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古本屋通信

共産惨敗。民進山尾志桜里の勝ち

古本屋通信   No 2711    2017年  07月31日  


  横浜市長選挙 確定 惨敗

 共産党惨敗。民進党政調会長・山尾志桜里の勝ち。


  「市民と野党の共同候補」の伊藤ひろたかは2位にもなれず。そもそも維新崩れなんか推薦するのが狂っている。伊藤ひろたかは江田憲司門下(下記参照)。



林 文子      598,115 無所属
長島一由     269,897 無所属
伊藤ひろたか   257,665 無所属
           計 1,125,677 -


 

2017年7月28日(金)  赤旗
横浜市長選 カジノ・中学校給食 最大争点で違い鮮明
猛奮闘で伊藤氏勝利必ず
仙台につづき自公に審判を




 伊藤ひろたか  
 2006年末 江田けんじ衆議院議員の門をたたく


 江田憲司  ウィキペディア
所属政党
(自由民主党→)
(無所属→)
(みんなの党→)
(無所属→)
(結いの党→)
(維新の党→)
民進党(江田グループ)
江田 憲司(えだ けんじ、1956年4月28日 - )は、日本の政治家、通産官僚。民進党所属の衆議院議員(5期)、民進党代表代行。
岡山県岡山市生まれ。父は警察官。岡山大学教育学部附属中学校、岡山県立岡山操山高等学校、東京大学法学部卒業。通商産業省(現経済産業省)に入省し、その後自民党から衆院選へ出馬した。自民党を離党後は生涯無所属として選挙では戦っていたが、みんなの党に参加後は政党を複数回変え現在は民進党に所属している。

2013年8月、みんなの党幹事長を渡辺喜美代表の発議により解任される。同年12月、みんなの党に離党届を提出し、みんなの党を離党(離党届は受理されず、除名処分が下った)[1]。その後、江田を含む離党届を提出した13人に加え、江田が幹事長を解任された際に離党していた柿沢未途が合流して結いの党を結党し、代表に就任した[2]。

2014年9月、結いの党・日本維新の会の合流により維新の党の結党に参加し、旧日本維新の会代表の橋下徹、旧結いの党代表の江田が、維新の党の共同代表に就任した[3]。同年12月の第47回衆議院議員総選挙では、比例南関東ブロックへの重複立候補を辞退し、維新の党公認で神奈川8区から出馬[4]。自民党前職の福田峰之を4万票超の大差で破り、5選。選挙後、橋下が共同代表を辞任したため、共同代表の役職が廃止され、新設された代表に江田が就任した[5]。

2015年5月17日、維新の党が最大の政治課題として掲げてきた大阪都構想が大阪市特別区設置住民投票で否決され、党最高顧問の橋下徹大阪市長は市長任期終了後に政界を引退することを宣言し、江田も責任を取り党代表の辞職を表明した。

19日の両院議員総会で、後任に松野頼久幹事長が選出された[6]。

2016年の民進党結党に伴い代表代行に就任。
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  1. 2017/07/31(月) 01:04:41|
  2. 未分類

スパイ有田芳生の党破壊挑発活動

古本屋通信   No 2710    2017年  07月30日  


 日本共産党においては、党中央委員会と各級中間機関のいかなる役職も、また各級議員も、そのほか専従・非専従の仕事も、長短にかかわらず党員としての任務分担であり、周年に祝賀会をするようなものではない。例えば村井明美さんの議員生活20年を祝う会をするか? やれば忽ち福山の党員は「傲慢だ、えらそうするな」と怒りの声を上げるだろう。中核派が清水議長の議長就任20年を祝って、革マル派や共産党の幹部を集めてパーティをやるか? 確実に殺されるゾ。 国会議員任務も地方議員も赤旗配達員も、等しく党員としての任務分担である。その労をねぎらって党内でささやかな慰労会をするのは構わない。しかし赤旗分局勤務20周年で、党外の人士、とりわけ自民党や政財界を集めて、会費15000円でパーティをやるか? 考えられまい。いったいどう申し開きするのか。穀田パーティについて言えば、党支持者がふだん着で会費300円で参加できないような催事はそもそも無効である。党内から批判の声を上げようではないか。



議会制民主主義の発展をめざし、こくた恵二君の国会対策委員長20年を祝う会


   国家権力のスパイ・有田芳生の党破壊・挑発活動


 マアここまでスパイ挑発活動の舞台を提供してやるのだから、穀田にもスパイ容疑はとうぜん懸かるだろう。ペテン師たちを批判するのはアホらしいから、623さんのひと言だけ引用しておく。


4. 623
2017年07月28日 00:13
国対委員長就任20年ですか、、、
民主的な政党ならば考えられませんね。
ありがたきかな独裁政党ならではの幹部選任制度。。。チン



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有田芳生さんが有田芳生をリツイートしました
この集まりには前原誠司さんも2日前までは出席して挨拶する予定でした。しかし代表選挙が決まったため急きょ欠席しました。政局を語る場ではないので、むしろ出席されたほうがよかったと思ったものです。もちろんそこに「いる」ことが政治なのですが、メディアの取材が多かったので、憶測も大切です。


有田芳生‏認証済みアカウント @aritayoshifu · 4時間4時間前
穀田さんを祝う会。共産党がこうしたパーティを開くのは初めてのこと。大島理森衆院議長の発案だそうです。大島さんとは先日の断食以来の再会です。学生運動時代の友人たちとの再会もうれしかったですが、小沢一郎さんが日本政治を変えるために民進党代表選をどう見ているかがわかったことは貴重です。

19件の返信 233件のリツイート 164 いいね


有田芳生‏認証済みアカウント @aritayoshifu · 5時間5時間前
米原万里さんの名著を読んでいるのは、ある新聞から彼女が存命だったならいま何を発言するかというテーマで取材を受ける準備だ。56歳で亡くなったから、安保法制や共謀罪など、安倍政権の暴政を知らない。67歳の万里さんは、ソ連崩壊の歴史的プロセスと重ねて教養ある鋭い毒を吐いているだろう。

11件の返信 16件のリツイート 32 いいね


有田芳生‏認証済みアカウント @aritayoshifu · 5時間5時間前
 「有田さんたちが出した『日本共産党への手紙』、いまでも本棚にありますよ。これで党も変わるのかなと思いました」。穀田20年の会である共産党幹部から言われた。出版は1990年のことで、それが査問、除籍の理由だった。30年近く必要としたが、歴史がゆっくり前に進んできたことを実感する。

20件の返信 98件のリツイート 85 いいね


有田芳生‏認証済みアカウント @aritayoshifu · 5時間5時間前
(1)穀田恵二共産党国対委員長20年を祝するパーティ。最後の挨拶は田原総一朗さん。安倍首相に会ったこと、30分の予定が1時間半になり、「政治生命をかけての冒険」をアドバイスしたという。それは民進党も共産党も喜ぶことだと語った。この「政治的冒険」とは何か。田原さんを直撃した(笑)。

