通費に廻すのは当然なんよ。原水禁大会派遣なんかでも集めた金の主要な使徒は参加者の交通費だった。ちっとも悪くない。悪いわきゃない。でも被災カンパの場合は、それじゃあネコババになる。そもそも最初から街頭カンパに公共性がないのに、タテマエとして「全額を被災者に届けます」 と言うこと自体が欺瞞なんだ。無理な説明をいくら繰り返しても説得力はない。党は依然として詐欺なのよ。分かるかなあ。⑤ 最後に大平喜信の最新のツイッターを連続して貼る。ここには、こんにち党が震災に関わることの欺瞞性が集中的に表現されている。見れば分かるが、大平がやっている事は被災住民の何の役にもたっていない。大平がやっているのは全て避難生活の妨害である。いや避難住民一般に接近さえしていない。すでに予め準備されている党のシマに限って接近し、そこで党員支持者と予定調和の猿芝居を演じることだけである。それを写真に撮って、党がこんなに被災住民に役に立ち、有り難がたがられているという党の宣伝に使うだけである。かぎりなく醜悪である。これを河村ひろ子の文と比較されたい。まず党ありきが大平である。まず住民ありきが河村である。一言だけ大平を弁護すれば、地域に密着していない元国会議員の大平には、被災地訪問はソモソモ無理なのだ。大平喜信認証済みアカウント @tekuteku_diary · 7月13日 今日の成果? 何のこと? キミ、成果を上げたの? キチガイだな をただちに現場に返し、支援の充実へといかすとともに、引き続き被災者の皆さんの声を集め、また届けに来ねば。国会議員団(秘書、事務局の皆さん含め)の資料提供など様々な形での支援にも心からの感謝。まだ若いのに官僚作文か、まいったねえ。 大平喜信認証済みアカウント @tekuteku_diary · 7月13日 (申し入れ続き)〇「避難所の環境改善、とくに暑さ対策は急務。スポットクーラーが入ったがそれでも30度をこえている。クーラーの設置を」→「現状を把握し必要に応じてさらに対策をうつ」〇「断水の一日も早い解消、給水の充実のために力をつくすこと」→「要請があれば今後もこたえていきたい」 こういう具体をツイッターにとめようとした時点で既にアウトよ。分からないの? 党宣伝でしかないのよ。不言実行か、それとも河村流に書くかだが、地元でないと無理でしょうが? つまりキミは必要ないのよ。以下、同じ。 大平喜信認証済みアカウント @tekuteku_diary · 7月13日 広島と岡山の仲間 ? 感じわるいねえ と上京し、仁比議員とともに政府へ申し入れ。〇「住居に流入した土砂やがれきを人の手で撤去できないものは行政がおこなうこと」→「災害救助法の適用によって必要性があればできる」〇「医療、介護の一部負担金を免除すること」→「医療費の窓口負担は国保も協会けんぽも免除される」 大平喜信認証済みアカウント @tekuteku_diary · 7月13日 被災した家、道、車、「流された夫が見つかるのを待ち続けている」「家が流され必死にここまで逃げてきた」――一人ひとりのお話。救われた命を守り、元の生活を一日も早く取り戻すために、いま政治がやるべきことは…思いめぐらせながら上京中。 大平喜信認証済みアカウント @tekuteku_diary · 7月13日 大規模な災害発生から1週間。昨日は小池晃参院議員・書記局長、仁比そうへい参院議員、田村たかあき衆院議員が広島入り。私もまだ入れていなかった、広島市東区の馬木7丁目、安芸区の矢野東7丁目「梅河団地」へ。 以下、大平の小池晃リツイートが延々と続くのも最悪だが、小池のツイートも醜悪である。つまるところ国会議員の権力で行政に命令している。 これが一般行政ならまだしも、自然災害である。党の出番でないのに、それが小池には分かっていない。私が小池を低脳と書いたら、キンピーサイトのバカ投稿者がイチャモンをつけた。アホウには付き合いきれない。
2018/07/14(土) 19:59:55 |
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