13件の返信 149件のリツイート 97 いいね


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 なぜスパイ挑発活動か、ひと言だけ。

有田芳生‏認証済みアカウント @aritayoshifu · 5時間5時間前
「有田さんたちが出した『日本共産党への手紙』、いまでも本棚にありますよ。これで党も変わるのかなと思いました」。穀田20年の会である共産党幹部から言われた。出版は1990年のことで、それが査問、除籍の理由だった。30年近く必要としたが、歴史がゆっくり前に進んできたことを実感する。

 コレ証拠が無いだろう。いつもの有田の大嘘。いくらなんでも「ある共産党幹部」はこういうことは言うまい。酔って言う? こういうパーティで酔うほど酒が出るものか。まさに党攪乱の挑発策動。マトモな党員感覚だと、死刑求刑だろうナ。しかし今ではそういう当たり前の感覚が消えている。
  1. 2017/07/30(日) 19:41:39|
  2. 未分類

「東大ミス日本」には付き合えない

古本屋通信   No 2709    2017年  07月30日  


  「東大ミス日本候補」には付き合えない


 「古本屋通信 No 2705 東京大学新聞 チャンネル 第24回の冒頭に付けた私の【頭註】 


【頭註】 このエントリーについては、その後のKM生様の投稿によって、私の革マル派認識が根本的に誤っていることが明らかになっている。即ち1970年代末から東大文学部学友会の執行部を占めたのは革マル派ではなく、ノンセクトラディカルだった。この事実によってすでに無効になった。これは当時この大学の学生だった方の証言だから私は同意する。この時期から東大新聞の論調も急にブレを見せ始めている。報じる学内自治会の取り上げ方も理解に苦しむものが現れ始めたのだ。

 私はこのエントリーは本来削除すべきであると思うが、私の認識の甘さを示すものとして、いま暫らく残すことにした。それと同時に、このチャンネル第24回をもって、東京大学新聞シリーズをいちおう終了する。理由はただ一つである。この新聞がどういう編集方針を採用しようが自由だが、私は1980年代以降の記事の多くに興味が湧かない。一例だが、五月祭記事で「ちょっと気になるあのヒト」とか「東大ミス日本候補」などという企画に付き合いきれないのである。
  1. 2017/07/30(日) 10:54:25|
  2. 未分類

KM生様の長文コメントに深謝

古本屋通信   No 2708    2017年  07月30日  


   KM生様(キンピーサイト)の長文コメントに深謝

 本日早朝キンピーサイトの投稿欄に長文のKM生様からの投稿がありました。これは私のブログがコメント欄を閉鎖しているからKM生様がキンピーサイトの場所を借りて、私に貴重なご意見を下さったものです。今回これを自分のブログに全文転載するに当り、KM生様とブサヨ管理人様にご了解を乞い、了解を戴けるなら深謝いたします。

 投稿の文については、一読した限りで異論は皆無であり、懇切丁寧なご指摘にただ敬服するばかりです。加えていま現在も東大新聞を1983年分まで読みすすめていますが、どうもこの新聞の基本的なスタンス(党派的立場)に微妙な変化を感じ、全体を読み取り難くなった段階でした。何しろ豆のような活字を拡大鏡で追っているだけで頭が痛くなるのですが、今回のKM生様の投稿によって、理解し難くかった新聞の論調も、頭から霧が晴れて理解が進むと思います。本当に有難うございました。


・・・・・・・・・・・・・・

22. KM生 @古本屋通信様
2017年07月30日 03:28
(スレとが直接関係ないんだけんど)拝啓古本屋通信様
貴方のブログは毎日楽しく拝見しています。貴方もキンピーブログは再々引用されているので、毎日こちらをお目通しかと存じます。貴方のブログに意見しようとしたけれど出来なかったので、こちらでご意見します。
1)有田芳生が「小田実vs上田耕一郎対談を企画した」という嘘の(当時の詳細な記録を元にした)見事な解明。
全く敬服しました(^^)。
2)1979年東大文学部自治会執行部はカクマルだったか。
1.一応65年民青全学連再建時から、東大文学部学生自治会は日共系ですた(現に私自身74年当時民青全学連中執だった東大文学部久保から直接指導を受けた)。
2.78年頃民青は追出されたが、執行部は(カクマルではなく)むしろ無党派=ノンセクトラジカルだった。(続)


23. KM生 @古本屋通信様(その2)
2017年07月30日 03:39
(承前)
3.この頃から、東大新聞編集部も日共系からノンセクトラジカル系に入替った(東大新聞は毎年の入試で合格者の氏名を真先に把握するので、マスゴミや受験関係者からは引っ張りだこで暴利を貪っていたので、資金源を求める学生運動関係者からは垂涎の的だった)。よって編集部が。東大文学部自治会選結果を肯定的に扱ったのは理の当然だった。
4.実際78年当時東大文学部構内で、当時の自治会執行部が新宿のスナックのマスターを招いて宴会てしボヤ騒ぎを出した。少なくとも厳格な組織原則を貫くカクマル派なら、このような「退廃行為」は行う筈がない。よって貴方は「70年代末東大文学部自治会執行部はカクマル」と仰るが、少なくとも
当時学生だった私からすれば、これはあり得ない。(続)


24. KM生 @古本屋通信様(その3)
2017年07月30日 03:58
(承前)
3)日共民青の衰退
69年大学紛争終結後は、東大では日共民青優位だったが、70年代後半に至って(貴方も仰るような)新日和見主義事件の後遺症で、衰退が目立った。特に医学部では、精神科病棟を全共闘OBOGの医師や看護師が患者を人質に勝手に占拠して、指名手配犯を匿うなど正に無法地帯だった。宮顕の息子が中央大学に入学して、日共学生支部の惨状を知った日共党中央が「学生運動の改善指針」を出したが、最早焼け石に水だった。ある意味東大でこれらノンセクトラジカルが伸びたのも、(日共民青も嫌いだが、かといって新左翼各派にも加入したくないという当時の)一般学生の気分の反映であったとも言えるでしょう。
4)当時の向坊総長は(東大新聞で批判されていたような)「東大百年記念事業」を推進していました。幾つかの学部で日共民青は執行部から追出されて最早「東大学生自治会中央委員会」は成立要件を満たさなくなっていました。(続)


25. KM生 @古本屋通信様(その4最終)
2017年07月30日 04:09
(承前)
5)よって向坊東大執行部は、こうした「学生自治会の力関係の変化に載る」形で、全共闘残党やノンセクトラジカルに阿って(国会で精神科病棟の無法状態が問題にされても、大学の自治で突っぱねた=日共国会議員が率先して国会の力を借りて問題解決を図ろうとしたことは、一般学生も含めて反発を招いて逆効果だったことは、貴方のご指摘の通りです)、東大百年祭を強行した。
6)京大でも、68年当時は日共民青が実力で全共闘を追出して「京大方式」と持て囃されたが、70年代に入ってこれまた全学自治会=同学会の成立要件を満たさなくなった。当時の岡本総長も、これまた全共闘系に阿る形で大学運営した。
以上当時学生だった私から貴方へのご意見です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

26. KM生 @古本屋通信様(その5)
2017年07月30日 08:10
(管理人様、古本屋通信氏とのやりとりに使用する件お許しください。)
貴方のブログでの速攻のご返信有難うございました。70年代後半のこの時期、まさに日共系青年学生運動にとっては(現在に繋がる)「衰退、冬の時代の始まり」でした。
不破による「大衆運動の軽視と議会主義・代行主義・党勢拡大至上主義による選挙党への変化」➡青年学生運動の後退➡国政地方選挙での後退➡革新自治体の崩壊と、正に留まるところを知らぬデフレスパイラルの開始でした。
民青の指導も、「とにかく拡大せよ」➡しつこく勧誘して無理やり加盟申込を書かせる➡こうして拡大した同盟員は、活動の中身がないから直ぐに未結集化する
の「底なしの泥沼亀之助状態」でした(^^)。


27. KM @古本屋通信様(その6さらに追伸)
2017年07月30日 11:55
カクマルの件ですが、常識的に考えても(当時革共同の同盟員になると言うことは「中核派のテロルと命懸けで闘う」ことが求められたのであり)、少なくとも「自治会室でスナックの店主と酒盛りしてボヤを出すような阿呆な学生」に到底そのような覚悟があったとは思われません(^^)。単にテロの恐怖と闘うのみならず、自らも「中核派への報復=殺人犯」となることが求められたのであり、当時の単に受験エリートで来た東大生で(現に貴方も指摘されたように学内で殺人事件が頻発していたような状況で)そこまで覚悟して革共同同盟員になる人間なんぞ稀有だったでしょう。




  古本屋通信

 27番だけですが、そこらへんがよく解らないんです。私の誤解とも関係があるような ・・・・。
 まず、まだ東大新聞が民青管理にあった1970年代前半、学部(本郷)の自治会の数字は出ていなかったけれど、駒場の正副委員長の得票数は出ていました。民青が第一党で、解放派が続き、革マル派はグッと落ちるけれどそれでも300票くらい取っていました。私の常識では各派鼎立だと、得票数の3割以上は政治同盟員がいなければならない。だから当時の駒場には民青は4桁近くいた筈です。なら解放派もその比率でいたし、革マル派も同様だったと思うのです。
 まず私がサッパリ解せなかったのは、解放派が何処に消えたかという事です。革マル派によってたたき出されたという具体的な記事がなかった。多数が少数によって駆逐されるのはクーデターですからね。
 それから学部では、医学部がブント、文学部が革マル派(これはこの時代に東大文学部を卒業した岡大文学部教授から私は直接聞きました)というのは1970年代半ばまで間違いではないでしょう。医学部は青医連に連動します。文学部の革マル派とノンセクト左派ですが、これがサッパリ解りません。
 その前に革マル派という場合の革共同の同盟員とマル学同の同盟員ですが、われわれが革マル派という場合はふつう後者でしょう。革共同の同盟員なんて学生には殆どいなくて、1990年代の早稲田でも数名だったと聞いています。
 で、東大の革マル派は駒場であろうと文学部であろうと、殆どがマル学同だったと思うのです。そして解放派や中核派とのゲバを担っていたのも、この層だと思いました。必ずしも特殊訓練を受けた非公然部隊とは思えないのです。現に殺されたのは活動家になるかならないかの普通の学生でしたね。解放派が何回か襲撃しますが、彼らとて特殊な殺人部隊とは思えない。まあ百人に近い殺人のかなりはプロ化した特殊部隊のコロシなんでしょうが、私は東大でのゲバ合戦は大衆闘争でのぶつかり合いに毛がはえたレベルに見えました。それにしても革マル派は一般学生に溶け込んでいると思いました。
 次に私が解らないのはノンセクトラディカルということばです。そんなものは一過性であって持続する運動を担えないのではないか。そういう目で最新の新聞記事を見たのですが、この編集は多少はリベラル左派だけれど、基本はノンポリではないかと思いました。駒場で民青がノンポリの七夕選対に負けたことがありました(これはずっと後の1984年でした。当初記事で誤記していました)。あれと変わらないのではないか。
 ノンセクトラディカルということばは1968年の全共闘運動ではじめて登場しましたが、1970年代には消えたとの認識です。敢て言えば法政の黒ヘルと京大の赤ヘルくらいでしょう。でも彼らの場合も夫々中核派とブントとの折れ合いで辛うじて活動が許されたと認識しています。
 東大に於ける無党派の活動家は、駒場と本郷を問わず確かに登場してきています。私には?の存在です。東大だから存在し得たようにも思えます。私は最後のほうのチャンネルで、かなりピント外れを書いたわけですが、その記述の背景には、以上述べたような認識がありました。いささかKM生様の最終投稿に噛み合わない文になりましたが、以上が私の口から飛び出した条件反射的な観想(感想)です。
  1. 2017/07/30(日) 06:27:54|
  2. 未分類

小田・上田対談を検証する

古本屋通信   No 2707    2017年  07月29日  


   検証・ 『文化評論』 1981年1月号の「小田・上田対談」


有田芳生‏認証済みアカウント @aritayoshifu
小田実・上田耕一郎対談を担当し「文化評論」に掲載したとき、上田さんの名前を先にしました。そのことを「お招きしたんだから小田を先にしないと」と上田さんに叱られました。高校時代から読んできた筆者でいまも健筆をふるっているのは、不破さんと大江健三郎さんだけになってしまいました。




  古本屋通信 

 当時の 『文化評論』 の編集陣(全員)は(K),(H),(Y),(N),(J)の5人だった。その中には有田芳生は入っていなかった。そのことが下記で証明されました。有田は詐欺だ。有田はペテン師だ。そしていま日本共産党を手玉に取りつつあります。有田は党を攪乱・破壊する国家権力のスパイ分子なのです。  
   

 表題で書くが、このエントリーは前々と前の2つのエントリーの続きである。未読の方は前2つを読んでから、お読みください。

 田舎の倉庫に行っていま帰ってきた。表題の雑誌はあったので持ち帰った。それについて書く前に一緒に持ち帰った雑誌と、探してもなかったも単行本の名前を記しておく。『民主文学』 1883年4月号と7月号。これはあった。『反共市民主義批判』(河邑重光著)はいくら探しても見つからなかった。

  『文化評論』 1981年1月号の「小田・上田対談」だが、結論から書く。延々38頁に亘って小田と上田が二人っきりで喋りまくるという異例の対談だった。38頁中に司会者など一度も登場しない。有田の名もなければ、河邑の名もない。匿名の(司会)という文字さえも登場しない。よって私が河邑が司会者だったと書いたのは、私の錯覚であり記憶違いだった。で、ひとこと言い訳だが、これは私が河邑の『反共市民主義批判』を読んだ時の記憶と錯綜していたのだ。

 で、38頁中には対談者以外の名は一度も登場しないだが、この雑誌の最終頁には編集後記にあたる「編集室から」があった。そこには編集部員と思しき五名がそれぞれ数行ずつ担当記事について短文を書いている。但し大抵の編集後記がそうであるように、実名ではなくイニシャルのローマ字である。はじめから(K),(H),(Y),(N),(J)である。これが全員であろう。
 冒頭の(K)の文と二番目の(H)の文だけを写しておこう。


▽新年号にふさわしい魅力的内容と、紙面刷新をと、大いに意気ごんだものの、前号に「新企画のお知らせ」のせたことを悔やみたくなるような事態もしばしば。なんとか公約違反を免れたのは、編集部の若い活力と執念の結果というべきか。はたして読者の評価はいかが?(K

▽これまでなかなか機会のなかった上田耕一郎、小田実両氏が、はじめての対談。ちいさなテーブルで顔を面して、世界と日本の変革をとうとうと熱っぽく語り合う両氏、気がつくと深夜。二人の話は、読者の満足のいくものと密かに自負している。(H)


 上は明らかに編集長・河邑のイニシャルのKである。トップであること、全体の責任者として謙遜していること、そして「編集部の若い・・・」と書いていることから疑いない。

 下はHだから、有田芳生のイニシャルではない。もともと黒子の編集部員だから実名を使わないで、イニシャルを使用する。そのイニシャルをわざわざ自分の氏名の頭文字と違える事はありえない。したがって対談の担当者は有田とは別人のHである。Hはその場にいなかったら分からない臨場感のある文を書いている。

 残りの(Y),(N),(J)の3人も、それぞれ自分の担当した記事についてのみ、数行ずつ書いている。



  『文化評論』の編集陣は5人だ。この中に有田が入っていないことが証明されましたね。

 5人はこれでも多すぎるくらいだ。たぶん編集プロダクションの下請けを使っていない。しかししんどいと思います。


 大嘘は何時かバレるものです。しかし私はわざわざ検証などしなくても、自分の直感を信じます。例えば有田のツイッターに以下がありました。

 有田芳生さんが追加
有田芳生認証済みアカウント @aritayoshifu
渡辺治✖️不破哲三『現代史とスターリン』は不破『スターリン秘史』(全6巻)の解説対談。メドヴェージェフ兄弟のスターリン研究をさらに深めた国際水準に達する内容だ。テロルの時代など国内問題の分析に終始した研究からポーランド占領など対外政策…
0:56 - 2017年6月19日


 不破を褒めているこのツイート自体が、渡辺の文なのか、それとも有田の褒め言葉か、よく分からないのですが、これはわざと分からないようにやっているのです。でも有田にメドヴェージェフなんか分かりっこない。彼らはマルクス主義の立場からスターリン(主義体制)を批判しているのです。分かってたら日本新党経由で民主党などに殺されても行かないですよ。だから渡辺を自分に同化させている。そういう詐欺ですね。まあ渡辺も落ちるところまで落ちました。研究者としての自殺です。マトモナな媒体が今後渡辺を使うことはありえないでしょう。五十嵐仁レヴェルです。


 『民主文学』 1883年4月号と7月号については、別の機会に書きます。それと、決して高くない私の小田・上田対談評価についても。私は宮本は、上田と小田について正しい見方をしていたと思います。


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 文字の大小・色変換は読みにくいと言われる方は以下をお読みください。今回この試みを実行したのは、本来が編集者である私は、出版物は単調な文字だけ、つまり表現手段としてのことばだけで、情報を読者に伝えるべきだと考えているからです。本の例でいえば、みすず書房の本のような単調さが堪えられないのです。しかし以前に一度試みた時には不評でした。


   古本屋通信   No 2707    2017年  07月2日  


   検証・ 『文化評論』 1981年1月号の「小田・上田対談」


有田芳生‏認証済みアカウント @aritayoshifu
小田実・上田耕一郎対談を担当し「文化評論」に掲載したとき、上田さんの名前を先にしました。そのことを「お招きしたんだから小田を先にしないと」と上田さんに叱られました。高校時代から読んできた筆者でいまも健筆をふるっているのは、不破さんと大江健三郎さんだけになってしまいました。



  古本屋通信 

 当時の 『文化評論』 の編集陣(全員)は(K)(H)(Y)(N)(J)の5人だった。その中には有田芳生は入っていなかった。そのことが下記で証明されました。有田は詐欺だ。有田はペテン師だ。そしていま日本共産党を手玉に取りつつあります。     

 表題で書くが、このエントリーは前々と前の2つのエントリーの続きである。未読の方は前2つを読んでから、お読みください。

 田舎の倉庫に行っていま帰ってきた。表題の雑誌はあったので持ち帰った。それについて書く前に一緒に持ち帰った雑誌と、探してもなかったも単行本の名前を記しておく。『民主文学』 1883年4月号と7月号。これはあった。『反共市民主義批判』(河邑重光著)はいくら探しても見つからなかった。

  『文化評論』 1981年1月号の「小田・上田対談」だが、結論から書く。延々38頁に亘って小田と上田が二人っきりで喋りまくるという異例の対談だった。38頁中に司会者など一度も登場しない。有田の名もなければ、河邑の名もない。匿名の(司会)という文字さえも登場しない。よって私が河邑が司会者だったと書いたのは、私の錯覚であり記憶違いだった。で、ひとこと言い訳だが、これは私が河邑の『反共市民主義批判』を読んだ時の記憶と錯綜していたのだ。

 で、38頁中には対談者以外の名は一度も登場しないだが、この雑誌の最終頁には編集後記にあたる「編集室から」があった。そこには編集部員と思しき五名がそれぞれ数行ずつ担当記事について短文を書いている。但し大抵の編集後記がそうであるように、実名ではなくイニシャルのローマ字である。はじめから(K)(H)(Y)(N)(J)である。これが全員であろう。
 冒頭の(K)の文と二番目の(H)の文だけを写しておこう。


▽新年号にふさわしい魅力的内容と、紙面刷新をと、大いに意気ごんだものの、前号に「新企画のお知らせ」のせたことを悔やみたくなるような事態もしばしば。なんとか公約違反を免れたのは、編集部の若い活力と執念の結果というべきか。はたして読者の評価はいかが?(K)

▽これまでなかなか機会のなかった上田耕一郎、小田実両氏が、はじめての対談。ちいさなテーブルで顔を面して、世界と日本の変革をとうとうと熱っぽく語り合う両氏、気がつくと深夜。二人の話は、読者の満足のいくものと密かに自負している。(H)

 上は明らかに編集長・河邑のイニシャルのKである。トップであること、全体の責任者として謙遜していること、そして「編集部の若い・・・」と書いていることから疑いない。

 下はHだから、有田芳生のイニシャルではない。もともと黒子の編集部員だから実名を使わないで、イニシャルを使用する。そのイニシャルをわざわざ自分の氏名の頭文字と違える事はありえない。したがって対談の担当者は有田とは別人のHである。Hはその場にいなかったら分からない臨場感のある文を書いている。

 残りの(Y)(N)(J)の3人も、それぞれ自分の担当した記事についてのみ、数行ずつ書いている。


  『文化評論』の編集陣は5人だ。この中に有田が入っていないことが証明されましたね。

 5人はこれでも多すぎるくらいだ。たぶん編集プロダクションの下請けを使っていない。しかししんどいと思います。


 大嘘は何時かバレるものです。しかし私はわざわざ検証などしなくても、自分の直感を信じます。例えば有田のツイッターに以下がありました。

 有田芳生さんが追加
有田芳生認証済みアカウント @aritayoshifu
渡辺治✖️不破哲三『現代史とスターリン』は不破『スターリン秘史』(全6巻)の解説対談。メドヴェージェフ兄弟のスターリン研究をさらに深めた国際水準に達する内容だ。テロルの時代など国内問題の分析に終始した研究からポーランド占領など対外政策…
0:56 - 2017年6月19日

 不破を褒めているこのツイート自体が、渡辺の文なのか、それとも有田の褒め言葉か、よく分からないのですが、これはわざと分からないようにやっているのです。でも有田にメドヴェージェフなんか分かりっこない。彼らはマルクス主義の立場からスターリン(主義体制)を批判しているのです。分かってたら日本新党経由で民主党などに殺されても行かないですよ。だから渡辺を自分に同化させている。そういう詐欺ですね。まあ渡辺も落ちるところまで落ちました。研究者としての自殺です。マトモナな媒体が今後渡辺を使うことはありえないでしょう。五十嵐仁レヴェルです。

 『民主文学』 1883年4月号と7月号については、別の機会に書きます。それと、決して高くない私の小田・上田対談評価についても。私は宮本は、上田と小田について正しい見方をしていたと思います。
  1. 2017/07/29(土) 13:40:51|
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全部口から出まかせではないのか

   番外  全部口から出まかせではないのか



     死人にくちなし

 キンピーサイトの にゃんというペテン師板攪乱分子とよう似ているワ


藤田 省三(ふじた しょうぞう、1927年9月17日 - 2003年5月28日)

鶴見 俊輔(つるみ しゅんすけ、1922年〈大正11年〉6月25日 - 2015年〈平成27年〉7月20日)




有田芳生‏認証済みアカウント @aritayoshifu · 13時間13時間前
有田芳生さんが有田芳生をリツイートしました
藤田省三さんには「日本人にはユダヤ人問題は経験的に理解するのが難しい。でも君たちは小さな全体主義経験をしたのだから、第3部は実感としてわかるだろう。そこから読め」と教えられました。査問経験のことです。藤田さんが離党するときの立会人(そんなことができた)は鶴見俊輔さんでした。




 事実であることを証明する証拠はもちろんのこと、状況証拠さえも皆無である。

 それに丸山の弟子の藤田がマルクス主義者であることは膨大な著作から明らかだが、日本共産党員であったことを本人は公表していたのか。また離党の事実は果たしてあったのか。

 非党員の鶴見が藤田の離党に立ち会うとは如何なる意味か、またその状況はどうだったのか。一般的には離党は本人と党機関との問題であろう。もし藤田が党員だったなら、その所属は東京都委員会直属であったろう。都委員会が非党員の鶴見を党員である藤田の離党の見届け人にするということは一般的にはありえないと思うのだが。


。。。。。。。。。。。。

 
  川上徹は晩年の藤田を師匠として慕っていた。その状況証拠は多くある。たぶん藤田も党員だったが離党した。然し川上は藤田の離党の事など一言も口にしなかった。藤田が死んで後にも口にしなかった。それが死者にたいする礼節である。嗚呼、あまりにも違いすぎる。
  1. 2017/07/28(金) 21:51:16|
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有田は小田・上田対談の編集者?

古本屋通信   No 2706    2017年  07月28日  

    
 有田芳生は本当に 『文化評論』(小田・上田対談)の編集者だったのか?

 私は通信 No 2699中の住井すゑを貶した文脈で、私とは正反対の住井評価をされているマーブルさんの文を引用した。まあ全文が異論なのだがそれは措いて、具体的な事実について間違いだと思った箇所があった。その個所に( )を付けて私の文を赤字で挿入した。そうしたら間もなく福山の同業者の神原卓志さんから連絡があり、この件に関しては有田が自分のツイッターで証言しているからウソではないのではないかと言う。有田の発信も示してあった。私は直ちにそれも読んだ。然し俄かには信じられず、とりあえず青字で追加の書き込みをした。ここまでが昨日の事であり、以下が其の該当部分の再録である。   

 マーブルさんの文に私が二度書き込みを挿入した箇所・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 有田氏は父親の影響もあり、大学時代から日本共産党の熱心な活動家であった。上田耕一郎に師事し、『文化評論』の編集者(これは違うだろう。有田は新日本出版社の社員ではあったが 『文化評論』の編集者ではなかったろう。上田と小田実の対談を企画したのが彼だったのか? この件に関してご指摘があった。有田自身が対談の担当は自分だったとツイッターで言っているというのである。ウーン、私も曖昧だったから?を付した。確かこの件はホントに???だ。企画に一枚噛んでいて、司会をしたかも知れない。だが私には有田が『文化評論』の編集部員だったという認識はない。当時ずっとこの雑誌を購読していた。編集者は黒子だが、ずっと読んでいたら、それとなく分かるもんだ。しかし白黒と断定は出来ない。それと、有田は過去の自分に関する事で、証拠がなければ平気でウソを言う。川上さんとの交流について私がウソだと書いたら、有田本人からウソじゃあないと投稿があった。それも私は残しているが、確定的な証拠はないでもあった。市民運動に参加する中 で、党外の人脈を育てていったと考えられる。共編者の松岡氏は、元毎日新聞の論説委員。僕の記憶はあいまいだが、たしか83年の都知事線で悪名高い鈴木俊 一知事に対抗する革新統一候補であった。負けたとはいえまだ社共共闘がまがいなりにもあった。そもそも社会党が存在した。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


  古本屋通信

 ところがさっき東大新聞を読み進んでいたら、奇妙な記事に出くわしたのだ。東大新聞が雑誌の編集者にインタビューする記事であり、1981年(昭和56年)8月3日号である。『SFマガジン』 とともに 『文化評論』 を取り上げている。『文化評論』 編集長の河邑重光氏が取材に応じている。この雑誌について喋っているのだが、アレッと思った箇所だけ引用する。

ーーー最近の企画では小田実氏と上田耕一郎氏との対談をたいへん面白く読みました。あの企画がどのようにした実現したのか,あるいは小田氏のように共産党に対しても言いたいことを言う人を誌面に出すことの意義を考えるのか、という点については・・・・。

河邑 小田氏は安保破棄、革新を願うという立場では、同じ立場に立てる人ですよね。であれば、大いにそういう人たちの意見も載せますし、『文化評論』という場所を提供して共産党の人たちとも大いに討論してもらう。そのことは、むしろ意識的に追究しているんですね。小田さんの場合は、こちらに出ていなかったという事で、意外性があるかもしれませんが、同じようなことを言いますと、次の二月号でも星野安三郎さん、伊藤成彦さんにも出てもらっていますね。だから、小田さんが出るというのは、それほど突飛なことではないんです。

 
 別にどうということのない記事に私がアッと思ったのは、この対談の司会者が当時の 『文化評論』編集長の河邑氏だということを思い出したからだ。まず間違いない。私は田舎の倉庫に確実に保管している。対談には司会者の名前も明記されていよう。さあ、探すのが大変だが、私は 『文化評論』 と 『前衛』 と 『民主文学』 の重要号は確実に保管している。余談だが 『文化評論』 のこの号(一月号?)がなぜ重要かと云うと、後になって小田氏の別の論稿が 『民主文学』1983年4月号に掲載された。この4月号が後に大問題になるのだ。この号には党を除名された「対外盲従分子」の野間宏といっしょに訪中した小田の論稿が掲載された。更に其のうえで編集後記に小田の訪中記に礼をいう文言を掲載した。編集後記を書いたのは 『民主文学』 編集長の中野健二だった(四月号事件)。コレがやがて文学同盟の組織の分裂と、『葦牙』創刊に発展する。その関連で、この上田・小田対談も問題になったのである。しかしこの対談自体は党(宮本顕治?)の非難する所とはならず、上田も河邑氏も責任を問われなかった。
(上記に一部混乱があり記述がチグハグしました。解決しましたので上記を確定稿とします。神原さん、色々有難うございました。有田が当時 『文化評論』 の編集部員であったという事実もあったかも知れませんが、私があくまで私の心証で書いたエントリーとして、このママにしたいと思います。河邑さんもこういう瑣末な事で証言しないでしょうから)。
 それよりも私が激しく違和感を持ったのは、この企画を担当したのが有田ということだ。私は一瞬あり得ないと思った。有田の役目は3人にお茶を出すこと? 有田のようなチンピラに企画が出来ようが筈ないのだ。ここでは編集長の河邑でさえも実務者に過ぎない。上田が一人でお膳立てして実行した。さらに言えば、この企画は上田の宮本顕治に対する批判だと言われている。間違いない。たぶん弟の不破にも相談していない。そんな危険に有田ごときチンピラがどう関われるというのか。

 然し、これも死人に口なしである(ありゃ河邑は生きていた。27大会で名誉役員77歳)。有田はいつもそうだ。自分を大物に見せるために小細工を施すのだ。状況証拠しかないと見たらトコトン嘘をつく。その嘘をどういう言い回しでついているのか、神原さんの教えてくれた有田のツイッターを再度訪れてみた。


有田芳生‏認証済みアカウント @aritayoshifu
小田実・上田耕一郎対談を担当し「文化評論」に掲載したとき、上田さんの名前を先にしました。そのことを「お招きしたんだから小田を先にしないと」と上田さんに叱られました。高校時代から読んできた筆者でいまも健筆をふるっているのは、不破さんと大江健三郎さんだけになってしまいました。

有田芳生さんが追加
有田芳生認証済みアカウント @aritayoshifu
渡辺治✖️不破哲三『現代史とスターリン』は不破『スターリン秘史』(全6巻)の解説対談。メドヴェージェフ兄弟のスターリン研究をさらに深めた国際水準に達する内容だ。テロルの時代など国内問題の分析に終始した研究からポーランド占領など対外政策…
0:56 - 2017年6月19日



 まあ惨いもんだな。最終は不破哲三をターゲットか。これじゃあ志位もお手上げだナ。ちゃんと読んでる。然しこのペテンに不破は引っ掛からないだろう。不破のトロツキズム帰りが立身出世主義者の有田に理解できる訳がない。理解できたら民主党には行ってないワ。

 しかしこの男、敵は多いと見える。ツイッターには罵倒が溢れている。しかしその援用に古本屋通信記事が引用されている。参ったナ、もう。

ひなた‏ @hinatakanata31 · 6月20日
返信先: @aritayoshifuさん
共産党追い出された人間が何を抜かす?笑
スターリン?
…ただの人殺しじゃないですか。
それにひきかえ日本のヨシフスターリンさんがショボイおかげで毎日愉快に暮らさせていただいてますよ。
あなたのツイート見る以外。笑

返信先: @aritayoshifuさん
脳味噌内に規制中、便所イデコオロギーが巣食っている連中が言うことは滅茶苦茶過ぎて理解できんw
で、テメェは何が言いたいんだ?

返信先: @aritayoshifuさん
おまえみたいなフリーライター気取りって、一般的な常識を知らなそうだよね。それがまたコンプレックスになって、知ろうともせず、どんどん極端な方へ行っちゃうっつう。

プロフィールに堂々と「ジャーナリスト」と明記する、しかし実態は、こういう知能レベルの阿呆ですからねぇ~

弁信‏ @takiwasa · 6月19日
返信先: @aritayoshifuさん
>小田実・上田耕一郎対談を担当し「文化評論」に掲載したとき、上田さんの名前を先にしました@aritayoshifu

そりゃそうだね。

[父・有田光雄の息子として党内出世をめざし、新日本出版社に職を得て、そこで上田耕一郎に取り入る]

古本屋通信     No 1223  1月12日
追悼・川上徹 (出版社・同時代社代表 再建全学連初代委員長)
  1. 2017/07/28(金) 17:50:08|
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東京大学新聞チャンネル第24回

古本屋通信   No 2705    2017年  07月28日  

    
    東京大学新聞  チャンネル 第 24 1979(昭和54)

【頭註】 このエントリーについては、その後のKM生様の投稿によって、私の革マル派認識が根本的に誤っていることが明らかになっている。即ち1970年代末から東大文学部学友会の執行部を占めたのは革マル派ではなく、ノンセクトラディカルだった。この事実によってすでに無効になった。これは当時この大学の学生だった方の証言だから私は同意する。この時期から東大新聞の論調も急にブレを見せ始めている。報じる学内自治会の取り上げ方も理解に苦しむものが現れ始めたのだ。

 私はこのエントリーは本来削除すべきであると思うが、私の認識の甘さを示すものとして、いま暫らく残すことにした。それと同時に、このチャンネル第24回をもって、東京大学新聞シリーズをいちおう終了する。理由はただ一つである。この新聞がどういう編集方針を採用しようが自由だが、私は1980年代以降の記事の多くに興味が湧かない。一例だが、五月祭記事で「ちょっと気になるあのヒト」とか「東大ミス日本候補」などという企画に付き合いきれないのである。



   7月2日号

 東大文学部は半世紀のあいだ、革マル派の不抜の拠点

 タイトルは古本屋通信が打ったものだが、これまで1966年から1979年までの東大新聞を読んできて、どこの自治会をどこの党派が牛耳っているか、凡その見当は付いていたものの、教養(駒場自治会)以外は明確な選挙得票となって顕在化していなかった。ここに来てようやく文学部学友会(自治会)選挙の記事が発見された。短いので全文を起しておく。


  文学部選挙 現執行部が圧勝

 文学部では、二十三日(土)から二十七日(木)までを投票期間として学友会前期選挙が行われていたが、二十八日開票され、議長団には天クジ一典君を議長に推す「反百年・文ホール解放選対」候補が、全学連選対候補に305票対96票の大差をつけて当選した。また、同時に行われた学友会常任委選挙でも、前学友会、団交実系候補が圧倒的支持を得て大半が当選、前学友会の基本方針を継承していくものと思われる。
 今度の選挙の結果からは、議長団選挙において305対96とのかつてない得票差が出たことが示すように、前学友会、団交実が提唱している「反百年事業・文ホール解放」の基本路線が文学部生に浸透しているものと思われる。また、各学科別投票の学友会常任委選挙では、定員二十九人中二十七人が「反百年選対」でしめられ、昨年來から五、六名は選出されていた民青系候補が今回は一人しか選出されていない点からも、文学部生の「全学連離れ」を如実に裏付けた。そして、新常任委の過半以上が今年本郷に進学した三年生で占められ、若返りの見られるのも今回の特色だ。
 なお、新常任委による弟一回常任委員会は七月中旬までに予定されており、学友会常任委員長・副委員長ほか新執行部は、その際に決定する予定。




  古本屋通信

 読んでの通りだから、東大文学部の選挙結果については解説は要らないだろう。ここでは学生自治会活動は決して党派活動そのものではないという事を書きたい。というのは、我々の世代では常識になっている基本的認識が、今の若い世代では理解を超えていると思うからだ。共産党の志位がシールズという低脳の根無し草を持ち上げるもんだから、チンピラが世界を変革出来るかの幻想さえ一部に生まれている。そういう錯覚にはキッパリと正解を与えねばならないと思うのだ。

 日本の大学に学生自治会ができたのは戦後間もなくだったが、本格的な活動を開始したのは1950年頃からだったろう。全学連の初代委員長は武井昭夫だったが、彼は当時から数百存在した全国学生自治会総連合のトップとして存在した。基本の活動母体はあくまで個別大学・学部の自治会だった。以後1960年代、1970年代と、全学連と各学生自治会の活動はつづく。大学数と学生数の増加はあったが、だいたい全国で500の学生自治会が存在した。これらの自治会の活動の基本はあくまで個別大学での活動だった。しかし学生は政治に敏感だから日常活動とともに政治活動もした。そしたら日常活動と政治活動の双方を継続的に担うのはノンポリでは無理だった。これは良いも悪いもない。出来ないのだ。出来ても一過性の運動は活動として継承されない。上記の東大文学部の何所にも革マル派の名前はない。民青は一箇所だけある。

 少し跳ばそう。学生運動を学外のデモや集会と見ないで、地方議会の活動と見てはどうだろう。各党派が存在するのも似ている。選挙の当選・落選もある。議会活動の大半は政治活動や党派活動ではないだろう。自治体住民のための活動である。またコレをやらないで大口ばかりたたいていては次の選挙では落選するだろう。この点でも学生運動や自治会活動は議会と似ている。日本共産党の地方議員は住民の要求を組み入れて活動するから信頼される。また信頼される議会活動にとって政治党派・会派は必要である。

 東大は各政治党派のオンパレードだから、党派が目立つし問題にもなる。しかし私の香川大学時代に民青なんか何所にもいなかった。いや300人いたけれど殆どが非公然だった。それで良かったのだ。民青300人はあらゆる活動をした。上記の革マル派もよく頑張っているではないか。駒場から本郷に進学してきた新三年生はたぶん二十歳ちょっとだろう。学友会常任委員に当選した二十七名はたぶん全員がマル学同革マル派の同盟員だ。彼らは解放派のテロ・リンチの危険性を熟知したうえで常任委員になった。事実すでに東大生が5人殺されている。私はゲバは絶対に反対である。東大新聞も反対だろう。然しその上で公平に記事を書いている。革マル派も、青解派も、中核派も、社学同もみんなフツウの学生である。加えるなら原理研の学生も。

 私は当時の学生運動を、革命運動の縮図だなどと思ってもいない。だがふつうの学生生活を送っている学生が政治活動にも全身で当たっていた、ある意味で生き生きと輝いていた時代ではないかと思う。その芽を摘み取って青年学生をブルジョア議会の欺瞞に押し遣ったのが新日和見事件の摘発だった。いまの党方針では民青の再建は絶対にあり得ない。断言できる。
  1. 2017/07/28(金) 11:04:52|
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崩壊した低脳委員長のシナリオ

古本屋通信   No 2704    2017年  07月28日


    全てが崩壊した志位低脳委員長のシナリオ
  
 もう今となっては多く言うべき事はない。ほんの一ヶ月少し前に4野党で合意したと志位が誇らしくデマったシナリオの全てが完全に崩壊している。赤旗の記事の通りならば、今頃は全国で少なくとも百以上の小選挙区で野党統一候補が決定されていなければならない。安倍政権は今や死に体である。8月解散9月総選挙だと言われている。いいから早く統一候補を発表しろよ。そうしないと供託金を取られるゾ。とりあえず過去記事を再録しておく。
   

       再録

  
古本屋通信   No 2611    2017年  06月12日


    ハッタリ志位の大風呂敷とデマ宣伝

副題 広島三区の民進党候補/塩村あやか(岡山就実高校出身)。カノジョだけ。ポルノ候補。


  多く言う必要はない。下は3日前の赤旗一面記事だ。4野党党首会談とやらが開催されたのは4日前の木曜日だ。会談が昨年9月の合意に基づいて形式的に開かれたの事実であるが、そこでは実質なにも決まっていない。いわばコレまでの野党の、安倍に反対するという政局の建て前を確認しただけである。踏み込んだ合意などゼロである。「そうではない」と言うなら言え。どっちでも良いのだ。それよか、問題は下記で私が赤字にした部分だけが問題なのだ。普通なら「4野党が協力して候補者調整を行い、一致したところを順次発表する」と大見えを切ったからには、直後に10や20の小選挙区で統一候補が発表されねばならない。それだけの準備をしてから大見えを切るもんだ。ところが会談から4日経つのにウンともスンとも言わない。これを志位のハッタリと云う。もっとハッキリ言えばデマ宣伝である。それもその筈、民進党の蓮舫にも、自由党の小沢にも、社民党の吉田にも、その気は全くないのである。ひとの心の中が分るかって? あのねえ、仮に彼らにその気があっても、実現可能な条件は皆無なのヨ。分りますか? 全国にひとつもないの。いやひとつあった。広島三区の民進党候補の塩村あやかチャン。カノジョだけ。ポルノ候補。

 民進党の蓮舫、自由党の小沢、社民党の吉田にやる気があるかないか。それは党首会談後の民進党、自由党、社民党のHPを開けば一目瞭然です。まあヒマなひとは調べて下さい。赤旗が書いているような記事は何処にも見当たりません。そもそもこの期の形式的な党首会談なんか意味がないから、記事にさえしていません。それからブル新聞ですが、全部を調べた訳ではありませんが、ザッと見たところ記事はありませんね。あっても政局対応の形式的な会談としての記事でしょう。統一候補での一致など書く訳がありません。すべて志位の希望的観測且つ妄想ですから。

 これからまいにち赤旗日刊紙を見るのが愉しみです。何はさて措き、野党統一候補の記事を探しましょう。東京都議選挙が終る7月中旬までには、たぶん100小選挙区位はまとまると思います。でも、放っておいたら、まとまる話もまとまりませんから、各都道府県委員会の努力が求められます。とりわけ東京都委員会がんばれ。



 2017年6月9日(金)
  赤旗
 憲法9条改悪反対で一致
 「共謀罪」廃案、加計・森友疑惑の徹底究明を
 4野党党首会談

日本共産党の志位和夫委員長、民進党の蓮舫代表、自由党の小沢一郎共同代表、社民党の吉田忠智党首の4野党党首は8日、国会内で会談し、安倍晋三首相が憲法9条に別項を設けて自衛隊を明記する改憲を行うと宣言するもとで、「安倍政権の下での憲法9条の改悪に反対する」ことをはじめ、当面する政治課題での対応とともに、次期総選挙における4野党の協力について合意しました。日本共産党の小池晃書記局長、各党の幹事長が同席しました。
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(写真)4野党党首会談。(左から)小沢一郎、蓮舫、志位和夫、吉田忠智の各氏=8日、国会内
 総選挙の協力を加速
 4野党は「この間の党首会談の合意を尊重し、実行するために引き続き努力する」ことで一致。当面する政治課題として9条改悪反対、「共謀罪」法案の廃案、「加計学園」・「森友学園」疑惑の徹底究明のために全力をつくすことを確認しました。
 「共謀罪」法案の廃案をめざして「共謀罪NO!実行委員会」と「総がかり行動実行委員会」が13日に日比谷野外音楽堂(東京・千代田区)で主催する大集会に、主催者の要請を受けて、4野党党首がそろって参加する方針を確認しました。
 次期総選挙について4野党は、安倍政権の打倒をめざして、「できる限りの協力を行う」との昨年9月の合意にもとづき協議を加速させ、 「4野党が協力して候補者調整を行い、一致したところを順次発表する」ことで合意しました。
 また、今国会での安倍内閣不信任決議案の扱いについて「提出も視野に入れて、4野党として緊密に連携して対応する」としました。
 志位委員長は会談で、「安倍首相が9条改憲を公然と宣言するもとで、4野党の『安倍政権のもとでの憲法9条の改悪に反対する』という合意が得られたことは大変重要だ」とその意義を強調。「共謀罪」や「加計」・「森友」疑惑の問題で、政府が国会でまともな答弁も調査もせず、証人喚問にも応じないもとで、「徹底審議と国民運動によって相手を追い詰め、『共謀罪』法案の廃案をかちとっていくために力をあわせたい」と表明しました。
 次期総選挙での協力について、志位氏は会談で、「一歩踏み込んで選挙協力を加速する方向を確認したことは大変大きな意味をもつ」と指摘。実際に選挙協力を進めるうえでは、▽共通政策・共通公約について豊かなものをつくりあげていく▽相互推薦・相互支援をやってこそ「本気の共闘」がつくれ、相手に勝つことができる▽政権問題について協議の中で前向きの合意を得ることをめざす―という日本共産党の立場をあらためて表明し、「そういう立場で今後、協議に積極的に臨んでいきたい」と述べました。
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 4野党党首会談の合意
 8日の日本共産党、民進党、自由党、社民党の4野党党首会談で確認した事項は次の通りです。
 ◇
 一、当面する課題について
 1、この間の党首会談の合意を尊重し、実行するために引き続き努力する。
 2、安倍政権の下での憲法9条の改悪に反対する。
 3、「共謀罪」廃案めざし、院の内外で共同して闘う。
 4、加計学園・森友学園疑惑の徹底究明のため全力をつくす。
 二、次期総選挙における野党4党の協力について
 次期総選挙は、新しい区割りの下で行われることになる。安倍政権の打倒をめざして全力をあげる。
 民進党、日本共産党、自由党、社民党の野党4党は、次期総選挙で「できる限りの協力を行う」との昨年9月の合意に基づき、協議を加速させ、4野党が協力して候補者調整を行い、一致したところを順次発表する。
  1. 2017/07/28(金) 09:03:17|
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東京大学新聞チャンネル第23回

古本屋通信   No 2703    2017年  07月28日  

    
    東京大学新聞  チャンネル 第 23 1979(昭和54)

   6月18日号

 今回の新聞は東大闘争から10~11年目の1979年のものである。ここに東大新入生対象のアンケート結果がある。近年は毎年実施されていたらしいが、私の手元にある東大新聞ではこれが初めてである。面白いから貼る。本文に多く書かれている東大生の生活に関する質問と回答を省略して、支持政党に限って、しかも数字部分だけを掲載する。見出しだけは付けておく。尚、このアンケートは全学オリエンテーション委員会が行った「新入生アンケート」の結果を、東大新聞社が集計してまとめたものである。回収率と絶対数は書かれていないが、新入生の圧倒的多数だったと思われる。


新入生アンケート  大衆化如実に  
圧倒的な脱・反政党派  自治会「冬の時代」続く
支持政党なし 41%  女子は公明が嫌い


あなたは、強いて言えばどの政党を支持していますか(1つ)

自民党     20.5 %
社会党     10.3 %
公明党      0.9 %
民社党      3.4 %
共産党      4.2 %
新自由クラブ  6.2 %
社会民主連合 1.3 %
革新自由連合 0.5 %
支持政党なし 40.6 %
わからない   11.0 %



どの政党がきらいですか(複数可)

自民党      28.5 %
社会党      15.7 %
公明党      28.3 %
民社党      17.0 %
共産党      37.9 %
新自由クラブ  13.5 %
社会民主連合  7.3 %
革新自由連合 10.6 %
別になし     27.1 %




次に「支持政党なし」 「わからない」を除く支持政党の百分率(3年比較)

1977年(昭和52年

自民党     23.4 %
社会党     15.2 %
公明党      4.4 %
民社党     11.3 %
共産党      23.2 %
新自由クラブ  22.3 %



1978年(昭和53年)

自民党     45.2 %
社会党     18.4 %
公明党      1.2 %
民社党      6.5 %
共産党      3.5 %
新自由クラブ 16.6 %
社会民主連合 6.1 %
革新自由連合 1.9 %



1979年(昭和54年)

自民党     42.3 %
社会党     21.2 %
公明党      1.9 %
民社党      7.0 %
共産党      8.6 %
新自由クラブ 12.8 %
社会民主連合 2.8 %
革新自由連合 1.1 %




 ちょっと信じられないほど公明党が低いな。
  1. 2017/07/28(金) 06:45:27|
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